こんばんは。

今日から仕事はじめ。
なんだか、あっというまの冬休みでした。

今日から、また神社のご紹介をさせていただきます。

2012年は、どんな神社へ行くことになるのか、私自身、とっても楽しみです。

最初は、愛媛の中だけだと、そんなに沢山いくところもないだろうな。と思っていたのですが、一つ行けば、不思議とまた次の神社が見つかる。

行った後で調べていくと、どんどん、どんどん、姫に近づいていく。

愛媛だけでも、もう200社以上を越える神社を巡ってきましたが、まだまだ、知らない大事な場所があるんだろうなと思います。

また、一度行っただけでは、わからないことも。

今日ご紹介する神社は、もう一年以上前に、一度訪れたことがある場所なのですが、その時はまったく何も気づきませんでした。

また、ここは、毎週通る場所でもあるのですが、神社が鎮座される裏山の上に小さな社があることに、最近まで気づいていませんでした。

数ヶ月前、車で前を通っている時に、目に飛び込んできた、小さな社。

今回は、その小さな社へと、やっと行くことができました。

今治市玉川町。

以前もお話しましたが、 ここは、古代、「丹生」 と呼ばれた村でした。

伊勢神宮への奉納のお米を作っていたところでもあり、大国主命や少彦名命の伝説も残ります。
また、「天逆鉾」 を運ぶさいに立ち寄った場所。

古事記の時代に、本当は、歴史の中の1ページに、登場するであっただろう場所のひとつです。

今日、ご紹介する神社も、いくつかの由来があります。

ここは、小千の国造りが、神籬(ひもろぎ)を奉斎した場所。

そして、大国主命と少彦名命が駐蹕の場所でもあります。

今治には、ここを含め、数箇所に、大国主命と少彦名命の伝説の場所があります。

大国主命は、ニギハヤヒと同一といわれますが、私は最近、少し違うような気がしています。

大国主命とは、実在した誰かのことをさしているのではないかと思うのです。
そして、少彦名命もまた同じ。

またここには、もう一つの伝説があります。

第98代天皇 長慶天皇の伝説です。

南北朝時代、南朝の第3代天皇でもある  長慶天皇は、北朝軍に大敗した後、この伊予の国へと落ちてきたといわれます。

そして、この玉川の地で、河野家の警護によって、松山市へとぬけます。

それでここは、「竜岡」 とよばれるようになったといいます。

松山へと逃げた長慶天皇は 最後、久米神戸徳威法水院にて崩御されたといいます。

その場所が以前紹介した、現在の東温市(旧重信町)牛渕に鎮座する、浮嶋神社です。

浮嶋神社には、今も、天皇の御陵が残っています。

そして、この浮嶋神社の場所が、ニギハヤヒの子供 「宇麻志麻治命」 が誕生した場所だという伝説が残っているのです。

これについては、もう一度、詳しく書きたいと思っていますが、

ニギハヤヒの子供 「宇麻志麻治命」 が 降臨した場所というのは他にもありますが、「降誕」した場所というのは今だかつて、ここのほかにまだ目にしたことがありません。

長髓彦の妹 炊屋姫とニギハヤヒの間に生まれた 「宇麻志麻治命」が、なぜ、関西ではなく、ここ愛媛で生まれたのか、私の中でずっと気になっていることの一つです。

お話が少しそれてしまいましたが、 ここ玉川町は、消されてしまった歴史がもしかしたら多くある場所なのかもしれません。

そしてその歴史は、ダムとともに、水の中に沈んでいったのかもしれません。

*天神社(元 天津宮)
*今治市玉川町竜岡下字宮の台乙48番地
*祭神
天穂日命(あめのほひのみこと)
菅原道真神(すがわらみちざねのかみ)
*由来
小千国造が神籬を奉斎の古社と伝えられる。大己貴、少彦名の2神、駐蹕の古関で竜王の宮とも称され、又一説によれば神の岡とも呼ばれ、文中2年9月紀伊の国高野山の里に潜める長慶天皇が、北朝軍に大敗して伊予国に落ち、河野伊予守の警護を受けたともいわれ、竜岡とも称した。
天慶5年9月25日筑紫大宰府より伊予へ勧請の二十八社の一社であったが、天正18年天津宮へ合祀した。
 長慶天皇は久米神戸徳威法水院にて崩御、御遺骨を分納の古墳は今も奈良原の山頂にある。

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鳥居をくぐると、月と太陽の灯篭が迎えます。
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拝殿
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本殿
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そして、小さな社は、この本殿の裏山の上にあります。
まるでダムの中に浮かぶ島。 この山だけは、水の中に沈めることはできなかたったのだと、思えます。

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階段を上ると、見えてきます。
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小さな社ですが、私たちには、大きな下の拝殿より、何倍もこの社に、不思議な力を感じました。

ここが、本当の場所だったのかもしれません。

今も、このあたりの地名は 「龍岡」 と呼ばれます。

ここは、古代 「龍を祀る岡」 だったのかもしれません。
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今、瀬織津姫がどうして、瀬織津姫という名前になったのか、その意味を考えています。

月の女神、すべての母であった瀬織津姫。

まだまだ、私の中で、その姿はぼんやりとしか見えていません。

でも、いろいろなことがわかってくるうちに、なんとなくはっきりしてきたことは、

古代の女神は、 「太陽」 ではなかったということです。

そして、単に水の女神でもありませんでした。

古事記の中では、 「太陽」が女神 アマテラスで、 「月」 は男神 月読。

しかし、本当は、女神は、月でなければならない。

それは、生命の誕生、 命、 と繋がっているからです。

女神は、 「命」 の 根源だったのです。

厳島神社の祭神、「三女神」 は、 瀬織津姫の姿を、三つにわけたものだとお話しました。

これは、古代の、 「三相一体」 また 「三位一体」 が原型になっていると思います。

古事記の中では、 アマテラスとスサノオが、誓約をし、アマテラスが日本の女神となることを認め、生まれた神としてあらわされていますが、 それは、瀬織津姫が一度死に、アマテラスと一体になって生まれた、三相一体の女神だった。

