カテゴリ:愛媛県松山市北条( 19 )

こんばんは。

この間の日曜日、念願の徳島県へと行ってきました。

普段の日曜日は、子供の用事で
どこか遠くまで行くことは無理なのですが、
珍しく、全てお休みになり、さらに子供はお爺ちゃんと釣りへ。

こんな日はめったにない。
ということで、急遽、ず~っと行きたかった神山へと行くことにしました。

目的の神社は、上一宮大栗神社。
ここだけは、必ず行くことに決め、後は行ってから考えようと思い、
その他の予定は全く考えず出発!

神山へと着いたのはお昼すぎ。
ご飯も食べず、ひたすら閃くままに、6箇所まわってきました。

何も考えずに行く方が、不思議と
意味のある場所に行くことができるし、出会いにも恵まれる。
本当に、心の赴くままに行くことが、大切だなと
神社に行き始めて思うようになりました。

今回ぜひとも叶えたかった、宮司さんとのお話。
後で徳島の方から聞いてびっくりしたのですが、
上一宮大栗神社の宮司さんは、
地元では、1000回行って2回会えればいい。と言われるほど、
なかなかお目にかかることが難しいとのこと。

そんな方と、初めて徳島へと行って会うことができ、
約1時間もお話ができました。

黄金の狐のお話を聞き、ぜひとも自分の耳で伺ってみたかった
神社の伝説。
まだまだ、伺いたいことは沢山ありましたが、
今回、また一つ確信にいたるとても大事な伝説を伺うことができました。

本当にいつもいつも思うことですが、
「時がくれば必ず行くことができる。」
それを実感した、今回の徳島入りでした。

徳島へ入るためには、
きっとそのための私自身の準備が必要だったのだと
改めて感じました。
あの黄金の伝説も一つ。
あのお話を知らずにもし徳島へ行っていたら、
今回の宮司さんとのお話も、実現していなかったかもしれません。
また、もしお会いしていたとしても、
大事なことを聞けなかったかもしれなません。

次の進むためには、
次に進むために必要なことをクリアしなければいけない。
間を飛ばしても、それは本当に進んだことにはならない。

そんなことを、神社に行き始めて教えていただいた気がします。

それは、神社に限らず、私たち人生においても同じことなのだと。

一日一日を大切にし、今できることを一生懸命していれば、
きっと次へと近づいていく。 決して、どんなことも無駄ではないことを、
神社は教えてくれました。

今回も、そんなことを強く思う徳島の旅となりました。

徳島のお話はまだ少し先になりますが、
今回の徳島のお話もさせていただきたいと思いますので、
しばらくお待ちくださいませ。

ただ、徳島については、
まだはっきりと全てをお話できないかもしれません。
だんだんと、とても繊細な問題へと入ってきたからです。

また、はっきりと全てが繋がるまでは、
間違っていることもあるかもしれません。

だから、少しづつ、少しづつ、
真実に近づいていけたらいいなと思っています。
そして、ブログをご覧の皆様も、
一緒に、考えて、一緒に前へと進んで行っていただければ
うれしいなと思います。

いつも書いていることですが、
歴史の真実を知ることは、誰かを非難するためでもなく、
何かを壊そうとするためでもなく、
その全てを否定するためでもありません。

過去があるから、今があり、今があるから未来がある。
その繋がりの真実を知ることは、私たちが今生きている意味を
知ることに繋がると思うのです。
そして、これからの未来に、何が必要かを知ることにも
繋がると私は信じています。

全てを受け入れてこそ、次へと本当の明日へと進むことができると
信じているからです。

そしてそれは、私たちそれぞれにも当てはまること。
今の自分を全て受け入れてこそ、次へと進むことができる。

それができないから、人を恨んだり、憎んだり、誰かのせいにしたり、
世の中のせいにしたりしてしまう。
また、真実を隠そうとするから、
何かにずっと怯えながら生きていかなければならないのだと思うのです。
その気持ちが、心のどこかに潜んでいる限り、
本当の幸せには繋がらないと。

また、今の世の中も、自分自身も、何が足らないのか、
何が間違っていたのかを知ることが、次への一歩に繋がると。

瀬織津姫の復活とは、瀬織津姫が封印されたことにより、
失ってしまった大事な心を取り戻すことなのだと、
私は思っています。

そして、それが新しい人の生き方へと繋がるのだと。

「倭が危機に陥った時、黄金の狐を呼び戻し倭を救う。」

大宜都比売が黄金の狐へと戻る時。
それは、まさに今の時代のことではなかと思えてなりません。

今日ご紹介する神社は、
以前にも一度ご紹介した、旧北条市の小さな島に鎮座する

「鹿島神社」 です。

もう一か月以上の、5月3日。
鹿島神社で春の御祭りがありました。

鹿島神社の春の御祭りは、
えひめの無形文化財にもなっている、
「櫂練」が行われます。

また、この次の日、鹿島の目の前にある小さな岩に結ばれた注連縄の
一年に一度の締め変えが行われます。

今日は、そんな鹿島の御祭りの様子を交えながら、
鹿島神社のお話をさせていただきます。

鹿島神社は、茨城県鹿島神宮と同じ
武甕槌大神を祀る神社です。

この島は、神功皇后が三韓征討に行く途中立ち寄り、
武甕槌神、経津主神を勧請奉斎した神社で戦勝と道中の安全を
祈願して出陣したと伝えられています。

また、ここにも鹿島神宮と同じ、
地震をおさえる石 「要石」が置かれてあります。
ここ北条の鹿島では、この要石は、地底にする大鯰の頭を押させているという
伝説が残っていますが、この大鯰とは、本来は龍のことだったと思われます。

古代、日本では、龍が日本の中に潜んでいる考えていました。

それは、姫にも繋がり、
日本という国は、本来姫によって守られた島だったのではないかと思います。

日本には、中央構造線という大きな断層がありますが、
この断層が 「龍脈」と考えられ、九州から四国を通り、紀伊半島、伊豆、
そしてその最北が、茨城県だと言われています。

茨城県の鹿島神宮に置かれた要石は、
この龍脈の頭の部分に置かれているのです。

四国八十八か所のお寺の中の伝説にも登場する 
「行基菩薩」が書いたと伝わる日本最古の地図があります。
その地図については、後日詳しくお話したいと思っていますが、
この地図は、西日本の周りを大蛇か龍のようなものが
まるで取り囲むように描かれています。

西日本は、龍の身体の中にすっぽりと入っていたのです。
(しかし、絵の中に書かれた龍はなぜか、頭と尾が切られています)

姫を封印し、地底へと封印してしまった後、
日本は次々と、地震がおきます。

それは、当時の人々にとっては、姫が地底から出ようと暴れている姿に思えたのでしょう。
また、姫が怒り狂い、地底の奥底で暴れていると考えたのでしょう。

だから、それをおさえるために
要石は置かれたのではないでしょうか。
日本の龍脈のその端に。

そして、姫のその中心があるとされていたこの愛媛にも、
同じように、その要石は置かれていました。
その場所は、河野家が誕生した北条の島に。

行基が書いたとされるこの絵図を見た時、
当時の人々が、日本をどのように見ていたがわかったような気がしました。

龍に囲まれた日本。
日本そのものが、龍によって守られた島、
それは、本来姫によって守られていた島だと認めていたのです。

本来その地図に描かれた龍は、
頭と尾が一つになり、まるで円を描くように輪になっていたのではないかと
言われています。

しかし、その絵の龍は、
その頭と尾を切り取られ、
輪は切り離されてしまいました。

それが最初から描かれていなかったのか、または後で切り取られたかは
まだわかっていません。

でも、切り取られた姿が
今の姿なのではないでしょうか。

地底に閉じ込められた龍(姫)を、水として地上へと出そうとした
弘法大師空海。
それが、各地に残る湧水を出す伝説なのだと、
この絵を見て改めてそう思いました。

*鹿島神社
*松山市北条辻1595

 「鹿島の櫂練」

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鹿島神社拝殿
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宮入
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そしてこれが、北条鹿島の要石

