こんにちは。

昨日は、宇和町の歴史文化博物館に行ってきました。

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次にお話する場所や、その周辺は考古学的にもとても注目されているところで、
そのことを先月松山の考古博物館に行った時に知りました。

今年に入ってから古墳や遺跡の勉強も始めているのですが、
古墳や遺跡と、神社の伝承を照らし合わせてみると、また新しいことがわかってくるような気がしています。

次にお話する場所も、6世紀頃につくられたという古墳の上に神社が鎮座します。

そして、その神社周辺は、大きく国が変わるその直前、
もしかしたら日本の中でも、特に重要な地の一つだったかもしれません。

それがわかったきっかけが、遺跡でした。

今回歴史文化博物館で、初めて今治の古墳、大浜八幡神社の裏山にある 「相ノ谷古墳」から出土した
「鏡」の実物を見てきました。

また、伊予の国の各地で出土された 銅剣も。

その中でも宇和町で出土した銅剣は、まるでおとぎ話から出てきたような大きくて神秘的な、銅剣でした。

また、「祭り」のコーナーで、あるものを発見!

伊予の国のお祭りの中で姫のことに通じる祭りだと以前から思っている、

「牛鬼祭り」の謎を発見しました。

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悪魔祓いのために始まったと言われる南予地方のお祭り

「牛鬼祭り」

その顔は鬼でようであり牛のようであり、そしてその体は牛。

一説にはその姿は龍でもあるという。

しっぽの先には、剣がさしてあり、まるでその姿はヤマタノオロチをあらわしているかのようでもある。

以前から、どうしてこの御祭りが南予にだけあるのかと不思議でなりません。

まだその答えは見つかっていませんが、

今回姫に繋がるもう一つの牛鬼の秘密を知りました。

それは牛鬼の角と角の間につけられているもの。

地域によって2種類あり、

宇和町などは、その場所に 「太陽」を置く。

そして宇和島市などは、 「月」を置く。

場所によって、頭の上にまるで牛鬼の象徴のようにつけられたその飾りは、

「太陽」と「月」に分かれているのだと言います。

それが、どうしてなかその意味は書かれてありませんでした。

どちらも同じ姫のことをあらわしている牛鬼ですが、そのつけられているもので若干意味が違う。

「太陽によってこの姿にさせられた言わんばかりの 宇和町の牛鬼と」

「月の神は鬼だと言っているかのような宇和島の牛鬼」

「月の神は鬼だと言っている場所と、太陽の力でその姿を変えられたと伝える宇和町。」

もしかしたら、月をつける牛鬼の中には、本当は月の神だといいたいものもあるのかもしれない。

でも、それぞれの地域に住む人たちが、どうして月と太陽、別々のものをつけようとしたのか

きっとそこに意味があるような気がします。

 「月の牛鬼」

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そして帰りに、「こけむしろ」というカフェに行ってきました。

内子町と宇和町の間の山の麓にある 小さなカフェは、

沢山の木々と美しく手入れされた苔の庭に囲まれた中にあります。

残念ながらもう閉店の時間で、ゆっくりすることはできませんでしたが、

ご主人が中を見せて下さりました。

今度はここでゆっくりお茶を飲みにきたいです。

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by ldc_nikki | 2012-03-11 13:10 | 愛媛県西予市宇和町 | Trackback | Comments(1)

こんばんは。

今日は、先日のブログでも紹介しましたように、今治の商店街でゆるキャラとB1グランプリが開催されました。

普段は全く人がいない商店街が、前に進めないくらいの人、人、人。。。。

ゆるキャラとB1の力は凄いな~と改めて実感。

でも、それぞれの町が自分たちの町のよいところを見つけ、それを多くの人に知ってもらいたいと活動をすることはいいことですね、

日本は小さな島国ですが、それでも多くの市や町があってそれぞれ独特の個性がある。

長い歴史の中で造り上げてきた証ですね。

ゆるキャラやB1はそれをわかりやすく伝えることができる、とてもいい手段だなと今回のイベントで思いました。

ではせっかく写真を撮ってきたので神社のお話に入る前に、ゆるキャラのご紹介^^;

まずは、ここ「今治市」のゆるキャラ、「バリィさん」です。
頭につけている冠は、しまなみ大橋。
鳥は焼き鳥発祥の地と言われているから。
お腹に巻いたタオルは、今治の名産、「タオル」 で作られています。
そして、昔から船で栄えてきた今治は、今も造船の町と言われているため腹巻に入れている 「お財布」は
船の形をしています^^
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なんでも、古代史に結び付けてしまう癖からか、今治のシンボルが 「鳥」か~・・・・・。と複雑な思い。

続いて、滋賀県彦根市からやってきた 「やちにゃん」
彦根城城主井伊直弼の娘 「弥千代姫」がモデルになっているそう。
ちょっぴりお転婆な姫は、ダンスが得意とか。 
ついつい「姫」に反応してしまう私。 まるで職業病のよう^^;
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うちの娘が、妙に気に入っていた 「なんなんちゃん」
愛媛県宇和島市のゆるキャラで、花菖蒲の帽子をかぶる 「種の妖精」
好物はやっぱり、「じゃこ天(宇和島名産)」 
今日は見ることができなかったのですが、なんなんちゃんにはペットがいるそうで、
その名は 「ツツ人」 
時々いなくなるツツジ星人だとか^^; 見てみたいですね~。
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以上、ゆるキャラのご紹介でした^^

