愛姫伝

数あるブログの中からお越しいただきましてありがとうございます。 不思議な数々の出会いから、今は、愛媛の神社めぐりをしながら、神社や女神様そして、神話の神々の伝説を調べています。

神功皇后と松山 1 「松山市 朝日八幡神社」

こんばんは。

今日からは、松山の神功皇后ゆかりの地を数社ご紹介します。

松山は、愛媛の中でも特に神功皇后が立ち寄ったとされる場所が多いところです。
神功皇后は、八幡大神「応神天皇」の、母。 各地でその伝説が残っています。

その中でも、戦いの伝説は北九州にあり、愛媛は、戦いの舞台とはなっていません。

愛媛は、神功皇后懐妊の起源となる場所があり、また、生まれた後に立ち寄った場所でもあります。

神功皇后は、瀬織津姫の封印に関係のある人物。
また、八幡大神を偉大な神とするために、つくられた人物だと私は思っています。

神宮皇后の伝説の中でも、今とてもきになっている場所は、北九州に残る、「羽白熊鷲」との戦い。
そして、竜宮の入り口とされた 「山口」。
そして、同じ場所に二度訪れている、この松山です。

もちろん、まだまだ、知らない伝説の場所が多くあると思います。

これらをいつか全てまわってみたい。

瀬織津姫が、封印された場所は、いつか全部まわってみたい。それが、一つの目標でもあり、夢でもあります。

何歳までかかるかな。。。。。

いつか、全部まわれる日まで、少しづつ前に進んでいきたいと思っています。

今日、ご紹介する神社は、松山市の総合公園の端にあります。
本殿後方には、初期の前方後円墳があります。「朝日谷2号墳」です。

初期ということは、3世紀ころのものということになります。
3世紀というと、ちょうど卑弥呼の時代が終わり、古墳時代がはじまったころ。
応神天皇の時代ということになります。

この時、伊予の国では、伊予の三つの国に国造を命じられました。

それが、現在の今治市周辺に命じられた 小千命。

現在の北条周辺に命じられた 阿佐利。

そして、松山市久米小野あたりに命じなれた、伊予主命です。

小千命の代表的な神社は、今治の 「大浜八幡神社」

阿佐利のころに創建されたという、北条市 「國津比古命神社・櫛玉比賣命神社」

そして、伊予主命は、久米の山の中にあった神社が洪水で崩れ、その御神体が流れ、祀ったという、
「伊豫豆比古命神社」 です。

どれも、伊予の国を代表する神社であり、姫に繋がる場所です。

また、「湯月」 の語源になったと考えられる 「弓月」と同じ名前、「弓月君」が百済より来朝したのも、この時代 「284年」 です。

そして、この時期にも、「秦氏一族」 が渡来してきたのではないかといわれています。

これらが、どのような関係で繋がっていくのか、今はまだはっきりと答えることができませんが、なんらかのつながりがあることは、間違いないような気がしています。

そして、この時代につくられた古墳と、遺跡。
古墳だけでなく、ここで見つかった遺跡からは、水田や稲作の跡や堰の跡。
この堰は、川の流れを変えて水田に水を流すための施設であるという。

