こんばんは。

四国地方も、梅雨入りをしました。
これからしばらく雨と霧の季節です。

昨年、この時期に神社に行くと、
今まで見たことないような景色にたびたび遭遇しました。

澄みきった青い空の下で、光り輝く木々の姿もとても美しいですが、
深い山々の中を流れる川から、
まるで湯気のように立ち上る霧。

海一面を、真っ白いまるで雲のような霧が覆い、
その中から島々の高い山の頂上付近だけが、
まるで、天空の山のようにその姿を見せる、
幻想的な海の姿。

山の中の神社へ続く参道を、
うっすらと漂う霧は、まるで別の世界への入口。

古代の人たちは、
霧に包まれた山や川や海を、
どんな気持ちで見ていたのでしょう。

もしかしたら、私たちの見えない何かを
そこにみてたのかもしれませんね。

では、今日の神社です。

今日は、松前町にある 「住吉神社」です。

ここは、名前の通り、
住吉明神をお祀りした神社です。

住吉明神とは、住吉三神のこと。

伊弉諾命は、黄泉の国から帰ってきた後、
橘の小戸の阿波岐が原で禊をします。

その禊によって多くの神々が誕生します。
この住吉三神も、その禊によって誕生した神々です。

「禊」とは、瀬織津姫そのものの意味ともいえます。

瀬織津姫とは、本来の姿を隠され、
大祓の詞の大神。穢れや汚れを祓う神、禊の女神とだけ残されました。

それは、本来の瀬織津姫が 
「再生の神」でもあったからだと思われ、
新しい神々が誕生する際に、その「再生」のためだけに
利用されたともいえます。

瀬織津姫は、姫自身の魂を、姫自身の禊によって、
新しい神々を誕生させたと、古事記の中では言っているのです。

伊邪那美神が、禊をしたことにより、
一番最初に誕生した神は、

八十禍津日(やそまがつひ)の神。
次に大禍津日(おおまがつひ)の神。

この二柱の神は、
黄泉の国という、けがらわしい国に行った時の
「穢れ」 によって生まれた神だといいます。

八十禍津日は、瀬織津姫と同一だとされますが、
それは、この意味にあります。

禊により多くの神々が誕生する一番初めに誕生したこの神は、

「穢れ」 の神だと言っているのです。

そうなんです。
これで、「穢れの部分」 「悪い魂」 だけを、
取り除かれたのです。

そして、その穢れの神とは、
「瀬織津姫の魂」 です。

新たな神を誕生させるためには、
瀬織津姫という女神の魂だけを、排除させなければいけませんでした。
それは、瀬織津姫という女神がいては、天照皇大神は一番の神にどうしても
なれなかったからです。

だから、伊邪那岐命は、
他の神々を生む前に、まず、「穢れ=瀬織津姫」 の魂だけは
捨てなければなりませんでした。

これが、古事記の中で 「禊」をさせた大きな意味だと
私は思っています。

そして、姫の魂は取り除かれ、
まっさらな、新しい神々が、誕生します。
その新しい神々は、古代の人々の考え方からすると、
以前の神のその力だけは保ちながら、
全く新しい命が、より強力な力をもって
誕生するのです。

しかし、その新しい神を誕生させるために、
もう一つしたことがあります。
それが、次の神の誕生です。

穢れにより魂を取り除いた後、
その魂へのたたりを恐れ、 
「禍(まが)」、わざわいを直そうと、三柱の神が誕生します。

それが、
神直毘(かむなおび)の神。
大直毘(おおなおび)の神。
そして、イヅノメです。

この時代の人々が、どれだけ姫の祟りを恐れていたか
このことが証明しているかのようです。

この三柱の最後に誕生した、「イヅノメ」は、
その意味がまだはっきりとされていない神の一つで、
この二柱のための巫女的な存在の神ではないかと言われています。

でもなんとなくこの 「イヅノメ」の 「イヅ=伊豆」が、
その意味を少し含んでいるような気がしています。
瀬織津姫が伊豆に渡り、その姫を追いかけていくかのように
伊豆に渡った大山積神の姿が私にはかぶります。

姫の穢れを落とし、
禍の元をただす神を誕生させ、
いよいよ、新しい海を司る強力な神が誕生します。

それが、住吉三神です。

禊は、川と海との境目。
潮と真水が交差するその場所で行われます。
潮と真水は重さが違うため、水の中では交差しているところで、
潮の部分と、真水の部分に分離されています。
だから、水の中の二つの水の両方、また、その両方の水が混ざり合った境目を
別々にその身体にかける必要があったのです。
(もう一つの理由は、女神は三つの魂によって成り立っていると考えられていたことも
理由の一つだと考えられます。)

だから、伊邪那岐命は、別々にその身体を洗うのです。

まず、水の底で身体をすすぎます。
その時に生まれた神の名は、

底津綿津見(そこつわたつみ)の神。
底筒の男(そこつつのお)の命。

次に、水の真ん中で身体をすすぎます。
その時に生まれた神の名は、

中津綿津見の神。
中筒の男の命。

最後に、水の上で身体をすすぎます。
その時に生まれた神の名は、

上津綿津見の神。
上筒の男の命。

そして、住吉三柱とは、

底筒男命(そこつつのおのみこと)、
中筒男命(なかつつのおのみこと)、
表筒男命(うわつつのおのみこと)

のことを言います。

でも、ちょっと不思議だと思いませんか?
それぞれの場所で、なぜか二つづつの神さまが誕生しています。

そして住吉三柱とされたのは、
「男命」 おことの神です。
では、残りの三柱はというと、男とも女とも書かれてありませんが、
この三柱は、なぜか 龍神の守り神だといいます。

この理由は、まだはっきりとはわかっていませんが、
物事には、必ず陰と陽があると考えられていましたので、
これも、そこからきているのではないかと思います。
だから、残りの三柱の 「綿津見の神」とは、
禊をしたにも関わらず、消すことのできない、
龍宮の神(姫の魂を受け継ぐ新しい神)、陽と陰で言うならば、
陰の神だということになります。

だから、住吉大神は、陽であり男である神が選ばれたのだと思います。

なぜならば、天照皇大神は女だからです。
常に、女と男でなければその本来の力は発揮されない。
また、この後の物語で、更に姫の新しい魂(綿津見の神)の魂だけを
受け継ぐために、豊玉姫の物語がありますが、
その豊玉姫と、天照皇大神の魂を持つ男神が結婚するためには、
姫の新たな魂を、女として残しておく必要があったのだと考えられます。

かなりややこしくなってきましたが、
全ては陰と陽により誕生するという考えを、組み込むために、
この作業は必要だったのだと思います。

では、どうして天照皇大神を女としなければならなかったのか。

それは、日の神(太陽の神)天照皇大神(女)と天皇(男)が
一つになるためには、女と男でなければならなかったからです。

逆に言えば、だから、天皇は男でなければならないのではないでしょうか?