では、神社のお話に入りたいと思います^^

今日の神社は、今回の宇和町最後、 「大蔵山三島神社」

大蔵山三島神社は、前回の若宮神社のところでお話しました特別な縁故関係にある、三島神社です。

宇和町の「大氏神」でもあるこの三島神社の鎮座地は、「神領」

まさに神の領域です。

この三島神社の由来書は、思ったより新しく 「承平中(931~938)」ころから始まります。

これを見た瞬間、本当は違うな。と思いましたが、まずは、ここで語られている起源をお話します。

承平中(931~938)国司から海賊と化した藤原純友征討を期に、伊予の押領使である越智好方が、大三島大山祗神社より「大山積大神」を神船に乗せ、明浜町俵津を経由し、ここ宇和郷の中心地大蔵山山麓神領に勧請したことが始まりとされています。

藤原純友は、愛媛の中ではよく出てくる名前ですが、この人物も謎を秘めています。

一般的には、藤原北家の出身で本来は、瀬戸内に跋扈する海賊を鎮圧する側にありました。
それが、どういうわけか海賊の頭領となって、瀬戸内で反旗をひるがえし朝廷に対し反乱を起こした人物と言われています。

この戦いは、以前長浜の三島神社をご紹介した時にも出てきましたが、その時からなんだかしっくりこない話だな。と思っていました。

この藤原純友については、もう一つ説があります。

それは、藤原純友は本当は大山積神を祖とする(これは間違いですが。。。)伊予国の豪族 「越智氏」 の一族で今治の高橋郷の高橋友久の子であったのですが、父、藤原良範が伊予の国司として赴任したおりに養子になり、藤原姓を名乗ったといいます。

私は、この二つの説の中でどちらかというと、後の方の内容に近いのではないかと思っています。

「越智氏」は、大山祇神社が宮浦に移った時に、藤原氏側に服従してしまいました。

だから生き残ったものたちは、自分たちの想いを心に秘めたままそうするしかなかったのだと思います。

藤原純友はそんな越智家の子孫として生まれ、ずっとこの時をまっていたのではないかと思います。

そして、とうとう200年間の一族の想いを一揆にはらそうと、反乱を起こしたのではないかと。。。。。

「藤原氏」 は、越智氏と婚姻関係を結びながら、その勢力を拡大していきます。

それを物語ものが、「越智から橘」 への名前の変更です。

藤原純友を討ったといわれる人物は、伊予橘氏の一族 「橘 遠保」です。

橘 遠保は、伊予橘氏の一族だと言われています。

伊予橘氏がどういう氏族だったのかは、今はまだよくわかっていませんが、
私は 「伊予橘氏」 は本来 「越智氏」だったと思っています。

「橘氏」の起源は、やはり古事記の時代にあり、その鍵を握る人物が藤原不比等です。

藤原不比等は、どこまで本当かわかりませんが、数多くの側室がいたとされています。

その中でも、後の聖武天皇皇后となる娘を生んだ側室 「県犬養三千代(あがた(の)いぬかい の みちよ)」

三千代は、阿閉皇女後の(元明天皇)に出仕した可能性が高く、その後、三千代は軽皇子後の「文武天皇」の乳母も努めたといわれています。

元明天皇からとても信頼されていた三千代は、元明天皇が即位する(708年)、元明天皇から 「橘」姓を賜っとされています。

その後、藤原不比等の後妻となり、聖武天皇の皇妃となる娘を生むのです。

しかし、三千代は藤原不比等の後妻となる前に、敏達天皇系皇親である美努王に嫁ぎ、

「葛城王(かつらぎのおおきみ)」を生んでいたのです。

葛城王は、藤原不比等の子供ではありませんが、三千代が元明天皇から賜った姓

「橘」を継ぐことを許され、 「葛城王」 から 「橘諸兄(たちばな の もろえ」となります。

では、一番肝心なところのお話をします。

「橘姓」の祖となった、三千代は、「越智氏」 の血を受け継ぐものだったのです。

加茂族の本拠地だった現在の西条市は 大宝律令により 「神野郡」 とよばれるようになりましたが、
この「神野郡」とは、現在の西条市と新居浜市の両方を合わせたものをさします。

「神野郡」はのちに、「新居郡」と名前が変えられますが、この地を治めていたのは 

「越智氏」子孫 神野郡とよばれる時は「越智玉澄の兄の玉守」でした。

しかし、新居郡と名前が変えられる時、国司が越智から橘に変わっています。

そして、この伊予橘が越智の子孫だという説があります。

それは新居浜市の一宮神社の系図に、越智氏から橘に変更されたと記されているからです。

楠正成も、「橘氏」の子孫と言われ、越智氏の血を受け継ぐ子孫だといわれています。

ということは、「橘」の姓を賜った 「三千代」は越智氏の血を受け継ぐ娘だったということになるのではないかと思うのです。

そして、三千代の父である 「県犬養」とは、本来犬を飼養・使用することを「業」とし、狩猟や守衛を行って一族とされています。また、天智天皇と天武天皇との争い、壬申の乱で天武天皇側につき勝利へ導く一族となったことは知られていることです。

