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愛姫伝

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数あるブログの中からお越しいただきましてありがとうございます。 不思議な数々の出会いから、今は、愛媛の神社めぐりをしながら、神社や女神様そして、神話の神々の伝説を調べています。

伊予川(重信川)の淵の龍神社 (日本)

こんばんは。

今日は、前回ご紹介した文殊院の近くに鎮座する 「龍神社」のご紹介です。

この龍神社のある場所の住所は、

「松山市大橋町」 私と同じ名前の住所。

人は、どこかに共通点を見つけるととても親近感が沸くといいます。

ほんとうにそのとおり、住所が名前と同じだけでなんとなく、自分と関係がある場所かな。なんて思ってしまいます。

ここは、前回ご紹介した、文殊院からほぼまっすぐ、松山方面へといったところにあります。

重信川を渡ればすぐ、西林寺や、西林寺の奥の院、「杖ノ淵」があります。

杖ノ淵は、空海の湧き水として有名な場所ですが、ここ龍神社にも、昔は同じように美しい泉があったとされます。

重信町を挟んで、南に、龍神社 「龍神泉」 北に「杖ノ淵」があったのです。

ここ大橋町、松山市ですが、この辺りの市の境界線がとても不思議な線でわけられています。



この赤い印は、ほぼ直線上にあります。

この短い間に、空海由来の場所が 「5箇所」 そしてこの龍神社です。

黒い点線が、隣の市との境界線なのですが、見てのとおり、この神社やお寺があるところがだけが
長細く松山市となり、西側が砥部町、東側が重信町になります。

どうして、ここだけが松山市となったのでしょう。

それも、私は1300年前に意味があるのだと思っています。

この直線をさらに北へ行くと、「久米町」になります。

この久米町が、1300年前の封印の鍵を握る場所の一つだからです。

今治が、新大和の勢力に飲み込まれる前に、松山市は占拠されていたのです。

そして更にその前に、西条が。。。

その証が、この久米町にあります。

そしてこの龍神泉や、杖ノ淵は、当時の人々にとってなくてはならない、「水の源」だったのではないでしょうか。

それが川を挟んで二つあるということにも、もしかしたら意味があるのかもしれません。

龍神社は

「文武天皇元年 (697年)」 越智玉興が、重信川河川淵を開拓し田畑にしようとした時に、泉を掘り、「龍神」を祀ったことが始まりとされています。

そのおかげで、大旱魃が起こっても、この龍神泉と杖ノ淵だけは枯れることがなかったといいます。

その後南海道で大旱魃があった時には、ここで雨乞いの祈願が行われ雨が降ったといいます。

それほど、ここの龍神様には力があったということですね。

ここに龍神が祀られた 697年は、まだ大山祇神社の大造営が始まっていませんでした。

しかし、「与陽盛哀記」の中では、大山祗神社が日本総鎮守の称号を頂いた年が

この697年です。

そしてこの翌年、 

*698年、現在の地に 「伊勢神宮」が成立されました。

またこの年に、筑前国の宗形と出雲国の意宇の両郡の郡司は、共に三親等以上の親族を続けて任用することを許されたといわれます。

そこにも、意味がありそうですね。

更にその翌年

*699年、斉明天皇陵と天智天皇陵が共に改葬。

*699年、5月24日 役君小角は伊豆大島に流され、

*700年前後、伊予部連馬養、「浦島説話」を書き記しました。

*701年、丹波で大地震があり、

そして、この年

*701年 「大宝律令完成」 により、いよいよ 

「大山祇神社の大造営」が始まったのです。


天武天皇の時代から始まった、日本各地の大地震。

私は、この西日本各地を襲った大地震も、国譲りをすることになった原因の一つではないかと思います。

瀬織津姫は、地震を起こす女神とも言われていました。

だから、茨城県鹿島神宮には、女神を封印する 「要石」 があるのです。

また、豊玉姫と玉依姫がもつ、「干珠満珠」もまた、本来は瀬織津姫を意味するものです。

瀬織津姫と地震が結びつけられたのは、ちょうどこの時代に起こった数々の地震だったのではないでしょうか。

また、この 「干珠満珠」は、日本書記の中で、神功皇后が関門海峡で、住吉神が現れ竜神からもらうようにいわれ、受け取った神宮皇后は、この「干珠満珠」を使って、日本へと攻め込んできた新羅軍をたおしました。

潮の満ち引きを自由に操ることのできる、「干珠満珠」は、

月の引力によって潮が満ち引きすることと同じ力。

「月の女神 瀬織津姫」 の力なのです。

神功皇后は、瀬織津姫の力を全て自分の力に変え、戦い、聖母となったのです。

それは八幡信仰に繋ぐために。

人間が神の力を授かり、神の子を宿し、人間と神が一つになった子供を生むために。

本来の聖母とは、人間ではなく、「女神」 

ここにもまた、全ては、女神から生まれてくると考えた 「女神信仰」と、

男の神の血を受け継ぐ人間。 「男神信仰」 への移り変わりが見えるようです。

姫の封印を決定づけたのは、もしかしたら予期せぬこれらの地震も原因の一つかもしれません。

*龍神社
*松山市大橋町
*祭神
高龗神、大物主神



















「月弓」

日本の形って、不思議ですね。

龍にも見えるし、月にも見えるし、弓にも見える。

百済からやってきたという、「弓月の国」の 「弓月の君」

どうして、「弓月」 とつけられたんだろう?

まるでその名前は、 「日本」 のことをさしているようにも思える。

大きな大陸の東の果てに、大陸から離れていった、欠片 日本。

偶然にも、三日月であり、龍の形になった、日本。

月であり、龍でもある。 まるで日本そのものが、月の姫の国。

そして、東の果て。

太陽が昇るその場所にあるその意味は、

太陽と月、二つの神が一つになった姿。

二つの神が一つになったその意味のように

「誕生」 「再生」 「復活」 

の国なのかもしれません。




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by ldc_nikki | 2012-02-23 07:28 | 愛媛県松山市 | Trackback | Comments(2)
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Commented by gu-tara at 2012-02-23 21:27 x
「月弓」が訛って「月読」
Commented by ldc_nikki at 2012-02-24 11:59
ぐーたらさん、なるほど・・・^^
確かに似てる。昔の漢字の使い方は当て字のように使っていて意味があまりないといいますよね。

つきゆみがつくよみ。

もしかしたらそうかもしれないですね^^
では、どうして「月弓」という名前が、月の神としての名前に使われたのでしょう?

月と弓の意味なのか、弓月の意味なのか、それとも。。。

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