こんばんは。
今日は、久しぶりになんだか気持ちがモヤモヤ。
何がモヤモヤって。
昨日から今日にかけて嫌なものを立て続けにみせられ、
どうにもならないことをわかっていながら、考えずにはいられなくなった。
こんな時は、ここに書くことが一番なのかな。とそんな気がするので、
今日は神社のお話はお休みして、書きたいと思います。
昨日、インターネットのニュースに書かれれていた
意識調査で、
20歳~30歳くらいの人を対象にした
「何のために仕事をしますか?」 という調査がありました。
その答えの 1位が、
「お金のため」 でした。
思ったとおりの結果というか、これが今の若い人々だけではなく、
ほとんどの人の考えなんだなと痛感。
そして、今日だったか、昨日だったか、
やはりネットの記事で、
「経営者がやめてもらいたいと思う世代になぜか40代が多い」という記事。
その理由が、
「会社に将来がない、自分に利益がないと考え始めた40代が、
働くなった。」 という記事でした。
この二つの記事には、ある共通点があります。
それは、人が何のために働き、何のために努力をするのかという
根本的な考え方です。
この二つの記事を見た後、
偶然にも、学校で一枚のプリントを配られ、この文章を読んで
感想文を書いてくださいと言われました。
そのプリントの題名が
「努力と発展」
そして、その中に、とても私の心の中に突き刺さる言葉がありました。
ゆとり教育について書かれてあった中に、
「人は苦しみがあるから努力が生まれる」 という言葉でした。
私は決してゆとり教育がいいとは思いません。
でも、苦しみの中でないと努力が生まれないというような書きかたに、
疑問を感じたのです。
一見、別々の内容に思えるこの3点ですが、
私の中では、全て同じことに繋がります。
それが、「人はなぜ仕事をするのか。人はなぜ努力をするのか。」という
根本的考えです。
子供の時から、いい学校に入るために勉強をさせられ、
それは、いい大学に入り、いい会社に入り、安定した給料を得て、裕福な生活をするためだと
教え込まれてきました。
その結果が、今のような世の中です。
自分の利益や、自分の生活が豊かになるために、
勉強をし、働くという思想を植え付けられてきた結果が、
今の世の中です。
20代、お金のために働き始めた若者たち、
でも今のような世の中になり、給料はだんだん減り、いつ仕事がなくなるかもわからないと
いう不安を抱きながら生活している40代の人たち。
40代の大人たちは、今まで何のためにあんなに苦労して勉強して、
なんのために今まで必死で働いてきたのか
その意味が全くわからなくなってしまったのではないでしょうか。
そして、最後の文章の作者は、
苦しみがあるからこそ努力するのが人間なのだと、
さも、苦しむことを前提にして努力という言葉を美化しています。
ここにもまた、「努力」 とは、どんな時に本当の意味を発揮するのかということを
忘れてしまっています。
確かに、人は困難にぶち当たった時、それを乗り越えようと努力しようとする。
でも、今の時代のように、自分の努力では解決できない問題が
山づみしていると、これまでのような考えをしてきた人々は
その努力する意味さえも失ってしまうことに
そろそろ気づいてはどうかと、思ってしまったのです。
人は何のために努力してきたのでしょう?
人は何のために働くのでしょう?
この本質が全くわからなくなってしまったから、
今のような世の中になってしまったのではないのでしょうか?
お金のため、会社を大きくするため、地位を守るため、
利益をえるため。。。。。。。。
今の世の中は、それぞれがそれぞれの立場で、
自分のためだけに、働き、努力をしてきた結果が今の世の中をつくり、
世の中に希望が見えなくなった今、
とうとう努力することすら、どうでもいいことになりつつある。
私が神社に行き始めて一番強く思うことは、
人は、自分のために生きているのではないということです。
家族のために生きることはもちろんですが、人は見えない所で
もっと多くの人と繋がり、地球上に存在するさまざまな自然や生き物と
目に見えないところで、繋がっていて、私たちはそれぞれが、
その命のために生き、そしてお互いがお互いを助け合いながら生きていると
いうことです。
それは仕事も同じ。
私たちが仕事をするのは、誰かの役にたつからです。
それは決して大きなことばかりではありません。
日常の小さなことを全て、人の手を借りなければ生きていくことはできず
それぞれが、それぞれの役目を果たさなければ、
あっという間に、人間の社会なんて、なりたたなくなってしまうのです。
例えば、たった一回の食事をとるのにも
どれだけ多くの人の手がかかわっているか考えたことがあるのでしょうか。
食べ物を作ってくれる農家の方はもちろんのこと、
食物を育てるために必要な、雨、太陽、土などの自然から始まり、
田畑を耕すものをつくってくれている人、
肥料をつくる人、農家の人が一粒のお米を作るだけでも、
数えきれない目に見えない人々が後ろにいます。
そして、それはやがて市場へと出ますが、
そこでもまた多くの人がかかわり、多くのものが必要になります。
お米を入れる袋や、運ぶ車、もうあげればきりがないほどの人々が
それぞれの会社で作り提供しているのです。
私たちは、スーパーに行けば、なんでもあっというまにそろえることができますが、
一つのスーパーに売られている商品の向こうに
いったいどれかでの人々がかかわっているか考えたことがあるでしょうか。
私たちは、一人で生きていけるなんて、思っているかもしれませんが、
自分一人で、全てのことをするということは、
今のような便利な世の中からは、無縁の世界です。
また、自然の恵みさえも、否定するならば、もう生きていくことは
不可能でしょう。
私たちが働くということは、
だれかのために役にたつために働くということが、原点にあるのだと
私は思います。
それが、 「一願成就 (自分の願いが叶うことで多くの人が幸せになれること)」
また、「努力」 とは、本来は、苦しみがなくても
それぞれの心の中で自然に湧き出してくるものでなければいけないのだと思うのです。
苦しみから立ち上がるために湧き出る努力とは別に、
自分に与えられたこの世での役目
(それは、今目の前にやるべきこと。) が、だれかのために役にたちたいと思い、
それを少しでもよい方向にするために、努力したいと思う気持ちから
生まれてくるものであり、
また、今自分のしていることが、何かの役にたてればと思うからこそ
湧き出る気持ちが、「努力」 という ことではないかと思うのです。
大人が、その気持ちを無くしてしまっているから、
子供も同じようになってしまう。
そして、その子供たちが大人になった今、 働く意味がわかなくなってしまったのではないでしょうか。
相変わらず、政治も経済も、
お金が一番、 目先の利益や、それぞれの思惑、権力を振りかざし、
地位を維持するために懸命にもがいているとしか、
私には見えません。
それは日本だけに限らず、世界中の先進国で同じような状態に
陥り、失業者が増え、暴動が起こり、貧困の差はますます激しくなり、
不満だけが増え続ける一方で、子供たちはどんどん減り続ける。
こんな世の中になってしまったのは、
人の心に問題があるように思えてならないのです。
まずは、そのことに気付かなければ、
どんなにもがいても、これ以上よくなるどころか
ますます、悪い方向へと行ってしまうと私は思います。
今日のテレビタックルで、
最後に言った一人の老人のことばが、その全てを物語っているように思います。
「自分の立場でものを言うのではなく、
自分本位に考えるのでもなく、もっと国全体のことを考えてほしい。」
私たちが今しなければいけないのは、
こころの変革ではないでしょうか。。。。。。
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