瀬織津姫にもまた、三つの顔がありました。

それは、妙齢の処女、母親、老婆 の顔です。

古代の女神は、三つの姿を秘めた女神だったからです。

そして、瀬織津姫が封印されたあと、 空海があらわした姫の姿は、三番目の 「老婆」 の姿だった。
 
再生・復活の女神とされることも、聖母とされることも、死の女神とされることも、すべて、女神がもつ力、命の源、「月」 の 女神だったからなのではないでしょうか。

大和は、どうして、「太陽」 を女神にしなくてはいけなかったのでしょうか。

古事記によって、本当の女神が封印されたことで、「女性」 そのものが、閉じ込められたような気がします。

そして、現代、その女性たちが、 外へと出ようとしています。

それは、女性が封印されたことにより、歪んでしまった世の中の歪をなおすために、女性の力、女性の知恵、女性の感性が必要な時代に入ったともいえます。 

また、それは、瀬織津姫の封印がとかれようとしていることにも、通じるものがあります。

でも、何かが違う、そんな気がするのです。

女性が、男性と同じ感性、男性と同じ知恵、男性と同じ力を出そうとしているように思えるのです。

本当に今必要なことは、男性と同じことを女性がするのではなく、男性と同じ土壌で競うことでもなく、女性でなければできない発想や、女性でなければ出せない力を出すことなのではないのかと。

それが具体的にどんなことかといわれると、まだ、言葉にすることができません。

でも、「命」 と繋がることができる 本当の意味での女性の力を、これからの世の中は必要とするのではないでしょうか。

そしてまた、男性も、そのことに気づかなければならないと。

古事記によって封印されたことは、世の中全体のバランスまでも崩してしまったのかもしれません。

それが、「地球の命」 「自然の命」 「生命」 を、滅ぼしてしまうことになっていったのかもしれないと、感じています。




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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2012-01-04 23:33 | 愛媛県今治市(旧玉川) | Trackback | Comments(2)

こんばんは。

今日は、少し前にお話した丹生都姫とも関係の深い場所、玉川町のお話です。

「丹」

とは、水銀のとれる所をあらわし、そこに祀られる、

「丹生都姫命」 は、 瀬織津姫のことだというお話をしました。

愛媛にも、この 「丹」 の つく地名が多くあります。

そこは、中央構造線に位置した場所で、 「丹」 だけでなく、豊富な鉱山、そして砂金もとれる所です。

現在も、今治市の隣、現在は、西条市になっていますが、

「丹原」 や、 壬生川(丹生川) などは、今もその面影を残しています。

そして、今日、ご紹介する 今治市(旧玉川町) も、古代は、「丹生」 と呼ばれていました。

そして、今治市と(旧)朝倉村との境に鎮座する、 重要な神社の祭神は、今は、スサノオが祀られていますが、 本来は、 「丹生都姫」 だったと、 村史は語っています。

今治は、 「丹」 に由来する山々に囲まれていることが、調べていくうちにわかってきました。

今日、ご紹介する 玉川は、それだけでなく、大国主や少彦名命の伝説や、スサノオの伝説、さらには、新大和朝廷とも、深いかかわりのある場所。

もう二年以上前ですが、玉川の奥地に入った時、まるでそこはジブリの世界でした。
薄暗く生い茂る木々に、美しい川、 まるで、もののけ姫の世界です。

そんな深い山の麓に、 まるで、昔にタイムスリップしたような里山があります。

そこは、昔、新大和政権に移った後、伊勢神宮の領地でした。

豊かな土壌と、豊な水、水害や山崩れが起きにくい山をもつその場所が、選ばれたと説明されていますが、
私は、それ以上に、ここが、古代の大和の人々の住む場所であり、重要な場所を占領されてしまったことに由来すると思っています。

伊勢神宮の外宮、「豊受大神」 の もとへと、奉納されていた、玉川の古代米。

今日、ご紹介する神社は、その元、伊勢神宮の領地に鎮座する 「王子神社」

そこは、玉川町奈良之木。 玉川から、朝倉へと山を越えて行く途中にあります。

そして、そのすぐ側の山は、 今も、「神の森(みこのもり)」 と呼ばれています。

昔から、どうしてここが、 「神の森」 と呼ばれているのかずっと気になっていたのですが、ここは、
本当に、 神の森でした。

持統天皇がここに、アマテラスをお祀りする前、 ここには、ニギハヤヒと、瀬織津姫が祀られていたと思われます。 
それを、今も伝えるかのように、この奈良之木から、さらに山奥へと入り、奈良原山の頂上には、今も、瀬織津姫が祀られていた後があります。

そこには、 今も春になると、見事な花を咲かせる、 「千疋桜」 があります。

奈良原山を占拠され、この地を守ってきた人々もまた、時代の渦の中へと巻き込まれていったのだろうと思います。

今は、だんだんと人も少なくなり、ここで、そんな歴史があったことなど、 忘れさられようとしています。

でも、お隣の朝倉の小さなパン屋さんで、偶然見つけた 「神の森の食パン」 の話を聞いて、
何も知らなくても、何かを感じ、その歴史を絶やさないように、神様の導きを感じました。

