10年目を迎えるにあたって『三皇神社』
2017年 04月 25日
桜も散り初夏の気配が漂ってきました。
もうすぐ初めて瀬織津姫を知ってから、丸9年が経ちます。
そして10年目に入ります。
10年経ってみれば、本当にあっという間で、最初何もわからずただ好奇心いっぱいで、
神社を巡っていたことを思い出します。
ここ2年ほど忙しく、あまり神社やお寺に行くことがなくなっていました。
その間に、いろんな本や資料を読み、またここ2年でいろんなことがわかりました。
ネット上に載せてしまうと、その一部分だけを切り取って解釈されてしまうので、
書くことはできませんが、
また、今年は少し時間を見つけて神社やお寺へ行ってみようと思っています。
そして10年目の節目に、
何か残しておきたいなと思います。
そのためにも、神社やお寺を巡って行くことにしました。
ブログにも、また神社の紹介などをしていきたいなと思っています。
先日、久しぶりに四国中央市へ行ってきました。
今回行ったのは、『三皇神社』。
ここは、四国中央市の東、妻鳥町にあります。
伊予温故録によると、
景行天皇の皇子、ヤマトタケルが筑紫の熊襲を平定の途次、この森に仮泊したと伝えられます。
そして崩御のとき、神霊が白鳥と化して天くだり、此の森に留まったので、その遺跡に社殿を建立し、佐遠の森の皇太神と称えたと言います。
ヤマトタケルが白鳥になって飛んでいったと言うお話はご存知かと思いますが、
ここではその白鳥が飛んできたことになっています。
境内も広く、歴史を感じる神社です。
またここには、狸の伝説もあります。
三皇神社と菊間の狸は仲がよく、最後はここに移り住んだと伝わります。
また、ここの狸は三兄弟で、その兄弟は新居浜と徳島にいると。
この三兄弟の共通点は?
と考えると、なんとなく見えてくるものがあります。
伝承や伝説は、一見ただの作り話のようにも思えますが、
その奥を見ると現実の世界での何かが組み込まれていることが多々あります。
それは、この物語を作った人の心が、物語の中に入っているからなのです。
その時代の思考や物事の見方や考え方、そして、その時代におこったことが、
物語を作らせるから。
一つひとつ、深くその意味を調べていくと、必ずいつか点と点が結ばれる時がくる。
私はそう思っています。
時間はとてもかかりますが、現代の私たちが知るためには、
書かれた文章をただ読むだけでなく、
その時代の思考に自分が合わせられるようになること、そしてその人の心になることなのだと…。
先日、越智氏の末裔の皆さんが集まって思ったことは、
1000年以上時が超えても、遺伝子の中に何か共通なものが残っていて、
それに気づきたいと、受け継がれた何かが反応しているのだと。
もうずっと前、神社に行き始めた頃、路上で全く私のことを知らない人に、絵を書いていただいたことがあるのですが、
その時その色紙に絵と一緒に書かれた言葉。
「本当はもう気づいているはず。心の声に耳を傾けなさい」
その心の声とは、こんな感じのことを言うのかなと、少しわかってきました。
私がここまで、歴史にのめりこんでしまったのは、きっと遺伝子の中の何かが、
強力に反応したのかもと。
それは今でも同じ。今もおさまることはありません。
今、日本だけでなく世界が大きく揺れていますが、
これからよりよい未来は作るためにも、多くの人が歴史を知り、これからどういう選択をしたらいいのかを
考える時なのだと思います。
今現れている現象は、今急に始まったことではなく繋がっていることを知って欲しいと思います。
全ては繋がっている。
地球上全てのものと、過去も今も、命は全てが繋がっているということを。