こんばんは。

今日は、伊予市の山の中にある小さな神社のご紹介と
ヤマタノオロチのお話です。

前回ご紹介した神社から更に山の中へ行くと、
小さな神社があります。

名前は 「清神社」

この清神社についての由緒が見つからず、
正式にここでなんと呼ばれているかはわからないのですが、
この神社と同じ神社が、広島県にあり、そこでは

「すが神社」と呼ばれています。

漢字は違いますが、すが神社と言えば
愛媛では、須賀神社と書かれるすが神社をよく見かけます。

祭神は、「スサノオ命」

広島県安芸高田市の すが神社も祭神は スサノオ命です。

こことの関係ははっきりとわかりませんが、
今日は、広島県の清神社のお話を中心にお話を進めたいと思います。

広島県安芸高田市の清神社は、
毛利元就にゆかりの深い神社でもあるのですが、
ここには、もう一つ、繋がりが深いお話があります。

それが、

「ヤマタノオロチ」 です。

ヤマタノオロチと言えば、出雲の国のお話ですが、
日本書記巻第一神代上第8段に書かれた、ヤマタノオロチのの舞台は、
なぜか出雲ではなく、ここ

広島県安芸高田市だとされます。

素戔嗚尊(すさのおのみこと)は、安藝國(あきのくに)の可愛(え)の川上に降りてきました。
そこには、脚摩手摩(あしなづてなづ)とその妻の 稻田宮主簀狹之八箇耳(いなだのみやぬしすさのやつみみ)がいました。
この稻田宮主簀狹之八箇耳には、お腹の中に子どもがいました。。 

「私たちは、いくら子供を生んでも、生むたびに八岐大蛇(やまたのおろち)がきて食べてしまいます。

だからひとりも子供がいないのです。
今、生まれようとするこの子供もきっと食べられてしまいます。とスサノオに
うったえました。

 すると素戔嗚尊は、「果実酒を沢山つくってください。そうすれば私が大蛇をころしましょう。」
と言いました。

準備が整い、子供が生まれれると、大蛇がやってきました。
そうして戸にあたって子供を飲み込もうとしました。

素戔嗚は言いました。
あなたは畏れ多い神であるので、饗宴を用意しました。

そうして大蛇の口ごとに沃(そそ)ぎ入れました。
すると大蛇は酔って寝てしまいました。

素戔嗚尊は、剣をぬき大蛇をきりました。
尾を切った時、剣の刃が少しかけてしまったので見ると、剣が尾の中にありました。

これを、草薙劒(くさなぎのつるぎ)と言います。
これはは今、尾張の国 (熱田)にある。

簡単に訳してみました。これを読んでわかるように、
その内容はほとんど、古事記に書かれてあるものと同じです。

ただ、8つの頭があることにはあまりふれていません。
そして、その退治した場所が出雲ではないという所が違います。

この他にも、日本書紀にはヤマタノオロチのことを書いた文が
本文を含み4つあります。

以前古事記に書かれてたヤマタノオロチについてもかきましたが、
私は、それは女神自身とも言えますが、
この物語で言えば、スサノオ自身のことだと考えています。

自分で自分を殺す?
と思われるでしょうが、これが古事記のややこしいところで、
ある部分では、実際の人物を例えた神の物語になり、
ある部分では、本来の神(女神)の魂を消す作業をおこなっています。

このヤマタノオロチの部分は、まさに、
女神の「龍神」としての魂 「龍」を殺す場面です。

本来の倭が祀っていた女神は、「龍神」 
この女神の力を消し、新たな神を祀るために
どうしても、龍を退治しなければいけなかったのです。

そして龍の尾から出た 草薙劒は、
女神の決して消すことのできない力がやどる
魂の剣なのだと思います。

もうご存知の方もいらっしゃると思いますが、
ヤマタノオロチそっくりの神話が、
シュメールにあります。

メソポタミア文明の起源。シュメール人の神話には、
シュメール神話とバビロニア神話という二つの神話があります。

最初のシュメール人もまた、日本と同じように神を封印され消された一族で、
その消した一族がつくった神話を、
「バビロニア神話」と言います。

バビロニア神話は、シュメール神話とよく似ているため、
同じように考えられがちなのですが、全く意味が違います。

そして、このバビロニア神話が起源となり、旧約聖書がつくられていくのです。
シュメール人は、キリストやユダヤの起源とひとくくりに
言われてしまいますが、本来は全く違う原初シュメールが存在するのです。

このシュメールを倒したことを物語る神話、バビロニア神話の中に、
ヤマタノオロチと同じ、龍が存在します。
その大蛇の名は、

「ムシュマッヘ」 

この大蛇の頭は7つ。

この大蛇を生んだ女神と、その地位を奪おうとした、孫の世代に当たる神々に
捕えられてしまいました。そしてこの女神は二つに切られ殺されてしまったのです。

ヤマタノオロチは、頭が8つ。
ムシュマッヘは、頭が7つ。

ここでもまた、「7」と「8」です。
もう勘の鋭い方は気づいたと思いますが、
「7」という数字が、原初の神の数字にあたるのです。

「7」で一つの世界は完成し、
「8」で、新たなそれ以上の世界が誕生する。

古事記の中のヤマタノオロチ退治は、このシュメールの神話と同じように、
龍の神を殺すために、つくられた物語です。
それが出雲の国とされたのは、女神が最終的にその魂が眠る場所が
「北」の端とされていたからだと思います。

そして日本書記に書かれた ヤマタノオロチもまた、
その意味は同じ。
しかし場所が違うということは、この地も出雲と同じくらい
封印の際に重要な場所だったことが考えられます。

そして、古事記、日本書紀のヤマタノオロチ退治の起源は、
このバビロニア神話にあると私は思っています。

それは、ただオロチの話が似ているからだけではありません。
今はまだここでお話することはできませんが、
このことを含め、剣山の伝説がユダヤとされたり、菊の神紋が
シュメールが起源だと言われることにも繋がりますが、
今言われていることとは真の姿と少し違い、
また、間違った理由で繋げてしまうことも、
シュメールが一つではないことにあると私は思います。

また、それらがどれだけ繋がっているかも、まだまだこれから検証していかなければ
いけないことだと思います。
神話だけが使われたのか、それともそれに繋がる民族がかかわっていたのか。
それは今の時点では、わからないということです。

ただ、一つ言えることは、
日本でも同じように、権力を得るために、命の源の女神が
その姿を消されてしまったということです。

バビロニア神話の中で、大地の女神が殺されようと
その身体が天と地になったように、またそれ以降現れた全ての民族が
その力を完全に消し去ることだけはできませんでした。

それだけは、どれだけ権力を得ようとした人々でもできないほど
偉大な存在の女神。
だから、その力だけを利用し、またその力を受け継いだようにして、
新たな神をつくりだそうとしたのではないでしょうか。

でも、権力をえるために争いを起こし奪い取ったものは
その権力にしがみつこうとするものは、
同じことを繰り返す、またその文明はやがて衰えていくということを歴史は伝えています。

また、命の大切さ(命の源の女神)、それは人間の命だけでなく、
地球上の全ての命の大切さを考えなければ、全てがいつか
崩壊の道へと進んでしまうことにも繋がることを物語っているのではないでしょうか。

今、まさにそのことに気付かなければいけない時。
だから、少しづつ少しづつ、歴史を知りたいと思う人が増え、
環境への人々の意識が変わり始めたのではないかと思います。

歴史を知ることは、未来へと繋がる。
何が間違っていたのかを、しっかりと見て受け入れなければいけないのだと。

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ケルト。
妖精の国。

この国もまた、ローマ帝国によって滅んでしまった
女神の国。

妖精たちも、また平和で、緑豊かな森が帰ってくることを
きっと望んでいると・・・・・・・・・・。




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by ldc_nikki | 2012-07-03 22:41 | 愛媛県伊予市 | Trackback | Comments(10)

こんばんは。

今日は、二つのお話をさせて頂きます。
一つは、伊予市の山の中に鎮座する、中御前神社。
もう一つは、大山祇神社にある、一遍上人由縁と伝えられる宝篋印塔です。

まずは、伊予市の中御前神社。

国道56号線を大洲方面へ走り、伊予インターチェンジを過ぎ、
山道へ入ってすぐ、砥部の方へと抜ける道があります。
この道を走るのは今回が初めて。

まず国道から細い道へ入ると、何も書かれていませんが、小さなお堂がありました。
いつも初めての地域へ入る時は、
必ずその地域で初めて出会うお堂や神社にご挨拶をしてから入ります。

ここは、地蔵菩薩さまをお祀りしていました。
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釈迦の入滅後、56億7000万年後に弥勒菩薩が出現するまでの間
現世に仏が不在となってしまうため、その間人々を救ってくれるという菩薩さま。
地蔵には、「子宮や胎内」という意味があるそうです。

地蔵菩薩の、子宮や胎内という意味は、全ての命を育む力とされますが、
古代の人々は、この「子宮」をそれ以上のものとしてとられえていました。
それは=女性であり女神の持つ力だったのです。

その力とは、再生、復活の力です。

「子宮」は命が復活する場所だったのです。
だから、古墳は「子宮」を意味するとも考えられています。
人は死んだあと子宮へ葬られていたのです。そして、再度復活すると考えられていたのです。

古代の人々は、命の再生、復活を強く願っていました。
その強い想いは現代の人にはないため、理解できないことが多いのかもしれません。

仏と神の違うところは、
仏は「救う、極楽浄土へ導く」
神は「命の源」 

人間が、神から仏へとその気持ちが移っていったのは、
今あるものへの感謝から、今の苦しみからの救いを求めていったからかもしれません。
本来は、仏もまた 「悟り」を開くというように、
求めるだけでなく、心と向き合うものなの。

