愛姫伝

数あるブログの中からお越しいただきましてありがとうございます。 不思議な数々の出会いから、今は、愛媛の神社めぐりをしながら、神社や女神様そして、神話の神々の伝説を調べています。

大山祇神社の秘密4 「月の聖なる泉と瀬織津姫」

こんばんは。

今日は、瀬織津姫の古代の姿、「月の女神」としての御神徳と、大三島の繋がりの話です。

昨日は、コノハナサクヤ姫、そして磐長姫と、瀬織津姫の関係のお話でした。
この二柱の姫もまた、瀬織津姫の 「分御魂」 の姿でした。

大山積神は、古事記、そして、新たに書きかえらた日本書記の中で、多くの子供をつくり、そして、さらにその子供からまた子供をつくりました。
その子供、孫、ひ孫・・・・・・。 その中に、現在、多くの人が、瀬織津姫の変えられた姿と言っている神々がいることがわかってきました。

それは、瀬織津姫の分御魂、瀬織津姫のさまざまの姿の一部分だけを、神格化した姿だったのです。
そして、「元」 全ての原点ともいえる、 瀬織津姫そのものの、御魂は。。。。。。。。。。

「大山積神」 なのです。

あの、大島宗方沖 「津島」 に祀られた 「瀬織津姫」 の名前の所に、記された記号

「∴」   大山積神 ∴ 瀬織津姫 

これは、やはり 大山積神と瀬織津姫は、同じ神だということを言いたかったのだと思うのです。
ある文書では、 コノハナサクヤ姫の親 「大山積神」 を女神として書いていました。
それも、本来の姿が、瀬織津姫だということを訴えたかったのかもしれません。

沢山の姿を持つ、瀬織津姫。
その中でも、最近、私が特に注目している姿、 「月の女神」としての姿です。

古代、人々、太陽と月に神の姿を見、信仰していました。
それは、縄文時代から続いている姿です。 縄文時代の土器には、 「太陽の神」 「月の神」 が
多く描かれています。

太陽は 「男神」 月は「女神」に 現されていました。
それは、後の、ニギハヤヒと瀬織津姫の姿に重なります。

一般的に言われる、 「水の女神」 としての瀬織津姫の姿の、原点はもしかしたら 「月の女神」 だったのかもしれないと最近思い始めています。

そして、 現在の神徳である 「祓神」。 あの大祓詞にでてくる、姫の姿も、原点は 「月」からきている。

それが、なぜかと言いますと。。。。

瀬織津姫が初めて、祓戸大神として現されたのが、天智天皇 669年、滋賀県に建立された
佐久奈度(さくなど)神社です。
中臣朝臣金連が、この地に社殿を造り、祓戸大神四柱「瀬織津姫命・速秋津姫命・気吹戸主命・速佐須良姫命」を奉祀したのが始まりと言われます。
この時、 「大祓祝詞」がつくられたといいます。

罪や穢れを祓い、海へと流す御神徳の女神としての、瀬織津姫の姿が世に現れた時です。

天智天皇は、この2年後、突然の死を迎えます。

天智天皇については、また、ある場所を訪れてからお話したいと思いますが、もうこの時既に、新しい勢力側は、ちゃくちゃくと準備を進めていました。
この大祓祝詞は、一説によると、 「元」となる祝詞のようなものがあったと言われます。

ですから、瀬織津姫の本来の姿も、 これに近いものがあったとも言われますが、 その意味は全く違っていたと私は思っています。

瀬織津姫は、罪や、穢れを祓う女神ではなく、 「再生、 復活、 黄泉がえり」 エジプト文明でのピラミッドや、始皇帝が探し求めて、蓬莱山のように、古代の人々が、ずっと信じ続けていた、 「復活」です。

そして、それは、 「月」 にあると思っていたのではないでしょうか。

日本は、今も昔も、多くの文明、 さまざまな文化、 そして宗教も、 よいと思うものは抵抗なく、混合して考えることのできる民族だったのではないかと思うのです。
ですが、その時代によって、 その内容は変化していったのではないかと思います。

