比叡山の神とは 今治市杣田「真名井神社」
2012年 01月 27日
今日は、今治でも朝の気温が氷点下。寒さが苦手なので、この季節は本当につらいです。
でも、日が暮れる時間がだんだんと遅くなり、春が近づいてくるのを感じます。
早く桜の季節にならないかな~と、思う今日このごろです。
今日ご紹介する神社は、今治市杣田(そまだ)に鎮座する、真名井神社です。
今治市の野間から、波方方面へと山越えすると、山を降りてすぐのところにあります。
真名井といえば、瀬織津姫。
でも、ここも瀬織津姫の名前は消されてしまっています。
現在の祭神は、
多紀理毘売命・狭依毘売命・多岐都毘売命・
天之忍穂耳命・天穂日命・天津日子根命・活津日子根命・熊野久須毘命。
もう、お気づきかと思いますが、この真名井神社の祭神は、五男三女神です。
宮島の厳島神社と同じ、アマテラスとスサノオの誓約のさいに誕生した神々です。
瀬織津姫の、御魂を砕き生まれた神々。
この祭神と神社の名前を見ると、瀬織津姫を本来なら祀っていたはずとわかるのですが、ここに残る由緒を見ると、一見全く繋がらない由来が書かれてあります。
ここは、往古、八王子宮と称していました。
この八王子という名前は、昔、江州坂本日吉山王宮のうち、八王子宮を合祀されたからだと伝えられています。
また八王子を合祀したのは、水が乏しきためだというのです。
そして、明治3年、八王子宮から、真名井神社に改称されたといいます。
これを読むと、水の御神徳をえるために勧請した、江州坂本日吉山王宮の八王子宮に祀られていた神が水の神だったからであろうと思いますよね。
しかし、その神は、水の神ではないのです。
ということは、ここにも、姫が封印されているということ。
真名井神社のご紹介の前に、ここへ勧請されたという、神社の謎にせまってみたいと思います。
まずは、「江州坂本日吉山王宮の八王子宮」とは、どこの神社かということですが、
この神社は、滋賀県 比叡山の麓に鎮座します、
「日吉神社」 のことをさしていました。
日吉神社といえば、以前、庚申堂のお話をした時にも、少しふれましたが、今回はさらに詳しく見てみたいと思います。
日吉神社は、「猿」を神の使いとする神社として知られています。
神社の祭神は、こんな風になっています。
*西本宮大己貴神大宮(大比叡) 釈迦如来
*東本宮大山咋神二宮(小比叡) 薬師如来
*宇佐宮田心姫神 聖真子 阿弥陀如来
*牛尾神社大山咋神荒魂 八王子 千手観音(八王子山頂)
*白山姫神社 白山姫神 客人 十一面観音
*樹下神社鴨玉依姫神 十禅師 地蔵菩薩(東本宮境内(妃))
*三宮神社鴨玉依姫神荒魂三宮 普賢菩薩(八王子山頂)
上記のとおり、主祭神は、
大山咋神(東本宮)
大己貴神(西本宮)
です。
大山咋神とは、大山積神と同体。 大己貴神は、三輪山大神神社の祭神 大物主大神です。
この日吉神社は、牛尾山(八王子山)山頂に磐座があり、これが元々の信仰の地であったといいます。
現在八王子山山頂には、奥宮(牛尾神社と三宮神社)の2社ありますが、現在の東本宮は崇神天皇7年に牛尾神社の里宮として創祀されたものといいます。
ということは、最初に祀られていた神社とは、 現在の奥宮 牛尾神社の祭神、
「大山咋神荒魂」 旧称 「八王子」 ということになります。
そして、本地仏はというと、「千手観音」 です。
もう、気づいたかと思います。
大山咋神荒魂とは、瀬織津姫以外には、考えられません。
まるで、伊勢神宮の内宮と外宮の関係のようです。 ここでは、瀬織津姫は、 「大山咋神荒魂」とされていたのです。
本地仏は、瀬織津姫である 千手観音。
そして、ここ奥宮の姫は、大山積命と同体の、大山咋神荒魂とされ、神社は、「牛」により封印されていたのです。
しかし、ここは天智天皇の時代は、まだ瀬織津姫を祀っていたのかもしれません。
というのも、近江京遷都の翌年、天智天皇は、大津京鎮護のため大神神社の神を勧請したといいます。
大神神社に祀る、饒速日命を勧請したとすれば、天智天皇は、近江に都を移した時に、瀬織津姫と饒速日命を、祀ったのかもしれません。
しかし、その後、平安へ都が移ると、ここは都の鬼門となりました。
そして、最澄により、最澄が比叡山上に延暦寺を建立し天台宗・延暦寺の守護神とされます。
