人気ブログランキング | 話題のタグを見る

麻と木綿は、白い鳥と鷲 忌部氏

こんばんは。

今日の神社は、松山市と旧北条市の境目の山の奥に鎮座する神社

「目魯止神社 (まるとじんじゃ)」なのですが、
ここに祀られる祭神のことを調べているうちに、
なぜか、「麻」と「忌部氏」とのお話に途中変わってしまいましたが
そのまま、記事として残したいと思います。

今日ご紹介する神社の
祭神は、

天ノ目一ツ神 (別名 天真一根命)
と一緒に、大国主命と少彦名命が祀られます。

神社の由緒を見ると、
この三神を一緒に祀る神社は、全国でここだけだと、
なぜかとてもそのことを強調して書かれてあります。

その文面を読んだ時、
なぜかそれがとても気になりました。

神社に書かれてある祭神の説明では、
天ノ目一ツ神とは、刀剣の神で、日本で最初の刀をつくった神と書かれてあります。

そのことから考えると、
字は違いますが、この神さまは、

「天目一箇神(あめのまひとつのかみ)、
別名は天之麻比止都禰命、天久斯麻比止都命ともされ、
製鉄・鍛冶の神さまのことです。

古事記にはその名前は見られず、日本書記の中では、
大国主命が国譲りをする時に、祭具をつくった鍛冶を担当したとされ、
古語拾遺によれば、
天照皇大神が岩戸隠れをした時に、
刀斧・鉄鐸を造ったとされています。

単純に考えると、ここに祀られる神さまは、
製鉄・鍛冶の神さまとなるのですが、
この場所に祀られることにとても不自然な気がしたのです。

昨日、この神社のブログを書こうとしたのですが、
それがどうしてもひっかかり書くことができませんでした。

今も、はっきりと何かがわかったわけではないのですが、
今私が思いつくことを、今日は書き留めておきたいと思います。

古事記や日本書紀に出てくる神様には、
それぞれ、その神さまを祖とする氏族がいます。

この、「天目一箇神」を祖とする氏族は、

忌部氏(いんべし・いみべし)です。

しかし、忌部氏には、その住む場所によって
なぜか、それぞれ別々の神を祖としています。

「天目一箇神」を祖とする一族はというと、

「筑紫国・伊勢国」 の忌部氏です。

では、他の忌部氏はそれぞれ、どんな神々を祖としているか、
簡単にまとめてみたいと思います。

1.「天目一箇神」・・・・「筑紫国・伊勢国」 の忌部氏

2.「手置帆負命」・・・・「讃岐国」の 讃岐忌部氏

3.「彦狭知命」・・・・・・「紀伊国」の紀伊忌部氏

4.「櫛明玉命」・・・・・・「出雲国」の玉作氏

5.「天日鷲命」・・・・・・「阿波国」の阿波忌部氏

6.「天太玉命」・・・・・・忌部氏が後に、斎部氏となのる

これを見てもわかるように、
忌部氏とは、同じ氏族の名前を名乗りながら、多くの別々の祖神がいます。

しかし忌部氏の一番の特徴と言えば、
ケガレを忌み、神事などに奉仕する一族。
古来より宮廷祭祀における、祭具の製造・神殿宮殿造営に関わってきた一族だと
言われます。

しかし、中臣家と忌部氏は、
天武天皇の以降、ともに祭祀を司る氏族とされるようになり、
しだいに中臣氏にその勢力を奪われ、忌部氏は衰退していくことになりました。

忌部氏は、上記にも書かれてあるように、
徳島県と香川県にとてもかかわりが深い氏族です。

しかし、両者とも、祖神は、
「天太玉命」ではなく、「天日鷲命」と「手置帆負命」になっているのです。

祭祀を司るとされる一族にも関わらず、
徳島県(阿波の神)が、 「天日鷲命」となったことに、
徳島の大きな謎が隠されているのではないかと思うのです。

まだまだ私の憶測でしかありませんが、
本来徳島にも、姫を祀る一族は住んでいました。

しかし、
中臣氏と、忌部氏がこの地を訪れてから、
その姫を祀る一族は、いち早くその土地を、
奪われてしまいます。

徳島県には、今でも、新しい天皇が誕生される時に、
必ず行う儀式 「大嘗祭」 で、
悠紀殿・主基殿の神座に 神衣(かむそ)として祀る麻をつくっている
三木家という、家系があります。

