カテゴリ:県外編( 24 )

8年目の節目に行った所

こんばんは。

ご無沙汰しています。
今年もあと、二カ月ですね。

今年で、神社を巡り始めてから丸8年が過ぎました。

『7』はいろんな意味での節目とされていますが、本当に不思議と女神と出会って神社を巡るようになって、歴史を研究し始め、昨年9月、ちょうど7年で新しい7年がスタートしたように、今は以前と一見全く違うことを毎日一生懸命考えています。

それでも寝る前になると、歴史のことを考えないことはなく、わずかな時間ですが相変わらず、1000年以上も頭の中は遡っています。

今は、外から見ると、全く違うことをしているように思うかもしれません。

でも私の中では、これまでの延長線上に今があると思っています。

神社やお寺を巡りながら、いろんなことに気づかされ、いろんなことを学びました。

歴史は、過去の人たちの心が作り出したもので、人間の考え方や価値観が変わると、世の中も同じように変わってしまうことを学びました。

世の中を変えたいと思ったら、心を変えるしかない、価値観を変えるしかないと言うこともわかりました。

表面的なものをいくら変えても、何かを間違っていると指摘しても、多くの人の心の中は、これまでの常識やそう思うことが正しいと思い込んでいる思考に染まり、それによって形成された価値観が間違っていると気づかないまま過ごしています。心が変わらなければ、何も変わることはないと言うことに気づいてから、私が今するべきことは何なのかをずっと考えてきました。

「自分だけは違う」そう思っていても、今の世の中で、一人だけ本当にそう思えることができるのだろうかと、自分に問いかけながら日々を過ごしています。

自然も動物も人も、この世に存在するものは全て繋がっていて、自分の目の前にあるものや、見えるものや関係するものだけで成り立っているものではないということが、頭ではなく知識としてでもなく、心の底からそれを感じ、理解できなければ、人間の欲や自我に負けてしまう。

それくらい、難しい世の中になっていると思います。


今は、自分がたどり着いた答えと思いの軸からずれないということを、いつも確認しながら、今目の前にあるものを、一つひとつ進んでいくことだけを考えています。

そうすることが唯一、本当にたどり着きたい所へと行く方法だと信じ…


東北の震災以降、急激に瀬織津姫の名前が広がり、神様に興味を持つ人や、古事記に興味を持つ人が多くなってきたと感じます。

インターネットの中には、それについての沢山の情報が溢れ、いろんな考え方が溢れています。

何を信じ、何を求めるかは自由。

でも、一つだけ。

インターネットの中には、本当の答えはどこにもありません。

空海が密教を日本を持ち帰ってから、その真髄は途絶えてしまったと言われるように、そんなに簡単に、誰かが書いたものから答えを得ることはできません。

また正確な答えもありません。

自分自身の心を突き詰めていくことと同じように、表面的なものだけを追いかけてもたどり着くことはなく、本当の歴史にもたどりつくこともなく、もしたどり着いたとしても、本当に大事な所にたどりつくためには、自分でたどり着くしか方法がないと私は思っています。


それに、本当のことは、そう簡単には書くことはできません。

全てが繋がっているように、いろんなものをつなげて一つひとつ、全てが繋がるように、神話も伝承も自分が出した答えに繋がるかを、検証し、それでも間違いないと思う所まで突き詰めていく必要があるのではないでしょうか。

断片的に、繋がっていると思っていても、世の中には沢山神話や伝承があり、時代によっても、その書かれ方は違います。

それでも、全ては繋がっているならきっと繋がるはずだと私は思っています。


もちろん書かれたことそのものでは、繋がることはありません。

でも、書いた人の心がわかれば、全てはその奥で繋がると。

書いた人の心なんてわからない。

そう思うかもしれません。でも、文章は人の心が書かせる。
特に神話や伝承は、人の心が書かせていると私は思います。

心を見ることができなければ、書かれたことの裏側にどんなことがあるのかを見ることはできません。

それしか、神話を解くことはできないと思います。

だから、書いていることを全て信じることはとても怖いことだと私は思います。

なぜかと言うと、その意味が少し違うだけで、その先の自分自身の思考も変化してしまうからです。
それが強くなればなるほど、どんどん本当にたどり着かなければいけない所から外れてしまうからです。

いつでも引き返せるように、いつでも方向転換できるように、常に本当にこれでいいのだろうか。
疑問に思う心は、どこかにもっていながら、進んで行って欲しいと思います。

これは、今の世の中にも言えることで、常に疑問に思う心を持つこと、反発や批判をするのではなく、よりよき方向にいくためには、本当にこれでいいのかと思う、純粋な気持ちをいつも持っていてほしいなと思います。


心が変われば、かならず現実の世界も変わります。
価値観が変われば、現実の世界も変わります。

今、世の中が変わらないのは、心が何かに縛られているから。
今までの価値観が当たり前だと思っているから。

周りの価値観や常識にとらわれて、自分が不幸だと思うことも同じ。

どんな人も、この世に生まれた意味があり、役目があり、誰も必要ない人なんて本当はいないということ。

誰かと比べるのではなく、お金や地位や職業に対する今の価値観が、あたりまえだと思わず、自分にしかない役目をすることが、一番素晴らしいことで、一番素敵なことなんだと思って欲しいと心から思います。

命を大切にしてほしい。

時間を大切にしてほしい。

ただただそう思います。


丸8年を迎えた誕生日、本当に偶然に、以前から一度は行きたいと思っていた福井に行く仕事ができ、行ってきました。

仕事が終わり、行った場所は、今治の『越智』と繋がる、福井県のお寺。


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越知山(おちやま) 大谷寺

白山信仰が始まった最初の山だとされる、越知山。

8年目の誕生日にまさかここに自分がいるとは想像もしていませんでした。

お寺に着き、本堂でお参りしようと思い近づくと、中に沢山の人がいました。

邪魔になってはいけないと、お参りしてすぐ帰ろうとした時、奥様らしき方が、どうぞ中へお入りくださいとおしゃってくれました。

でも、私はこの辺りの人間ではないので、檀家さんと間違われたのかもしれないと思い、どうしようかと迷っていると、住職さんも、お話の途中に私たちの方を向いて、中へとおっしゃってくださった。

最後に住職さんが、私たちの方を向いて、
「このお二人はとても徳のあるお二人です。ご先祖さまは、こんな風に導かれるのです。」

そうおっしゃった。

なぜ、ご先祖さまに導かれたのかとおしゃったのかその時はわかりませんでしたが、
後で聞くと、普通は秘仏で見ることができない仏さまを、この日だけは特別に見れるようにしていたからでした。

どんなに偉い方が来ても開けることはない扉を、この日だけは特別に開けていたのです。


私は、仏さまにお会いできたことももちろんとても嬉しかったのですが、それよりもこうやって、何度も何度も偶然の出来事があるたびに、私は負けそうになる心を持ち直し、前に進むことができたことを思い出し、改めてご先祖さまに感謝し、今していることをこのまましていくことが、私の今できることなんだと思うことができました。


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今目の前にある状況を受け入れ、その中で自分ができる精一杯のことをすること。
それが一番の近道だとやっぱり今でも思います。

焦ることはなく、誰かと比べることもなく、価値観に惑わされることはなく、今自分がしていることが今の自分には一番大切なことで、次へ繋がるための道なんだと心から信じることで、今がとても幸せに感じることができると思います。

