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大山祇神社の謎7 

こんばんは。

今日は、大三島の大山祇神社以外のお話に移ろうかと思ったのですが、
もう一日、この大山祇神社についての謎を、書きたいと思います。

愛媛の歴史だけではなく、日本の歴史を語るうえで、外せない最も重要な場所、大山祇神社のことは、
これから先も、まだまだ、解明していかなければいけないことが山ほどあります。

それが、はっきりしない限り、ほんとうの歴史にたどりつけない気がしています。

古事記、そして、日本書紀と、さまざまな謎に包まれた書物や、各地に残る創られた伝承。
どれが、本当で、どれが嘘か、これは永遠のテーマかもしれません。

「大山積神」 は、 古事記、日本書紀とその誕生は、全く違います。

古事記がつくられた後、どうしてすぐにまた、日本書紀がつくられたかということでさえ、まだはっきりとわからない謎ですが、大山祇神社のことを見るためには、この両方を、合わせてみる必要があるかもしれません。

古事記での大山積神は、 以前もお話しましたが、
「イザナミとイザナギ」の子供として、13番目に誕生します。 
その時の名前を 「大山津見神」 と書きます。

日本書紀では、第五段の一書(七)の中で、
イザナミが亡くなる原因となった、火の神 「軻遇突智」を 三つに分断して生まれる神として登場します。
その時、誕生したのが、 「 雷神(いかづちのかみ)」 「大山祇神(おほやまつみ)」 「高霎(たかおかみ)」
です。

現在、多くの場所で、大山積一座として祀られている、三柱の神は、この日本書記の中で登場します。

そして、なぜか、この次の 第五段の一書(八)で、今度は、「軻遇突智」を五つに分断し、このそれぞれが五つの山祇(やまつみ)となりました。
その神が、  「大山祇(おほやまつみ)軻遇突智の首より」 「中山祇(なかやまつみ)軻遇突智の胴体より」
「麓山祇(はやまつみ):軻遇突智の手より」 「正勝山祇(まさかやまつみ):軻遇突智の腰より」
「隹山祇(しぎやまつみ):軻遇突智の足より」 です。

その誕生も違いますが、書き方もまた 古事記「大山津見神」、日本書紀 「大山祇神」 と違います。

現在の、大三島では、 神社の名前が、日本書紀の 「大山祇」 がつかわれ、名前は、どちらでもない「大山積」がつかわれています。
これが、 どうして、使い分けられているのかは、まだ、はっきりとはわかっていません。

そして、この書き方は、愛媛にだけ特別多いことがわかっています。

現在、全国に祀られている、「大山積(大山祇)」神関係の神社は、約10318社あると言われます。
その中で、使用字を調べると、 全体の85%が、 祭神の名前を 「大山祇神」としています。
次いで多い字が、 全体の9%にあたる 「大山津見神」、本社、大三島の大山祇神社と同じ
「大山積神」 と書く神社は、全体のたったの5%ほどしかありません。

そして、特に、愛媛県だけが、この 「大山積神」 と書く神社が多いと言います。

また、前々回ご紹介しました、 諸山積神社は、 神社の名前に「積」 をもちい、 祭神に、「祇」をもちいます。 

次に、社名ですが、大山積神を祀る神社は、さまざまな名前がありますが、その代表的なものが、
「山(神)神社」 「大山祇(積)神社」 「三島神社」 があります。

この中で一番多い名前が 「山(神)神社」 で、全国の約30%をしめる、3074社。
その次に多いものが、本社 「大山祇神社」と同じ名前で、 三番目に 「三島神社」 がきます。

この三番目の 「三島神社」 は、 その大部分が、愛媛県にあります。

愛媛県では、大山祇神社の祭神のことを、 「三島明神」 とよび、今でもそのよばれています。

これは、もしかしたら、微かなる抵抗で、「三島明神」 が 本当は 「大山津見神(大山祇神)」 ではないと言わんとしていたのかもしれません。

しかし、 少し不思議なことは、 全国で一番この神を祀る数が多い県は、 「大分県」 です。
そして、第2位が、新潟県、 第3位が、静岡県と続きます。
大山積神は、 大阪から、大三島へと来られたという伝説があるにも関わらず、全国で一番少ない県が、「大阪」だということも、謎の一つです。

大山祇神社の歴史が書かれた書物は、いくつか存在しますが、なぜか、書かれている内容が違います。
ここでも、また、 本当のことと、嘘の内容が、混在しているようです。 もしかしたら、全てが、少しづつつくられたものなのかもしれませんが。。。