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by ldc_nikki | 2012-06-12 23:57 | 愛媛県松山市北条 | Trackback | Comments(6)

松尾神社と賀茂氏

こんばんは。

今日は満月で部分月食。
あいにく曇りで、月食を見ることはできませんでした。

先日玉川に住む知人からとっても素敵なお話を聞きました。

玉川に、マクロビオティックランチ&スイーツのとっても素敵なお店があります。
身体によいものを食べて頂きたいという、
オーナーの心のこもったお料理が、訪れる人々の心も身体も癒してくれます。

このお店の近くからは、
古くから多くの人々に愛されている、鈍川温泉や、
楢原山が見えます。

そして満月の夜、
その山々の上に現れる満月の光は、
まるで龍のように見えるそうです。

もしお天気が良ければ、
今日、見に行ってみようと思っていたのですが、
あいにく見ることができませんでした。

次の満月までのお楽しみです。

そのお話を聞いて、どうしてあの山に姫が祀られてたのか
その意味が少しわかったような気がしました。
そして、姫が祀られる山々の上には、
もしかしたら同じように、月の周りに光り輝く龍の姿を見ることができるのかもしれないと。


では、今日のお話です。

今日は、松山市 (旧北条市)に鎮座される

「松尾神社」 です。

松尾神社の本社は、京都市西京区嵐山にあります。

京都市の松尾神社の背後にある山には、
元あったとされる古社地があり、その山の山頂近くには、
磐座(いわくら)とされる、大きな巨石があるそうです。

いつごろから、ここに神が祀られるようになったかは定かではありませんが、
かなり古くから、この磐座を神と祀られていたと思います。

そしてその時の神とは、
私は、瀬織津姫だと思います。

しかし、ここも
封印されてしまいました。

それが、
701年、勅命により
秦忌寸都理(はたのいみきとり)が現在地に社殿を造営し、
山頂附近の磐座から神霊を移したとされるその時です。

年代も、ぴったりと当てはまる年。

701年とは、
大山祇神社の大造営が始まったとされる年。

多くの重要な姫を祀る神社は、この年の前後に
まるで合わせたように、新たに神社が建立されることとなります。

この松尾神社も、その中の一つです。

もうすぐ、旧暦4月22日。
この日が、大山祇神社が瀬戸から現在の宮浦へと正遷座された日と
言われますが、
大造営が始まった 701年から、正遷座されるまでに、
実に 18年の月日がかかっていました。

私は、これは大造営を行っていたのではなく、
この18年間は
日本中の姫のいる場所を変えていた時間、
また この間に古事記が書かれ、
本来都にいた人々は追いだされ、
新たな一族が移り住むための時間だったと考えています。

そして、その新たな一族とは、
徳島にいたと、考えています。

その新たな一族を助けた鴨(賀茂)族が、
この松尾神社を建立しました。

一般的に、この松尾神社は、
冒頭に書いた通り、「秦忌寸都理(はたのいみきとり)」と言われる

「秦氏」 が建立したと伝えられています。

しかし、実はこの 秦忌寸都理とは、
あの京都の稲荷神社総本社、伏見稲荷を創建した、

「秦伊侶具」と兄弟で、伏見稲荷のところでもお話したように、

どちらも 「養子」 として、秦氏の名前を名乗った

賀茂県主久治良(くじら)の子だったのです。

以前から、何度もお話しているように、

この 「鴨(賀茂)族」 が、姫の封印に大きく関わった氏族なのです。

愛媛県西条市の、秦氏の里と呼ばれるところに開基されたお寺も、
同じく、この鴨族が、養子で入り開基されていました。

愛媛県新居浜市の有名な 一宮神社も同じく、
鴨族からの養子により、新たな神社として創建されています。

愛媛県今治市も同じ、
越智家が住んでいたとされる場所のすぐ近くには、
鴨族が存在し、越智家は鴨族に吸収されていきました。

愛媛県西予市宇和町、
姫がいたとされる、あの四国八十八か所、明石寺の山のすぐ横には
鴨族が存在します。

これだけではありません。

姫が存在した場所には、必ずと言っていいほど、
鴨族が存在します。

皆さんの町にも、「鴨、賀茂、加茂」と名のつくところを思い出してみてください。

その地の側では、
姫の封印が行われていると思います。

松尾神社、伏見稲荷神社を創建した兄弟の父、

賀茂県主久治良(くじら)は、賀茂氏。

賀茂氏の祖神は、

八咫烏に化身して神武天皇を導いたとされる賀茂建角身命を始祖とする一族。

賀茂氏は、姫を封印し新たな大和をつくるために
助けた一族だったのです。

また、賀茂県主久治良は、
神ともされていて、神倭伊波礼毘古命といいます。

神武天皇が歌ったとされる歌の中にも
出てきます。

宇陀(うだ)の 高城(たかき)に
鴫罠(しぎわな)張る
我が待つや 鴫は障(さや)らず
いすくはし 鯨 障(さや)る

この内容からすると、
賀茂族のくじらは、神武天皇と出会い、
神武天皇側についたと考えられます。

本来は、姫を祀る一族に見方をする人々だったのかもしれません。
しかし、神武天皇を八咫烏となって先導し、
協力し、その力はくじらのごとく、大きなものになったということだと考えられます。

こうして、
賀茂族は、各地に散らばる賀茂族の力を使い、
次々、姫を祀る人々を倒していったのだと思います。

そしてその力を見せつけるかのように、
各地にその名前を地名につけ、川に名前をつけた、

その代表的な川が、
京都の加茂川だと思います。

松尾神社の祭祀を司る 「秦氏」 は、本来の秦氏ではなく、
賀茂氏。

そして、祭神は、

大山咋神と中津島姫命 (市杵島姫命)

大山咋神は、大山に杭を打つ神。

大山積神のもう一つの名前でもあります。

日本の総氏神「大山積神」は、三島の神、越智家の神とされるため、
同じ神を、賀茂氏の祀る神とすることはできなかったため、

同じくらいの意味を持つ、この 「大山咋神」を祀ったのだと思います。

同じくらいの意味を持つ神を祀ることのできたことは、
賀茂氏が
どれくらい影響を与えた一族だったかということが、
おかわりいただけると思います。

そして天照皇大神が日本の象徴の神とされる中で、

日本の総氏神とされた 「大山積神」を祀る
古事記の中にその名前を記されることもない
「越智家」 は、姫と同じようにその真実の姿を
封印されてしまった一族だったのです。

そして、719年 旧暦4月22日
大山祇神社を宮浦へと移した 越智玉澄もまた養子だったのでは
ないかと思っています。

とすれば、本来の 「越智家」はどこに行ってしまったのでしょう?

私の祖母や母が、私が小さいころから言っていた話は
本当だったのかもしれないと。

私の祖祖父は、どちらの越智だったのかはわかりませんが、
本当は大山祇神社の宮司の子孫だったと言っていた、
大三島で生まれた、祖祖父(越智)もまた、
何かを聞いて育ったのかもしれないと、そんな気がしています。

今は、この世にいない祖祖父なので、
もうその本当のことを聞くことはできませんが、
祖母が生きている間に、
祖母の父が、祖母に話していたことを、
ほんの少しでも聞くことができたこと、
今こうして、その軌跡をたどることができることも、
何かの縁なのかもしれないと思います。

*松尾社
*松山市中西外284
*大山昨命

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注連縄は反対でした。
この神社も本来は、逆の立場だったのでしょうか。。。

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神紋は三島

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この松尾神社は、三島の神紋ですが、
あの北条に鎮座する ニギハヤヒを祀る
国津比古命神社と、関係のある神社。

それが、
本当の姿なのかもしれませんね。。。。

例大祭は今度の週末ですが、
正確には、来週の月曜日 旧暦4月22日が
大山祇神社が、宮浦へ正遷座されて、

1293年目。

その真実の姿を、いつかあきらかにできる日がきますように。




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by ldc_nikki | 2012-06-04 22:46 | 愛媛県松山市北条 | Trackback | Comments(2)