今はそんなことはもしかしたら全く考えていないかもしれませんが、
男系の血筋でなければならない、本来の意味は、
私は、天照皇大神という(女神)と人間(男)によって生まれる、
新しい力が必要だったからではないかと思えるのです。

それが、古事記が創られた大きな一つの理由ではないかと。

そして、今日の神社の中にも出てくる神功皇后を助けた神も、

この男神 「住吉大神」です。

しかし、今日ご紹介する神社には、一つ不思議なことがあります。

ここは、神功皇后が三韓遠征の岐路に住吉大社(大阪市)に祈って、
太神降臨したもう宮処を教えたまえと、
海辺に茂る藤の木を海中に投入れたところ
伊予の九つの海辺に漂着したと伝わる一つなのですが、
祀られている神さまが、

「綿津見の神」だということです。

本来住吉大神を祀っているはずなのに、
その祭神の名前は、住吉大神ではなく、どうして綿津見なのでしょう。

それは、この場所は今も、住吉神社の目の前に、姫を祀る神社があることに
関係があるかもしれません。

藤の木(藤原氏)が、ここから入ってきたことをしめすと同時に、
それでもここに住む人々は、姫の魂をずっと大切にしてきたという証
かもしれません。

雨滝神社という、川内町にあった雨乞いの神事をする時は、
この場所より出発したと伝わるように、
ここは、姫の出発地点として、今もその魂を残し続けている場所と
言えるかもしれません。

*住吉神社
*伊予郡松前町浜559
*祭神
 和田積神(わだつみのかみ)
 素盞鳴神(すさのをのかみ)

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境内社の金比羅神社
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そしてこの住吉神社のすぐ目の前の海に鎮座される
雨乞いの出発地点だと伝わる神社の名前は、

「瀧神社」 

姫の魂を今も海の側に瀧神として祀られているのです。
その横には、龍神が寄り添うように。。。。

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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2012-06-10 02:20 | 愛媛県伊予郡松前町 | Trackback | Comments(4)

こんばんは。

毎日、暑い日が続きますね。
例年より、随分早く梅雨があけ、今年は長い夏になりそうですが、
元気に夏をのりきりましょうね。

今日は、前回の続き 松前町の神社です。

前回は、松前町の漁港に鎮座する、瀧姫神社でした。
この日は、神社は終わりにして、買い物に行こうと思っていたのですが、右折する道を間違えてしまい、
なんだか、 行き過ぎた気がすると思い、 次の交差点を曲がり、そのまま国道へと向かっていると、
左前方に、神社がありそうな杜が、見えました。

(なんだか、大きな杜。行こうかどうしようか。。。。)
と考えならが、ゆっくり車を走らせいたのですが、神社の鳥居が見えた瞬間、 ここは行かなきゃ!

そんな思いにかられ、急いでハンドルをきりました。

鳥居の横に、車をとめ、早速神社へ行ってみることに。
(鳥居の真ん中に車をとめているのは、私ではないです^^;)

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ここは、玉生八幡大神社という神社でした。
とても、古い神社で、こんな場所に、こんな由緒のある神社があったとは、全く知りませんでした。

*伊予郡松前町西古泉697
*御主祭神
 誉田別命(ほむだわけのみこと)
*配祀
 ・三女神(市杵嶋姫命、田心姫命、瑞津姫命)
 ・足仲彦命 (第14代仲哀天皇)
 ・氣長足姫命(神功皇后)
 ・玉生石神  

 仲哀天皇の九年(200)ころ、神功皇后が三韓におもむかれる時、当地を逍遥して、湧き出る清泉に戦勝を占い、布が濃紺に染まる吉兆にちなんでこの地を「濃染の里(こいぞめのさと)」と命名しました。
帰途、また船をとどめられ、天神の神託によって久欺美玉(くしみたま)を玉生林にまつったが、後世、郡司がここに社殿を造営して久欺美玉宮(くしみたまぐう)と称して崇拝しました。

 その後、文武天皇の慶雲四年(707)六月十七日、伊予の豪族小千玉興(おちのたまおき)・玉純(たまずみ)が厳島神社より三女神を勧請して久欺美玉宮に合祀し、日女宮(ひめみや)と称しました。

ここは、神功皇后が立ち寄られた、とても古いお宮でした。
沸き出る清泉があったと書かれてありますが、 松前は、昔も今も、地下水のとても抱負なところだそうです。
伊予市から松前町にかけては、とても古い神社が多くありますが、この辺は、愛媛の中でも、古くから国つくりが行われただろう場所です。

それも、やはり、水と関係するかもしれません。

愛媛の古い書物によると、 この辺りで国つくりが行われ始めたのは、成務天皇だと言われています。
仲哀天皇の一つ前の天皇の時代です。
愛媛には、神功皇后に由来する場所が、とても多いのですが、 当時、愛媛は、とても重要な場所だったことがわかります。
当時といいますか、弥生時代から古墳時代、そして飛鳥時代、奈良時代前半まで、愛媛および四国は、一つの鍵をにぎる場所だということが、どんどんわかってきました。

しかし、その歴史は、神々の名前はもちろん、さまざまなことが、隠され、消されてしまい、今となっては、当時のことは、想像の世界でしかないのかもしれません。

でも、歴史を知ることは、とても大切なことだということを、強く感じます。
よりよい未来をつくるためには、歴史の中にヒントがある。そんな気がするのです。

今言われている歴史の、全てを否定する気持ちは、ありませんが、少しでも真実にちかづくことによって、
人が、どう生きていけばいいのか、その答えが、見つかるような気がします。

いぜんにも、書いたような気がしますが、
私のブログの中で、神社へ参拝しながら、一緒に古代の歴史の旅に行っていただければうれしいなと思います。

現実では、タイムマシーンで、古代へと行くことは不可能ですが、
神社の中には、 神様への入り口だけでなく、古代への入り口があります。

たとえば、今日の神社なら、 美しい湧き水で、 占いをした、神功皇后の姿が、目をつぶればすぐ目の前に見えてきそうです。
出雲の、八重垣神社の池のように、ドキドキしながら、水にそまる布を眺めてる姿が。。。。

拝殿
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本殿
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玉生古杜(誉田別命)
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参拝をして、境内を少し歩いていると、
横から、す~っと、何かがよこぎりました。 

あ! カラスアゲハ!
ここでも、黒い蝶が、飛んできました。
「清泉」 ここも、最初は、姫さまだったのかもしれませんね。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「神様」

皆さんにとって、神様はどんな存在でしょうか?