神は 「命」と向き合うことを伝え、
仏は 「生」と向き合うことを伝えている。

今の時代は、そのどちらも真剣に向き合うことを忘れてしまっているような気がします。

話が少しそれてしまいました。
元へ戻します^^

自動菩薩にご挨拶をして、向かったのは、伊予市下唐川。
とてもわかりにくい場所にあったので、間違って違う道へと入ってしまい
後戻り。
その様子を見ていた、農作業中のご夫婦と
広い道まで後戻りをして、歩いて神社にむかっていると
出会いました。

「こんにちは~。」 とあいさつをすると

「神社へきたの?」と。

「はい。そうです。さっき道を間違ってしまって・・・・。」

「やっぱりそうだったの(笑)」

「これはなんですか?」

「これは キウイよ。」

「わ~キウイですか~。」

すると、ご夫婦が
「秋にはキウイができるから、
お祭があるころにもう一度いらっしゃい」 と。

初めてであった見ず知らずの私たちに、本当にやさしいご夫婦でした。
神社へ行くと本当にやさしい地元の方々に出会います。
こんな出会いも、神社へ行っていなかければなかったこと。
本当に感謝です。

これが、キウイです。
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そして、このキウイ畑の横に神社はあります。

*中御前神社
*伊予市下唐川甲538
*祭神
伊弉諾命(いざなぎのみこと)
伊弉冉命(いざなみのみこと)
國常立命(くにのとこたちのみこと)
猿田彦命(さるたびこのみこと)

ここは、明治4年まで伊豫稲荷神社の境外末社だったといいます。
伊予稲荷神社は、ここからかなり離れた所にあります。

まだ記事を読んでいない方はこちらをお読みください↓
伊予稲荷神社

こんなところまで、境内末社があったなんてびっくりです。
かなり広い範囲が、伊予稲荷神社に関係する敷地だったようです。
稲荷神社の意味には、これまで何度かふれてきましたが、
この伊予稲荷神社は、稲荷神社の中でも特に重要な場所です。
ここも、その力が及んでいたことをあらわしていると思います。

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現在は、稲荷神社の境内末社ではなく、この村の氏神さま。
神社は、とってもやさしい空気に包まれていました。地元の人たちが、ずっと守り続けていることが
伝わるとても素敵な神社でした。
そして、神社の周りには、田植えが終わったばかりの美しい田んぼが
広がっていました。

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さて、次は冒頭でも書きましたように、
大山祇神社に置かれる

一遍上人
いっぺんしょうにん
由縁と伝えられる宝篋印塔です。

一遍上人とは、以前も少し書きましたが、
本家が河野家の、別府通広の第2子。
10歳で出家し、13歳で大宰府に行き10年以上にわたり浄土宗西山義を学び
一度伊予へ戻ってきますが、一族の所領争いなどが原因で再度32歳で出家した僧です。

一遍上人は、空海と同じように、なぜか神社へ多く訪れています。
また、熊野権現とも深い繋がりがあります。

熊野権現もまた、姫の封印の姿の一つですが、
この熊野権現のお告げより、神社を巡ることになるのです。

各地で、人々を救うためと、念仏札を配り歩いていた一遍上には、
紀伊国で、とある僧から己の不信心を理由に念仏札の受け取りを拒否されてしまいます。

そして悩んだ一遍は、なぜか熊野本宮へと行きます。

そこで衆生済度のため
「信不信をえらばず、浄不浄をきらはず、その札をくばるべし」との夢告を受けるたのです。

それ以来、念仏札の文字に「決定(けつじょう)往生/六十万人」と追加したいいます。

私は、一遍上人は、紀伊国で自ら出自 「河野家」のことを
知ってしまうのだと思うのです。
そして、姫が封印された熊野へと向かい、熊野で自分がこれからどうするべきかを
悟ったのではないかと思います。

そして、姫と封印に関わる神社を訪れます。
その原点とも言える、この大山祇神社に、
3基の宝篋印塔を置いたのではないかと。

一遍上人が訪れた神社は、
1.熊野那智大社             (和歌山県東牟婁郡那智勝浦町)
2.大隈正八幡宮(鹿児島神宮)    (鹿児島県国分市隼人)
3.厳島神社                (広島県佐伯郡宮島町)
4.吉備津宮ー安仁神社         (岡山県西大寺市藤井)
5.白河関の明神             (福島県白河町旗宿)
6.伊豆三島神社             (静岡県三島市大宮町)
7.美作一ノ宮ー中山神社        (岡山県津山市一宮町)
8.摂津一ノ宮ー住吉神社        (大阪市住吉区)
9.石清水八幡ー男山八幡       (京都市綴喜郡八幡町男山)
10.播磨松原八幡            (兵庫県姫路市白浜町)
11.備後一の宮ー吉備津神社     (広島県芦品郡新市町)
12.厳島神社               (広島県佐伯郡宮島町)
13.伊予大三島神社           (愛媛県越智郡大三島町宮ノ浦)
14.淡路二ノ宮ー大和国魂神社    (兵庫県三原郡三原町幡多)
15.淡路しつき天神 (志筑神社)   (兵庫県津名郡津名町志筑)

この神社がどういう場所かは、今回は詳しく書きませんが、
これを見て気づかれるかたも多いと思います。

そして、 一遍聖を祖師とする 「時宗」では、これらの神社の中で、
宗門鎮護の神とも仰いでいるのが、三神社あります。

それが、
熊野神社 ・ 大山祗神社 ・ 大隈正八幡宮です。

私はこの神社の名前を見て、
間違いなく姫の存在に気付いていること思いました。
でも、更に、そのことを決定づけたのが、
大山祇神社の、3基の宝篋印塔です。

この3基の宝篋印塔の中の中央の宝篋印塔には、
二つの謎があります。

一つは、蓮弁(れんべん)を基礎下と上2段に備え合わせて
3段にし、相輪(そうりん)上部の請花(うけばな)が
逆にたれさがっていること。

そしてもう一つは、宝篋印塔に刻まれた梵字です。

どちらも、他に例をみないもので、この宝篋印塔だけです。

宝篋印塔には、それぞれ意味があり、
その組み合わせも向きも、また梵字にももちろん意味があります。
それが、どうして3段になり、請花が逆になっているのか。
また、どうして、この特殊な梵字が使われたのか。

その謎は今もはっきりと明らかにはなっていません。

でも、この蓮の向きについて古代は次のような考えがあったと言います。

 男の心の中の蓮華は上向きに咲くが、女は業が深く、
 心の蓮華はさかさまとなっていて極楽往生できない。

なぜか、女は極楽往生できないとされていたのです。
ですから、男を極楽往生させるために、蓮の向きは上向きに置かれる。
でも、逆向きに置かれた蓮は、
女を極楽往生させるためにある。

一遍上人がおいた、宝篋印塔は女を極楽往生させるために
つくられたものだったと言えるのです。

そしてこの女とは、人間の女ではなく、

この大山祇神社で封印されてしまった「女神」のことだったのでは
ないでしょうか。
それ以外に、ここへ宝篋印塔を置く理由が
私には考えられません。

そして、たった一つの梵字も。
仏さまには、それぞれをあらわす梵字があって、これを 「種子」といいます。
梵字には、体文といって、基礎になる文字の形があります。
これに「摩多」という点画を添えて変化をつけていくそうなのですが、

大山祇神社のことを調べていた、今は亡き大三島の木村三千人さんは、
金剛界大日如来が姿をかえて大通智勝仏になられたという意味を
あらわした梵字だと、その意味をときました。

大山祇神社の本地仏としての姿としかあらわされることのない仏

「大通智勝仏」 とは、金剛界大日如来が姿を変えた姿。

もう、おわかりですね。

あの東円坊に置かれたある、大日如来。
あの姿が、金剛界大日如来が姿を変えた姿なのです。

今日は、これ以上のことはお話しませんが、
一遍上人もまた、この大通智勝仏の存在を、同じ意味でとらえていたのです。
そしてこれが、大山積神の本当の姿だということを
伝えようとしていたのです。

そしてその魂を鎮めるために、また祖先がおこなったことへの
懺悔のために、ここに、3基の宝篋印塔。

3基置いたことももちろん意味があり。
その中の一つだけをこの形にしたことも、
全ての意味を知っているからこそではないでしょうか。

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by ldc_nikki | 2012-07-03 00:06 | 愛媛県伊予市 | Trackback | Comments(0)

彦狭島命の御所地

こんばんは。

今日は寒いですね。また真冬に逆戻りです。
みなさんは、風邪など引いていませんか?
今治でもインフルエンザが流行っていましたが、やっと落ち着いてきたようです。

しかし、2月ももう終わり、暖かい春も後1ヶ月でやってきますね。
春の気配を感じさせる梅の花が今治でも咲き始めているようです。

今日のご紹介は、弥生時代からの跡が残る、彦狭島命の御所地跡です。

伊予神社からすぐのところ、谷神山の麓に、彦狭島命の居住地ではないかといわれるところがあります。

小高い岡の上。 ここに立つと、松山平野の隅々までが見渡せ、その風景は見とれてしまうほどです。

ここはまたの名前を、今岡御所跡といい、以前はここに今岡神社がありました。

現在は、伊曽能神社の末社として吹揚神社に合祀されています。

この今岡御所とは、人皇7代孝霊天皇の皇子、彦狭島命が館を構えていたところだと伝わり、この彦狭島命のまたの名前を、「伊予皇子」といいます。

伊予皇子は、もう前回紹介した伊予神社ではなく、もう一つの伊予神社に祀られえおり、小千命の父でもあります。

そして、伊予皇子はここにおかれてあった説明文の中で 「大小千命」 と 書かれてありました。

「小千命」 とは、 現在は名前のように使われていますが、私は名前ではないかと思いはじめています。

というのが、今から2600年前に大山祇神社に楠を植えた人物も 「小千命」とよばれ、応神天皇の時、越智郡の国造りとなった人物も 「小千命」とよばれます。

そして、伊予皇子のことは 「大小千命」 

やはり、「小千命」 とは名前ではなかったのではないでしょうか。

「小千命」 は 「乎致命(こちまたはをち)」 とも読みます。

本来は、大浜八幡神社に書かれる系図の中にもあるように、「乎致(こち又はをち)命」がのちに
(小千(おち)命)となったのではないかと思います。

それは、 「をつ」 の古代の意味は 「若返る」「蘇る」という意味だといいます。
「をち水」 が、常世の国から流れてくる 「若返りの水」と よばれるように。
ということは、 乎致(をち)命 とは、「蘇る、再生」の意味をもつ 名前だったことになるのです。