しかし、この県犬養一族は、四国にいた一族で、本来は越智氏と関係の深い一族だったと考えられます。

三千代の父、また母のどちらかは、「越智氏」の血を受け継ぐものだったのです。

今治には、県 「阿方 (あがた)」と呼ばれる地域がありますが、ここは四国八十八ヶ所のお寺、延命寺があるところですが、ここにはスサノオの伝説があり、現在の野間神社は旧野間郡といわれた地域の大氏神だったのにも関わらず、この阿方だけは氏神に入っていません。

それはスサノオを通さなかったからだと。

そして、空海がこの地に、八十八ヶ所を置いた意味も、県犬養との関係を考えるとよくわかります。

また三千代は 「橘氏」の氏神として、京都(山城国相楽郡)に、大山積神を祀っています。
その神社を 「梅宮大社」といいます。

越智氏が橘氏へと変更されたのは、「県犬養三千代」が越智の血を受け継ぐものだったからではないでしょうか。

四国には、「犬神信仰」 が盛んに行われた場所でもあります。

それは、犬が人間を守るために働いてくれていたからでしょう。本来は越智氏のために。。。。

そして、桃太郎のお話の中でも犬が家来として一緒に旅に行く理由はここにあるのではないかと思うのです。

越智から藤原へと変えられた 「藤原純友」

そして、越智から「橘」へと変えた 「橘三千代」

純友は本来の越智氏の想いを受け継ぎ、三千代は新しい越智氏の姿になり、その血を受け継ぐ

「橘遠保」により、純友は殺されてしまったのだと。

越智氏の子孫 「河野氏」 は一説には、この新居郡の越智玉守の子孫が後に、「矢野氏」と「河野氏」に別れたとされています。

ちょうど、神野郡が新居郡となるころです。

この時、越智氏の間で、本来の越智氏の想いを受け継ぐものとそうでないものに別れたのではないかと思うのです。

だから、越智から河野へとちょうど変わる頃、空海が築いた四国八十八ヶ所に、河野氏の祖は懺悔に行くのです。 先祖が行ってきた一族の罪を祓うために。

藤原純友は、朝廷についてしまった今治の越智氏に生まれ、その生い立ちにずっと疑問をもっていたのかもしれません。 
自分の想いとは裏腹に、名前を藤原に変えられてしまったことが、どうしても許せなかったのではないでしょうか。

もしそうならば、古事記での編纂いらいの、大事件だったに違いありません。

だから、こうして多くの神社にその由来が残っているのでしょう。

宇和町は、古墳時代初期からの古墳が残るとても歴史の古い土地です。

にも関わらず、神社の由緒は、700年より古いものがありません。

そしてこの藤原純友の乱で建立されたという三島神社は、歴代領主 「橘家」 ・西園寺家の氏神として代々崇敬され 「大氏神」 です。

純友の乱で争い勝った 「橘家」 によって 大氏神として鎮座された三島神社は、本当はもっともっと古い時

代に姫を祀っていた場所だったのではないでしょうか。

それは、ここを訪れることでよりはっきりとそう思えました。

それは、神社の神門をくぐる前にある、美しい池の中に祀られる小さな社 「厳島神社」の姿を見た時に。

神社への参道よりも、私の目の中に飛び込んできた風景は、まるで江戸時代にでもタイムスリップしたような

池の中に祀られる姫の姿でした。

*大蔵山三島神社
*西予市宇和町神領2-433
*祭神
大山積大神(おほやまつみのおほかみ)
別雷大神(わけいかづちのおほかみ)
高龗大神(たかおかみのおほかみ)

三嶋橋を渡って。
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一の鳥居
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二の鳥居
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拝殿
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本殿
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そして姫を祀る 「厳島神社」 です。

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池の中に祀られた姫の社へと続く道
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ここはもしかしたら禊ぎの場所だったのかもしれません。
池はとても浅く、澄んだ水がとても印象的でした。
こんなに綺麗な池の中に、美しい姿で祀られる姫は初めてみたかもしれません。

姫は封印されてしまっても、大切にされているこの場所を見て、なんだか少し安心しました。

それが、姫の名前でなくても。。。。

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by ldc_nikki | 2012-02-12 04:22 | 愛媛県西予市宇和町 | Trackback | Comments(2)

こんにちは。

今日11日と明日12日は、今治でB1とゆるきゃらショーがあります。

B1もゆるきゃらも、結構な数がくるようで、商店街は朝から人でいっぱいです。

四国内のゆるきゃらが多く参加する中、せんとくんが今治に初上陸するそうです。

また島根の、しまねっこも初上陸です。

せんとくんは、もうご存知のとおり昨年の奈良平城遷都で大活躍したゆるきゃらですが、平城京ができて今年で1302年。 そして、古事記ができて今年で1300年。

1300年前は、まだまだ争いが耐えない時期でした。
新しい都ができ、姫が封印され、まさか1300年後に、ゆるきゃらが今治にやってきて一緒に町を盛り上げるなんて、想像もつかなかっただろうな~。 

なんて、考えてしまいます。

島根と奈良と愛媛。

三つのゆるきゃらが一緒に並んだところを写真にとれたらな~。

ということで、今、行ってみると「しまねっこ」がいたので、とってきました。

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かわいいですね^^

そして、今治市のゆるキャラ 「バリィさん」

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残念ながら、今はせんとくんに会えませんでした。

でも、かわいいゆるキャラ発見!