人は生まれた時から、命には限りがあり、次の命へ繋がる一つとなっていつかこの世を去る日がくる。

子供がいる人もいない人も、みんな次の命へ繋ぐ一人。


命を大切に。

時間を大切に。



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by ldc_nikki | 2016-11-03 01:23 | 県外編 | Trackback | Comments(7)

こんばんは。
お久しぶりです。

先日、読者の方にお会いし、なかなかブログを書く時間がないのですが、
やっぱり、書かないといけないなと思い、久し振りに神社のお話をさせていただきます。

時がくれば…

ブログの中でも何度も書いてきたこの言葉、神社や歴史のことに関しては、そのことを素直に受け止めることができるのに、ほかのことだと、なかなかそう思えないのが人間なんだなと思います。

でも、やはり神社を巡っていると、時々、そのことを思わされ、自分の心に言い聞かせている自分がいます。

今年、一月、神社を巡り始めて7年、初めて、佐久奈度神社(さくなどじんじゃ)に参拝しました。
瀬織津姫のことを知り、ずっとそのことが源となり神社を巡り、歴史を調べてきた私ですが、ここへ行くまでに7年近くかかりました。

でも、今回のタイミングでここに行ったこと、それもやはりとても深い意味があり、やっぱり今でないといけなかったんだと、痛感しています。

琵琶湖から流れる水が、瀬田川となり、信楽川と合流 し、摂津へと向かう。
そしてその水は、やがて海へと流れて行く。

佐久奈度神社(さくなどじんじゃ)
祭神:
瀬織津姫
速秋津姫
気吹戸主
速佐須良姫

天智天皇の祈願により、中臣金が祓戸の神を祀ったことが始まり。
「大祓詞」がつくられた場所でもあり、祓戸大神が誕生した所でもあります。
日本中の罪や穢れを洗い流してくれる神。

瀬織津姫は、祓いの神として世の中にその名前を残すことになりました。
しかし各地で、さまざまな姿で祀られ、謎の女神と呼ばれ、今では多くの人がその名前を知ることとなりました。

大祓詞が、どうしてここでつくられたとされるのか、どうしてその祓戸神がここに祀られているのか。

その意味がずっと私にもわかりませんでした。
しかし、今回この場所を訪れたこと、そしてある人と出会ったこと、その二つで、これまでどうしてもわからなかったその謎を解くことができました。

そして、今年、ここで新しい御札ができていました。
1月1日から販売し始めたという、祓戸大神の御札です。





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遠くまで行くことはめったにないことなので、今年ここに来られたことに、この御札を見た時あらためて感謝しました。
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瀬織津姫と出会って、私はいろんなことが変わりました。
仕事も、生き方も、物事の見方も…
でも、何より、命、心、繋がりについて深く考えるようになりました。

瀬織津姫のことを知るためには、そして歴史を知るためには、この三つのことがわからなければ決してたどり着くことはできません。

そしてこの三つのことは、私たちが生きる上でも、一番重要なこと。

瀬織津姫と向きあいながら、自分と向き合い、瀬織津姫に近づきながら、自分の心に近づいていく。

素直な気持ちで、邪念を捨て、ある時は身を任せ、受け入れ、ある時は悩み、それでも、素直に心に向き合う。

焦らず、今目の前にあることに真剣に向き合う。

そうすると次が自然に見えてくる。
それは、自我ではなく、誰かのため、世の中のためになることで、それを叶えることで、自分の望みが叶うという、
一願成就の願い。

全ては繋がっていて、それは自分の身の回りのいる人だけでなく、地球に存在するもの全てと繋がっているという感覚を、本当に感じることができるようになった時、人は、これまでとは全く違う願いが生まれてくると私は思うのです。

瀬織津姫を知ること、歴史を知るということは、それを思い出すこと、それを感じることができるようになることと同じ。

あれから7年たち、今少しづつそのことを、直接お話する機会を与えていただけるようになりました。

瀬織津姫という名前でさえ、今言われている、その姿さえ、何かに囚われているからそう思うんだと、これからは伝えていければと思っています。

大三島で始まった、歴史講座は、これまで歴史に全く興味を持ったことのない地元の女性が大半です。

これまで住んでいても、考えることがなかった方々が、大三島の方々が、みんな言ったこと、それは『大三島に対する見方、考え方が変わった』ということでした。

心が変われば、見えるものも変わる。
それをたった一日で体験していました。

自分自身でそれを気づいてなかったとしても、それを繰り返してくると、ある時必ずはっとさせられる時がくるはず。

私自身がそうだったように。

たった一つの命。
そして必ず、終わりの時がくる命。
しかし、その命は何らかの形で必ず次の命に繋がっている。
また、そうやって自分も繋がれた命。

歴史とは、本当の歴史がわかって初めて意味があるものになると私は思います。

そして本当の歴史とは、その本質を知ることに意味があると。

佐久奈度神社もまた、その繋がりを教えてくれている大切な神社です。
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  • by ldc_nikki | 2015-05-05 01:22 | 県外編 | Trackback | Comments(0)

    こんばんは。
    お久しぶりです。

    先日、読者の方にお会いし、なかなかブログを書く時間がないのですが、
    やっぱり、書かないといけないなと思い、久し振りに神社のお話をさせていただきます。

    時がくれば…

    ブログの中でも何度も書いてきたこの言葉、神社や歴史のことに関しては、そのことを素直に受け止めることができるのに、ほかのことだと、なかなかそう思えないのが人間なんだなと思います。

    でも、やはり神社を巡っていると、時々、そのことを思わされ、自分の心に言い聞かせている自分がいます。

    今年、一月、神社を巡り始めて7年、初めて、佐久奈度神社(さくなどじんじゃ)に参拝しました。
    瀬織津姫のことを知り、ずっとそのことが源となり神社を巡り、歴史を調べてきた私ですが、ここへ行くまでに7年近くかかりました。

    でも、今回のタイミングでここに行ったこと、それもやはりとても深い意味があり、やっぱり今でないといけなかったんだと、痛感しています。

    琵琶湖から流れる水が、瀬田川となり、信楽川と合流 し、摂津へと向かう。
    そしてその水は、やがて海へと流れて行く。

    佐久奈度神社(さくなどじんじゃ)
    祭神:
    瀬織津姫
    速秋津姫
    気吹戸主
    速佐須良姫

    天智天皇の祈願により、中臣金が祓戸の神を祀ったことが始まり。
    「大祓詞」がつくられた場所でもあり、祓戸大神が誕生した所でもあります。
    日本中の罪や穢れを洗い流してくれる神。

    瀬織津姫は、祓いの神として世の中にその名前を残すことになりました。
    しかし各地で、さまざまな姿で祀られ、謎の女神と呼ばれ、今では多くの人がその名前を知ることとなりました。

    大祓詞が、どうしてここでつくられたとされるのか、どうしてその祓戸神がここに祀られているのか。

    その意味がずっと私にもわかりませんでした。
    しかし、今回この場所を訪れたこと、そしてある人と出会ったこと、その二つで、これまでどうしてもわからなかったその謎を解くことができました。

    そして、今年、ここで新しい御札ができていました。
    1月1日から販売し始めたという、祓戸大神の御札です。





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    遠くまで行くことはめったにないことなので、今年ここに来られたことに、この御札を見た時あらためて感謝しました。
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    瀬織津姫と出会って、私はいろんなことが変わりました。
    仕事も、生き方も、物事の見方も…
    でも、何より、命、心、繋がりについて深く考えるようになりました。

