こんばんは。

今年は桜が咲くのがとても早かったですね。
今日は全国的に荒模様で桜の花が散ってしまったところも多いのではないでしょうか。

一年のうちのわずか数週間だけ美しい花を咲かせる桜。
春の訪れを告げ、春の訪れとともに散ってゆく。

なんだか少し寂しい気持ちにもなりますが、
時は、こうしてどんどん流れていく、季節も日々変わりゆく。
子供の時は、時の流れなんてこと考えたこともありませんでしたが、
年を重ねるごとに、時の流れを強く強く感じるようになりました。

そして、「時間」がとても大切に思えてきました。
人間も含め、命あるものには全て限りがある。
与えられた時間をどう使うか、また誰のために、何のために使うかは、人それぞれですが、
せっかく頂いた命、せっかく頂いた時間、
私は、何かのため、誰かのために使いたいと思うようになりました。
これも、神社に出会い、女神に出会ったおかげです。

今日、四国八十八か所栄福寺の住職さんが、
とても素敵な方をご紹介くださいました。

森田真生さんという方で、数学と自然、数学と言葉、
数学の研究者なのですが、そこから見つめようとしているものは、単に私たちが考える数学でなく、
その奥に秘められたまるで、古代の人々が数学から光をよみ、神を感じたのと同じような感覚がそこにあります。

そして、数学を通して見つめようとしているものは、
失われた片方。
命の源より生まれた私たちが、忘れてしまった存在です。

私には、見る角度は違っていても、見ようとしているものが同じではないかと思えました。
数年前、私が初めて女神のことを知った時、まだまだ世の中の大半は、外にばかり目を向け、また、欲望を満たすことだけに目を向けていました。

人間中心に物事を考え、他のものと自分との繋がりを深く考えようとはしませんでした。
でも、ここ数年でそれは変わってきました。

多くの人が自分を見つめるようになり、今を見つめるようになり、自然を見つめるようになり、
自分以外のものとの繋がりを考えるようになりました。

全ては繋がっている。
今ある命も、過去の命も、未来の命も、命あるものは、全て繋がっている、
そしてそれは本来一つだった。

女神が、西の阿弥陀如来にされたことは、
極楽浄土という、本来の命の根源にいる女神の場所にいることを意味する。
私たちは、生まれた場所へ帰って行き、また、
東の空から新たな命となって生まれてくると思っていたからなのだと私は思うのです。

死の女神だとされたことも、
本来は、生も死も一つなのに、別々にされてしまったからなのだと思います。

生と死を別々のものとして考えるようにしてしまったこと、
それは命を忘れ繁栄だけに目を向けてしまったこと同じ意味をもちます。

死の女神も、荒ぶる神も、鬼も、
それは人がつくった形。 人間の都合でつくった形だということを理解できるように伝えるために、もっともっと勉強をしていきたいと思います。

旧東予市。

今治市朝倉町から東に山を越えた旧東予市にも、飛鳥時代の跡があります。

舒明天皇。
天智天皇の父であり、斉明天皇の夫でもある舒明天皇の足跡はなぜか、
この地、旧東予市に残ります。

縄文時代から人が住んでいたと伝わるこの今治市との境目の山の麓に、
舒明天皇にの勅願によって建てられたと伝わる古いお寺があります。

「聖帝山実報寺」

640年、舒明天皇12年、天皇の勅願にとより建立されたと伝わるこのお寺を開いたのは、
恵隠法師という僧でした。

恵隠法師は、近江国滋賀郡(滋賀県)の漢人で、あの小野妹子に従って僧旻、南淵請安らと共に遣隋使として中国の隋へ渡り、31年間にわたり留学し、舒明天皇11年(西暦639年)9月に日本にかえってきたと伝わります。

『阿弥陀経』を称えて念仏を唱える僧で、
藤原鎌足との縁も深く、恵隠法師のために寺院を建立ました。

そのお寺が、大阪府茨木市の北部にある
「大念寺(だいねんじ)」です。
藤原鎌足公が自身の別荘地「摂津国三島の別邸」に日本ではじめて阿弥陀仏を説くお経を講説した学問僧、恵隠法師を迎えて建てられたお寺がはじまりだと書かれてあります。

藤原鎌足の別荘地は、摂津国三島。
舒明天皇の一つ前、
推古天皇の時代に、摂津国三島からやってきた、大山積神。
そしてそこに迎え入れられた、恵隠法師。

その恵隠法師が、この朝倉の隣の地へ、お寺を建立する。
少しづつ少しづつ、その手が伸びてきているのがわかります。

ここは舒明天皇の勅願によりとされますが、
本当にそうだったのかと疑問が残ります。

実報寺は、その後、685年、天武天皇の時代に火災にあい全てを焼かれてしまいます。
この時、火災により灰になったとされるこの伝説は、もしかしたら戦いだったのかもしれません。

その後、しばらくお寺はありませんでした。
そして今度は、723年、あの行基菩薩が、地蔵菩薩を刻み精舎を造営。

姫の封印の地には、この行基菩薩もよく登場します。
更に、この後、空海もここを訪れ、真金の五鈷杵等数十個の宝物ものを備えたといいます。

聖徳太子、藤原鎌足、天武天皇、行基菩薩、空海。
全て一つの意味に繋がります。

推古天皇の時代から、天武天皇の時代にかけて、
激動の渦の中に巻き込まれた地の一つだと私には見えます。
過去の因縁をとくとされる地蔵菩薩を行基が刻んだことも、それを物語っています。

境内には、江戸彼岸桜があり、
今もなお、その因縁を祓うかのように春になると美しい花を咲かせます。

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by ldc_nikki | 2013-04-07 03:03 | 愛媛県西条市(旧東予市) | Trackback | Comments(4)

こんばんは。

本当に久しぶりのブログです。
11月終わりから約1か月、次々と息つく暇もなく過ぎていきました。

大好きな祖母が亡くなり、
まだその実感もわかないまま、約二週間の出張。

現実の世界からかけ離れた世界で毎日を過ごし、
やっと、今、元の自分に戻ってきた今日です。

そして気がつけば今年もあとわずか。
もうすぐクリスマス。
皆さんは、どんな年末を迎えていますでしょうか。

年末は何かと忙しいですが、
一年を振り返り、ほんの少しでも自分を見つめる時間をもちたいですね。
日々の生活に追われ過ごしていると、なかなか自分の心と対話することを忘れてしまいます。
でも、そんな時だからこそ、自分の心と向き合うことが必要なのではないかと、
思います。

自分の心は今どんな状態にあるのか。
今自分は何を見ようとしているのか。
自分の内なる声にちゃんと耳を傾けているのか。

こんな言葉があります。

---------------------------------------------
朝朝 一たび自心の宮を観ぜよ
自心は亦是れ三身の土。

毎日一度は自分の心の宮殿を見つめよ。
自分の心は仏の三身のすみかである。

弘法大師
---------------------------------------------

仏は私たちの心の中にある。
神もまた、私たちの心の中にある。

新年を迎えるにあたり、
今一度、自分の心を見つめたいと私も思います。

今日は、旧小松町にある
お寺をご紹介します。

「高野山真言宗法安寺」
ここは、愛媛においての最古のお寺があった場所でもあります。

飛鳥時代、聖徳太子が全国に46か所の寺院を建立させたと伝わりますが、
ここは、その一つと言われている場所で、
中門、塔、金堂、講堂が南北の直線上に並ぶ四天王寺式伽藍配置を備えたお寺がありました。