では、神社の写真を紹介しながらお話の続きをさせて頂きます。

*王子神社
*今治市玉川町字松ノ木丁592番地 (住所は違いますが、ここを奈良之木といいます)
*祭神
天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)
大新川神(おおしんかわのかみ)
*由緒
持統天皇4年の春、国司小千宿禰玉興が当地を開いたとき、天照皇大神、饒速日神、大新川命をこの地に奉斎したものという。
 後に南北朝の末、長慶天皇、同妃、皇子と共にこの地に御潜匿になられた由縁によって、同妃並びに皇子の霊を合祀したという。

この神社は、元は別の場所にありましたが、現在は、この山の中に祀られています。
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小さな川を渡り、あぜ道を通り山の中へ。
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鳥居が見えてきました。
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階段を上ると、すぐ拝殿があります。
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鳥居に刻まれた絵が、とても気になりました。
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ここも、神紋は、「三島紋」 です。
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境内社 「山神社」
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ここに祀られている、大新川神とは、ニギハヤヒの末裔、小千命の祖祖父にあたる人です。
村史には、 伊勢神宮の領地となった時、時の天皇が、ここにアマテラスをお祀りしたと書かれてありました。

そこに、ニギハヤヒの名前があり、少しほっとしました。

時が流れ、瀬織津姫の名前は書くことができなくても、ニギハヤヒが一緒に祀られていることで、ここに住む人々が、本当の神を忘れていたなかったのだと。

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龍に守られた 神紋もまた、何かを伝えたいかのように見えます。
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ここが、伊勢神宮へと奉納する お米が作られていた 奈良之木土居(ならのきどえ)です。
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玉川の隣の、朝倉で、なんとなく立ち寄ったパン屋さんで、目に飛び込んできた パンの名前。
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早速買って帰ろうと思ったのですが、売り切れ。
お店の人に聞いてみると、このパンは、早くても前日に予約をしないと、できないそう。

でも、なんとか、夜まででいいので、つくってもらえないかと聞いてみたら、
パン職人の人に聞いてきてくれ、つくってくれることに。

そして、出来上がる夜7時。 
パンを取りに行きました。

すると、パンを作ってくれた、お店のご主人が待っててくれました。

せっかくなので、いろいろお話を聞いてみることにしました。

このご主人は、 古代米でパンを作りたいと思い、 一度絶えてしまっていた、神の森の古代米を復活させたそうなのです。
でも、ここが、伊勢神宮の領地で、 奉納をしていたことは、全く知りませんでした。
もちろん、その前が、瀬織津姫を祀っていたことも。。。。

ご主人は、 そのことを知らず、それでも、ここで作った古代米を使いたいと思い、知り合いの農家さんにお願いして、 古代米を作ってもらうことにしたそうなのです。
それが、2年ほど前。 ちょうど、私が、神社巡りを始めたころです。

まるで、神さまの導きで、古代米を復活させたようにさえ感じました。

出来立ての、古代米のパンは、ご主人の想いがいっぱいつまった、最高に美味しい食パンでした。

子供たちも、おいしい美味しいと、あっという間に、食べてしまい、また買ってきてほしいとねだられています。

不思議なもので、 神の森で作ったお米というだけで、 少し神様に近づいたような錯覚をおぼえます。

時の天皇が、豊受大神(稲の神)を祀り、 神のお米を食べることで、アマテラスと一体になろうとした気持ちが少しわかるような気がしました。

でも、本当は、ここでつくったからではなく、全てのお米、全ての食物が、神さまに通じている。

今の世の中は、それをすっかり忘れてしまっているんだ、と改めて、体で気づかされたような気がしました。

姫さまは、それを私に、伝えたかったのも。

これが、神の森の古代米でつくった 食パンです。

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そして、ここが、神の森です。
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パン屋さんの名前は、

今治市朝倉にある 「月原ベーカリー」です。

「月の原のパン屋さん」 

パン屋さんの名前に、「月」 の文字が。。。。。。 これも、偶然なのかな。。。。。。。

私だけは、 月の女神、 瀬織津姫の、ご縁だと思いたいなと思います。 




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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-12-19 23:35 | 愛媛県今治市(旧玉川) | Trackback | Comments(0)

こんばんは。
先ほど、間違って、まだ書いてもいないのに、投稿してしまいまして、申し訳ございませんでした。

さて、 今日ご紹介する神社は、 前回の続き、 玉川町に鎮座する 三島家の神社ですが、
今回から、数回にわけて、 大山祇神社や、 三島神社の神紋について 今、私が思うことを書いてみたいと思います。

これから、調べていくうちに、 また、違う考え方がでてくるかもしれませんが、
やっと、 この神紋と、さまざまなことが繋がってきましたので、 一度、書いてみたいと思います。


              亀甲波三文字

大山祇神社を含め、越智家三島家に関わる神社には、すべて、この三文字の神紋が刻まれています。

現在大山祇神社の祭神、大山積命は 「三島明神」とも呼ばれていますが、三島明神とは、三島家が祀る神であり、 原点は、大山積命ではありません。

三島明神も、その神を祀る、大三島も、 そして、神紋にも  「三」 という文字が入っています。
そのこともからもわかるように、 越智家にとって、 そして、 大山祇神社にとっても、

「三」 という数が、 とても重要なのだろうと思っていましたが、 その 「三」 の意味が少しづつ見えてきました。

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上記の写真は、亀甲になっていませんが、
明治神社誌料によれば、三島の神紋は本来、亀甲だったと書かれてあります。

家紋(神紋)とは、ある説によれば、平安時代に発祥したとされていますが、起源は、古代バビロニアにあるとも言われます。
バビロニアとは、 メソポタミア(現在のイラク)南部を占める地域のことです。
(とうとう、 姫の原点を探す旅は、メソポタミア文明にまでさかのぼってきました)

