生きてこそ 「大井八幡大神社」
2011年 03月 14日
今日は、久しぶりに気をとりなおして、先に神社を
ご紹介させていただきます。
今治市大西町。
大宝2年8月(702)に、神殿を造営したと伝わる
古い神社
「大井八幡大神社」 です。
第42代文武天皇の詔勅によって大宝2年8月(702)国司散位乎智宿禰玉純が奉行となって神殿を造営し、風早の国造であった阿佐利命と怒麻の国造若弥尾命の二柱を崇祀して大井宮としたのが、始まりと言われています。
後に56代清和天皇の貞観元年(859)に宇佐八幡大神を山城国男山に勧請の時、航路に当たる当郷の弓津恵島に船舶したとき、八幡神の御神託があり、国司大領使河野深躬が垂跡の地に八幡宮を勧請し仮神殿を建立奉斎しました。
寛平2年(890)6月28日、国司府中館散位越智宿禰が大井宮に八幡宮を合祀し、大井八幡宮と称したと伝わります。
愛媛における、古くから鎮座すると伝わる神社は、もうお気づきかと思いますが、ほとんど全てが、乎智(越智)氏族ゆかりの神社なのです。
それだけ、物部氏の子孫、乎智(越智)氏族の力が強かったことがわかります。
愛媛の町のそのほとんど全ての原点が、乎智(越智)氏族だといってもいいかもしれないと最近思ってきました。 愛媛中に広がる、乎智(越智)氏族ゆかりの神社。
今日、ご紹介する神社も、その一つです。
*大井八幡大神社 (おおいはちまんだいじんじゃ)
*祭神:
品陀和氣命(ほむだわけのみこと)
帯仲津日子命(たらしなかつひこのみこと)
息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)
底筒男命(そこつつおのみこと)
中筒男命(なかつつおのみこと)
表筒男命(うわつつおのみこと)
玉依比売命(たまよりひめのみこと)
他二柱
*境内社
御矛神社
荒神社
天神社
稲荷神社
*継ぎ獅子
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「生きてこそ」
地震発生から 4日目。
日がたつごとに、被害の大きさがますます大きくなっています。
この世のものとは思えない光景が、テレビの中から次々と映し出され、
心が引き裂かれそうになります。
もし、自分が同じ立場だったら、今どんな思いなのだろう。
テレビから見ている私たちは、被災した皆様のきもちが手にとるようにわかると思っているかもしれない。
でも、やっぱり、本当の辛さ、苦しさは、わかっていないのかもしれない。
だから、そんなに簡単に、言える。 そういわれるかもしれない。
でも、それでも、どうか立ち直ってほしい。 そう 思うから、伝えたい。
生きてほしい。
どうか、生きてほしい。 力強く、生きてほしい。
生きていたら、命があれば、きっとまた新しい何かが始まるから。
命をおとした人々のぶんも、どうか、幸せになってほしい。
こんな大災害を乗り越え、命が今もあるのは、きっと、大きな意味があるのだと。
乗り越えられる魂だから、今ここに命がある。 私は、そう思います。
そして、災害にあわなかった私達にも、意味がある。
世界中、この地球上全ての人に、意味があるできことなのだと私は思います。
世界中の心が一つになり、この困難を乗り越えることができたら。
もし、何もできなくとも、ほんの少しでも、何か自分にできることはないかと、考えるその心をもつだけで、きっとその沢山の想いが伝わり、その心が明るい光をつくり、困難を乗り越えるエネルギーになる。
想っても、何もできることはないんだから、想うだけ無駄なんて、決して想わないで下さい。
目には見えないかもしれない、その力が伝わっているのかどうかを知ることはできないかもしれない。
でも、想いは、場所も、時間も距離も関係ない、私はそう思っています。
どんなに、辛いことも、どんなに苦しいことも、乗り越えられないことはない。
どうか、負けないで。。。。。。。
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