この付近からは、
百済式素弁蓮華文・法隆寺式複弁蓮華文の鐙瓦などが出土しています。

住職さんのお話によると、
このお寺が建立されたころは、百済から瓦を運びお寺の建立に使われていたとのことで、
それを物語るかのように、これらの瓦が出土しています。

松山など、古代から栄えた町はここ以外にもあったにも関わらず
どうしてここに、愛媛最古の寺院がつくられたのでしょう。

それは、この土地に住む人に関係していると私は考えています。
この土地に移り住んできた一族が、お寺と強く関係しているのです。
そしてその一族が、小千家を含む、愛媛の隠された謎に大きく繋がっているのです。

特に、小千家とは、婚姻関係によりその関係は長い年月をかけて
深く結びついていったと考えています。
そしてその婚姻関係が、歴史を大きく変えていく源となっていくのです。

女神が仏の姿に変えられていくことにも、もちろん繋がっていきます。

この小松近辺には、
四国八十八か所も集中していて、ほんの数キロの間に、
5か所のお寺があります。

これを見るだけでも、
ここがどれだけ空海にとっても、重視していた場所かおわかりいただけるかと思います。

愛媛の中で、四国八十八か所が集中する場所は、
ここ西条市と、今治市、そして松山市です。
また、西条市と言っても、なぜか現在の西条市の中心部ではなく、
旧小松町を含む、小松に近い場所に集中しています。

ここでは詳しくはふれませんが、
この土地の意味を調べていくと、ここに四国八十八か所が集中してつくられた意味が
見えてきます。

また、この近辺には古墳も多数存在し、
現在もその姿を見ることができます。
数か月前から、古墳を少しづつ調べていますが、
この辺り一帯の、古墳を深く知ることが、新たな謎を解くきっかけになるのではないかと
思っています。

そして、西日本一の高さをもつ、霊峰石鎚とももちろん無縁ではありません。

仏と神。

お寺と神社。

宗教としては全く別物ではありますが、その根源は、一つ。

単に意味もなく、神仏習合とされた時代が長く続いたのではなく、
そこにも深い意味があったのです。
日本という国は、本来神の国でした。
人々の心の中から、神の姿を完全に仏に変えてしまうことができないほど、
日本では神さまの存在が、強く人々の心の中にありました。
だからこそ、神仏習合という形にしていったのだと思います。

女神が、命の根源であり、母であり、老婆であったように、
神と仏は、それぞれの役割を与えられ、人々の間に信仰されていったのではないでしょうか。
日本人が、宗教を通り越え、仏と神をどちらも必要とされてきたのは、
ある意味、その本来の意味を見失わなかったからともいえるかもしれません。

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by ldc_nikki | 2012-12-23 01:59 | 愛媛県西条市(旧東予市) | Trackback | Comments(5)

東予の喜左衛門狸  

こんばんは。

狸伝説 三日目。

この所毎日狸の伝説ばかりをお話しているので、
今日初めてお越しになった方は、
少し不思議に思われているかもしれませんね。

当初は神社だけを巡っていたのですが、
ある時、神社に行ったつもりが空海に出会い、
それから、お寺へも行くようになりました。

しかしそのうち、
神社やお寺だけに限らず、
昔話や、地方の伝説、、滝や、池、海に山に川に、
こんなところにまで。。。。
と思うほど、いろんなことが、1300年前後を境に、
その時にあったことを伝えていることがわかってきました。

そして、連続してお話している狸の伝説もそうなのです。

もちろん、伝説の内容はつくられたもの。
でも、その物語の中に、ところどころ、まるで何かを残し伝えるかのように、
はっきりと残っているのです。

前回、そして前々回のお話した伝説も、
その中に、しっかりとのこっているのです。

当時の証拠は消したはずときっと当時の人は思っていたでしょう。
今のように、車も飛行機も電話もインターネットもない時代。
だからこそ、こうしてこっそりと、各地に残すことができたのだと思います。

そして、時代は流れ、1300年前にあったことを、
多くの人が忘れ、知らない世代となり、
その伝説の中に入れられて伝えられているとも知らず、
今の時代まで受け継がれてきたのだと思います。

昨日の私のブログにわざわざコメントで教えて下さったぐ~たらさんのお話を聞き、
この狸と狐の伝説も、ますます信憑性がましてきました。

でも、やっぱり不思議です。

空海が狐をこの四国から出し、狸を開放したという言い伝えをもとに
こうして狸の伝説をご紹介しているさなかに、
伝えていただけるなんて、自分でもびっくりしています。

「倭の国の危急の時「黄金の狐」を呼び戻して国を救う」

狐にされた姫は、空海により外に出され、その代わりに狸を開放した。

きっとそれは狐=姫だと、自由になにもできなかったからですね。
狐によって封印されているから。
だからその正体がなんなのかわからない狸を、
開放させたのだと思います。

そしてその解放された場所は、
四国八十八か所とも重なる、重要な地ばかり。

今日ご紹介する狸の伝説も、
姫と繋がるお話です。

では、その狸の伝説をご紹介します。

西条市北条,旧東予市、
中山川に合流する川の河口近くにある、
鶴岡八幡神社の境内に隣り合うように鎮座する、

大喜味神社(祭神:大気都姫命)の中に、
この地に喜野大明神として祀られる、古狸のお話です。

狸の名は、
「喜左衛門狸」

神通力のある大狸で、新居浜の小女郎狸、
屋島の禿狸とともに四国の大狸として京都・大阪まで名を知られておったといいます。

屋島の禿狸とは、前回のお話にも出てきました、
四国の総大将までのぼりつめた、長老狸です。

この大喜味神社に祀られる狸は、
この屋島の禿狸との伝説が残る狸。

喜左衛門狸は、
大喜味神社がここに鎮座されるもっと古くから、
この場所にあった古い大木に住んでいました。

変幻自在の神通力をもつ喜左衛門狸は、
上方にまでその名が届いていたといいます。

喜左衛門狸は、いつのころから、この近くに建立された
「長福寺」の南明(なんめい)和尚のお供をして、よく法事に出かけるようになりました。

「長福寺」とは、河野通有が建立したと伝えられているお寺で、
ここには『予章記』の
「河野家系図」があることで有名なお寺です。

喜左衛門狸は、小僧に化けてついていく途中
ついうっかり尻尾を出したままにして、
注意されていたといいます。

そんなある日のこと、突然
「今から讃岐の金毘羅様へ行って参ります」と言って寺を飛び出して行ってしまいました。

神通力を使い、またたく間に喜左衛門狸は、
金毘羅様にやってきました。

そこで待っていたのは、屋島の禿狸。
すると早速、化け比べを始めたのでした。

まず、屋島の禿狸は、
自分の体の毛を抜いて、ふっと一吹きし、
源平数千の軍兵が敵味方に分かれて、ときの声を挙げながら大合戦が始まりました。

喜左衛門は驚いて「さすがは禿狸、なかなかやるわい」と、
そのすごい腕前に舌を巻きました。
禿狸は自慢そうな顔で「おい喜左、次はお前の番だ」と迫りました。

ちょっと困った喜左衛門でしたが、そこは神通力の持ち主、
三月程あとに、お国入りする紀州の殿様の行列のあることを思い出したので、
三月たったら大名行列を見せてやろうと約束しました。