こんばんは。

今日のお話は、松山市の正八幡神社です。

ここは、松山市福角町 像観山の麓に鎮座する神社です。
前々から、ずっと気になっていた神社だったのですが、やっと行くことができました。

正八幡神社は、貞観年間、859年頃の創祀で、現在私が調べている年代より少し新しい時代に建立された神社ですが、 私がずっときになっていたことは、この正八幡神社が鎮座する現在の山、像観山です。

正八幡神社は、もともと、花見山という山に鎮座されていました。
花見山に築城された時に、現在の地に奉還されたといいます。

現在鎮座している山 像観山は、往古盛能山と呼ばれていましたが、正平の頃に像観山と改称されました。

古代、盛能山は、三つの森からなる、神廟の聖地でした。

一つは、現在の神社の本殿の裏の森、 「御玉の森」 
この御玉の森は、「天照皇大神」 を祀ります。

そして、 その森からさらに奥に、二つの森があります。
月読命を祀りし 「月の森」 と、
饒速日命を祀りし 「御串の森」 です。

ここには、 アマテラスと 月読命 ニギハヤヒ を祀る森があったのです。

そして、この三つの森は、 もしかしたら、
縄文時代に信仰されていたであろう 天体信仰の跡かもしれません。

太陽は、繁栄のシンボル。
月は、 変化の象徴
星は、 安定と平等。

だといいます。 
幸せな国をつくるために、古代の人々が信仰していた、太陽と月と星を祀る場所がここにあったとしたら、
ここは、もししたら、とても重要な場所かもしれません。

しかも、長い間ずっと。

また、この月読命を祀る 月の森からは、
あの三種の神器の一つであると言われる、 「八咫鏡」 が掘り出されたという伝説もあるというのです。

「 八咫鏡 」 は、本来は祭祀に用いる鏡を表す一般名詞であったとも言われますので、
三種の神器のことを、言っていたという証拠はありませんが、そういう伝説があるということは、
それだけ、古代の重要な場所だったとも言えます。

旧北条市は、古墳や遺跡が数多く発見されている 愛媛でも有数の場所です。

まだまだ、調査をされていない場所は沢山あります。
神域とされ、 足を踏み入れることさえできない場所も沢山。

天の逆鉾、 そして、今度は、八咫鏡。
愛媛には、もしかしたら私が考えていた以上に、まだまだ多くの秘密が隠されているかもしれません。

神話や、古代の歴史からは、無縁の地だと思われていたこの愛媛自身も、 瀬織津姫さまと同じように、
隠された地の一つかもしれません。
今回、この神社を訪れて、古代の歴史を封印しなくてはいけなかったほど、 重要な場所だったのかもしれないと、 改めて感じました。

*正八幡神社
*松山市福角町北辻649
*祭神
 誉田別尊(ほむだわけのみこと)
 息長帯姫尊(おきながたらしひめのみこと)
 足仲彦尊(たらしなかひこつのみこと)
*境内社
 周敷神社(天御中主神、高御産霊神、神御産霊神、西山肥後守通倫霊、西山五右衛門通周霊)
 冠山明神社(田心姫命、湍津姫命、市杵島姫命、戦没者英霊)


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長い階段の先に、拝殿はあります。

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そして、本殿です。
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アマテラスの森は、この本殿の浦に、祀られています。
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この山の姿をもっと見てみたいと、山の周りを一周回ってみました。
思った以上に広い範囲で、びっくりしました。
でも、昔は、今のように切り開かれていないので、もっと大きな山だったかもしれません。

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神廟の聖地 盛能山
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今の世の中は、科学がどんどん発達して、いろいろなことを、科学で証明しようする。

それは、宇宙のしくみや、地球、更には人間まで。

でも、どんなに調べても、科学だけでは証明できないことは、まだまだ沢山あるし、きっと全てを解明することは不可能だろうと思う。

月と地球、月と太陽。

そして、奇跡の星 地球。

月と地球と太陽は、 絶妙なバランスを保ちながら、今こうしてあり続けることができる。

どれか一つがかけても、地球という星の存在を保つことはできないし、
今のバランスが崩れてしまっても、 地球は今のような美しい姿を保つことはできません。

私たちは、 そんな宇宙の奇跡の中で、生きていることを、忘れないでほしいと願います。






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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-07-30 01:13 | 愛媛県松山市北条 | Trackback | Comments(2)

こんばんは。

今日古い知人に偶然出会いました。
知人は、写経を書いていると、話し始めました。
お寺にも行き、写経を何万枚か書かなくてはいけないと。

どうして(書かないといけない)のか、聞いてみました。

すると、写経を書けば、ある霊能者の人が会ってくれるからという理由と、それを書けば願いが叶うからという理由でした。

どうして、お寺に行くの? と聞いてみました。

すると、願いを叶えてもらいたいからと。

願いを叶えるために、一生懸命でした。 

でも、願いを叶えるために、写経を書き、霊能者に見てもらい、そして、お寺に行く、その執着があまりに強く、
本当の、写経を書く意味や、お寺に行く意味を通り超えて、その行為だけに執着しているように思えて、私はなんと答えていいかわからなくなりました。

私が少し話しをしようとしたのですが、もう、周りの声が聞こえなくなっているようで、それ以上何もいうことができませんでした。

写経を書くことも素晴らしいことで、お寺に行くことも、素晴らしいことで、何も間違ってはいない。
でも、ただ、書くだけで、ただ、お寺に通うだけで、全てが変わり、全てが思い通りになるわけではない。
それは、一つの手段であって、それしか方法がないわけでもなく、ただ手段だけを考えても何も変わることはできない。
一番大切なことは、方法ではなく、手段でもなく、どんな形であれ、どんな方法であれ、そんなことは問題ではなく、反省し、感謝し、自分の心と向き合うことだと。
何かにすがるだけでは、何も解決しないのではないかと。

自分の心と向き合い、反省し、感謝し、その上で自分が今何をすることが大事なのかを、考える。
そうして初めて、何かがみえてくる、神様や仏さまと繋がることのできるのではないかと、私は思います。

夢は、必要です。 願いも叶えたい気持ちも、誰にだってあります。
それは、ないといけないものだとも思います。

でも、何のために叶えてたいのか、その意味を間違えないで、そして、見失わないで欲しい。。。。。。



では、今日は、北条のお寺のご紹介です。
北条のお寺へは、野村に行った次の日に、行ったのですが、野村から帰る途中に、偶然見つけた神社に導かれたのではないかと思う出来事が、あったのです。

野村からの帰りは、大洲を通って帰ることにしなのですが、車で走っている途中に、小さな杜が目に飛び込んできました。

二人とも、あれは何? 
と、同じように、何かを感じ、最初は時間がないからそのまま通りすぎようとしたのですが、やっぱりどうしても気になるので、引き返し、行ってみることにしました。

すると、細い道の向こうに、鳥居が。
小さな神社でした。
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神社の名前も書いていない、小さな神社。 でも、やっぱり気になる。
鳥居をくぐり、杜の中へ。

すると。。。。。。 あれは。
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神社の境内の中に、千手観音さまが。
もともとは、ここに祀られていたのではなかったようなのですが、高速道路が通るために、こちらへ移転してきたと書かれてありました。
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実は、次の日、河野家の祈願所でもあった、高縄山の高縄寺へ行く予定でした。
高縄寺の本尊は、千手観音。 ここで、まさか千手観音さまに出会うなんて思っていなかったので、びっくりでした。
野村の旅の最後の最後に、偶然であった 千手観音さま。
明日もまた、何か素敵なことが起こるかも。。。。 ここに導いていただいたことに感謝をしながら、奥へと進み、参拝をして、帰路につきました。
拝殿
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そして、次の日、予定通り、高縄寺へと向かいました。
前回、高縄寺へ行った際に、住職さんの奥様が、この日にご開帳があるからとおしゃっていたので、行くことにしていたのです。
そして、お寺へ着くと、住職さんが、本堂の前にいらっしゃいました。

でも、なんだか変? 