    瀬織津姫のことを知るためには、そして歴史を知るためには、この三つのことがわからなければ決してたどり着くことはできません。

    そしてこの三つのことは、私たちが生きる上でも、一番重要なこと。

    瀬織津姫と向きあいながら、自分と向き合い、瀬織津姫に近づきながら、自分の心に近づいていく。

    素直な気持ちで、邪念を捨て、ある時は身を任せ、受け入れ、ある時は悩み、それでも、素直に心に向き合う。

    焦らず、今目の前にあることに真剣に向き合う。

    そうすると次が自然に見えてくる。
    それは、自我ではなく、誰かのため、世の中のためになることで、それを叶えることで、自分の望みが叶うという、
    一願成就の願い。

    全ては繋がっていて、それは自分の身の回りのいる人だけでなく、地球に存在するもの全てと繋がっているという感覚を、本当に感じることができるようになった時、人は、これまでとは全く違う願いが生まれてくると私は思うのです。

    瀬織津姫を知ること、歴史を知るということは、それを思い出すこと、それを感じることができるようになることと同じ。

    あれから7年たち、今少しづつそのことを、直接お話する機会を与えていただけるようになりました。

    瀬織津姫という名前でさえ、今言われている、その姿さえ、何かに囚われているからそう思うんだと、これからは伝えていければと思っています。

    大三島で始まった、歴史講座は、これまで歴史に全く興味を持ったことのない地元の女性が大半です。

    これまで住んでいても、考えることがなかった方々が、大三島の方々が、みんな言ったこと、それは『大三島に対する見方、考え方が変わった』ということでした。

    心が変われば、見えるものも変わる。
    それをたった一日で体験していました。

    自分自身でそれを気づいてなかったとしても、それを繰り返してくると、ある時必ずはっとさせられる時がくるはず。

    私自身がそうだったように。

    たった一つの命。
    そして必ず、終わりの時がくる命。
    しかし、その命は何らかの形で必ず次の命に繋がっている。
    また、そうやって自分も繋がれた命。

    歴史とは、本当の歴史がわかって初めて意味があるものになると私は思います。

    そして本当の歴史とは、その本質を知ることに意味があると。

    佐久奈度神社もまた、その繋がりを教えてくれている大切な神社です。
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  • by ldc_nikki | 2015-05-05 01:22 | 県外編 | Trackback | Comments(0)

    こんばんは。

    写真展のことで、いつまで開催しているのでしょうか。
    というお問い合わせを沢山いただいき
    本当にありがとうございます。

    写真展は、まだしばらく開催しています。

    仕事が少し落ち着いたら、
    写真も少し入れ替えようかと考えています。

    またロビーに大型テレビ?が置いてあるのですが、
    もう少ししたらそこで、
    愛姫伝のビデオを流そうかと考えています。

    私がこれまで行ったさまざまな場所を
    音楽と映像で流します。

    近々始めたいと思いますので、
    始まりましたら、またお知らせしたいと思います。

    私の考える歴史は、
    これまでの歴史を研究してきた方とは少し違うので、
    なかなか受けいれられないかなと思っていました。

    でも、神社を巡り始めてもうすぐ
    6年。

    少しづつ、私の考える世界に興味をもってくださる方が増えてきました。
    本当にうれしいです。

    現実は、人の心がつくりだした世界。
    そんなことを、よく耳にする時代になりました。

    でもそれが一番よくわかるのは歴史だと
    私は思います。

    古代の歴史を理解するためには、
    「心」がみえなければならない。
    同じものでも、人によって見方、考え方違う。
    それは古代に書かれたものを読めばよくわかります。

    それが理解できるようになると、
    いろんなことが、嘘のように見えてきます。
    今までどんなにしても解けなかった謎も、
    次々とその姿が見えてきます。

    もちろん、すべてがわかったわけではありません。
    まだまだわからないことはたくさんあります。

    でも、一つづつ、一つづつ、
    焦らず、本質を見抜いていくと、いつかきっと、
    今まで見えなかった歴史が、表にあらわれてくると信じています。

    私は最近思うことがあります。

    歴史は隠された、封印されたと言われますが、
    私は、封印したのは、
    人の心そのものなんじゃないかと。

    私たちの心は、自分で自分を封印してしまっているのだと。。

    見えるものも見えないのは、
    常識や、人の意見に惑わされ、
    自分で見ようとしていないからではないかと。

    私が、他の人と違うものが見えているとしたら
    それは誰の意見にも惑わされず、
    自分で一つ一つ、見ようとしたからかもしれません。

    歴史を見ることは、自分の心の奥底へ入っていくことと同じこと。
    今自分がいる現状は、自分の心がつくりだしてきた結果で、
    誰のせいでもなく、自分のせい。
    自分の心が思っていること、さまざまな場面で行動を選択し、
    その選択が積み重なって、今日という日をつくりあげていく。

    歴史の中で、もし間違ったことをしてしまっていたなら、
    それが元で、世の中が間違った方向へと進んでしまったのなら、
    それは、その方向へと進ませた心がなんだったのかを知るひつようがある。

    「瀬織津姫」という存在は、
    そんな人間の心が選んだ世界、進んだ世界に翻弄された存在。

    そして、それは封印されたのでもなく、
    消されたのでもなく、
    本当は、今も私たち一人一人の中に生き続け、
    今、この瞬間も私たちが生きているこの命に繋がっている。

    それを封印しているのは、
    それを消しているのは、
    私たち一人一人の「心」だということを
    私は、いつかきちんと説明できるようになりたいと思います。

    そして、それを誰よりも強く感じ、強く思い、
    形として残そうとしたのが、空海なのだと私は思います。
    瀬織津姫という呼び名にも
    今は違和感がありますが、
    「瀬織津姫」の本質を、空海は誰よりも大事に思い、
    誰よりもそれを後世に伝え、残そうとしたのだと私は思います。

    四国八十八ヶ所は、
    その本質にたどり着くための、修行の場。

    愛媛が菩提の霊場と呼ばれるのも、
    その本質を見るために通らなければならない場所。

    それを見るためには、自分の心と向き合い、
    心の奥底に誰もが持っている「仏」に出会わなければいけない。

    それに出会うことができれば、
    瀬織津姫の本質、心の底からその意味にも出会うことができると思います。

    四国八十八ヶ所が、
    本当はそういう場所だということも、
    きっと今の時代では、誰ひとりとして信じる人はいないかもしれません。

    でも、いつか、それがわかってもらえる日がくることを信じ、
    私は私の命がつきるその日まで、
    一つでも多くの謎を解いていきたいと思います。

    いつか、それが必要となる日を信じて、
    日本中の場所を訪れ、一つでも多くの謎に向き合っていきたいと思います。
    多くの人が残した伝説や伝承に向き合っていきたいと思います。



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    愛姫伝神社・お寺・観光マップ
    by ldc_nikki | 2014-05-28 01:48 | 県外編 | Trackback | Comments(0)

    出雲

    こんばんは。
    ブログを更新した途端、多くの方々がブログにアクセスしてくださり、とても驚いています。

    こんな私のブログを読んでくださっている皆様
    本当にありがとうございます。
    暫く更新していなかったのに、
    まだ、忘れず見てくださり感激しています。

    今日の愛媛は朝から雨。
    真夏のような暑さから一転、少し寒いくらいでした。

    先日、神社を巡り初めて三回目の出雲へ行ってきました。
    今年は伊勢と出雲が同時に遷宮される年。
    60年に一度の大遷宮が行われた出雲は、多くの人が訪れていました。