姫路の 「しろまるひめ」

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そして、現在紹介している 宇和町(西予市)のゆるキャラ

「せい坊」

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このイベントは、明日まで今治市の商店街で開催されていますので
ぜひ、お越しください。


さて、今日は昨日の続き、宇和町の神社をご紹介します。

今日の神社は、明石寺から北西に数キロ行ったところに鎮座する 「若宮神社」です。

小さな神社ですが、この神社はとても重要な意味がありそうです。

宇和町の、「大氏神」さまは、ここから南へ3kmほど行ったところに鎮座する

「大蔵山三島神社」(後日紹介)

と 「特別な縁故関係にあり、祭礼の行列で地区の者が金幣や長柄を奉じて先頭に立ち、三体の神輿も先頭がこの永長が担当していた」と、三島神社の由来書に書かれてあります。

肝心の、若宮神社の由来書はなくなってしまっていて、正確なことは誰もわからなくなっているようなのですが、ここにも、姫と大山積神関係がありそうです。

「若宮神社」 とは、全国にあり、愛媛の中にも、境内社として数多くの若宮神社が残っていますが、

この神社の本来の意味は、

「本宮の祭神の子供を祀った神社」 とされています。

でも、ここにも姫の封印の秘密があるのではないかと思います。

ここ、宇和町永長の若宮神社の祭神は、

「少彦名命」 です。

三島神社の祭神の子供を祀った神社なら、このはなさくや姫は磐長姫など、大山積神の子供を祭っているはずなのですが、なぜ、少彦名命なのでしょう?

現在は大山積神とは全く関係のない少彦名が祀られていますが、本来は、違う神様を祀っていたのが、どこかで変わってしまったのではないかと思います。

それでも三島神社の由来書から考えると、「子供」 というのは不自然。

先頭を仕切る氏子が、この若宮神社の氏子だということは、ここに祀られる神こそ、本来の祭神であったか、
もしくは全く逆で、重信町の浮島神社の特殊神事のように、

新大和への道しるべとなった 「猿田彦命」が、先頭を歩いているはず。

どちらにしても、ここは三島神社の祭神変更に大きく関わった神社であることは、間違いないと思います。

また、この若宮神社から、東へほぼ直線にまっすぐ行くと、あの 「鳥殿」という山があります。

また、鳥殿の西側(若宮神社側)の地域を 「加茂」 といいます。

ここにも、加茂族の後があることがこれでわかります。

 「加茂=鳥」 

この鳥殿の山は、加茂族によって占拠されてしまったことを物語っているかのようです。

瀬織津姫の封印に大きく関わった 「加茂族」 は、瀬戸内海側だけでなく、この南予へもその勢力が及んでいたことをここは物語っているようです。

*若宮神社
*西予市宇和町永長863
*祭神:少彦名命(すくなひこなのみこと)

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拝殿です
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本殿
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神紋
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境内社
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ご神木
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そして、この山の向こうに 「鳥殿」はあります。
まるで、龍が山を取り囲んでいるかのようです。

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では、素敵な週末になりますように☆





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by ldc_nikki | 2012-02-11 11:52 | 愛媛県西予市宇和町 | Trackback | Comments(2)