この辺りから、姫は封印されたのかもしれません。
そして、この天台宗が元となり、瀬織津姫の本地仏が千手観音となり、大三島大山祇神社の大山積神の本地仏が、大通智勝仏となっていったのではないかと思います。
真名井神社の神が、水の御神徳を持つ 「八王子」 だとされるのは、
日吉神社の本来の祭神が、瀬織津姫だったからだと、これで繋がってきます。
でも、ここで一つ疑問に思われるかと思います。
どうして、名前を変えながらも、荒魂として奥宮に祭りつづけたかということです。
それは、この時代独特の思想があったからだと思われます。
奈良、平安時代の天皇は、ずっと怨霊に悩まされていました。
それは、自分たちが権力や地位のために殺してしまった人々の怨霊だといわれていますが、その後ろには、もっと大きな力、もっと大きな怨霊の存在があり、本当に恐れていたのは人だけでなく、神だったのです。
平安時代、御霊信仰というものがありました。
それは 強力な怨霊は、朝廷のへの祟りだけでなく、地震や大雨、洪水などの災害や、厄病などを引き起こすのは、怨霊の祟りとみなされていたのです。
そして、その怨霊を鎮めるために、怨霊の魔から逃れる方法として、怨霊を祀り、鎮めていたのです。
それを、御霊信仰といいます。
その祟りについては、また、後日、詳しくお話したいと思いますが、どうして一度封印し、消し去ろうとした姫を、名前は出さずとも、この日吉神社のように祀り続けたり、また、姫を仏に変えてお寺をつくったのか、それは、この時代独特の、考え方によるものだったのです。
怨霊を鎮めるために、怨霊の魔から逃れるために、その怨霊を祀る。
しかも、「鬼門」 といわれる方角に。
そして、今日の神社、真名井神社は、姫の存在があることを知ったうえで、本来姫を祀っていたその場所に、姫の名前を隠しながら祀れる神社、 「八王子宮」 という神社の名前に変えたのではないでしょうか。
しかし、その祀る神は、五男三女神。
大山咋神にも、大山積神にもしなかったことに、姫へのあつい信仰の心が見えるかのようです。
ここ真名井神社も、全国でも珍しい、野間地区の有名なお祭り、継獅子が行われる神社の一社です。
人が人の肩の上にたち、何段も天へ向かって人を継いでいき、その一番上には子供がのぼり舞う。
現在は、3段が主流となっていますが、5段、6段と継いでいっていた時もあるそうです。
豊作を願うお祭りとされていますが、少しでも神に近づくために上へ上へと継いでいったこのお祭りは、消された姫のところに少しでも近づきたかったのかと私は思えてなりません。
*真名井神社
*今治市杣田字町田甲339番地、340番地
*境内社:子守神社
境内社 「若宮神社」
拝殿
本殿
境内社
「子守神社」
ここに、姫は祀られているのかもしれません。
「鳥生神社」
この山を、子守山とよんだのかもしれません。
多くの部落の神社がここへ集まったようです。
稲荷神社
大輪椿
2012年がスタートして、もう1ヶ月がこようとしています。
まだ、目に見えた大きな変化はありませんが、少しづつ少しづつ何かが変わり始めているような気がします。
でも、それがどんな方向に行くのかは、まだわかりません。
ただ、動いていく世の中を、じっと見ているしか方法はないのかなとふと思う時があります。
人の心も、これまでと変わることができない人、少しづつ何かに気づき始めている人。
国も同じ。 本当の幸せはどこにあるのか。 今何が必要なのか。 何をしなければいけないのか。
それがわかっている国と、わかっていない国。
今、その流れが二つに分かれていっているような気がします。
日本は、どちらでしょう。
私は、何かにしがみつき、考えかたを変えることができず、あがいているように思えてなりません。
でもこれも、私たちが選んだ人たちがしていること。
何も考えずに、入れた1票、 自分の利益だけを考えて入れた1票、誰にいれても同じだからと何もしなかった1票。
そんな世の中にしてしまった私たちにも、その責任はあるのかもしれません。
まずは、私たち一人一人が、自分中心ではなく、どんな世の中にしていくことがよいのか、真剣に考えることから始めなければ何も変わらないのかもしれません。
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