人気ブログランキング | 話題のタグを見る

小千命の城(白人城) 「勝岡八幡神社」 (龍(光)の道)

こんばんは。

今日は、2010年の12月に一度ご紹介しています、「勝岡八幡神社」をもう一度ご紹介したいと思います。

以前、こちらに行った時はここがどれだけ重要な場所かまだわかっていませんでした。

以前ここを訪れた時、神社のことを聞こうと社務所に行くと、お話を伺ったうえに、わざわざ今治からきてくれたからと、お守りも何も買っていない私に、お札をくださいました。

「このお札は、身を守ってくださるから」 と。

本当に、ありがたいと、感激したことが昨日のようです。

勝岡八幡神社は、松山市勝岡町、昔は 「和気」と呼ばれてた場所に鎮座します。

しかし本来はここに鎮座されてはいませんでした。

ここに移される前に鎮座していたところ、それは

「四国八十八箇所第52番札所 太山寺」のある、太山寺村の中野山にあったといいます。

そして、その場所には、小千命の城 「白人(うらと)城」があったと伝わります。

応神天皇の御代、小千命は、伊予の国の国司として在任していました。

その時、阿波の国から兇賊がやってきてこの地を襲いました。

小千命は、白人(うらと)城に拠って、兇賊を討ちとり里人(さとびと)の危急を救いました。

そして、その兇賊たちは、この白人城に捕らえられてといいます。


「阿波」からやってきた 「兇賊」とはいったい誰だったのでしょう。

この時代から、阿波と伊予の争いは始まっていたのでしょうか。

キーワードとなる 「応神天皇」の時代に起こったとされるこの伝承は、謎をとく大きな手がかりとなるかもしれません。

それは、本当に応神天皇の時代だったのか、もしくはもう少し後の時代のことだったのか。。。。

勝岡八幡神社が本来あった場所には、また、四国八十八箇所があります。

歴史を封印された場所には、必ず重要な神社がある。 ここも、その一つですね。

太山寺の正式名称は、

「龍雲山 護持院 太山寺 りゅううんざん ごじいん たいさんじ」

ご本尊は、「十一面観世音菩薩」です。

開基は、六世紀後半 (587) と言われています。

それは、崇峻天皇時代、「越智」の名前が突然歴史に現れ始める時です。

しかし、現在の名前になったのは、

天平11年(739)に聖武天皇の時です。

聖武天皇の勅願をうけて、行基菩薩が十一面観音像を彫造し、その胎内に真野長者が瀧雲山で見つけた小さな観音像を納めて本尊にし、龍雲山 護持院 太山寺となりました。

仏の力で封印しようとしたのか、神の力を恐れ仏にすがっていたのか、また全く別の理由だったのかはまだわかりませんが、

「神」 に関係する場所に、お寺を造っていったことは間違いないではと思っています。

小千命が、この地で賊軍との戦で勝利し、つけられたといわれる地名 「勝岡」 は、一説には、

「賀津岡」 とも言われています。

「賀」 ・・・ 祝い
「津」 ・・・ 港
「岡」 ・・・ 岡

この名前が、どちらの意味でつけられたのか、それによって大きく意味が変わってくるかもしれません。

元は白人の宮と呼ばれた、勝岡八幡神社。

永享年間戦火で焼失の後、現在の地へ遷宮と同時に宇佐八幡を勧請し名を勝岡八幡宮と改称しました。

小千命を祀る 「大浜八幡神社」 も ここ 「勝岡八幡神社」 も、
宇佐八幡から神を勧請し、その名を「八幡大神」へと変えられてしまったことも全て、姫の封印に繋がっている。