さらに 「伊予皇子」 の 「予(よ)」。

古代、竹の節と節の間の空間を 「よ」と言いました。

かぐや姫は、この竹の節と節の間に宿り誕生しました。 この竹の節と節の間の「よ」とは、

生命の誕生する空間をさしていたのです。

それは、あの世(予) と この世(予) を結ぶ入り口だったのです。

「よ」 とは、 神と人間の世界を結ぶ空間だったのです。

乎致(をち)命とは、再生復活の意味の命を持つ 「王」 
そしてその王は 「常世の国」 「橘の国」 「あの世とこの世を結ぶ空間が存在する国」 の 「王」

それが、この(をち)命の意味だったのではないでしょうか。

だから、この地を治めた 「彦狭島命」もまた 「大小千命」 と呼ばれたのではないでしょうか。

そして 小千命の祖といわれ、モモソヒメの父といわれる 「孝霊天皇」もまた同じです。

これは名前ではないのではと、私は思うのです。

紀元前290年に天皇となった 「孝霊天皇」とは、「再生、復活の女神(霊)を敬愛していた王」

そしてモモソヒメもまた、「再生、復活の女神と一体になった姫」 だから、その父は、「孝霊天皇」なのです。

「再生、復活の女神(霊)を敬愛していた王」、そしてその子孫は、「をちの命」であり、その子孫なのではないでしょうか。

そして、小千命が 「饒速日命」の子孫だというのは、 「再生、復活の女神の夫(日の神)が饒速日命だったからです。

「孝霊天皇」=「伊予皇子」=「乎致(をち)命」=「彦狭島命」=「小千命」=「饒速日命」

これらは、一見バラバラのように思えますが、「瀬織津姫」を中心にして考えると、全てが一つになるのです。

そして「大市姫」 も、現在は 「おおいちひめ」と読まれますが、 「おち姫」ともよめます。

この時代、日本では漢字はまだ意味とおりではありませんでした。

となると、「おち姫」 とも十分考えられると思いませんか?

更に、もっと言えば、斉明天皇の古墳といわれる 「越智崗上陵(おちのおかのえのみささぎ)」も同じ意味ではないかと、私は思っています。

斉明天皇は、歴史もまた歴史の中で変えられた女帝ではないかと、私は思うのです。

「斉明天皇」 「天智天皇」 は 「越智(こち)姫」=瀬織津姫を祀っていた天皇だったのだと、私は思えてならないのです。

先日、再度西条に行ってきたのですが、ある所に立った瞬間、私は更にそのことを確信しました。

歴史の先生方には、全く信用されない話かもしれませんが、私の中では、

瀬織津姫と同じように、「斉明天皇」「天智天皇」 の 真の姿は、隠されてしまったのだと思います。

現在、多くの重要な神社が、藤原家の子孫、新大和側の天皇の子孫が奉仕していることをご存知でしょうか。

大三島もしかりです。

ある大三島にある神社の宮司さんの息子さんが私の話聞き、生まれて初めて神社に残る系図を見たそうなのですが、本来の宮司さんの名前は抹消され、そこに書かれていたのは 「桓武天皇」からの家系だったそうです。

桓武天皇の時代は、十六皇子が七つの島に祀られた時です。

実は、その神社は、その中の一つとも考えられている場所なのですが、そこに書かれてあったのは、
「桓武天皇」 の名前でした。

多くの神社の伝承は、きっとこうして塗り替えられていったのです。

口伝で秘かに伝え続けた神社以外の場所は、本来の伝承は抹消され、新しい伝承へと一族によって書き換えられていったのではないでしょうか。

特に、神武天皇や神功皇后の由来が残る場所は、そっくり塗りかえられていると私は思います。

ただ、塗り替えられた中にも、ほんの少しヒントが隠されていたり、どうしても消せない内容もあります。

それを一つ一つ、検証していくしか方法はないのかもしれません。

大山祇神社を瀬戸から宮浦へと遷している間の16年間、正確にいえば、姫を封印するための準備期間(というのも、この間に本当は社殿などつくられていなかったからです)、藤原不比等は、数多くの場所に訪れていたことが、わかっています。

それは、一つ一つ、それ以前に関わるものを、抹消していたのではないでしょうか。

ここ、今岡御所跡地からは、多くの出土品があるといいます。

その中には、織物を織るための、糸をつぐむ石製紡錘車もあったそうです。

またこの岡のある山の名前を 「茶臼山」 という。

茶臼とは、「男と女が逆になっていることを表すそうです」

この意味を、みなさんはどう考えるでしょうか・・・・・・。

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イザナミ神とイザナギ神は、最初は「神」でした。

しかし、島生みを命じられた時、イザナミ命、イザナギ命と、「神」 から 「命」 のその名は
変わりました。

「命」とついた意味は、この地上で、お役目を 「命」じられたからです。

命を授かることは、ここに生まれる理由があったからだと、古事記は語っています。

古事記は、封印の意味もありますが、古代からの人間の考えがしっかりと書かれてあります。

私たちは、「命」を授かった人間。 名前を命名(命の名)された時から、それぞれのお役目が始まっったことをいつまでも忘れないように心に命じたいと思います。



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by ldc_nikki | 2012-02-18 03:38 | 愛媛県伊予市 | Trackback | Comments(0)

こんばんは。

今日の神社は、「伊豫神社」です。

今回で伊豫神社へきたのは、3回目です。

一度目も二度目も、ここに姫が祀られていると信じていましたが、今回ここにきてその気持ちはさらに強くなりました。
 
伊豫神社という名前の神社は、近くにここを含め二つあります。

そしてその両方には、「愛比売」が祀られています。

「愛比売」とは、伊予の国の女神の名前ですが、一説には、これが卑弥呼の後を継いだ 「イヨ」だといいます。

愛比売が降臨したと伝わる 「谷上山」は、この伊豫神社からすぐの山です。

この山の麓には、古代の遺跡があり、今回はその場所へも行ってきました。

ここに、「イヨ」 が女王となった城があったのでしょうか。

ここ伊予市上野に祀られる「伊豫神社」は、戦火で全て焼き尽くされ、そのほとんどがなくなってしまったといわれます。

宮司さんに、電話をして少しお話を伺ったのですが、宮司さんさえ、本当のことは何もわからないそうです。

しかし、神社庁には、この伊豫神社の由緒が書かれてあります。

その内容です。

往昔、神戸郷御谷山に、大山積神によって天御中主神を祀る古社があり、後に国造が此処を初めとして山の麓の朝日の面に天照大神を、夕日の面に月夜見大神を奉斎し、是を弥邑の神(伊予村神)の創祀と伝えられている。

ここに書かれた 「神戸郷」 という地名は、ここだけではなく多くの場所に見られます。

伊予の国の中にも、野間郡神戸郷、新居郡神戸郷、久米部神戸郷、そしてここ上野宮神戸郷です。

野間郡には、野間神社があり、新居郡とは西条のことで加茂一族の本拠地とされるところが後に半分にわかれ神戸郷となります。

そして久米部神戸郷とは、伊予比売命が紀元2600年前に祀られていたとされる場所です。

これを見ると、神戸郷とは、ただの地名ではないような気がします。

これも姫に関係する場所だったのではないでしょうか。

そして、この次のところです。

「御谷山に、大山積神によって天御中主神を祀る古社があり」

御谷山とは、現在の谷上山のことではないかと宮司さんは言っていました。

ということは、愛比売が祀られていた場所、愛比売が降臨した場所です。

ここに、「大山積神」によって 祀られたという意味不明な文章。

神が神を祀る? と普通で考えると全く理解ができない文章かもしれません。

でも、これが、姫を封印した証です。

「大山積神」 とは、姫を封印するために祀った神です。

ということは、姫が 「天御中主神」を祀っていたことになります。

更に、この奥には、もう一人の姫の姿があります。

それが 「イヨ」なのではないでしょうか。

大山祇神社が現在の宮浦へと遷座された時、大山積神以外に祀った神がいると書かれています。

◆その中に記された姫の名前が 「大市姫」 そしてこの 「大市姫」のまたの名を 「南海龍女」とよび、この神社を祓殿とよぶと書かれているのです。

そして、丹後 「籠神社」 の 「日本最古の系図」 の中には、

◆彦火明命(ひこほあかりのみこと)から9代目の孫のところに、書かれた
「日女命(ひめのみこと)」は、脇に、「またの名を倭迹迹日百襲姫命」、「またの名を神大市姫命」
と書かれています。

