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岡山の旅 「吉備津神社」  「カラスアゲハ到来」

こんばんは。
昨日は久しぶりに内子、中山へ行ってきました。

最初に行った神社は、
姫を祀っていただろう神社。 

国道から少し入ると、そこは人気のない山の中。

小さな神社でしたが、
そこは、透き通った空気が漂う神域でした。

やっぱりここは姫が祀られている。そう思った時、
後ろから す~っと私たちの横を何かが通りすぎていきました。

「あ!蝶!」

そうなんです。 今年初めての カラスアゲハ。

姫の神社へ行くと必ずと言っていいほど現れる 黒い大きなアゲハ蝶。

冬の間は出てくることがなかく、少し寂しかったのですが、
やっと現れてくれました!

アゲハ蝶は、そのまます~っと本殿の方へと向かい、
本殿の回りを数周回ったあと、元きた方向へ帰っていきました。

蝶なんてどこにでもいるよ!と言われそうですが、
私たちは、それでもこの黒い蝶は他の蝶と違う気がするのです。
まるで私たちにその姿を確認してもらうように、必ず、すぐ側飛んでいき、
時々は目の前で止まってくれたり、身体にとまりそうになったり、
道案内をしてくれたり。 ほんとに不思議なんですよ。

昨日も参拝を終え、帰ろうとすると、また鳥居を出る前に、
まるで挨拶をするかのように目の前に飛んできて、くる~と廻って飛んで行きました。

そして、松山へ帰ってきて、ほんとは行く予定ではなかったのですが、
少し時間があり、椿神社へ。
椿神社の姫の場所は、正面の拝殿のすぐ横にある磐の上に鎮座する
奏者社。

姫にご挨拶をして磐の側を歩いていると、
ここでも、前からす~っと、黒いアゲハが現れたのです。
拝殿でも本殿でもなく、やっぱり現れた場所は、姫の場所でした。

そして、昨日まるで姫が導いてくださったかのように、
ちょうど私たちが椿神社で、アゲハを見たあの時間、
私のところに一通のメールが入っていました。

それは、大三島の姫の魂が今も残る一つの神社のすぐ近くにある
大きな鳥居の目の前に住んでいる方からのメールでした。
ずっと気になっていたあの大きな鳥居の目の前がご実家だという方からのメールは
私にとって、とても心強く、有難いものでした。

何でも結び付けて。。。
と言われる方もいますが、私はそれでも信じたいと思います。

それでは、今日の神社です。
岡山の旅のお話も残りわずかとなってきました。

今回ご紹介する神社は、
先日ご紹介した吉備津彦神社がある、吉備中山の北西の麓に北面して鎮座する
元、吉備国の総鎮守

「吉備津神社」です。

ここに祀られる御祭神も、大吉備津彦命です。

代孝霊天皇の皇子で、
四道将軍の一人として山陽道に派遣され、
弟の若日子建吉備津彦命と協力して吉備を平定したと伝わる、
桃太郎のモデルとなった皇子です。

先日も少しお話しましたが、
この吉備津彦命、別名「彦五十狭芹彦命(ひこいさせりびこのみこと」は、
大山祇神社の歴史にも登場する、とても重要な皇子です。

時代は、紀元前88年、勅命により
大彦命を北陸道に、武渟川別を東海道に、
吉備津彦を西道に、丹波道主命を丹波(山陰道)に
将軍として遣わし、従わないものを討伐させたと伝わる
四道将軍の一人です。

吉備津彦は吉備中山の麓に茅葺宮を造って住み、
281歳で亡くなって、この神社が鎮座する中山山頂に葬られたと伝わります。

しかし、この年代を含め、
この伝承にはどうしても繋がらないことがあります。

この謎がまだはっきりと答えることができません。
なんとなく、私の中では見えてきているのですが、
確信にいたるものがまだ出てきていないのです。

もし、このことが私の中ではっきりと繋がれば、
越智家が孝霊天皇を祖とする意味や、丹波は吉備、そして北陸の姿、
また丹波に祀られる姫の意味や、因幡の白兎の伝説、
天の橋立や、籠神社に伝わる、天女の伝説や、
豊受大神がなぜ、籠神社から、伊勢へと行ったのかということにも
繋がってくるのではないかと思っています。

また、先日私が行った、あの岡山県と鳥取県の境目、
「蒜山」 の山の中が高天原と呼ばれることになったことにも
繋がるのだと思います。

この吉備津神社から、806年に勧請されたという神社が、
広島県福山市にあります。
備後国吉備津宮と呼ばれるこの神社には、
一遍上人が訪れており、
姫のことを熊野で知った一遍上人が訪れたと言われる、
とても重要な神社です。