そして、本堂に行ってみました。 前回来た時には、本堂の入り口は閉まっていて全く中を見ることはできませんでしたが、この日は、あいていたので、やっと拝見できると思い、中へと入ってみると。。。。

開いてない。。。。

今日だったはずなんだけど、私が間違ってきてしまったのかな? そう思い、住職さんに聞いてみることに。
すると、奥様は、よく知らなかったらしく、この日は、違っていました。
ご本尊のご開帳は、年に一度、8月に行われるということでした。

私は、とても楽しみにしていたので、少しショックだったのですが、これも、きっと意味のあることだったと思い、帰ろうと思ったのですが、その時、お参りにやってきた地元の方が、住職さんに話かけてきてきたのです。

「ここは、河野家の菩提寺ですよね。」

「いえ、ここは、河野家の祈願所だったところで、菩提寺は、麓の、善応寺ですよ。」

え? 私も、ここが菩提寺だと思っていたので、びっくりしました。
その時、「善応寺」 に行きたい。 とっさにそう思い、住職さんに場所を聞くと、あの、荒魂神社のすぐ近くということ。
これは、絶対いかなきゃ!
そう思い、そのまま、すぐ、善応寺へ向かうことにしました。

そして、その場所は、河野氏発祥の地。と書かれてありました。
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ここは、伊予の豪族河野通盛が、越智玉澄以後800年に亘る居館であった場所だったのです。
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善応寺は、建武2(1335)年に本拠を道後の湯築城に移すとき、自分が住んでいた土居館を京都の東福寺を模して創建したお寺でした。
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古文書によれば、寺域を「東限鳩谷(はとだに)之透、南限揚岐庵山(ようぎあんざん)過山峰之透、西限娑婆山(しゃばやま)之透、北限土居山(どいやま)尾新宮山」とし、現在の善応寺部落全域にわたり、その面積は60町歩に及ぶ広大なものであったと言います。
それはそれは、広い敷地だったそうです。

その敷地の中には、
七堂(仏殿、法堂=はっとう、僧堂、方丈、庫司=くす、東司=とうす、浴室)と、
十三塔頭(たっちゅう)(通玄庵、萬松庵、千手院、養寿院、大崇院、宗玄院、林少院、萬年院、一心庵、見寿院、明智庵、霊雲庵)がありました。

まずは、本堂にお参りをさせて頂きました。
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*本尊:釈迦如来
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高縄寺では、そのお姿を見ることはできませんでしたが、ここで、こんなに近くで、お参りをすることができて、感謝でいっぱいでした。

そして、少し歩いていると、
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河野家のお墓にお参りするのは、初めてでした。 すぐ、お墓のあるほうに行ってみました。

あ!あった!
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遠い遠い、ご先祖さまのお墓参り。 やっと、来ることができました。

そして、ふと横を見ると、お宮が?
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もしかして、あのお宮は? 姫?
そう感じ、急いでお宮の前に行ってみると、

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「大弁才天」の文字が。 こんなところに、姫がいるなんて。しかもお墓の横に。。。。。
そして、扉が開いていて、中には、まるで千手観音のような弁天さまの姿が。。。。
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高縄寺で、千手観音さまにお会いすることはできませんでしたが、それは、ここに、先に来なさいということだったのだと、思いました。
あの時、お参りにきていた地元の女性がいなかったら、 ここに来ることはなかったかもしれません。

これも、やっぱり順番なのですね。

でも、ここに来れたことが、本当にありがたい。感謝でいっぱいになりました。
庭のお掃除をしていた、僧侶の方に伺ったところ、この弁天さまは、もとは、このお寺の裏山のどこかにあったものだそうです。 
こうして、お墓の横に置かれたのも、偶然ではないかもしれませんね。

そして、お参りが終わった時、お寺から海をみたら、とっても綺麗な夕焼けでした。
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いつもいつも姫さまに、感謝です。
本当に、ありがとうございます。(合掌)

そして、今日も、ご覧頂きまして、本当にありがとうございました。(合掌)







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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-05-16 23:57 | 愛媛県松山市北条 | Trackback | Comments(4)

こんばんは。

私は、神社に行くようになってから、とても重要な場所で、時々動物に出会うことがあります。
それも、不思議な出会いかたで。

こんなことを話たら、そんなのどこにもいるよ。といわれるかもしれませんが、
私は、そうは思えないのです。

初めて、そのことに、なんとなく気付いたのは、まだ瀬織津姫を知って本当に間もない頃でした。
ずっと前にも、話したことがあるので、聞いたかたもいらっしゃると思いますがが。
私は、当時、まだ今の仕事ではなく、司会の仕事をしていました。

ちょうどその時は、衆議院議員の選挙中。 あちこちの交差点で、車を止め、演説をしている時でした。
「あれ?黒い蝶がいる、珍しいな~ こんな場所に」
緑があるわけでもなく、大きな道路の交差点に、真っ黒い蝶が飛んできたのです。
そして、次の場所へ。  また車を止めて演説。 すると、またそこにも、さっきと同じ黒い蝶が。。
そして、また次の場所でも。

その日は、何度も、車を止めるたびに、飛んできたのです。
その時は、不思議な日だったな~。 と思うだけで、まだ気付いていませんでした。

それから、姫の神社がわかり、神社に行き始めてからです。
その神社に行くと必ず、また、黒い蝶が出てくるのです。 何度も通っているうちに、蝶と姫は関係があるのかもしれないと思い始めたのです。
それからです。 道に迷い、どちらへ行っていいかわからない時、車の前に蝶が現れまるで、私たちを導くように、先導し、その蝶についていくとたどりついたり。
ある時は、山の中で、蛇が出てこないかと一人、待っていると、ず~っと、私のすぐ側で、じっと止まって守ってくれたり。 
ある時は、神社の待合所のようなところで待っていると、外からす~っと入ってきて、足の上に止まったり。
そのうち蝶だけではなくなり、いろんな昆虫や動物が現れるようになりました。
姫の鎮座する、山の中の滝に行った時、地図にも載っていない場所で、道があっているかどうかもわからなくて、ほんとに、あってるのかな。。と話ていたら、猪の子どもが目の前に現れて、まるで、姫の滝はこっちだと案内するかのように、何度も後ろを振り向きながら、山へと上がっていきました。
その後、無事姫の滝へとたどりつき、滝のすぐ側の拝殿で参拝していると、今度は、山の上から、さっきみた猪より少し大きな猪が現れ、私達を確認するかのように見たと思ったらそのまま山へと入っていきました。

これだけでは、ありません。 もう、幾度となく、こんな出来事があります。
そして、今日ご紹介する、高縄山のお寺に行く途中では、うさぎが目の前に現れました。
また、今度お話する、重信町へ行った時でした。

二日間、重信町のとても意味のある、三島明神のお寺や、神社を10社近く巡り、最後から二つ目の神社に行った時でした。 ほとんどの神社は、塀があると本殿の中へと入ることができないのですが、ここは、塀の中へ入り、すぐ側まで行くことができました。
そして、本殿から出て、本殿の真裏に回ったときでした。 一匹の蛇が、私の前に現れたのです。
でも、私の方へ向かってくるのではなく、そのまま、一度止まり、山へと帰っていったのです。
神社で、それも本殿のすぐ側で、蛇にあうなんて、初めてでした。

もちろんその神社も、三島明神、(瀬織津姫とニギハヤヒ)が祀られている神社でした。
瀬織津姫とニギハヤヒは、龍神、また、大蛇とも言われます。
あの蛇は、姫の神使だったのかも。。。。  (考えすぎ!) と言われるかもしれませんが、そう思いたい。ですね。

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今日は、北条の高縄山にある、越智家、河野家の菩提寺、「高縄寺」です。

高縄寺は、伊予の海を見渡せる、標高986メートルの高縄山の山頂にあり、山頂からは美しい瀬戸内海を一望することができます。
この山は、越智家、河野家にとって、とても重要な山でした。
越智、河野家は、「水」へのこだわりがとても強かったと言われています。
「河野」という名前を、そんな「水」にまつわる伝説から生まれたとされています。