そして、それが、 「宇佐」 と 「越智」 の関係。

「越智常世織姫」 が 「八幡大神」へと変えられたことへと繋がっていくのだと思います。

500年後半から始まった姫の封印は、長い年月をかけ、何度も何度もその形を変えていったのではないでしょうか。

そして、戦争が終わり、姫の封印も終わりを迎えたのですが、それと同時に、人々の心の中から神々の存在もなくなってしまいました。

「神話を忘れた民族は滅びる」

神を忘れ、歴史を忘れ、神を封印し、歴史を変えたことは、命の繋がりを切ってしまったことになるのではないでしょうか。

どんなに酷い過去でも、どんなに知られたくない過去でも、全てがあって今がある、それが今生きている私たちであり、これから生まれてくる命。

私たち一人一人の人生と同じように、過去がなければ今はなく、その歩いてきた道の先に明日があり、明日を変えられるのは、今を生きる私たち。

今、もう一度原点に返るときがきているのではないでしょうか。

*勝岡八幡神社
*松山市勝岡町2592番地
*祭神
 小千命(おちのみこと)
 応神天皇(おうじんてんのう)
 神功皇后(じんぐうこうごう)
 日売大神(ひめのおうかみ)  
*境内社
 たごり神様
 柳原霊社

小千命の城(白人城) 「勝岡八幡神社」 (龍(光)の道)_e0165472_2372469.jpg


小千命の城(白人城) 「勝岡八幡神社」 (龍(光)の道)_e0165472_2374625.jpg


小千命の城(白人城) 「勝岡八幡神社」 (龍(光)の道)_e0165472_238294.jpg


階段を少し上がると、左側に 「たごり神様」 が祀られています。

「昔、勝岡町岡本宗紀氏(通称 「南」)の門の前に祠がありました。
風邪を引きこんこんと咳をする孫のためにおばあさんが三日間お詣りを続けると、咳が治りました。
また、高熱に浮かされる子供のために朝夕お詣りをすると熱が下がったと言い伝えられています。
 そして、その祠百年ほど前にこの境内地に遷され、たごり神さまとしてお祀りされるようになりました。
たごり神さまは、霊験あらたかな病気平穏の神様として、今も信仰されています。」

小千命の城(白人城) 「勝岡八幡神社」 (龍(光)の道)_e0165472_23134958.jpg


小千命の城(白人城) 「勝岡八幡神社」 (龍(光)の道)_e0165472_2314750.jpg


そして、更に少し階段を上ると、もう一つの境内社があります。
柳原霊社
小千命の城(白人城) 「勝岡八幡神社」 (龍(光)の道)_e0165472_231588.jpg


小千命の城(白人城) 「勝岡八幡神社」 (龍(光)の道)_e0165472_23152662.jpg


たごり神さまのところにも、柳原霊社の側にも、境内には立派な楠が植えられています。
小千命の城(白人城) 「勝岡八幡神社」 (龍(光)の道)_e0165472_23162634.jpg


そして、更に階段を上り拝殿へ。

小千命の城(白人城) 「勝岡八幡神社」 (龍(光)の道)_e0165472_23175774.jpg


拝殿の手前に、古い井戸があります。
小千命の城(白人城) 「勝岡八幡神社」 (龍(光)の道)_e0165472_23183555.jpg


そして、拝殿です。
小千命の城(白人城) 「勝岡八幡神社」 (龍(光)の道)_e0165472_23185910.jpg


八幡の神紋
小千命の城(白人城) 「勝岡八幡神社」 (龍(光)の道)_e0165472_23192532.jpg


最後に本殿です。
小千命の城(白人城) 「勝岡八幡神社」 (龍(光)の道)_e0165472_23194790.jpg


小千命の城(白人城) 「勝岡八幡神社」 (龍(光)の道)_e0165472_2320117.jpg


この山の西には、あの白石龍神社があります。
そして、興居島が。。。。

もしかしたら、本来白人の宮(白人城)があった場所→白石龍神社→興居島(磐長姫の御神体)は繋がっているのかもしれないとふと思いました。

そこに、一つの 「龍の道(光の道)」があったのかもしれません。

そして、その道は更に湯月城のあったあの山に続いている。。。。。。




隠された歴史、消された神々のことを、一人でも多くの人に知っていただくために
もし、よかったら、(バナー)をポチっとお願いします^^

一緒に、瀬織津姫を復活させましょう♪ 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村


ブログで紹介した場所を、地図でご案内しています。。
お越しの際には是非ご参考にされてください。

愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2012-02-08 00:07 | 愛媛県松山市

数あるブログの中からお越しいただきましてありがとうございます。 不思議な数々の出会いから、今は、愛媛の神社めぐりをしながら、神社や女神様そして、神話の神々の伝説を調べています。


by 愛姫
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31