縄文時代の日本人と、神様は、いつも繋がっていました。
それは、神様に依存していたわけでもなく、神様に自分の欲望を押し付けていたわけでもありません。

神様が、沢山の恵みを与えてくださるから、 生きることができると、いつも感謝をしていました。

天災がおきると、それは、神の怒りだと考えました。
非は人間のほうにあると考え、怒りを静めるために、人々は祈りました。

その時代の考えかたが、100%正しいわけではありません。

でも、神=自然に 感謝をする心を、誰もが忘れることはありませんでした。
生かされていることへの、感謝の心を、いつも持ち続けていました。
過ちを、詫びる心を誰もが持っていました。

しかし、それが、人間の文明が進化するごとに、少しづつ変わっていきました。
神さまは、人間の欲望をかなえるための存在へと、変化していったのです。

弥生時代、 稲作が始まり、土地や水をめぐって人々は争うようになりました。
そして、権力をもつ人間が、生まれてきたのです。
人間は、勝つために、祈りはじめます。

勝つために、神と繋がろうとするのです。

それでもまだ、 人間は、神よりえらいなどとは、思ってはいませんでした。

しかし、ある時、人間は、神の声を聞く(巫女)ことを、やめてしまいます。
そして、その時から、少しづつ、一方的に人間の願いだけをかなえてもらうための、人間のための神へと
変化していくのです。

それから、人間は、ますます増徴しはじめ、 ますます欲深くなっていきます。

神の声は聞こうともせず、人間の欲望だけをかなえるために、利用し始めます。

いつのまにか、人間は、神よりもえらくなってしまいました。

そして、とうとう、人間は、神のことを忘れてしまい、人間の力だけで生きていると思い、人間が全てを生み出していると思い、人間が一番偉いと思うようになってしまったのです。

そして、今、人間の欲望は、どんどん膨らみ、神の領域にまで手をだしてしまい、この星そのものの命まで奪おうとしてしまっています。

「神」 という存在は、目に見えるものではありません。
だから、信じることができなくても、それは仕方のないことなのかもしれません。

でも、実は、神様は、私たち一人一人の、体の一部であり、 一人一人の心の中に存在するものでもあるのです。

人間とは、不思議なもので、 感謝の気持ちをなくしてしまうと、 崩壊の道へと進んでしまいます。
それは、自分自身が崩壊することもあれば、家族や、友達、また、その影響が大きいほど、多くの人を巻き込む崩壊へとむかってしまうのです。

人間は、私利私欲。 自分のためだけの、欲望をかなえようとすると、同じように、
崩壊の道へと進んでしまいます。 自分は欲望をかなえているつもりでも、その影で、誰かが崩壊し、誰かが悲しみ、誰かが苦しみ、 そして、 いつか、その苦しみ、崩壊は自分へとふりかかってくるのです。

夢と欲は違います。 希望と欲望は違います。 向上と欲望は違います。

神様を思うことは、 宗教とは違います。

神様を思うことは、人の心を正すことへと繋がるのだと、思うのです。
謙虚な心を、常に持ち続け、反省するこことが生まれ、詫びる心が生まれるのだと。

だから、神様へはお願いをしてはいけないと、昔から言われているのだと思います。

すでに、与えられている幸せに気づき、感謝をする心が、原点にあって、はじめて、
本当の、夢は生まれ、 多くの人が幸せへと繋がる、希望が生まれるのだと私は思います。

それが、 ニギハヤヒの御神徳 「一願成就」 なのだと。

私たちの心の中には、 体の中には、神様が存在します。
だから、神様と繋がることができる心(謙虚な心、感謝の心、反省の心、人の幸せを願う心)
を持つことが、 自分自身の幸せ、家族の幸せ、更には、地球上全ての幸せへと繋がっていくのだと、私は思います。

神社は、人間がたどってきた歴史がつまっています。
人間の過ちの歴史が、つまっています。

それを知り、それを受け入れ、原点へと一度帰ることが、今、この時代に必要とされているものだと私は思えてなりません。






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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-07-12 23:09 | 愛媛県伊予郡松前町 | Trackback | Comments(4)

こんばんは。

今日は、久しぶりに、興居島へ行ってきました。
磐長姫の御神体、そして、小千命の母の島。少し前から、もう一度、興居島へ行きたいと思っていたので、今朝、興居島のことを少し調べていると、前回行った時には、気づかなかった、お話をみつけました。

それを見た瞬間、今日、行かなきゃ!
とおもいたち、 いくことに。 

朝、ここもまた、久しぶりの場所 滝の宮 (滝神社)へといったのですが、
滝神社から始まり、 今日の最後の場所まで、 一日中、蝶やトンボ、トカゲが、あちこちに現れ、
不思議な姿を見せてくれました。

「そんなばかな!」
「たまたまだよ!」 

と、思うかもしれませんが、偶然にしては、 あまりにも、不思議な生き物たちの行動で、 一日中驚かされどうしでした。

少し、 ご紹介する神社がたまってきましたので、 興居島のお話は少し先になりそうですが、
お楽しみに♪

では、今日の神社です。

今日は、先日の続き、 松前町の神社です。
この日は、最終的に 三社に参拝に行ったのですが、 最初に言った貴布禰神社以外は、全く調べていなかった神社で、 その日、偶然見つけた神社でした。

今日の神社も、その一つです。

貴布禰神社に行った後、何も考えていなかったし、地図もナビも持っていなかったので、
神社は終わりにして、久しぶりに買い物に行こうかなと思ったのですが、ちょっとだけ、携帯で近辺の地図を見てみようと、携帯をひらきました。

現在地を調べ、とりあえず、今いるところから、海の方へいくと、何があるんだろう?
と思いながら、携帯の地図を、海の方へスクロール。

すると、神社のマークが!
(こんな海の側に神社があるんだ。 なんていう神社かな?)
そう思いながら、小さく書いてある名前をよんでみると・・・・。


「瀧姫神社」 と書いてあったのです。
(海の側に、瀧神社? しかも、 瀧の姫の神社?」

「瀧の姫」 それって、瀬織津姫? 
見つけたからには、 行くしかない!