 約束の日禿狸は、
(喜左衛門の奴、どんな化け方をして俺を驚かすつもりかな)と待っておりますと、
なるほど向こうから紀州の殿様の行列が大勢の家来を従えて、
下に下にと触れながら物々しく進んできました。
 
禿狸は、あまりにも見事な本物そっくりの大名行列に驚きましたが、
気を取り直して、行列が目の前にきた時、殿様の籠に近寄り、
「おい、喜左、うまいぞ、上出来だ。
それにしてもよく化けたな」と声を掛けました。

ところが、これは本物の紀州様の行列ですから、
警護の侍たちは大変驚いて、無礼者と刀を抜いて斬り掛かってきました。
 
「こりゃ本物だ。喜左の奴めに一杯食わされた」禿狸は、
逃げるが勝ちと、しっ尾を巻いて屋島へ逃げ帰りました。
 さすがの禿狸も、喜左衛門の知恵には、かなわなかったということです。

これが、喜左衛門狸の伝説です。

そしてその後、喜左衛門は、どういうわけか、
悪さがすぎるからと、大釜の中に入れられて殺されてしまったのです。

しかしその後、大飢饉が起こりました。
村の人々は、喜左衛門を殺してしまったからだと思い、
怨霊の祟りを鎮めるとともに、
大気都姫命の使いとなり、ここに祀られるようになったと言います。

河野家に仕えていた 喜左衛門。
殺されて怨霊となってしまった 喜左衛門。
大飢饉が怨霊の祟りとされたこと。

そして、使いとなった神が、
「大気都姫命」であったこと。

姫の封印とその姿は全く同じです。

そして、もう一つ、
喜左衛門が神通力の持ち主だったことからでしょうか、
喜左衛門のシンボルとも言える 一つのポーズ。

このポーズが、
あの姿にそっくりなのです

もうお分かりでしょうか?

そう、あの大山積神の本地仏、
大通 智勝仏の仏像、大日如来のもう一つの姿です。

*大気味神社
*西条市北条字五反地544

神社の入口近くを流れる川。
この川にかかる橋の名前を

「つるおかはし」 といいます。
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入口にあった小さな祠。勢気神社。
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拝殿
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この拝殿の中に、
喜左衛門狸は、祀られています。

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拝殿の中には、小部屋があってそこに
喜左衛門狸は祀られていました。

もう一度、喜左衛門狸の手をよ~くご覧ください。
この指、あの大日如来とまったく同じです。

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「化ける」
とは、そういうことだったんだと、この姿を見て気づきました。

そして、喜左衛門狸が祀られる大喜味神社の目の前には、
同じ敷地の中なのに、全く別の神社としてもう一つの神社が存在します。

それが、
「鶴岡八幡神社」 です。

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ここに祀られる祭神の名前を見てびっくりしました。

祭神:
誉田別命(ほむだわけのみこと)
気長足姫命(おきながたらしひめのみこと)
武内宿祢命(たけしうちのすくねのみこと)
鶴瀧姫(つるたきひめ)
伊予姫命(いよひめのみこと)
饒速日命(にぎはやひのみこと)
天道日女命(あめのみちひめのみこと)
来名戸祖神(くなどのさへのかみ)

八幡神を除く名前を見てみてください。

鶴瀧姫(つるたきひめ)
伊予姫命(いよひめのみこと)
饒速日命(にぎはやひのみこと)
天道日女命(あめのみちひめのみこと)
来名戸祖神(くなどのさへのかみ)

オンパレードと言ってもいい名前ばかりです。

そしてこの中に、

「鶴瀧姫」 の名前があったことで、
「鶴」 と 「瀧」 と 「姫」 の関係がより、
はっきりとしてきました。

とすると、、、、、、、、、

あの大三島のジャンヌダルクの伝説は、
やっぱり・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

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平成狸合戦ぽんぽこの曲
「アジアのこの町で」

この曲を私が初めて聞いたのは、沖縄行きの飛行機の中でした。
そういえば、この映画が丁度公開されていたその時に、
私は沖縄へ移住するために飛行機の中に乗っていたことを
思い出しました。






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by ldc_nikki | 2012-05-28 22:44 | 愛媛県西条市(旧東予市) | Trackback | Comments(1)

こんばんは。

昨日と今日は、天気予報では大雨。
でも、神社に行く時間になると、不思議と雨がやみ両日とも神社へ行ってきました。

土曜日に行った場所は、思っていた以上に次々と新しいことを発見し、
今日行った所でも、初めての神様に出会い、最後の神社に参拝して境内から出て階段を降りようとした時、
目の前に広がる空に、沢山まるで龍神(ヤマタノオロチ)のような雲が広がり、
感謝感謝の終末になりました。

これだけ、毎週のようにあちこちへ行っていても、
次から次へと、新しいことがでてきます。
愛媛もひろいな~とつくづく感じる今日このごろ。。。。

まだまだ、知らないことが沢山眠っているのだと思うと、
ワクワクします。
最近、頭の中は半分古代に行ったまま。。。
そのせいか、最近は都会にまったくといっていいほど興味がなくなりました。
その代わりに、民家のない山奥に入れば入るほど、
気持ちが落ち着き、ますます自然の美しさに引き込まれるようになりました。
神社って不思議ですね。。。。。。。

では、今日のお話です。
今日は、今回の旧東予市の神社めぐり最後の場所です。

今治市と旧東予市の間にある 「周越トンネル」を東予市側へ出て坂を下りるとすぐ右手に
木々がおいしげる一角があります。

そこに鎮座する神社

「皇子神社」 をご紹介します。

ここに祀られる神様は、なんとも不思議な組み合わせで、
どうしてここに、この二人の神様(人間)が祀られているのか、
全くわかりません。

こちらに祀られている神様は、

「大雀命(おほさざきのみこと) 」と

「軽大女娘」です。

大雀命とは、第16代天皇 仁徳天皇のことで、
「軽大女娘」とは、あの松山市姫原で日本で最古の心中をされたといわれる
伝説の姫のことです。

軽大女娘については、松山以外にもう一か所とても関係の深い場所があり、
その場所を訪れてからお話しようと思っていたのですが、
まさか、こんなところでも祀られているなんて。。。びっくりでした。

ここは、(1223)、四之宮の元祖小千孝元が勧請したとも、文中2年(1373)伊予守河野通定が伊予に勧請したのを分祀したとも伝えられいます。
そしてその時勧請した神さまは、
熊野権現の子神とされているのにもかかわらず、
現在祀られている神様は、どういうわけか、
神様ではなくどちらも人間の、

