一族が誓った泉 「義安寺」 (月の光が届きますように)
2012年 01月 30日
今日から、伊予路に春を告げるといわれる 「椿まつり」が始まりました。
お天気にも恵まれ、暖かく、初日の今日はものすごい人出でした。
前は通ったのですが、あまりの人の多さで行くのをやめました。
ブログでご紹介しようと思っていたのですが、ご紹介できなくてすみません。
でも、私はやはり普段の椿さん(伊豫豆比古命神社)の方がすきかなと思います。
ぜひ、静かな椿さんにも、行ってみてくださいね。
では、今日のお話です。
今日は、昨日の続き、松山市道後のお話です。
伊佐爾波神社と道後公園の間にあるお寺、「義安寺」です。
道後公園の中に鎮座する、岩崎神社をご紹介した時に少し出てきたお寺です。
岩崎神社のところにある、「大岩」に現れるという、「大蛇」は、その姿を見た人が大蛇の身体は、この義安寺まで届くほどの大きさだったいいます。
私は、その言われを読んだ時に、この「大蛇」は岩崎神社と義安寺で繋がっていると思いました。
すると、そこには思ったとおり、二つを繋ぐ「姫」の泉がありました。
今日は、その泉のお話です。
道後公園の中の岩崎神社のお話をまだ読んでいない方は、ぜひ、そちらからお読みください。
そのすると、今日のお寺の意味がよりわかると思います。
白人大明神 岩崎神社
「義安寺」
四国八十八箇所番外札所でもあるこのお寺は、「河野景通の子・河野彦四郎義安が建立したといわれる河野家ゆかりのお寺です。
天正13年(1585年)河野通直は豊臣秀吉の四国征伐で、小早川隆景の説得により降伏し、道後湯築城の最後の城主であった河野通直は滅ぼされてしまいました。
この時、一族の、譜代の家臣がこのお寺(義安寺)に集結し、ここにある井戸の水を飲み交わして、この後、決して二君に仕えないことを約束し、自刃したといいます。
それ以来、その家臣たちの魂は大きな螢になって、主君を慕いながら義安寺の周辺を夏になると乱舞するのだと言われます。その蛍を 「義安寺蛍」 というといいます。
その水は、 「誓いの泉」 といわれ、今もこのお寺の境内にあります。
そして、あの岩崎神社に現れるという大蛇は、この泉と繋がっていたのです。
現在の道後公園の場所にあった 「湯月城」の真ん中にあった「池」には、姫が祀られていました。
そして、その水とこの泉の水は繋がっていたのです。
河野家一族は、姫の泉の水を飲み、もう二度と過去の過ちを繰り返さないように誓ったのだと思います。
例え、滅びようと、「二君(二つの主人)」に使えることだけはしないと。
河野家(越智家)の最後は、原点である姫へと戻ってきたのだと私はこの泉へ行って思いました。
この時から、約1000年前に始まった一族の争い、その罪を背負ってきた河野家は、この泉で終結させようとしたのではないでしょうか。
今も、枯れることなく沸き続ける 「誓いの泉」 が、それを私たちに伝えているかのように思います。
*義安寺
*愛媛県松山市道後姫塚114
*山号 : 護国山
*本尊 : 釈迦如来
そして、ここが誓いの泉です。地中から湧き出る水は、姫と繋がっている。
きっとそう思っていたのだと思います。
この日はちょうど満月でした。
松山から帰路の途中、北条高縄山の上に、輝く満月が見えました。
満月の日に、誓いの泉へと行くことができ、なんだか姫の導きのような気がしました。
姫の月の光がみなさまにも届きますように。。。。。
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