携帯の地図で、なんとなく場所を確認。 海の方へと、向かいました。

伊予市の海側は、以前いったことがありましたが、 松前の海側は、まだ行ったことがありませんでした。

(そろそろ、つくころなんだけどな~。)
すると、港の一角に、神社らしき場所が見えました。
近くに行くと、 小さな社が見えました。  

小さな漁港の一角に、小さな杜があり、その中に、確かに社がありました。
そこは、間違いなく、海に鎮座する 「瀧姫神社」でした。

ここ松前港は、中世から近世にかけて、関西随一の良港といわれていました。
ここには、昔話のような伝説が残っていて、 瀧姫神社が鎮座する理由がそこにあると書かれています。

:「おたた」さん:

江戸時代の初めの慶長年間のころ、京都のさる公卿の息女の『滝姫』が流罪となり、泉州堺の港より、伊予松前の浜に漂着しました。
松前の人々は、流罪の身であったけれども都人の公卿の姫様 (名は「滝姫」)を哀れと思い親切に接したので、姫様は松前の土地に住むこことなりました。

滝姫は生計を立てるために、土地の人から教えら松前の浜で捕れる「魚」を売り歩きました。

売り歩く姿は、黒髪に銀のかんざしを挿し、黒紋付に帯を前結びにした姿だったといいます。
町の人々は、魚を売る「滝姫」を「おたきさま」と呼び、いつのまにか、
「おたき」が「おたた」に変わったのだということです。
これが「おたた」の始まりだといわれている。
松前の人たちは、頭の上に「魚」を入れた桶をのせて売り歩いていたので「魚売婦」と書いて「おたた」と読むそうです。

一見まったく別の話に思えますが、なんとなく、この滝姫は、姫のことを変えた昔話のように、私にはおもえました。 
というのも、もう一つ理由があります。

藩政時代から続いた「御面(おめん)雨乞い」道中(川内町雨滝さんまで)の出発地点だそうです。

雨乞いの雨滝さんとは、以前、紹介した、川内町の河内神社に合祀されたという、
「三島雨滝神社」 のことです。
ここは、 三島雨滝神社の原点でもある、雨乞いの雨滝さんへ行くための入り口だったのです。

三島雨滝神は、 「瀬織津姫」 です。
ということは、やはりここも、瀬織津姫さまがいらっしゃいます。

龍とともに。。。。
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「瀧姫神社」
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上に上がると、他にも二社やしろがありました。
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一つは、「龍王社」でした。
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もう一つは、厄除社でした。
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滝姫、龍、そして、厄除 

どれをとっても、姫さまのことをあらわしているように思います。
瀬織津姫という名前はなくても、 滝の姫とは、瀬織津姫のこと。
姫は龍神であり、 悪いものを洗い流してくれる女神さまです。

姫さまのお宮をまもるために、 松前町の昔はなしをつくり、残しておいてくれたんだろうな。と思うとうれしくなりました。  
そして、 あの雨滝への道の出発地点だということが、わかり、こうして、参拝ができたのも、姫さまのおかげだと、心から感謝しています。

参拝が終わり、 そのまま(エミフル)地元のショッピングセンターがすぐ近くなので、 携帯の地図で調べ、エミフルへ向かいました。
しかし、 なぜだか、 道を間違い、本当は曲がらないといけなかった交差点をそのまままっすぐ行ってしまったのです。

でも、道を待ちがったおかげで、 全くしらなかった、もう一つの神社に行くことができました。
そのお話は、また次回に。。。。。

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今日、とても悲しいニュースを見ました。

福島県の原発から、20数キロのところに住んでいた、93歳のおばあちゃんが、遺書を残し自ら命を絶ってしまいました。

「このたび3月11日のじしんとつなみでたいへんなのに 原発事故でちかくの人達がひなんめいれいで 3月18日家のかぞくも群馬の方につれてゆかれました 私は相馬市の娘○○(名前)いるので3月17日にひなんさせられました たいちょうくずし入院させられてけんこうになり2ケ月位せわになり 5月3日家に帰った ひとりで一ケ月位いた 毎日テレビで原発のニュースみてるといつよくなるかわからないやうだ またひなんするやうになったら老人はあしでまといになるから 家の家ぞくは6月6日に帰ってきましたので私も安心しました 毎日原発のことばかりでいきたここちしません こうするよりしかたありません さようなら 私はお墓にひなんします ごめんなさい」

生まれてから、93年。
沢山いろんなことを乗り越え、一生懸命生きてきて、
残された大切な命を、 こんな形で絶ってしまったおばあちゃん。

あしでまといだから、

「お墓にひなんします」 だなんて。。。。。

なんて言ったらいいのか、言葉が出ませんでした。

私は、今回の地震は、もちろん自然が起こしたことですが、どうしてもそれだけではない気がします。

私がかってに、いろいろなものを、無理やり繋げて、そう思うようにしていると言われてしまえばそれまでですが、 今回の地震は、 「原発にNO」 を言っているように思えてなりません。
(瀬織津姫と出会う前から、まるで、今を予言するかのようなことが私の前には、起こっていました。)

人の欲望を満足するために、つくられている原子力。
それは、人が手を出してはいけない世界だったのにも、関わらず、手をつけてしまい、ますますそれを、自分たちの欲望のままに、ひろげようとしている、今の世の中に、警告をされているのだと思えてなりません。

私は、最近、ある時代と瀬織津姫、そして、その後の日本が大きく影響を受けているのではないかと思い始めました。
まだ、ここでは、詳しくお話はさけますが、 それは、 卑弥呼の時代です。

原爆を投下された国は、世界中で日本だけです。
そして、今、その原発と同じ、 「核」 で、 日本の人々は、危機におかされています。

原爆を投下されて、 多くの人々が、苦しみ、 原爆の恐ろしさを、いやというほど味わったにも関わらず、
欲に目がくらみ、 贅沢な暮らしを追い求め、 自分のことしか考えられない時代になってしまい、 「核」の恐ろしさ、 「核」 の脅威を、忘れてしまいました。

今、気づかなければ、 この先、 未来で、 この地球は 本当に、取り返しのつかない姿になってしまうかもしれません。
それは、どんな形で起こるかわかりませんが、 私たちは、 その危険といつも隣あわせて生活しているこということです。