どうして一遍上人は、
岡山の吉備津神社には行かず、福山の吉備津神社へと行ったのか。
その理由もまた、ここ岡山の吉備津神社にあるのだと思います。

ここ、岡山の吉備津神社には、
境外に出されてはいるものの、瀬織津姫が祀られています。

*吉備津神社
*岡山市北区吉備津931
*祭神
  大吉備津彦命
*相殿
御友別命(みともわけのみこと)
仲彦命(なかつひこのみこと)
千々速比売命(ちちはやひめのみこと)
倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)
日子刺肩別命(ひこさすかたわけのみこと)
倭迹迹日稚屋媛命(やまとととひわかやひめのみこと)
彦寤間命(ひこさめまのみこと)
若日子建吉備津日子命(わかひこたけきびつひこのみこと)

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境内は、思った以上に広く全てに行くことはできませんでした。
もう一度行かないといけない場所なのだと
思っています。


むかしむかし。
異国よりこの吉備国に空をとんでやってきた者がおりました。
一説には百済の皇子で名を温羅(うら)といい、目は狼のように爛々と 輝き、
髪は赤々と燃えるが如く、
そして身長は一丈四尺にもおよび腕力は人並みはずれて強く、
性格は荒々しく凶悪そのものでありました。
温羅は新山に城を築 き都へ向かう船や婦女子を襲っていたので、
人々は温羅の居城を鬼の城と呼び恐れおののいていました。
都の朝廷もこれを憂い名のある武将を遣わして討伐しよ うとしましたが、
すばしこく変幻自在の温羅を誰も討伐できず都に逃げ帰る有り様でありました。
そこで武勇の誉れ高い五十狭芹彦命が派遣されることになりま した。

大軍を率いて吉備国に下って来られた命は吉備の中山に陣を敷き、
片岡山に石盾を築き戦いの準備をしました。
ついに命は温羅と戦うことになりましたが、
不思議なことに命が射た矢と温羅が投げた石が悉く空中で衝突し
海に落ちてしまい苦戦を強いられることとなります。

そこで命は考えをめぐらし一度に二矢を射ることができる強弓を準備させ、
一度に二つの矢を射ることにしました。
すると、一つの矢はいつものように海に 落ちてしまいますが、
もう一つの矢はみごとに温羅の左目に突き刺さりました。
温羅は驚愕し雉に姿を変え山中に逃げますが、
命はたちまち鷹となって追いかけ ます。

温羅は命に捕まりそうになると、今度は鯉に姿を変え、
自分の左目から迸った血で川となった血吸川に逃げ込みます。
命は鵜に変化し血吸川を逃げる温羅 を見つけ噛み上げついに
捕まえることに成功します。

捕まった温羅は命に降参して、
人民から呼ばれていた吉備冠者を命に献上したので、
これ以降命は吉備津彦 命と呼ばれることとなりました。』

これが、一説には桃太郎の原型とも言われるお話ですが、
このお話を素直に読み取ると、鬼は「百済からやってきた皇子」
とすれば、このお話の起源は、大和が姫を封印したことと全く逆になります。

それなのに、さも大和朝廷側の皇子が鬼を退治したことになっています。

私は、このお話は本当は、封印された側、
越智家や物部氏が、百済の皇子と戦ったお話を、
まるで、自分たちが鬼を退治したかのようにすり替えたのではないかと
思うのです。

そのすり替えた時に、本来の名、彦五十狭芹彦命を吉備津彦に変えたのだと思うのです。

ここで行われた戦いは、
姫が封印された時代の戦いではなく、もっと昔、全く違う時代の話です。
その偉業を自分たちのものとしたかっただけなのではないかと思います。

だから、ここは姫を封印するさいの、舞台ではなかった。
では、その舞台はどこかというと、
それが牛窓から、西大寺一体です。

だから、弘法大師も、一遍上人もここを訪れることはなかったのだと思うのです。

ここにいた、彦五十狭芹彦命は、
本来の倭の皇子。 その偉業だけを利用され、大和が行ったこととされてしまった
吉備津の神として、瀬織津姫が封印されたように、その真の姿を封印されてしまったの
ではないでしょうか。

*矢置石
吉備津彦命と温羅の戦において、
命がこの石の上に矢を置いたことから矢置石とよばれるといいます。
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北の入口からの参道
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吉備津彦を祀る拝殿
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本殿
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一堂社 祭神:天鈿女命
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岩山宮
祭神:建日方別命(たけひかたわけのみこと)
『古事記』の国生み神話において
大八島国が生まれたのち、生まれた
「吉備児島」の神です。
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岩山宮へ行く途中にある
「如法経塔」
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岩山宮 
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大山祇神社と同じように
神池に祀られる 「宇賀神社」
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神池のほとりには、しだれ桜がありました。
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吉備津神社 南入口
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この奥には、本宮社が鎮座し、
父、孝霊天皇、母君の妃・倭国香媛および皇后の細媛命を祀っています。

そして、この本宮社の背後に、
瀬織津姫は祀られています。

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次回は岡山の旅最後になります。
神宮皇后の由来の神社です。




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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2012-05-14 23:02 | 県外編

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