古代バビロニアの神殿遺跡には、は菊花紋を始め花菱、亀甲、舞鶴、揚羽蝶、三桝、三階菱、四目結、九曜などが見られるそうです。

そして、この三文字は、 「月神 シン」 を表わす楔形文字と、同じだというのです。

瀬織津姫は、月神とも言われていますので、これだけでも、十分関係があると思うのですが、
私は、三島のこの 「三」 には、 もっと深い意味があるのだと思っています。

今、私が、この 「三」 という数と結びつくこといくつかあります。

1.三つの山の御神体 
2.三柱の神      
3、三つの島 
4、太陽 ・ 月 ・ 星
5.三位一体
6.三貴子
7.三島とは・・・・

今日、ぱっと思いついたことは、この7つのキーワードです。

越智家にとって、 いや、当時の人々にとって、 「三」 という数は、特別な意味があったのではないかと思います。
だからこそ、 それまでの重要な神様が消され、隠された時、 その重要な場所である、
大山祇神社=三島明神 を祀る神社に、 「三」 の文字を使い、三島明神と言い、その島もまた、
大三島としたのではないかと。


今日は、少し遅くなりましたので、 このお話の続きはまた、今晩に書きたいと思います。
上記の七つのキーワードが、 どんな意味があり、 それが、どのように 瀬織津姫に繋がっていくかみなさんも、一緒に考えてみてください。


では、今日の神社のご紹介です。

                      嶋御門神社

*今治市玉川町中村631
*祭神:
 大山祇神(おほやまつみのかみ)
 高龗神(たかおかみのかみ)
 大雷神(おほいかづちのかみ)
*由緒
 文治元年に河野四郎通信が、三島の神を勧請して全村鎮護の社として創建されたという。

この神社は、 玉川町の鴨部という場所に鎮座します。
目の前に、鴨部小学校があります。

ここは、越智家にとても深いかかわりのある場所と伝わりますが、 この地名 「鴨」 から、
鴨族とも、関係があるのではと思っています。

玉川町は、 朝倉についで、とても古い歴史がある場所です。
大国主命や、少彦名命の伝説も数多く存在し、 古代の舞台の一つだったと思います。

ここから、歩いて神社へ。 遠くに鳥居が見えています。
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ここは、上記の由来でも書かれていますが、河野家が建立したと伝わる神社です。
文治元年とは、源氏と平家の戦い、壇ノ浦の戦いで、平家が滅亡した年です。
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鳥居をくぐり、階段をのぼります。
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拝殿
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そして、ここにも、三島の神紋はありました。
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先日、 子供と一緒に、 「ライフ 命をつなぐ物語」を 見ました。

地球上には、沢山の命があります。
そして、それらすべてに、それぞれの生き方があります。

決して人間だけが、生きているのではなく、 命あるすべてのものが同じように、懸命に生きている。

そして、 人間以外の命は、 自分の命を、新しい命につなぐために、この地球の命のために生きている。
どんな命も、 今のこの地球に必要なもので、 無駄な命なんて一つもない。

「愛」 は 新しい命を生み出すために、未来の命へつなぐために 
神さまから与えていただいた素敵なプレゼント。

命は、この世界に誕生したその時から、この地球上のすべての命と繋がっていることを、
私たちは忘れてはいけない。。。。。。。。。。。




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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-09-30 01:14 | 愛媛県今治市(旧玉川) | Trackback | Comments(4)

こんばんは。

今日は、先日の続き、今治市玉川町に鎮座する神社をご紹介します。

今日ご紹介する神社は、 前回ご紹介した、熊野新宮神社のすぐ向かいの小高い丘の上に鎮座します。
その名は、 「白鳥神社」

白鳥神社と聞いて、すぐ思い浮かぶのは、 「ヤマトタケルノミコト」 だと思います。
ヤマトタケルは、 以前、 熱田神宮のお話の時に、少しふれましたが、 
伊吹山で、 神の怒りに触れ、 その傷が元で命を落としてしまいます。

ヤマトタケルは亡くなった後、白鳥となり、大和を目指して飛んでいき、その後には、羽衣だけが残っていました。 全国には、 白鳥となって舞い降りた ヤマトタケルの由来の場所が数多く存在します。
そのことから、 白鳥神社では、 ここ、玉川町の神社もふくめ、 祭神は 「ヤマトタケル」 が祀られています。

しかし、 私は、 白鳥神社は、本当は別の神を祀っていたところではないかと思っています。

まだ、 はっきりと頭の中で、 決定的なものはないのですが、 ここ玉川町の白鳥神社は、 ヤマトタケルではなく、本当は、ニギハヤヒを祀っていたのでなないかと思っています。

熊野新宮神社は、 前回お話したように、 元は瀬織津姫が祀られていたと考えています。
そして、 目の前で向かいあうように、鎮座する、白鳥神社は、まるで、七夕の織姫と彦星のように祀られているのです。

もう、ご存知の方も多いと思いますが、 七夕の織姫は、瀬織津姫、 彦星は、ニギハヤヒだと言われています。
そして、この七夕のお話の原型となったものが、
羽衣伝説です。

羽衣によって天から降りてきた天女と、その天女に恋する男のお話。
天女は、古代、しばしば白鳥と同一視されてきました。
そして、白鳥にまつわるお話は、日本だけでなく、世界各地にあります。

そして、この天女が、七夕伝説へと繋がるのです。
そして、織姫と彦星が一年に一度出会う 天の川には、 まるで、天の川に大きく翼を広げているかのような、白鳥座があります。

