よいお年を。 「道後は、出雲の国だった」
2011年 12月 31日
2011年も、残りあとわずかになりました。
みなさんにとって、今年はどんな年だったでしょうか。
今年も、あっというまに大晦日。
12月31日に食べるものといえば、年越そば。
年越そばには、1年間の災厄をきるという意味があるそうです。
そばは、麺類の中でも、切れやすいため、災厄をきるために、そばが使われたそうです。
そんなことを、考えながら年越そばを食べると、とてもありがたくいただくことができますね。
家族で、そんな話をしながら食べてみては、いかがでしょうか。
2011年最後のブログは、出雲の地だった道後の神社のお話です。
もう随分前に、一度、道後の神社をご紹介しましたが、今日は、もう一度、道後のお話をさせていただきたいと思います。
道後温泉は、大国主と少彦名命が旅の途中に、少彦名命が病気になり、道後温泉のお湯につかったところ、病気がなおったという伝説があります。
また、道後に温泉があることを、最初に知ったのは、2000年以上前、
一羽の鷺が、足をケガし、湧き出る水の中に足をつけて、傷を治している姿を見つけ、温泉の存在を知ったとこもいわれ、 ここ、伊予の国の道後温泉は、
「日本最古の温泉」 とも言われます。
この二つの伝説は、 まるで、おとぎ話のようなお話ですが、
もしかしたら、こんな伝説がずっと伝わってきているのには、その理由があるのかもしれないと思います。
それは、 ここが、ある時代までは、出雲の国だったからです。
今日ご紹介する、湯神社がある 「冠山」 は、 昔、出雲の土地だったといいます。
そこには、出雲の神を祀る神社が鎮座していました。
この湯神社は、景行天皇が皇后・八坂入姫命とともに当地に行幸した際、道後温泉の守護神として、鷺谷の大禅寺の前に創建されたと伝えられます。
大永年間、大地震が起き、道後の温泉が出なくなりました。
また、湯神社の社殿も崩壊。
その時に、河野通直により現在の地に冠山にあった、出雲崗神社に合祀され、湯月大明神、四社大明神などと称されたといいます。
現在の湯神社の祭神は、
大国主命と少彦名命。
また、本来、出雲崗神社に祀られていた神さまは、
素盞嗚命(すさのおのみこと)稻田姫命(くしなだひめのみこと)
とされています。
ここ道後の地は、姫の封印が始まるまでは、出雲の国として、栄えた村だったのかもしれません。
古代、ここ伊予の国は、日本中で一番温泉の沸き出でる国とされていました。
伊予中の、あちこちから温泉が沸きで、まさに、そこは、人々の心と体を癒し、万病さえも治すといわれる、暖かい水(神の湯)の国だったのです。
伊予の国は、 神の湯(水)の国、そして不老長寿、再生、復活の、月の女神、水の女神が宿る国であったといえるのかもしれません。
その名残の地のひとつが、日本最古の温泉として、今もなお、多くの人々の心と体を癒す道後温泉なのです。
宮崎駿さんが、 千と千尋の神隠しの中で、八百万の神々が入るお風呂として、ここ道後温泉をモデルとしたのも、それに通じるものがあるのかもしれません。
神宮皇后が、応神天皇を宿ることとなった起源がここにあることも。。。。
湯神社のある、冠山から、道後温泉本館を見ることができます。
上から見た、道後温泉
道後温泉本館の一番高いところには、白鷺がいます。
白鷺は、北の方角を向いています。
これは、古代の道後温泉の入り口をしめしているといいます。
現在の入り口は西側をむいていますが、
昔入り口があったのは、少彦名命が、温泉に入って再生し、踊ったと伝わる石のあるところが、入り口なんですよ。
また、昔は、入り口が数箇所あり、位によって、入り口が違っていたそうです。
次の写真を見て、何か思い浮かびませんか?
肉眼では見えにくいのですが、望遠で、少しアップにしたところ、
「あれ?どこかで見たことがある風景」
千と千尋の神隠しの中で、 ハクが、折り紙の鳥に追いかけられ、傷だらけになって、千のいる部屋の中へと入ってくるシーン。
あの時の、あの廊下にそっくりだと思いませんか?
なんだか、ハクと千尋があの中にいるような、そんな錯覚をおぼえるようでした。
もう少しアップで。。。
すると、もう一つ目に入ったものが。
この廊下の目の前に、 小さな社が見えています。
道後温泉の一番上の建物の、真ん中に、神様をお祭りする、社が。。。
来年は、ここにも、必ず行きたいと思います。
冠山の上には、二つの神社が鎮座しています。
一つは、先ほどお話した、 「湯神社」
そしてもう一社は、 「中嶋神社」 です。
「中嶋神社」 とは、お菓子の神様 田道間守を祀る神社です。
以前、不老不死の果物のお話をした時に紹介しましたが、 ここが、その 田道間守を祀る神社です。
田道間守は、天皇の勅命で、不老不死の果物 「橘」 を探しにいきます。
「橘」 とは、現在のみかんのような柑橘類の果物のことを言います。
10年の月日が流れ、やっとのことで、橘を手に入れた 田道間守は、急いで天皇のものとへと帰りますが、もう天皇は、黄泉の国へと旅立っていかれていました。
まだお菓子のなかった、古い時代、人々は、橘の果汁を使い、お菓子の起源となる食べ物をつくったそうです。
それが起源で、多くのお菓子に携わる人々に、信仰されているといいます。
中嶋神社 拝殿
本殿
そして、こちらが、
「湯神社」 です。
神紋
本殿
道後は、この他にも、たくさんの歴史があります。
来年は、もっと道後も探索してみようと思っています。
今年も残すところ、あと、12時間をきりました。
3月11日おこった、1000年に一度という大地震があった今年は、さまざまなことを気づかされた年だったのではないでしょうか。
本当に、大切なものは何か。
忘れてはいけない、人の心とは何か。
そんなことを、問われた年でもあったような気がします。
今は、一つの節目の時のような気がします。
来年は、私たちの生き方を、もっと問われる一年になるかもしれません。
もののけ姫の中で、エミシ一族の巫女 ヒイ様が言ったように、
「曇りなき眼で見定めよ」
私たち向けてのことばのような気がしてなりません。
一人一人、
「曇りなき眼で見定めよ」
今年も、一年、本当にありがとうございました。
皆様にとって、2012年が素晴らしい年となりますように、祈りながら、2011年最後のことばとさせていただきます。
どうぞ、よいお年をお迎えください。
本当に、ありがとうございました。
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