越智玉興が、河内の国(大阪)から伊予の国へともどる途中、岡山のある海岸近くで、一艘の船に出会います。 その船にのっていたの、は玉興の異母兄弟、のちの河野性を名乗り、数々の歴史をつくっていく玉澄でした。 
玉澄は、備中沖で船の飲料水が無くなり困っていました。
玉興は、三島大明神に祈願し弓で海潮を攪拌しました。すると「不思議の清水」が湧いてきて、助かりました。
この水で皆は救われたといい、備中沖を「水島ノ渡」と名づけたといわれます。
この不思議の清水の源は、越智氏の領地・伊与国の高縄山である。この山は「観音菩薩霊験ノ地」。
ゆえに高縄山の麓を「河野ノ邑」と名づけ、玉興は玉澄を養子とし、以後、河野を名乗るようにといったことから、「河野家」はじまったとされます。

高縄山は、美しい湧き水の豊富な山だったのかもしれません。
その名残も、今回見ることが出来ました。

以前に、少しお話しましたが、大山積神の本地仏は、「大通智勝仏」といいます。
法華経の中にでてくる仏で、「東西南北四方八方を守護する」仏といわれます。
そして、この「大通智勝仏」には、十六王子があり、分身のように、東西南北に鎮座し、守っていると。
その中で、瀬織津姫は、闇靇神と共に、西方を守護し、その仏徳的表現は「度一切世間苦悩」。
これは、瀬織津姫が祀られるという、白山信仰の中の姫と同じなのです。
白山信仰では、「瀬織津比咩と云う神、苦業の因[もと]を救うべし」

そして、この高縄山の本地仏は、十一面千手観音菩薩です。
河野家の菩提寺であれば、普通に考えると、本地仏は、「大通智勝仏」のはずです。
それなのに、十一面千手観音菩薩。 
大山積神を含め、この十六王子の中で、十一面千手観音菩薩と考えられるのは、瀬織津姫をおいて他にはいないのです。

高縄山 高縄寺は、越智玉澄、玉興の父である、越智守興が建立したと伝えられます。
世の中が変わろうとしていたその時、この水の豊富な、高縄山に、高縄寺を建立し、十一面千手観音菩薩をおかれた本地仏とし、それ以降、現在もその信仰は続いています。

越智守興までは、今治を中心にした国つくりを行ってきた越智家が、新たに、北条を中心として、新しい「河野」性で、繁栄を願ったその証かもしれません。
また、ちょうど時を同じくして、朝倉村にあった、あの夏姫と越智守興の子 、斎名天皇が「伊予皇子」名づけた子どもの健康を願ったと伝わるお寺の仏像を、ここ北条へとうつしています。

北条の町、そして、瀬戸内海の海を一望でき、水に恵まれたこの高縄山に、名前を消された瀬織津姫の本地仏「十一面千手観音菩薩」をおいたことに、越智家のさまざまな想いが込められているような気がします。


では、高縄山と高縄寺です。
お寺につく、少し手前で、高縄山の水信仰とも思える場所を見つけました。
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ここが、河野川の源流。源のようです。今では、水がなくなってしまっています。
歴史とともに、全てが忘れ去られているような、悲しい想いがこみ上げてきました。
もともと、高縄寺は、今の場所ではなく、山腹にあったといわれています。 もしかしたら、この源流の近くだったのかもしれないと思いました。

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そして、高縄寺です。
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山頂のすぐ近くにお寺はあります。お寺の周りには、大きな杉が沢山あります。
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その中でも、ひときわ目をひく 「子持ち杉」
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そして、ここにも、ちゃんと三島の神紋がありました。
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越智、河野家のゆかりの地には、弘法大師の姿があります。
空海も、きっと全てをわかっていたのだと、思います。 わかった上で、その地を訪れていたのだと。
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姫が守る山
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姫が守る海
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そして、姫の季節桜
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高縄寺では、今度の日曜日、桜祭りが行われます。
そして、その日は、年に数回しかない 御開帳の日。 姫の仏の姿 「十一面千手観音菩薩」に会える日です。
ちょうど、私たちがお寺についた時、住職さんんと奥様が帰ってきて、教えていただきました。
今度の日曜日は、姫に会いに、もう一度行ってみようと思っています。
満開の桜が咲いているだろう高縄寺に。。。
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今日も、ありがとうございました。





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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-04-19 23:29 | 愛媛県松山市北条 | Trackback | Comments(0)

こんばんは。

今日は娘の、入学式でした。
東北では、今日も大きな地震が続き、入学式を今もまだできない子ども達が沢山います。

今日こうして、無事、平穏に、入学式ができたことに、
心から感謝したいと思います。

ちょうど、一ヶ月前、あの悪夢のような地震と津波が起こりました。
同じ時間、職場でも一斉に黙祷が行われました。
あの瞬間、多くの人々がどんなに恐ろしい思いをされたことか、想像しただけでも、怖くて、その気持ちを考えると、涙が溢れそうになりました。

一日も、早く、元の生活に戻ることができますように、
心から祈りたいと思います。
 (合掌)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
北条は、鹿島。
前回は、鹿島に鎮座する 要石と鹿島神社のお話でした。

今日は、その鹿島の目の前にある二つの岩のお話です。

鹿島神を氏神とする藤原氏は、中臣(なかとみ)鎌足が大化改新で蘇我氏を倒したことにより、699年に藤原の姓(かばね)を名乗ることになりました。
ちょうどその頃、大三島の大山祇神社は、瀬戸から宮浦へと、本宮を移動することになりました。
それまで、越智氏族が祖神として信仰していた、三島明神は姿を消し、大山積神へとその名前を変えられることになります。

その後、物部氏族は、どんどん衰退していきます。

そして、この鹿島でも、祭神を、藤原家の氏神である、鹿島の神へとその姿を変えられました。

やはり物部氏の中の、越智氏族も、その波にのまれようとしていました。
その後、世の中は、今と同じように、大きな地震や災害に数多く見舞われることになります。
この伊予の国も、災害によって、出湯がなくなり、本拠地であった越智郷も、山が崩れ、港が使えなくなり、沢山の家や寺が壊れました。 
災害の影響と、越智氏族を、後世に残し、またこの伊予の国を再生、繁栄させるために、
私は、本拠地を、この北条へと移したのではないかと現時点では、思っています。

もともと、北条も、物部氏の子孫が国造りを行っており、それまでも、数々の伝説があります。
当時、日本で生まれた、小千命の子孫、越智玉興は、越の国で生まれた越智玉澄へと後の国つくりを任せることにします。
その拠点を、北条に決め、その時、名前を「河野」に改めました。

これは、諸説ありますが、私の考えの一つに、この勢力衰退が関係しているのではないかと思っています。
「河野」性に改めようとしているころ、越智玉興の父、越智守興が高縄山に、高縄寺を造営したと伝わります。
このお寺については、また後日お話しますが、このお寺も、瀬織津姫の本地仏を祀ったもどだと思っています。

その後、河野となり、この山に、高縄城を築くのです。
三島明神祈願した直後に身ごもったことから、神に通じた息子とされ、「通」 という字を名前いれ、
河野 通清という名前がつけられました。
それが、河野 通信の父です。

河野氏族は、河野性に名前を改めてからも、変わらず、三島明神を祖神として、信仰し続けていたのです。
そして、勢力を取り戻してきた河野氏は、この鹿島に城を築き、海の拠点にするのです。
そして、もう一度祖神(龍神神)を復活させるために、鹿島の西沖合いにある岩、玉里・寒戸島(ぎょくり、かんどしま)に、竜神様を祀ったのです。

これは、私の見解です。
でも、もし、私が同じ立場でもそれを望む気がするのです。

もともと、鹿島には、龍神さまが祀られ、龍神様への雨乞いは盛んに行われており、鹿島山頂はその雨乞いの斎場であったという伝説も残っています。

龍神社【鹿島沖寒戸島】 の 祭神 高靇神(たかおかみ)闇靇神(くらおかみ)は、
瀬織津姫とニギハヤヒ。
大山祇神社の大山積神とともに、祀るられている、高靇神(たかおかみ)闇靇神(くらおかみ)と同じように。