中国の神話では、織姫と彦星を結びつける 「カササギ」という鳥が渡る 橋が白鳥座とされます。

福岡県の 「媛社神社」 は別名 「七夕神社」といわれ、
媛社(ひめこそ)神と織女神 が祀られています。

そして、媛社神は別名が饒速日命とされます。
著書 谷川健一『白鳥伝説』によれば、石鳥居の額には磐船神社と棚機神社の名が併記されているそうです。
磐船神社とは、 その名の通り、ニギハヤヒのこと。
そして、棚機神社は、谷川健一さんは、饒速日命の母である栲幡千々姫命であろうとしていますが、
これは、瀬織津姫のことだと思います。

福岡県宗像市、福岡県沖に、ある沖ノ島の向かいの島、大島には、天ノ川伝説で語られる、宗像大社が鎮座します。
この宗像神社は、辺津宮・中津宮・沖津宮、この三つの宮を合わせて、宗像神社といいますが、
その中の中津宮境内には、天の川と呼ばれる川が流れています。
そして、その天の川を挟んで、中津宮に向かって、左の丘の上に、織姫を祀る神社、織姫神社。そして、右の丘の上には、牽牛を祀る神社、牽牛神社が祀られています。

この織姫神社が、瀬織津姫で、牽牛神社が、ニギハヤヒなのです。
この天ノ川に流れ込む水のことを、「天真名井」 (あめのまない)と呼び、今も、湧き水が、コンコンと、湧き出しているそうです。
伊勢神宮の外宮に、上御井神社、下御井神社が鎮座しますが、これを別名、真名井、天の忍穂井といい、
瀬織津姫が天忍穂耳命をご出産された場所だとも言われています。

少し、話が難しくなってきましたが、 天の川、七夕、天女、そして、 白鳥。 これらはすべて、 瀬織津姫とニギハヤヒに繋がるものばかりなのです。 そして、 さらには、 ニギハヤヒを祖神とする、物部氏(越智家) に繋がります。

ここ玉川町、鴨部と呼ばれる地区は、 物部氏(越智家)の古代の地。
その場所に、 向かいあって祀る神さまは、 瀬織津姫とニギハヤヒだと確信しています。

白鳥神社は、今はとても小さな神社ですが、 その神域は、とても神聖で、且つ、とても強い何かを感じました。
鎮守の杜に降り注ぐ太陽は、ニギハヤヒの光ともいえる気がしました。

*白鳥神社
*今治市玉川町小鴨部白鳥甲390番地
*祭神:日本武命(やまとたけるのみこと)
*由緒
 創祀は未詳であるが、文学博士原秀四郎氏著「越智郡郷土誌材」によれば(日本武命の御領分も本郡内に在りしが如し)(越智郡の小鴨部も白鳥祠あり、是れ景行天皇の御覚召しにて祭り給いしもの今日に在せるものならんか)と、所載されているが、当社のことと思われる。


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丁度、夕日が拝殿の向こうに沈むところで、拝殿に太陽の光がさし、光輝いていました。

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ニギハヤヒと瀬織津姫の姿は、ともに、龍だと言われます。

そして、その姿は、私は、真っ白い龍、 白龍だと。

宮崎駿さんの映画の、 千と千尋の神隠しの、 「油屋」は、 愛媛の道後温泉がモデルになっていると言われますが、 この油屋は、 八百万の神々が集う場所です。

まるで、 日本の神々を復活させるかのような、 この映画の、 主人公、 千尋と、ハク。

人間の千尋と、 神である、 ハク(龍) のお話です。

そして、この映画の中でも、 名前の一部が、消され、 神の世界にいるとその名前を忘れてしまう。
ハクも、自分の名前を忘れてしまっていました。

その名前を思い出したのは、 千尋でした。

ハクのほんとうの名前は、 「ニギハヤミコハクヌシ」(饒速水琥珀主)だったのです。
そして、ニギハヤミコハクヌシとは、 ニギハヤヒのことなのです。

宮崎駿さんは、 ニギハヤヒがどんな神さまで、 その名前をアマテラスに変えられてしまっていたことを知っていたのでしょうか。 そして、 どんな意味で、 この映画に、 ニギハヤヒ登場させたのでしょうか。

真っ白い龍、 コハク川という小さな川を司っていた、ハク。
その川で、小さいころおぼれかけていた千尋を助け、 神の世界で再開する。

そして、二人のお互いを想う気持ちを、 千尋を自分の孫といい、この世界へと導いてくれた、釜爺(かまじい)は、 「愛」 だと 言いました。

宮崎駿さんが、どんな想いでこの映画を作ったのかは、私にはわかりませんが、
私には、 このハクと千尋が、 ニギハヤヒと、 瀬織津姫の魂を受け継いで人間の姿になって甦った瀬織津姫のように思えます。

それは、まるで、 三輪山に伝わる伝説。
神であるニギハヤヒの元に、 嫁いだ、 モモソヒメのように。。。。。。

モモソヒメは、 小さいころ、香川県で過ごしていましたが、 ある時、父である、孝霊天皇に呼び戻されます。
そして、 人間のモモソヒメは、 三輪山の神である、 ニギハヤヒと結婚をしました。
それは、 モモソヒメこそ、瀬織津姫の生まれ代わり、 瀬織津姫の魂をもつ姫だということだったのではないでしょうか。
そして、 瀬織津姫の魂をもつ、 モモソヒメの父もまた、瀬織津姫の父となった。

だから、 物部氏、越智家は、 ニギハヤヒを祖神とし、 さらには、 孝霊天皇を、三島明神(瀬織津姫)の化身と言ったのだと。。。。。。

三輪山から三重熊野方面へ車を走らせと、上北山村というところがあります。
三輪山(ニギハヤヒ) と 熊野 (瀬織津姫)へ繋がる その山の中、
そこには、熊野川水系、上北山最大水量の