大雀命と軽大女娘。

もしかしたら何かを隠すために、この二人を祀ったのかもしれません。

そしてもう一つここには、境内社がありその境内社の名前を

「岩木神社」といいます。
そこに祀られる神様は、

石之姫命。

石之姫とは、仁徳天皇の皇后であり、武内宿禰の子葛城襲津彦の娘です。

越智家が祀る神社で、この組み合わせで祀られるのはとても珍しく
これからの課題の一つかもしれないと思います。

こちらの神社は、
安産・疫病避けの神として信仰されていて、その神徳からすれば、
本来は、木花咲耶姫姫や、磐長姫を祀っているはず。

縄文時代から人々が暮らし始めたと伝わるこの場所は、
東予市の歴史の謎が眠っている場所かもしれません。

*皇子神社
*西条市実報寺字皇子ヶ森甲982番地

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境内社 岩木神社
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この境内社がもしかしたら、姫の場所かも。。。
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この岩木神社に祀られる 石之姫命。
社の前に掲げられた小さな旗には、

「伊和姫神社」 と 書かれています。
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そして参拝して、車に乗ろうとした時、あの虹を見ました。

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まるで天へと上る橋のように現れた虹。
虹を見るのは、不思議と神社巡りの最後の神社を参拝した後が多いのです。
だから一段と、この虹が有り難く感じます。

ありがとうございます。(合掌)




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by ldc_nikki | 2012-04-22 23:53 | 愛媛県西条市(旧東予市) | Trackback | Comments(0)

おはようございます^^

4月に入って、デザインの学校に通っているので、
最近、朝から夕方まで一日を絵を書いている。なんて日が
週の半分くらいあります。

粘土で姫をつくった時もそうだったのですが、
もともと絵が苦手で、
今までほとんど書いたことがありません。

そんな私が、今は一日中、絵を書いています。
家に帰ってからも
毎日、ノートに1ページ絵を書く時間にあてています。

まだまだ、上手とは言えませんが、
今まで全く書けなかった私が、
書いていることが不思議。

自分が勝手に思い込んでいるだけで、
案外、できるかも? 
なんてことが、あるかもしれません。

皆さんも、何か興味があることがあったら
思い切って挑戦してみたらどうでしょう?
興味があるってことは、ほんとうはできるってことかもしれません。
年齢なんて、関係ない。 と私は思います。

では、今日のお話です。
今日は、前回の続き「旧東予市」

縄文時代は、今の日本の気候よりももっと暑かったと言われています。
四国は、原生林に覆われ、南国に近いような気候。
地球全体が今よりも気温が高かったので、
海面は今よりも高く、現在海の近くの平地になっているところは海でした。

四国は今でも、海と山がせめぎ合い平野が少ない
独特な地形ですが、
当時はもっと、平地が少なかったと思われています。

宮崎駿さんがこんなことをおっしゃっていました。

「神が宿る恐ろしい森は、照葉樹林でなければならない」
「人は、暗闇の原生林を伐採し、都合のよい改変を施して明るい里山を作り出して来た歴史を持つ。
それは人間中心主義の観点からは懐かしく素敵な森であるが、自然本来の生命力の成せる森ではない。
人間には恐ろしく凶暴なものであっても、本来の姿は神秘的な生命力の宿る闇の原生林なのである。」

里山と、原生林は同じ山でもその森の持つ力が違う。
古代、神々が宿る山とは、
木々が生い茂り、恐怖さえも覚えるそんな原生林だったのかもしれないと
私も思います。

この四国という島は、
海に囲まれ、平地が少なくその土地のほとんどが木々で覆われた山。
そしてそんな小さな島の中に、
西日本一と言われる山 「石鎚山」 があります。

昨日たまたまテレビで石鎚山の特集をしていましたが、
今でもこの山だけは、古代の山のその姿を残している。
山の奥に入れば、そこはまるでもののけの世界。
縄文時代、原生林で覆われていたこの四国の島は、
神秘の世界が広がる、神の住む森があったのかもしれないと
石鎚山を見ていて思う。

そんな四国の海の側に、静かに暮らしていた縄文時代の人々、
ここは、そんな縄文の人々が暮らしていた一つの集落があった場所です。

今では、その面影もありませんが、
ここにも、数千年の歴史があると考えただけで
違う風景に見えるような気がします。

そして弥生時代。ここにも、違う国からやってきた民族が住み始めました。
その時は、縄文時代の人々と共に融合しながら住んでいました。
だんだん、二つの民族は結婚をし家族になりました。
互いの文化や風習をうまく合わせながら
新しい文化をつくり、暮らしていた人々。
しかし、ある時それらを壊してしまう出来事が起こってしまいます。
そして、全く違う世の中を作り出していったのです。
それが、現代に続く、利益と権力の欲望の世界です。

*旧東予市 庄内地区 天満宮
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by ldc_nikki | 2012-04-21 10:42 | 愛媛県西条市(旧東予市) | Trackback | Comments(0)

こんばんは。

今日は、前回の続き旧東予市の神社です。

ここは、前回お話した三島神社のすぐ近くにある
小さな山の上にある神功皇后由来の神社です。
三島神社に行ったあと、川沿いを走っているとなんだかとても気になる山が。。
山の上には、ほんの少しだけ社が見えていました。
やっぱり気になる。。。。
ということで、行ってみることにしました。

そして入口の神社の由来を読むと、
神功皇后のことが書かれてありました。

東予市で神功皇后の名前を見たのはここが初めて。
こんなところにも神功皇后はきていたなんてびっくりでした。

この辺りは、神功皇后の時代は浅い海。
ということはこの山は、当時は満潮の時は島になり、干潮の時は山になる。
神功皇后はなぜかここのような地形の場所にその跡が多く残ります。

神社の名前も何かとても意味のありそうな不思議な名前。

「護運玉甲甲賀益八幡神社(ごうんたまかぶとかがますはちまんじんじゃ)」

社伝によると、
仲哀天皇・神功皇后が紀伊の国より南海道に巡幸(各地を巡っている)のとき、
この地に行宮(宿泊所)をつくりました。
そしてその夜見た夢のお告げにより、ここに神を祀ったといいます。

それが由来となり、
この山は「神齋山カミイワイヤマ (神さまの神聖な山)」と呼ばれ、
後に里人が社を建てたとされます。

1600年の古社。

里人がここに社を建てた時の祭神は、
「吉岡の神」と「猿田彦神」、二神と伝えられているといいます。

その後、
天智天皇の御代(667年)2月1日、
国司土師連(ハジシノムラジ)がこの地を通行のとき、
老翁が現れ、我八幡大神と共にこの地を守護しようと言いました。
老翁に誰かと尋ねると、
「猿田彦神」となのったといいます。

