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生きた樹を潜り大山祇神社奥の院へ 

こんばんは。

今日は、瀬織津姫、そして愛媛の古代の歴史が眠る、大山祇神社のお話に戻りたいと思います。
また、少し難しいお話になりますので、苦手な方は、飛ばしてご覧下さい。

大山祇神社のお話は以前にもさせて頂きましたが、今日は、まだまだあまり訪れる人が少ない 「奥の院」です。 大山祇神社神社は、別のページでご紹介させていただいておりますので、まだの方は、
こちらをご覧下さい。
大山祇神社紹介

大山祇神社が現在の地へ、遷座されるため、大造営が始まったのは、大宝元(701)年。
大宝律令として完成した年から始まりました。 ちょうどこの前後から、神社の神々が大きく変わり始めたのではないかと思われます。
大造営が始まった年と、大宝律令が完成した年が、同じだということは、偶然ではないと思っています。
このこの律令の制定によって、天皇を中心とし、二官八省(太政官・神祇官の二官)が成立されました。
この、神祇官とは、古代の、祭祀を司る官のことです。
そして、その中心的人物とも言える人が、藤原 不比等です。
大造営は、16年年月をかけられました。

そして、霊亀2(716)年完成されます、
しかし、正座されるまでに更に3年の月日がたっています。ここにも、何かのわけがあったのではないかと考えられます。
そして、「養老三年(七一九)四月二十二日、太祝安元によって遷座祭が行われ、正式に現在の地へと遷座されました。

現在の地へ移さざるおえなくなった、小千玉澄。これは、自分の意思ではなく、「勅命」でした。
そして、現在の場所へと遷座しようとした時、ここには、人々に悪さをする「大蛇」がいたと言われています。
その大蛇を、鎮めるために、現在の安神山に、「五龍王」を祀ったとされています。
今日の場所は、その安神山のすぐ側にあります。

保延元(1135)年、大山積神の本地仏である、大通智勝如来を祀る、神宮寺が造営されました。
このお寺の創建のさいに、国中で大きな雨による災害があったのではないかと言われています。
もしかしたら、その時、伊予の国越智氏族は、この地へと編座させたこと(姫の名を消したこと)が原因だと思ったのかもしれません。
そして、この災害をとめたのが、「大山積神」 だったとされています。
「吾は、諸々の大地祇を率いて、これを掃ひ除こう」と託宣なされました。 このことより、
本社に雷神と高籠神本社を加えまつり、三社をもって「本社」とするようにという「宣旨」があったのです。

天変地異、神宮寺が造営、雷神と高籠神の鎮座。
それ以降、現在も、数多くの大山積神を祀る神社では、一緒に雷神と高籠神を祭られいます。

この神宮寺は、当初、「神供寺」の名前でした。四国霊場八十八ヶ寺の第五十五番札所ともされていたお寺です。現在は、今治市内にある、南光坊が五十五番札所となっています。
寺の山号は「月光寺」 と呼ばれていました。 
その後、神宮寺は、奥の院となり、仏像その他は、他のお寺へと移され、現在は、御本尊 「木造阿弥陀如来三尊像 」 となっています。

大山祇神社は、大きな歴史の変革期に翻弄された神社の一つといえるかもしれません。
その歴史に同じく翻弄された一族が、越智氏族。小千命の子孫です。 でも、三島明神(瀬織津姫?)に対する篤い信仰心は、消えることはなかったのかもしれません。
だからこそ、完全に、抹殺されることなく、今もなお、その面影を残すべく跡があるのかもしれないとおもいます。 もちろん、これは、私の勝手な考え、また、何の証拠もなく、大山積神こそ、大山祇神社の古代からの神とほとんどの方は言われることでしょう。
でも、姫の姿が、更に表へと出てこれるように、これからもまだまだ調べていきたいと思っています。

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では、奥の院へと続く、大山祇神社をご紹介します。

大山祇神社の境内の横を流れる小さな川を山の方へと歩いていくと、まず目に止まるのが、
「鶴姫」の銅像です。
鶴姫は、大宮司、大祝安用(おおほうりやすもち)の娘。
大祝氏は代々神職は、戦場に立つことできなかったため、娘の鶴姫が兄とともに戦いに向かったといわれています。 大山祇神社の宝物殿には、鶴姫のものとされる、女ものの鎧が置かれてあります。
生きた樹を潜り大山祇神社奥の院へ _e0165472_22483130.jpg


そして、右手に見えてくるのが、宝篋印塔。( 鎌倉時代、重要文化財 )
時宗の開祖一遍上人が、大山祗神社を参拝のおり奉納されたものです。
一遍上人は、越智の子孫、河野道広の子として愛媛県松山市道後温泉の奥谷である宝厳寺生まれます。
10歳のとき母が死ぬと父の勧めで天台宗継教寺で出家。しかし、お寺だけでなく、神社へも参詣するなど、神仏ともに信仰されてました。
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その前をすぎ、看板にそって少しのぼると、そこには、まるでトトロが前に座っているかのような、大きな楠がありました。 小千命が植えたとされる、境内の楠とはまた全く違っていました。
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この樹の名前は
*生樹の御門*
樹齢三千年の老楠、根回り三十一メートルに及ぶ。
真中が自然の洞をなし、奥の院参拝の通路となるので、生樹の御門と言われるている。

まるで、二つの大木が繋がったかのように、真ん中が空洞になっています。
本当に、圧倒される凄さで、やっとくることができて感動でした。
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奥の院へは、この樹の下をくぐっていくのです。 
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とても暖かい。まるで、母の胎内にいるかのような感覚。
樹の中に入ることができる樹なんて、初めてで、ほんとうに不思議な感覚でした。
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奥の院
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そして、五龍の王が祭られる、安神山です。
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いつか、この山の頂上へと行ってみたいですね。

今日も、長い文章を最後までお読みくださいましてありがとうございました。
最後に、昨日の金八先生のことば。

何故か、この言葉だけが、はっきりと耳にやきついています。

「片隅を照らす 光 になりなさい。」

生徒達に贈ったことばでした。
みなさんは、このことばを、どう受け取るでしょうか。。。。。。

ではおやすみなさい。



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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-03-28 23:13 | 愛媛県今治市(旧大三島町)

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