カテゴリ:愛媛県内子町( 16 )

こんばんは。

今日は久しぶりに内子町の神社です。

内子町とお隣中山町の境目にある二つの三島神社。

この二つの三島神社は、
思った以上に、古くからの歴史があります。

紀元前92年ころ。
第10代崇神天皇5年、
谷野神社上宮(本社)に大山積見神を、矢野郷の開祖神十二柱の神と共に祀った。

そして、下宮(現小藪三島神社)には鹿屋奴比賣神を祀ったといいます。

本社谷の神社上宮とは、
現在の川中にある三島神社のことで、
下宮(現小藪三島神社)とは、現在立山に鎮座する
三島神社のことです。

この時代に、大山積神はまだ祀られているはずがなく、
ここに祀られた二つの神の伝説がもし本当であれば、
ここには、饒速日尊と瀬織津姫が祀られていたことになります。

崇神天皇の御代。
それは、大三島の姫が、今治市朝倉にある多伎宮へと祀られたとされる時と
同じころになります。

現在、ここは内子町となっていますが、
すぐお隣の中山町とは、目と鼻の先。
現在の境界線とも言えるこの場所は、中山町と一つに考えても
いい場所です。

もうずっと前になりますが、
中山町には、現在も 「月の海」と呼ばれる場所があります。
山の中にも関わらず、この名前が付けられていることは、
よほど月に繋がる何かがあったのではないかと思われます。

また、この「月の海」と呼ばれる山の名前

「泰皇山」 

泰氏に繋がる山と言わんばかりの名前です。

泰氏とは、現在いろいろな説がありますが、
私は、泰氏と呼ばれる氏族は一つではないと思っています。

また、大きな間違いの一つは、
現在泰氏のお寺や神社と言われる場所の多くが、
「養子」によって、その姿を変えた場所だということです。

それが、泰氏の本来の姿を見えなくしてしまった
大きな原因の一つです。

神社の由緒に戻りますが、
更にその下には、

「上宮に大山積見神を祀り、
下宮に鹿屋奴比賣神を祀った(このニ柱の神は夫婦神といわれる」

大山積神と夫婦神とされている 鹿屋奴比賣神。
ここでのこの二柱の神は、
ニギハヤヒと瀬織津姫のことをさしている言葉だと。

本当に、崇神天皇ころに祀られたものならば、
その時代から、ここ中山町と内子町には、
同じ一族が住んでいたということになります。

そして、内子町には、
もうずっと前にたどっていった、少彦名命の足跡
多く残ります。

どうして少彦名命の足跡が、内子と大洲に多く残されているのか、
その本当の姿がなんだったのか。
ずっと頭から離れないことの一つ。

でも、ここも太古の昔から姫が祀られた一つだとしたら、
きっといつか少彦名命の姿にたどり着けるような
そんな気がします。

小さな神さま。
道後温泉で蘇った、お酒が大好きで、竹の間を飛ぶように
駆け抜けた少彦名命の姿に。。。。。。

*三島神社(立山)
*喜多郡内子町立山4784
*祭神
 鹿屋奴比賣神(かやぬひめのかみ)
 雷公神(いかづちこうしん)
 高龗神(たかおかみのかみ)

712年、和銅5年
古事記が完成したその年に、
ここに、雷公神(いかづちこうしん)高龗神(たかおかみのかみ)が祀られたというのは、
全く年代があわず、この年には、まだ大山祇神社にも、
この二つの神さまは祀られていませんでした。

この二つの神様が祀られたことを意味するものは、
ここが、その年に、封印されたということです。

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今は小さな神社ですが、
私は、後で行った大山祇神社が祀られている三島神社よりも
この場所の方がとても落ち着く気がしました。
開けていない山の中だったからかもしれませんが、
ここには、今も封印された姫が祀られている。

そんな気がしました。

そんな姫の空気を感じながら参道を歩き、
拝殿へとついた時、私の前を、
一匹の黒い蝶が横切って行きました。

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姫が祀られる場所は、いつも山の奥。
ひっそりと、その土地の人々にしかわからない山の中に
静かに祀られています。

でも、決してその姿を表に出さずとも、
やさしく、強く、見守ってくださっているような気がします。

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先日、久しぶりに聞いたユーミン。
なんだか、懐かしい。。。。。



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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2012-06-18 23:52 | 愛媛県内子町 | Trackback | Comments(0)

こんばんは。

今日はとっても寒い一日でした。 朝、通勤前、外がとっても寒いので、この秋初めてニットのケープを羽織って行きました。

来週は、また少し暖かさが戻ってくるようですが、気温の差が激しいので、
どうぞ、体調を崩されませんよう、お気をつけくださいませ。

今日は、二度目の瀬織津姫の神社をご紹介します。
初めてここを訪れたのは、もう1年以上前のことです。

内子町の山の中、とても不思議なことがありたどり着いた、姫の神社 「満穂神社」です。

内子から、双海へと山道を走っていました。
今は亡き、宮下富実夫さんの、アルバムを聴きながら、車を走らせていました。

そのアルバムの中に、 「弁財天」 という曲があるのですが、 山の中で、その曲が流れはじめました。

もうご存知の通り、 「弁財天」 とは 「瀬織津姫」 のことです。

私が
「もしかしたら、この曲がちょうど終わった所が、姫の神社かもしれないね。」 なんて、
冗談半分で言いながら走っていた時です。

9分ちょっとの、その曲が終わりかけ、でも、どう見ても、神社がありそうな場所ではなく、 道は狭くなり、まわりは山、山、山。。。

「やっぱり、 そんなことはあるはずないね~」 そういっていた時です。
弁財天の曲が終わり、 ふと左側を見ると、 1本の細い道が山の方へと。。。。。。
でも、道はかなり細く、おまけに、地面は砂利道、 家もありそうな場所ではありませんでした。

満穂神社は、 地図にものっていないし、住所も地図には全く見当たりません。

「まさか、 ここが、 神社への道?」
そう思ったのですが、 どう見ても行き止まりにしか見えないし、Uターンできなかったらいけないから、やめておこう。
そう言って、通り過ぎてしまいました。

(まさか、本当に曲が終わったところが、姫の神社への道とは思ってもみなかったのです。)

それから少ししたら、 小さな町がありました。
この町のどこかにあるのかもと思って探しましたが、一向に見つかりません。 
町の中を、右に行ったり、左に行ったり。。。。 まったく見当たらないので、 誰かに聞いてみようと、人を探すことに。。。。。 

すると、前から一人の男性が歩いてきました。

急いで車を止めて、 「満穂神社」 を尋ねました。
すると。。。。。。。。。。

「その神社なら、 ここから少し内子へ戻った所に、細い山へと上がる道があるから、そこをあがった所ですよ」 と。。。。。。

「え~!!!! もしかして、 それはさっきの道?」

もう一度、詳しく聞いてみると、やはり、さっき、あの弁財天の曲がちょうど終わった時に、左に見たあの道のことでした。

その時、 私たちは、姫さまが、ご自分の曲でちゃんと私たちにいる所を教えて下さっていたのに、そのことに気づかなかったことに気づきました。

本当に、こんなことってあるんだ。。。 また、一つ、不思議なことが起こった瞬間でした。

それからです。 自分の素直な心を信じなければいけないと、心から思ったのは。。。

人は、常識や、先入観で、物事を見てしまっているのです。
時に、常識では考えなれないことや、 勝手な思い込みで大事なことを見過ごしてしまってたり、常識に従って、先入観に従って間違った方向へ行ってしまったり、危険なことに遭遇したり。。。。