どうしてここに、猿田彦神が現れたのでしょう?
667年は、天智天皇が天皇となった年でもあり、
ここ西条、東予市の一番波乱の時代です。

今日丹原に住む友達から、
とても気になる話を聞きました。

それが、この東予市や丹原の元の地名にまつわる由来です。

ここは昔「桑原」と呼ばれていました。
この地はかつて養蚕が盛んでした。
蚕は桑の葉を食べて育ちます。
だからこの地域では、桑の木が沢山あったので、この名前がついたと言われています。

そして以前お話した 「綾延姫」にも繋がります。
織物を伝えたという「綾延姫」のお墓があるという綾延神社もこのすぐ近くです。

このことから、この地域には真の秦氏が住んでいた地域と思われることから、
この地に本当に祀られていた神さまは、
「瀬織津姫」ということになります。

ここで再度秦氏についての私の考えをお話しますが、
私は本当の秦氏は、仏を祀ったのでも、稲荷神を祀ったのでもなく、
古代からの女神を祀り続けていたと思っています。
稲荷神やお寺の中に秦氏の名前が数多く出てきますが、
それらは全て、本当の秦氏ではありません。
それを証明してくれたのが、新居浜市の一宮神社と、秦氏の菩提寺と言われるお寺でした。
どちらも秦氏だと思われていますが、
実はどちらも 「養子」 
本来の秦氏ではなかったのです。
稲荷神を祀る、京都の伏見稲荷も同じです。

姫を祀る重要な神社に新たに神々を祀ったのは、
「藤原氏」また「鴨族」。
それは、大山祇神社を含む、そのまわりに建立された神社も
「藤原姓」がかかわっています。 

神功皇后の由来の場所には、必ずと言っていいほど、
「水」 が関係ある場所です。
それは、聖水の湧き出る泉であったり、海と川がひしめき合う場所、河口であったり、
温泉のわき出る場所であったり。。。。。
「水」と「神功皇后」 これが神功皇后の謎を解く鍵となることは間違いないと思います。

*護運玉甲甲賀益八幡神社
*西条市上市甲460番地
*祭神
猿田彦大神(さるたびこのおおかみ)
足仲彦尊(たらしなかつひこのみこと)
誉田別尊(ほむだわけのみこと)
気長足姫命(おきながたらしひめのみこと)
田心姫命(たごりひめのみこと)
市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
湍津姫命(たぎつひめのみこと)
武内宿彌(たけしうちのすくね)

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この階段をのぼり山の上へ。
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古いご神木が迎えてくれます。
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山の上にのぼると、拝殿がありました。
山の上は思ってたよりもずっと狭く、
なんだか不思議な空間。
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本殿。
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拝殿の横に小さな境内社が。
そこには、姫が。。。。。
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ここから見る景色。
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山をおり帰ろうとした時、石垣の下に小さな社が目にはいりました。
「あんな一目のつかない場所に。。。。」

そこに祀られる神さまは、
なんと 「天照皇大神」 でした。
姫の名前でもある、「水波能売命」は拝殿の横に祀られ、
本来もっと目立つ場所にあるはずの、「天照皇大神」が
こんな奥に祀られていたのです。
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手前左の小さな鳥居のある社ではなく、
木に半分隠れた小さな社が見えるでしょうか?
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ひっそり祀られていた 天照皇大神の境内社
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次の神社へ行く途中、
綺麗な菜の花畑を見つけました。
東予市はあちらこちらの田んぼに、
菜の花が植えられています。

田植えの前に、田に栄養を与えているのでしょうか。
菜の花の時期ももう終わり。
もうすぐ一面、緑いろの田んぼになりますね。。。。。

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by ldc_nikki | 2012-04-17 23:24 | 愛媛県西条市(旧東予市) | Trackback | Comments(0)

こんばんは。

今日の神社は、丹原町に鎮座する三島神社です。

この三島神社は 「和銅5年」に勧請された三島神社の一社です。

三島神社は、これまで何度かお話をしましたが、
この和銅5年と、神亀5年の二度、この伊予の国に一度に建立されます。

神亀5年とは、728年、聖武天皇の御代。

そして、和同5年とは、712年、元明天皇の御代、古事記が完成した年と同じ年です。
どちらもなぜか、8月23日という同じ日に、一度に勧請されました。

古事記が完成したこの年は、まだ大山祇神社の大造営は終わっていません。
また現在の宮浦へも移されていません。

その前に、どうして一度に多くの三島神社を勧請しなければならなかったのか
まだ謎のままですが、
私は、この和同5年に勧請された場所は、
大和の勢力が一揆にその勢力を拡大した証だと思います。

こうして、大造営が始まった701年から、完成し正遷座行われる19年間の間に、
この伊予の国の形は大きく変わっていったのだと思います。
そして、大三島以外の姫の姿はとうとうなくなり、本体である大三島の姫は封印されるほか
なくなってしまったのだと思います。

「戦わずして国譲りが行われた。」

これはその時のことを言っているのではないかとも、最近思えてきました。

そして国譲りを行った神は、大山祇神社の真北にあたる出雲の国に眠った。
北の端に。。。。 
北の端が、その魂を永遠に眠らせる場所として選ばれたのではないかと、
またちんぷんかんぷんなことが頭をよぎります。

でも、こうしていろいろ考えることが楽しいのです^^
1300年前の歴史、どれが真実かなんてほんとは誰にもわからないのかもしれません。
でも、少しでも近くなりたい。
ほんの少しでも、真実に近づきたいそう思う気持ちがあることに
意味があるのだと思います。

空海が、どんな想いで姫の場所へ足を運んだのか。
円空が、どんな想いで姫の仏像を彫り続けたのか。
一遍上人が、何を知り何を探しに神社に行ったのか。

1300年の間に多くの人が、この謎にかかわりその場所を訪れた。

そして現代も、その想いをまるで受け継ぐかのようにいろいろな場所で
その謎を追いかけている人がいます。

私を含め、それぞれの地で歴史に魅せられ、何かにかきたてられるように
姫の封印の場所へと向かう人々は、例え永遠にその訳がわからなくても、
それでもどうしてかそこへ向かいたい。

そんな純粋な魂の声のままに動いているように思います。

そしてもしかしたら、いつの日か、みんな同じ場所へたどり着くのかもしれない。
なんて最近ふと思ったりします。

全く違うことをしているようでも、全く違うものを見ているようでも、
きっと道はある所に続いていると。
私も、その日を楽しみにしています。

*三島神社
*西条市桑村449
*祭神
主祭神:大山祇神(おほやまつみのかみ)
  配神:雷神、高龗神

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まっすぐの参道を歩きます。
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拝殿
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本殿
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神域と御神木
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昨日、ある方がおしゃっていました。
縄文時代の人々にとって、音楽とは向こう側の世界とこちら側の世界を繋ぐものだったと。
向こう側の世界とは、私は神さまの世界。
それは神と人とをつなぐものだったのかもしれないと私も思いました。
私はブログを書くとき、必ずヘッドフォンで音楽を聴きながら書きます。
他の音が入らないように、その日自分がききたいと思う音楽を聴きながら。
そうするとなぜか何も考えなくても指がかってに動いていく気がするのです。
よく作曲家や作詞家の方が、歌詞や音楽がおりてくる。と言いますが、
その時、その人はきっと何かと繋がっているんだろうなと、こんな私も最近少しわかるように
なってきました。
私がブログの最後に載せている音楽は、私がこのブログを書きながら聴いていた曲です。
この曲を聴きながら、ブログを読むともしかしたらみなさんの心の中にも
何かがおりてくるかも。。。。。。