國津比古命神社の鳥居から一直線上に浮かぶ鹿島、
そして、鹿島の鳥居の向こうに見える、高縄山。
やはり、これらは、全て繋がっているのです。
越智から、河野へと引き継がれた時代を物語るように。。。。。。


鹿の神、神の使いである、「鹿」がこの島にも多数生息しています。
古代からのさまざまな歴史が混合していることを物語っています。
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鹿島の龍神社
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鹿島の海岸
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沖合いに浮かぶ小さな島。
この島の横に、玉理・寒戸島はあります。
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玉理・寒戸島
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そして、鹿島の山頂から望む、高縄山です。
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もう一度、山頂から見る玉理・寒戸島です。
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歴史は変えられても、この海は、今も変わることなくこうしてその姿を守り続けています。
数千年の時を刻む、鹿島、玉理・寒戸島は、無言で伝え続けているのかもしれません。

今日も、ありがとうございました。







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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-04-11 23:32 | 愛媛県松山市北条 | Trackback | Comments(0)

こんばんは。

先日紹介した、北条の国津比古命神社の鳥居から、まっすぐ海の方を見ると、
小さな山が見えます。
まるで、鳥居と、山が繋がっているかのようです。
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初めて、国津比古命神社へ訪れた帰り、鹿島の上に、光がおり、まるで神様が降りてきたように思えました。
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この日は、国津比古命神社へ参拝する前に、鹿島神社に行きました。
鹿島神社と、国津比古命神社は、きっと何かで繋がっている。その時、そう感じました。

この山は、北条港外400メートルの海上に浮かぶ、周囲1,5キロ、島の高さ115メートルの小島です。
島の名前は、「鹿島」
名前のとおり、島には、茨城県に鎮座する、鹿島神宮の祭神を武甕槌神、経津主神を勧請奉斎した鹿島神社
があります。

しかし、鹿島神社は、藤原氏と関係の深い神社で、物部氏族と反対勢力側。
鹿島神社と、ニギハヤヒ、瀬織津姫は、関係ないのかも?私の思い違いだったのかも? と思ったのですが、今回行った後、いろいろと調べていると、やはり、この鹿島も、時代の波によって変えられてしまった場所のひとつかもしれないと思いました。

今日は、そんな鹿島をもう一度たどって行ってみたいと思います。

鹿島行きの、船着場には、鹿島を前に、大きな鳥居があります。
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鳥居をくぐり、駐車場に車を置いたら、すぐ乗船場があります。
船は、人だけが乗ることができる、小さな船。 鹿島まで、あっというまですが、ほんのわずかでも船にのるだけで、とても遠くにきたような気がします。
船には、可愛い鹿がのっています。
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船にのって、鹿島へ。
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島へ上陸するとすぐ拝殿が見えます。ここは、山へと登る山道の入り口に立てられた拝殿です。
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そして、すぐ横には、鹿島神宮にもある、要石があります。
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この石は、鹿島神宮より、ここ北条へ勧請した折に、併せて遷したと言われています。
要石とは、鹿島神宮や、ここ鹿島神社の由来にもあるように、昔地下には、大鯰がいて地震を引き起こすといわれていました。その地震を起こす大鰻を、鹿島の神が上から石で押さえているといわれる石が、要石です。

この地下にいるといわれる、大鯰は、昔は竜だと言われていました。
すると、もしかしたら、この要石は、やはり地震をとめるための石ではなく、竜が再びこの世界に現れないようにと置かれた石かもしれません。
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その竜とは、龍神と言われた、瀬織津姫とニギハヤヒです。

この島の鹿島神社は、いつごろから鎮座していたかは、記録が残っておらずはっきりしたことはわかりません。 しかし、とても古い時代から、何らかの形で神が祀られていたのではないかとおもう、伝説があります。

「当社は神功皇后が三韓征討の途次、風早の浦鹿島に投錨し、武甕槌神・経津主神を勧請奉斎した神社で、戦勝と道中の安全を祈願して出陣したと伝えられる。」

神功皇后の在位期間は、201年 - 269年6月3日。
お腹に子供(のちの応神天皇)を妊娠したまま海を渡って朝鮮半島に出兵して新羅の国を攻めたといわれる天皇です。

この頃、物部氏族は、まだ勢力が強く、ここ鹿島も、そんな物部氏の大事な港のひとつと考えられています。
戦いに行く途中、ここに立ち寄り、祈願してから出陣していた時は、祖神である、ニギハヤヒ、瀬織津姫を祀っていたはずです。
しかし、大化改新で蘇我氏を倒し、勢力を一揆にましていった藤原氏は、ここ鹿島も、自分の領土の一つとしたのです。
というのも、ここ北条も、古代海上交通路の重要拠点であったからです。
武神である鹿島神が藤原氏の氏神となるのは778年頃。
それまで、ニギハヤヒまたは、瀬織津姫を祀っていたこの島は、藤原氏の鹿島神となったのです。

そして、島の中心をなすものといわれている要石は、実は鹿島神宮からもってきたものではな鹿島神がこの地に勧請される以前に神体として信仰の対象となっていたのではないかとも言われています。
この石は、実は、竜神である瀬織津姫を祀っていたものだとしたら、その石を竜を押さえつけるための石としたことに繋がるような気がするのです。

現在、この鹿島神社には、事代主神(ことしろぬしのかみ)が祀られ 、
隣の境内社には、厳島神社が鎮座しています。

厳島神社
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もし、これらが、偶然後に鎮座されたものであれば、本当に不思議なことです。

鹿島神社
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鹿島から、北条の陸地に向けての鳥居の向こうには、高縄山が見えます。
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ここ鹿島には、もう一つ、龍神を祭ると言われる岩が海にあります。
そのお話は、次回に。。。。

今回の、大地震で、本宮である、鹿島神宮の、二の鳥居・御手洗池鳥居が完全に崩落し、多くの灯篭が倒れたそうです。
他にも池の水が少なくなったりも・・・・。

御手洗池は、名前からもわかるように、瀬織津姫と関係の深い場所。
名前を消し去り、一時は全て葬ろうとしていたにもかかわらず、こうして禊、祓いの場所として、残っているのは、それだけ、偉大で、その力を恐れ、罪を祓うという意味で、復活させたように思います。

もしかしたら、今もなお、その罪から逃れることはできていないのかもしれませんね。
罪は、真実を話し、自らの過ちを認め、心から詫びなければ消えることはないかもしれません。
それは、私たち全てに言えることで、犯罪者が時効がきても、その罪からは逃れることができないように、隠しても、心からは消えることはない。
本当に、前に進むことはできないのかもしれません。。。。。。。。。





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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-04-10 03:17 | 愛媛県松山市北条 | Trackback | Comments(0)

こんばんは。
今日は、早速ですが、神社のお話から。。。

昨日も少しだけ、お話しましたが、北条に鎮座する、国津比古命神社と櫛玉比賣命神社です。

二つの神社は、北条の櫛玉比賣命古墳に鎮座します。
国津比古命神社の御祭神は、
天照国照日子天火明櫛饒速日尊(あまてるくにてるひこあめのほあかりくしにぎはやひのみこと)
櫛玉比賣命神社の御祭神は、
天道日女命(あめのみちひめのみこと)。御炊屋姫命。

同じ小高い山の上にあるのですが、姫をお祀りする、櫛玉比賣命神社の方が上にあります。
まるで、上から、ニギハヤヒを見守るかのように、鎮座されているのです。

国津比古命神社は、応神天皇(270年2月8日 - 310年3月31日)の時代に物部阿佐利が國造に任命され、彼の祖神である櫛玉饒速日尊と宇摩志麻治命(櫛玉饒速日尊の子)をお祭りしたことに始まります。
初め『櫛玉饒速日命神社』でしたが、物部阿佐利命を合祀して國津比古命神社と名を改めました。

