IE9ピン留め

愛姫伝

makild.exblog.jp

数あるブログの中からお越しいただきましてありがとうございます。 不思議な数々の出会いから、今は、愛媛の神社めぐりをしながら、神社や女神様そして、神話の神々の伝説を調べています。

こんばんは。

今日、無事に愛姫伝写真展を終えることができました。

あっという間の2週間でした。

会場に行ってみると机の上においてあった名詞が、一枚も残っておらず、沢山の方が持って帰っていただけたんだと感謝の気持ちでいっぱいになりました。

初めての試みで、皆様に満足いただけるかどうかと、少し不安でもありましたが、
多くの方からお便りを頂いたり、また会場の方もとても喜んでくださり、ぜひ、来年度もしていただきたいと言っていただき、感謝の気持ちでいっぱいです。

遠く県外からお越しくださった皆様、また、お忙しいなか、足を運んでくださった皆様、本当に本当に、ありがとうございました。

この場を借りて、大変失礼ではございますが、感謝の気持ちを伝えたいと思います。


また、本日会場に行きますと、会場の方から 1通のお手紙を頂きました。

遠い遠い、瀬織津姫の国からのお便りが写真とともに入っていました。

それは、私が、いつか行きたい、いえ、本当は今すぐにでも行きたい瀬織津姫の山、早池峰に鎮座する
早池峰神社と、姫を祀る「桜松神社」 不動尊 瀬織津姫の滝でした。

始めて知った瀬織津姫の姿は、エミシの国の女神。
早池峰に眠る姫の姿でした。

エミシの国から、お便りがくるなんて夢にも思ってもいませんでしたので、驚きと感動で胸がいっぱいになりました。

本当に本当になんとお礼を言っていいかわかりません。

いつか必ず、早池峰に行かせていただきたいと思います。

今は、まだ遠くへいくことができない身ですので、姫が最後にたどり着いた場所に行くことができる日まで、姫に恥ずかしくないような人間になれるよう自分を磨いていきたいと思います。

また、姫の真の姿が少しでもわかるように頑張っていきたいと思います。

私は、沖縄から北海道まで、30歳になるまでにそのほとんど全ての県へと行ってきましたが、唯一東北だけには一度も足を踏み入れたことがありません。

今、思えば、その地へと行ける準備ができるまで行くチャンスをいただけなかったのかもしれません。

この写真の場所に立てる日を夢みて、これからも姫を、そして日本の歴史、日本の原点を伝えていきたいと思います。

皆様、本当に本当に、ありがとうございました。

そして、これからも、どうぞよろしくお願いいたします。






愛姫伝 「麻輝」 





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愛姫伝神社・お寺・観光マップ



# by ldc_nikki | 2012-02-01 22:42 | お知らせ | Trackback | Comments(0)
こんばんは。

明日で、写真展が終了します。
この間スタートしたと思ったら、もう終わり、二週間なんてあっというまですね。

なんだか、少し寂しい気がします。

でも、このブログを読んでくださり、何人もお越しくださった方がいて、会場に名詞をおいていたのをお持ちいただき、県内外から沢山の方からメールをいただき本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

皆様、本当にありがとうございました。

次回の予定は、全く決まっておりませんが、またぜひ開催したいと思っています。

次がいつになるか、またどこでさせていただけるか、これもご縁がある時に決まると思っていますので、どんな場所で、いつさせていただくことができるのか、私も楽しみにしています。

その時まで、時間のゆるす限り神社やお寺に足を運び、いろんな風景を写真に納めたいと思っています。

また、これもこれまでのご縁がもとで、一番新しい 「経済レポート」に、写真展と愛姫伝の記事が掲載されました。

もし、機会がありましたら、ご覧ください。

経済レポートという雑誌ですので、瀬織津姫のことは記事としては出せませんでしたが、神社や歴史に興味を持っていただける機会になればと思っています。

では、今日のお話です。

今日も、昨日の続き西条市です。

前回ご紹介しました神社 「飯積神社」から東へ少し行ったところにあるお寺

「西福寺」 です。

ここは全く行く予定ではなかったのですが、次の神社へ行く途中前を通り思わず車を止めてしまい、お参りをさせていただいたところです。

大きな門を入ると、立派な本堂と、弘法大師の像がありました。

姫が封印された神社の近くには、弘法大師ゆかりのお寺があることが多いのですが、ここもその一つでした。

このお寺は、兵火で、全て焼失し詳しい由来は残っていないようなのですが、
弘法大師が開基したお寺だということは、わかっているようです。

西條西国三十三霊場 第4番 でもある

「 医王山東光院西福寺 」 

現在は、「篠山」 というところにありますが、元はすぐ隣の 「下島山」にあったようです。

ご本尊は、

「大日如来」 です。

弘法大師が開基され、天正13年(1585)兵火で焼失するまでは、壮大なお寺であったといいます。

全て焼かれてしまった後、廃虚の中、堯上人が僧院を建立しました。

そして元禄時代に、現在の篠山に移転されたそうです。

境内には篠山城というお城の跡がありますが、今はそこに、「地蔵堂」と新四国八十八所霊場の石仏がおかれてあります。

ここは前回ご紹介した神社 「飯積神社」の氏子の地域です。

やはり、ここに弘法大師がお寺を開基したということは、ここも姫の封印さいに何かが起こった場所なんだろうなと思っていたところ、同じく「飯積神社」の氏子である、お隣の新居浜市大生院のお寺に、それに繋がる由緒を見つけました。