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by ldc_nikki | 2012-04-16 23:15 | 愛媛県西条市(旧東予市) | Trackback | Comments(2)

西山興隆寺 

こんばんは。

桜の花も散り始めました。
桜は、来年また美しい花を咲かせるためにこれから一年をかけて準備を始める。

美しい花を咲かせるためには、
日々の積み重ねが必要だということ、厳しい冬を乗り越えなくてはいけないということを
私たちに教えてくれているような気がします。

また来年、美しい花が見れることを楽しみに、
私も桜と同じように、いつか綺麗な花を咲かせることができる日を夢みて、
毎日を一生懸命、楽しく、精一杯、生きていきたいと思います。

では、今日のお話です。

今日ご紹介するところは、
東予随一のもみじの名所ともいわれる、

「西山興隆寺」

西条市、旧周桑郡丹原町の山の中にあるこのお寺は、1300年以上の歴史のある
真言宗醍醐派の別格本山。

別格本山とは、仏教の特定の宗派内に於いて、特別な位置づけをされている寺院を指すことば、
それだけ、このお寺が大事なお寺だったということだと思います。

「西山興隆寺」は現在、丹原町古田というところにありますが、元あった場所とは、

現在の場所とは違います。このお寺が開基された時は、「田滝」というところにありました。

お寺の方による話によると、あった場所が田滝のどこだったかを探してみたことがあるそうなのですが、
その場所は今もわからないままだと言います。
でも、「西山興隆寺」の開基は、 「田滝」 だといいます。

「田滝」。
以前少しだけお話の中にでてきた場所ですが、
おぼえていらっしゃるでしょうか?

「田滝」には黒滝神社という神社があります。

西山興隆寺から東三方ヶ森に向かって、山奥へと入っていったところに現在もありますが、
私は、そこが、西山興隆寺の開基の場所ではないかと思います。

というのが、西山興隆寺の開基の理由は、

姫の封印のためだったからだと私は思うからです。

田滝に伝わる伝説に、石鎚神社と、黒滝神社の神様のお話があります。
この二つの神社の神様は、本来は 兄と妹でした。
しかし、この兄と妹は大変仲が悪かったのです。

そしてとうとう、石鎚神社の神様(兄)により、黒滝神社は、侵されてしまいました。

それ以来、田滝の人々は、石鎚神社へも、石鎚山にも一切登ることも近寄ることもないと言います。

「石鎚」 は、行基により、仏の力で姫を封印した山。
だから、その一番高い場所には、天狗(天狗岳) が今でも龍の出現を見はり続けているのです。

その石鎚神社に、侵された 女神の神社とは、「瀬織津姫」をおいて他に考えられません。

今回、西山興隆寺に行き、このお寺の開基の場所は、「田滝」だったという話をお寺の方から聞いた時
このお寺がなんのために造られたのか、わかりました。

でも、田滝にあった寺が、どうして現在の場所にあるのか。。。。

それが、空海に関係があります。

私が推測する、 西山興隆寺の経緯は。。。。

まず、田滝に祀られていた 瀬織津姫を封印するために、
田滝を侵し、「仏」を祀りました。

これが、「642年」です。 この時開創した人物が、空鉢上人だといいます。

その後、ここには、行基菩薩、報恩大師も入山した後があります。

しかし、仏により封印するためにつくられた「西山興隆寺」に、空海がやってきます。

そして空海は、天皇の勅命により姫の封印された場所に行き、姫の魂を鎮めるためにお寺をつくります。

田滝にあった西山興隆寺は、現在の場所へ移され、「千手観音菩薩」をご本尊とした
新たな 西山興隆寺となったのではないかと思います。

「千手観音菩薩」とは、全ての人を救済するとされる仏さまです。

「千手観音菩薩」が、瀬織津姫の本地仏とされたのは、瀬織津姫はどんなものも再生できる力があったので、
全ての人を救済する仏さまにも例えられたのではないかと思います。

不動明王が、瀬織津姫の仏とされるのは、滝に祀られる時。

瀬織津姫がさまざまな仏にたとえられるのは、どの力も持ち合わせているからなのだと思うのです。

それぞれの場所で、それぞれ必要な意味を持つ仏の姿へと変えられた瀬織津姫の本当の仏の姿は
別にあります。

瀬織津姫が多くの神に名前を変えられたように、
仏の姿(死後の世界)の瀬織津姫の姿も、さまざまな菩薩や明王に変えられていたのです。

西山興隆寺の話から少しそれてしまいましたが、
瀬織津姫の封印は、私が当初想像していた以上に、複雑で根が深く、ここで言うことのできない内容も
でてきました。

1300年の歴史のさまざまな歴史を否定することは、やはりとても難しいことだと感じています。

*西山興隆寺
*正式名 :仏法山 仏眼院 興隆寺
*愛媛県西条市丹原町古田1657
*千手観世音菩薩

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弘法大師はこの橋のたもとで、歌を詠んだと言います。

「み佛の 法(のり)の御山(みやま)の 法(のり)の水 ながれも清く みゆるぎの橋」

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仁王門(大正七年 1918年建立)
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仁王門をくぐり少し歩くと、木々の間に大きな石が見えてきます。
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牛石です。
源頼朝公が本堂再建の時、材料を運搬しつづけた牛がこの地に倒れ、
人々は牛に似た石でこれを葬ったそうです。
参拝する人々は、口のところに草をさしこんで労をねぎらうといわれています。

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千年杉の切りかぶ
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古来より夫婦の狸が住むという、楠
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銅鐘 (重要文化財)
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本堂
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西山興隆寺の境内に、古い御神木があります。
この御神木には、観音様にまつわるお話があります。

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平安時代、報恩大師がここを訪れた時、境内にある杉の木の枝で、千手観音が光っているのを見つけ、
この杉の枝を切って本尊の台座としたといいます。

そして、この杉の木の側から湧き出る水は、霊水として多くの人々に信仰され、
今もこんこんと沸き続けています。

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この木に現れた千手観音さまは、瀬織津姫のことをあらわしているのかもしれません。
というのも、この湧き出る水には、子宝の霊験があるといい、子宝に恵まれない人がこの水を飲むと
必ず子供を授かるという伝説があるといいます。

まるで、その御神徳は、「磐長姫」そのものですね。

高縄半島(姫を祀る山々)の東の山に仏の姿で人々を守り続ける瀬織津姫の姿が、
この西山興隆寺にはあるのだと、私は思います。

最後に、三重塔。
今回は側までは行かなかったので、少し遠い写真ですが。
塔の内部には、四天柱があり大日如来を安置します。

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by ldc_nikki | 2012-04-15 23:26 | 愛媛県西条市(旧東予市) | Trackback | Comments(2)

