愛姫伝

数あるブログの中からお越しいただきましてありがとうございます。 不思議な数々の出会いから、今は、愛媛の神社めぐりをしながら、神社や女神様そして、神話の神々の伝説を調べています。

虹が映る湧き水 「臼井御来迎」 (三島明神誕生の物語の事)

こんばんは。

今日は先日の続き旧東予市です。

今治市と東予市の境目、蛇池から世田山の麓世田薬師へお参りし、そのまま旧東予市市街地へ向かうと、
弘法大師ゆかりの湧き水があります。

番外霊場 「臼井御来迎」

この通りは昔の主要道だったそうなのですが、今はほとんどの人が国道を通るため、ここは地元の人意外ああまり通らないため、この存在はあまり知られていません。

この弘法大師の湧き水より少し今治よりには、宝篋印塔(ほうきょういんとう)があります。

この宝篋印塔(ほうきょういんとう)は、旧東予市でもっとも古く石造文化財として極めて重要なものだそうです。

e0165472_1257572.jpg


e0165472_12581169.jpg


またここには、鎌倉時代の作といわれる、

「馬頭観菩薩像」があります。

身丈43.5cm、総丈70cmの木造坐像です。

馬頭観音菩薩とは、衆生の無智・煩悩を排除し、諸悪を毀壊(きかい)する菩薩だと云われます。

e0165472_139582.jpg


e0165472_1310010.jpg


馬頭観音菩薩さまに、手を合わせていると、後ろで突然猫の鳴き声が。

後ろを振りかえりふと足元を見ると、どこからやってきたのか、かわいい猫がごろんと横になっていたのです。

e0165472_2211434.jpg


私たちが振り返っても逃げるどころか、ゴロゴロ気持ちよさそうに転がってる。
人になれているのかな?

猫ちゃんにお別れして、車に乗っていこうとすると、起き上がってお見送りをしてくれました^^

e0165472_2214230.jpg


実はこの日の最初の蛇池から海岸へ行く途中も、道路の真ん中にまるで狛犬のように犬が座っていて
車ですぐ側をよけながらゆっくり通りすぎたのですが、その時も全くよけることなく、まっすぐ狛犬のように座ったままでずっと私たちの方をみていた犬がいたのです。