心に従う、一瞬のかすかな思いや閃きを、信じる心を持つ勇気も必要です。

もちろん、常識も必要です。 でも、 その時、その時で、その常識が今起こっていることに当てはまるのか、
かすかな、心の声に気づくことのできる感覚を、もつことが大事だと、 今は、心からそう思います。

ここ、内子町満穂神社は、数件しかない、小さな小さな部落に鎮座します。
もともとは、沢山あった神社が、 大正時代に、ここに、一つに合祀されたそうです。
そして、瀬織津姫はというと。。。。。。
お隣の中山町の神社の末社だったものが、 なぜか、この地へと合祀されました。

瀬織津姫を消しさろうとする力は、明治時代までつづいたと言います。
ここも、まるで、何かから逃れるためにやってきたような気がします。。。。。。

人里離れた山の上、雲が流れるその場所に、ひっそりと姫は、鎮座しています。
私は、なぜか、瀬織津姫の神社の中でも、大浜は別として、ここが特に大好きです。
他の人が見たら、ふつうの田舎の小さな神社に見えるかもしれませんが、 ここにくると、とても落ち着き、安らぎます。 
拝殿の中で、眠りたい。。。。 そんな気分にもなる所です。

*満穂神社
*喜多郡内子町河内2062番地
*祭神
瀬織津姫命(せおりつひめのみこと)
金山彦命(かなやまひこのみこと)    大山積命(おほやまつみのみこと)
大己貴命(おほなむちのみこと)      菊理姫命(きくりひめのみこと)
天御中主命(あめのみなかぬしのみこと) 高見産霊神(たかみむすびのかみ)
龍命(りゅうのみこと)菅穂積命(すがほづみのみこと)
楠木正成(くすのきまさしげ)
少名彦命(すくなひこのみこと)      猿田彦命(さるたびこのみこと)
事代主命(ことしろぬしのみこと)     高彦根尊(たかひこねのみこと)
須佐之男命(すさのをのみこと)      伊弉册尊(いざなみのみこと)

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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-10-27 00:06 | 愛媛県内子町 | Trackback | Comments(0)

内子の熊野滝の夫婦滝 

こんばんは。

今日は、前回の続き 内子町「大瀬」にある、美しい夫婦滝をご紹介します。

夫婦滝は、 「瀬戸の大瀬」 と呼ばれるところに入口があります。

そして、夫婦滝のあるところは、またの名を 「熊野滝」と言います。
この「熊野滝」 とは、 滝の名前でもあるのでしょうが、 この山の中の地名でもあるようです。

このあたりは、明治時代まで鉱山があり、 「熊野滝鉱山」と呼ばれていました。
そして、そこには、水無権現を祀り、観音寺もおかれてあります。

その入口ともいえるからでしょうか、 夫婦滝の入口には、観音様が祀られています。

鉱山と水。 そして、 その地名が「熊野滝」 ここにもきっと瀬織津姫を祀っていたのだと思います。

それでは、滝へご案内しましょう。

滝から流れてくる川、 ここが、滝への入口です。

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そして、入口で見あげると、上に観音様がいらっしゃいます。
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まずは、観音様へご挨拶をして、山へと入りたいと思います。
そして、入口にはもう一つ、とてもかわいい人形がおかれてあります。
地元の学生たちが作ったのでしょうか、手作りのどじょうすくいの人形。 

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地元の子供たちが滝へくる人々のために、一生懸命つくったのでしょうね。なんだか、とても微笑ましい風景です。

そして観音さまの所へは、この階段を上ります。
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ご挨拶をしたら、またここへ戻ってきて、奥へと進みます。

川の側を、約300メートル歩くと到着です。
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しかし、私たちは、最初違う方向へと上がっていってしまいました。
途中、二つにわかれている道があり、 どう見ても、綺麗な道があるのに、なぜか、上に何かあるような気がして上っていってしまいました。

でも、途中とうとう道がなくなり、引き返すことに。
上る時は、そんなに気にならなかったのですが、降りる時は、思ったより急な道で、しかもすべる。
持つ所もない。 
どうしよう~。 と思ったその時、 足元に、一本の枝が。 枝と言ってもとても頑丈そうでうで、しかもまるで
造った杖のよう。

私たちがここまで上がってくるのをわかっていたかのように、用意された杖。
ほんとに、不思議でした。 
杖を借りて、 下へと降り、今度こそ、滝へ。

すると、そこからすぐ先に滝が見えてきました。 小さな赤い橋とともに。。。
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この夫婦滝は、左の大きな滝の方が、雌滝。 そして、右側の小さな滝の方が 雄滝です。
ふつうは、 大きくて激しい滝の方が、雄滝なのですが、 ここは、雌滝の方が大きいのです。

「女神」 の方が上なのでしょうか。。。。。

でも、よ~くみると、左側の雌滝は、まるでその体が龍のように、曲線を描いています。
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そして、こちらが 雄滝
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この雄滝は、次期によれば、あまり水量がなく岩肌が見えていることもあるようです。
今年は雨が多く、 例年よりも水量が多かったようで、とても美しい雄滝を見ることができました。

この滝の水は、上流に鉱山があるように、金属鉱物含んだ水が流れているそうで、 とても強い酸性の水が流れているそうです。
飲み水には適していないようです。

でも、滝壺に落ちる水は、キラキラと輝き、とても美しい姿を見せてくれました。
この滝へ行った日、 この2時間後には大雨が降り始めました。
無事、滝へといくことができ、感謝です。

そうそう、 先ほどお話しました 「杖」 誰かの役にたちますようにと、入口に立てかけてきました。
一度くらい、 誰が、 使ってくれたかな~。

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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

インド独立の父 「マハトマ・ガンディー」のことばに、 こんな言葉があります。

「まずは都会に住む人に尋ねたい。
あなたは地方の村でつくられているものを、いっさい使わず、いっさい食べずに暮らすことができるのか?」

都会にどんどん人口が集中し、田舎はどんどん過疎化をしています。
山奥の神社へ行けばいくほど、 その深刻さがよくわかります。

都会は、ものがあふれ、食べ物があふれ、 おいしいものも、 贅沢なものもたくさんあります。
お金さえあれば、なんでも手に入る 都会。

でも、 そんな生活はいつまで続くでしょう。

田舎の人々は、自分たちは、質素な生活をしながら、毎日、不便な生活をしながら、一生懸命都会の人たちのために、 食べ物を作ります。
毎日、毎日。。。。。。

でも、そんな人たちも、今のままではやがていなくなってしまう。

そして、いったい、どれくらいの人たちが、食べることができることに感謝をしているでしょう。。。。




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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-10-17 21:22 | 愛媛県内子町 | Trackback | Comments(0)

こんにちは。

日曜日、いかがお過ごしですか?
今日は、午後から子供をレッスンに連れて行ったあと、小田町へと向かいたいと思っています。


今日、ご紹介する場所は、前回の続き、内子町「大瀬」 ですが、ここは、旧小田町の隣町になります。
9月から、 このあたりによく行きます。

観光では、あまり有名な場所ではありませんが、 
内子町の奥地、 大瀬や小田は、隠れた清流の町と言ってもいいほど、それはそれは、水が清らかで、
姫の姿が、色濃く残る場所だということがわかってきました。

人があまり入らない所だからこそ、こうして今でも、残っているのかもしれません。
観光地もいいですが、私は最近、こういった、人があまり入らない所へ行くのが好きです。

本当に、心が洗われるような気がします。
皆さんも、 時々 そんな秘境を見つけてみてみませんか?