私も、今まで、何度も書いてきました、 現在の場所、大三島町宮浦への、正遷座の年ですが、 これももしかしたら、事実とは違うかもしれません。
河野氏が、自らの氏族の来歴を記した文書があるのですが、その中に、これまでと全く違う内容のことが書かれてあったのです。

大山祇神社に残る、古文書には、 701年から大造営は始まり、716年に完成、そして、719年に正遷座と書かれてありますが、 この河野家のものには、 716年には、 遷宮はされたものの、称徳天皇(764)までは、磐境の四周に玉垣だけがあったとされているのです。

そして、一番興味深いことは、
716年、宮浦へ遷宮された時、「蓬莱(ほうらい)」・「方丈(ほうじょう)」・「瀛州(えいしゅう)」
あの、3つ小島が出現された以外に、この時、この不老不死の山が出現し、そこから仙人が現れ、

「苗字に (日)という字を加えよ」 とお告げがあったそうなのです。

ということは、それまでは、 「おち」 は 「越知」 と書き、その下に 「日」の文字を加え 「越智」となったということなのです。

「日」 とは、 「アマテラス」 の 「日」 という意味かもしれません。
日本の神をアマテラスにすることと同時に、 名前に 「日」 を付けるよう命じられたということなのでしょうか。

「越知」の名前をそのまま残した、地名が四国に残っています。
それが、先日から、ずっと気になっている 高知県の 「越知町」 です。

そして、ここでもまた書かれていた、不老不死の山 「「蓬莱・「方丈」・「瀛州」 。

もちろん、この時、突如として、この不老不死の山が出現するはずはありません。 でも、やはり、大三島とこの三つの山は、 古代から、 繋がりがあったということなのだと思います。

称徳天皇の時までは、社殿がなかったと書かれてありますが、この時造られたもので、
「宝殿」 と呼ばれるものだったようです。
それまでは、社殿はなく、磐座や、神籬で、祭祀をおこなっていたのではないかと思われます。

「宝殿」は、現在の本殿と同じと言われていて、現在でも、本殿のことを 「宝殿」 と呼ぶそうです。
もしかしたら、この中には、まだ誰もみたこともない、日本の歴史を物語る大切なものが、今もなお、隠されているのかもしれません。

大山祇神社で現在わかっているものの中で、一番古くからおこなわれている神事に、
「生土祭」 と 呼ばれる神事があります。

これは、1月7日 宵祭として斎行されているそうなのですが、
あの、「龍」が住んでいたという 「安神山」の赤土拝戴神事を斎行のうえ、(磐長姫を祀る)御串山の榊枝と共に、お迎えする行事だそうです。

「神前に洗浄した赤土を献供し、宮司以下全員が、額に赤土の神印を拝戴します。
続いて、串木を持ち素朴な楽を鼓に和して奏する。」

まるで、神と人とが一体となる儀式のような神事です。
瀬織津姫である(龍)が住んでいたと伝わる、「安神山」 の土、と 磐長姫を祀る 「御串山」 の土。
やはり、 本来の越智家(大祝家)の人々は、 姫を消されてしまってからも、姫の魂との一体をひっそりと行っていたのかもしれません。 

また、姫の姿(コノハナサクヤ姫)と、 永遠の命(磐長姫)を別々にされてしまったから、
この1月7日は、その別々にされてしまった魂を、 一つにする日でもあったのかもしれません。

もし、そうなら、いくら歴史で消されてしまっても、姫の魂はずっとずっと生き続けていたことになりますね。

大山祇神社には、今回のお話でも出てきたように、本殿(宝殿)の左右に、「上津社」と「下津社」があります。
上津社(上津姫、雷神)、下津社(下津姫、高籠神)です。
本来は、大山積神だけが祀られていましたが、 日本書紀の記述に書かれてあったからか、大山祇神社の神は、三柱を祀ることにより、一つになると考えられ、後から、 雷神、高籠神が祀られることになりました。

更に、それから、7年後に、下津姫が、次いでさらに5年後に、上津姫が祀られたといいます。

しかし、最初から、現在のように横一列に並んでいたわけではないようです。

京都歓喜光寺の国宝一遍聖絵にみる大山祇神社は、本殿と拝殿、そして上津社はありますが、下津社は描かれていないそうです。
室町時代の古図とよばれる大山祇神社の境内図には、
本殿と上津社は、現在と同じようにほぼ同じ位置に西向きでたっていたようですが、下津社は少し離れた場所に、南向きに建っていたそうです。