この他の出土品では、斜縁二禽二獣鏡、二神二獣鏡、銅鏃、鉄鏃、刀剣類が副葬されていたといいます。

この近辺に行きと帰り、二度に渡り立ち寄ったとされる、神功皇后の伝説は、何を意味しているのかこれから調べていかなければいけない重要なことだと思っています。

今、もう一度、愛媛県の各地の神功皇后の伝説を、もう一度拾い集めてみているところです。

いつか、その全てをまとめてご報告ができるように、頑張っていきたいと思います。

では、今日の神社 「朝日八幡神社」 です。

*朝日八幡神社
*松山市南江戸5-1569
*祭神
品陀和氣命(ほむだわけのみこと)
帯仲津彦命(たらしなかつひこのみこと)
息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)
市杵島比売命(いちきしまひめのみこと)
多紀理比売命(たぎりひめのみこと)
多岐津比売命(たぎつひめのみこと)
*由緒
持統天皇の御宇に仲哀天皇神功皇后駐踵の行宮跡に足頬地主神を祭り、沼戸明神と称えたと伝えられている。
 その後、山城国乙訓郡山崎八幡宮を勧請して山崎八幡宮と改称、元弘3年9月河野通綱神領を献じた。貞和年間に兵火に罹り、延文6年正月修理亮平範有が現在地に奉還し社殿を造営した。
 應永19年宮内少輔越智通成社殿を増築、慶長6年加藤嘉明が松山城を築城の際、山上の勝山八幡宮を山北に奉還、同社及び当社を始め、湯月、桑原、日尾、正、日招、還熊の八社を八社八幡宮と定めて崇敬した。

ここは、神功皇后が、三韓出兵の途中、身重の身体で立ち寄ったとされています。

また、持統天皇の御代に創建された時は、ここを「沼台」(ぬみだい)とよび、ここに祀る神のことを、

「沼戸大明神」 とよんだと、神社の由緒には書かれてあります。

「沼」 という字は、瀬織津姫に繋がるものによく出てくる文字の一つです。

イザナミとイザナギが、大地を完成させるために与えられた 矛。 それが、天沼矛(あめのぬぼこ)です。

この天沼矛の矛から滴り落ちたものが、積もって淤能碁呂島(おのごろじま)ができ、大八島(日本の島々)ができていったのです。

また、元伊勢といわれる、丹後の 「籠神社(真奈井神社)」 と同じく、元伊勢といわれる、
丹後の 「比沼麻奈為神社」 も 「ひぬまない」 といわれます。

この 「ぬ」 「ま」 ということばの裏側に、何か重要な意味があるのではないかと思っています。

そして、その意味がもっとはっきりすれば、この地が、「沼台」 「ぬ ま」と呼ばれた意味にも繋がるのだと思います。

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入り口に稲荷社があります。
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階段を上りきったところに、拝殿はあります。
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拝殿です。
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この注連縄も、出雲や大山祇神社と同じく、左右が逆になっていますね。

そして、本殿です。
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境内社 「奈良原神社」
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神功皇后は、応神天皇の懐妊の前に、道後温泉にこられていました。

そして、ここは、身重の身体で立ち寄った場所。

普通で考えれば、道後温泉の後そのままここに立ち寄ったとすれば、まだ、懐妊されていません。
身重の身体だったとすれば、松山へは、三度こられたことになります。

各地に残る神功皇后が立ち寄ったとされる場所。
これだけ多くの場所を訪れることなど、やはり無理だと思います。

それぞれの土地にまつわる起源を一つ一つ調べていけば、
いつかその意味がわかる時がくると信じています。





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Commented by lunabura at 2012-01-13 08:38
おはようございます。
やはり沼や潟、泉は大切な祭祀ポイントですよね。
神功皇后の四国での足跡の記事。ありがとうございます。

懐妊の時期について、先の記事から考えていますが、
神功皇后の子供は二人いたという話があるのを思い出しました。
その説でいけば、矛盾がなくなりそうですね。
調べてみたいと思います。

水沼の君と景行天皇の祭祀から、龍と水の祭祀が見えて来ました。今から頑張りま~す。
Commented by ldc_nikki at 2012-01-14 21:28
るなさん、お返事が遅くなってすみません。
この 「沼」とは、もしかしたらもっと違う意味があるのかもしれないと思っています。 漢字であらわすと 「沼」 ですが、「ぬ」と「ま」を別々で考えてみる必要があるような気がしています。
または、「ぬま」は何かのことばが変わったものかもと。。。

るなさん、私は神宮皇后は存在しないと思っているのです。
もしくは、他の誰かとダブらせていると。
それよりも、八幡大神(応神天皇)をお腹に宿ることとなった根源が、道後の湯に関係があるというところに注目をしています。

視点が変わると、解釈の仕方もまったく変わってきますよね。
私の考えと違ってあたりまえ。
他の方の見方も、私にとっては新たな気づきの元となると思っています。
これからも、るなさんの考えを、教えてくださいね。
ありがとうございました。
by ldc_nikki | 2012-01-12 23:46 | 愛媛県松山市 | Trackback | Comments(2)
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