そして、ある時代、 それはたぶん、縄文時代に始まった、 「太陽と月」 の信仰。

中国では、古代、
「月には、月桂樹があり、その大きさは500丈(約1500m)もの大木でした。
ある呉剛(ごごう)という男が、地上で仙人から、仙術を学んでいたのですが、仙術が書かれた師匠の巻物を盗み見して月に追放されて仙人から、月に生えている桂の樹を切り倒すように命じられます。
呉剛は斧を手にして桂の樹をやっとの思いで切ったのですが、次の日、元に戻っていました。
次の日も、次の日も、何度切っても、その樹は、元に戻ってしまうのでした。
この切ったそばから再生する桂の樹が、月の桂「月桂」と呼ばれ、不老不死の聖なる樹とされたのです。」

ギリシャ神話の月の女神は 「セレーネ」
美少年エンデュミオーンを愛し、ゼウスに願って彼に不老不死の永遠の眠りを与えたと言われます。

そして、私が思う瀬織津姫の月の姿は。。。
古代人々は、月には聖なる水が存在すると思っていました。
そして、その水は、 満月の夜、聖なる泉に落ちてくると。。。。。
それが、永遠の命、 そして、 再生、 復活の水だったのです。

瀬織津姫の 「水」としての姿は、 この聖なる水から始まったのでなないかと思います。

愛媛の中で私が訪れた場所にも、数多く、 古代 「月」 「太陽」 を祀っていたと言われる場所がありました。

太陽と月は、古代の人々の信仰の中心だった。

そして、この大三島は、 「月の女神」 が宿る 島だったではないかと。。。。。

そして、今回、ずっと気になっていた ある場所とは、 「入日の滝」
現在のこの滝の由緒は、 夕日に沈む太陽が滝にあたり、 虹ができるという言い伝えから、この名前がついたと言われています。

でも、私は、ここは、「月の聖なる泉」 が 落ちる場所だったのではないかと思ったのです。

大山祇神社には、三つの御神体の山があると言いましたが、その奥の院と言われる場所には、平安時代、
「神宮寺」 というお寺がありました。 
そして、そのお寺の 山号は 「月光山」 でした。

三つの御神体の山の中心は、「月光山」 と呼ばれてました。

そして、 「滝」 は、この三つの御神体の反対側の中心から流れおちてくると言われています。

「月が光る山」から流れおちる 「滝」 なのです。

現在は、太陽の意味を持つ、滝となっていますが、 
私が丁度この滝を訪れた時は、夕日が落ちるころでした。 でも、 ここは太陽の光が入るという感覚ではなかったのです。

真上に光輝く、月の光が降りてくる場所。  直感的に、そう思いました。

いつか、満月の夜、ここを訪れてそのことを確かめてみたいと思っています。

これは、私が勝手に思っているだけですが、 ここは、 滝というより、
「月の聖なる泉」 の場所。

そして、もう一つ、聖なる水が湧き出る場所と言われる場所があることがわかりました。
それが、 あの大山祇神社の境内の中にある大木 楠です。

歴史家・奈良本氏という人が、「大三島の霊水の湧き出づる源」と言っています。

大山祇神社が鎮座する、「御島」 が、古代の人々から 神の島として崇めていた理由は、今はまだ私の想像の中の世界でしかないかもしれません。

でも、 日本中のどこでもなく、 ここ大三島が瀬織津姫が祀られる中の最も重要な場所だったことには、
きっと理由があるはずです。

古事記の中で、四国が二番目に登場する島だということ。
そして、 愛媛に 「女性の理想像的な女神」 としての名をつけたこと。
卑弥呼と言われる 「モモソヒメまたの名の大市姫」 を南海龍女として、大山祇神社にまつったこと。

そして、安芸の宮島もまた、313年、大三島から三島明神が祀られた場所だったこと。

来年の大河ドラマで描かれる 平清盛もまた、 このことを知っていたからこそ、荒廃していた神社跡に
あのような立派な神社建立したのではなかと思います。

そして、空海も、円空も。。。。。。。。。。

では、「月の聖なる泉」 「入日の滝」 です。

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滝の側には、 「滝山寺」があり、 十一面観音が祀られています。
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小さな社がありました。 ここは瀬織津姫のような気がしました。
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そして、滝。。。。。
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水量は、今までいった滝の中でも、とても少なく、見る人によっては、迫力にかける滝に見えるかもしれません。
でも、私には、 この滝壺が泉のように見えたのです。

