愛媛のゼロ磁場は。。。 住古の雨乞いの宮 「龍神社」
2011年 05月 26日
昨日、ある書き込みを読んでいて、 ある言葉が目に飛び込んできました。
「ゼロ磁場」
以前から、知ってはいたのですが、今まで愛媛と結びつかなかったからか、あまり真剣に調べたことがありませんでした。
それが、昨日から、頭の中で、
「ゼロ磁場」 という言葉が、くるくるずっと回っているのです。
というのも、「ゼロ磁場」 という言葉とともに、ある場所が浮かんできたからです。
今日、ゼロ磁場について、少し勉強しました。
そして、少し、思うことがありますので、今日は先に、ゼロ磁場についてのお話です。
「ゼロ磁場」 知っている方が多いと思いますが、知らない方のために簡単に説明を。
地球は、皆さんも知っているように、北極がS極、南極がN極です。
地球は、巨大な磁石。
この地球の磁石は、地表近くで、+と-の力が押し合っています。
プラスとマイナスが、押し合っている場所では、ぶつかり合い、互いの力を、二つの力が拮抗して、
動かなくなる場所があります。
そこを、「ゼロ磁場」と呼びます。
「ゼロ=何もない」ということではなく、大きなエネルギーがせめぎ合い、二つの力が拮抗して動かない状態
ではありますが、その二つの力が、他の場所では、出すことのないエネルギーを出しているといわれています。
ゼロ磁場として、日本で有名な場所は、長野県にあります。
しかし、まだわかっていないだけで、日本中まだまだあるのではないかといわれています。
では、ゼロ磁場は、どんなところに多くは存在するのでしょうか。
それは、断層といわれる場所です。
特に、世界でも有数の巨大活断層といわれている、「中央構造線」です。
巨大な地震を起こすといわれる、この中央構造線沿いに、ゼロ磁場は存在するといいます。
この巨大な断層は、南は九州から四国をとおり、北は関東地方、今まさに、地震が起きている、あの茨城県へと続いているのです。
その北の最終地点茨城県は、地震を起こさないようにさせるという、要石をお祀りしている、鹿島神宮がある場所です。
皮肉にも、このゼロ磁場の多くは、地震地帯と言われる、中央構造線沿いにあるのです。
大地震という人間にとって、起きて欲しくない災害をもたらす断層ですが、その断層のある地点からでる
「ゼロ磁場」は、神秘のエネルギー、「気」のような、人や動物の病気をなおす力なんらかの強いエネルギーが出ていると言われています。
そして、中央構造線沿いには、まるでそのエネルギーをわかっていたかのように、古代の人々は、そこを聖地とし、神社を建立したり、修行の場としてきました。
そして、愛媛の聖地と一般的に言われる場所は、「石鎚」 です。
でも、私は、ここだけではないような気がするのです。
四国は、小さな島にも関わらず、その身体をまるで、半分に割るかのように、中央構造線が走っています。
そして、愛媛の場合は、その力を更に倍増させるかのように、黒瀬川構造帯があります。
まず、以前から、ここが何かの境目ではないかと思っていた場所があります。
それは、高速道路を走っていて、伊予から内子へと入る最初の山のトンネルです。
私は、南予へ行くようになってから、ここを、天空へ向かうトンネルと呼ぶようになりました。
中央構造線を、地図で調べて見ると、なんと、そのトンネルを出た場所が、中央構造線 地質境界線と言われる場所だったのです。
そして、もっと調べてみる、まだ、紹介していませんが、先日行ってた神社が、この地質境界線と言われる線の真上に鎮座している神社でした。
そして、今日ご紹介する神社も、中央構造線沿いとも言える場所に鎮座している神社です。
また、次回から紹介する予定の、「城川町」は、 中央構造線の南に位置する町で、ここには、更に以前も少しお話しました、黒瀬川構造帯という場所にあります。
黒瀬川構造帯とは、西南日本の大きな断層帯にそって、まわりとはまったく違った岩石が出てくる場所なのです。
ここでは、約4億2700万年前の暖かい海のサンゴ礁に生きていた生物の化石が見つかっています。
この化石は、ゴンドワナ大陸という大陸からやってきたといわれています。
約4億2700万年前にあった大陸で、現在の南米・アフリカ・オーストラリア・南極大陸のほか、インド半島やマダガスカルなどがあつまっていた巨大な大陸でした。
古生代から中生代にかけて南半球にありましたが、その後、分れてしまった大陸。
このゴンドワナ大陸の一部と言われているここ城川の土地を、
黒瀬川古陸と呼んでいます。
約1億4000年前 ジュラ紀までは、赤道地域にあった黒瀬川古陸は、はやいスピードで北に移動して、アジア大陸の東がわに、衝突したと考えられています。