しばらくの間は、 少し辛抱しないといけないかもしれません。
少し、不便な生活を強いられるかもしれません。
でも、人間は、知恵をしぼり、 みんなで強力しあえば、何だってできるはずです。
地球を守りながら、 エネルギーがつくれる技術も、きっと、できるはずです。

だから、一日も早く、まずは、日本から、原発を全てなくすことはじめなければいけないと思います。

卑弥呼が、戦乱の世の中を、戦うことなくして、この世を平和に変えていったあの時代のように、
私たち一人一人が考え方を変え、集まり、声をあげ、その声でこの日本をかえる時が今なのではないかと思います。

日本中、もう、そのことに気づいている人が沢山いるはずです。

まずは、自分の周りの人の中で、まだ、原発が必要だと思っている人や、自分には関係ないと思っているひとたちの目をさまし、 一人が一人づつでも、 原発をなくさないといけないと声を大きくいうことができるようにすることが、私たちのできることなのではないかと思います。
その声が、だんだんと広がり、全国の人たちと繋がり、 大きな渦となれば、日本はかわることができると、そんな風に思えてなりません。

一般庶民の、自分ひとりが、何を思おうと、何も変わらないと思っていませんか?

同じ変わらなくても、 何もしないより、したほうがいい。 何も考えないより、 考えたほうがいい。
私は、そう思います。

そして、いつかきっと、小さな力は、大きな力、大きな渦になると、私は信じます。

ニギハヤヒの御神徳 「一願成就」

一つの願いが、全ての人を幸せにすることができることを、願う。

子供たちのために、 これから生まれてくる未来の子供たちのために、
そして、地球でくらす、全ての生き物のために、 地球自身のために、 原発をこの世からなくしましょう。





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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-07-10 01:25 | 愛媛県伊予郡松前町 | Trackback | Comments(2)

こんばんは。
今日は、七夕ですね。 そして、瀬織津姫の日ですね。

二年前の9月。 姫を知ってすぐに、大島で見た、天の川が今でも目にやきついて離れません。

天の川を見たり、 竜のお腹の中に入ったり、 蝶が先導してくれたり、
突然起こる、いろいろな出来事が起こるたびに、 姫の存在が確かなものになっていったような気がします。

私は、霊が見えたり、聞こえたり、 そんな能力はまったくありません。

でも、姫と出会ってからは、 不思議なことに、遭遇するようになりました。

もしかしたら、 今までも、こんなことは目の前に起こっていたのかもしれません。
ただ、私が閉ざしていただけなのかもしれません。

縄文時代の人々は、 誰にでも、 何かを感じる力がありました。
あったというよりも、 本当は、 現代人も、だれでももっている普通のことかもしれません。

自然からのさまざまなサイン。 植物や動物からの無言のメッセージ。
それらは、今も昔も変わらず、私たちに気づいてもらおうと、しているのに、私たち人間の心がそれを見る力を感じる力を、封印しているだけなのかもしれないと、最近思います。

空、海、木、森、光、昆虫、動物、風、香り、雨、 河。。。。。

ありとあらゆる自然からのメッセージを、受け取ることが、こんなにも楽しく、 感動するとは思ってもみませんでした。

もし、まだ、メッセージに気づかない方がいらっしゃるのなら、
ぜひ、受け取ることの感動を味わっていただきたいなと、思います。

目にうつるものだけをみようとせず、心を素直にし、
音、香り、皮膚、体の全ての感覚から受け取ってみてください。
今まで、 味わうことができなかった、素敵なことが、おこるかも・・・・・・・・・・。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今日の、神社は、松山市のお隣、松前町です。

この日は、久しぶりに、一人で神社めぐりをしました。
行くまでは、今日は、船に乗ろうか、 もう一度佐田岬に行こうか。。 なんて考えていたのですが、
娘を送り、 さあ出発! と 思った瞬間、
頭に浮かんできたのは、 松前町でした。

いつも、前を通りながら、 まだ一度も参拝できていなかった、 国道沿いの、小さな杜の中の神社
貴布禰神社です。

貴布禰神社で有名なところは、 京都にありますね。
祭神は、水の神ですが、 瀬織津姫ではありません。

それどころか、貴布禰神社では、瀬織津姫は、縁切りの神様とされています。
そんなこともあり、貴布禰神社へ足が遠のいていたかもしれません。

でも、越智玉澄公が、愛媛に貴布禰神社を勧請していることから、 きっとここも、姫が封印されたことに、深くかかわっているのだと、思い始めました。

そして、今回、この松前町の貴布禰神社に参拝をして、更にその気持ちは強くなりました。

神亀5年9月25日 越智玉澄は、山城国愛冨郡から伊予国内へ十四社の貴布弥神社を勧請しました。
ここも、その十四社の一社です。

玉澄は、貴布弥神社だけでなく、熊野神社も、そして一番多くは三島神社を、神亀5年と和銅5年に、
伊予国中に、多くの神社を勧請しています。

貴布弥神社と熊野神社は、9月23日(25日と書かれているところもあります)。
そして三島神社は、8月23日です。

どうして、どちらも同じ日に、一度に勧請したのか、とても不思議に思っていました。

でも、そのわけが、少しづつわかってきました。
もちろん、私の勝手な思い込みかもしれませんが、 どちらも、「二十四節気」と「星座」に 
関係のある日なのです。

9月23日は、秋分の日で、西洋占星術では、天秤宮(てんびん座)の始まり。
そして、
8月23日は、処暑(しょしょ)といい、西洋占星術では、処女宮(おとめ座)の始まりです。

「処」は身を隠し、終えるという意味。
その意味は、姫の身を隠し、終わらせるという意味にぴったりとあてはまる日だったのです。

和銅5年と、神亀5年の二度にわたり、 100以上の三島神社(大山積神)を、伊予の国に勧請するように命令が下った日を、 8月23日にこだわったのは、やはり、姫を封印し、終わらせ、新しい神を誕生させるためだったのではないかと思います。

では、なぜ熊野神社と、貴布禰神社は秋分の日だったのでしょう?