ここは西条市と新居浜市の境目の地区になるのですが、このお隣新居浜市の 「大生院」 とよばれる地区も
「飯積神社」の氏子となります。

その同じ氏子の中の、もう一つのお寺が 

「石鉄山往生院正法寺」 といいます。

「西福寺」 の由緒は残っていませんが、こちらの正法寺には残っていたのです。
お寺がある地区の名前 「大生院」は、正法寺の院号「往生院」からきているといいます。

そしてこのお寺の起源は、「泰氏」にあるというのです。

応神天皇の時、多くの泰氏が戦乱の中日本にやってきたと言われていますが、ここではそれが、始皇帝の末裔だと書かれているようです。

また、このお寺では、泰氏、

「我が国に帰化した」 と書かれてあります。
泰氏は、日本人になったということです。

その時、天皇は、泰氏たちを山城の太秦(ウズマサ)に住まわせたといいます。

その後、仁徳天皇(5世紀頃)の時、天皇は泰氏を各地に分散させ、ここ西条にもやってきました。
そして泰氏は、蚕を養い、絹布を織らしめたといいます。
(しかし、これより100以上前卑弥呼の時代には、すでに織物の技術はわたってきています。)

それから、泰氏はこの地で一大豪族となっていったといいます。

しかし、このお寺が建立されるのは、さらにそれから約300年後のことです。

ここで昨日の 「鴨族」のお話にもどりますが、

鴨族が、お隣の西条市小松に移住したのは、 

雄略天皇(456~479年)です。

泰氏は  (313~399年)。

泰氏は、鴨族が移住してくる (100年以上前)からここに来住し、豪族となっていたのです。

鴨族が、ここ西条を本拠地とするのは 大化の改新(645年)。

この200年の間に、泰氏と鴨族の間に何かあったこと私は思うのですが、このお寺が建立されるのは、奈良時代後期から平安時代ころといわれます。

その時代は、西条は鴨族の本拠地となり、泰氏の力は衰えていたはず。

しかし、このお寺を建立したのは、お寺の起源によると 「泰氏」 

七堂伽藍を有する巨刹正法寺という名で、創建されました。

このお寺を建立したのは、本当に「泰氏」なのでしょうか?

それとも、別の泰氏、またそれは鴨とも繋がる 「泰氏」 だったのでしょうか。

医王山東光院西福寺と、石鉄山往生院正法寺(大生院)、二つのお寺があるこの地区が、

「飯積神社」の氏子だとすれば、この地区は、どちらもやはり元は 「瀬織津姫」を祀る 「泰氏」の国。

しかしその名前がなくなってしまったということは、奈良時このお寺も、封印するために、またもしくは魂を沈めるために建立されたものだと思います。

そして、弘法大師はそれを知り、神社の近くにお寺を開基したのではないでしょうか。

もう少し詳しく調べないといけませんが、ここに「泰氏」と「鴨族」の当時の背景をみることができるかもしれません。

これを調べていてわかったのですが、姫の跡は、石鉄山往生院正法寺(大生院)の方に、色濃く残っています。泰氏一族が住んでいたという場所に。
ここで大きな争いがあったのではないかと思うほどに、多くの封印された姫の姿、また、まさかと思ってしまうほど、当時の歴史に繋がる跡があります。

今度、近いうちにこのお寺へと行ってみたいと思います。
そして、このお寺の周りに点在する姫の跡にも、行ってきます。 そうすればもっと、はっきりとその背景が見えてくると思います。

*医王山東光院西福寺(下島山)
*ご本尊:大日如来





薬師堂




鐘堂


本堂


観音霊場


大師堂


そして山の上に、石仏に囲まれた地蔵堂があります。


ここに入ると、不思議な感じがしました。

こちらのご本尊は、密教において最高仏として位置づけられた、大日如来。
不動明王(滝に祭られる姫)は、大日如来の化身とも言われます。

そして、地蔵菩薩は、苦しんでいる人々を、無限の大いなる慈悲の心で包み込み救う菩薩さま。

ここにくると、何かに包み込まれているようなそんな不思議な感覚がしたのは、地蔵菩薩さまのおかげでしょうか。





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# by ldc_nikki | 2012-02-01 00:00 | 愛媛県西条市 | Trackback | Comments(0)
こんばんは。