これを合わせてみると、

「大市姫」とは = 「日女命」 = 「倭迹迹日百襲姫命」= 「南海龍女」 ということになります。

とすると、こうなります。

「日女命」 とは、一見 「太陽の女神」を想像しますが、 「南海龍女」 であるとされるところから、

「日の神の女」 ということになります。

それは、太陽の神、本来のアマテラスである 「天照国照彦天火明櫛玉饒速日命」の女。

そしてそれは、人間と神の結婚(巫女)の姿の、「大市姫」 「倭迹迹日百襲姫命」。

さらに、太陽の神と結婚をした巫女は、太陽の神の女 「月の女神」となるということになります。

「月の女神」とは 「瀬織津姫」のこと、そしてそれは、 「龍女」 です。

「大市姫」 「倭迹迹日百襲姫命」は、人間でありながら「巫女」となり、「瀬織津姫」と繋がり一つになったのではないでしょうか。

そう考えると、これら全ての名前が 全て 「瀬織津姫」に繋がってくるのです。

そして、「イヨ」 もまた、瀬織津姫と繋がるための 「巫女」 になった少女。

その「イヨ」がこの 「谷上山」に降臨し、 ここに古代より祀られる 

「天御中主神」=「瀬織津姫」の巫女になったのではないでしょうか。

そしてこの 「イヨ」 は 伊予皇子の娘、 卑弥呼は伊予皇子の姉だったのではないでしょうか。

二人の「姫」 を生んだ 「伊予の国」 は、こうして後の世に、「愛比売」と呼ばれる女神の国となったのではないでしょうか。

「瀬織津姫」という最高の女神を祀り、その女神と一つになろうとした 「二人の姫」 

それが、この橘の国と呼ばれた 「伊予の国」の姿なのではないかと、私は思います。

でも。まだまだ卑弥呼の姿は、見え始めたばかり。
その場所がどこだったのかは、まだはっきりとわかりません。

そして、もう一つの謎、「狗奴国」

この謎も、まだまだこれからです。

ただ、卑弥呼と愛比売と瀬織津姫が繋がっていると私は思っています。

あ!もう一つ忘れるところでした。

「後に国造が此処を初めとして山の麓の朝日の面に天照大神を、夕日の面に月夜見大神を奉斎し、是を弥邑の神(伊予村神)の創祀と伝えられている。」

山の麓の朝日の面に饒速日命を、そして夕日の面に瀬織津姫を祀っていた場所は、




この谷上山の西と東にあり、その西側には現在「稲荷」があります。

そして東側には、伊曽能神社があります。

伊曽能神社には、現在アマテラスが祀られており、伊豫神社の宮司さんも、ここのことではないかとおっしゃっていました。
(というのも、伊豫神社の宮司さんは、この伊曽能神社の宮司さんでもあります。)

そして、ここ伊豫神社には、伊豫稲荷神社と同じように、「月夜見」の石? が置かれてあります。

これは、伊豫神社の末社 「祇園神社」に置かれてあったものだそうなのですが、これも本来姫が祀られていた場所にあったものではないか、そんな気がします。

*伊豫神社
*伊予市上野2485
*月夜見命(つくよみのみこと)

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伊豫神社拝殿
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八大竜王社 (正一位時雨神社)
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愛比売を祀る 「弥光井神社 」またの名前を 「真名井神社」

ここには湧水があり、「田の神」として祀られていたといいます。

「愛比売」は 「田の神」 としても祀られていたことは、瀬織津姫が 「豊受大神」になったことに繋がりますね。

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そして、境内に祭られた 「磐境」です。

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明日は、邪馬台国、「イヨ」に繋がる、今岡御所跡です。





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by ldc_nikki | 2012-02-17 00:04 | 愛媛県伊予市 | Trackback | Comments(0)

伊予稲荷神社

こんばんは。

昨日は、稲荷神の説明をさせていただきました。

今日は、その稲荷神を祀る、「正一位 伊予稲荷神社」 をご紹介します。

伊予稲荷神社は、伊予市の 「稲荷」 というところにあります。

住所も 「稲荷」と呼ばれるほど、住古より稲荷信仰が盛んなところだったのでしょう。

しかし、昨日もお話したように、「狐」にされる前ここに祀られていた神は 「蛇」。 やはり、ここも瀬織津姫の封印に深く関わったところだと思われます。

そして、卑弥呼にも。。。

稲荷神社の近くにある 「谷上山」は、愛媛の女神 「愛比売」が降臨したところだと伝わります。

以前、この谷神上には行きましたが、今はその場所がどこだったのかわからなくなっていますが、この山は、古代、姫が祀られていたことは間違いないと思われます。

それは、この次にご紹介する神社の時に詳しくお話しますが、この稲荷神社が祀られる山から北西にかけての山々には、それに繋がる足跡が残っています。

伊予稲荷神社は、
弘仁年間(810~823)に、山城国伏見稲荷社より勧請されたと伝わり、伏見稲荷の分祀としては最も古い時代の分祀だといいます。

この時代の天皇は、「嵯峨天皇(さがてんのう」で、空海が生きた時代と重なります。

この神社は、伊予七福まいりの一社でもあり、七福まいりでは、「恵比寿さん」となっていて、本殿右手の恵比寿社に恵比寿神をおまつりしています。

「予陽塵介集」には「当社の如き大社は四国地にあらず」と称(たた)えられているように、住古は、伊予の国の中でも、もっとも重要な神社の一つとして考えられていたことがわかります。

祭神は、

宇迦能魂神(うかのみたまのかみ)
爾々芸命(ににぎのみこと)
伊邪那伎命(いざなぎのみこと)
大宮能売命(おほみやのめのみこと)
菊理比売命(くくりひめのみこと)

この中で、あまり知られていない神様がいます。

「大宮能売命」です。

この神様は、古事記や日本書記には出てくることのない神様なのですが、
『古語拾遺』の中で語られていて,天の石戸から出てきた天照大神が移り住む宮殿に仕えたとされています。

また、大殿祭といって、宮殿の平安を祈る儀式の中でよまれる 「大殿祭の祝詞」の中にでてくる神様でもあります。

大殿祭とは、神今食(じんごんじき)・新嘗祭(しんじようさい)・大嘗祭の前後の定例の行事や、臨時に宮殿の新築・移居・斎宮・斎院の卜定のあとに行う神事のことです。

そして大宮能売命は、神祇官八神(宮中八神)の中の一柱として、宮廷の天皇の大殿内に祀られているのです。

ここで、出入りの者を監視し悪霊の侵入を防いで,親王や諸臣たちが過ちを犯すことなく,心安らかに仕えるように見守っているといいます。

だから、「物事がうまく運ぶように、導いてくださる神様」だといわれています。

この神は、『古語拾遺』と大殿祭祝詞は忌部氏に関係して、忌部氏の伝承で重要視しされていたといわれます。

ここにニニギやイザナギと一緒に祀られ、稲荷神を守護しているのでしょうか。

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拝殿
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亀石
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年に一度だけ 大雨の日に小石を産むといわれる亀石。
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そして、ここから狐が祭られる 「久美社」に行きます。

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金毛九尾の狐の霊を祀るとう社。
この拝殿には、「ダーキニー」の姿が描かれています。

そして、最後に、

夜泣き石
風のおさまった月のない夜、すすり泣く声がするという 「夜泣き石」は、
「郡の素封家宮内の庭にあったといわれます。

一見どこかのお屋敷の庭の中とも読めるこの一文。
でも、私は、封印された一族が住む、本来の宮内に祀られてあった石とも思えます。

「月のない夜」 はまるで、姫が消された姿ですね。

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この岡の上には、本当は姫が祀られそこには、姫を祀る一族の国があったのかもしれません。

海の上に遠く浮かぶ島が見えるこの岡の上に。。。。
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by ldc_nikki | 2012-02-16 00:00 | 愛媛県伊予市 | Trackback | Comments(0)

こんばんは。

昨日は、久しぶりに23時に寝ました。
せっかく早く寝たのに、起きた時間はいつもより遅くびっくり!

でも、おかげで今日は身体がなんとなく軽いような気がしました。

やっぱり寝ないとだめだなあ~と実感しました。 

これからは、なるべく平日は早い寝ないといけないな、と反省。

みなさんも、睡眠不足にお気をつけください^^

さて、今日のお話は、以前ぐ~たらさんにヒントをいただきました、

「伊予稲荷神社」に行ってきましたので、まずは稲荷と蛇のお話をさせていただきたいと思います。

ぐ~たらさんは、徳島の歴史を神社に行きながら調べている方なのですが、本当によくいろんなことを知っていて、尊敬しております。

ぐーたら気延日記(重箱の隅)

以前ぐ~たらさんがコメントで書いていたことが気になり行ってみることにしました。

西野八平さんの著書の中に書かれてあったという、卑弥呼 「邪馬台国」の勢力の広がりが、この稲荷神社に関係があるとのことでした。

邪馬台国と瀬織津姫の関係は、まだはっきりとわかっていませんが、関係があることは間違いありません。

それを知るためにも、ここは一つのヒントになるのかもしれません。

「稲荷神社」 とは、京都の伏見稲荷神社を総本山とする神社で、日本の神社の中で、この稲荷神社が一番数が多いとも言われています。

神社にあまり詳しくない人でも、知っている 「稲荷神社」とは、いったいどんな神社なのでしょう。

まずは、そこからお話します。

稲荷神社に祀られる神さまは、 五穀と養蚕を司る穀物神(「宇迦之御魂(ウカノミタマ)」)・農耕神(「倉稲御魂(ウガノミタマ)」)で、この神様を稲荷大明神といいます。

この稲荷大明神は、神仏両方の神として祀られ、神仏分離後は、穀物・食物の神である、
豊宇気毘売命(とようけびめ)、保食神(うけもち)、大宣都比売神(おおげつひめ)、若宇迦売神(わかうかめ)、御饌津神(みけつ)なども、稲荷神として祀られています。

また、神仏習合の時代は、仏教では、「荼枳尼天(だきにてん)」 と同一視され寺院でも祀られています。

朱い鳥居と、白い狐が稲荷神社のシンボルですが、これらの起源は、 この

「荼枳尼天(だきにてん)」 ダーキニーからきています。
 
ダーキニーは、仏教の神であり、インドのヒンドゥー教の女鬼(半女神)に由来しています。

その姿は、「白狐」 に乗る天女の姿で表され、剣、宝珠、稲束、鎌などを持物します。

インドでダーキニーは、魔術により強風を起こし、虚空を飛ぶ魔女として登場します。
ヒンドゥー神話では、敵を殺し、その血肉を食らう女鬼・夜叉女となっています。

それが後に、仏教へと取り入れられていったといいます。

京都伏見稲荷神社に、初めて祀られたのは 「711年」 といわれます。

この起源は、日本書記と、『山城国風土記』にあり、その内容は少し違います。

まずは日本書記にかかれてある文。

 「稲荷大神は欽明天皇が即位(539年または531年)する前のまだ幼少のある日「秦(はた)の大津父(おおつち)という者を登用すれば、大人になった時にかならずや、天下をうまく治めることができる」と言う夢を見て、早速方々へ使者を遣わして探し求めたことにより、和銅4年(711年)二月初午の日に秦(はたの)伊呂巨(具)(いろこ(ぐ))が鎮座した。」