こんばんは。

今日は、昨日の続き、明石寺のお話です。

まずは、簡単におさらい。

明石寺は、現在は「めいせきじ」 と呼ばれていますが、本来は、「あげいしじ」と呼ばれていました。

それは、ここに残る女神の伝説に由来します。

この女神の伝説ですが、昨日のお話した内容にさらに付け加えたいと思います。

「昔、若くて美しい女神が、大きな石を腕にかかえ軽々ともち一夜のうちに山の上に運ぼうとしました。

ところが、目の前に天の邪鬼いて、石をかついでいる女神の後ろから 「コケコッコー」と 朝を告げる鶏の鳴

き声をしました。

女神は、朝が(太陽が昇る)きたとことに驚き、こんなはずではなかったがと思いながらも、石を置いて消えて

しまった といいます。」

昨日も、この歌についてお話をしましたが、今日見つけたこの内容を見て、更に驚きました。

古事記の中でアマテラスが、天の磐戸に閉じこもってしまったとき、なんとか出てきてもらおうといろいろなことが話あわれ、その中でこんな文章があります。

「思金神に思はしめて、常夜の長鳴鳥を集めて鳴かしめて」

アマテラスを磐からだすために、神々たちは、常世の長鳴鳥という 「鶏」を鳴かせるのです。

それが、あの 「東天紅」 です。

朝(夜明け)を知らせる鶏。 

先日、古事記のお話を聞きに行った時、この鶏の鳴き声を聞きました。

伊勢神宮が20年に一度行う 「式年遷宮」の儀式の始めに、宮司さんは、この鶏の鳴き声を3回されます。

それは、天の磐戸の再現です。

夜明けの時、朝を知らせる「鶏」 が、アマテラスの登場を象徴していたのです。

夜(月の女神)から、昼(太陽の女神)への変更です。

ここ、明石寺の女神の伝説は、その声に驚き消え去った 「瀬織津姫」のことを言っているのです。

明石寺は、消された姫の物語を歌に秘め、1500年伝えてきた貴重なお寺かもしれません。

そして、姫の大石(御神体)がある山裾に、もう一つ、姫の存在を教えてくれたものがありました。

それを、これからお話します。

*第43番札所 源光山 円手院 明石寺

*愛媛県西予市宇和町明石201

*本尊:千手観音菩薩

*開 基: 円手院正澄

明石寺の、本尊は「千手観音菩薩」。

千手観音は、瀬織津姫の本地仏といわれる菩薩さまです。

立派な仁王門をくぐり、本堂へと向かいます。

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本堂
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鐘楼(しょうろう)
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煙の中に龍が・・・
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大師堂
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大師堂の側には、夫婦杉があります。
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お参りを終えて帰りかけたのですが、仁王門を出てすぐ、なんとなく右側に顔を向けた瞬間、
何かよくわからないのですが、「赤い」色が目に飛び込んできました。

雨も降る中、いつもならそのままとおり過ぎてしまうのですが、なぜかその赤いものがむしょうに気になり、
気づいたら赤いものが見える方向へ進んでいました。

何かに、ひっぱられるかのようにというのは、こんなことを言うのかなと思うくらい、ひたすらその赤いものに向かっていった自分が後でとても不思議でした。

そして、近づいていくと、

「あ!弘法大師だ~!!」

二本の木がまるで鳥居のようにたち、その間に弘法大師の姿が見えました。

私は、急いで駆け足で向かうと、弘法大師の前には井戸が。。。。。
(後で帰って調べてみると、弘法大師がここで修行のために井戸を掘ったとされているところでした)

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井戸には蓋があり、その蓋を開けてみました。

一見、あまり綺麗な水とはおもえないのですが、少しすくってみると透き通った水が、地下から湧き出ているようでした。

弘法大師は、多くの場所で井戸を掘った、また杖で水を出したといわれていますが、ここもその場所の一つだったのです。

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弘法大師に手を合わせその場を立ち去ろうとした時、ふと井戸の後ろの山が気になり、少し遠めからその姿を眺めていました。

というのが、明石寺の奥の山には、古墳時代初期といわれる古墳がある場所であり、その向こうには、

「鳥殿」 と呼ばれる山があります。

「鳥殿」 鳥を象徴としていた一族の山なのではないかと思っていたからです。

そして、その山裾に掘られた弘法大師の井戸を見て、 

「弘法大師がしようとしたことはもしかしたらこれだったのかも」 と 思ったのです。

弘法大師は、仏の力で姫を封印したのではなく、封印されてしまっていた姫を救おうとしてのではないかと。
だからこうして、姫を祀る一族がいたとされる場所にお寺を開基したり、役行者が開いたとするお寺を訪れ仏像を彫ったり。

それと同時に、弘法大師は地と地底とを結ぶ穴を造っていっていたのではないかと。

瀬織津姫は、「水の女神」 しかもその水は、普通の水ではなく病気もなおすといわれる 「再生の水」
「復活の水」。

弘法大師が彫った井戸から湧き出る水は、「霊水」と呼ばれ、病気を治すといわれていました。

弘法大師が彫った井戸は、「瀬織津姫の水」 だったのです。

水は、川や海だけにあるのではなく、私たちがいるこの地下深くにあふれている。

姫はたとえ封印されてしまっても、この地下深くにいたのです。

だから弘法大師は、姫が水としてこの地上へ出てこれるように井戸を掘っていったのではないでしょうか。

そして、それは日本中いたるところにあり、井戸と井戸は、地下深くで繋がりそれが、

「龍の道」

「姫の道」 となるようにとも考えられたのかもしれない。

もちろん全ての弘法水がそうとは限らないかもしれません。

この水の力だけを利用しようとした場所もあるかもしれませんし、また、大三島のように、河口から湧き出る「真水」を、今も大山祇神社に備えるように、鎮魂の意味を込めているところもあるかもしれません。