今日から、西条市へと移ります。
西条、新居浜は、今治市から1時間ほどで行くことができる近い場所なのですが、いつも松山をスタートとしているのでなかなかくることができませんでした。

でも、それも今考えると後からくるところだったからかなと。

今回、西条へ入り、一つわかったことがあります。

それは、時代が大きく変わろうとしている時、姫を祀る「小千家」と争っていた相手は 「賀茂族」だったのではないかということです。

そして、その賀茂族の本拠地は、ここ西条にありました。

もちろん、賀茂族が西条に入ってくる前は、西条も姫を祀る一族が住んでいました。でも、もう早いうちから賀茂族はこの西条周辺に入ってきていました。
しかし、賀茂族の正体は複雑で、その姿がまだはっきりとわかりません。

というのが、賀茂族は一つの氏族だけをさしているのではないかもしれないということです。

三島明神を、徳島県へとさらっていった 「鷲」 もまた賀茂族で、その賀茂族の本拠地は徳島県板野にありました。 

鴨(賀茂)族は、その勢力を少しづつ増していき、701年、その力は最高潮に達したと思います。

今から、約1500年前、雄略天皇の御代、葛城氏本流は滅ぼされました。
そして時を同じくこの時、鴨(賀茂)族は、全国各地に開拓移住したと書かれています。

葛城氏と鴨族との関係は、もう少し調べていかなければいけませんが、今私が思うことは
雄略天皇により、滅ぼされた葛城氏本流は、 「鴨族」となって全国へと散らばっていったのではないかということです。そして、時がくるのをまっていたのではないかと。。。

全国各地に移住した鴨族の一つは、最初、現在の西条市、旧小松町の四国八十八箇所、香園寺の辺りに移り住みます。
しかしここにも、それ以前から祀られる神はいました。それは、2000年前からだと思われます。

ここへ移り住んだ鴨族は、本国から背負ってきた「葛城山麓」 に鎮座の 「高鴨大御神」 の御分霊を、荒野の守神として祀ったことが始まりだといいます。

ここに祀られた神は、土佐一宮高賀茂大社と同神、そして、石鎚山を開いた、役の行者の祖神でもあるといいます。

役の行者については、また後日ふれることとしますが、1500年前に、この地に移り住んだ鴨族、また、徳島県の鴨族は、それぞれ時がくるのをまつかのように少しづつその勢力を蓄えていたのかもしれません。
 

そして、645年。 大化の改新の時、
鴨族は、ここから少し東へ行った、西条市加茂川の近くを、大化の改新の条里制により、

「神野郡賀茂郷」 と制定され、郡司 賀茂氏の本拠地となったのです。

これで、天智天皇の跡が西条に多いことも繋がります。
でも、もしかしたら天智天皇は本当にここで命を落としたのかもしれない。。。。

また、西条市の越智氏族が、後に 「楠」の姓に変わったとされる伝承がることも、この 「鴨族」 そして 「役行者」 に繋がってくるのです。  

これについても、また後日ふれるとしますが、700年前後、この伊予の国での戦いにおいての敵の中心的な場所が、ここ西条にあったのだと私は感じています。

空海が、この場所に4つの四国八十八箇所を置いたことも、納得がいきます。

バラバラにお話することになるので、少しわかりにくいかもしれませんが、その意味が繋がった時、もう一度まとめてお話したいと思いますので、それまで一緒に考えてみてください。

645年、大化の改新より少し前、593年、推古天皇の時代、大山積神は瀬戸へと祀られることになります。
これは、大三島へその勢力が伸びていることをしめします。

この時、天逆鉾が徳威の宮より大三島宮へ奉遷されていることも、気になります。

また、同じ年、佐伯 鞍職が厳島神社を創建します。

これも、あまりにも偶然とはいいがたい出来事です。

厳島神社は、以前にもお話しましたように、この時からさかのぼること200年前、大三島の神を勧請したといいます。

厳島神社もまたこの時から、何かが動き始めたのではないでしょうか。

突如として現れる、越智氏の祖の「鉄人伝説」も、同じころです。

以前から、この時代にきっと何かあると思っていたのですが、この時から少しづつ準備が進められていた。
だから、後の古事記のさまざまな記録が、ここから急激に増えてくるのだと思います。

実は、今、このブログを書き始めてから、一揆に私の中でさまざまなことが繋がってまだ、うまく整理ができていません。
これから、少しづつ整理しながら、もう一度きちんとお話したいと思っています。

