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大山祇神社の秘密5 2600年前の入口 

こんばんは。

今日から11月のスタートですね。 

「11」の意味の中の一つにこんな意味があります。

「時がきた、さあ始めなさい!」 
「材料は揃った スタートしなさい」 

そして、今日は 「1日」 

今まで、いろいろなものを温めてきた方、今日から新たなスタートの日だと思って、何かに向かって進んで行ってください。 
私も、ここ数日、大三島のことを書きながら、また新たなステージへと進んだような気がしています。
もちろん、まだまだ先は長いかもしれませんが、 1歩1歩積み上げていくことに意味がある。

神社のことを調べ初めてから、本当にその意味がわかったような気がします。
もし、一生かかったとしても、 何か一つのものを、ずっと続けていくことの大切さを、改めて感じています。

正直、心の奥で、時々 「こんなことをしていて何になるの?」という声が聞こえてくることもあります。
でも、 もうそんな声に、惑わされたりしない。 誰に なんと言われようと、続けていくことを自分に誓いました。

皆さんも、もし、そんな声が聞こえてきたら、自分を信じて、 自分の本当の声を信じて、突き進んで行ってください。

さて、今日は、大三島5日となりました。

今日のお話の中心は 「浦戸」 です。

「浦」とは、海や湖が湾曲して陸地に入り込んだ所。入り江。海辺。浜。と言った意味があります。
「戸」とは、とびら。また、家屋の出入り口。という意味があります。

これを合わせると、 「海の入り込んだ岸にある入口」 という意味になります。

現在も、大三島には、 「浦戸」と呼ばれる場所があります。
もう数か月前から、ずっと気になっていた 「浦戸」 
というのも、以前、大西に鎮座する、 「間所神社」 に行った時、この神社が、大三島の、大山祇大明神・諸山祇神を崇祀して、浦戸明神と称した。と書かれてあったからです。

まだの方はこちらもご覧ください。↓
大西町 間所神社 

ここに出てきた名前、 「諸山祇神」と「浦戸」 の共通する場所はないかと、探した所、大三島に、
「浦戸」 という地名の場所に鎮座されている、「諸山積大明神社」 という神社があることがわかりました。

でも、こちらの由緒は、詳しいものはその時は全くなく、大山祇神社と関係のありそうなことは、書かれていませんでした。
でも、 とりあえず行くことに意味がある。 そう思い、入日の滝に行った後、ここ、浦戸へ向かいまいした。

まず、諸山積神について、簡単におさらいをしておきます。

前々回の、記事 「いよいよ大三島。 十六皇子の瀬織津姫は。。。。」の所でご説明しましたが、
779年、十六皇子という神がつくられ、大三島を含む7つの島に、それぞれの神が祀られました。
そして、この時、これとは別に、 「大山積神」のもう一つの姿として、「諸山積神」が 一の王子として、
伊豆へと渡って行ったのです。

これが、伊豆の瀬織津姫から、大山積神または事代主命に変えられた神です。

それが、1302年、この本宮 大山祇神社の中に、 諸山積神を合わせて 17皇子として、十七神社が造られました。
それが、 こちらです。
(17神社)
大山祇神社の秘密5 2600年前の入口 _e0165472_21125038.jpg


この十七神社の詳しい祭神の説明はこちらの記事をご覧ください↓
いよいよ大三島。 十六皇子の瀬織津姫は。。。。

そして、この諸山積神には、もう一つの姿がありました。
それが、イザナミが、最後に生んだ神 「軻遇突智(かぐつち)」 
イザナミは、この火の神を生んだ後、大やけどをおってしまい、あの世(黄泉の国)へと旅立ってしまったのです。
するとイザナギは怒って、イザナミを死においやった「軻遇突智(かぐつち)」を、十拳剣「天尾羽張(アメノオハバリ)」で殺してしまったのです。
すると、カグツチの血から、8柱の神々が生まれたのです。

1.正鹿山津見神(まさかやまつみのかみ、迦具土神の頭から生まれる)
2.淤縢山津見神(おどやまつみのかみ、迦具土神の胸から生まれる)
3.奥山津見神(おくやまつみのかみ、迦具土神の腹から生まれる)
4.闇山津見神(くらやまつみのかみ、迦具土神の性器から生まれる)
5.志藝山津見神(しぎやまつみのかみ、迦具土神の左手から生まれる)
6.羽山津見神(はやまつみのかみ、迦具土神の右手から生まれる)
7. 原山津見神(はらやまつみのかみ、迦具土神の左足から生まれる)
8.戸山津見神(とやまつみのかみ、迦具土神の右足から生まれる)

この、殺されたカグツチの中から生まれた8柱の神々が、諸山積神のもう一つの姿だったのです。

ということは、これも、大山積神の分御魂という意味になり、ということは、この神々もまた、
「瀬織津姫」 の 姿なのです。

神生みの最後に、まるでとどめのように、 殺した 「火の神」 は、 ニギハヤヒと瀬織津姫、旧倭の魂を切り刻んだのです。

でも、ここでも、とどめのように殺したにも関わらず、こうして、魂だけは生き残っているのは、やはりその魂への恐怖があったのではないかと思うのです。

そして、この (「諸山積神」=「8柱の神」)は、後に、浦戸明神という名前に変えられます。
どうして、 浦戸と変えられたのかずっと不思議だったのですが、 今回その意味がわかりました。

