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数あるブログの中からお越しいただきましてありがとうございます。 不思議な数々の出会いから、今は、愛媛の神社めぐりをしながら、神社や女神様そして、神話の神々の伝説を調べています。

by ldc_nikki
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(八咫烏と封印された月の女神)  「近見山 大山積神社」 

こんばんは。

今日は、また一段と寒い一日でした。
先日まで、とても暖かかったので、寒さが余計に厳しく感じます。

そして、今日、また、少し大きめの地震がありました。
茨城県から始まり、 広島県、 福島県、そして、北海道と、次々 マグニチュード5~6クラスの地震が
比較的浅い所で起こっています。

今までと、また、地震の流れが変わってきたような感じもうけます。
身近な変化に、敏感に感じ取れる感覚を持ちたいと思います。

地震を予知することは、とても難しいことです。
もう何年も、地道にデーターをとり、研究している方々もいますが、それでも、はっきりとした予測はできません。

後は、 本来もった、 動物的感覚、 そして、何かが起こった時に、これまでの常識にはまらず、
瞬時に決断できる心をもつことが必要だと、 強く感じます。

空、海、太陽、月、動物、 私たちの身の回りの当たり前の風景から、 何らかの異変を感じれるような素直な心をもてるようになりたいです。

では、今日もまずは、 神社のご紹介からです。

今日、ご紹介する神社は、 今治市の近見山という、山の麓に鎮座する 「大山積神社」 です。

この大山積神社は、 神亀5年、聖武天皇の勅によって大三島大山積大明神を勧請した神社の一社です。

このブログの中でも、何度も出てくる 神亀5年。

ここも、また、その年に勧請された神社です。
また、右別宮と称され、陸地部の別宮のうち最も社格が高いと言われます。

また、ここは、河野氏と長宗我部氏の戦いの舞台となった場所の一つでもあり、
この戦いで、愛媛の多くの神社やお寺に残る古い書物は、焼かれてしまったともいいます。

また、この神社が鎮座する 「近見山」の頂上には、今も、小さな社が置かれいますが、
ここからは、瀬戸内海を一望することができます。 
そして、 大三島の御神体、鷲ヶ頭山を望むことができ、大三島まで渡ることが困難な人々は、
ここから、 参拝していたのではないかとも、言われています。

この近見山は、昔、四国八十八ヶ所 第54番札所 近見山 宝鐘院 延命寺が置かれていた所でもありました。

山頂一帯に七堂伽藍の甍を連ねて、谷々には100坊を数えていたと伝わる、
巨大なお寺が、この山の上にはあったのです。

聖武天皇(在位724〜49)の勅願により、行基菩薩が大日如来の化身とされる不動明王像を彫造して本尊とし、伽藍を建立して開創したことが、起源と言われているように、
ここ、近見山も、封印された山の一つです。
現在は、そんな面影など、どこにもありませんし、山の中へも人が入ることはない、
入らずの杜のようになっています。

私たちの身近な存在でもある山でもあり、また今だに謎の多い、遠い存在の山ともいえるかもしれません。

*大山積神社
*今治市石井町5丁目421番地
*境内社
杵築神社
*祭神
大山積命(おほやまつみのみこと)
*由緒
神亀5年聖武天皇の勅によって大三島大山積大明神を勧請する。右別宮と称され陸地部の別宮のうち最も社格が高い。



神社は、ここから少し階段を上った所にありますが、まず、入口にあった 境内社から参拝させて頂きました。

「杵築神社」
祭神は書かれてありませんでしたが、 たぶん 「大国主命」 だと思います。
あの、大浜八幡神社にも、姫の横に、同じ 杵築神社 があります。
ここに、その名前を見ることができて、なんだかうれしくなりました。



そして、隣には、稲荷神社が。。。。


これまで、稲荷神社は、ブログにのせたことがありませんでした。
それが、どうしてなのかわかりませんが、 ずっと、載せてはいけないと思っていたのです。
でも、私の中では、この稲荷神社も、また、 「瀬織津姫」 
狐が蛇に化けたのではなく、蛇が狐に化けた姿。 稲荷神社は狐が人々を表面的には騙したように見せかけ、実は、「狐=化ける動物」 なんだよと、訴えている姿なのでした、