では、今日の神社をご紹介します。

今日の神社は、 「飯積神社」 です。

紀元4世紀の新羅征伐から凱旋した神功皇后と夫の仲哀天皇が帰途の道中、この地で自生していた櫟(いちい)の大樹にて笏(しゃく)を作り 新羅征伐で戦死した兵の鎮魂の祭犠を現在の社叢のある場所で奉じたことがこの神社のはじまりとされています。

このとき笏を作られた境内の櫟の樹がこの故事によって神木として祀られており、このため古来では櫟津神社(いちいづじんじゃ)との名称で呼ばれていたと伝わります。

また、ここ飯積神社は、西条祭りの三神社の一つです。
西条祭り三神社とは、 

石岡神社(氷見・橘地区)、伊曽乃神社(神戸・大町・神拝・玉津・西条地区)、飯積神社(玉津・飯岡地区と新居浜市大生院地区)

しかし、同じ西条祭りでも、

■石岡神社と伊曽乃神社は、楽車(地元ではだんじりと称する)御輿屋台(地元ではみこしと称する)

■飯積神社では太鼓台。

ただ、石岡神社の石岡神社では御輿屋台のことをさして「太鼓台」と呼んでいる。

また現在は、この3神社にもう一社加わり、嘉母神社(禎瑞地区)の祭礼も、西条祭りの一つとされるようになったそうです。

どうして、片方はだんじりで、片方は太鼓台なのか。
そして、それと同じように、新居浜と伊予三島は太鼓台なのかも、今度考えてみたいと思います。

話は、神社に戻りますが、ここ飯積神社は、神功皇后が起源になっていると書かれてありますが、
祭神の中に、

「國魂愛比売(くにたまえひめ)」 が祀られてます。

國魂愛比売(くにたまえひめ)とは、 「愛比売命」のことです。
愛媛の女神 「愛比売命」が、こんなところに祀られているとは私もびっくりしました。

ここには、きっと姫が祀られていたのだと思います。

伊予の国における 姫が祀られていた場所には、神功皇后の跡があります。

ここは、神功皇后の時代、紀元前4世紀ころは海だった場所です。
島のように浮かぶこの場所は、船が入る入り口だったのかもしれません。

それぞれの主要な場所へと入るための、伊予の国の海の入口には神宮皇后の跡があります。
唯一ないのは、今治だけです。

神功皇后が立ち寄ったとされる場所は、当時の主要国。封印されていく過程において、重要な場所だったのだと思います。

ここも、きっとその一つではないでしょうか。

*飯積神社 (いいづみじんじゃ)
*西条市下島山甲1883
*主祭神:倉稲魂命(うかのみたまのみこと・稲荷神)
*配神 :國魂愛比売(くにたまえひめ)、
      十城別王(とおきわけぎみ)、
      足仲彦尊(たらしなかつひこのみこと・仲哀天皇)
      気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと・神功皇后)











階段を上がると、まず境内社があります。



「今宮藤原神社」




そして、拝殿。




本殿



今週末、西条で行われる古事記のお話。
これもまた、不思議なご縁を感じています。

私が賀茂氏の存在の意味に気づいてから、行くとこともきっと偶然ではないと。

安部清明の神社で古事記を伝えている知人と、陰陽師により封印されてしまった姫を追いかけ、古事記の真実を探している私が、龍神のご縁で出会い繋がり、2012年立春の日に会う機会を頂いたことは、偶然ではない気がしているのです。(私の勝手な思い込みだと思いますが^^;)

お互いが不思議とずっと会いたいと願っていて、敵などと思ったこともなく、それどころか、手と手を取り合いたい。そんな気持ちさえこみ上げてくるのも、そろそろ1300年の争いに終止符をうつときなのかもしれない時がきているのかな。なんて一人勝手に思ったりしています。

争うのではなく、けなすのでもなく、ただ本当の姿を知るだけ。
そして、姫の姿を少しでも表の世界へとあらわすことができたら。 

そして、二つの神が、一つになり、本当の姿になるだけ。

古事記も、大切な日本の歴史。
でも、それと同じように、歴史から封印されてしまった神も、それにより命を落としその存在もなくしてしまった多くの人々も、日本の大切な歴史。

どれも、大切なものには変わらないと思いませんか?

どんな歴史も、どんな存在も、全てが繋がっていて、どれも存在しなければ今の私たちは存在していないのだから。

全てが、一番よい未来をつくるために起きてきた出来事だと、全てが必要な存在だと、私は思いたいと思います。
また、そう思うことで、全てのわだかまりが解け、全てを認め合えることができるのではないかと思うのです。

それが一番難しいことでもあるかもしれませんが。。。。
いつかそんな日がくることができたら。。。。。。 心からそう思います。

また、きっと瀬織津姫もそれを願っていると思います。







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# by ldc_nikki | 2012-01-31 00:42 | 愛媛県西条市 | Trackback | Comments(0)
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