これについては、まだ、はっきりした答えが出ていません。 でも、やはり何か特別な意味があったのだとおもいます。
熊野神社も、貴布禰神社も、 本当の祭神は、姫だったのですから。

そして、今日ご紹介する 貴布禰神社は、 その両方が行われた神社。
しかし、それだけではなく、 まるで、姫が消されていくその過程を残すかのように、次々と勧請された神社だったのです。

*587年、8月23日、越智の三島、浦戸宮(うらどのみや)より、大山積神を勧請。
(上記の時点では、大山祇神社(三島明神)は、まだ現在の宮浦ではなく瀬戸に鎮座。)

*和銅5(712)年8月23日に、越智玉澄が、大山積神を勧請。
(この時、瀬戸から宮浦への遍座のため、 大山祇神社は大造営を行っていました。)

*神亀5年(728年)9月23日に、雷神と高龗神を合祀。
  更に同じ時、 貴船大明神(罔象女命) を勧請。
 (大造営後)
*宝亀18年(787年)8月23日に、三島宮より、十六皇子を勧請。
 (空海13歳)

ここは、大山祇神社の祭神の歴史が、全て忠実に残された場所でした。
これを見ると、大山祇神社の祭神に、強くこだわっていたことが、はっきりとわかります。

*貴布禰神社
*伊予郡松前町大字北黒田264
*御祭神
 大山積神(おほやまつみのかみ)
 別雷神(わけいかづちのかみ)
 罔象女命(みずはのめのみこと)
 高龗神(たかおかみのかみ)
*境内社
 塞之神社(八衢天神)
 恵比須神社(大国主神外一座)
 和霊神社(和霊大神)
 真名井神社(多紀理毘売命外七座)
 一宮神社(上筒男之神外二座)
 金刀比羅神社(大物主神外一座)

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由緒
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拝殿
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神社の名前は、貴布禰神社ですが、しっかりと三島の神紋が。
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渦と龍
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瀬織津姫と関係がある 真名井神社。
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そして、拝殿の裏側、本殿に向かおうとした時、
どこからともなく、黒いアゲハ蝶が飛んできました。 

やっぱり、ここも、姫の神社だと確信。 
(もうご存知の方も多いと思いますが、 姫の神社へいくと、この黒い蝶が必ずといっていいほど、その姿を見せてくださいます。)

姫さまが、ちゃんと存在を知らせてくれている。 ほんとうに、いつもいつも、ありがたい。
姫さま、ありがとうございます。

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境内には、小さな池がありました。 
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ご神木
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ここは、私のおじいちゃん、祖父が、生まれた家のすぐ近くです。
小さいころは、私もよくこの近くの親戚の家に遊びにきました。
だから、私にとっても、とてもご縁の深い神社の一つかもしれません。

おじいちゃんは、ここ松前で、生まれ、
お寺に修行に行され、法華経(十六皇子由来)日蓮宗の僧侶になりました。
不思議なご縁を感じます。

この後、地図にものっていない、ある神社にたどり着きました。
まるで、ここにもきなさい、といわれているかのように。。。

(空は曇って、星は見えませんが、雲の上には、天の川が広がっているのでしょうね。)






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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-07-08 00:45 | 愛媛県伊予郡松前町 | Trackback | Comments(2)

こんばんは。

昨日、大浜八幡神社で参拝をした後、鳥居を出てまっすぐ海を見ると、
小さな龍のような雲が目の前に出ていました。

久しぶりに見た、龍雲でした。

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今日の神社は、松前町に往古から鎮座する、
惠依彌二名神社です。 伊豫神社の近くにあります。

主祭神は惠日売命(えひめのみこと)、愛媛の女神です。
そして、配神は、伊豫津彦命と伊豫津姫命。

ここは、すぐ近くを何度も通っていたのですが、今まで行くことはありませんでした。
それが、先日紹介した、日尾八幡神社に行った後、急に気になり始め、行ってみると、
伊豫津彦命と伊豫津姫命、そして、愛媛の女神、愛比売命が祀られていました。

まるで、日尾八幡神社にたどり着くのを待っていたかのように、ここに導かれました。

恵日売命は、伊豫の国御霊の大神さま。
ここは、伊豫の古宮として、往古から伊豫二名本宮と称されていました。

その後伊豫大社五社大明神とも称され、本宮伊豫神社、伊豫二名神社、伊豫古宮、愛依日宮、正八幡宮の五社が境内に鎮座していました。
当時は、社地6町四方に及ぶ大社として、現在地の約100m北側に鎮座されていたそうなのですが、
慶長11年(1606)時の藩主・加藤嘉明公の命により、五社を一社に合祀し、再興がはかられました。

元禄の頃は、ここも多くの古宮と同じように、伊豫本社正八幡宮、
享和年間には伊豫本宮恵依八幡宮、すなわち八幡様として崇敬されていたそうです。

また古書によると畳八畳が敷けるような楠が茂っていたそうです。
神社の創設は古く、景行天皇の御代と伝えられます。

景行天皇は、12代天皇、71年に即位された天皇です。
弥生時代に、鎮座されたこの神社の近くから、弥生時代の石剣、玉、鏡、壷型土器が出土され、
社宝としているそうです。

伊豫の国が、本格的に国造りを始めたころの原点が、ここにあるのかもしれません。

弥生時代。
稲作が始まったと言われるこの時代は、きっとまだ、瀬織津姫さまを大神さまと祭っていたのでしょうね。

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拝殿
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本殿
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神紋(五七の桐)
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この神紋は、桐の葉と花を形象化したものです。
聖王の出現を待ってあらわれる瑞鳥鳳凰のとまる嘉木といわれます。
平安・鎌倉時代は、桐・竹・鳳凰一組の模様が天皇のみに用いられ、黄櫨染の袍に織り込まれていたのが、のちに桐だけが取り出され、公的な天皇の象徴となったと言われます。

惠依彌二名神社は、やはりそれだけ、重要な神社ということなのでしょうか。。。。

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松山から帰りの海がとても綺麗でした。

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私も、少し前まで、
不満がいっぱいあった人間だったかもしれません。

でも、今は、
家族がみんな元気で、毎日笑顔で暮らせる、そのことだけで、毎日がとても幸せに感じます。

今日も、本当に、ありがとうございます。






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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-05-25 23:45 | 愛媛県伊予郡松前町 | Trackback | Comments(0)

こんばんは。
今日は、ハイチで地震から 丁度1年になります。

30万人以上の犠牲者を出した
ハイチ地震。
現地では、倒壊した教会で、ミサが行われたそうです。

地震から、一年がたっても、
まだまだ、復興されていません。
特に、地震で両親を失った子ども達の心には
今でも、大きな傷が残されています。
そして、衛生状態が悪いため、コレラも流行してる。

ハイチだけでは、ありません。
現在、世界中で、おきている自然災害。
日本にいる私達には、
想像もつかない世界なのだろうと思う。
わずかに、ニュースで流れてはくるものの、いったいどのくらいの人達が
世界中でおきている現状に、真剣に向き合っているのでしょう。