    今回どれだけまわれるかわからないけど、
    できるだけ沢山まわってこようと、朝5時に愛媛を出発し、
    8時過ぎには出雲へ着き、計11か所。

    いつものように、現地へ着くまで、どこに行くか決めず、
    行ってから目についた看板や、思いついた場所へと足を運ぶ。
    すると不思議と今必要な所へと連れて行ってくれる。

    今回私が行ったのは、
    出雲大社と繋がる大事な場所でした。
    行ってみて初めてわかること。
    その場所に立ってみないとわからないことがある。

    そして、ずっと後一歩まできているのに、その意味が解けなかったことが
    やっとわかりました。
    大事な大事な、言葉の意味。

    どうやって女神は、その姿を変えられてしまったのか。
    どうして女神は、表の世界から消えてしまったのか。
    出雲の地は、やはりそのことが鮮明にわかる土地でした。

    今回行ったほとんどの場所が行ってから思いついたところだったのすが、
    行く前からどうしても行きたい場所が、出雲大社ともう一つありました。

    それは
    「荒神谷遺跡」

    去年から神社やお寺以外にも、考古学にも触れ始め、実際に出てくるものと、
    伝承や伝説を照らし合わせていく作業をしています。

    そんな中、どうしても行ってみたかった場所の一つが
    ここ荒神谷遺跡です。
    日本で見つかった銅剣の数よりも多い銅剣が
    一度に見つかった場所。

    銅剣、銅矛、銅鐸は、
    歴史の流れを見るためにどうしても外せないものです。
    これらはこれまで同じ場所で違い種類が見つかることもありましたが、
    大きくわけて三つの分けることができていました。
    しかし、この荒神谷遺跡が発見されてから、その考えが違うのではないかと言われ始めました。

    銅剣は瀬戸内海沿岸に多く、主に四国、中国地方で見つかっています。
    しかし、どうしてここ出雲に、三百以上の銅剣が同じ場所に埋められていたのか、
    多くの謎を秘めています。

    愛媛で銅剣の見つかっている場所にはある共通点があり、
    その場所がどんな場所だったのかこの共通点でその姿が見えてきます。
    しかし、考古学を研究している方には私の見えているものは見えないかもしれません。
    というのが、もう何十年も愛媛の考古学を研究している人に、
    ほんの少し私の考えを伝えたことがあるのですが、
    そんなに簡単に分けることはできないと、あっさり否定されてしまいました。
    だから今はそれを少しでもはっきりさせていこうと、
    考古学の勉強を始め遺跡や古墳にも足を運ぶようになったのです。

    荒神谷遺跡には、立派な博物館があり、
    本物ではありませんが、どのように埋まっていたかを見ることができます。
    土の中に埋まっていた多くの銅剣や銅矛、銅鐸。
    その姿を見た瞬間、その光景に釘づけになりしばらくその場から動くことができませんでした。
    今から2000年近く前、ここで生きた人々が何かを思い何かを誓い、この場所に埋めた。
    そんな人々の生きた証がここにある。そう思うだけで、
    人々の声や、人々の息遣いが、私の体に伝わってくるような気がして、
    なぜか涙が出てきました。

    数か月前、
    徳島のある場所を訪れた時も、この地で、歴史に関わる重要なことが起こった
    そう思うだけで、胸が締め付けられる想いがしました。

    もう何年も、1300年以上も前のことを、毎日毎日朝から晩まで考えているからでしょうか、
    私の心の中は、いつも1300年以上も前の時代が隣あわせにあります。
    まるでつい昨日のことのように、、まるでその時代にいつでもタイムスリップできるかのように、
    私の体は半分向こうの世界にいるのかもしれないと、遺跡や女神に関係する場所に立つと
    思います。

    出雲と愛媛は繋がっている。
    もちろん女神で。

    宍道湖の周りは愛媛そっくり。
    古代の人々も、私と同じようにあの景色を見て思ったかもしれない。
    愛媛と出雲。
    違うところと言えば、海の色や空気の色。
    まるで光と影のように、海の色や空気の色が違うと感じるのは私だけかもしれませんが。。。。

    ここにも私には女神の姿があります。
    ここにいた人々は、どんな生活をして、どんな会話をして、暮らしていたのでしょう。
    家族を想い、自然に感謝し、平和を願い、祈りを捧げる。

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    愛姫伝神社・お寺・観光マップ
    by ldc_nikki | 2013-06-21 00:30 | 県外編 | Trackback | Comments(3)

    神戸 六甲比女神社

    こんばんは。
    寒い日が続きますが、皆様風などひいていませんでしょうか?

    私は、神社に行き始めてから本当に元気で、
    熱が一度も出たことがなく、本当に感謝です。
    やっぱり健康が一番ですね。
    心と体は繋がっているといいます。
    心が落ち着けば、心が豊かになれば、病気も追い払うことができるのかもしれません。

    いつも、笑顔で。
    いつも、感謝の心で。

    心がけたいです。

    さて、先週末、神戸に行ってまいりました。
    無事写真展も終わり、無事パーティーを終えることができました。

    遠くからわざわざ来てくださったみなさま、
    また、私のお話を熱心に聞いてくださったみなさま、
    そして、素敵な歌声、素敵な演奏を聞かせていただき
    心から感謝の気持ちを伝えたいと思います。

    本当に、本当に、ありがとうございました。

    そして、一日前の土曜日に、神戸につき、
    念願の、六甲へと行くことができました。

    こんなに早く、六甲へ行くことができると夢にも思っていなかったので、
    本当に感激でした。
    また、とてもわかりにく場所なので、一人では行くことができないかもしれないと思っていたところ、
    ご案内してくださる方が現れ、無事、女神さまが祀られるところまで、
    たどり着くことができました。

    神戸で今回一番感じたことは、
    役行者が、神戸では姫を守っていると思っているということ。
    以前、知人から聞いてはいたのですが、ここまでだとは思ってもいませんでした。

    愛媛県石鎚は、姫を封印し、蔵王権現が現れ、天狗の住む山になってしまった。
    女神を封印した場所は、
    瓶が森。(亀の森)
    そしてそれよりも、標高の高い場所に、天狗。
    女神の力を自分の中に取り入れ、新たな強力な力を生み出した。
    それが、蔵王権現の姿として現れた。

    女神の力を自分の中に入れることができたのは、
    自分の中にも、女神の血が流れていたから。 月を飲み込んで生んだ母。
    月の力を持つ特別な力を持つ人間。
    鬼を従え、鬼を自由に操る。
    日本中の、霊山に天狗の名前が今も残るこの現実が、ある意味私にはとても怖い。

    空海が、初めてダムをつくったあの、
    日本一のため池  満濃池ダムに住む龍は、天狗にさらわれ比叡山へと連れて行かれます。

    まだまだ他にもある、天狗と役行者の伝説。

    改めて、もう一度整理していかないといけないかなと思っています。

    今回神戸に行ってまた、奇跡のような出会いがありました。
    ずっとずっと思っていたことが、また一つ現実になりそうです。
    少しづつ少しづつですが、
    次への場所へ導いてくださっていると、深く感じることができる神戸の旅となりました。

