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滝宮の神

こんばんは。

今日は、香川県最後の神社のご紹介になります。

今回の香川の旅は、後で振り返ると姫一色と言っていいほど、
姫の跡がはっきりと残る場所ばかりでした。

最後に参拝した神社 香川県観音寺市 「滝宮神社」は、
神社の名前そのものが姫の滝神としての意味をあらわしている神社です。

神社が建てられているところには、滝はありません。
そこまで山奥でもありませんし、滝などどこにも見あたりません。

このように、
神社の名前が 「滝宮」 とされていて、いかにも滝と関係があるかのような名前でも、
周りのどこを見渡しても、滝が存在しない場所が多くあります。

だから、各神社によって、解釈もさまざまでそこの根源に存在する 「滝神」について
書かれている由緒は、見たことがありません。

それどころか、四国地方の「滝」という字が使われている神社のそのほとんどの祭神が

「スサノオ命」になっています。

「スサノオ」と「滝」 は、表面的にどう考えても結びつくものがありません。
にも関わらず、どうして 「滝宮」であり「滝神」とされるのか。

それは、スサノオの存在が、姫の一部だからです。

姫の荒い魂が、男の神の姿となり、スサノオという存在をつくりあげていると思われます。
そしてその奥には、更に深い意味も込められています。

そしてその姫の魂の一部である、「スサノオ」 牛頭天皇と習合されてしまったことも、
姫である魂の一部だからなのです。

それがどうしてそうなるのか、姫がどうしてスサノオになるのか、
更にそれがどうして牛頭天皇となり、祇園の神となり、八坂とも混合されていくのか。

もしかしたら今後今の私の考えと変わることもあるかもしれませんが、
その意味が先日、私の中で繋がりました。

今回は、そのことについては触れませんが、
いつか話せる時がきたら、お話させていただきたいと思っています。

そしてまだまだ、はっきりと決まったわけではありませんが、
私が今まで調べ続けてきたこと、また体験したこと、めぐり続けてきた神社のことを、
本にできたらいいなと思い始めています。

なぜか、最近毎日のように、誰かから、「本を書いてください」という言葉を頂きます。
本当にありがたくてありがたくて、そう言っていただけるだかでもとてもうれしい。

いつかそんなことができればいいなと思っていたので、
少し真剣に、本のことを考えてみようかと思っています。

少しでも多くの人にわかりやすく、
また神さまや神社のことに興味を持つ人が一人でも多くなるように、
そして、私がいつもブログで書いているように、
神社のこと、神さまのこと、歴史の真実を知っていく中で、
何か、一人一人の気づきに繋がることができるように。
もし本を書くのなら、そんな本にしたいと思っています。