この三木家は、
「忌部氏」の子孫と言われ、
この天皇が天皇となるための一番大切な儀式に使われる 「麻」を
今も出棺されているのです。

「忌部氏」の祖神は、 「天日鷲命」。
しかし、一説には、この三木家の祖は、「白羽鳥」だと書かれて
あったのを、見たことがあるのです。

「大嘗祭」とは、天皇が天照皇大神と一体となる儀式。
この儀式を執り行うまでは、天皇にはなれないと言われるほど、
大切な儀式なのです。

そして、この時使われる 「麻の織物」は
まさにその一体となる瞬間に、お召しになるもの。

これが、二つの魂を繋ぐなくてはならない繋となるのです。

それをつくる一族が、なぜ、三木家でなければいけないのか。
それは、この三木家が、
本来は姫を祀る一族のための、麻をつくる人であり、
きっと、姫から天照皇大神へとその神が以降される時、
徳島に住む、三木家がその役目を果たしたのではないかと
そんな気がするのです。

だから、
1300年たった今でも、ここでなければならないのだと。

三木家は、「忌部氏」の子孫だとされますが、
その本来の姿は、「鷲」ではなく、「白い羽」。

その姿は、白鷺だったのではないでしょうか。

「長白羽神」は麻から麻布をつくり
「鷲」 は穀(カジ、楮の類)の樹皮から木綿をつくる。

鷲とは、あの三島明神物語にも出てきたように、
「三島明神の子供」 をそのくちばしで連れ去った鳥でもあります。

鷲は、天武天皇や、藤原氏側に見方したと考えられ、
その功績をたたえるかのごとく、大山祇神社の御神体は、

「鷲ヶ頭山」とつけられています。

木綿は、神功皇后の各地での伝説の中にもよく登場する布でもあり、
それが、鷲に繋がるのなら、鷲と木綿は、姫を封印したものということになります。

また、持統天皇の天の香具山の唄の中に書かれた 「木綿」 の姿もまた、
鷲に繋がるのです。

「春過ぎて夏来るらし白栲の衣乾したり天の香具山」」

「季節が春から夏へと移り変わるかのように、
天の香具山に、木綿の白い布をかかげることができれば
時代は変わるだろう。」

そして、「麻」とは、
縄文時代から日本にあったとされる植物で、
織物としても使われ、栄養価の高い食物としても食べられ、
姫そのものの姿のような気がするのです。

そして、その麻を着ることは、姫のその魂を身にまとうこととなり、
それは、麻の意味とも言われる 「浄化」の意味へと繋がり、
それは、「瀬織津姫」の禊、祓いの意味へとも繋がる。

「麻」 とは、 姫そのものの姿だったのです。

だから、麻をつくるその一族は、
三木家でなければならなかった。

姫の魂を持つ一族が阿波で麻をつくることは、
そのものも、天照皇大神と姫の一体を意味すると考えられるのです。

「忌部氏」という氏族のその存在の意味は、まだ
はっきりとはしていませんが、
「忌部氏」とされる中にも、もしかしたら、
この三木家のように、本来姫を祀っていた人々がいるかもしれません。

それを、これから少しづつ見ていきたいと思います。

話が、神社からそれてしまいましたが、
この松山市に鎮座される神社の祭神もまた、

天ノ目一ツ神、鍛冶の神とされていますが、
その祭神の御神徳が、目の神とされることや、
別名 天真一根命とされることから、

ここに祀られていた神も、
本当は、 姫だったのかもしれません。

別名。

「天の真の一の根(根源)の神。」

この別名が、そのことを意味しているような気がします。

*目魯止神社
*松山市大西谷

麻と木綿は、白い鳥と鷲 忌部氏_e0165472_054823.jpg


麻と木綿は、白い鳥と鷲 忌部氏_e0165472_0542860.jpg


麻と木綿は、白い鳥と鷲 忌部氏_e0165472_0544532.jpg


麻と木綿は、白い鳥と鷲 忌部氏_e0165472_0545810.jpg


麻と木綿は、白い鳥と鷲 忌部氏_e0165472_0551452.jpg


麻と木綿は、白い鳥と鷲 忌部氏_e0165472_0552989.jpg


今日のお話は、神社とあまり関係ないことばかりになってしまって
意味がわかりにくくなってしまったかもしれません。

いつも、ただ勢いでおもいつくまま書いているので、
時々、話がそれてしまいますが、
あえてそのまま訂正せず書き残したいと思っています。




隠された歴史、消された神々のことを、一人でも多くの人に知っていただくために
もし、よかったら、(バナー)をポチっとお願いします^^

一緒に、瀬織津姫を復活させましょう♪ 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村

愛姫伝 スマートフォンサイト 
QRコード
麻と木綿は、白い鳥と鷲 忌部氏_e0165472_239596.png


ブログで紹介した場所を、地図でご案内しています。。
お越しの際には是非ご参考にされてください。

愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2012-06-07 01:01 | 愛媛県松山市

数あるブログの中からお越しいただきましてありがとうございます。 不思議な数々の出会いから、今は、愛媛の神社めぐりをしながら、神社や女神様そして、神話の神々の伝説を調べています。


by 愛姫
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31