そして、その後の大きな横ずれ断層によって、ばらばらになりながら、さらに、北中国の位置にまで北のほうにずれと言われています。
その一部が、時を超え、黒瀬川構造体という形で、こうしてあります。
約4億2700万年前とは、植物が地球にでき初めて、大森林が各地に形成し始めたころ、まだ恐竜すら現れていない時代です。
その時の大地の気が、この地域には今も残っているのではないかと思うほど、全く今までと違う感覚がありました。 更に、その中でも、強いエネルギーの場所のいくつかに、今回は行ってきたように思います。
「ゼロ磁場」
これから、私の神社 (聖地) を巡る上での、一つのキーワードのように思えましたので、
少し長くなりましたが、お話をさせて頂きました。
今日ご紹介する、 雨乞いの宮も、それはそれは、別世界のような場所でした。
では、神社のお話です。
少し前に、紹介しました 重信町山の中、
県道152号線を、北へと走ります。 その道沿いには、沢山の採石場があります。
山之内という地区へ入り、少し走ると、更に山へと上がる、小さな林道が小さな川の横にあります。
その林道に向かって入っていきます。
小さな川の名前は、黒滝川。 この川の上流近くに、今回の神社はあります。
名前は、「龍神社」 古くは、黒滝神社と呼ばれていました。
雨乞いの神として、住古から信仰されていて、当時は、現在よりも更に上、
明神ヶ森に鎮座されていました。
と、言っても、現在の鎮座されている場所も、かなり上へと上がっていきます。
道は、地元の人でも、めったに来ない 細い林道。
今まで、いろいろな山奥へと行ってきましたが、今回の道が一番の難所でした。
道は、舗装されていなく、砂利道、所どころ、落ちてきた落ち葉で、道が覆われていたり、大きな石が山から落ちてきていたり、途中車を止めて、石を除けながら走っていきました。
本当に、この道であっているのかと思うほど、誰にも会うことはなく、細い細い道をゆっくりとゆっくりと
走っていきました。 でも、途中時々現れる、美しい沢。
ただただ、神社へつきたい、きっとたどり着けると自分に言い聞かせながら走ること約40分。
ここが、最後の難関でした。
神社の看板などあるはずもない、山奥、道が二つに分かれていました。
もちろん地図にも、のっていません。
ふと見ると、小さな看板が、そこには、「登山口」 とかかれた小さな看板が置いてありました。
看板がある方向のほうが安心だなという思いから、矢印の方向 左へ曲がりました。
しかし、数十メートル走った時、なにか違う気がする。そんな気持ちが急におこりました。
すると、目の前に、車がユーターンできる少し広い道があったのです。
この道は、ほとんど広い道がなかったので、これを逃すと、かなり上まで行かないと行けないかもしれない。
そう思い、とっさに、やっぱりユーターン。
右に行こうと、引き返しました。 もちろん、何も根拠はありません。
このまま、行ったらたどり着くかもしれません。
でも、右へといくことを、選び、元の別れ道へ、 そのまま右の方へと進みました。
少し走りましたが、やっぱり神社は全く見えない。
もしかして、間違っていたの? そう思いましたが、もう少し行ってみようと、そのまま信じて進みました。
すると、突然、左側に、
「あ!神社が!」
林道へ入ってから、約1時間、やっと神社に到着しました。
そこは、下界とはまるで別世界。
生い茂る木々の中に、静かに静かに 鎮座する 龍神社。
聞こえてくるのは、遠くから聞こえる 鳥の声。
木々の間から、差し込む光。 人の気が全くなく、あるのは、その静かで優しい自然だけ。
ここまで上がってくるには、本当に勇気がいりました。
前もって調べたのですが、ここに来た人を見つけることはできなくて、やっと見つけたサイトの方は、
途中で諦めて帰ってしまっていました。
まるで、先の見えない 人の人生をあらわしているかのような道に思えました。
途中何度も、もう、これ以上は無理なんじゃないかと思うような場所を通り、それでも、前に進む。
諦めたらいけないんだな。 ということを、改めて教わったような気がしました。
引き返そうかと思った自分が、とても恥ずかしくも思えました。
龍(黒滝)神社です。
*龍神社
*祭神:龍神(しゅうじん)(十二躰の御神像あり)
*御神徳:雨乞神
*由緒
黒龍神社と称し元明神ヶ森に鎮座すと伝う。文明4年(1472)現在地に遷座したと伝う。
慶安元年(1648)8月吉日、願主高須賀佐兵衛在銘の金幣は市指定文化財。雨乞神として霊験あった神 社である。神門は嘉吉3年(1443)11月8日河野通光再建と伝わる。
山の中の参道
ありがとうございました。
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