そして、今度は猫。

お見送りしてくれてどうもありがとう♪ 

そういいながら、目的の湧き水へ。

e0165472_2220730.jpg


家と家の間にあるので、普段なら見落としてしまいそうなところにありました。
道路から少し下に降りたところに。

*臼井御来迎

天長6年(829)弘法大師が老母の願いにより、臼の中に加持して五色の御光を影ぜられたという旧跡で、
透き通った水がいまも、こんこんと湧き出ています。

この湧き水の前で、一心に祈れば七色の輝きの中に諸仏の来迎(薬師如来・日光月光菩薩・十二神将・弘法大師)がおがめるといいます。

また、かき混ぜると虹が現れるという言い伝えがあるそうです。

水の中を覗いてみると、かわいいめだかが沢山泳いでいました。

虹が現れるかな。。。。。と かき混ぜてみましたが、残念ながら虹は現れませんでした。

そんなに簡単に現れるはずはないですよね。

e0165472_23152332.jpg


e0165472_23154479.jpg


e0165472_2316120.jpg


e0165472_23162772.jpg



でも、どうしてここに弘法大師の伝説が残っているのでしょう。

ここの湧き水の名前は 「臼井」といいます。

この 「臼」は、瀬織津姫の封印とも深く関わりがあります。

それは、三島明神誕生の物語という、以前お話したもう一つの三島明神の物語の中に出てきます。

あの物語を深く読み解いていくと、その中に暗号のように隠された謎が見えてきます。

その一つが 「臼」 です。

三島に住んでいたという夫婦の子供が生まれてすぐ 「鷲」にさらわれ、その鷲を追って夫婦は、現在の四国中央市と徳島県の境目の山の中にやってきます。

そして、子供を失った夫婦はこの山の中で暮らしはじめます。

17年たったある日、夫婦の子供が本当の両親は別にいることを知り、家来に捜すように命じ、家来は山の中に暮らす夫婦を見つけます。

息子の「玉王」は、連れてくるように命じ、家来たちは山から元二人が暮らしていた三島の家に連れていくのですが、山を降りる前夜、

あまりに汚い格好をしている夫婦を見て、こんな二人が両親なわけがないと思い、逃げないようにと柱につなぐのでした。

その時、ただ柱につないだだけでなく、

母のほうには、「女臼」を 父のほうには「夫臼」を縛りつけ柱につないだのです。

二人に繋いだ「臼」とは、現在のおもちをつく時の臼ではなく、弥生時代から古代の人々が使用していたといわれる、

「摺臼(ずるす)」 という、籾殻を取り除くうすでした。

臼の中に籾を入れて、臼の上に三角形に取り付けられた棒状のものをくるくると回します。
すると、籾がすられることによって、殻がとれる仕組みになっています。

古代、臼は、とても神聖なものでした。

おもちをつく時の臼は 「女」にたとえられ、杵は「男」にたとえられていました。

女と男を合わせることによって作られる 「もち」は、特別な食べ物だったのです。

そして、この籾をいれる臼も、臼である「女」の中にいれて、まるで渦ができるようにかき回す。

私はここにも、特別な意味があったのではないかと思います。

それは、この物語の最後の部分にでてくることで読み取れます。

この老夫婦が、亡くなった後 「三島明神」として現れます。

三島明神とは、この老夫婦のことをさしていたのです。

そして、自分たちをお祀りする時には、

臼でしばり辛い思いをしたからと、御料米は、決して臼を使わず、手で一つ一つ籾をとったものでなければいと誓いをたてられたといいます。

しかし本当は全く逆の意味なのではないでしょうか。

臼を使うことによって、「男と女=太陽と月=再生、誕生」 の意味をもつ米になる。

また摺臼は、女性である臼の体内で、まるで渦のようにかき混ぜなれ、新しい命が誕生する。

摺臼を使ってはならないのは、そうなっては困るからと、あえて使うことを許されなかったのではないでしょうか。

三島明神となった老夫婦の息子 「玉王」が、縛られていた時に母の夢の中に出てきた姿は、

左手に 「月」 右手に 「太陽」 の珠をもっていました。

そして、その後ろには、朱の糸で髪を結んだ天童が付き添ってたっていたのです。

これは、三島明神の子 「玉王」 が鷲にさらわれ、「太陽の子」になったことを意味していると思います。

そして手に持った珠は、その両方の力をみずからのものとしたことも意味しているのではないでしょうか。

これが 「アマテラス」を意味する。

また最後の三島明神の託宣にはこう書かれてあります。

「わが氏子は枇杷の木を粗末にあつかってはならぬ。
わが子玉王は鷲にさらわれたが、枇杷の枝に捨てられ助かったからである。また鷲は鳥の王である。わご子は鷲にさらわれたために、のちに万民の王となった。
その鷲を粗略に思ってよいものだろうか」

と、そういって、鷲にも神明の法を授けて、鷲明神と神号をつけ、伊予の国一宮の御殿の前に社をたてて、大切に敬った。

その後、三島大明神は東征のため東国にわたり、伊豆の国に移り住むことになった。(静岡の三島大社)

その時鷲大明神も同じように東国へ飛び移って、武蔵の国大田庄に住むことになり、この国の鎮守と号して非常に尊敬を受けることになった。(埼玉県 関東最古の大社と称する鷲宮神社)

この物語はかなり長いので、ここで全てをお話することはできませんし、まだ全ての意味がわかったわけでもありません。

いつか全ての謎をといて、お話する日がくればいいなと願っています。





隠された歴史、消された神々のことを、一人でも多くの人に知っていただくために
もし、よかったら、(バナー)をポチっとお願いします^^

一緒に、瀬織津姫を復活させましょう♪ 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村


ブログで紹介した場所を、地図でご案内しています。。
お越しの際には是非ご参考にされてください。

愛姫伝神社・お寺・観光マップ
トラックバックURL : http://makild.exblog.jp/tb/17431055
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
by ldc_nikki | 2012-02-26 23:29 | 愛媛県西条市(旧東予市) | Trackback | Comments(0)
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31