そして 『山城国風土記』

秦氏の祖先である伊呂具秦公(いろぐの はたの きみ)は、富裕に驕って餅を的にした。
するとその餅が白い鳥に化して山頂へ飛び去った。そこに稲が生ったので(伊弥奈利生ひき)、それが神名となった。
伊呂具はその稲の元へ行き、過去の過ちを悔いて、そこの木を根ごと抜いて屋敷に植え、それを祀ったという。また、稲生り(いねなり)が転じて「イナリ」となり「稲荷」の字が宛てられた。

まず、日本書記のほうですが、ここで重要な箇所は、私は「欽明天皇」 と 「秦」 「和銅4年711年」

このみっつだと思っています。

どうして、「欽明天皇」の名前がここで使われたのかです。

「欽明天皇」とは、539年~571年の間のことをいい、この時代の一番重視することは、

「仏教が伝来がこの時からはじまったということです。」

稲荷神が、密教と習合されるのは、空海が起源となっているようなので、最初に稲荷大明神として現れた時がダーキニーと考えられていたとは思えないのですが、姫の封印には、「仏教」を伝来してきた人物が大きく関わっているのではないでしょうか。

だから、この時代が起源とされたのではないかと考えます。

そして「秦」。

一般的に、稲荷神社とは、『山城国風土記』にも書かれてあるように、 「秦氏」の子孫が祀ったことになっているため、「秦氏の神」と思われています。

でも、私は、本来の(瀬織津姫を祀る)秦氏とは違うと思っています。

それは一族の中の裏切りから出たものかもしれませんが、秦氏が本当に祀っていた神は 狐ではなく「蛇」

瀬織津姫だったからです。

そのことが少し現れているのが、『山城国風土記』です。

秦氏の祖先である伊呂具秦公は、

「過去の過ちを悔いて、そこの木を根ごと抜いて屋敷に植え、それを祀ったという」 と書かれてありますが、
この過去の過ちとは、新大和に対してのことばであり、自分は新大和の人間になったことを表しているのだと思います。

それは、その前に文にも現されています。

「伊呂具秦公(いろぐの はたの きみ)は、富裕に驕って餅を的にした。
するとその餅が白い鳥に化して山頂へ飛び去った。そこに稲が生ったので(伊弥奈利生ひき)、それが神名となった。」

この的にした 「餅」 とは、瀬織津姫のことです。

瀬織津姫は、一般的には水の女神と言われていますが、本来はただの水の女神ではありません。

「命」の根源。 言い方を変えられば、あのもののけ姫の 「しし神」さまのように、命を再生することも、命を奪うこともできる神だとされていたのです。

本来は、「命を奪う」 という言い方は間違っているのですが、

古来、メソポタミア文明の中の神話のように、 命の誕生から、死ぬまで全ての命の源だと考えられていたせいで、この最後の部分、命を奪うところだけが後に強調されてしまいました。

日本の主食は 古来より 「稲」 です。

食べ物がなければ、人はいきていくことができません。 稲作により豊かになっていった大和は、「稲の豊作」
をなにより望んでいたこととではないでしょうか。

また、少し話しがそれますが、この 「稲=米」 は太陽の恵み(アマテラス)によりできたもので、また、これを神と一緒に食べることで、天皇は神と一体になろうとしました。

それが、新嘗祭です。

瀬織津姫が豊受大神となり、伊勢神宮の外宮に祀られることとなった意味は、
「命」に必要な 「稲」が必要だと考えたからではないでしょうか。

お正月に飾る 「鏡餅」 の 「餅」 は、 「蛇」 の姿だといいます。

「餅=蛇」なのです。

蛇である餅を的にして矢を放つと、その餅が 「白い鳥」になって飛び去った。

「白い鳥」 とは、あの三島明神の中でも表されているように、 太陽=カラス 月=白鷺 

「白い鳥」とは、月の神使。 姫は白い鳥になって、いなくなってしまったということです。

そうして、そこには、「命の源」=「稲」 だけが残った。

瀬織津姫を祀っていたと思われる、愛媛(伊予の国)の神社、特に、この今治近辺では、「弓祈祷」という神事があちこちで行われますが、これも同じです。

餅の代わりに、「鬼」と書かれた的に向かい、弓を放ち無病息災を願います。

『山城国風土記』に書かれてあることは、朝廷の立場から見た、姫の姿をあらわしているのだと思います。

そして、最後の 「711年」

これは、古事記が完成する1年前。 まさに、姫を消し去る争いが一番激化しているころです。

日本書記と『山城国風土記』。

この両方をあわせみると、稲荷神社が姫の封印にかかわったことがよくわかるかと思います。

しかし、これだけではありません。

稲荷(白い狐)が本来が、姫(白い蛇)だったことは、この他の由来からも読み取ることができます。

空海の伝説です。

弘仁7年(816)、空海は、紀州田辺で稲荷神の化身である異形の老人に出会いました。
身の丈8尺、骨高く筋太くして、内に大権の気をふくみ、外に凡夫の相をあらわしていました。
老人は空海に会えたことをよろこんで言いました。

<自分は神であり、汝には威徳がある。今まさに悟りを求め修行するとともに、他の者も悟りに到達させようと努める者になったか らには、私の教えを受ける気はないと。>

すると、空海はこう答えました。

<「(中国の)霊山においてあなたを拝んでお会いしたときに交わした誓約を忘れることはできません。生きる姿はちがっていても 心は同じです。私には密教を日本に伝え隆盛させたいという願いがあります。神さまには仏法の擁護をお願い申し上げます。
京の九条に東寺という寺があります。ここで国家を鎮護するために密教を興すつもりです。この寺でお待ちしておりますので、 必ずお越しください>

こうして、東寺では、真言密教における荼枳尼天(だきにてん、インドの女神ダーキニー)に稲荷神を習合させ、真言宗が全国に布教されるとともに、荼枳尼天の概念も含んだ状態の稲荷信仰が全国に広まることとなったといいます。

ダーキニーとは、白い狐にのった半分鬼、半分女神の姿をした神。

東寺では、空海がこの白い狐を呼んだという伝説になっています。

空海と瀬織津姫には、封印と鎮魂の両方の繋がりがあると思うのですが、この狐は、姫と狐に変えて封印させたということなのでしょうか。

白い狐が稲荷神と習合したのは、空海が由来と言われています。

稲荷大明神=宇迦之御魂の 「宇迦」とは、「蛇」 のことを表します。

宇迦之御魂とは、「蛇の御魂」 の神ということになります。 

また、宇迦は宇賀ともかかれ、 弁財天の中にもその名は見られます。

それが宇賀弁財天です。

弁財天は、瀬織津姫。 稲荷大明神の本来の姿は瀬織津姫です。

四国には、狐の伝説や昔話がほとんどないといわれます。

それは、狐は悪さをするからと、空海が四国から追い出したといいます。

そして、一説には、四国に鉄の橋がついた時、狐がもどってくるだろうとも言われたといいます。

鉄の橋とは、瀬戸大橋、しまなみ大橋、明石大橋のことなのでしょうか。

三つの橋が四国にかかり、いよいよ狐(瀬織津姫)がこの四国にもどってきたのでしょうか。

弁財天といえば、天河弁才天。

私も一度でいいから行ってみたい場所です。 弁財天は、役行者が開基したと伝わりますが、
ここに 「天河秘曼陀羅」 という絵があります。

この絵に描かれた弁才天は、通常の人の姿ではなく、三つの蛇の姿として表されています。

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身体が一つで、顔が三つの蛇。

これが、瀬織津姫の意味でもあります。

それは、古代文明にそのヒントがあります。

人類最古の文明とも言われる メソポタミア文明。

その神話に書かれた、創生の女神とは 「女神ナンム」 でした。

ナンムとは、「原初の海」 天地が形を整える以前に世界のはじめからあった淡水の海」を体現する女神です。

それは、大地の下に広がり、冥界でもあり、生命の源でもある淡水の世界アプスーを司る女神でした。

それが本来の瀬織津姫の姿です。

しかし、その後、シュメール人は、ナンムから生まれた子 「エンキ」を登場させます。

このエンキはナンムと同一とも言われ、水による創造の力を持つナンムが姿を変えたものと考えられています。

女神ナンム時代の女性的な「生命を産み出す海」から、エンキ時代の男性的な「精子」へと、とらえ方を変化させていったのです。

そして、そのエンキは配偶者ニンフルサグとの間に女神ニンサル(植物を司る)という娘が生まれ、
ニンフルサグの不在の間、ニンサルと関係を持ち、女神ニンクルラ(農耕・牧畜を司る)という娘をもうけます。
さらに、エンキそのニンクルラとも関係を持ち、女神ウットゥ(機織り、もしくは蜘蛛を司る)をもうけました。

世界の神話は、時代とともに、さまざまなものが融合されていきます。

古代人々は、空と地の両方に水源があると考えました。

そこには、空を飛ぶ鳥(水鳥)である女神、また水(蛇)である女神がいると考えました。

人々は、鳥であろうが、蛇であろうがその神格は同じと考えていたのです。

(鳥は水鳥であり、鷲や鷹などは猛禽類になるため男神信仰となります)

その姿をあらわした女神が、ギリシャ神話 「アテーナー」です。

このアテーナーは、本来はギリシャ神話以前から、母権社会であった、ペラスゴイ人によって崇拝されていた、人面蛇身で顔を見た者を石に変える大地の女神メテュスであったといいます。