では、今日の神社です。

今日は前回の、「庚申堂」 「三島神社」 から、さらに、山奥へと入って行きます。

内子町 「大瀬」は、 昔は 「大瀬村」 とよばれていたところで、
なんとここは 芥川賞受賞の、 大江 健三郎さんが、生誕された場所です。

大江 健三郎さんは、生まれ育ったこの故郷での体験が、後の作品形成に大きく関わっていったそうです。
素晴らしい作品の数々が生まれたのは、 素晴らしい環境の中で培われた体験によって生まれたのですね。

前回、言い忘れたのですが、
あの 「見ざる 言わざる 聞かざる」 の神様 「庚申堂」は、 大江 健三郎のお母様が、日々お参りをしていた場所で、 息子の成功を祈願していたそうです。

お母様のそんな姿が、今でも目に浮かんできそうです。

そんな、「大瀬」 には、 水に関わるな地名がたくさんあります。

「滝」 「水」 「瀬」 「浦」・・・・ など、 水に関係する名前。 また、 山には、水無権現が祀られ、名前のとおり、美しい滝もあります。  

今度ご紹介する 「夫婦滝」 の近くには、 「熊野滝」 という地名もあったり、
まるで町の名前で、「姫」 を残しているかのような所です。

「大きな 瀬 」 の町 「大瀬」 今日は、そんな秘境の町の、 小さな神社をご紹介します。

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山の中を走っていると、 「影浦橋」 というバス停がありました。

この影浦橋の次が、目的です。 「浦の影」 なんだか、 この文字を見つけて時、 水の女神の存在が近くにある気がしました。
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ここから少し走ると、小学校が見えてきました。
ここは 「程内」 
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小学校のすぐそばを流れる橋には二つの名前がつけられていていました。

一つは、神社の名前と同じ 「河崎川」
そして、もう一つは、「影山川」  この橋の由来はわかりませんが、 とても気になる名前です。
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この二つの名前の橋は、もしかしたら、二つの川が合わさるところなのかもしれませんね。

姫を祀る 「河崎」 と その影となるなる、もう一つの、水神を祀る山の 「影山」 
二つの場所から流れてくる川が、合わさる場所が、ここなのかも。。。。

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二つの名前の橋を右に曲がり、少し走った小高い山の上に、神社はありました。
そこは、 深い山の中。 霧がたちこめ、とても幻想的でした。
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神社の下に、お堂のような建物が。 行ってみると、「河崎地蔵 大菩薩」の 文字が。
ここは、きっと神仏習合時代の名残、 河崎神社の 仏の姿なのだと思います。

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御堂の横の階段を上ります。
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上りきった所に、神社はありました。
まず目についたのが、 古い大きな木。 拝殿の側に、力強くたっています。
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そして、河崎神社です。
ここは、神社庁には登録されていない神社で、 もう少し詳しく調べないと祭神の名前はわかりません。

愛媛に鎮座する、河崎神社という名前の神社は、お隣、久万高原町に一社あります。
久万高原町の 河崎神社の祭神は、 「五男三女神(ごなんさんじょしん)」 厳島神社の祭神と同じです。
愛媛における 「河」 と名のつく神社は、 そのほとんどが、姫に関係する神社だと思われますので、ここも、そのうちの一社なのだと思います。

この大瀬の河崎神社から、さらに山の奥へといくと、もう一社神社があり、そこは、三島神社の末社と言われているところですが、 そこには、倉稲魂命(うかのみたまのみこと)が祀られ、 境内社には、 八坂神社 天神社 や川崎神社など、 スサノオや、 ニギハヤヒ、 少彦名命に関係する神社が祀られています。

ここに、瀬織津姫の名前はありませんが、 私はここも、姫が祀られていた所だと思いました。

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瀬織津姫は、縄文時代から祀られる女神と言います。
縄文時代は 「太陽 と 月 」の対する信仰がとても強かったそうです。

現在見つかっている、多くの土器に描かれた模様の中にも、 「太陽 と 月」 に関する絵が多く描かれています。

以前もお話したと思いますが、地球は、 太陽と月 があるおかげで、 奇跡の星 となることができている。
太陽からの距離、 月からの距離、 そして、 地球そのものの大きさと、太陽と月の大きさ。

太陽の 「火」 としての役割と、 「月」 の引力による、 潮の満ち欠け。
月の影響により、 地球の生命の源ともいえる海は、 母となった。 
月に、不老不死の水があると思われた古代の考え。 それは、 地球の水と、 月は、 繋がっているということを、 古代の人々は感じていたのだと思います。

もちろんこれだけではありませんが、 太陽と月が存在しなければ、 この地球に人間は、存在することはできません。

そのことを感じていた古代の人々は、 太陽と月 火と水の神が 地上の王と姫として、降臨してきた
ニギハヤヒと 瀬織津姫を、 神として、何千年も、信仰しつづけてきたのかもしれません。

月は、日の沈んだ西の空に三日月と黄泉がえり、 闇に光るその光は、やがて満月を、迎える。
そして、 だんだんとやせ細り、最後は、東の明け方の空に三日月となり消えていく。
命の一生、 死と再生。 古代の人々は、 生命の神秘を、現在の人々よりも強く感じていたのでしょう。
 
私たちは、 命の重みを忘れてしまったのかもしれません。
この地球に生まれてくることができた、その大切な一つ一つの命。 そして、これから生まれてくる未来の命。
私たちの命の源は、 この宇宙にあるということを、もう一度思い出さなくてはいけないのではないでしょうか。




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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-10-16 13:12 | 愛媛県内子町 | Trackback | Comments(0)

こんばんは。

今日は、先日ご紹介した三島神社の続きです。
内子町大瀬に鎮座する、三島神社には、「姫大神」と言われる、口伝による秘密の姫が祀られていました。

この姫こそ、三島神社の真の姿、「瀬織津姫」です。
ここ、三島神社では、 代々口伝で、この姫のことを伝え続けてきました。 決して、口外しないようにしながら。。。。

もし、ここに、本当は瀬織津姫が祀られているとわかったら、
神社だけでなく、命までも奪われかねない。。。。 そんな時代がつい100年ほど前まで続いていたのです。
人々は、 誰にも知られないように、 その真の姿を明かさぬまま、今も瀬織津姫を祀りつづけています。

しかし、世の中は、変わってしまい、どこにも書き記されていない、「姫大神」 のほんとうの名前を今、知っている人はいるのでしょうか。。。。。

今日ご紹介する神様は、 この三島神社の向かいの山、「星中山」 という小さな山の上に祀られる神様です。
この神様は、もともとは、三島神社のすぐ近くに祀られていたそうです。
そして 1835年に現在の場所に、移されたといいます。

ここに、祀られる神様の名前は、

「見ざる、聞かざる、言わざる」 の神様と言われます。

 名前は 「庚申堂」 
庚申の日は帝釈天の縁日と言われることからでしょうか、ここには帝釈天さまが、祀られています。

庚申信仰(こうしんしんこう)とは、中国道教の説く「三尸説(さんしせつ)」がもとになっていると言われます。
三尸(さんし)とは、上尸・中尸・下尸の三種類で、上尸の虫は道士の姿、中尸の虫は獣の姿、下尸の虫は牛の頭に人の足の姿をしています。

