佐久奈度神社(さくなどじんじゃ)
2015年 05月 05日
お久しぶりです。
先日、読者の方にお会いし、なかなかブログを書く時間がないのですが、
やっぱり、書かないといけないなと思い、久し振りに神社のお話をさせていただきます。
時がくれば…
ブログの中でも何度も書いてきたこの言葉、神社や歴史のことに関しては、そのことを素直に受け止めることができるのに、ほかのことだと、なかなかそう思えないのが人間なんだなと思います。
でも、やはり神社を巡っていると、時々、そのことを思わされ、自分の心に言い聞かせている自分がいます。
今年、一月、神社を巡り始めて7年、初めて、佐久奈度神社(さくなどじんじゃ)に参拝しました。
瀬織津姫のことを知り、ずっとそのことが源となり神社を巡り、歴史を調べてきた私ですが、ここへ行くまでに7年近くかかりました。
でも、今回のタイミングでここに行ったこと、それもやはりとても深い意味があり、やっぱり今でないといけなかったんだと、痛感しています。
琵琶湖から流れる水が、瀬田川となり、信楽川と合流 し、摂津へと向かう。
そしてその水は、やがて海へと流れて行く。
佐久奈度神社(さくなどじんじゃ)
祭神:
瀬織津姫
速秋津姫
気吹戸主
速佐須良姫
天智天皇の祈願により、中臣金が祓戸の神を祀ったことが始まり。
「大祓詞」がつくられた場所でもあり、祓戸大神が誕生した所でもあります。
日本中の罪や穢れを洗い流してくれる神。
瀬織津姫は、祓いの神として世の中にその名前を残すことになりました。
しかし各地で、さまざまな姿で祀られ、謎の女神と呼ばれ、今では多くの人がその名前を知ることとなりました。
大祓詞が、どうしてここでつくられたとされるのか、どうしてその祓戸神がここに祀られているのか。
その意味がずっと私にもわかりませんでした。
しかし、今回この場所を訪れたこと、そしてある人と出会ったこと、その二つで、これまでどうしてもわからなかったその謎を解くことができました。
そして、今年、ここで新しい御札ができていました。
1月1日から販売し始めたという、祓戸大神の御札です。
遠くまで行くことはめったにないことなので、今年ここに来られたことに、この御札を見た時あらためて感謝しました。
仕事も、生き方も、物事の見方も…
でも、何より、命、心、繋がりについて深く考えるようになりました。
瀬織津姫のことを知るためには、そして歴史を知るためには、この三つのことがわからなければ決してたどり着くことはできません。
そしてこの三つのことは、私たちが生きる上でも、一番重要なこと。
瀬織津姫と向きあいながら、自分と向き合い、瀬織津姫に近づきながら、自分の心に近づいていく。
素直な気持ちで、邪念を捨て、ある時は身を任せ、受け入れ、ある時は悩み、それでも、素直に心に向き合う。
焦らず、今目の前にあることに真剣に向き合う。
そうすると次が自然に見えてくる。
それは、自我ではなく、誰かのため、世の中のためになることで、それを叶えることで、自分の望みが叶うという、
一願成就の願い。
全ては繋がっていて、それは自分の身の回りのいる人だけでなく、地球に存在するもの全てと繋がっているという感覚を、本当に感じることができるようになった時、人は、これまでとは全く違う願いが生まれてくると私は思うのです。
瀬織津姫を知ること、歴史を知るということは、それを思い出すこと、それを感じることができるようになることと同じ。
あれから7年たち、今少しづつそのことを、直接お話する機会を与えていただけるようになりました。
瀬織津姫という名前でさえ、今言われている、その姿さえ、何かに囚われているからそう思うんだと、これからは伝えていければと思っています。
大三島で始まった、歴史講座は、これまで歴史に全く興味を持ったことのない地元の女性が大半です。
これまで住んでいても、考えることがなかった方々が、大三島の方々が、みんな言ったこと、それは『大三島に対する見方、考え方が変わった』ということでした。
心が変われば、見えるものも変わる。
それをたった一日で体験していました。
自分自身でそれを気づいてなかったとしても、それを繰り返してくると、ある時必ずはっとさせられる時がくるはず。
私自身がそうだったように。
たった一つの命。
そして必ず、終わりの時がくる命。
しかし、その命は何らかの形で必ず次の命に繋がっている。
また、そうやって自分も繋がれた命。
歴史とは、本当の歴史がわかって初めて意味があるものになると私は思います。
そして本当の歴史とは、その本質を知ることに意味があると。
佐久奈度神社もまた、その繋がりを教えてくれている大切な神社です。