そしてその本の中で、「まことの名」 にたどり着きたいと思います。

まことの名とは、本当の名前という意味でなく、本当の姿。
霧の中で見え隠れする姿ではなく、純粋で透明で、濁りのない、真っ白なその姿。

透き通った空気の中で、本来の姫に出会い、
本来の姫にたどり着くことで、本来の自分に出会う。
本来の人間の心に出会うために、本を書ければいいなと思います。

話が少しそれてしまいました。
では、今日の神社

滝宮神社です。

滝宮の神_e0165472_22372222.jpg


門のところに
櫛石窓神(くしいわまどのかみ)、豊石窓神(とよいわまどのかみ)と書かれてあります。

この神々は、別名 

「天石門別神(あまのいわとわけのかみ)」と言います。

邇邇芸命が天より降臨してきた時、
三種の神器に沿えた神の人柱で、古来より天皇の宮殿の四方の門に祀られていた神でもあります。

以前広島宮島の厳島神社の時にも、この神について少しふれましたが、
最近、徳島にこの名前がつく神社が多いことがわかってきました。

例えば 「天石門別」「八倉比売神社」

この神社は、八倉比売の前にわざわざ、この神の名前でもある、

「天石門別」がついています。

他にも 「天石門別豊玉比売神社」
どうして徳島だけ、このように二つの神の名前が一緒になった名前になるのでしょう。

それが私自身不思議だったのですが、
なんとなくその訳がわかってきました。

「天の石門を別々にするための神」

この神にはそういう意味があったのではないでしょうか。

「天の石」とは、まるで、ご神体である磐、あの天が二つに割れた 天の香具山のようにです。

そしてその 「天の石門を別々にするための神」の意味は、

櫛石窓神(くしいわまどのかみ)、豊石窓神(とよいわまどのかみ)です。

片方は、「櫛」の中にその魂を封じ込められた神。
そしてもう片方は、「豊」 。豊玉姫や豊受大神の名前にも使われているように、
「豊」という文字に特別な意味があるような気がします。

「豊」は、別字で「豐」という意味も持ちます。
本来は別々の意味だったとされていますが、別々にされたことにもその根源の意味があると考えます。

まず、「豊」は、「豆(たかつき)」と言って、お供えをするために使われる台がついた坏(さかずき)を
意味会意文字を意味します。それはレイの音を持ち「醴」の原字だと言います。
「醴」とは「あまざけ」のことです。

あまざけは、白米の固めのかゆに米こうじをまぜ、発酵させてつくります。
元は、神事用につくられたものでした。

そして、「豐」
音符「丰(ホウ)」×2+「山」+「豆(たかつき)」の会意形声文字。「丰」は穀物の穂で、たかつきの上に収穫した穀物の穂を山盛りにした様。「峰」等と同系だと辞書に書かれてあります。

もう勘のいい方は、わかったかもしれません。
この「豊」という文字自体が、姫の力を得て、新たに誕生した 穀物の穂、更にその穂が
山もりになるようにという意味が込められていたのです。

甘酒は、その白い米を発行させてつくるように、
神さまに供えられるお酒は、一度腐らせ、腐らせたことによりできる新たな力を意味します。

白い米は、太陽と水の力によりできる新たな物質。
水の女神である姫と、太陽の神であるニギハヤヒとの
混合の力によって出来上がった、究極の白い食べ物。
二つの力を得て、人間に豊かさをもたらすものなのです。

穂=米がその力を受け取り出来上がるように、
人間もまた、その力だけを受け取ろうとした姫を封印した人々、
「豊」という文字は、姫の力だけを受け取り、
その力が二倍となるという思いが込められた文字だったのではないでしょうか。

だから、その力だけを受け継ぐ女神、
「豊玉姫、豊受大神」がつくられ、 
神功皇后は、その力を受け取るために、「トヨの港の宮」に滞在し、「トヨの姫」と呼ばれた。

豊受大神こそ、その究極の女神。
「豊(女神)の力)」だけを受け継ぎ、穂の女神にされた姿だったのではないでしょうか。

そして、この門に並ぶ、一つであり二つの神

「天石門別命」は、櫛に封印されて力だけを授けた神と、
その力を受け取った「豊」の神、その両方の意味を持つ神、
天が二つにわかられることとなった、根源の意味をあらわしていたのではないでしょうか。

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滝宮の神_e0165472_23374248.jpg


滝宮の神_e0165472_23433627.jpg


滝宮のその多くがスサノオ命に名前が変えられているにも関わらず、
スサノオの名前も祭神としてありますが、
ここは、瀬織津姫の名前を祭神として今も残してくださっている

滝宮の一つです。

神社の前は、綺麗な川が流れていました。

その川を上流へとさかのぼると、そこには、四国八十八か所
第66番札所 巨鼇山 千手院 雲辺寺がありました。

住所は徳島県になりますが、なぜかここが、
讃岐の打ち始めのお寺となっています。

それはお寺のある山から流れ落ちるその麓の滝宮の中に、
姫が祀られているからかもしれません。

この山、この川が、姫にとってとても意味のあるところだったのかもしれないと思います。

滝宮の神_e0165472_23494969.jpg






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by ldc_nikki | 2012-09-10 23:50 | 香川県

数あるブログの中からお越しいただきましてありがとうございます。 不思議な数々の出会いから、今は、愛媛の神社めぐりをしながら、神社や女神様そして、神話の神々の伝説を調べています。


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