    それも六甲に祀られる女神さまのおかげだと
    心から感謝しています。

    六甲比女神社は、六甲山のほぼ頂上付近にあります。
    この看板がたてられているところから、山へと入っていきます。

    e0165472_0463075.jpg


    数日寒かったので、
    雪がまだ残る中、それでも、女神さまが向こうにいると思うと
    寒いことも忘れてしまいます。

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    少し行くと、
    熊野権現と書かれた石碑があります。
    お供えのペットボトルの中に水が凍ってる。
    でも、そんな光景さえここではとても神秘的な姿に見えます。

    e0165472_0504036.jpg


    六甲の山には、こんな磐座が沢山あります。
    太古の昔から、多くの人に信仰された山であることがわかります。
    e0165472_051967.jpg


    熊野は、黄泉の国の一つとも言われるように、
    女神が黄泉の国の女神とされてしまったところ。
    熊野権現もまた、女神の変えられた一つの姿です。

    更に少し歩いていくと、
    また、大きな磐があります。

    この磐は、法道仙人がここで修行中、紫の雲にのった毘沙門天が
    現れたところ。

    四天王の一尊に数えられる武神 毘沙門天。
    梵名: ヴァイシュラヴァナ

    毘沙門天は、インド神話の財宝神クベーラを前身とする仏。
    梵名、「ヴァイシュラヴァナ」は、神の息子という意味。

    邪鬼と呼ばれる鬼の上にのっている姿で、よく見られます。
    仏の住む世界を支える須弥山の北方、水精埵の天敬城に住み、
    また、古代インドの世界観で地球上にあるとされた4つの大陸のうち
    北倶盧洲(ほっくるしゅう)を守護すると言われます。

    鬼を配下にもつ、北方の武神。
    どうしてここに現れたのか、その意味が毘沙門天の意味から読み取れることができます。

    また、六甲姫神社を陰とするならば、ここは陽になるといいます。
    対称的な二つの場所。
    本来ならば、六甲姫神社が陽であり、ここは陰になるはず。
    鬼を従える毘沙門天が現れ、
    女神を鬼にしたのでしょうか。。。。

    e0165472_0573298.jpg


    そして瀬織津姫の神社へ近づいた時、
    氷柱を発見。
    岩から流れ落ちる水が、まっすぐその形を保ったまま姿を現している氷柱を見ていると

    「私はここにいます」

    と私たちに、言っているかのようにも私には思えます。

    e0165472_0593656.jpg


    そして、瀬織津姫の神社を通りすぎまずは、そこから降りて行ったところにある

    「心経岩」

    般若心経が書かれた磐座には、
    役行者の一族の名前が刻まれていると言います。

    e0165472_11143.jpg


    e0165472_113876.jpg


    そして、女神さまを祀る磐座を下から見ました。
    まるでウサギの形をしているかのように見える磐座。
    これは偶然、ウサギに似た形になったのでしょうか・・・

    e0165472_125330.jpg



    いよいよ、瀬織津姫が祀られているところへ。
    e0165472_13324.jpg


    社の裏へまわると、
    二つの磐がまるでトンネルをつくるかのように、
    おかれてあります。

    その光景を見た時、
    まるで、ここは女神さまの中へと入る入口のように感じました。
    産道です。

    この先は本当は、女神の胎内。
    全ての根源の場所。
    しかし、それを一方では黄泉の国の入口とも言いました。
    女神が黄泉の国の女神にされてしまったせいです。

    女神には
    三つの姿があり、それは、少女、母、老婆。
    女性の三つの姿が、老婆を飛び越え、黄泉の国の姿に変えられてしまったのです。

    女神の子宮とは、
    生命を誕生させる所でもあり、この世を去った人たちが戻る場所でもある。
    女神の中へ戻った人々は、ここでまた新しい生命をいただきこの世へと誕生してくる。
    そんな考えが、いつの日が、子宮は黄泉の国とされてしまったのです。

    命は、誕生と死を繰り返す。
    そのどちらもあるからこそ「命」。 
    どちらか一方だけでは、命は繋がっていかない。
    今、必要なことは、根源の女神の姿をもう一度表へと出すことなのではないかと
    月日がたてばたつほど、強く思うようになりました。

    e0165472_1153699.jpg



    命は繋がっています。
    過去も未来も、自然も動物も、月も太陽も、そして宇宙も・・・・。
    そしてどの命も、比べることなどできない。
    どの命も必要なものだと私は思います。

    それを教えてくれたのが、
    女神さまです。


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    by ldc_nikki | 2013-01-31 01:19 | 県外編 | Trackback | Comments(3)

    こんばんは。

    今日は、県外の神社のお話です。

    ゴールデンウィークに、岡山県の蒜山に行ってきました。
    この日は、子供たちがメインだったため、
    神社を巡るというわけにはいかなかったのですが、
    蒜山に行くなら、一か所だけどうしても行ってみたいところがあったので、
    子供たちの了解を得、なんとか行くことができました。

    広い草原が広がる、蒜山高原。
    ゴールデンウィークも、多くの観光客でにぎわっていました。
    しかし、蒜山高原の牧場やレジャー施設とは反対側へ行くと、
    車の数もぐっと少なくなり、その雰囲気はまったく違います。

    神社の近くにハーブ園がありますが、
    それでも、神社の方へと入ると、そこは別世界でした。

    神社へと続く桜並木の入口には、
    日本一大きいと言われる石の鳥居があります。
    そこから続く桜並木を通り、神社へと入っていきました。

    ここは、各地に残る高天原伝説の一つ、

    茅部神社です。

    高天原(たかあまはら)とは、古事記の中に記される、
    天津神(あまつかみ)が住むとされる場所です。

    伊弉諾が黄泉の国から逃げ帰った後、禊をして多くの神々が誕生しますが、
    その最後に、伊邪那岐命の左目から
    天照皇大神が誕生し、そしてその右目から月読が誕生し、その鼻からスサノオ命が
    誕生します。

    そして、天照皇大神は、高天原を治めるように命じられるのです。

    その天照皇大神が治めるとされる場所が、
    「高天原」 です。

    少し余談になりますが、この誕生された順番が、その力の意味を物語っているます。

    神道では、左が始まりまた上であり、右が終わりであり下である。

    太陽の神は始まりの神で、月読は終わりの神というわけです。

    また物事には全て陰と陽があり、陰陽の考えかたから、
    太陽は陽で、月は陰とされています。
    そして、物事は全て、男と女、すなわち、陽と陰で成り立っているため、
    天照皇大神が女となると、月読は男とならなけばならないため、
    本来ならば、月は女神の住む場所にも関わらず、
    古事記では、男とされてしまっているのです。

    でも、よ~く考えると、もうこの時点で、
    とても矛盾していることがよくわかります。

    陽=男 ではあれば 太陽=陽=男でなければなりません。

    にも関わらず、 太陽=陽=女 となっているのです。

    そして、 月=陰=男 というわけです。

    この部分だけ、陽を女とし、陰を男としたのは、
    以前もお話したように、天照皇大神が女でなければいけない理由が、
    神と人間が一つになることにあります。

    日本書記では、月読についての書かれ方がさまざまで、
    古事記とはまた違うものになっていますが、このお話は、またの機会にお話したいと思います。

    話は、高天原のに戻りますが、
    各地に高天原の伝説が残りますが、その代表的な場所と言えば、
    やはり、宮崎県の宮崎県高千穂町です。

    その他、奈良県御所市、熊本県山都町、そして、
    徳島県の神山や剣山一体も高天原と呼ばれる一つです。

    そして、今日ご紹介する岡山県、蒜山。
    ここにも、天の岩戸と呼ばれる岩があり、
    ここに鎮座する神社、茅部神社の側には、真名井の滝と呼ばれる滝もあります。