そして、櫛玉比賣命神社は、同じ頃、櫛玉饒速日尊の妃神をお祭りしたのが始まりです。
またの名前、社号は『祓座大明神(はらいにますだいみょうじん)』ともいわれましたそうなのです。
それは、饒速日尊の宮殿を参詣する前に、ここでまずお祓いを行ったと伝わっています。

『祓座大明神(はらいにますだいみょうじん)』この名前を見るだけでも、まるで瀬織津姫。

ニギハヤヒは、物部氏の子孫である、小千氏の祖神。そして、もちろん、妃神も祖神です。
越智、河野家は、三島明神を、祖神として古代から、現在まで、変わらず信仰し続けています。
大三島の大山祇神社を祖神として、三島明神を祀ったにも関わらず、祭神は、大山積神。
でも、この祭神は、三島明神=瀬織津姫・ニギハヤヒ ということが、ほぼ間違いのないこととと思っています。すると、ここ北条では、ニギハヤヒとともに、妃神は、天道日女命ではなく、瀬織津姫ということになります。

「祓座大明神」だけでも、十分姫の姿を見ることができますが、この二つの神社には、今はほとんど他では行われていない、特別な神事があります。
秋に行われる、お祭りの中に、御動座祭というお祭りがあります。
他のお祭りは、男神、ニギハヤヒのお宮から始まるのですが、どういうわけか、この御動座祭だけは、姫神である、櫛玉比賣命神社から始まるのです。
この動座祭は、『日本書紀』に書かれる神武天皇の「顕斎」の構造とよく似ているといわれます。

「顕斎」というのは、目に見えない神を見えるようにして祀ること。
つまり斎主(神主)として厳姫と言う巫女名(司祭者として神意を伝えるシャーマン)を授け、神武天皇自身が高皇産霊尊になる儀式を行って、高皇産霊尊を身に憑(のりうつ)らせ、神託を聞かせたと伝わる記述です。

御動座祭の中の特別な神事「『宵の明星』が、この記述とよく似ています。
これは、宮出し前のお忍びの神輿渡御のことで、神主である國津比古命神社宮司、年に一度の大祭に合わせて風早のクニタマ(國魂=古代風早国草創から続く首長霊)をその肉体に乗り移らせてその霊威を更新させ向こう一年、善政を行うことを祖神に誓う神事なのです。

神主が御祭神である饒速日尊(ニギハヤヒ)の降臨・御動座を希(こいねが)う祝詞奏上しているところへ、櫛玉比賣命神社の神輿一体が無言のまま石段を降りてきて八脚門の前に差し掛かる。
この時、その姫神の神霊が、風早國造神主に憑依し(表面上女性化する)、つまり目に見える現実の神事は男性の宮司によって斎行されていますが、宗教儀式上は、妃である櫛玉比賣神が、饒速日尊の神輿へのお渡りを誘導する神聖な儀式。

そして、二つの神が一つになった時、
「一願成就」 
どうか一人一人の幸せを願って、お守りください。そして導いてやってください」
ということを、神が神に向かってお願いするのです。

古代においては、実際の政治は王である男が行っていましたが、さまざまなことを決める役を果たすのは、妃である女性祭祀者でなくてはならなかったのです。
「厳姫と言う巫女名」 これは、瀬織津姫とも言われる、宮島の厳島神社の厳島姫(イチキシマヒメ)のことではないかとも思うのです。
厳島姫とは、瀬織津姫が、巫女(シャーマン)的な役割も果たしていたということにも繋がるような気がします。

物部氏の祖神、ニヒハヤヒと「祓座大明神」瀬織津姫は、天道日女命と名前を変えても、今もなお、ここ北条では、古くから伝わる神事を行っていたのです。
古くは、国津比古命神社に参拝する前には、必ず、姫神が鎮座する、櫛玉比賣命神社に参拝し、祓いを行ってから参拝していたとも言われています。

私は、まだほとんど愛媛を中心にしらべていますが、この愛媛に、こんなにも姫の秘密が隠されていたことに、今、本当に驚いています。
「三島明神」には、古代の歴史を覆すような秘密が、まだまだ眠っている気がしています。

*国津比古命神社
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*櫛玉比賣命神社
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姫の神社から見るニギハヤヒの拝殿
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今日、こんな記事を見つけました。

世紀的な天災を前にして、人間は何をなすべきか。

300余年前、康煕帝は天災に直面した時、自己と大自然との調和がとれていたかどうかを考えました。
調和がとれていなければ心から変えてゆき、これが即ち『浄化』

今は「天人合一」という秩序ある状態ではなく、絶えず乱れている。麻薬、色情が至るところに現れ、師弟関係や家庭倫理なども、今までになかったほど無秩序で混乱した状態になった。

日本で起きた世紀的な天災を前に、人類は皆、康煕帝のように自身を浄化し、心の中から道徳の価値観を高め、厄介な事をよい事に転換できるよう望んでいる。

「心の浄化」 

偶然なのか、多くの人が、見えない何かに気づき始めているのか。
さまざまな人達が、「浄化」 ということば 言っています。

瀬織津姫の名前が、またこうして多くの人に伝わっていることもまた、浄化を意味しているのかもしれません。


希望の光は、もう降り注いでいます。
どうか、多くの人の心に、希望の光が届きますように。 





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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-04-07 00:27 | 愛媛県松山市北条 | Trackback | Comments(0)

こんばんは。
夕日が沈んだ後、西の空に、線で描いたような三日月が出ていました。

夕日が沈んだ後は、時々月がオレンジ色に染まりますが、今日の三日月も、真っ暗な空に、細い曲線が描かれたように、オレンジ色に光っていました。

月と地球。 太陽と地球。
地球は、奇跡なのか、それともほんとうに神様がそうされたのか、
太陽と地球の距離や、月と地球の距離が、ちょうどいい場所にあるそうです。
もしどちらかが片方だけでも、距離が少しでも、遠かったり、近かったりすると、今の地球はなかったそうです。 

地球という星が誕生してから、400億年、数々の奇跡をおこしながら、今こうして、緑豊かな地球があるのです。  そんな地球に住む私達人間。
地球も人間も、お互いが、少しでも長く、少しでも仲良く、どちらも傷つくことなく生きていくためには、どうしなければいけないのか、これからどう生きていけばいいのか、今一度、ほんとうに考える時がきているのだと思います。

これ以上、自然を壊さないで、人間の勝手で、私利私欲で、地球を傷つけないで、
今、気づかなければ、私たち人間も住むことができなくなってしまう。 
子どもたちや、これから産まれようとしている小さな命たちが、ずっとこの地球で暮らしていけるように・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

現在は、合併をして松山市になった、旧北条市。
ここは、昨年も、何度か紹介しましたが、新居浜に行った次の週、突然また、北条の一番初めに行った神社に行きたくなりました。

その 神社は、櫛玉比賣命神社。
ここは、私が、北条でなぜか一番初めにとても気になった神社でした。
同じ敷地の中に、国津比古命神社 があり、祭神は、天照国照日子天火明櫛饒速日尊。
ニギハヤヒでした。 そして、櫛玉比賣命神社が、天道日女命(あめのみちひめのみこと) 。
夫婦神が、それぞれ向かい合わせになるように、拝殿が建てられています。

姫の拝殿は、それはそれは、美しく、まるでそこに姫が座っているかのように見えたことを、今でもよく覚えています。

それから、いつ頃からかは覚えていませんが、もしかしたら、ここは瀬織津姫かもしれない。
そう、思うようになったのです。 でも、 その時は、 姫神とお名前をもちろん全く違うため、私の勝手な思い込みかと思っていました。

それから、1年近くがたちました。
今回、改めて、この神社に行ったあと、やっぱりここは間違いなく、瀬織津姫さまの神社だと思えるいろんなことがわかってきました。

そして、北条に鎮座する、荒魂神社。
北条には、隠された姫の姿が、沢山あったのです。

そんな北条を、ご紹介しながら、姫の姿を見てみたいと思います。
まずは、荒魂神社。 
ここは、越智氏族の子孫、河野氏族のお城があったと言われる、河野氏族が、信仰霊山と仰いでいた、高縄山の麓に鎮座する神社です。
高縄神社とも、深い関わりのある神社で、往古より鎮座されると記述があるように、ここは、越智氏、河野氏と深い関係のある神社だと思われます。