また太古の昔から、女神は、概念的には三相一体でした。

若い娘・子どもを生む女性・老婆の三つの面を持つ女神です。

これを元に、さまざまに変化されていったといわれます。

稲荷神に習合された 「ダーキニー」 も この三相一体の一つ(老女)なのです。

女神は、命がたどる道全ての源であると考えられていたのです。

だから、この天河弁才天の蛇の顔も、三つ。 本来は一つの女神からなる三つの女神の姿なのです。

農耕時代、女神の姿は、「再生の女神」 「月の女神」 となりました。

生命を育て、豊穣を促す女神(稲荷神と同じ豊穣の神)、それは月に繋がると考えていたからです。

それと同時に、自然が時々引き起こす破壊力も、女神の姿と考えられていたのです。

しかし本来女神信仰だった、母権制社会は、時代とともに、「父権制社会」へと世界中で変わっていき、
女神の姿はなくなってしまったのです。

これが、瀬織津姫の封印です。

そして、現在は、父権制社会(キリスト)の世の中になりました。

稲荷神とは、まさに女神信仰から、男神信仰への意向を表しているのです。

一般的には、 「アマテラス」 は 女神とされていますが、本来は 「男神」 

それを女神としたことは、男と女 「陰と陽」 があわさることで初めて物事は生み出されると考えられていたため、「男(天皇)」 と 「女神(アマテラス)」 でなければいけなかったのだと思います。

古代山に女が登れなかったのも同じです。

「山である女神」 のところへいけるのは、 「男」 でなければ、いけなかったのです。

文明が生まれて、もう数千年がたとうとしていますが、見えないところで今もその考えは続いているのです。

みなさんは、これを見てどう考えるでしょうか。

神さまなんて関係ない。なんて思っていても、今も根源には、それがあり、今の世の中は造られているのではないでしょうか。 それが、(お金儲けのことだけを考える) 資本主義社会です。





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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2012-02-15 00:46 | 愛媛県伊予市 | Trackback | Comments(8)

こんばんは。

今京都では、祇園祭りが行われていますね。
私の家の近くにも、祇園さんとよばれる神社があります。 その神社でも、毎年京都の祇園祭りと同じ時期にお祭りが行われます。

でも、あの祇園祭の山鉾のようなものはありません。

山鉾と言えば、愛媛県の東、四国中央市、元伊予三島市と川之江市、そしてお隣の新居浜市、そして西条市には、太鼓台があります。

この太鼓台は、香川の善通寺の辺りから、愛媛の西条市まで続いています。
しかし、なぜか、そのお隣、今治市にはありません。
どうして、西条市まででとまったのか、 そのことにも、古代の秘密がかくされているような気がします。

この太鼓台の起源は、京都のこの祇園祭りから来ているといわれています。
同じところから渡ってきたお祭りなのに、伊予三島市や川之江市はご神体が 「女神」、そして新居浜は「男神」だそうです。

四国中央市出身の方がどうして、うちは女神なんだろう? と言っていたことがあります。

京都の祇園祭の山鉾のなかで、一番美しく人気のある山鉾は、瀬織津姫がご神体の山鉾だそうです。

この瀬織津姫さまの起源は、
平安時代に鈴鹿峠で旅人を苦しめた悪鬼の征伐にやってきた坂上田村麻呂を助けた武勇の女神が瀬織津姫だといいます。

祇園祭りと瀬織津姫がどんなに繋がっていたのかとずっと不思議に思っていたのですが、
繋がってきました。

祇園祭は、863年、平安時代に疫病が流行り、いっこうに収まらないのは悪霊のせいだと思い、全国の国の数を表す66本の矛を卜部日良麿が立て、その矛にに諸国の悪霊を移し宿らせることで諸国の穢れを祓いを行おうとしたのが、起源といわれています。

もしかしたら、祇園祭を行うきっかけも、瀬織津姫だったかもしれないですね。
そして、四国中央市の太鼓台にのっている、ご神体も、瀬織津姫かもしれません。


では、今日の神社です。
今日でひとまず、伊予市は終了となります。 松前町、伊予市と続けてご紹介しましたが、やはりこの辺はかなり古くから、国がつくられていた場所ではないかと思います。

そして、その重要な場所には、 姫が祀られていました。
その後、大山祇神社が宮浦へ移ったころから、それらの神社に、他の神様や三島神社を勧請していったのだと思います。

今日ご紹介する神社も、その神社の一つだと思います。

*埜中神社
*伊予市下三谷2383
*御祭神
 伊佐那岐命(いざなぎのみこと)
 伊佐那美命(いざなみのみこと)
 鹿屋野比売命(かやぬひめのみこと)
*境内社
 御﨑神社(須佐能命)    天神社(菅原道真公)
 眞名井神社(五男三女神) 猿田彦神社(猿田彦命)
*由緒
 社前三町改田の水の神
伊余志によると上古より国造りが招いた古社であり、伊与村神と称する祭神の四柱の神。
本郷の産土の神として歴代の天皇や皇の崇敬深く、他の神社とは異なる風習が有ったとある。
神戸郷御谷邑、四所神社 一つであり推古天皇の御代4年10月厩戸皇子が行啓になり 国司散位小千の宿袮益躬に命じて指令を下し四柱神社を建立させた神戸の郷の一の宮、野中大明神とある。

現在の祭神は、上記の三柱の神ですが、 もともとは別の神様が祀られていたのではと思っています。

「伊与村神と称する祭神の四柱の神」
この四柱の神の中に、水の神 瀬織津姫の名前があったと、私は思っています。

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広い境内の中に拝殿はありました。
そしてその拝殿の前には、大きなご神木があります。
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拝殿
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本殿
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沢山の境内社がありました。
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入らずの森
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拝殿から見ると、鳥居の向こうは海。
ずっと昔、ここから見る景色は、いったいどんな風景だったのでしょうか。

海がもっと近くまでせまっていて、美しい渚がすぐそこに見えていたのかもしれません。

できることなら、その時代に戻り、ここから見る美しい景色を、見てみたい。
ふと、そんなことを思いながら、神社をあとにしました。
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次回は、興居島へと渡る前に、久しぶりに行った 多伎宮です。
初めて 木霊聞いた、精霊の宿る神社 多伎神社です。 

今回も、とっても不思議な出会いがありました。 小さな小さな、可愛いモデルに。




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

一昨日は、四国中央市、そして昨日は、久しぶりに、久万高原町へと行ってきました。
四国中央市では、念願の姫の場所へとたどり着くことができました。
そして、久万高原ではたった2時間くらいの滞在でしたが、とても中身の濃い旅となりました。
お話は、少し先になりそうですが、どうぞお楽しみ♪

今日の動画は、先日7月12日に大阪で撮影された、二重のアーチ虹の映像です。
こんなに、くっきりと二重の虹が見えるのは、とても珍しいです。
そして、赤い色がとても濃いのも特徴的です。
都会の街の上に、現れた 二重の虹。 何かのメッセージかもしれませんね。





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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-07-18 03:07 | 愛媛県伊予市 | Trackback | Comments(0)

こんばんは。

今日は、先日の続き、伊予市の神社です。

松前町のお隣、伊予市も、とても古い神社が多い町です。
今日、ご紹介する神社も、そんな古代より鎮座する神社の一つです。

そして、祭神は、

「天照大神荒魂」 です。

天照大神荒魂は、もうご存知だと思いますが、瀬織津姫のことです。
神社の名前は、廣田神社。 廣田神社は、兵庫県西宮に鎮座する、姫の神社の一つです。

もともと、この場所は、とても古い時代に、国造神籬を樹て、廣田大神を勧請したのが始まりと言われています。
そこへ、推古帝の御宇4年(西暦596年)厩戸皇子勅を奉じて当国に行啓ありし時、国司小千宿禰益庫躬に令旨を下し神殿を造営せしむ」と伝えられています。

そして、瀬織津姫の横には、ニギハヤヒもちゃんと鎮座されていました。
推古天皇の時代は、愛媛に、もう一つの勢力が力を伸ばし始めた時でした。

大三島の瀬戸に、三島明神を祀ったのも、この時代だといわれてます。
今、私が一番気になっている時代、 587年~745年。 この160年くらいの間に、ここ瀬戸内海でも大きな変化が訪れたのです。

そんな時代に、建立された、この廣田神社も、特別な思いを感じる神社でした。

*廣田神社
*伊予市上三谷甲3165
*御祭神:天照大神荒魂(あまてらすおほかみあらみたま)
*境内社
 冨田神社 尊霊神社 青木神社 高守神社 三光神社
 岩崎神社 生目八幡神社 八重神社 庚申社
 
*由緒
 「上古、国造神籬を此地に樹て、廣田大神(摂津国武庫郡、現在の兵庫県西宮市)を勧請せし地なるにより、推古帝の御宇4年(西暦596年)厩戸皇子勅を奉じて当国に行啓ありし時、国司小千宿禰益庫躬に令旨を下し神殿を造営せしむ」と伝えられている。
 当社の周辺には、上三谷古墳群と呼ばれる多くの古墳が存在しており、特に昭和44年果樹園造成中に三角縁神獣鏡の破片2面分が出土し嶺昌寺古墳と呼ばれているものは、西暦300年代中頃のものと推定されており、道後平野最古の古墳とされている。

では、境内をご紹介します。
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田んぼの横の参道を歩いて鳥居へ。
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鎮守の杜の中に、姫の拝殿が見えてきました。
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狛犬にご挨拶
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そして、拝殿へ
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三島の神紋
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本殿の裏の木
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本殿
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ニギハヤヒをまつる 富田神社
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参拝が終わって帰ろうと思ったのですが、少し聞きたいことがあり、宮司さんのお家に行ってみることになりました。
どこが、宮司さんちなんだろう?

そう思っていると、ちょうど宅急便屋さんが、一軒の家に行く姿が見えました。

神社の境内のすぐ隣。

(もしかして あそこかも?)