それを、考えたのも、また、空海です。

またお話が脱線してしまいました。 では、 大山積神社の拝殿へと参りましょう。

鳥居の中央から、草が生えています。不思議ですね。


杜の中を歩いて行きます。


狛犬です。


そして、拝殿


神紋はもちろん三島です。



そして本殿


神社へ参拝してから、近見山の頂上へと向かいました。
車を降りて、山の中を歩きます。


思ってい以上に、長い階段。


やっと、案内板が見えてきました。


少し歩くと、やっと、頂上へ到着!
小さな社が見えました。 ここから、大三島へ向かって参拝をしていたのでしょうか。



社の向こうに、大三島があります。
そして、瀬織津姫が鎮座したいたという記述がのこる唯一の島、津島も目の前に。。。。


この日はあいにくの雨。 大三島の御神体の姿を見ることはできませんでした。
微かに、うっすらとその山の輪郭が見えますが、この海の景色を見たことがない方には、想像すらできないと思いますので、 大三島の姿は見えないかもしれません。

海から一番近い山。 近見山。
そして、この近見山と海の間に、大浜八幡神社もあります。




そして、今治の町も。。。


霧で、霞んだ町、山、海、島。。。
今、古代の歴史も霧でかすみ、見えなくなっているかもしれません。
でも、この霧がいつか晴れるように、 少しづつ、その秘密を解明していきたいと思います。

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では、最後に、今日の本題ともいえる、 「八咫烏」 についてのお話です。

「八咫烏」 この 言葉は、日本人なら、だれしもが一度や二度は聞いたことがある名前だと思います。

八咫烏とは、神武東征の際に、高皇産霊尊によって神武天皇の元に遣わされ、熊野国から大和国への道案内をしたとされる三本足のカラスのことです。

この三本足の烏は、三足烏(さんそくう、さんぞくう)が起源となっていると思われ、
古事記以外の神話や絵画などに見られる三本の足を持ったカラスのことです。

八咫烏とは、この三足烏に、日本独自の、呪術を使い、より強力な威力をもった、烏に変えられ、神武天皇の元に遣わされたのだと思われます。

烏を太陽の象徴とする神話は、マヤ文明でも見られ、黒い烏は太陽の黒点を表しているという説もあるそうです。 
この神話の神格もそうですが、 烏とは、太陽の神の使いとされていたのです。
そして、三本の足は、、陰陽では偶数を陰、奇数を陽とする考えかたから、3は奇数であり太陽と同じ陽となるからだと考えられ、三本の足となったのだと言います。

中国神話では、烏は太陽の象徴とされています。

「太陽=烏」 
これは、「天皇=アマテラス=太陽」
太陽の神を意味する、天皇のことを意味することに繋がります。

でも、八咫烏には、この意味だけではありません。

「太陽⇔月」 太陽を陽とすれば、月が陰。
「太陽=烏」 で表される反対の姿は、 「月=兎」
兎は、中国では不老不死の薬の材料を手杵で打って粉にしているとされていました。

烏は、月兎と対比されていたのです。

日烏(火の鳥)の対極は、月兎。

ということは、天武天皇は、 月兎(月)から、烏(太陽)と変えるために、太陽神の使いの烏を、神武天皇の元へとつかわし、真の王へと導いたのです。

そして、そのためには、ただの 三足烏では、だめだったのです。
より強力な意味をもつ、最大の神の力を発揮できる烏ではなければいけなかった。
だから、 三足烏を、八咫烏へと変えたのです。

八咫烏の 「八」 は文字どおり、 最大の神の数 「八」 そして、

「咫」とは、 中国で円周を表す、単位と言われ、
「咫=約一八センチ=8寸」 の意味をもっていました。

ということは、 八咫烏とは、 「八八鳥」 昨日お話した、 陰と陽の 「八」 をもった、最大の数、最大の力をもった、三足烏だということになります。

古事記をつくって、証明したかったことの一つに、
「天皇は太陽神」 だと いうことがあります。

それまでの 「月」 の時代から、 「太陽」 の時代へ変えることも目的だったのです。
古事記ができるまでは、暦も、「月」 を元につくられていました。
それまでは、日初を、月の始まりとする 「太陰暦または太陰太陽暦」 だったものが、太陽暦と変わっていこうとしていたのです。

