大三島探訪 3 「神功皇后を案内した若者たち 宗方八幡神社」
2012年 03月 27日
今日はとてもよいお天気でした。寒かった冬もやっと峠を越え、日に日に春が近づいてきている気がします。
今日久しぶりに大浜八幡神社に行ってきました。
瀬織津姫が祀られる社の前の桜も、つぼみが膨らみ、今にも咲きそうなつぼみがたくさんありました。
今度の日曜日くらいには、咲き始めるかな。。。。
では今日も大三島の続きです。
今回はいつもとは逆回りに大三島をまわってみました。
高速道路をおりてそのまま南へ、瀬戸をとおり過ぎ一山こえると大三島の一番南の町に出ます。
その逆を降りていくと、目の前に綺麗な海が見えてきました。
そして少し走ると以前ご紹介した、三つ子島が見えてきました。
大三島を含む七つの島に、十六の皇子を祀ると海の中から現れたという
「三つの島」 この島の名前が、中国で不老不死の島と伝わる島
「蓬莱(ほうらい)・方丈(ほうじょう)・瀛州(えいしゅう)」です。
そして今日ご紹介する神社は、この三つ子島のある 「宗方」に鎮座される
「宗方八幡神社」です。
ここは、神功皇后由来の神社で、
神功皇后が三韓征伐のため、瀬戸内海を航行されたとき、
この地域の若者たちが海上案内をしたことに縁があると伝えられています。
この海を神宮皇后が通った時に、先導をしたと伝わるこの地区の若者。
神社の名前にもなっていますが、この地区は、宗方。
宗方とは、九州は筑前国の古族宗像氏に由来すると思われ、
ここには、宗像氏に関係する人々が住んでいたのかもしれません。
宗像氏とは、厳島神社に祀られる三女神を主祭神とする一族です。
天武天皇は、多くの姫を妃に迎えていますが、この宗像氏の姫も妃としています。
全国宗像神社の総本社は福岡県にあり、
沖ノ島の沖津宮、大島の中津宮、田島の辺津宮の三か所に分けられ祀られています。
瀬織津姫と深いかかわりのある、宗像三女神を奉る宗像氏が、この大三島でも何らかの
役割をになっていたのかもしれません。
この宗方で今も行われる御祭りも、神功皇后が起源となっています。
「櫂伝馬」
この御祭りで使われる、伝馬船(てんません)は、荷物などを運ぶ和船ですが、櫂伝馬は県内でも瀬戸内の一部地域でしか残っていません。
特に櫂伝馬レースとなっているのは、ここ宗方だけで、3隻の伝馬船が、約700mの距離を、スピードを競って漕ぎ比べます。
そして、その船の名前には、
を「蓬莱(ほうらい)」「蓬英(ほうえい)」「蓬祥(ほうしょう)」の名前が付けられています。
不老不死の神の島の名前をつけた船が、神功皇后を先導したように、今もこの海で
その姿を再現しているのですね。。。。。
*宗方八幡神社
*今治市大三島町宗方3348番地
*祭神
誉田別命(ほむだわけのみこと)
息長帯姫命(おきながたらしひめのみこと)
武内宿禰命(たけうちのすくねのみこと)
神社へは、この大きな鳥居をくぐり山の上へとのぼります。
大きなご神木が迎えてくれます。
ここから神域の中へ。
階段の上で狛犬が迎えてくれます。
奉納された立派な燈籠がありました。
拝殿
本殿
そして一番気になった場所。
本殿の側の木の陰にひっそりと祀られる境内社。
ここに姫が祀られているようなそんな気がしました。
今日は、金星が東方最大離角となる日だそうです。
東方最大離角とは、地球から見て内惑星が太陽の東側にあるときのことをいうそうで、
夕方西の空に、まばゆいばかりに光輝く金星が見ることができます。
そして、今日は月のすぐ近くに金星が見える日でもあります。
昨日も空を見上げると金星が月の真下で、キラキラと光り輝いていました。
金星は、古代女神にたとえられ、その女神とは地母神 母なる神のことでした。
まるで瀬織津姫の一つの姿でもあるようですね。
松山市、旧北条市の天道日女命を祀る神社で行われる 特殊神事の名前は
「宵の明星」。
夕方西に沈む前に光輝く金星、宵の明星。
この名前が付けられたのも、もしかしたら古代の女神 「母なる女神」を表していたのかもしれないな。
なんて思いました。
月に寄り添うように光る金星。
その姿は古代の人にどのように映っていたのでしょう。
電気もない真っ暗な中で、大地を照らす月と星を見て。。。。。。
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