美しい越智(しまなみ)の海。日本遺産村上海賊の能島村上家
2017年 01月 08日
今日は、村上海賊のお話。
昨年4月、日本遺産になった、村上海賊のストーリー。
中世、この瀬戸内の海に、日本最大の海賊がいたことをご存知でしょうか。
河野水軍もその一つですが、ここ、しまなみ海道が通る海を取り締まっていたのが、村上海賊です。
村上海賊には三つの家があります。
今治市大島宮窪と拠点とした『能島村上海賊』。
今治市来島を拠点とした『来島村上海賊』。
尾道市因島を拠点とした『因島村上海賊』。
海賊と聞けば、海外のパイレーツを思い浮かべる方が多いと思いますが、日本に中世いた海賊は、
海の警護や、道先案内人としての役割をしていました。
戦いの多かった時代なので、海を知り尽くした海賊たちが海での戦いに出陣していたため、悪いイメージがありますが、
ここしまなみの海は、潮をよめる人がいないと通れないほどの激しい潮流が流れる海。
ここを通る時に、安全に通れるようにと、通行料をもらい、海の警護をしていました。
それが、海賊です。
その中でも、日本最大の海賊と呼ばれたのが、ここ、能島に城を構えていた、能島村上家です。
ここは普段あがることができませんが、現在不定期ですが、上陸できる船も出ています。
先日、私も初めてこの島へと上陸しました。
想像以上に島の中は綺麗で広く、ここに海賊たちの城があったと思うと、なんだか不思議な気持ちになりました。
ここから見る景色は、私もとても新鮮で、とても美しかったです。
村上海賊は、長野からやってきたとされていますが、ここにも源氏が関わっています。
越智氏も河野氏も、そして村上海賊も、源氏との繋がりがとても強いのです。
また、村上海賊は河野氏とも繋がりが強く、特に、来島村上海賊は、河野氏の娘と結婚しています。
また、大浜八幡大神社の社殿を作ったのも、この来島村上家です。
4月のツアーでは、越智の海も船に乗ってみんなで周遊できたらいいな~。
詳しくは
おち.com~越智氏の縁 をご覧ください。