    各地に、高天原に繋がる地名が残されていることから、
    それぞれの地で、本当はここが高天原だったのではないかと言われているのです。

    しかし、本来高天原と呼ばれるようになった理由は、
    それぞれの地で、少しその意味あいが違うように思います。

    その多くは、ここに祀られていた神こそが、
    本来の天津神であったからではないかと思います。
    そしてその場所は、その地方の人々にとっても、特に重要な姫を祀る場所だった場所。

    ここ、蒜山もその一つだと思います。

    しかし、宮崎と徳島だけは、ほんの少し意味が違います。

    本来の神が祀られていた場所には変わりないのですが、
    宮崎は、ある一族が天降った最初の場所であり、
    徳島は、新しい世の中の始まりが、そこにあったからです。

    蒜山は、岡山県と鳥取県との境目に位置し、
    まだその詳細ははっきりとしていませんが、
    この蒜山から鳥取県へと向かう道が、因幡街道と呼ばれることが、
    一つの古代のルートを表しているような気がしています。

    今回は、天の岩戸と呼ばれる岩、そして真名井の滝までは行くことができませんでしたが、
    その入口でもある、この茅部神社は、
    想像以上に、神秘的な姫を想像させる神社でした。

    境内に入る鳥居の前に立ったとたん、
    子供たちまでが、歓声を上げるほど、この日は神々しい雰囲気が漂い、
    私も思わず息をのむほどの光景でした。

    この神社の御神体の一つとも言える滝が、
    真名井の滝と呼ばれることが、姫のいたことを伝えています。

    *茅部神社
    *岡山県真庭市蒜山西
    *祭神 天照大神 御年神 他二十一柱
    *境内社 
      ・足王神社 
      祭神 足名槌命 手名槌命 天兒屋根命 倉稲魂命
      ・荒魂神社
      祭神 素盞鳴命
     
    日本一大きい石の鳥居
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    桜並木の参道
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    拝殿
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    本殿
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    この道を登ると天の岩戸へ。
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    そして反対側にも、山へと入る道があり
    そこには、鳥居が建てられてありました。
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    この鳥居の向こうには何かあるのでしょう。
    案内板も何もなかったので、わかりませんでした。
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    そしてこの鳥居のすぐ側にある
    境内社 荒魂神社。
    この小さな社が一番、気になる場所でした。
    ここに祀られる祭神は、スサノオ命。

    でもなぜか、ここに姫がいるような気がしました。
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    大草原が広がる蒜山。
    ここにもまだまだ知られていない歴史が沢山眠っていることでしょう。
    いつかここに祀られて姫が、どうしていなくなってしまったのか。
    その真実の姿を見ることができますように。

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    by ldc_nikki | 2012-06-14 23:59 | 県外編 | Trackback | Comments(0)

    こんばんは。

    今日は、いよいよ今回の岡山の旅の最終日です。

    朝から、休憩もせず、ご飯も食べずめいいっぱい回った今回の岡山の旅。
    どの神社も、とても素晴らしい神社でした。
    そして、どこも姫に繋がる大切な神社でした。
    最後にご紹介する今日の神社も、
    1800年の歴史をもつ、姫と神宮皇后の跡が残る、
    とても大切な神社です。

    ここ両児神社は、
    今から約1800年前、現在の地から北へ数キロほど行った、
    高鳥居山北方50メートル余りの宮所という地に建立されました。

    第14代仲哀天皇の皇后である神功皇后は九州の熊襲が叛いたため
    九州に下られ熊襲を討たれました。
    そしてその後、神功皇后は、亡き仲哀天皇の意志を継ぎ
    再度九州へと戦いに行かれます。

    これが、今にいう三韓征伐です。

    しかし、ここ岡山の神社に伝わる伝承は、日本書紀に書かれてあることとは
    少し違います。
    今回最初に訪れた牛窓でも、神功皇后は、朝鮮半島に行ったのではなく、
    西の国(九州)に行ったと書かれてあります。

    また、ここ両児神社に伝わる伝承では、
    神宮皇后は
    新羅が熊襲の背後にあってこれを援けている事を見抜き、
    武内宿禰と共に大勢の海軍をひきいて出兵し、
    新羅は降伏し帰国されたた書かれてあります。

    やはり、神功皇后が戦った相手とは、
    日本にいる 「新羅」
    朝鮮半島へは行っていませんでした。

    もちろんどちらが本当のことか、
    それを証明するものはどちらもありません。
    でも、私はどちらかと言えば、この岡山に伝わる伝承の方に近いのでは
    ないかと思います。

    神宮皇后の伝承そのものも、一人の女性のお話ではありませんが、
    それだけでなく、三韓征伐自体もなかったものだと
    思います。

    この時、神功皇后のお腹の中には、
    後に応神天皇となる御子が宿っていました。
    福岡県筑前国槽屋郡蚊田の産屋にて皇子を出産され、
    共に都へと帰る途中、
    船路をここ二子の地に寄せられ
    熊襲、新羅戦勝の奉賽と皇子のご安泰を神に祈念されました。

    そして皇后は、
    御太刀、鏑矢、朕懐石(筑前国深江村にて朕石を採取し守石として懐中した石、
    又肥前国浦上村にて採取し皇后妊身の為安産の守石として懐中した石)を奉納されたといいます。

    大昔、
    現在この両児神社が鎮座されるあたりは海で、
    海に浮かぶ3つの小島からなっていといいます。

    特に中の島(現在川崎医科大学付属病院)の頂上に霊地があり、
    伝説によると二子の高鳥居山にある二子宮から毎夜不思議な神光が
    松島の霊地に向かって海を渡っていました。

    人々はこれは二子宮から松島の地に渡らせ給う印であろうと考えました。
    第48代称徳天皇の御代神託により現在の地に遷座されたといいます。

    今から1800年前と言えば、
    ちょうど卑弥呼の時代です。

    この時代、本当に日本であったことはなんだったのでしょうか。

    神宮皇后、そして卑弥呼、
    そして、一説には、孝霊天皇や、倭迹迹日百襲媛命、
    また吉備津彦や小千命も、この時代に生きた人物とされます。

    もしかしたら、その時代一つの舞台になった場所が
    ここ岡山だったのかもしれません。

    *両児神社(フタゴジンジャ)
    *倉敷市松島943
    *祭神
     伊邪那岐命
     伊邪那美命
     天照大神
     月夜見大神
     品陀和氣命

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    拝殿
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    本殿
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    境内には沢山の境内社がありました。
    その中で、神功皇后が奉納された宝物を
    御神体とした社があります。

    「御太刀神社」です。

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    今年の秋、
    ここ岡山で写真展をさせていただく予定です。

    今年初めて松山でさせて頂き、
    夏には、今治で。
    そして、その次が岡山となったことにも
    なんだか不思議なご縁を感じています。

    小千家の祖は、ニギハヤヒであり、
    孝霊天皇でもある。

    ここ岡山の吉備津彦、本名 彦五十狭芹彦命も
    倭迹迹日百襲姫命の父も 孝霊天皇。

    越智家の祖 彦狭嶋命と、吉備津彦は兄弟。
    それが、何を意味するのか、
    これからまだまだ調べていかなければいけないと思います。

    今日は、久しぶりに、
    愛姫伝の動画を、載せたいと思います。

    「神々を巡る伊予の旅」 




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    by ldc_nikki | 2012-05-15 23:20 | 県外編 | Trackback | Comments(0)

    こんばんは。
    昨日は久しぶりに内子、中山へ行ってきました。

    最初に行った神社は、
    姫を祀っていただろう神社。 

    国道から少し入ると、そこは人気のない山の中。

    小さな神社でしたが、
    そこは、透き通った空気が漂う神域でした。

    やっぱりここは姫が祀られている。そう思った時、
    後ろから す~っと私たちの横を何かが通りすぎていきました。

    「あ!蝶!」

    そうなんです。 今年初めての カラスアゲハ。

    姫の神社へ行くと必ずと言っていいほど現れる 黒い大きなアゲハ蝶。

    冬の間は出てくることがなかく、少し寂しかったのですが、
    やっと現れてくれました!