でもこの場所は、封印されてしまった姫の御神体の山から姫を外に逃がすための井戸のように思えたのです。

鳥殿の山から。。。。

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今日、新しい地図を作りました。

現在、三島神社の地図と、私がここで紹介した場所の地図を、ヤフーのワイワイマップで作っているのですが、新たに、

「弘法大師伝説の湧き水(弘法水)マップ」 をつくりました。

これは、だれでも投稿することが可能です。

ぜひ、みなさんの知っている、弘法大師(空海)の伝説がのこる井戸や湧き水を教えてください。

写真はなくてもかまいません。

だいたいの場所と、名前がわかれば(正式な名前がわからくても大丈夫です)それだけでいいです。

全国には、弘法大師にまつわる水が、1500あるといわれています。

私は、まだまだ知られていないだけで、もっとあるのではないかと思っています。

全ての場所が、弘法大師が本当に関わっているかどうかわかりません。

あまりに多いので、全てではないかもしれません。

でも、それでもその場所にその由来が残るということは、きっと何か理由があると思います。

瀬織津姫が、地下深くからこの地上へと出ることができるように、ぜひみなさんのご協力をお願いします。

 弘法大師の伝説の湧き水マップ

リンクがうまくいかない場合は、ワイワイマップ 「愛姫伝」 で検索してみてください。

少しづつ、この輪が広がっていきますように。

四国八十八ヶ所 1番札所 竺和山 一乗院 霊山寺 じくわざん いちじょういん りょうぜんじ。

弘法大師は、この地で衆生の88の煩悩を浄化し、また衆生と自らの厄難を攘はらって、心身の救済ができる霊場を開こうと37日間の修法をされたといいます。

瀬織津姫は、北斗七星(7)とされました。
それは、「7」は終わりを意味し、新しい世は 「8」から始まると考えられたからです。

その「7」の意味は、キリストの起源となった旧約聖書に書かれています。

「天地創造の七日間」 

神は七日間で全てを完成させ、その姿を消したのです。

そして、新しい人間の世界が始まった。 

またノアの箱舟では、人間の悪の心に怒り洪水を起こして一度滅ぼすことを告げた日から、七日後に洪水が起こり世界は海の中に沈んでしまう。

「7」はそれまでの世界が完成し終わりを向かえる数。

「8」は、新たな世界がはじまる数なのです。

そして 「88」は、無限なる場所に続く道があらわれる数。

それはどんな場所にでもたどりつくことのできる場所。封印された姫の場所へと続く場所へも。

弘法大師が本当にしようとしたことは、「88」の力で、黄泉の世界へと追いやられた姫の魂へと繋がりその魂へ鎮魂の祈りを捧げていったのではないでしょうか。

だから、姫の封印に一番深く関わったこの地を 「1番」とし、「88」 場所につくったのではないでしょうか。

それはまた、姫の聖地であり、姫の封印の舞台となった伊予の二名津で、多くの人がその罪を祓うためでもあるのかもしれません。




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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2012-02-10 00:14 | 愛媛県西予市宇和町 | Trackback | Comments(0)

こんばんは。

先ほど佐渡で、震度5強の地震がありました。
地震を少しでも前もって予測しようと、沢山の人が研究をしていますが、なかなか予測することは難しいですすね。

人は自然にはかなわないということが身にしみてわかります。

ここ数日、太陽の周りに虹が出たり、太陽柱が東日本で多く見られていますが、今回の地震の前ぶれだったのでしょうか。それとも。。。。

東日本大震災の前も、何度も太陽の周りに虹を見ましたが、そういえばあれから虹をあまり見なくなりました。もしかしたら虹は気象性のものもありますが地震にも関係があるのかもしれませんね。


今日から、久しぶりに南予の紹介をしたいと思います。
最近、南予へ行く時間がなかなかとれなくなりました。先月、写真展の準備のため仕事をお休みしたので、雨の中、久しぶり南予へ行ってきました。