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まわりを岩と木々に覆われ、まるでこの場所だけ、丸い天井の空間ができているようでした。
滝は、この木々の向こうにあったのです。

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丸い天井から、満月の光が降り注ぐ、特別な日、
ここに、聖なる水が落ちてくるのかもしれません。。。。。。。

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Commented at 2011-11-01 15:41 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by ziiz at 2011-11-01 15:57 x
こんにちは
最近すごく読み応えがあり、面白くなってきましたね。
今日は、瀬織津姫が「月の女神」というお話を読んで、妙に?納得しました。

神社で「月」といえば、、、、、
自分も以前から不思議に思っていことがありましたので、
もちろん愛姫様もご存知のものですが、、、ちょっと調べてみました。
それは、身近な神社やお寺に普通にある石灯籠です。
日本の神社や寺の境内の入り口付近にある左右の灯籠を見ると、
明かりを入れる窓?に太陽と月(三日月)の印の切り欠きがあります。
二つ形が左右で対になった文様(日月文)です。
多くの人々は神社仏閣で参拝する際、何気なく日月マークは見ていると思います。
あと、”灯籠”という漢字ですが、”籠”も入っていますね、、、
つづき
Commented by ziiz at 2011-11-01 16:01 x
この灯籠に彫られている「日月文」ですが、不思議なことに知らべてもその文様の意味は不明で伝承されていません。
これらを彫っている石工職人でも、返ってくるのは「何故だか知らない」という答えだけらしいです。

愛姫様が言われるように、月が瀬織津姫ということになれば、太陽は間違いなくニギハヤヒですね。
これなら、灯籠にある日月文の伝承が無い事とも合点がいきます!
神社を参拝するのには、まず鳥居の”二匹の龍”が絡んだしめ縄をくぐり、”太陽と月”の灯籠の間を抜けてからということ、、、
ですから、自分の選んだ祭神とは別に、無意識の内にこの日月文様(ニギハヤヒと瀬織津姫)にも頭をさげている訳ですね。
本当でしたら、ある意味凄いことかもしれません。隠したことにした神様が本殿の前に対で存在しているのですから。
日本全国あまたの神社には、まだまだ多くの秘密が隠されていそうですね。
続編も楽しみにしています。
Commented by ldc_nikki at 2011-11-01 22:38
Mさん、いつもありがとうございます♪
市杵嶋姫命は、宗像三女神と言って、宮島に祀られている三柱の姫さまの1柱です。
この女神さまは、私の中では、三柱を合わせて1柱の神、瀬織津姫と考えています。
だから、市杵嶋姫命も瀬織津姫の魂を持つ女神です^^
ご質問の神社には、三柱の神様が祀られていますから、姫の可能性が高いですね。 ここは、神宮皇后由来の場所でもあるようですので、さらに、本来は瀬織津姫が祀られていた可能性が高い場所ともいえるかもしれません。
また、この山を、古代は、伊佐爾波の岡と呼んでいたようです。伊佐爾波と言えば道後の伊佐爾波神社と同じ名前ですが、伊佐爾波(いさにわ)は、沙庭(さにわ)の意味で、清浄な儀式の庭という意味もあるようです。 ここは、それだけ神聖な場所だったということだと思います。
また、もしかしたら、このあたりは、古代、海がもっと上まであり、湾のようになっていたと言います。
そして、道後へと向かう川の入口であった可能性の高い場所です。
今日のお話のように、何かが繋がっているのかもしれません。 これは、今後の課題でもあるかもしれません。
教えていただいて、ありがとうございます^^