「千尋の滝」 があります。

これは、偶然かもしれませんが、 千尋の名もまた、 姫に繋がってくるような気がしています。

もしかしたら、 この時から、 少しづつ、 ニギハヤヒと瀬織津姫は、この世にもう一度復活していたのかもしれません。

ニギハヤヒと瀬織津姫が、もう一度この世に出てくるためには、
千尋のような存在が必要ななのかもしれないとも。。。。。。。。

この時代に、もう一度、 出会うことができれば・・・・

そして、私たちもまた、 真の愛に出会い、 愛の意味を思い出せば、この世界は変わることができるかもしれない。。。。。
  


そして、この歌も。。。。。






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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-09-27 23:53 | 愛媛県今治市(旧玉川) | Trackback | Comments(2)

こんばんは。

今年は、桜が咲くのがとても遅かったのですが、先週末、一揆に満開になりました。
今日も近くの公園の前を通ると、今にも零れ落ちそうな桜の花が、それはそれは綺麗に咲いていました。

今年の桜は、一度に花を咲かせたおかげか、いつもよりも更に美しく感じます。

今日ご紹介する神社にも、綺麗な桜が咲いていました。

「御鉾神社」

今治市玉川町の、鬼原という、不思議な地区にある神社です。
ここは、玉川の奥ではないのですが、地元の人しかあまりいかないような場所にありました。
きっと、今治の人でも、あまり知られていない神社だと思います。

でも、この神社はとても古い時代に建立されていて、不思議な由来が残っているのです。

私も、最初は目を疑いました。
神社の由来の中に出てきたことば 「天之逆矛 (天の逆矛)」

天の逆矛とは、あの伝説の物語、ニニギノミコトが、高千穂峰に突き立てたという伝承です。
一説には、イザナギ・イザナミより大己貴命(大国主命)に受け継がれた 「天の沼矛」をニニギノミコトがこの地に降臨の際、突き立てたものだとも伝えられています。
大国主が、
「私はこの矛を持って様々な地を平定してきた。あなたもこの矛で国を治めるならば、きっと平定できるだろう」
 と、ニニギノミコトに授けたのだといいます。

大国主とは、ニギハヤヒのことでもあると言われます。
もし、この説が正しければ、もともと、この矛は、ニギハヤヒが持っていたことになります。
しかし、古事記が作られた700年代、そう、三島明神が、大山積神に名前を変えられた時、このニギハヤヒが持っていた矛を渡し、国譲り(国の王が変わる)が行われたのではないかと思うのです。

この玉川に鎮座する、「御鉾神社」の伝承が正しければ、この説の一部があきらかになるのです。
もちろん、伝承は、古事記のように、全てが正しいとも、どれが正しいともいえません。
でも、「御鉾神社」の伝承は、おどろく内容のものです。 

その由来は、次のものです。

推古天皇の御代に、国司小千益躬が訓見郡徳威の宮より大三島宮へ天之逆矛を奉遷した時に、当地に滞在して同神の御威徳を後世に伝えるため小祠を建営して御鉾の宮と崇め奉った。
古事記の中で、最後の天皇として登場する、日本で初めての女帝と言われる推古天皇の在位期間は、
593年1月15日 - 628年4月15日。
その時代に、あの鉄人伝説でも名を残す、小千益躬が、大三島宮へ、天之逆矛を奉遷したというのです。
これが正しければ、天之逆矛は、一時、大三島宮(三島明神の宮)にあったことになります。

そして、「御鉾神社」は、大三島に行く前に、この玉川の地に滞在して、そのことを後世に伝えるために鎮座した神社なのです。

訓見郡徳威の宮から、大三島へ奉遷された、天之逆矛。
徳威の宮とは、どこなのか、なぜ大三島へ移されたのか。 その謎は、まだわかっていません。
これからの課題です。

それが、わかれば、更に謎がとけてくるかもしれません。
その日がくるののが、とても楽しみになってきました。

でも、一ついえることは、大三島は、やはり時代が大きく変わる時、その鍵を握る重要な場所だったということ。 そして、ここ愛媛、伊予の国は、まだまだ知られていないだけで、歴史を語る上ではずせない場所だということです。
そして、古事記の国生みの物語の中で、女神 (愛比売)の国となったのにも、とても大きな意味が込められているのかもしれないと、改めて感じました。

「御鉾神社」
今治市玉川町鬼原字惣六谷甲321番地
大山祇神(おほやまつみのかみ)
少彦名神(すくなひこなのかみ)
八千矛神(やちほこのかみ)


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拝殿
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境内社
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ご神木
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本殿
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桜の紋に、右三つ巴
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そして、ここにも、 越智氏の代表家紋。
三島明神の証です。
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今日も、ありがとうございました。






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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-04-12 23:48 | 愛媛県今治市(旧玉川) | Trackback | Comments(0)

こんばんは。

週末いかがお過ごしですか?
今日は、愛媛県と高知県の県境の町に行っていました。

いつもは、愛媛県だけなのですが、
今日は、県境と言っても、高知県。

すごい場所で、私もびっくり!

