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天狗 

こんばんは。

昨日 6月15日は、弘法大師(空海)の生誕の日と言われます。
本当に生まれた日ではないということなのですが、
生誕祭がおこなわれるということです。

そんな今日、
一つ、今までずっとわからなかった神様の意味が
わかりました。

と言っても、私が勝手に思っていることなのですが^^;

今日のブログのタイトルにもあるように、
それは天狗の正体です。

以前にも、天狗のことにふれたことがありましたが、
今日は、更に詳しく天狗のお話をさせていただきたいと思います。

まず、天狗について
もう一度簡単におさらいをしておきたいと思います。

天狗とは、
皆さんご存知の、あの赤い顔で、鼻の長い、山にすむとされる
ある時は、神であり、ある時は妖怪。

現在天狗と言えば、上記のような様相を思い浮かべますが、
本来の天狗とは、その姿形は少し違います。

その姿は、まるでカラスのような鳥の顔をしており、
カラス天狗がその形に似ているといいます。
しかし、その姿は時に、光り輝く鳥の姿として現れ、金色の鷲として描かれることも
あるといいます。

天狗は中国が由来と言われますが、
天狗の元となる姿は、インドにありました。

仏法を守護する八部衆の一、迦楼羅天(かるらてん)が変化したものともいわれ、
迦楼羅天(かるらてん)とは、インド神話のガルダが仏教に取り込まれ、
仏法守護の神となったと言います。

日本の天狗は
このガルダ、また、迦楼羅天を元とし日本独自に変化させた姿です。

仏教の守護となった神、またインド神話のガルダが
そのまま日本の天狗になったわけではないのですが、
このガルダや迦楼羅天が、日本の天狗の姿に変化したのには、
大きな理由があったと思われます。

その大きな理由とは、

「迦楼羅天は、龍を常食としており、
龍や蛇を踏みつけている姿で描かれていることにあります。」

迦楼羅天とは、
毒蛇=雨風を起こす悪龍を食らう霊鳥として信仰されていたのです。

瀬織津姫の姿は、ご存知の通り 「龍」
水の神、生命の源である水の女神、聖母、それは龍の姿でした。

その龍を封じ込めるために一番最適なものとして、
この迦楼羅天は、選ばれたのではないかと思います。

迦楼羅天は、口から金の火を吹き、
赤い翼を広げると336万里(1344万km)にも達するといいます。
日本を囲っていた龍よりも、更に大きな姿です。

その迦楼羅天の威力を、ある人間がもちい
天狗の姿へと変貌していったのです。

その人間とは、これまでも何度かお話してきました、

「役行者(えんのぎょうじゃ)」です。

役行者は、、姓が役公(えだちノきみ)で、名を小角(おづぬ)
飛鳥時代から奈良時代の呪術者で、修験道の開祖です。

父は高鴨神に奉仕する高加茂朝臣(たかかもノあそん)で、
加茂役君(かもノえだちノきみ)、加茂間賀介麻(まかげまろ)、
又の名を大角(おおづぬ)。

このことでもわかるように、役行者とは、

「鴨(加茂)」一族だったのです。

鴨(加茂)とは、先日もお話したように、姫を封印するために、
その勢力を発揮した一族であり、忌部氏とも繋がりの深い一族です。

そして、母は渡都岐比売(とときひめ)、又の名を白専女(しらとうめ)、
刀自女(とらめ)と云って、
第25代武烈天皇の御代滅ぼされた大臣物部真鳥の娘です。

役行者とは、鴨族と、物部氏の間に誕生した子供だったのです。

ここでも、二つの敵対する氏族の婚姻があったのです。

そして、役行者が誕生する時の秘話にこんな記述があります。

「633年(舒明天皇5年)11月1日母が24歳の時、熊野に参詣し、
月を飲み込んだ夢を見て受胎した。」

後に後付けされたと思われるこの伝説を見てわかるように、
役行者とは、母が月を飲み込み生まれた子供。
月をわが物にした人間だと言えるのです。

後に、役行者は、各地の重要な山々へ入り、開山していきます。

しかし、その開山とは、修験の山を開いたのではなく、
山の神(姫神=龍)を、封じ込め、また自分の思いのままに操れるように
していくことが目的でした。

そしてそれは、時を同じくして新たな神を誕生させ、
新しい権力の象徴をつくり、新しい世の中をつくるためにも、
どうしてもしなくてはならないことの一つでもありました。

ここで、二つの一族の目的は一致し、
力を合わせて姫の封印に取り掛かったのだと思います。

そして役行者が開山したとされる山々には、
必ずと言っていいほど、あるものが存在していました。

それが、 「天狗」です。

日本の修験の山々には、必ず存在する天狗。

その中でも神の名前がついている天狗がいます。
その天狗たちを、日本八大天狗と言います。

 ・京都・・・愛宕山の太郎坊
 ・近江比良山・・・次郎坊
 ・鞍馬・・・・僧正坊
 ・熊野大峯・・・・前鬼・後鬼
 ・神奈川・・・・・大山伯耆坊 (清光坊ともいう)
 ・香川・・・・白峰相模坊
 ・大分・・・・英彦山豊前坊
 ・長野・・・・飯縄山飯網
これが、日本八大天狗と言われる天狗です。