Commented by ldc_nikki at 2011-11-01 23:02
ziizさん、いつもありがとうございます。
大三島のことを書き始めてから、何かに取りつかれたように^^;書いてしまっています^^;
灯籠にあの穴が開いたように来る抜かれている、月と太陽ですね。
私も、ずっと気になっていることの一つです。 
ziizさん、私全く気付いていませんでした!本当に 「籠」 ですね。
こんな所にもですか! あの月と太陽の模様は、まだあまり深く考えたことがありませんでした。
でも、 あれにも、もしかしたら同じような意味があるのかもしれませんね。  実は、今日もう一つ、やはり今まで、全く気になっていなかったことで、「今頃?」 と言われそうなことを、聞きました。
それも、昔聞いたことがあったような気がするのですが、私の頭の中から消滅していたことでした。
灯篭、狛犬、そして注連縄。 これらも全てがある一つのことに繋がってくる。
今日、この二つのことをお聞きしたのも、きっと意味があるような気がします。 不思議と、ここでこうして記事を書く寸前に、いろいろなことが、突然解明したり、わかったりするのです。
だから、やはり、ここに書く日も、その時がきたらということなのかもしれないと、つくづく思います。 
Commented by ldc_nikki at 2011-11-01 23:10
ziizさんへ続き。。。
>神社を参拝するのには、まず鳥居の”二匹の龍”が絡んだしめ縄をくぐり、”太陽と月”の灯籠の間を抜けてからということ、、、

本当に、その通りですね。今まで、そのことにまったく気づいていませんでした。ありがとうございます。
でも、それも籠の中なのですね。。。。。。 でも、これで、籠の中という言葉が、あんな風に子供たちの歌として伝わるほど身近なものだということがわかってきました。
このお話は、近々記事にしようと思っていた所でした。また、どうしてももう一つ、はっきりとさせたいことがありまして、それがわかれば、記事になると思います。
それから、この 
>鳥居の”二匹の龍”が絡んだしめ縄ですが、これも、二つの大きな意味があるのですね。 ziizさんなら、もうご存知のことと思います。
これと、狛犬、そして灯篭を全て合わせて考えると、一つに繋がってくると思いませんか? 
まだ、言葉としては、はっきり出てこないのですが、私の中では、もう1本に繋がっているような気がしています。
今日は、一日、次から次と不思議な日でした。 本当に、ありがとうございます。
Commented by ziiz at 2011-11-02 20:20 x
日月という文字ですが、、、
「日」と「月」で”対”という事を書きましたが、二つを合わせると「明」という文字になりますね。
面白いですね。 これは、例の”わらべ歌”にも通じていくかと思います。

私たちが、何気なく使っている「縄文」という文字ですが、、、
愛姫様ならご存知かと思いま。縄文時代のいわゆる”縄文様”は、実は間違い無く”蛇模様”ですね。
確かに縄を使った縄文様ではありますが、現わしている文様は”蛇(龍)”そのものです。

縄つながりで?、、、注連縄のこと、、
不思議な事に、伊勢神宮には注連縄が無い!(出雲大社なんかは、1500kgの大注連縄ですよ!)。
その替わりに、この伊勢地方では各家が一年中しめ縄を玄関に飾る風習があります(本当の神様に申し訳ないから?)。
お伊勢さんに注連縄が無いって、、、注連縄の本当の意味が、なんか、、、バレバレですね(笑
Commented by ldc_nikki at 2011-11-03 05:39
ziizさん、漢字って不思議ですね。「明」 という感じの奥底にある意味は、考えている以上に深いものなのかもしれません。

縄文時代の土器にも、蛇の模様がたくさん描かれていますね。
縄文文明は、日本独自の文明と、西洋や、アジアからきた、さまざまな古代文明が、入り混じった文明。先日7つの古代文明展に行ってきたのですが、瀬織津姫のことを深く追求すればするほど、その起源の深さを感じます。

注連縄も奥が深いですね。 伊勢神宮にないことだけでなく、注連縄をする意味も、二つの意味があるようです。 では、伊勢神宮にないことと、二つの意味の繋がりは? と今、頭の中で整理をしている所です。
伊勢地方は、各家が一年中注連縄を玄関に飾る風習と、この二つの意味は、繋がるのかもしれません。
もし、よかったら、その注連縄の写真を一度見せて頂ければ嬉しいです。いつも、いろいろ教えていただきありがとうございます^^
そろそろ、愛媛以外のことも、もっと勉強しなければいけないと強く感じています^^

by ldc_nikki | 2011-10-31 23:54 | 愛媛県今治市(旧大三島町) | Trackback | Comments(8)
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