実は、ご紹介する所がどんどんたまっていて、
順番にご紹介していきますので、
今日のお話は、もう少しお待ち下さい。

では、今日は、少彦名命と大国主命の旅の一つ。

玉川町の天満神社に、やっといくことが出来ましたので
ご紹介させて頂きます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

*天満神社(てんまんじんじゃ)(今治市玉川町葛谷甲318番地)

*主祭神・・・大己貴命(おおなむちのみこと)
    少名彦命(すくなひこのみこと)

*由緒・・・大己貴・少名彦2神が巡狩の古跡で天津宮と称えた。
仁和4年3月菅原道真公巡駕の途次、天津神に奉幣、
正徳4年2月里人たち道真公の遺徳を慕って国司に請い、
北野天満宮より勧請した。


以前もご紹介しましたが、
ここも、命が立ち寄ったと言われる場所です。

そして、その後、菅原道真公がやはりここに立ち寄った時、
お祀りしたのが、始まりとされています。

菅原道真と少彦名命は、
同じ神社に祭られていることが多く、
少彦名命が祀られている神社は、
天神社、天一神社、天満神社と天がつく名前の神社が多い。

どうしてだろう?

それにも、やっぱり理由があったのです。
もっと調べてから、きちんとお話しようと思っていますが、
天神という名前は、もともと、少彦名命が呼ばれていた名前だったようなのです。

それがなぜ?

そこを今調べておりますので、
またの機会にお話したいと思います。

こちらの神社は、
玉川の山の中。小さな部落の中から山の奥へと
数キロ入った所にあります。

ここには、神社から更に奥へと入ると、
釈迦堂というお寺があります。
今回、この釈迦堂にも行ってきましたので
合わせてご紹介させて頂きます。

天満神社への部落からの入り口。

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神社へと続く道に竹林が。そして、眩しい光

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山の途中に、
第一の鳥居が
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拝殿

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本殿への扉

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神社の前の竹林

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ここも、お祭りの前日で、
地元の方がお掃除にこられていて、拝殿から本殿への扉が開かれ
すぐ近くまで行くことが出来ました。

とても静かで、身も心も清められる場所でした。

最近行く所は、山の中が多いのですが、
町の中の神社より、人がほとんど来ない山の中の神社が
本当に心地よいです。

透き通った空気に、自然の香り。
一週間の疲れも吹き飛びます。

では、神社から更に山の中へと入ります。

*宝蔵寺釈迦堂
・国・重要文化財の木造釈迦如来立像が安置されていて、
地元では「お釈迦さん」と呼ばれて親しまれているそうです。

木造釈迦如来立像は、宝蔵寺釈迦堂の本尊で、163.6cmの像高をもつ立像です。
昭和14年の解体修理の際、その胎内から
文永5年(1268)2月4日の日付がある墨書銘が発見されたそうです。

鎌倉時代の仏師興慶の作

この山は、昔からきっと 神域として
崇められいたのでしょうね。

昔は、この釈迦堂を中心として、
この山すその部落に、釈迦堂を囲むように、
7つのお寺があったそうです。

では、釈迦堂です。
お寺への階段

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入り口

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ふと右を見ると、ここにも神社が。

*桂木神社 と書いてありました。

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桂木神社は、山麓の村の氏神さんであると同時に、
釈迦堂の守護神として大和葛城山より勧請されたものらしい。

そして、祭神は
桂木男神(かつらぎおのかみ)
桂木女神(かつらぎめのかみ)
一言主神(ひとことぬしのかみ)


この 
桂木男神(かつらぎおのかみ)
桂木女神(かつらぎめのかみ)のどちらかが、

天照大神(あまてらすおおみかみ)だと思われるのです。
神社についた時、やはり地元の方が
お掃除に来られていて、こちらの神社の祭神さまは?と
伺ったら、天照大神さまと答えがかえってきた。

ということは、
どちらかが アマテラスさまということになります。

アマテラスさまは、現在は女神としていますが、
ここには、同じ桂木神で
男と女があります。

すると、瀬織津姫さまの伝説が本当かもしれないという
一つのヒントになります。

2神は、本当は、一つの神で、
瀬織津姫は、
荒御魂(撞榊厳魂天疎向津姫命(つきさかきいつみたまあまさかるむかつひめ)

それを裏づけるかのように
伊勢神宮内宮の別宮の荒祭宮祭神は、瀬織津姫であることが記されています。

そして、ある説では、それぞれは夫婦または一つの神で
天照大神は男神で、瀬織津姫は女神だと。

しかし、ある時代、政治的な理由から
瀬織津姫の名前は、神社から消え、お祀りすることも
許されない時代があったのです。
しかし、他の名前で、瀬織津姫はお祀りされたり、
または、それでもこっそり残してある神社もあった。

この神社は、
そんな時代を、

桂木男神(かつらぎおのかみ)
桂木女神(かつらぎめのかみ)

と名前を変え、時代を超えてきたのかもしれないと。

やはり、二神の神は
夫婦あるいは、一つの神だったという説の大きなヒントに
なるかもしれないと思いました。

ここで、姫様に出会えるなんて。。。
本当に、びっくりでした。(山水さん(瀬織津姫の著書の方)にこのことを伝えなきゃ!)

では、神社です。
神社入り口
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拝殿
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本殿
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こんな所で
姫様に会えるなんて、本当に感謝です。

では、続けて
釈迦堂です。

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本堂

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この中に、いらっしゃるのでしょうか。。

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山への登山道があり、
その途中展望台がありました。海まで一望できます。

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この山の山頂に、蓬莱様が祀られてあり、
この山の名前も、蓬莱山というそうなのです。
山頂には行くことが出来なかったのですが、「不老長寿」の山かもしれないと。

こんな場所が今治にあるなんて。。。

本堂の横には菩提樹が。

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神様と仏様。
ここも、神仏習合の場所でした。

神も仏も、本当は一つ。空海(弘法大師)もそう思われていた。
世の中がよい世界になるように。。。
太古の時代から、想いはずっと変わらない。
そして、これからも永遠に、変わらない。