    アゲハ蝶は、そのまます~っと本殿の方へと向かい、
    本殿の回りを数周回ったあと、元きた方向へ帰っていきました。

    蝶なんてどこにでもいるよ!と言われそうですが、
    私たちは、それでもこの黒い蝶は他の蝶と違う気がするのです。
    まるで私たちにその姿を確認してもらうように、必ず、すぐ側飛んでいき、
    時々は目の前で止まってくれたり、身体にとまりそうになったり、
    道案内をしてくれたり。 ほんとに不思議なんですよ。

    昨日も参拝を終え、帰ろうとすると、また鳥居を出る前に、
    まるで挨拶をするかのように目の前に飛んできて、くる~と廻って飛んで行きました。

    そして、松山へ帰ってきて、ほんとは行く予定ではなかったのですが、
    少し時間があり、椿神社へ。
    椿神社の姫の場所は、正面の拝殿のすぐ横にある磐の上に鎮座する
    奏者社。

    姫にご挨拶をして磐の側を歩いていると、
    ここでも、前からす~っと、黒いアゲハが現れたのです。
    拝殿でも本殿でもなく、やっぱり現れた場所は、姫の場所でした。

    そして、昨日まるで姫が導いてくださったかのように、
    ちょうど私たちが椿神社で、アゲハを見たあの時間、
    私のところに一通のメールが入っていました。

    それは、大三島の姫の魂が今も残る一つの神社のすぐ近くにある
    大きな鳥居の目の前に住んでいる方からのメールでした。
    ずっと気になっていたあの大きな鳥居の目の前がご実家だという方からのメールは
    私にとって、とても心強く、有難いものでした。

    何でも結び付けて。。。
    と言われる方もいますが、私はそれでも信じたいと思います。

    それでは、今日の神社です。
    岡山の旅のお話も残りわずかとなってきました。

    今回ご紹介する神社は、
    先日ご紹介した吉備津彦神社がある、吉備中山の北西の麓に北面して鎮座する
    元、吉備国の総鎮守

    「吉備津神社」です。

    ここに祀られる御祭神も、大吉備津彦命です。

    代孝霊天皇の皇子で、
    四道将軍の一人として山陽道に派遣され、
    弟の若日子建吉備津彦命と協力して吉備を平定したと伝わる、
    桃太郎のモデルとなった皇子です。

    先日も少しお話しましたが、
    この吉備津彦命、別名「彦五十狭芹彦命(ひこいさせりびこのみこと」は、
    大山祇神社の歴史にも登場する、とても重要な皇子です。

    時代は、紀元前88年、勅命により
    大彦命を北陸道に、武渟川別を東海道に、
    吉備津彦を西道に、丹波道主命を丹波(山陰道)に
    将軍として遣わし、従わないものを討伐させたと伝わる
    四道将軍の一人です。

    吉備津彦は吉備中山の麓に茅葺宮を造って住み、
    281歳で亡くなって、この神社が鎮座する中山山頂に葬られたと伝わります。

    しかし、この年代を含め、
    この伝承にはどうしても繋がらないことがあります。

    この謎がまだはっきりと答えることができません。
    なんとなく、私の中では見えてきているのですが、
    確信にいたるものがまだ出てきていないのです。

    もし、このことが私の中ではっきりと繋がれば、
    越智家が孝霊天皇を祖とする意味や、丹波は吉備、そして北陸の姿、
    また丹波に祀られる姫の意味や、因幡の白兎の伝説、
    天の橋立や、籠神社に伝わる、天女の伝説や、
    豊受大神がなぜ、籠神社から、伊勢へと行ったのかということにも
    繋がってくるのではないかと思っています。

    また、先日私が行った、あの岡山県と鳥取県の境目、
    「蒜山」 の山の中が高天原と呼ばれることになったことにも
    繋がるのだと思います。

    この吉備津神社から、806年に勧請されたという神社が、
    広島県福山市にあります。
    備後国吉備津宮と呼ばれるこの神社には、
    一遍上人が訪れており、
    姫のことを熊野で知った一遍上人が訪れたと言われる、
    とても重要な神社です。

    どうして一遍上人は、
    岡山の吉備津神社には行かず、福山の吉備津神社へと行ったのか。
    その理由もまた、ここ岡山の吉備津神社にあるのだと思います。

    ここ、岡山の吉備津神社には、
    境外に出されてはいるものの、瀬織津姫が祀られています。

    *吉備津神社
    *岡山市北区吉備津931
    *祭神
      大吉備津彦命
    *相殿
    御友別命(みともわけのみこと)
    仲彦命(なかつひこのみこと)
    千々速比売命(ちちはやひめのみこと)
    倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)
    日子刺肩別命(ひこさすかたわけのみこと)
    倭迹迹日稚屋媛命(やまとととひわかやひめのみこと)
    彦寤間命(ひこさめまのみこと)
    若日子建吉備津日子命(わかひこたけきびつひこのみこと)

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    境内は、思った以上に広く全てに行くことはできませんでした。
    もう一度行かないといけない場所なのだと
    思っています。


    むかしむかし。
    異国よりこの吉備国に空をとんでやってきた者がおりました。
    一説には百済の皇子で名を温羅(うら)といい、目は狼のように爛々と 輝き、
    髪は赤々と燃えるが如く、
    そして身長は一丈四尺にもおよび腕力は人並みはずれて強く、
    性格は荒々しく凶悪そのものでありました。
    温羅は新山に城を築 き都へ向かう船や婦女子を襲っていたので、
    人々は温羅の居城を鬼の城と呼び恐れおののいていました。
    都の朝廷もこれを憂い名のある武将を遣わして討伐しよ うとしましたが、
    すばしこく変幻自在の温羅を誰も討伐できず都に逃げ帰る有り様でありました。
    そこで武勇の誉れ高い五十狭芹彦命が派遣されることになりま した。

    大軍を率いて吉備国に下って来られた命は吉備の中山に陣を敷き、
    片岡山に石盾を築き戦いの準備をしました。
    ついに命は温羅と戦うことになりましたが、
    不思議なことに命が射た矢と温羅が投げた石が悉く空中で衝突し
    海に落ちてしまい苦戦を強いられることとなります。

    そこで命は考えをめぐらし一度に二矢を射ることができる強弓を準備させ、
    一度に二つの矢を射ることにしました。
    すると、一つの矢はいつものように海に 落ちてしまいますが、
    もう一つの矢はみごとに温羅の左目に突き刺さりました。
    温羅は驚愕し雉に姿を変え山中に逃げますが、
    命はたちまち鷹となって追いかけ ます。

    温羅は命に捕まりそうになると、今度は鯉に姿を変え、
    自分の左目から迸った血で川となった血吸川に逃げ込みます。
    命は鵜に変化し血吸川を逃げる温羅 を見つけ噛み上げついに
    捕まえることに成功します。