今回の場所は、「宇和町」

宇和町は、今まであまり気になっていなかったのですが、今年に急に気になり始めた場所の一つです。

ここには、愛媛の今見つかっている古墳の中でも、一番古い時代、「古墳時代初期」のものと思われる古墳がらうところです。

今古墳がとても気になっていて、少しづつ勉強をし始めているのですが、
愛媛の古墳時代初期の古墳が見つかっている場所は、

「宇和町」 「松山市」 「今治市大西町」 「今治市唐子山」 

その中でも今治市の唐子山は、古墳時代以前からお墓が造られていたところだとされています。

古墳時代初期といえば、卑弥呼の時代に近い時代です。

この時代に造られた古墳を、深く知ることでその時代の背景がもっとはっきりと見えてくるのではないかと思っています。

今日は古墳や遺跡の資料を置いているところへ用事を頼まれたので、少しお話を伺ってきました。

そこで、一つヒントとなることを教えていただきました。
でも、逆に今まで考えていたことと少し違うかもしれないとも思い始めました。

今日、お話する宇和町も、300年前後にある程度大きな氏族が住んでいたと考えられ、それらがその後どうなっていったか。

また、ここに八十八ヶ所がおかれているということは、それが姫の封印にも繋がってくる。

今日は、その八十八ヶ所のお寺のご紹介ですが、今回このお寺に行き、私の勝手な思い込みかもしれませんが、あることに気づきました。

そんなお話を交えながら、二日間に分けて、まずは宇和町の八十八ヶ所のお話をさせていただきたいと思います。

「四国八十八ヶ所 第43番札所 明石寺(めいせきじ)」 

この 「明石寺」は、現在は 「めいせきじ」と読みますが、本来は「あげいし」と呼ばれていました。 
その名前の由来には、一つの女神の伝説が残っています。

神仏習合の名残を残した明石寺は、明治維新まで神仏習合の寺院で、住職を別当職と呼んでいました。

明治維新後、お寺と神社は別々にされ、今もお寺に並ぶように神社があります。

明石寺は、6世紀、欽明天皇の勅願により円手院正澄という行者が唐からの渡来仏である千手観世音菩薩を祀るため創建したことが始まりとされています。

その後、天平六年 (七三四) 役行者小角から数えて五代目に当たる寿元行者が、紀州より熊野十二社権現を観請し十二坊を建てて修験道の中心道場となりました。

そして、弘仁13年(822)に弘法大師がこの地を訪れ、荒廃した伽藍を見た大師は、嵯峨天皇(在位809〜23)に奏上して勅命を受け、金紙金泥の『法華経』を納めて、諸堂を再興したといいます。

ここも、本来はお寺ではなく神を祀っていた場所。 
それが、後の熊野権現へと繋がり、神仏分離後、お寺の横に「熊野神社」が鎮座することになったのだと思います。

姫の封印と深く関わる 「役行者」 と 「空海」 

ここにも、それを物語るかのように、二人の伝説が残っています。

もしかしたら、ここは、東予地方よりも早く姫の封印が行われた場所かもしれません。

欽明天皇の時代が、仏教が伝来したといわれている時代。
もしかしたら、この時代から少しづつ始まっていたのかもしれません。

宇和町の隣、三瓶町から海を渡ると九州につきます。

九州からの影響を受けやすい場所。
三瓶町は以前少し紹介しましたが、あの観音岬から見える「大島」には、姫の龍伝説があります。

そして、このお寺のもう一つの伝説の中にも、まるで姫のことを言わんとするような伝説があるのです。

「その昔、若くて美しい女神が願をかけて、深夜、軽々と両腕に大石を山に運んでいました。
 すると、いつの間にか夜が明けてしまいました。
 女神は、昇る太陽に驚き、その石を置いて消え去っていまったといいます。

 その女神は、千手観音とも、龍女とも言われています。
 
 そして、そのの石を置いた場所が、現在のお寺の山門から左に山を登っていったところにあるといいます。
 そこにある大きな石を「白王権現」 と崇め、祠を奉ったといいます。」

今回雨が強かったため、その山へは登ることはできませんでしたが、その山の下にとても大事なものを見つけました。 

それが、空海の本当にしようとしていたことかもしれないと、私はその場所に立った時、脳裏に突然浮かんできました。

「千手観音」 も 「龍女」 も、姫の姿です。

そして、何より、夜(月)の女神である姫は、変えられてしまった 「太陽」が昇る姿を見て消え去ったということが、 古事記においての、姫の姿と重なるのです。

その様子は、御詠歌の中に歌われていて、その「軽くあげ石」 がこのお寺の名前の由来だといいます。

昔の人々は姫のことを後世に伝えようと、こうした歌や、昔話、その土地の伝説として残していたのだと思います。

ここに住む人たちも、きっと、忘れないようにと歌にして伝えていたのでしょう。

「太陽」 が昇り、 消えてしまった 「月の女神」 

でも今もこの地で、熊野権現として、また千手観音として、この地域の人々を守ってくれているのだと思います。

今日はまず、お寺の入り口に鎮座される、明石寺の鎮守 「熊野神社」の写真を紹介します。


お寺に向かう途中に鳥居があります。
白王権現は、この鳥居をあがっていったところにあるようです。
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ここから、お寺へ入ります。
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仁王門。神社は、この仁王門をくぐらずそのまま左へと進みます。
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熊野神社
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次々お参りにくる人はいましたが、ここへ参拝される人は誰一人いませんでした。
お寺に比べてとても寂しい境内ですが、それでも私たちには大切な場所です。

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拝殿の左を奥に進むと、小さな社がありました。
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振り返ると本殿が、そこにはもう一つの鳥居が。
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荒れてしまった境内社。きっとここには、小さな部落に祀られていた神々が集められていたのですね。
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そして、境内にあった古い木の下に、まるでお地蔵さんのように石が積み重ねられていました。
まるで、母のような女神さまに見えました。
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もし明石寺へ行く時には、ぜひ、熊野神社へも参拝してみてください。
人々がここを訪れるようになれば、もっとこの場所は光輝くような気がします。。。。。

明日は、お寺と、空海がしようとしたこと。 のお話です。

いつも、長文をお読みくださいまして本当にありがとうございます。

寒さも今日が峠。

今治では、早咲きの桜が少しつづ開き始めたそうです。

暖かい春も、もうすぐそこですね。 もうすぐ姫の季節がやってきます。




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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2012-02-09 00:02 | 愛媛県西予市宇和町 | Trackback | Comments(0)

こんばんは。
インフルエンザが流行っていますが、
皆様、大丈夫ですか?