60日に一度やってくる、庚申の日。
この日は、天帝にその人間の罪悪を告げられ、告げられた人間はその命を縮めると思われていました。
だから、この庚申の日は、眠らずに過ごすようになったと言います。

この庚申信仰が、平安時代に、貴族社会においては、碁・詩歌・管弦の遊びを催す宴をはり、この夜を過ごすようになったと言われます。

15世紀の後半になると、この信仰は仏教と結びつき、また、「日吉(ひえ)山王信仰」と習合されるようになりました。
このころから、「猿」を共通にした信仰へと変化していったのではないかと言われます。
山王信仰とは、比叡山麓の日吉大社(滋賀県大津市)より生じた神道の信仰です。

この日吉大社には、大山咋神と大物主神(ニギハヤヒ)を祭神とします。

日吉大社では、「サルは、山王の使者」とされます。
日吉大社の原点は、およそ2100年前、崇神天皇7年。 この時、本当は誰もお祀りしていたのはかは、さだかでありませんが、現在の東本宮は崇神天皇7年に牛尾神社の里宮として創祀されたものと伝えられている。

現在、この東本宮の祭神は、「大山咋神(大山積神)」

そして、この日吉大社で、神の使いとされている「猿」が、「見ざる、聞かざる、言わざる」の猿とされているのです。

この三猿は、ヨーロッパやアジアの各地で、信仰されているものですが、
ここ日吉大社での、「見ざる、聞かざる、言わざる」 の意味は、まるで、
この神社の祭神の秘密を、 「見てはいけない。 聞いてはいけない。 言ってはいけない」 としているように思えませんか?

「見ざる、聞かざる、言わざる」 の意味は、:他人の欠点や過ちは、見ない、聞かない、言わない、とするのが良い方法である、といわれますが、

もう一方では、 古来より、 このことわざが生きる知恵とも言われてきました。

ただ、他人の欠点や過ちについて言っていることわざとは、思えないのです。
人は、知らず知らずのうちに、 自分が損をするものには対しては、
「見ないふりをし、 聞こえていても聞こえていないふりをし、 もし知ってしまっても言わない」
それが、身を守る方法の一つになっているような気がするのです。(特に日本人は)

1300年前に始まった、瀬織津姫の名前を消す作業は、 まさに、このことわざどおりだったのかもしれません。

そして、先日、ご紹介した 「三島神社」 に祀る 「姫大神」 の真の名前についても、
「見ざる、聞かざる、 言わざる」 と伝えられてきたかのように、 神社の目の前に この 「庚申堂」はたっています。

日吉神社の神の使いの猿は、 「大山咋神(大山積神)」 の使い。
この神こそ、 瀬織津姫の名前が消された代わりに、全国に祀られた神様だから、その神の使いが、
「見ざる、聞かざる、言わざる」 の猿だったではないでしょうか。。。。。。

今回の原発の問題も同じ、 知られたくないことは、
「見ざる、聞かざる、言わざる」  日本は、もしかしたら、1300年の前からはじまった歴史がそういう性格にさせてしまったのではないかと思ってしまいます。

どんなに、都合の悪いことでも、どんなに酷いことでも、 それは隠すのではなく、本当のことを話す、本当の姿を見せる。 そうしなければ、 何も前には進まないことに、そろそろ気づかなくてはいけないのではないでしょうか。
隠せば、隠すほど、取り返しのつかないことになる。

*庚申堂
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生い茂る木々の中に、鳥居を見つけました。
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と、その時、ここにも黒いアゲハ蝶が現れました。
(ここも、導いてくださったんだ!)
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姫に感謝しながら、鳥居をくぐります。
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庚申堂です。
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ここで終わりかと思ったら、まだ奥に何かがある。。。。
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草の中を歩いて。。。。。
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星中山の頂上に祀られていた神様。
何も書かれていなく、 今もわからないままです。 でも、 ここまでこさせて頂いて、ありがとうございます。

今はこの伊予の国しか、神社を巡ることはできませんが、 伊予の国を巡るだけでも、全国の多くの神社や神様と繋がっています。
今は、こうして、伊予の隅々まで行くことが、私には与えられたお役目なのかもしれないなと思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

2005年年5 月28 日16 時14 分
大三島大山祇神社の御神体 安神山、入日の滝の近くから出火。
その後、延々と燃え続け、鎮火されたのは、
6 月2 日でした。

5日間燃え続けた山は、全部で 「133ヘクタール」 でした。

偶然にも、大山祇神社の東経 「133度」 と同じでした。

私は、この東経 「133度線」 は、古代の 重要な何かのラインだと思っています。
南は、古代の巨石信仰の祭祀場だった 「足摺岬」 
しかし、北は、 島根原子力発電所です。

ただの偶然だとは思いますが、 今回の3月11日の地震が起こった時、
133ではないけれど、 「1」「3」 の数に、思わずドキっとしました。

「龍」 の 中心部 「日本の龍体の中心部」 133 が 動いたのかと。。。。
そして、今日、ふと思い出したのが、 大山祇神社の中でも、特に重要な、「龍が住んでいた」と伝わる
「安神山」 の 山火事。
気になって調べてみると、 燃えた面積もまた、「133」でした。
そして、その火の元 が、 安神山の中でも、特に重要な 「滝」 「神水」 「入り日の滝」

実は、先日ここに行ってきたのですが、 前回お話した 「月の聖なる泉」 とその姿が重なるかのうような
滝壺だったのです。

その場所から燃えはじめ、 この御神体は、そのほとんどが燃えてしまい、山は、その真の姿を現しました。

それが、2005年5月です。

「5」 は、 浄化の意味をもち、真実を理解することが 「5」 の機能とも言われます。
「5」は、ほおっておくと、その目をシャッターのように閉じてしまいます。
でも、浄化すればするほど、 その真の姿が見えてくるということなのです。

私は、子供の頃から 「5」 という数字にとても縁があります。
誕生日が 「5」 だからと思っていたのですが、あまりに 何から何まで 「5」 という数字が付きまとうとで、ずっと不思議でなりませんでした。

ある時、出雲の知人から、 光と数字の意味を教えて頂き、この「5」 の意味にたどりつきました。

それが、瀬織津姫の 浄化の 「5」 と重なったのも、 偶然ではないような気がした一つです。

全てはただの偶然かもしれません。(勝手な妄想だと思いますが。。。。)
でも、 大山祇神社の御神体 瀬織津姫の名前を消すために 追い出した「龍」の山が全て燃えてしまったことも、もしかしたら、 瀬織津姫の復活と関係があるのかもしれないとふと思いました。

2005年5月28日、「133」 「1」 「3」 三位一体
「5」 浄化、再生  「28日」 「2+8=10 1+0=1」 「1」 は始まり。

その姿がもう一度現れた始めた日だったのかも。

「再生」 「復活」 のために。。。。。。。




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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-10-13 23:06 | 愛媛県内子町 | Trackback | Comments(9)