    捕まった温羅は命に降参して、
    人民から呼ばれていた吉備冠者を命に献上したので、
    これ以降命は吉備津彦 命と呼ばれることとなりました。』

    これが、一説には桃太郎の原型とも言われるお話ですが、
    このお話を素直に読み取ると、鬼は「百済からやってきた皇子」
    とすれば、このお話の起源は、大和が姫を封印したことと全く逆になります。

    それなのに、さも大和朝廷側の皇子が鬼を退治したことになっています。

    私は、このお話は本当は、封印された側、
    越智家や物部氏が、百済の皇子と戦ったお話を、
    まるで、自分たちが鬼を退治したかのようにすり替えたのではないかと
    思うのです。

    そのすり替えた時に、本来の名、彦五十狭芹彦命を吉備津彦に変えたのだと思うのです。

    ここで行われた戦いは、
    姫が封印された時代の戦いではなく、もっと昔、全く違う時代の話です。
    その偉業を自分たちのものとしたかっただけなのではないかと思います。

    だから、ここは姫を封印するさいの、舞台ではなかった。
    では、その舞台はどこかというと、
    それが牛窓から、西大寺一体です。

    だから、弘法大師も、一遍上人もここを訪れることはなかったのだと思うのです。

    ここにいた、彦五十狭芹彦命は、
    本来の倭の皇子。 その偉業だけを利用され、大和が行ったこととされてしまった
    吉備津の神として、瀬織津姫が封印されたように、その真の姿を封印されてしまったの
    ではないでしょうか。

    *矢置石
    吉備津彦命と温羅の戦において、
    命がこの石の上に矢を置いたことから矢置石とよばれるといいます。
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    北の入口からの参道
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    吉備津彦を祀る拝殿
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    本殿
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    一堂社 祭神:天鈿女命
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    岩山宮
    祭神:建日方別命(たけひかたわけのみこと)
    『古事記』の国生み神話において
    大八島国が生まれたのち、生まれた
    「吉備児島」の神です。
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    岩山宮へ行く途中にある
    「如法経塔」
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    岩山宮 
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    大山祇神社と同じように
    神池に祀られる 「宇賀神社」
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    神池のほとりには、しだれ桜がありました。
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    吉備津神社 南入口
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    この奥には、本宮社が鎮座し、
    父、孝霊天皇、母君の妃・倭国香媛および皇后の細媛命を祀っています。

    そして、この本宮社の背後に、
    瀬織津姫は祀られています。

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    次回は岡山の旅最後になります。
    神宮皇后の由来の神社です。




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    愛姫伝神社・お寺・観光マップ
    by ldc_nikki | 2012-05-14 23:02 | 県外編 | Trackback | Comments(0)

    こんにちは。

    昨日は、地元「今治城」の中にある、吹揚神社の春の御祭りでした。
    息子も、子供みこしに参加。
    朝から元気いっぱいに出かけて行きました。

    でも、街の中に御神輿がきても、人がほとんどいないし、
    年々寂しい御祭りになっている気がします。
    田舎の方では、氏子のみなさんが獅子を継承していき、
    春の御祭りは盛大に行われているのですが、
    街の方は、だんだんそういう風習もなくなってきているような気がします。

    昔は神社を中心に(氏子)一つのコミュニティーがあったけど、
    どんどん神社から人が離れて今は、神社に人が集まらなくなってきました。

    また昔のように、
    子供からお年寄りまで、神社で集える、そんな光景が見られるように
    なればいいな。と思います。

    今日のお話は、
    岡山県の旅、5日目。

    「はなぐり塚」です。

    ここは、前回ご紹介した 「吉備津彦神社」から「吉備津神社」へ行く途中にあります。

    時間があまりなかったので、中まで入ってはいないのですが、
    とても意味のある場所だと思いますので、
    お話させていただきたいと思います。

    「はなぐり」 

    この言葉を初めて耳にしたのは、
    大三島瀬戸の前の海が、「はなぐり瀬戸」と呼ばれているこで
    調べたことが、最初でした。

    大山祇神社の元社地の目の前は、
    船が簡単に前に進むことができないほど、潮流の速い場所。
    伯方島と大三島の間のその場所を

    「はなぐり瀬戸」 と呼んでいます。

    この名前の由来には、
    「この場所が、牛につけるはなぐりに似ていることから
    つけられた」 とあります。

    私はずっと、この場所の形が 「はなぐり」に似ていることから
    そう呼ばれはじめたのだと思っていたのですが、
    地図を見ても、そんなに形が似ているわけでもないのに
    変だな。。。と 思っていました。

    そしてわかったことがあります。
    この場所がはなぐりとよばれるようになったのは、
    牛に、人間のいうこときかすために、動けなくしたように、
    この時代、ここでも同じようなことがあったのだと。
    また、祇園まつりでしられるように、
    姫の魂が、牛頭天王(ごずてんのう)に習合され、
    病気を鎮めるために始まったように、
    姫の魂が、はなぐりで動けなくなった場所なのかもしれません。

    「はなぐり」 とは、
    牛の鼻にはめられる輪のことです。

    牛はある程度の大きさになると、鼻に麻酔なしで穴をあけられ、
    はなぐりと呼ばれる輪を通す。
    それは、人間の思い通りにならない牛をつなげておくためのもの。

    肉牛として生まれてきた牛は、
    まるで人間の食糧になるためだけに生まれてきたように、
    その一生を、人間のためだけに過ごすのです。

    ここ「はなぐり塚」には 、そんな牛たちのはなぐりが
    全国から送られきます。

    私たち人間のために生まれ、私たちの食糧となるために生き、
    その命を私たちの食べ物をなり、捧げてくれて牛たちの大恩に報いるため、
    死後残された鼻ぐりを牛の唯一の形見として集めて浄祭するために
    始まったと言われます。

    写真がないのがとても残念なのですが、
    この敷地の中には、
    全国から送られてきたはなぐりが、山のように積み上げられています。

    私たちは、そんな牛の命を、
    ありがたく頂いているでしょうか?

    大量消費。

    牛たちの気持ちになったら、
    私たち人間は、なんて残酷な生き物なんだろうと、
    思います。

    生きるためには、食べることは必要なこと。

    ライオンやトラなど、肉食動物たちも
    同じように命を奪い、生きている。
    でも、それは自分や家族に必要な分だけを頂き、
    必要以上の命を奪おうとはしない。

    それに比べ、人間は、
    必要かどうかもわからないのに、
    お金儲けのために、牛の命をどんどん奪っていく。

    私は、このはなぐり塚には、
    そんな人間に命を奪われた牛たちの形見が
    日本中から集まってきているのです。

    昭和初年に塚が建立されて以来、
    現在までにおさめられた鼻輪の数は六百八十万を超えるそうです。

    今でも毎年、数万個のはなぐりがこの塚に
    おさめられているといいます。

    今の世の中は、やっぱり何かが間違っている。
    人間が、その欲望をおさえることをせず、
    好き勝手に生きすぎていると思います。

    このはなぐりを見て
    そのことに気付いてくれる人が、一人も増えるといいなと
    思います。

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    by ldc_nikki | 2012-05-13 13:11 | 県外編 | Trackback | Comments(8)

    数あるブログの中からお越しいただきましてありがとうございます。 不思議な数々の出会いから、今は、愛媛の神社めぐりをしながら、神社や女神様そして、神話の神々の伝説を調べています。