御祭神は、天照大神(あまてらすおほかみ)

しかし、社名は、荒魂神社。 ここは、天照大神の荒魂、瀬織津姫の神社だったのです。
高縄山にある、高縄寺は、十一面千手観音菩薩立像を祭る、河野氏の戦勝
祈願所となったところです。
高縄山は、河野家にとっては、祖神をまつる大切な場所だったのです。
その、麓にある、瀬織津姫の神社。ここは、越智氏族から名前を変えた以降も、河野氏族が、三島明神(瀬織津姫)を、ずっと祖神としていた一つの場所なのではと思っています。 

そして、更に、北へいくと、前方後円墳で規模もかなり大きい、櫛玉比売命神社古墳があります。
ここには、櫛玉比売命神社が鎮座し、向かいあわせるように、國津比古命神社。
國津比古命神社は応神天皇の時代に物部阿佐利が國造に任命され、彼の祖神である櫛玉饒速日尊と宇摩志麻治命(櫛玉饒速日尊の子)をお祭りしたことに始まりまる言われるほど、とても古い神社です。
そして、櫛玉比売命神社は、天道日女命、御炊屋姫命を祀る神社です。

この神社には、とても珍しい神事(お祭り)があり、この神事と、この神社のもう一つの名前が、瀬織津姫そのものなのです。

更に、御炊屋姫命。

ニギハヤヒの、もう一人のお后と言われる姫神さまです。
二神の女神さまが、同じ神社に祭られていることもとても珍しく、私は、この御炊屋姫命さまにも、大山積神のほんとうの姿が隠されているのではと、思い始めています。

櫛玉比売命神社については、次回のブログで、詳しくお話したいと思います。

まずは、荒魂神社の写真です。

*荒魂神社
*松山市善応寺185
*天照大神(あまてらすおほかみ)
*創立年代は未詳。往古より鎮座し、部落の産土神として崇敬が篤い。明治9年3月村社に列格した。明治43年5月4日県社高縄神社に合祀。その後、氏子の熱望により昭和21年9月29日高縄神社より分祀創立、昭和24年本殿、拝殿を改築された。

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本殿の神紋は、やはり三島明神です。
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河野氏族も、その子孫も、ここを、三島明神とすることだけは、誰にも譲ることはなかったのですね。
いつか、だれかに気づいてもらいたい、また、全てを消し去ることだけは、できなかった。
それほど、三島明神(瀬織津姫)に対する気持ちは強かったのだろうと、最近強く感じます。

瀬戸内海の守護神として、また、今私の中の一つのキーワードにもなっていることばがあるのですが、
ただの、守護神としてではなく、もっと大きな力を、瀬織津姫はもっていたのだろうと思っています。


最後に、今日の動画は、貴船神社です。水神である高龗神が祭神です。
貴船神社のある宮司さんに、瀬織津姫との関係を聞いたことがあります。
すると、全く関係ないと言われました。
更に、あとで調べると、瀬織津姫は、貴船神社では、縁切りの神様とされていることがわかりました。
私が、瀬織津姫のことを聞いた時も、とても嫌そうな感じで答えられたので、どうしてかと思っていたら、こういうわけだったのだと後でわかりました。
でも、私は、瀬織津姫と関係のある神社だと今でも思っています。 






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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-04-05 23:51 | 愛媛県松山市北条 | Trackback | Comments(0)

こんばんは。
少し忙しくて、なかなか更新できませんでした。

今日は、あるセミナーに参加してきました。
いろいろ、ためになるお話を聞いたのですが、
なぜか、心に響いた言葉。

「継続」

地道に 続けることが大事。

自分の中では、いつもいい聞かせていることなのですが、
同じことを、毎日、毎日続けていて、
何の変化もなく、何の進展もない日々が続くと
人は、心が揺らいでしまうものですよね。
なんだか、
今の私に、まるで今日の講師の先生の声を借りて、

「続けなさい」

そう言っているように聞こえたのです。
セミナーが終わってからも、私の頭の中では、
「続けなさい」 のことばが リピートしています。

もし、今日のブログを見た方の中で、
何かを 諦めかけている人がいたら、

「継続 続けることが大事」 と神様からのメッセージかもしれません。

諦めることは、いつでもできる。
だから、もう少し頑張ってみよう。
そうすれば、その向こう側に、新しい扉が待っているかも。。。。。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今日は、風早の地(北条)の 貴布祢神社です。

ずっと前から、何故か気になっていた神社の一つです。
風早平野の北側にそびえる恵良山、腰折山という、少し変わった形の山があります。
恵良山は烏帽子型、腰折山は文字通り腰が曲がったような姿。

神社は、この山々の麓にあります。
恵良山山頂の恵良山神社には、
白山権現が祀られ、古くから信仰されていた場所。
そして、山頂には河野氏が築いた恵良城跡があります。
恵良城は、平安時代末期に河野氏が築いたお城です。

白山権現が祀られているということは、
やはり、ここも瀬織津姫と とても深い関係にあるかもしれません。
というのも、白山信仰の秘伝書の中に、
「瀬織津比咩と云う神、苦業の因[もと]を救うべし」という文言があり、
また、大山積神の本地仏は大通智勝仏には、
出家前に十六の王子がいたとされ、大山祇神社の中の17社は、
このことが、起源ではないかと言われています。
そして、この十七社の中にいる、瀬織津姫は、
十六王子の中の、
十番めの王子で、
西方を守護する役目をもち、その仏徳は「度一切世間苦悩」。

小千氏族、そして、河野氏族は、
瀬織津姫を、祖神とし、表向きに言えないものの、ずっと
崇拝してきたのではないかと、最近、ますます思えてきました。

それでは、 神社の紹介です。

*貴布祢神社
*松山市下難波甲999
*祭神:高龗神(たかおかみのかみ)
*境内社:
 新田神杜(新出義貞公)
 三穂神社(事代主神)
*由緒
 弘仁年中、越智益水が川城国から諸神を勧請した。
 建武2年に赤橋重時が杜殿を焼失したのを正平年中に満良親王が再築、
 神領の地を献じられた。
 天授6年と明徳4年には、河野氏によって補修され、
 以来、河野氏、浅海氏、久留島氏等の崇敬が厚く、
 慶長年閉に加藤左馬介が杜殿改築、弘化4年松平定穀が杜殿を造営した。
 昭和17年杜殿移転増築、境内拡張、参道補設等の大改修を行った。
 (愛媛神社庁参照)

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この日も、不思議な空でした。
雲の下からは、海に向かって光が降り、
雲の上からは、空に向かって光がさしていました。
同じ空とは思えない写真です。

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先日、韓国(姫の故郷?)から、小さな姫がやってきました。
おみやげで、もらった小さな姫のストラップ。
その顔が、私の作っていた 姫の人形のそっくり。
見た瞬間、「姫!」 と。。。
そして、ずっと頭の中に思い描いていた、愛姫の携帯ストラップが
頭をよぎりました。

今日、材料を取り寄せて、
早速、届いたら、愛姫ストラップを作ってみようと思います。
きちんと出来上がりましたら、
ブログで紹介させて頂きます。

まずは、愛媛の女神
「愛姫(愛比売)」 を造ります。
どんな 姫ストラップになるか、私も楽しみです。

丁度一年前、
6人の友達の姫を造りました。
あれから、一年。
今度は、新しい姫です。

今日も、最後までありがとうございました。
明日も、素敵な一日になりますように☆
お休みなさい。



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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-01-25 22:47 | 愛媛県松山市北条 | Trackback | Comments(2)

数あるブログの中からお越しいただきましてありがとうございます。 不思議な数々の出会いから、今は、愛媛の神社めぐりをしながら、神社や女神様そして、神話の神々の伝説を調べています。
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