こんばんは。

今日は少し遅くなってしまいましたので、神社の紹介はお休みして、
「右手と左手」 のお話です。

お寺や、仏様を拝む時にも、 手と手を合わせますが
神道における、 「右手と左手を合わせる」 ことには、特別な意味があるそうです。

神道では、 右手の(み)は「水」 を現し、左手の(ひ) は「日、火」を現わすのだそうです。

そしてつまり、右手と左手、両手を合わせるというのは、
日神と水の象徴でもある月神を合わせるという意味にもなるそうです。

どうして、月神が水の象徴になるかといいますと、
古代の信仰に「月には変若水(おちみず)がある」という思想があります。

月には生命の源となる水がたくさんあると、そう思われていました。
更に、その水は、不老不死の再生の水だと。。。。。。

この月の水は、真夜中に地上の聖なる泉に降ってくる。
そして、夜中にその変若水を汲みに行って飲むと若返りが出来ると考えられていたのです。

その水は、月影を宿す聖なる泉にふってくるのです。

そして、その聖なる泉で禊をすると、 人間も神も、不老・不死再生の力を得る事ができると思われていたのです。

もう一度言いますが、 月の水は 聖なる水。
不老・不死再生の力を得ることができる、 水だったのです。

古代の禊とは、 再生、復活の儀式だったのです。
だから、瀬織津姫の月神としての御神徳、 「禊」 の女神とは、 再生、若返り、復活の意味があったのかもしれないと私は思います。。。。。。。

「右手」と「左手」 を合わせるということは、 
太陽の神 日の神「ニギハヤヒ」 と 月の女神 水の女神 「瀬織津姫」 を一つに合わせるという意味だったのです。
そして、それらは、表裏、正反対のものであるが、 一体であり、対であり、 どちらもこの地球にとって、なくてはならないものだということを、 古代の人々はわかっていたのでしょう。


私たちが、知らず知らずのうちにしている 拝殿の前で 「手を合わせる」 という動作。
それは、古代の人々の、 太陽の神と月の女神に対する、 想いが込められていたのです。

右手に水の女神、月の女神が宿り、 左手に日の神、 太陽の神が宿る。
その手を、合わせた時、 何を想いますか・・・・・・

そういえば、明日は、満月。
月影の泉に、聖なる水が降ってくる日ですね。。。。。。

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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-10-11 23:31 | 愛媛県内子町 | Trackback | Comments(2)

こんばんは。

今日、春のような陽気でした。
空はかすんでいるし、何だか秋というより春。

日本のあちこちで、ソメイヨシノが花を咲かせているそうです。
桜も、季節を間違っているのでしょうか。。。。

そういえば、 瀬織津姫は桜の女神でもありますね。。。。

さて、今日は、内子町の神社をご紹介します。

内子町の道の駅、「からり」から、国道379号線を東へ、小田、久万高原町の方へと向かい
15分くらい走ったところに神社はあります。

川を渡り、三島神社の近くまで行くと、小さな看板がありました。

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「一丁目ポケットパーク」 
なんだろう? と思って読んでみると、ここは、三島神社の御旅所だった所のよう。
今は、小さな休憩所のようになっていました。

そこには、小さな仏さまが。。。
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その上には、小さな祠もありました。
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祠の説明はありませんでしたが、三島神社の御旅所ということなので、何か関係があるのかもしれません。
川を渡り、三島神社へ。
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今日ご紹介する神社は、私の中ではとても新しい三島神社です。
1569年 (永禄11年)曾根式部大輔藤原宣高公が、大三島より勧請したと伝わります。

1569年は、戦いがやむことがなかった戦国時代。
瀬織津姫の名前を消す作業は、古事記が完成した1300年前から、明治時代ころまで続いていたそうです。

戦国時代、織田信長が命令を下した、四国征伐、この時、豊臣秀吉により四国は多くの城だけでなく、お寺や神社も焼き討ちにあい、それまでの資料がなくなってしまいました。
もし、それらが今も残っていたら、なんて思うこともありますが、でも、これも歴史の流れ、仕方のないことだったのでしょう。

ここ、内子町成留屋は、合併前は 「大瀬」と呼ばれていました。
そして、この先には今度ご紹介しますが、とても美しい滝が流れています。

ここ、三島神社は、 現在の由緒では、大山積命(おほやまつみのみこと)・雷公神(いかづちこうのかみ)
高龗神(たかおかみのかみ)を祀っているとなっていますが、この他にも祀られている神様がいらっしゃいます。
それが、「姫大神」 です。
そして、 高龗神は 水徳太神也 とされ、 雷公神は火徳太神也。とされていたのです。

「水徳太神也」 とは瀬織津姫のことで、 火徳太神也とはニギハヤヒのことだと思われます。
そして、 「媛大神」 とは、 (三位一体) これら全てが、一つであり、姫大神 (瀬織津姫)だと言いたいのだと思います。

そして、ここには、もう一つ大事なことが書かれてあります。
それは。。。。。
「姫大神は、当家口伝の秘密のものなれば、他家は知らざるものなり。」 と。

ここは、大三島の大山祇神社を勧請したことになっていますが、 その本当の姿は、 
真の三島明神 = ニギハヤヒと瀬織津姫 だったのです。

「口伝の秘密」 
表向きには、決して姫の名前を明かすことはなかったのでしょう。でも、後世にその名を残し続けてきたことを、こうして文章にして残してくれたことは、とてもありがたいことです。

三島明神の本当の意味は、ここに書かれてある姿だったのかもしれません。
大山積命 ・  高龗神は水徳太神(瀬織津姫) ・ 雷公神は火徳太神(ニギハヤヒ) 

*炷森三島神社
*喜多郡内子町成留屋
*祭神
 大山積命(おほやまつみのみこと)
 雷公神(いかづちこうのかみ)
 高龗神(たかおかみのかみ)
*由緒
 永禄11年9月13日曾根式部大輔藤原宣高公が、大三島より勧請奉斎のことは「御系図」「国内神名帳」に明記されている。又、「曾根城史」によれば、宣高公は深く霊験を感じて領地を寄進し社殿を建立、産土神と崇めたと所載されている。

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拝殿
こちらの神社の拝殿、本殿は、素晴らしい造りでした。
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本殿
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口伝による秘密の姫が鎮座する神社。 三島の真の神は、瀬織津姫。

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古事記の中で伝わる 磐長姫は、 コノハナサクヤ姫と共に、大山積神に、瓊瓊杵尊の元へ差し出されたことになっています。 そして、 コノハナサクヤ姫を、選んだと。。。。。

大山祇神社にだけ伝わる もう一つの磐長姫の生い立ちをご存知ですか?