皆さんは、ふと何かが閃いたり、ふと頭の中に何かが浮かんで
きたりすることはありませんか?
それは、どんな時でしょう。
私は、特に多い場所があります。
それは、お風呂。
一人で、何も考えずお風呂に入っている時、
ふと、何かが浮かんでくることがあります。

いくら、考えても前に進まなかったり、
いい案が浮かばなかったりする時もあるのに、
何故か、何もない時に、ふと頭をよぎることがあります。

最近思うのです。
無理に、考えようとする時は、
きっと、まだその 「時」 ではないと。
そして、体や脳が、リラックスしている状態でないと、
浮かんでこないのではと。

だから、無理に考えようとせず、
浮かばない時は、考えるのをやめる。
そして、何かの準備が出き、時が来たら、
何も考えていない、リラックスした状態の時、
浮かんでくる。
そして、その浮かんできた言葉や、情景を
しっかりと自分で 意識して、忘れず、
後でもう一度、そのことを考え、次に繋げるヒントを
そこから見つける。

言葉で浮かんでくる時もあれば、
写真のように、絵で現れることもある。

皆さんも、きっと自分が気づいていないだけで、
言葉や、絵の閃きはきっと起こっているはず。
その閃きを、大事にすると新しい道がまたできるような気がします。

でも、もう一つ大切なことは、
そのためには、全く関係ないような 日々のなにげない生活や
目標に向かって、地道に努力する積み重ねの日々の中から
生まれてくる。
そんな風にも思います。

焦らず、小さな積み重ねを大事に、
そして、無理に考えようとせず、その時を待つ。
そして、次に進む準備と、心の用意が出来た時、
新しい光が、降りてくる、そんな気がします。。。。。。。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今日は、愛姫伝としては 初めての地

「西予市 宇和町」 です。
愛媛県南予地方にある、宇和町は、
大洲市と 宇和島市の間にある、小さな町です。
大洲市や、宇和島市に比べると、
あまり知られていない町かもしれませんが、
「伊予の軽井沢」とも呼ばれる、
緑豊かな、美しい町です。

そして、宇和盆地には
約160基の古墳が確認されていて、
県下有数の古墳群集地帯でもあります。

そんな、宇和町に、やっと入ることが出来ました。
今治からは、少し遠いので、なかなか来ることが出来ませんでしたが
やっと、訪れることができ、私もとても嬉しかったです。

仕事では、何度も訪れている町ですが、
改めて、とてもいい所だと、今回行ってみて思いました。
今回は、そんな宇和町の、名水をご紹介します。

*日本の名水百選 幽玄の世界「観音水」

*アクセス
【 鉄道・バスでお越しの場合 】
■ JR予讃本線「卯之町駅」下車⇒野村方面へ車で20分

【 お車でお越しの場合 】
■ 西予宇和IC⇒野村方面へ車で15分

観音水は、
宇和町明間の深い山並なみの中にあります。
水量・水質は、日量8000トンと
透き通った美しい良質の水が、コンコンと湧き出ています。
水質は弱アルカリ、おいしい水、清い水、
天の水、霊水として崇められています。
夏は冷たく、冬は暖かい水。 

そんな、観音水は、ぽっかりとあいた鍾乳洞の入口から
涌き出ています。

天正時代の頃、
明間堂山城主兵頭藤右衛門一族の一人が、
京都清水に参拝しました。

満願の日に観世音の御姿を見、城に尊影を安置し、
観世音に「御利生に水を・・・。」と念じたところ
山の嶺から清水が湧き出した。といわれています。

観世音は、通称観音山(現在の城の森の下)の観音堂に安置され、
祭日に中山観音水御室へ移していたそうなのですが、
明治末期に焼失し、本尊は焼けてしまい、
観音堂跡地には参道石段、手水鉢だけが残されているそうです。

今も人々は、
神仏の水と崇め奉り、天の恵みに毎年8月10日を祭日と定めて
感謝の気持ちを表し、無病息災、五穀豊穣を祈念している神聖なところです。

また、夏には
『観音水そうめん流し』が行われ、
暑い夏を、ひんやりと癒してくれるそうです。

夏には、もう一度 ぜひ、訪れてみたいと思っています。

観音水へは、この川を渡って行きます。
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そして、山道をぐるぐると回りながら、上っていくと
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この日は、とても寒く
雪がまだ 残っていました。 洞窟まで行くことが出来なかったので
今度は、必ず洞窟まで、行きたいと思っています。

水は、そのまま飲料水として、飲むことが出来ます。
私も、もちろんその場で飲んでみました。
夏はとても冷たいそうなのですが、
この日は、外が寒かったせいか、暖かく感じました。
自然の 美しい水。
いつまでも、汚れることなく自然を守り続けてほしいですね。
そして、この水が絶えることなくいつまでも、
多くの人々の、命の水として、湧き続けますように。
(合掌)

今日も、ありがとうございました。
いやなことは、今日のシャワーと一緒に
洗い流して、また、明日
笑顔で。。。。。
お休みなさい☆




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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-01-26 22:35 | 愛媛県西予市宇和町 | Trackback | Comments(2)

数あるブログの中からお越しいただきましてありがとうございます。 不思議な数々の出会いから、今は、愛媛の神社めぐりをしながら、神社や女神様そして、神話の神々の伝説を調べています。
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