それは、大三島の この場所にあったのです。

ここ 「諸山積大明神」 が鎮座する場所は、 2600年前、 大山祇神社への入口だったのです。
現在の一の鳥居の場所は、神社のすぐ近くの 御串山の側のみなとに建てられていますが、2600年前は、
ここが入口ではなかったのです。

浦戸へ、足を踏み入れた時、 大きく湾になっている海岸とそこから続く、川が目に入りました。
そして、その向こうには入日の滝が。。。。。。
2600年前は、現在と島の地形がかなり違います。 現在よりも暖かったその時代は、現在よりも海は上にあり、 海岸線は今よりも山に近い所まであったのです。

その地形を考えると、ずっと、現在の神社の入口は、何か違うようなきがしていました。

2600年前は、 現在のような神社はありません。神社どころか、建物さえもなかったと思われます。
古代の祭祀の遺跡と言われる、御神体の山の上にある磐座。 そして、 昨日ご紹介した入日の滝が、祭祀場だったのだと思います。
そう考えると、 入口は、海から川を渡り、そのまま船で、現在よりも山に近い所まで行けていたと思われます。
ここ浦戸の諸山積神社は、最初に祀られたと伝わる、「829年」 は、 現在の神社の裏にある山の上に鎮座されていたといいます。

それが、どうして、ここにできたか。。。 それは、古代の大山祇神社への入口だと知っていたからだと思います。 この山は、標高がそこそこ高いため、 2600年前も、 陸だったと思います。
そうすると、この山と反対側にある小高い山が、 まるで門のようになっていたのではないでしょうか。

そして、今日、新たに、確信へと導いてくれる、二つのことがわかりました。

実は、 この神社へ参拝した後、気になる鳥居を見つけたのです。
あたりには、神社もない。 さらに、その鳥居は、陸から海の方へと入る向きに建てられているのです。
車を降りて、鳥居の名前を見てみると、 そこには 「諸山積大明神」の文字が。

でも、神社の方角は全く違うし、おまけに、神社とは少し離れた場所にあります。
そして、その鳥居の方向には、入日の滝が。。。。。。 直感で、 これは、 きっと、大山祇神社への入口だと感じました。 
そして、鳥居の柱に書かれてある文字を見ると、そこには。。。

「紀元2600年記念」 と書かれた文字が。。。。 
2600年とは、あの、「小千命」が、境内の中にある、大木 「楠」を植えたその年です。

昭和15年に建てられたその鳥居に、2600年と書かれてあったのです。
でも、その時は、それが本当にそうなのか、どこにも書かれていなく証明することはできませんでした。

それが、今日、 そう言えば! と思いついたある、大山祇神社に関係する人に聞いてみると、
やはり、 あそこが、古代の入口だったということを聞いたことがあるというのです。

そして、もう一つ。
この神社が、本来祀られていた山の名前が知りたくて、大三島に住んでいる同じ職場の人に聞いたところ、
すぐ、近くにおいていた、大三島町の詳しい住宅地図を持ってきてくれて調べ始めました。

隣で、私も地図を釘いるように眺めていたら。。。。。。。

「あ!」 私は、目を疑うほど、びっくりする「名前」を見つけてしまいました。

その神社の山のまわりの地名(現在は住所にはなっていません。)が

「月ノ浦」 

ここは、月に向かう海の入口だったのです。

昨日の 「入日の滝」 が 太陽の場所ではなく 「月の女神」 の場所だということが、ここでさらに証明されたような気がしました。

大三島に住む人たちは、 2600年間、代々、その意味を受け継いできてきたのかもしれません。

今は、もうはっきりとその意味がわからなくなっているかもしれません。それでも、きっと神社がこうして続いていたからこそ、 断片的にでも、 親から子へ、孫へ、昔話のように受け継がれていたのかもしれないと思いました。

そういえば、 あの、佐田岬半島先にある、龍の住む池 「阿弥陀池」 の側に住むおばあさんも、小さいころ、ここに、龍が住み、あの海を時々龍が渡っているという伝説を、聞いたと言っていました。

代々、その場所で生まれ育ったからこそ、残る伝説なのかもしれません。

田舎から、人がいなくなっていくということは、こうした伝説も、どんどん消えてなくなっていくということなのかもしれません。 古代の伝説を、今、こうして、文章にすることは、とても大切なことだと、改めて感じます。
でも、本当は、島に住む人々、山に住む人々、 海に住む人々。。。。
都会に出ていった子供たちが、 また、この地へと戻り、 また、次の世代へとこの故郷を受け継いで行ってもらえることが一番いいことなのかもしれません。

今回の場所は、地図で記してみましたのでご覧ください。 



それでは、写真をご覧ください。

大山祇神社の秘密5 2600年前の入口 _e0165472_2262045.jpg

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拝殿へ向かう階段です。
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拝殿
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本殿
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三島紋
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境内におかれていた、岩。 もしかしたら、御神体からもってきたものかもしれません。それとも。。。。
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神社の前から見える景色です。あの遠くに見える山が 「鏡山」です。
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そして、2600年記念の鳥居
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ここが、2600年前の入口。
そう考えただけで、 なんだかワクワクしますね。

大三島の古代の姿が、少しづつ明らかになっていっているような気がします。

明日は、三島明神の力によって出現したという、三つの小島、蓬莱山のお話です。。。。。





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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-11-01 22:26 | 愛媛県今治市(旧大三島町)

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