宅急便屋さんが、帰ったので、すぐ家を訪ねていってみました。

「すみませ~ん。 こんにちは~」

(宮司さんの奥様らしき人が出てきました)

「すみません。 ちょっと聞きたいことがあるのですが。。」

そういうと、靴をはいて、私たちのところへ来てくださいました。

「本殿の横のお宮は、どなたを祀られているのでしょうか?」

「あ~。 あそこは、大国主ですよ。 それから、横にあった小さい祠は。。。。」

と、境内のそのほかの境内社の説明もしてくださいました。
おまけに、神社の周りの地域のことや、境内社がどこから来たかとか、親切に身振り手振りで教えてくださいました。

そして、ここでもまた、帰ろうとすると、黒いアゲハがす~っと出てきました。

姫さま、 ありがとうございます。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今日は最後に、ジェヒさんの質問へのお返事をここでさせていただきたいと思います。

>大祓詞に出てくる禊ぎの3神で瀬織津姫だけが有名なのはなぜでしょう?

私の考えなので、他の考えの方もいらっしゃると思いますが、「大祓詞」 は、 瀬織津姫がこの世から消された代わりにできたようなものだからじゃないでしょうか?

大祓詞は、ご存知のように、中臣祓詞ともいい、 人間の罪や穢れを、祓うために唱えられた祝詞です。
滋賀県の佐久奈度神社が、「中臣大祓詞創始の社」と言われています。

大祓詞とは、瀬織津姫をこの世から抹消してしまい、その際に犯した沢山の罪から逃れようとしてできた呪文、また唱えるだけで、極楽浄土にいけるといった 「南無阿弥陀仏」 と同じようなものなだと思います。

唱えれば唱えるほど、その効果は高いと思われ、何百回、何千回と、唱えたこともあったといわれます。

それだけ、自分たちがしてしまったことへの罪の重さを感じ、自分たちの思うがままになったように思えても、
いつまでも、その罪から逃れることができなかったのだと思います。

そのために作られた 「詞」 それが、大祓詞だから、瀬織津姫だけが有名なような感じがするのでしょうね。

>川に何でも流す行事が今でも行われていて、七夕飾りや精霊流し、疫病流しなどもそうだし、川に流すもの探せばたくさんあるこれら全てが瀬織津姫と関係あるのかしら^^;;


本当にそうですね。 日本語には、 「水に流す」という言葉がありますが、 この言葉も、この 「禊」からきている言葉だと言われます。

古代から、 水は、清めてくれる存在でもあったのだと思います。

「大祓詞」 も、原点は、そこからきているのでしょうね。

七夕飾りを流す、
七夕流しは、昔、棚機津女という、機織り機で布を織る巫女を、年ごとに村の中から一人選び旧暦の7月7日に人里離れた水辺の機屋の中で、 その夫たる神様を、衣を織りながら待ち、訪れた神は棚機津女の村に豊穣を授け、その代わりに穢れを持って立ち去る時に七夕飾りを川や海へ流し送りだすといった伝承がありました。

川は海へと通じ、海は全てのものを飲み込み、浄化されていくのだと、昔の人は考えたのだと思います。
海の水分は水蒸気となり、空へとのぼり、雲となり、また雨となってこの地を潤す。

ふった雨は、山の地面へとしみこみ、さまざまな植物の生命を育むとともに、その雨は、やがて、川となってまた海へと向かい流れていく。
その循環が、この地球のしくみ、地球の生命の営み。その中から、「禊」 という考えが生まれていったのだと思います。

昔の人々は、 「禊」が一番大事なものだと思っていました。
だから、禊を原点にしたさまざまな風習が日本にはあるのでしょうね。

神と繋がるために、 いつも清らかな心と体でいなければいけないと思い、禊というものができたはずなのですが、それもまた、ある時から、自分たちの犯した罪を流し、罪に縛られた心から開放したいと願い、人間のための禊、「大祓詞」 へと変化していったのですね。

でも、何かにすがりたい。と思う気持ちは、 人間のもつ普通の気持ちなのかもしれません。
人間はとても弱いものなのですよね。

だから、「大祓詞」 を唱え、自分の犯した罪を反省し、詫びることができるのなら、 それは必要なものなのかもしれないと思います。
それによって、本当に、心を入れ替え、また新しい出発をするために。

今、この世の中は、 「禊」 が必要なのかもしれませんね。
よい世の中を作るために。。。。。。




 

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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-07-16 04:52 | 愛媛県伊予市 | Trackback | Comments(8)

こんばんは、

今日、太平洋のはるか南 南鳥島近海で、台風が発生しました。

台風第6号 名前は 「マーゴン」 
これは、香港の山の名前だそうです。 

今はまだそんなに大きくありませんが、これから、かなり発達してくるもようです。
今回の台風は、進路が、日本に影響するコースでやってくる予想です。

私も、久しぶりに、とても気になる台風です。

連休明けに、日本のどこかに、近づくか、上陸する可能性がありそうです。
台風の進路をこまめにチェックして、 もし、進路にあたる場合は、停電に備えたり、食べ物をある程度確保したり、万が一に備えておいたほうがいいかもしれません。

何もなければ、 それはそれでとてもラッキーなこと。
無駄だと思わず、準備をすることは、大切だと思います。

さて。
今日は、伊予市の神社です。
伊予市は、昨日までお話していた、松前町のお隣の市です。

神社の名前は、水之明神社。 名前のとおり、ここは水の女神
水波能売神(みつはのめのかみ)を祀る神社、瀬織津姫を祀る神社です。

今は、神社も小さくて、 とてもわかりにくい場所にありますが、とても古い、由緒のある神社です。

古代からあったと思われる、この神社は、もとは、明神山という山の上に祀られていました。
神が明ける山、明神山は、 伊予市インターを南予方面へと行くと、最初に通る、明神山トンネルのある山です。

以前、一度、お話したことがありますが、ここは、中央構造線が通る場所で、このトンネルを境に、空気がかわる場所です。
以前から、このトンネルを通るたびに、ここから先は、まるで天界へと通じる道みたいだね、とよく話をしていましたが、 やはり、この山の上は、瀬織津姫さまが、古代に祀られていた神域、この山が、ご神体だったのです。

明治時代に、現在の場所、神様をお迎えしたそうなのですが、
場所は変わっても、 神社には、姫さまの優しい空気がいっぱいの場所でした。
なんとも言えない、居心地のいい空間というのか、清清しい、 清らかな空間というか、言葉ではなかなか言いあらわせない、 とても素敵な場所でした。

そして、可愛い出会いも。

では、神社をご紹介します。

*水之明神社(みずのみょうじんじゃ)
*伊予市三秋391
*御祭神: 水波能売神(みつはのめのかみ)
*境内社: 厳島神社 石鎚神社 春日神社 素鵞神社

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鳥居のすぐ側の木々が生い茂る中に、そっと鎮座する小さな境内社。
名前は書かれていなかったのですが、ここにも、姫がいるようなそんな気がしました。
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そして、拝殿へ。
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境内へ入ろうとしたその時、目の前に何か黒いものが。。。
写真の真ん中に、小さな黒いものがあります、 さて、あれはなんでしょう?
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丁度真ん中に、 上から細い糸で降りてきた、可愛いみのむしでした。
虫が苦手な私ですが、 なんだかとても可愛く見えました。 お出迎えしてくれたのかな?
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糸を切らないように、 背を低くして、そ~っと、みのむしの側をとおりすぎました。

境内の中に入ると、そこは、姫の空気が漂う、とても透き通った空間でした。
黒いアゲハはもちろん、いろいろな蝶が、あちこちから姿を見せ、まるで、姫たちが集まっているかのようなそんな気がしました。

そして、拝殿へ。
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本殿へ。
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反対側へ周ってもう一度とると、まぶしい光が。
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もう一枚とると、今度は優しい姫の光が。
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本殿の側の境内社
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瓦に刻まれた 「水」の文字。
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参拝が終わり、境内を出ようとした時、

「あれ? いない」

境内に入る時にいた、みのむしがいなくなっていました。

「もしかして、糸がきれちゃったの?」

心配になって、辺りを見回しました。

すると、 みのむしくんは、私たちが通りやすいようにと思ったのか?
まるで、私たちが帰るのも確認したかのように、一生懸命 糸をつたい上へと上っていました。

なんだか不思議ですね。
普段なら、みのむしがいても、こんな気持ちにはならないのに、この姿がとてもいとおしく、可愛く、ありがたく思える。

勝手な思い込みかもしれませんが、 こんな些細なことで幸せな気持ちになれる。
そして、いろいろな生き物、自然と繋がっていることを実感できることを、とてもありがたく思います。

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明神山
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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今日、下の子供とお風呂に入っている時 子供がこんなことを話しました。

「ねぇ ママ。 〇〇先生ね、すごく話が長いんだよ。
 家の話や、子供の話、 つまらない話ばかりして、休み時間がなくなるし、 
 ほんと、話が長すぎるんだよね。」

と、不満気に、私に言ってきました。

「〇〇くん、どうして長い話がだめなの? 何が、長い話のどこがいけないことなの?」

すると、息子は黙って何も言いませんでした。

「先生は、 みんなに役に立つお話だから、 話をしてくれているのかもしれないよ。
 それなのに、 長い話をすることが、そんなにいけないことなの?」

「いや、いけないことだとは言ってないけど・・・・・。」 と、気まづそうに。。。

「みんなは、ただ、休み時間に遊べなくなるから、 話がいやなだけでしょ。
 休み時間に遊びたいのは、 〇〇くんたちの勝手な気持ちじゃない?
 だったら、それだけで、先生を悪者にするのは、変だと思うけど、そう思わない?