どうして、南向きに建っていたのか、 これも、まだ謎のままです。

そして、江戸時代で、初めて現在と同じ向きに建てられている様子が描かれたものが見つかっています。

これも、また、姫の姿を考えるうえで、重要な問題の一つになりそうです。
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まだまだ、沢山、謎はありますが、 最後に、 注連縄です。

神社に行くと、さまざまな注連縄がありますが、この注連縄には本当はどんな意味があるのか、今もまだはっきりとはわかっていないようです。

注連縄の種類の中で、 代表的なものの一つに、

「大根じめしめ縄」 という注連縄があります。

ここ大山祇神社の注連縄も、これにあたります
横にしてつけたときに、片方が太くて、もう片方が細くなる形です。

一般的には、向かって右側を上位ない始め(つくり始め)とし、向かって左側を下位(ない終わり)とするため、
右側が太く、左側が細いものが、「入船」と呼ばれ、よく見られる形です。

この注連縄のことは、日本書紀の中にでてきます。
天の岩戸で、「アマテラス」 が御隠れになって、天照大御神が出ていらっしゃるときに、再び入れないようしめ縄をはりました。これが左ないだったと言います。

これをもう少し簡単に書くと、
「右側が太い場合が (始まり)」 であり、
「左側が太い場合を (終わり)」  と解釈してみます。

そこで、 これらがどんな神社に祀られているといいますと、
右が太い所は、 その多くが、 「天津神」 
左側がふとい場合は、     「国津神」 となります。

そこで、大山祇神社はというと、 「左側が太くした形です」 大山祇神社以外に、これと同じ場所に、あの出雲大社があります。

先日、ふと思ってのですが、これは、 狛犬とも関係があるかもしれません。

狛犬も、これと同じような意味を持ちます。
右側におかれる、 口が開いているものは 「始まり」 を意味し、
左側におかれる、 口が閉まっているものは 「終わり」を意味するとも言われます。

飛鳥時代までは、左右同じ狛犬が置かれてあったといいますが、平安時代に入って、今の形になったといいます。

以上のことを考えると、 大山祇神社や出雲大社のように、 左が太い場合は、
「終わり」 を意味するものかもしれません。

「死」へと向かう神と、 「生」へと向かう神。 
瀬織津姫やニギハヤヒを祀っていた場所は、 「終わり」を意味し、もうその中から二度とでてこないようにしたのかもしれません。
やはり、注連縄でも封印をされてしまったのだと思えるのです。
狛犬は、その意味をしめすためと、 その力を増大させるものでもあるのかもしれません。

出雲大社
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大山祇神社
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今現在私が思うことは、
物部氏が滅亡したと伝わる、587年から、少しづつ、新大和の勢力は裏で増大し続け、物部氏の中で、生き残るために、新しい勢力へと力を貸したものが、いたのではないかと。

越智家の中で、突然名前が世に現れた、鉄人伝説の(越智益躬)。
私は、もしかしたら、この人物もまた、鍵を握る一人のような気がしています。

越智家の祖は、ニギハヤヒとされていますが、
なぜか、越智家から名前を変えた 「河野家」 は、 自分たちの 「祖」 を 「越智益躬」と言っています。

それまで、大三島に祀る神を守ってきた人は、 現在名前が残る 「越智益躬」以前の、真の 「小千家」
だったのかもしれません。
だから、津島から、瀬織津姫を隠すように、 「小千命」 の発祥の地と伝わる、 大浜(王浜)の地に
御神体を映した人物は、全く違う人物の名前が書かれてあった。

ふつうに考えると、 一番大事な場所だからこそ、
他の多くの場所に三島明神を祀ったように、「越智益躬」や「越智守興」「越智玉澄」によって大浜の地に祀るはずなのに、ここには、これらの人物の名前は書かれてありません。

大浜八幡神社に、瀬織津姫を隠した人物は、物部氏の中で、最後まで姫を守り続けた人物だったのかもしれません。


(もののけ姫の中に出てくる、蝦夷。最後まで、姫を守りつづけ、大和に抵抗し続けた部族です。
この映画は、今の世の中に対する強いメッセージが込められていると思います。
「自然と人間がともに生きる方法はないのかと。。。。。」 




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by ldc_nikki | 2011-11-05 03:23 | 愛媛県今治市(旧大三島町)

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