この他、日本全国には沢山の天狗がいるとされます。

そんな中一つ、この八大天狗の中に入っていない 「別格」の天狗がいます。

その天狗の名前は、

「決起坊」 

この天狗が、伊予の国、西日本最高峰と言われる 石鎚山にいるとされる
天狗です。

そしてこの天狗が、役行者自身だったのです。

決起坊とは、役行者の天狗名でもあり、
その存在は、特別なもの、別格とされていました。

そして石鎚山は、大天狗様、小天狗様、十二八天狗様、うまな天狗様、すうまんき天狗様、
すべての天狗さま、
また、八百万の神々、仏菩薩、摩訶薩の雲集される浄土であるとされていたのです。

役行者は、ここ今治から石鎚山の姫をわが物にするために、
出発し石鎚山にこもり、自分の分身でもある天狗を置き、
また、自分自身も天狗のなったのです。

全国の天狗を招くために詠むとされる、
江戸時代に書かれた「天狗経」と呼ばれるものがあります。
ここには、全部で48の天狗が書かれていますが
この天狗たちは、四国石鎚山修験系と言われるそうです。

全ての天狗の原点は、石鎚山にあったのです。

西日本の一番高い場所、石鎚山の天狗岳に今も残る
天狗の姿。
それは、役行者だったのです。

そして、ある事に気付いたのです。

瓊瓊杵尊を先導したと伝わる 猿田彦の正体です。

伊勢神宮は、徳島県の忌部氏が創建したと伝えられ、
徳島からその祭祀を司るために、伊勢へと渡りました。

猿田彦の総本社、
椿大神社(つばきおおかみやしろ)は、三重県鈴鹿市にあります。
椿大神社は、
猿田彦大神の末裔の行満大明神を開祖とする修験神道の中心地となったといいます。

また猿田彦は、
行満大明神は修験道の開祖であり、役行者を導いたといいます。

徳島県、大麻比古神社という神社があります、。

ここは、主祭神 を大麻比古神とし、配神を、猿田彦大神とします。

しかし、室町時代成立の『大日本国一宮記』に書かれてる祭神が猿田彦大神
とされています。

どうして、麻に関係する神社に、猿田彦が祀られているのか、
ずっと不思議でなりませんでした。
導きの神として、数多くの神社に祀られる猿田彦の存在も
ずっと謎の存在でした。

そして、以上のことから、猿田彦の存在がわかりました。

猿田彦神とは、役行者だったのです。

猿田彦神が、天狗の顔をしていること、
瓊瓊杵尊を先導したこと、
それは、加茂家である、役行者のことだった。

加茂家は、忌部氏とともに、
姫の封印にその大きな力を発揮した一族であり、
中心的存在。

また、役行者と忌部氏もまた、
共に、(瓊瓊杵尊=神武天皇)新大和をつくるために、
先頭となって活躍したものたちです。

だから、徳島県一宮とされる、
大麻比古神社へ、ともに祀られたのではないでしょうか。

同じものでも、同じ人でも、見方が変われば
その姿は全く別のものとなる。

その言葉の通り、天狗もまた、ある時は修験者を助け、見方のなり、
ある時は、その姿は鬼となり、人をだまし、人を傷つける。

修験道の人々にとっては、天狗は神のような存在でした。
しかし、密教においては、その天狗の姿は「悪」と伝えれていました。

密教=空海。
空海が、創ったとされる満濃池には、龍が天狗に襲われるという伝説が残るように、
天狗は常に龍を狙っていたのです。

天狗の伝説が神のように描かれたり、鬼神と重ねられたり、
天狗の姿は一見複雑な姿のように思えますが、
それは、天狗を見る人のそれぞれの立場によっての姿だっただけなのです。

現代でも同じ、
原発は経済のため、利益のために、必要(善)だという人もいれば、
原発は、人も地球も全てを壊してしまう恐ろしいもの(悪)だという人もいる。

それぞれの立場で、それぞれの善悪。
これが、この時代を読み解くために、見極めなければいけない
大きな謎なのだろうと私は思います。

昨日、「龍の棲む日本」 という本が届きました。
この本に描かれた日本の姿は、役行者とほぼ同時期にいたとされる僧
「行基作」とされる日本の姿です。
この地図とも言える、日本の姿もまた、行基の目に映っている日本という国の姿でした。

この本のお話は、後日ふれてみたいと思いますが、
各地に残る伝説も、神々の伝説も、そして古事記も。
全てが、書いた人間の感情、また目に映る光景がそのまま文となり、
絵となり、伝説となっているのだと思います。

最後に、一つ書き忘れていたことがありました。
それは、あの徳島県神山町に鎮座される、上一宮大粟神社の伝説です。

天狗 _e0165472_4332967.jpg


神社の拝殿の中に、天狗のお面が飾られてありました。
宮司さんに、ここに天狗が置かれてあるのはどうしてですかと
お聞きしたところ。

ここには、天狗がよく現れるという言い伝えがあります。
先々代の宮司さんが、そのお話をしていたそうです。

ここにと言われてたので、この山にですか。
とお聞きしたら、

「いえ、この神社にです」 と。

どうして神社に天狗が? 

その理由は。。。。。。

上一宮大粟神社には、役行者が祀られていたのです。

そして、その他にもいくつかの重要な神々が、
大宜都比売の周りに祀られているといいます。
その訳は、 「結び」

これらの神々が揃って、
大宜都比売は大宜都比売となれるのだと。。。。。

もう、お気づきでしょうか。。。。
この意味に。。。。。。。




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by ldc_nikki | 2012-06-17 04:09 | 古代の謎

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