月を中心に考えていた時代から、 太陽中心への時代へ。

それはまた、 「月である 瀬織津姫」 から 「太陽である アマテラス」 への 変革だった。
日本の神の象徴は、太陽でなければいけなかったのです。

だから、月の女神である 瀬織津姫は封印され、 太陽の神である アマテラスを誕生させる必要があったのです。 

それも、最大の 「8」の呪術をもって、その力を永遠のものにするために。

それまでも、太陽信仰がなくはありません。 縄文時代から、 太陽と月は、どちらも神として、深く信仰されてきました。 
でも、神と通じることができるのは、月。 月の女神の力が、太陽の男神の力よりも、強かったのです。
古代、神事は全て夜、行われていました。 闇の中でも、明るく光り輝く月、そして、その女神の力は、太陽の神へも通じていた。
命の誕生が、月の満ち欠けと関係しているように、命の誕生は、月の力によって生まれ、また、死んでいき、
そして、新たな命となってまた生まれてきたのだと、考えたのではないでしょうか。

月は、再生の象徴、復活の象徴。

人は誰でもいつかは、その命が終わる時がくる。 でも、月の力をえることができれば、終わった命は、また復活しこの世に生まれてくることができると、思っていたのだと思います。

もちろん、太陽もなければ私たち生命は生きていくことができません。 
食物も育たず、 食べることができません。  陰と陽 陽と陰。 
どちらも陰であり、どちらも陽であり、両方がなければ、その命は存在しないということも、知っていたからこそ、 縄文時代、人々は、土器や、さまざまな所に、太陽と月を描いたのだと思います。
 
月=命の源、全ての生命を誕生させることができる神もまた、 「女」 「女神」でなければいけません。

たとえそれが、太陽の神だとしても、全ての根源となる最高の神は、 
「女」 「女神」 でなければいけなかった。

それまでは、 「月=女神」 「太陽=男神」 であったものが、 「太陽=女神」 となってしまったから、
瀬織津姫は、封印しなければならなくなったのです。 対極するものは、全て、 「陰と陽 陽と陰」
「女神=男神」 でなければいけなかったからです。

「月」 そのものは、 「月読み」という名前で 誕生させましたが、月に力を与えるわけにはいかなかったため、 「闇を守る神」 と させられた。
月もまた、 「闇を照らす光(太陽)」から、ただの闇へと変えられてしまったのだと。

そして、私が月の力の中で、一番重要だと思うことは、もう一つあります。

月の輝きは、太陽の光によって照らされています。
夜、光輝くのは、 月と太陽が、一つになっているからこその姿。 月は昼間は光輝くことはなく、月と太陽が一つになる時は、夜しかなかったのです。

だから、「陰(女)と陽(男)」 が、一つになり、生命が誕生するのは、夜。
そして、その生命を生むのは、 「女=月」 だったのです。

月である女神に、命を育むための太陽の光があてられ、太陽と月は一つになった。

そして、生命を誕生させるために必要な、 「羊水=聖なる水」 は月の中に存在し、月は、その聖なる水の中で命を育てる。 
一度は、終わってしまった命も、太陽と月が交わることによって、また誕生することができる。

それが、月の本当の力、月の本当の意味だったのではないでしょうか。

命の誕生、命の根源は、「月」 そして、 それは 「女性」 
その最高で最大の女神こそ、瀬織津姫だったのではないでしょうか。

古事記によって、日本は、「月」 「女神」 そして、「女帝」 「人間の女性」 も封印してしまったのだと。 

今、なんだか、私の中でほんの少しですが、新しい未来が見えてきた気がします。
そして、ほんとうにこれを書いている今、 初めて、姫の姿が私の頭の中に、その姿をほんの少し見せてくれたような気がしています。

今まで、遠い遠い存在で、その姿が、私には全く見えなかったのですが、やっと、ほんの少し、私の中にあらわれてきてくれたような気がします。

姫さま、本当に、ありがとうございます。

(追伸) 最後に、これで、「兎」の存在の意味も、わかったでしょうか。
因幡の白兎の意味が。。。。。




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一緒に、瀬織津姫を復活させましょう♪ 

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by ldc_nikki | 2011-11-25 00:58 | 愛媛県今治市 | Trackback | Comments(0)
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