確かに、考えても今すぐ、世界中の子ども達に、
出来ることは、あまりないかもしれません。

でも、何か自分にできることはないかと、思う気持ちが
大切なんだと思います。
直接、現地の人達に何かすることは出来なくても、
そう思う気持ちを持つことで、わずかでも、自分自身の中の
何かが、変化してくるような気がします。

行動を起こせる人は、もちろん素晴らしい人。
でも、行動をまだ起こせなくても、
想う気持ちをもつだけで、人は、変わっていく気がします。

今、こうして命があることは、奇跡。
一人一人、大切な命。
どうかその命を、粗末にしないで、もっともっと大切に。
そして、もっともっと、輝かせて。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今日の神社は、
伊予国の祖 彦狭嶋命(ひこさしまのみこと)が
主祭神の 伊豫神社です。

伊豫神社は、今回で二度目なのですが、
前回は、まだ神社巡りを始めたばかりの頃で、
気になって参拝にきたものの、
自分でも、なぜだかわからないのですが、とても
まだ自分が来れるような場所ではない。
そんな気がしたせいなのか、
足が前に進まず とうとう、拝殿の前まで行くことが出来ず
10メートルくらい前から、参拝しました。

そして、今回は、
昨日紹介した神社で終わりにして、買い物のため伊予市のむかって
車をなんとなく走らせていたら、気づいたら、前にきていたのです。
いつのまにか、道をまちがえ、裏道に入ってしまっていて。

今日なら、拝殿の前まで、行けそうな気がする。
そう思って、参拝することにしました。

実は、前回行った時は、まだまだ何もわからない時だったので
調べたつもりだったのですが、
この神社が、どれだけ凄い神社なのかよくわかっていませんでした。
そして、今回、調べて、その訳がわかりました。

伊豫神社の 主祭神は、
彦狭嶋命(ひこさしまのみこと)。

彦狭嶋命は、小千命の父で、伊予皇子と呼ばれた人でした。
小千氏、越智氏、河野氏の、御父神だったのです。

そして、配神には、
イザナミとイザナギが、国生みをした際に、二番目に生まれたとされる
この四国、 伊予二名島の、中の 伊予の国の女神
「愛比売命」 
私達 愛媛の女神です。

やっと、きちんと、御父の神社に参拝できたこと
本当に、嬉しく思います。

前回きた時は、少し怖いような、強い空気を感じたのですが、
今回は、柔らかな、優しい空気、光を感じました。
そして、帰る前に、とても不思議な光景を目にすることに。。。

*伊豫神社

*御祭神:彦狭嶋命(ひこさしまのみこと)

*配神 :愛比売命、 伊予津彦命、 伊予津姫命
      (彦狭嶋命の御母)細姫命、 (伊予国の国造)早後神命、

*境内社:猿田比古神社
       厳島神社
       竃神社
       稲荷神社(境外社)  

*由緒: 伊予の国に古くより祭られてきた社と伝えられ、
      延喜式内名神大社とされる。又親玉宮とも呼ばれてきた。
      平安時代には免田が付され、
      河野家の租にかかわる神社として河野各代の崇敬厚く
      天正年中には河野道直が社殿改めて造営したと伝わる。
 
      別に伊豫親王、藤原吉子桓武天皇夫人、
      藤原宗成の三柱が祭られており、
      当社との深い関係が伺われ、当社にとっては重要なことである。


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境内は木々に覆われています。
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拝殿とご神木
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拝殿とご神木。この場所が後で全く違う光景になります。

本殿
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神社の境内だけが、違う世界のようです。
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ご神木
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五輪塔 (入らずの森)
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厳島社
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猿田比古神社
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竃神社
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この石だけが、どういう意味があるのか
わかりませんでした。
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最後に、帰る前、ふと拝殿を見ると
びっくりする光が、目に入りました。

ご神木と拝殿の間に、真っ赤な夕日が、入っていたのです。
まるで、真っ赤に燃える魂のように、
ご神木と拝殿の真ん中に、太陽が。。。。。
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神様が、太陽の姿で、現れてくれたかのようでした。
一瞬の 出来事。
太陽の光は、数分でなくなってしまいました。

本当に、ありがたい。 心から感謝しました。
御父神の鎮座する神社へ、導かれたことに、心から感謝です。

今日も、最後まで、ありがとうございました。
今日の曲は、宮下富実夫さんの曲です。

水は水であるように、花は花であるように
人は人であれ。
この歌には、とても深い意味があるような気がします。
水は水であるために生まれ、花は花であるために生まれた。

人は、人であるために、地球という青い星に
命をうけた。
その意味は、深く大きく、なくてはならない命。
そして、宇宙の中の一部であり 光の一部。

自然も、生き物も、人間も、
生まれた意味があるから、生きていると 私は思います。

お休みなさい☆




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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-01-13 22:42 | 愛媛県伊予郡松前町 | Trackback | Comments(10)

こんばんは。
今、全国で話題になっている 「タイガーマスク」

今日、今治市にも、「タイガーマスク運動に参加させてください」という
手紙と一緒に、文房具が届けられました。

閉塞感が漂う今の世の中、
殺人や、いじめ、自分さえよければいい。そんな
風潮がただよう今の世の中で、
こんなにも、全国に広がるなんて、本当に嬉しいことですね。

偽善だとか、タイガーマスクなんて名前を使わなくてもいいのに。
とか、言う人もいますが、
私は、もし、偽善でも、ブームに乗りたいだけでも、
そんなことは、どうでもいいことだと思います。

人のために何かをしてあげたい。
そんな心を持つことが、大事だと。

もし、最初はそうだったとしても、
後から、喜んでいる子ども達の声を聞いたり、
喜んでいる子ども達の姿を見たら、
きっと、子ども達の役にたてたことに、言いようのない喜びを
感じるのではないでしょうか。

今まで、味わったことのない感情が芽生え、
人のために何かをすることが、こんなにも自分を幸せな気持ちに
するのかと、今まで眠っていた気持ちがよみがえるのではと。

タイガーマスクの中には、
本当に、自分自身も、施設で育った方がいるかもしれません。
もしかしたら、いろんな事情があり、
子どもを預けることしか選択がなかった人もいるかもしれません。