 「大山積神には、ふたりの姫君がありました。
長女は磐長姫、次女はこのはなさくやひめといいました。

ある時、磐長姫は、天孫ニニギノ尊の子を身篭ります。
それなのに、ニニギの尊は、美しいコノハナサクヤ姫を妻に迎えたのです。

磐長姫は、無念を感じて身をひき、宮の外に産殿を建てて移り住んだといいます。
それが、現在の大山祇神社の摂社、 宮浦港の近く、 「御串山の麓にある、阿奈波神社」です。」 

大山祇神社だけに伝わる、 磐長姫のお話は、 子供を先に身篭ったのは、コノハナサクヤ姫ではなく、磐長姫でした。
そこに、どんな意味があるのか、今はわかりません。

でも、 そこにもしかしたら 重要な秘密があるのかもしれませんね。。。。。。

今日も、ありがとうございました。
明日から、 またお仕事のスタート! 楽しく頑張りましょう♪

お休みなさい☆




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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-10-11 01:24 | 愛媛県内子町 | Trackback | Comments(0)

こんばんは。

今日は、三島明神のお話はお休みして、久しぶりに少彦名命にまつわる神社をご紹介したいと思います。

大国主と少彦名は、共に力を合わせて国造りを行ったと言われます。
少彦名命は、 医学の神、農業の神、そしてお酒の神様。 薬の作り方を教えたり、 初めてお酒を造ったとも言われていますが、 ここ伊予の国にも、そんな大国主命と少彦名命にまつわる、数多くの伝説が残っています。

私が、この二柱の神さまのことを調べ始めたのは、今からちょうど一年前のことでした。
今治から残るその足跡を、南予までたどって行き、少彦名命が最後を迎えたその場所へとたどりつきました。

まだ、読んでいない方は、ぜひ、少彦名命と大国主命の伊予の旅をご覧ください。
2010年10月19日~11月16日の記事に書いてあります。

有名なお話は、旅の途中に病気になってしまった少彦名命が道後温泉のお湯で元気になり、 石の上で踊りながら喜んだと言われるお話ですが、 この他にも、今治市朝倉から大洲まで、数多くの場所にその足跡は残っています。

その時は、もう他にはないと思っていたのですが、 まだまだ見落としている場所があり、今回はその一社に行ってきました。 

その場所は、 内子町 (旧五十崎町)。
少彦名命が一人でこの地を訪れ、人々に農業を教え、薬を造り、助けたという伝説が数多く残る場所です。

今日ご紹介する神社の由緒にも、書かれてありますが、 一説には、 大国主命と少彦名命は、伊予熟田津で別れ、この地を訪れたと言われます。
しかし、 内子町よりも南の町にも、 二柱の神の足跡が残っている場所があります。

別れたはずの、二柱の神が、どうして、さらに南へと南下しているのか、今でもはっきりとしたことはわかっていません。
でも、もしかしたら、 別れたのではなく、 大国主命はここに住んでいたわけではないだけで、伊予の国全体の国造りを行っていて、 少彦名命は、 この地に宮を構え、最後のその時を迎えるまで、人々のために国つくりを行っていたのかもしれないと思い始めました。

一般的な伝説では、少彦名は、栗の木から常世の国へと旅だったとされますが、 ここ伊予の国、特に南予地方は、最古から、栗が豊富にとれる土地だったと言われます。 そして、今でも、全国でも有数の栗の産地です。 誰も伊予の国だとは思っていませんが、 私は瀬織津姫のことを調べれば調べるほど、少彦名命と伊予の国が思っている以上に深いものだったのではと思い始めています。

今も、少彦名命の亡きがら眠ると言われる 大洲市菅田町大竹にそびえる山(梁瀬山)。

そして、内子の山々の名前もまた少彦名命に関係する山ばかり。
内子町には、出雲の領土だったであろう場所も多く存在します。 

東予、中予の開拓を行ったのが 大国主命、 
そして南予地方を開拓を行ったのが、 少彦名命かもしれません。

今日、ご紹介する神社は、
185余年前に、社殿が全焼してしまい、一切の記録を焼失して由緒沿革などがわからなくなってしまったようですが、神社に伝わる伝説で、
伊予熟田津で大己貴命と別れ南予地方に向かわれた少名彦命が、この地で最初に住んでいた場所が、
洪水に遭い仮宮を造営され数年を滞在された場所と伝わります。

久しぶりに訪れた、少彦名命の足跡。 
そこには、 少彦名命の大好きな 「お酒」 の 会社がありました。
古いたたずまいのその酒蔵は、 少彦名命の面影を映し出すかのようでした。

でも、お店の入口においてあった、お酒の写真には、命の名前のお酒はありませんでした。
心の中で、作ってくれたらいいのにな~ なんて思いながら、神社へ向かいました。

神社のすぐ下にある、 古い酒蔵。

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入口には、新酒ができたことを現す、杉玉がつるされていました。
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スギの葉を集めてボール状にした、杉玉は、新酒が出来たことを知らせる役割を果たしているそうです。
吊るされたばかりの杉玉はまだ蒼々としていますが、だんだん枯れて茶色がかってきます。
この色の変化がまた人々に、新酒の熟成の具合を物語っているそうです。

入口につるされていた 杉玉は、かなり茶色になっていたので、かなり熟成されているのかな。

また、これは、大神(おおみわ)神社の三輪山の杉にあやかって作り始められたと言うことです。
大神神社は、大国主命を祀る神社。 やはり、ここでも大国主命と少彦名命は繋がっているのですね。

*岡森神社
*喜多郡内子町平岡甲1606
*祭神:少彦名命(すくなひこなのみこと)

酒屋さんの隣が、神社の入口。 ここから少彦名命が鎮座するところへ。。。
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もうすぐ、このもみじが真っ赤に染まるんだろうな~。
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いよいよ拝殿へ。
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迎えてくれたかわいい狛犬。
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拝殿
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本殿
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太古の昔、ここに少彦名命が住んでいた。 そう考えただけで、わくわくします。
見たことも、会ったこともない、少彦名命さまですが、 私の中では、いつも、元気で、 身軽なその体で、
竹から竹へと飛び移り、 森の中を駆け巡っている姿を想像してしまいます。

本当の姿は、いったいどんな感じだったのでしょう。
そして、 少彦名命と瀬織津姫さまは、どんな関係だったのでしょう。 


昨日、職場の人が、応援で東北の方へ行っていて、戻ってきました。
町の風景をたくさんの写真に収めていて、 見せていただきました。

津波で何もなくなった町、 土台だけ残った家。。。
そして、 同じ場所で働いていた人たちのそのほとんどが、家族の誰かを失っていました。
それでも、 毎日、 未来に向かい一生懸命仕事をし、 一日も早く元の町へと戻れるように頑張っていたそうです。

最近は、テレビでもあまり移さなくなった 被災地。
半年がたった今も、多くの警察官や消防の人が、今も見つからない人々を探し続けています。

人々の心は、今も、あの日からとまったままかもしれません。

どうか、一日も早く、元の生活に戻ることができますように。
心から祈り、願っています。





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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-10-04 23:36 | 愛媛県内子町 | Trackback | Comments(5)

こんばんは。

今日は、前回の続き、 三島の家紋 「三」 という数字の意味に繋がる伝説をお話したいと思います。

三つの小島の伝説

大三島宗方沖に、今も存在する 三つの小島。
何も知らなければ、 だれもが、 気にも留めないかもしれない、小さな岩のような島。
しかし、この島々には、 大三島の伝説、 いえそれだけではなく、 日本の本当の歴史の秘密を今に伝えるかのように、存在する島なのです。

今日は、 三島の 「三」 という意味に込められた一つの伝説をお話します。

昔昔、 光仁天皇御字宝亀十年(779年)、天皇の勅命により、三島摂社として、7つの島に宮を造りました。
そして、それとは別に、諸山積神を、伊豆国加茂郡に鎮座させました。
すると、同じ年、8月17日、 突如として、三島の西南の海辺に、3つの小島が出現しました。
多くの人々が、これを大山祇神の御神徳と思い、それ以降、崇(あが)め敬(うやま)われたといいます。

これは、大山祇神社にのこる、古い文書の中に書かれた内容です。

まず、三島神社摂社7つの島とは、 あの大山祇神社をはじめ、愛媛の数社に今も祀られている、
十六皇子を祀る、十六社、 そして、大山祇神社では、 一の神諸山積神を含め、十七皇子を祀る、十七社のことです。