こんばんは。

今日は先日の続き旧東予市です。

今治市と東予市の境目、蛇池から世田山の麓世田薬師へお参りし、そのまま旧東予市市街地へ向かうと、
弘法大師ゆかりの湧き水があります。

番外霊場 「臼井御来迎」

この通りは昔の主要道だったそうなのですが、今はほとんどの人が国道を通るため、ここは地元の人意外ああまり通らないため、この存在はあまり知られていません。

この弘法大師の湧き水より少し今治よりには、宝篋印塔(ほうきょういんとう)があります。

この宝篋印塔(ほうきょういんとう)は、旧東予市でもっとも古く石造文化財として極めて重要なものだそうです。

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またここには、鎌倉時代の作といわれる、

「馬頭観菩薩像」があります。

身丈43.5cm、総丈70cmの木造坐像です。

馬頭観音菩薩とは、衆生の無智・煩悩を排除し、諸悪を毀壊(きかい)する菩薩だと云われます。

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馬頭観音菩薩さまに、手を合わせていると、後ろで突然猫の鳴き声が。

後ろを振りかえりふと足元を見ると、どこからやってきたのか、かわいい猫がごろんと横になっていたのです。

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私たちが振り返っても逃げるどころか、ゴロゴロ気持ちよさそうに転がってる。
人になれているのかな?

猫ちゃんにお別れして、車に乗っていこうとすると、起き上がってお見送りをしてくれました^^

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実はこの日の最初の蛇池から海岸へ行く途中も、道路の真ん中にまるで狛犬のように犬が座っていて
車ですぐ側をよけながらゆっくり通りすぎたのですが、その時も全くよけることなく、まっすぐ狛犬のように座ったままでずっと私たちの方をみていた犬がいたのです。

そして、今度は猫。

お見送りしてくれてどうもありがとう♪ 

そういいながら、目的の湧き水へ。

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家と家の間にあるので、普段なら見落としてしまいそうなところにありました。
道路から少し下に降りたところに。

*臼井御来迎

天長6年(829)弘法大師が老母の願いにより、臼の中に加持して五色の御光を影ぜられたという旧跡で、
透き通った水がいまも、こんこんと湧き出ています。

この湧き水の前で、一心に祈れば七色の輝きの中に諸仏の来迎(薬師如来・日光月光菩薩・十二神将・弘法大師)がおがめるといいます。

また、かき混ぜると虹が現れるという言い伝えがあるそうです。

水の中を覗いてみると、かわいいめだかが沢山泳いでいました。

虹が現れるかな。。。。。と かき混ぜてみましたが、残念ながら虹は現れませんでした。

そんなに簡単に現れるはずはないですよね。

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でも、どうしてここに弘法大師の伝説が残っているのでしょう。

ここの湧き水の名前は 「臼井」といいます。

この 「臼」は、瀬織津姫の封印とも深く関わりがあります。

それは、三島明神誕生の物語という、以前お話したもう一つの三島明神の物語の中に出てきます。

あの物語を深く読み解いていくと、その中に暗号のように隠された謎が見えてきます。

その一つが 「臼」 です。

三島に住んでいたという夫婦の子供が生まれてすぐ 「鷲」にさらわれ、その鷲を追って夫婦は、現在の四国中央市と徳島県の境目の山の中にやってきます。

そして、子供を失った夫婦はこの山の中で暮らしはじめます。

17年たったある日、夫婦の子供が本当の両親は別にいることを知り、家来に捜すように命じ、家来は山の中に暮らす夫婦を見つけます。

息子の「玉王」は、連れてくるように命じ、家来たちは山から元二人が暮らしていた三島の家に連れていくのですが、山を降りる前夜、

あまりに汚い格好をしている夫婦を見て、こんな二人が両親なわけがないと思い、逃げないようにと柱につなぐのでした。

その時、ただ柱につないだだけでなく、

母のほうには、「女臼」を 父のほうには「夫臼」を縛りつけ柱につないだのです。

二人に繋いだ「臼」とは、現在のおもちをつく時の臼ではなく、弥生時代から古代の人々が使用していたといわれる、

「摺臼(ずるす)」 という、籾殻を取り除くうすでした。

臼の中に籾を入れて、臼の上に三角形に取り付けられた棒状のものをくるくると回します。
すると、籾がすられることによって、殻がとれる仕組みになっています。

古代、臼は、とても神聖なものでした。

おもちをつく時の臼は 「女」にたとえられ、杵は「男」にたとえられていました。

女と男を合わせることによって作られる 「もち」は、特別な食べ物だったのです。

そして、この籾をいれる臼も、臼である「女」の中にいれて、まるで渦ができるようにかき回す。

私はここにも、特別な意味があったのではないかと思います。

それは、この物語の最後の部分にでてくることで読み取れます。

この老夫婦が、亡くなった後 「三島明神」として現れます。

三島明神とは、この老夫婦のことをさしていたのです。

そして、自分たちをお祀りする時には、

臼でしばり辛い思いをしたからと、御料米は、決して臼を使わず、手で一つ一つ籾をとったものでなければいと誓いをたてられたといいます。

しかし本当は全く逆の意味なのではないでしょうか。

臼を使うことによって、「男と女=太陽と月=再生、誕生」 の意味をもつ米になる。

また摺臼は、女性である臼の体内で、まるで渦のようにかき混ぜなれ、新しい命が誕生する。

摺臼を使ってはならないのは、そうなっては困るからと、あえて使うことを許されなかったのではないでしょうか。

三島明神となった老夫婦の息子 「玉王」が、縛られていた時に母の夢の中に出てきた姿は、

左手に 「月」 右手に 「太陽」 の珠をもっていました。

そして、その後ろには、朱の糸で髪を結んだ天童が付き添ってたっていたのです。

これは、三島明神の子 「玉王」 が鷲にさらわれ、「太陽の子」になったことを意味していると思います。

そして手に持った珠は、その両方の力をみずからのものとしたことも意味しているのではないでしょうか。

これが 「アマテラス」を意味する。

また最後の三島明神の託宣にはこう書かれてあります。

「わが氏子は枇杷の木を粗末にあつかってはならぬ。
わが子玉王は鷲にさらわれたが、枇杷の枝に捨てられ助かったからである。また鷲は鳥の王である。わご子は鷲にさらわれたために、のちに万民の王となった。
その鷲を粗略に思ってよいものだろうか」

と、そういって、鷲にも神明の法を授けて、鷲明神と神号をつけ、伊予の国一宮の御殿の前に社をたてて、大切に敬った。

その後、三島大明神は東征のため東国にわたり、伊豆の国に移り住むことになった。(静岡の三島大社)

その時鷲大明神も同じように東国へ飛び移って、武蔵の国大田庄に住むことになり、この国の鎮守と号して非常に尊敬を受けることになった。(埼玉県 関東最古の大社と称する鷲宮神社)

この物語はかなり長いので、ここで全てをお話することはできませんし、まだ全ての意味がわかったわけでもありません。

いつか全ての謎をといて、お話する日がくればいいなと願っています。





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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2012-02-26 23:29 | 愛媛県西条市(旧東予市) | Trackback | Comments(0)

