滝の女神がここにも 「滝の宮 滝神社」 (心の奥にある願い)
2011年 04月 03日
4月に入り、やっと春らしい気候になってきました。
桜のつぼみも、少しづつひらいてきました。 少し遅い春でしたが、遅くても必ず春はやってくる。
そう、告げているようです。
世界の中でも、こんなにも四季がある国は、あまりありません。
春、夏、秋、冬。
人が歩む道と、同じですね。
松下幸之助が、災害にあった場所の方が、ない場所よりも発展すると言ったそうです。
人間には、どんな苦難も乗り越える力がある。
逆境を乗り越えようとする時、今まで眠っていた力が発揮されるのかもしれません。
また、本当に大切なものは何かと知ることができるのかもしれません。
時間は、かかるかもしれませんが、また、想像を超える葛藤や、試練を乗り越えなくてはいけないかもしれませんが、必ず、復興できる、前よりももっと素敵な町に。。。。。
今日は、今まで一度も紹介していなかった、新居浜市をご紹介します。
新居浜市は、愛媛県の瀬戸内海沿いに面した町です。
特に有名なものが、太鼓台。 秋のお祭りで繰り広げられるこのお祭りは、全国でも有数のお祭りです。
お隣の四国中央市にも太鼓台がありますが、起源は同じところなのに、のっていらっしゃる神が、
四国中央市では、女神ですが、ここ新居浜では、男神ということ。
四国中央市出身の知人が、ずっとこのことが不思議だったと聞いたことがあります。
このお祭りにも、姫の謎があるような気がしています。
さて、今日は、タイトルにもありますように、 「滝の宮」 とよばれる場所に、鎮座する神社です。
小高い山の麓に鎮座する 「滝神社」ですが、地名にも、神社にも。「滝」 とついているにも関わらずここには滝がありません。
古代には、この山のどこかにあったのかもしれませんが。。。
滝神社は、古代この山をご神体としていました。 しかし、どうして、滝の宮と呼ばれるようになったかは、また今の時点では、わかっていません。
ただ、ここ滝の宮は、漢字の如く、とても滝(水)に関係の深い場所だったということは想像ができます。
しかし、この「滝神社」 のご祭神は、やはり、山の神である、 「大山積神」。
ここでも、また、水の神「大山積神」の名まえを見ることができます。
「滝」 という地名がつき、滝神社と呼ばれたこの神社は、新居浜でも、特に大きな意味を持つ神社であったのだろうと、思います。
*滝神社
*新居浜市滝の宮町10-32
*祭神:
大山祇神(おほやまつみのかみ)
高雄龗神(たかおかみのかみ)
雷神(いかづちのかみ)
*由緒
推古朝に大三島より大山祇神、雷神を勧請し、奉斎したという神社である。
往古は裏山を神体山として信仰し、和銅元年に始めて社殿を造営したという。
その後、数度の火災に罹り寛永13年西条初代領主一柳氏は深く信仰し、篤く祭事を奉仕したとの記録がある。明治5年郷社に列格。
「推古朝」とは、538年~628年、飛鳥文化の時代のこと。
この時代に、裏山をご神体としてしていたという。
でも、一つ、不思議なことがあります。 この時代に勧請したとある、雷神ですが、この時代の大山祇神社には、まだ、雷神という名前は出てきません。
雷神は、現在の地宮浦へ移った約400年後に、祀られた神なのです。
これは、大山積神=瀬織津姫 雷神=ニギハヤヒ が大三島に鎮座していたという、一つの証拠になるかもしれません。
また、和銅元年とは、708年のこと。
この時代は今までも何度も書きましたが、日本の祭神は、大きく変わる時期。
この時代に、この神社も、大きな波に飲まれた一社なのかもしれません。
これらのことから、滝神社の滝とは 大山積神=瀬織津姫 という、手がかりの一つをみることができます。
滝の宮は、市民の憩いの場所、公園になっています。
ご神体の一番上には、展望台があり、新居浜の市街地を見ることができます。
遠くに見える、木が生い茂る場所を、「黒島」といいます。
ここにも、黒島神社という、大山積神を祀る神社があります。 まだ行っていませんが、いずれ行くことになると思います。
滝神社 鳥居
狛犬
二の鳥居
神紋は、三島神社のものです。
祭神が書かれてあります。
なぜか、「コノハナサクヤヒメ」の名前が、カッコの中にあります。
それも、大山積神のよこに。
これは、とても貴重な書き方かもしれません。 普通で考えると、コノハナサクヤヒメが祀られていると思うかもしれませんが、これは、大山積神=コノハナサクヤヒメのことかもしれません。
なぜなら、神社庁には、コノハナサクヤヒメを祭る記載がありません、また、わざわざ、もし本当に主祭神ならば、カッコの中に書く必要はないと思うのです。
これは、この神社だけに限らず、あの津島にも、同じような記載をしていた時代があります。
もしかしたら、大山積神=コノハナサクヤヒメ=瀬織津姫 ということなのかもしれません。
祭神の名前は、とても複雑です。
それは、どういうことかといいますと、この神社のように、コノハナサクヤヒメと瀬織津姫は同一の神といえます。 同じ 「桜」の姫として祀られているところも、その証かもしれません。
しかし、古事記の中で作られたコノハナサクヤ姫は、大山積神の娘です。
富士山の神として、今も数多くの場所で祭られています。
その神社の中には、古事記以降に、コノハナサクヤ姫として最初から祀られている神社もあるということです。 瀬織津姫の名前を、変えた神社と、はじめから、古事記の中のコノハナサクヤ姫として、祀られてある神社と、二つある。
だから、その神社がどうやって創建されたか、また、いつ創建されたかによって、神の意味が全く違ってくることに、気づきました。
今、それを裏付けるために、まずは愛媛の神社から、一つ一つ、もう一度調べなおしています。
今後は、瀬織津姫の名前を探すために、必要不可欠なことのような気がしています。
境内社
そして、ここには、高千穂からきた、木がありました。
一度、行ってみたい場所、高千穂、ここで、その木に触れることができ、感激でした。
本殿
ここは、不思議なつくりをしています。
本殿の前にある、もう一つの鳥居をくぐり、中へ行くことができるのです。
中には、小さなお宮がありました。
これは、いったい何のなのかわかりませんでした。
本殿の入り口にあったこの模様。 これがなぜかとても気になりました。
これは、もしかしたら渦? もし渦ならこれも大きな意味があります。
やはり、ここはもう一度行って、宮司さんにきちんとお話を伺いたい。するともっといろんなことがわかるかもしれません。
もう一つ、高千穂の木
来年、古事記が完成してから、1300年です。
古事記が作られていなかったら、日本の歴史は全く違うものになってしまっていたかもしれません。
でも、だからといって、どちらがよかったということではないのです。
変えられた上で、今こうして今の世の中があるわけだから、それを否定したり、それを非難するつもりはないのです。 ただ、本当のことが知りたい。 権力や圧力によって、自由のままに全てを動かす、そんな世の中はもう終わりにしてほしい。
そう、願う心が、今、私をこんなにも、動かしているのかもしれないと、最近強く思います。
お金がある人間、地位がある人間、権力をもつ人間だけが、思いのままに、全てを動かせる、そんな世の中を変えたいと・・・・・・。
でも、そんなことは、できないに等しい。 だから、こうして、姫の真実を探しているのかもしれません。。。。。。
今日も、ありがとうございました。
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