 話の内容が、悪いのではなくて、自分たちにとって都合が悪いから、悪者にするのは、
 間違っていると思うけど。」

息子は、 はっと気づいたようでした。
誰かが、 悪者にすると、 悪い理由がなんなのかもわからずに、 悪い存在になってしまう。
何が悪いのかをたずねると、 その悪い理由が見つからないことに気づかされたようでした。

「先生は、もしかしたら、とても重要なお話をしてるかもしれない。
 最初から、どんな話も、必要ないものだと思ってしまったら、必要ないものに聞こえてしまうんだよ。
 もし、本当に、その時に必要ないお話だったとしても、将来そのお話の中に、何かのヒントがあったことに
 きづくかもしれないんだよ。
 だから、どんな時も、人の話はきちんと聞かないとだめだよ。
 いろんなことが、将来どんな形で役にたつかわからない。 無駄だと思うものほど、必要なものだったりする
 ものなの。  それが、人生をうまくいきる秘訣なんだからね。」

 小学生の子供には、少し難しい話だったかも? 
 と言ったあとに思ったのですが、 でも、きっといつか、私の言っていることが、わかる時がくると思い、
 いつも、子供たちには、話をします。

今日の息子の話は、 日常あちこちで起こっていることだと思います。
冷静に考えてみると、悪い理由は、自分が作った勝手な理由のことが多いのです。
みんなが言うから、なんとなく そんな気になってくるなんてことも、そこらじゅうで繰り広げられています。 

今の時代は、
本当は、何がいけないことなのか、何が間違っていることなのかを、 沢山の人が同じ意見でも、冷静に判断することのできる強い心を持たないといけないような気がします。

そして、どんなことにも、無駄なことはないということ。
人は、知識より経験が大事。
いくら知識が沢山あっても、 実際に生きていると、その知識がそのまま役にたつとは限りません。
もちろん、知識も必要ですが、
どんなことがおこっても、乗り越えることのできる力は、沢山の経験、体験から生まれることが多いのです。

失敗してもいい、挫折してもいい、 全てが生きる知恵となるのだと私は思います。

子供たちには、大人になるまでに、多くの人の話しを聞き、沢山失敗して、沢山の体験、経験をして、大人になった時、その時々で最適な判断、柔軟な考えをもてる人間になってもらいたいなと思います。

でも、もちろんそれは大人になっても続きます。
何歳になっても、同じです。 自分の目の前に起こる全てのことを、有難く受け入れ、体で、心で吸収したことが、未来をつくる種になるのだと思います。





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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-07-13 23:38 | 愛媛県伊予市 | Trackback | Comments(0)

こんばんは。
もう3月も終わりだというのに、今年は本当に寒い日が続いています。
皆さんは、風邪など引いていませんか?

来週は少し暖かくなるようです。
風邪を引かないように、お身体を大切にしてください。

今日は、最初に少し謎解きの話になります。もし、あまり興味のない方は少しとばしてお読みください。
もちろん、興味ある方にとっては、とても重要なお話になるかもしれません。
先日からご紹介している、双海町ですが、今日紹介しようと思った 双海町の 「三島神社」を調べていて、とても興味深いものを見つけました。

以前、ご紹介した 双海町の三島神社も、西暦700年代に建立されたもので、とても越智氏族と深い関わりのある神社だということが、わかっていました。
三島神社なので、もちろん 祭神は 「大山積命」

そして、今日ご紹介する 「三島神社」も祭神は 「大山積命」 です。

しかし、双海の三島神社についての、古い文書の中に、次のようなことが書かれていたのです。
「祭神は大山積命、雷神、高オカミ神の三座である。初め下津宮は諾冉二座、中津宮は饒速日命を祭祀、後に大三島より大山積を勧請、古くは河内神社と称した。」

まず、現在、表向きに書かれてある祭神は、「大山積命」 のみです。
雷神、高オカミ神は、大山祇神社の本殿の両隣に鎮座する、上津社、下津社の神です。
上津姫・雷神、下津社には下津姫・高靇神。
そして、この大山祇神社の上津社と下津社は、両方ともが姫とされています。
しかし、もとは、姫ではなかったのです。それが、ある時代に、両方を姫とするようにとの命令があり、姫となったと。。。
上記の続きの文章ですが、初めは、中津宮は饒速日命が祀られていたとあります。後に、大山積を勧請したと。 ということは、越智氏族が、この地に大山積命よりも前にお祀りしていたのは、饒速日命ということになります。越智氏は、自分の祖神である饒速日命をお祀りしていたのです。

大山祇神社の話に戻りますが、大山祇神社は、最初、大三島の瀬戸というところにあったと言われています。
ここに、お祀りをしたのが、 伊予国造りの 小千命。
そして、その後、朝廷の命令により、宮を現在の地へと移します。
それが、小千玉澄です。
私は、以前から、この最初の地にお祀りしていたのは、大山積神ではなかったと思っていました。
この瀬戸には、今も、最初にお祀りしていたとされる場所が残っています。
ここのお話は、次に詳しく話させていただきますが、今回のこの三島神社は、大山積神を祀る前に、饒速日命が祀られてたという記述が残っていたのです。
でも、ここにもまだ、隠されている神がいます。
それが、名前は、「河内神社」 という名前だったというところです。

「河内」 という名前は、饒速日命に関係のある名前ですので、本当がどちらだったのかはなんともいえないのですが、この三島神社のすぐ近くにある 「豊田神社」は、もともとやはり 「河内神社」という名前で、現在も「瀬織津姫」が祀られています。
そして、先日紹介した、「弓削神社」 は、この豊田神社の前に道を更に30分ほど走った場所にあり、この三島神社の末社になっており、ここにも、今は表には出されていませんが、「河内神社」から合祀されたと伝わる 「瀬織津姫」が祀られているのです。

「三島神社」 「豊田神社」 「弓削神社」 この三つの神社は、全てもともとが、「河内神社」と呼ばれ、一つは、饒速日命、二つは瀬織津姫が祀られていたことになります。でも、なぜか、一番重要な場所 「三島神社」だけが、饒速日命というのが、不思議なのです。

瀬戸内海に浮かぶ、大島のすぐ側の 「津島」は、もともと瀬織津姫が祭られていたことは、明確で、それを後に 大山積命に変えられています。
今度詳しくお話しますが、大山祇神社の最初の地、瀬戸も、もともとは水神として祭られていました。
饒速日命は、ご存知の通り水神ではありません。

すると、この双海の三島神社も、もしかしたらもともと、瀬織津姫だったかもしれません。
饒速日命は、越智氏族の祖神でもあり、瀬織津姫ともとても深い関係(夫婦神?)にある神のため、この名前になっていてもおかしくはないのです。

ともかく、この双海の三島神社の祭神が、神亀元年大山積神を勧請される前に、違う神、それが、饒速日命という名前が、きちんと記されていたことが、今までの謎を解く一つの鍵になることは間違いないような気がしています。
次回以降紹介します神社も、これらを解く鍵になる場所。
瀬織津姫の名前が一番初めに消され始めた、700年前後、この愛媛でも、越智氏族が祖神とする(瀬織津姫)を、大山積命に変えていったのではないかという、重要な場所ばかりです。
もちろん、これらは、私の勝手な解釈ですので、正しいかどうかはわかりません。でも、愛媛県中を周るうちにに、ますます、姫の姿が見えてくるような気がするのです。
愛媛だけでなく、日本中で同じようなカラクリ? 神々の名前を変えていったあとがあります。
これを調べたからと言って、どうなるわけでもないのですが、ただ本当のことに少しでも近づきたい。そんな気持ちがあるのかもしれません。

今の時代も同じで、権力や圧力で、本当のことは隠し、世の中は何もなかったかのように進んでいます。
いいのか悪いのか、ほんの少しですが、そんな世界を見てしまったからか、どうしてもそれを納得することができない自分がいて、でもどうすることもできなくて、その私の中にたまっている衝動と、今の神社巡りとが、相通じるものがあるのかもしれないと。。。。。。。
姫も、そんな世の中に消されてしまった一人だから。。。。。。。。。。

長くなりましたが、では神社の紹介です。
双海町上灘にある 「三島神社」です。

ここは、「三島」 という地区らしく、神社のすぐ側には、「三島川」が流れ、集会所も 「三島集会所」、バス停も、「三島バス停留所」といいます。
これらを見ても、この地区が、越智氏族にとってとても重要な場所、もしくか、三島信仰の篤い場所だったのには、違いありません。

*三島神社
*伊予市双海町上灘宮之下126
*祭神:大山積命(おほやまつみのみこと)
*境内社:
  日美神社
  金毘羅神社
  厳島神社
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可愛い龍の手水舎
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拝殿
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本殿
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三島の神紋
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厳島神社
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日美神社
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金毘羅神社
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神社の夕日
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三島の夕日
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双海の夕日
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双海の海に沈む真っ赤な夕日
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世の中には、矛盾したことが多い。 
物事には、陰と陽、裏と表が 悪と善が、ある。 これは、古代から変わることなく続いている。
陰があるから、陽があり、裏があるから表があり、悪があるから善がある。
これはどうしようもないことかもしれません。
でも、時々、どうしてこんなことがあるのか、どうして、陽より陰が強く、表より裏が強く、善より悪の方が強いのかと思う出来事がある。
そんな時、どうしようもない気持ちになります。

でも、怒りからは何も始まらず、怒りからは何も生まれない。
そう自分に言い聞かせ、心を落ちつかせます。
そんな私の心を、一番落ち着かせてくれるのが、今は、神社であり、寺であり、山であり、川であり、自然なのかもしれません。
そして、古くから日本に伝わる音色。 笛、琴、鈴。
これからを使った音楽を聴くと、心が静かになります。
特に、その中でも、最近、鈴の音が好きです。

今日は、この鈴の音をしばらく聞いていたい。。。そう思います。
明日も、皆様にとってよい一日でありますように。
おやすみなさい☆



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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-03-27 01:17 | 愛媛県伊予市 | Trackback | Comments(0)

数あるブログの中からお越しいただきましてありがとうございます。 不思議な数々の出会いから、今は、愛媛の神社めぐりをしながら、神社や女神様そして、神話の神々の伝説を調べています。
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