ある記事に、贈りものをもらった子ども達が
「僕達が、がんばっていたから、ご褒美にここにもきてくれたんだね。」と。

子ども達にとっては、まるで神様からのプレゼントのように
夢と希望を与えた。
そして、贈った人達の心にも、 幸せという心のプレゼントが。

誰かの役にたつ。誰かの幸せを祈る。誰かが幸せになることが自分の幸せに繋がる。
そんな人達が、これから先もっともっと増えていきますように。

全国のタイガーマスクさん、ありがとう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今日は、全国唯一、産婆、乳母の神様をお祀りする
高忍日賣神社をご紹介します。

実は、この神社は、
昨年の初めころに、何度も訪れていた神社なのですが、
何故か、その時は、写真をとっていなかったので、
ご紹介が、1年後になってしまいました。

ここは、松山市から、高知へと向かう 国道33号線
砥部動物園の少し手前を、伊予市方面へ走った、
伊予郡松前町の田んぼの中にあります。

車で走っていると、右手に樹齢1000年以上の大きな楠が、
見えてきます。
松前は、私の亡くなった祖父の生まれた場所でも
あります。
だから、初めてなんとなく気になって訪れた時
不思議なご縁を感じた場所でした。

こちらの神社の 御祭神は、

「高忍日賣大神」

神話の中に登場する神様です。
安産・子育て、また近年では、縁結びの神様としても
厚く信仰されています。

 (神話)
天孫邇邇尊(ニニギノミコト)と、
大山津見神(オオヤマツミノカミ)の娘
木花之佐久夜毘売命(コノハナサクヤヒメノミコト)との間に
日子穂穂手見命(ヒコホホデミノミコト)がお生まれになりました。

日子穂穂手見命は、海の中に、兄の釣竿の針を落としてしまい
その針を探しに海神(ワタツミノカミ)の所へ行った時、
娘豊玉毘売命(トヨタマビメノミコト)ことが気に入り、結婚しました。

そして、日子穂穂手見命と豊玉毘売命とが仲睦まじく船で海を渡られている時に、
トヨタマヒメが急に産気づかれて近くの海岸で産屋を建てて、
お産をされることになったのです。

そこで、鵜茅(ウガヤ→茅ではなく産屋を指す言葉だとする説もあります。)で
産屋を葺いてその中でお産をされるのですが、
海からたくさんの蟹がはい上がってきて産屋まで入り大変な難産になりました。

豊玉毘売命が「高忍日賣大神」と一心に唱えられると
高忍日賣大神が顕現され、
天忍日女命(アメノオシヒメノミコト)と
天忍人命(アメノオシヒトノミコト)と
天忍男命(アメノオシオノミコト)を遣わされ、
天忍人命と天忍男命には箒を作って蟹を掃き飛ばさせ、
天忍日女命には産屋に入って産婆の役目をおさせになりました。

これにより始めは難産だった豊玉姫も安産され、
産屋が葺きあがらないうちに無事男のお子様をお産みになりました。

そこで、日子穂穂手見命は、お子様を日子波限建鵜葺草葺不合命と命名されました。

この神話をあらわした「御神徳絵図」が
高忍日賣神社にあるそうです。

高忍日賣神社は、
上古より、現在の場所に鎮座し、
飛鳥時代には、聖徳太子が、参詣の上、親筆の神号扁額を奉納されました。

古来皇室のご出産の折には、ご祈祷を奉仕されていて、
昨今では、清宮貴子内親王ご誕生にあたり、
皇室御産婆より、神酒料を賜ったそうです。

*高忍日賣神社
 伊予郡松前町大字徳丸387

*主祭神 高忍日賣大神(たかおしひめのおほかみ)

*御神徳 安産 子育て 縁結び 子授け 出世
       交通安全 病気平癒 長寿息災
       家内円満 厄除け 商売繁盛

*例祭  1月1日 歳旦祭
       2月11日 祈年祭
       4月29日 春祭
       8月 2日 虫干祭
       10月13~15日 例祭
       11月23日 新嘗祭

*特殊神事 1月 1日 歳の口明けの神事
         8月 2日 虫干祭

では、境内の写真です。

鳥居
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参門
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大きな楠の幹をくぐり拝殿へ
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拝殿
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そして、この楠の下に
産土様が。
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願いを込めてお祈りし、
お守りとして、産土様のまわりにある願い石を
ひとつ持ち帰ると願いが叶うといわれます。
そして、願いが叶ったら、願い石を、お返しします。

境内には、沢山の境内社があります。

素鵞神社
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夷子神社
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金刀比羅宮
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天満宮
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生目八幡宮 天照皇太神宮 若宮八幡宮
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参門の屋根の瓦に蟹が描かれています
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そして、本殿の裏には、
とても神秘的な木が。。。。。。
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二本の楠。 この二本の楠の上の方をご覧下さい。
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わかるでしょうか?

この木は、 「連理の枝」 
と呼ばれ、互いに伸びた枝どうしが、長い年月の末
一本に結ばれた枝です。

まるで、仲のよい夫婦のように、
一つに繋がり、今も生き続けているのです。
自然の見せる神秘。

縁結びや夫婦円満を願う方々への神様からの贈り物。
こちらへ、ご参拝のさいには、ぜひ、この木に
触れてみてください。

今も勢いよく流れ、脈うつ 木の鼓動が伝わるでしょう。

最後に、
ご神木の、楠を今一度
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ここは、昔木が生い茂る杜でした。
そして、今も、神社と共に 生き続ける楠。
子ども達には、この木に トトロが見えるそう。

目には見えないけど、
楠の精霊たちが、ずっと見守り続けてきたのでしょう。
そして、これからもずっと。。。

神社を後にし、
次の、神社に行く途中 次の神社の場所を告げるかのように
空から光が降りました。
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自然の数々の神秘を見せて頂いた1日でした。
この後、偶然立ち寄った神社でも。。

今日も、最後まで本当にありがとうございました。

今日の曲は、
「母への想い」を綴った歌です。

いつも一緒にいると、その有難さがわからないものなのかもしれません。
いつの時代も、母は、子どもの幸せを、心から願っています。
口には、出さずとも、
太陽のように、いつも包んで見守ってくれている。
それが 「母」 
もし、永遠の別れがきても、 心の中で ずっとその太陽は
生き続けていくことでしょう。

おやすみなさい☆




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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-01-12 22:43 | 愛媛県伊予郡松前町 | Trackback | Comments(5)

数あるブログの中からお越しいただきましてありがとうございます。 不思議な数々の出会いから、今は、愛媛の神社めぐりをしながら、神社や女神様そして、神話の神々の伝説を調べています。
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