現在のように、大三島へと祀られるようになる前は、 この文章の通り、 7つの島へ祀られていたといいます。
その7つの島とは、どこだったのかは、まだ全部わかっていませんが、この十六皇子が祀られたのは、
光仁天皇の時でした。

そして、それとは別に祀られたといわれる 諸山積神は、伊豆国加茂郡に鎮座されたと言います。
このことに、とても驚いたのですが、 これは、あの静岡県に鎮座する三島大社のことだと思います。
一説には 三島大社は、三宅島から渡っていたといわれていますが、 途中までは、夫婦神そろって勧請されていたものが、 途中、 男神 大山祇神だけになったという場所がありますが、 もしかしたら、その時、
瀬織津姫から、大山積命へと、名前を変えられてしまったのかもしれません。

大山祇神社の大造営が行われると決まったころ、 大三島に祀られていた瀬織津姫は、三宅島へとその御神体を送りました。 しかし、三宅島から、本土伊豆へと戻ってきてから、瀬織津姫は、大山積命へと名前を変えられてしまったのではないでしょうか。

そして、 突然現れた 三つの小島。 この小島には、今も呼ばれている名前があります。
その名前こそ、

「蓬莱(ほうらい)」・「方丈(ほうじょう)」・「瀛州(えいしゅう)」を指し、
この名前は、道教で言う不老不死の仙人の住む島のことです。

あの始皇帝が、不老不死の島を探すよう命じた場所は、 この島の名前でした。
それと同じ島が、 ここ大三島の 宗方に出現したのでしょう。

この三つの島は、ある伝説のお話、日本中だれでも知っているあのお話の中に出てきます。

その物語の名前は、
「浦島太郎」 です。

現在の伝説では、 浦島太郎は、 竜宮城へと行ったといわれていますが、 原作は、 この不老不死の島
「蓬莱山」へと行ったのです。

浦島太郎は、実は、日本の中で一番古いお話ともいえる、 「浦島説話」 とよばれるお話が元になってできた物語。 この伝説が書かれたのは、大山祇神社の大造営が始まるちょうどその時でした。 
原作者は、「伊余部連馬養」という人物です。

この人物は、一説には、伊予の豪族とも言われ現在の大学教授や博士のような存在で、古い歴史にとても詳しかった人物だと言われています。 そして、この人物こそ、 日本書紀あるいは古事記を作った一人とも言われます。
国家正史作業を行った人物が、 この浦島太郎の原作を書いた人物だったのです。

残念ながら、原作の元となるものは、もうありませんが、 
「日本書記」 や、「丹後国風土記」「逸文」などにそのことが書かれてあります。

原作は、浦島太郎の名前が、若干違いますが、「水江浦嶼子」「水江浦嶋子」「水江浦島子」と書かれています。 そして、乙姫さまと言われる竜宮城の姫は、 「神女」 と。
そして、二人が向かった先は、不老不死の島、 「蓬莱山」だったのです。

これだけではもちろん、まだまだ裏付けにはなりませんが、 浦島太郎のお話は、 瀬織津姫がこの世から消され、忘れ去られてしまったという意味を込め作られたお話ではなかったのかと私は思います。

そして、そのことを後世に伝えるかのように、この時に伊豆に鎮座させたと伝わる、静岡県三島大社の中にある、 瀬織津姫が祀られる神社の名前は、今でも、 「浦島さん」 と呼ばれているのです。

『丹後国風土記』「逸文」では「蓬山(とこよ)」、『万葉集』では「常世(とこよ)」と書かれてある蓬莱山。
常世とは、不老不死の場所という他、もう一つ意味があり、 それは、死者の行く永遠の世界。黄泉(よみ)の国。

瀬織津姫は、 あの世へと行く三途の川の女神と言われていたこともあります。
それを言ったのが、あの空海です。 空海は、 これらすべての意味をわかってそういったのかもしれません。 そして、そのことを物語るかのように、大島の 宗方沖に浮かぶ、 「津島」に祀られた 瀬織津姫は、門島神とよばれていました。
これもまた、 黄泉の国への入口ともとれる名前ですが、 本当の意味は、 不老不死の島、 それは、神の住む島への入口だったのです。

そして、もう気づいた方もいらっしゃると思いますが、 大三島の三つの小島が現れたのは、
大三島 「宗方」  そして、 隣の大島の瀬織津姫を祀っていたという唯一名前が残る島は、 
大島  「宗方」 に沖にあります。

瀬織津姫の別名、 瀬織津姫の代わりに現れた 三柱の女神の名は、

「宗像三女神」
宮島でも祀られる、 多紀理毘売命、市寸島比売命、多岐都比売命。 
この女神たちの名前もまた、同じ 「宗方」 とつけられたことは、 偶然とは思えません。

実は、宮島と大三島とは、同じ女神だと書かれた文面も見つけました。
これはまた、 いつかお話ししたいと思います。

今日は、 長文となってしまい、時間も少し遅くなってしまいましたので、神社の紹介は別の記事に書かせていただきたいと思います。

ひとかけらのパズルが、少しづつ一つの絵を浮き上がらせているかのように、少しづつ少しづつ合わさってきたような気がしています。

今日のお話は、あくまで私の見解で、ほかの方の目線でみれば、全く違うものになるかもしれません。
でも、瀬織津姫のことを知れば、もしかしたら、これは本当にそうかもしれないと思っていただけるかもしれないと思います。

三つの島の伝説。
秦の始皇帝が徐福に命じ、童男童女数千人を引き連れて三神山に向かわせた伝説の場所、
「蓬莱(ほうらい)」・「方丈(ほうじょう)」・「瀛州(えいしゅう)」

このことが、瀬織津姫を祀り、後に日本の総氏神となった
大三島と深いかかわりがあると思えてなりません。。。。





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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-10-03 23:27 | 愛媛県内子町 | Trackback | Comments(2)

こんばんは。

今日から10月がスタート。 月日がたつのは早いもので、今年も残り3か月となりました。
今年は、いろんな意味で、来年を迎えるにあたっての、準備? のような気がします。。。。

何の準備かといわれると、 う~ん。。。。。。 なんと言っていいのか、わかりませんが、
私自身のことも含め、 浮かんでくる言葉は、 「準備」 

残り3か月、1日1日を大事に過ごしていきたいと思います。

さて、今日は前回の続き 「3」 「三」 

越智家の神紋が 「三」 というだけでなく、 この数字には、 まるで謎ときのような、暗号のような、そんな気がしています。

今日は、 昨日のキーワードの意味を、 といてみたいと思います。

1.三つの山の御神体 
2.三柱の神      
3、三つの島 
4、太陽 ・ 月 ・ 星
5.三位一体
6.三貴子
7.三島とは・・・・



1.三つの山の御神体

大三島に鎮座する、大山祇神社は、現在大三島町宮浦という場所に鎮座しますが、大山祇神社には、三つの御神体があると言われます。

一つは、 神社の西南にそびえる、鷲ヶ頭[わしがず]山。
鷲ヶ頭は、古来神野山といわれました。 大三島の中で一番高い山で、芸与諸島 の最高峰です。
船で来島海峡を通っていると、ピラミッド型をしたこの山は、すぐわかり、船の人々の目印にもなっているのではないかと思います。