こんばんは。

もうすぐ2月も終わり、3月ですね。
3月といえば、ひな祭り。 今日は、商店街の中の貸しスペースに雛人形を飾る準備をしていました。

この辺はひな祭りも七夕も一ヶ月遅れにするため、雛人形はこれから4月3日まで飾られます。

ひな祭りは、桃の節句。

これも起源は、姫なんですよ。 そしておだいりさまとお雛様は、饒速日命と瀬織津姫。
三人官女は、厳島神社の三女神。 五人ばやしは、やはり誓約で生まれた 五男神。
姫の封印によって誕生した神様 五男三女神が、雛人形の中に。

雛人形の起源は「流し雛」だといいます。

流し雛は、身の穢れを水に流して清める行事。
平安時代から始まったとされる流し雛とは、瀬織津姫そのものです。

瀬織津姫である 「雛」 に自分の穢れを海に流してもらうこと。

これは瀬織津姫が祓戸大神とされていたからかもしれませんが、それが起源となり現在の形のひな祭りに変化していったといいます。

女の子の健やかな成長を願いはじめて買う人形は、瀬織津姫。

私たちは、その起源をしならいだけで姫が起源として始まった行事、姫のことを歌った歌、昔話、風習・・・と
姫に見守られながら生きているのですね。

さて、今日は少し前に紹介した 「蛇池」 の続き、西条市のお寺のご紹介です。

夏になるとテレビのニュースの映像で毎年流れてくる 「きうり封じ」 の様子。

「きうり封じ」で有名な、西条市(旧東予市)のお寺 「世田薬師」、ここにも龍にまつわる伝説が残っています。

世田薬師とは、正式な名称ではなく、地元の人々から親しみを込め呼ばれている愛称です。

今治市と旧東予市の境にある世田山の山上に奉られているお薬師さんだからついた名前。

正式には

「山号を世田山」

「院号を医王院」

「寺号を栴檀寺」 といいます。

お寺の山号でもある この 「世田山」 は 標高335mとそんなに高い山ではありませんが、
今治市と東予市の境目にあり、その頂上からは瀬戸内海が一望できる、おにぎり形の山です。

このおにぎり形の山のことを 「宝珠山」 とも言います。

「宝珠」 とは、、十字架が上に付いた球体を意味し、世界(球体)に対するキリスト(十字架)の支配権を象徴する言葉でもあるそうです。

宝珠山で思いつく場所が、あの斉明天皇や、神功皇后の伝説が残る、九州朝倉郡に属していた

「宝珠山村」 

「宝珠」と名のつく場所や、 この「おにぎりの形をした山」 がある場所は、キリスト(男神信仰)に繋がる場所と考えられるかもしれません。

「世田薬師こと、栴檀寺」は、
神亀元年(724)行基四国順錫の折、山上に薬師如来のご来迎を拝し、そのお姿を「栴檀は双葉より芳し」という栴檀の一木に刻み、寺を開いたことから名付けられたと言われています。

724年は、ちょうど聖武天皇が即位された年。

大山祇神社が宮浦へ正遷座され、新しい時代がスタートしたちょうどその時代です。

ご本尊は、薬師如来。身丈9尺の珍しい立像だといいますが、秘仏である為、一般には公開していないそうです。

一度見てみたいものです。

この立像の薬師如来は、特に霊験あらたかと信仰を集め山岳仏教の一拠点として栄えたといわれています。

現在は、世田山の麓に、大師堂と、三宝荒神堂等を移し、奥の院と二つになっています。

今回奥の院までは行っていないのですが、この奥の院にあるといわれる 「龍の彫り物」にまつわる不思議な伝説が残っています。

「世田山の麓にある世田薬師の本道に立派な龍の彫り物があります。
この龍の彫り物は、左甚五郎の作ともいわれている。

昔、この龍が夜になる寺をぬけだし、孫兵衛作にある医王池まで下りて来て水を飲みました。
(この医王池は、先日お話した蛇池のことで、この池には二つの龍の伝説があります)

冬はよいとしても、夏になって田に水がいる時に、龍に水を飲み干されるので大変困り、
ある時、この龍を八つに切って「かすがい」でとめてしまいました。
それから龍が水を飲んで困るという話は聞かなくなったといいます。」

ここでも、龍は 「八つ」 に切られてしまっています。
また更にここでは 「かすがい」 でとめられ二度と動けないようにさせられているのです。

ここに開基された時代といい、この龍の伝説といい、やはりここも瀬織津姫の封印と深く関わっている場所だといえそうです。

というのが、これだけではないのです。

ここにもやはり空海の伝説があり、冒頭でお話した 「きうり封じ」 もまた、瀬織津姫の封印が起源となっていると思われる特殊な行事なのです。

ここ世田薬師で きうり封じが始まったのは、今から約300年前だと伝わりますが、
身体健康、病気平癒を祈祷し行われるこの 「きうり封じ」 の起源は、空海です。

今から約1200年前、弘法大師が薬師如来の本願によって病魔・悪鬼をきゅうりに封じ込め、病を癒し自らの生命力を増進させ無病息災を得られたことが、その始まりと伝えられているのです。

年に一回、夏の真っ盛りの土用丑の日に、きうり(胡瓜)に身代りになって頂き病を封じ込め、三年間続けて「きうり封じ」のご祈祷を行うと、病気の『ね』が切れると言われるほどの効力を持つ、特別な秘法。

どうして空海は、きゅうりに悪鬼を閉じ込めようとしたのでしょう。

それは、きゅうりを切った時の切り口が、祗園様(素盞鳴大神)の神紋とそっくりだったからのようです。

だから、日本三大祇園山笠祭りでは、その期間中、博多の人々はきゅうりを一切口にしいないといいます。

京都の祇園祭りの時も、同じような風習が残っているようです。

「祇園祭り」 は、以前も少しふれたように、姫の封印に関わる祭りの一つです。

行基が開いたあと、ここにも空海は訪れていたのです。

奥の院へと行く途中に、空海の伝説が残っている場所があります。

それが、「湧き水」です。

空海によるといわれる 「湧き水」 が、薬師如来が奉られる山の中にありました。

姫の封印と深く関わる場所には、必ずと言っていいほど、封印された姫をまるで解き放つかのように
掘られている 「湧き水」 がここにもちゃんとあったのです。

もう少し暖かくなったら、山の上まで登ってみようと思っています。

伊予の国府を守る最後の砦といわれた 「世田山」 は、
やはり、本来は姫を祀る人々が守っていた場所だったのかもしれません。

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今日は久しぶりにこの曲を選曲してみました。

さよならにさよなら。 時間は螺旋の階段。さよならさえも繋がっている。

ドラえもんの映画の主題歌ですが、 とってもいい曲です。

歌詞を一つ一つ心の刻むように聞いてみてください。

では今日も、素敵な一日になりますように☆




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一緒に、瀬織津姫を復活させましょう♪ 

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by ldc_nikki | 2012-02-25 07:47 | 愛媛県西条市(旧東予市) | Trackback | Comments(1)

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