頂上に向かう途中には、「えぼし岩」と呼ばれる、巨石があり、古代、祭祀場だったのではないかと思います。

二つめは、 神社本殿のすぐ裏にある、小高い小さな山、小見[おみ]山です。
小見山は、 神社のすぐ裏、 奥ノ院があるところです。
大山祇神社奥ノ院といわれ、ここには、昔、神宮寺というお寺がありました。

このお寺は、神社の守護寺として建てられたお寺で、一一三五年に建てられました。
当初は「神供寺」とよばれ、四国霊場八十八ヶ寺の第五十五番札所・月光山神宮寺とされていた時もありました。
現在は、この場所は、祖霊社となっていますが、 とてもこのことからも、とても重要な場所の一つだと言えます。
神宮寺は、「月光山」とつけられていますが、 この 「月光」 は、 瀬織津姫の山を現しているものと思われます。
瀬織津姫は、水の女神ですが、 月の女神でもあったのです。
後ほど月の女神については、お話しますが、 奥ノ院神宮寺もまた、 瀬織津姫の面影を残したお寺だったのです。

そして、最後、三つめは、南山(安神山)です。

この三つの山は、 繋がっていると言ってもいいほど、隣合わせにあり、 その道沿いには、さまざまな姫の跡が残っています。
最初に、お話しました巨石もその一つですが、 
先ほどの奥ノ院に行く途中には、 「樹齢3000年」 と言われる、大楠があります。

以前ブログでもご紹介しましたが、この大楠は、 「生樹の御門」 と呼ばれ、
2本の太い幹の間がトンネルのようになっていて、人が木の中をくぐることができます。
お寺があったころは、この木をくぐり参拝していたそうです。

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そして、この生樹の御門は、不老長寿の木という伝説もあります。

この 「不老長寿」 の御神徳は、 あとでお話する7つのキーワードの中にもでてきますが、
大三島=不老長寿の島 に繋がる、 大切なキーワードの一つです。

そして、いよいよ三番目の山 「安神山」 です。
安神山は、 昔は 「荒神山」 と呼ばれていました。 どうして、この御神体である、 安神山が、荒神山とよばれるようになったか。。。。 
ここに、 大山祇神社創建の秘密があります。

安神山と、一つめの鷲ヶ頭の間に、 滝山という山があります。
ここには、 「入り日の滝」 があります。 
ここには本尊を十一面観音とする滝山寺があります。 
「滝」 「十一面観音」 これもまた、瀬織津姫の姿です。

向かって左側が荒々しく流れる男滝、右側がしなやかに流れる女滝。
この滝は、古代から、夕日にあたって虹ができる場所と言われます。
現在は、水量はわずかですが、古代は、この滝を、豊富な水が落ちてきていたのだと思います。

そして、ここもまた、古代から人々が姫の滝として、崇めていた場所だと。

一番重要な、安神山のお話にもどりますが、 安神山には、古代、龍が住んでいたといいます。
しかし、その龍は、今はいません。 そのいなくなった 龍こそが、 瀬織津姫のことです。

大宝元年、(701年) 越智玉澄は天皇の勅命によって、 瀬戸に鎮座していた、大山祇神社を現在の宮浦へと遷宮し始めます。 
しかし、移転さきには、龍(大蛇)が先に住んでいて移転ができなかったと言います。
そこで、天皇は、この龍(大蛇)を追放するために、この南山安神山の頂上に、五龍王を祀りました。
そして、龍は、横島へと逃げていったと伝わります。

この安神山に住んでいたという龍こそが、瀬織津姫のことなのだと思います。

瀬織津姫(龍)が、飛び去ったといわれる 「横島」 方面には、今も瀬織津姫の別名の女神たちが、島々に祀られています。

701年、 大山祇神社の大造営が始まり、 16年の年月をかけ完成、 完成後さらに3年の年月をへて、
正遷座されました。

この間の19年間、 倭の国は、 さまざまな大変革が起きていました。
まず西国を中心に瀬織津姫を祀る神社は、焼かれ、御神体を奪われ、さまざまな文献も焼き尽くされました。
そして、その波は、蝦夷の国へと流れます。
最後まで、抵抗したのが、蝦夷と言われますが、 その蝦夷でも瀬織津姫の名前は神社から消されていったのです。

大三島の三つの山の御神体、 現在の大山祇神社が創建されるずっと前から、三神体は、古代から信仰されていた山々です。
そして、それはどうして、三つの山でなければいけなかったのか、 それは、 それぞれの山に祀られる神があり、その三柱の神々を合わせて一つだったからです。

その神々のお話は、 次回の、 

2.三柱の神でお話したいと思います。


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それでは、今日の神社です。
今日は、久しぶりに 内子町に鎮座される神社です。

              宇都宮神

ここは、旧五十崎町になります。
高速道路 内子インターから 車で10分ほどの、竜王とよばれる山の上に鎮座します。

ここには、室町時代から戦国時代まで、竜王城というお城があったといいます。
このお城は、河野氏一族の居城であったのですが、秀吉の四国征伐ともない廃城となりました。

どうして、ここが竜王とよばれるようになったかは、まだわかりませんが、
ここに推古天皇の時代から鎮座していた、五十崎森之宮には、瀬織津姫が祀られていました。

現在は合祀され、 宇都宮神社と名前を改めましたが、 今も、 ここには、 「姫大神」として、瀬織津姫は祀られています。

内子町は、大国主と少彦名命の伝説が色濃く残る場所。
太古の昔、少彦名命が国つくりをおこなった場所でもあり、 少彦名命の屋敷があったと伝わる場所もすぐ近くです。

想像以上に、太古の昔から、ここには瀬織津姫が祀られていたかもしれません。

ここを訪れた日は、行く途中、前も見えないほどの大雨でしたが、 神社についた時には、雨も小雨になり、傘がなくても大丈夫なくらいになりました。
神社の宮司さんとも、少しお話ができ、あまりにもすごい雨なので、心配していましたが、
きちんと参拝させていただき、心から感謝でした。

*宇都宮神社(五十崎森之宮)
*喜多郡内子町五十崎甲1571
*祭神
 大己貴命(おほなむちのみこと)
 (姫大神 : 瀬織津姫)
*天正4年龍王城主宇都宮綱實氏神を勧進し五十崎森之宮を合祀、宇都宮神社と改称する。処領内山区十一村の郷社となる。
 明治40年神社条例により町内各社を合祀した。

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境内社から。。。
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深い森の中に、鎮座する境内社もが祀られている場所も、とても神聖なところでした。
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そして、拝殿です。
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最後に、本殿です。
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今日も最後まで、ありがとうございました。
素敵な週末をお過ごしください。。。。。。

3月11日、春を目の前にして起きた、東日本大震災。
春が過ぎ、夏が過ぎ、そして、秋がきて、 もうすぐ寒い冬がやってくる。

美しい山々、 美しい海、 綺麗な空気、 子供たちの笑い声。。。。。
まだまだ、 元の生活に戻るまでには、 多くの時間が必要かもしれません。

でも、いつかきっと、 また、 以前のように、
美しいふるさとで、笑顔あふれる日々がおくれると信じています。

希望を失わなければ、 きっと。。。。




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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-10-01 02:11 | 愛媛県内子町 | Trackback | Comments(0)

数あるブログの中からお越しいただきましてありがとうございます。 不思議な数々の出会いから、今は、愛媛の神社めぐりをしながら、神社や女神様そして、神話の神々の伝説を調べています。
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