本日も本当にありがとうございました。

お休みなさい☆



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私が行った、オススメパワースポットを地図で紹介。

愛姫愛媛パワースポット地図
by ldc_nikki | 2010-11-14 01:24 | 愛媛県今治市(旧玉川) | Trackback | Comments(0)

パワースポット温泉

こんばんは。

夏休みは、何かと忙しくて、自分の時間がなかなか取れませんね。

もうすぐ夏休みも終わり、早く、学校に行ってくれないかな~。と思う今日この頃です。


夏休み中は、あまりゆっくり神社に行く時間がなく
神社のご紹介が出来ませんが、その他の話題で書こうと思います^^


先週書こうと思っていた 「温泉」


私は昔から温泉が大好き。


数年前までは、必ず1ヶ月に何度かは温泉に行っていたのですが、
子供が大きくなるにつれて、なかなかいく時間がなくなってきました。

先週、ほんとに久しぶりに、温泉へ行ってきました。


私がこの辺では一番好きな温泉。

今治市玉川にある、 

「せせらぎ交流館」

この温泉は、日帰り温泉で、お湯は 「鈍川温泉」



「鈍川温泉」は、道後温泉のように有名ではありませんが、
お湯は最高です!

美人の湯で有名で、
透明の少しぬるっとした温泉です。


玉川町は、神ノ森という名前の山があるように、
高い山ではありませんが、とても神秘的な山です。

そして、この温泉は、そんな山のすぐ側にあり、
すぐ横には川も流れています。

露天風呂は、川の音や、山の木々の揺れる音、鳥の鳴き声。
自然の空気をたっぷりと浴びながら、温泉に入ることが出来ます。

私は、この自然の中で入るこの温泉が一番のお気に入りです。

自然の空気と、良質の温泉で、
疲れも吹き飛びます^^
今回行って思ったのです。


この温泉は、

「パワースポット温泉」だな~。と

お肌もつるつる、体も元気に、
そして、露天風呂の横で、しばらく横になって、
自然の空気をゆっくりと体に入れる。

自然の音に耳を澄ませ、
下界のことを忘れる。

すると、ストレスもなくなりますよ~。


皆さんもたまには、近くの日帰り温泉に行ってみて下さいね^^


「玉川せせらぎ交流館」

愛媛県今治市玉川町鈍川甲218-1
入浴:10時30分~21時00分(20時30分札止め)
軽食コーナー:11時00分~20時00分
毎月第2・第4月曜日(祝日の場合は翌日以降間近の平日)及び12月31日、1月1日



「こんな川が横にあります」

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「川に入ることも出来ますよ」

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「建物はこんな感じ。中で簡単な食事も出来ます」

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地図はこちら↓

「玉川せせらぎ交流館地図



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私が行った、オススメパワースポットを地図で紹介。
まだ始めたばかりですが、これからどんどん増やしていきますので
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愛姫愛媛パワースポット地図
by ldc_nikki | 2010-08-23 21:50 | 愛媛県今治市(旧玉川) | Trackback | Comments(0)


こんばんは。
今日からお盆の帰省ラッシュが始まりましたね。

皆さんは、どこかへお出かけでしょうか? 
私は、明日まで通常通りの仕事です。

お盆は、ご先祖さまのお墓と一緒に、産すなの神様にも
参拝されるといいそうです。

どうぞ、楽しいお休みをお過ごし下さい。



昨日の夜、突然、ある神社に行きたくなりました。

どうしても、すぐに行かないと行けない気がして、
今日は、1時間だけ有休をとって、山の中の神社へ行ってきました。

今日行った神社は、先日紹介した、るり姫の滝にあった、
白山大権現と同じ、白山神社です。


何ヶ月か前に、今治市玉川町の神社を探していた時に、
何故だか一番気になった神社がここでした。

どんな神社かも、詳しいことは書いてなかったのですが、
何故か、気になっていました。


ここは、

今治市玉川街畑寺という所にあります。

玉川から朝倉という町へ行く道沿いの山の中。

近くにお寺があることはわかっていたので、そのお寺を目印に行きました。
お寺の名前は 「光林寺」


山すそを走っていると、お寺の看板がありました。
看板のとおり、左へ曲がると、細い坂道。

道なりに上っていくと、
お寺がありました。

でも、神社はどこにもありません。


とりあえず、お寺で聞いてみることに。
すると、神社は、お寺のすぐ裏山にあるとのことでした。

車を降りて、まずはお寺へ。

初めてきたお寺、想像していたより大きなお寺。

そして、まず目についたのが、

「弁財天」 お寺の中に、弁財天さまが祭られていたのです。

「弁財天」さまは、瀬織津姫さまとも言われている神様。
やっぱり、姫さまに導いていただいたのかと、とても嬉しく、感謝の気持ちでいっぱいになりました。

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そして、その横には、水子供養。

そして、何故かそこに、恵比寿さまが いらっしゃいました。

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そして、奥へと進むと、

弘法大使さまが。。。。。


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その向こうにも、

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光林寺は、弘法大使と長慶天皇のゆかりのお寺。
そして、明治の神仏分離の大波を受けながらも、今もこうして歩んでいる。

とても、凄い所に来させて頂いたんだと、思いました。


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次は、今治にお城を築いた 「藤堂高虎」の慰霊塔

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そして、最後は 毘沙門天

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七福人が、全ていらっしゃいました。


そして、いよいよ、神社へ。

お寺の本堂の横を山へと上がって行きます。


すると、大きな二本のご神木が見えてきました。


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木の迫力に圧倒されながら、
鳥居をくぐると階段があり、更に、杜の中へ。


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木と木の間から、青い光が、眩しいくらいに光っています。

階段を上がると、拝殿がありました。

周りは、木々に覆われ、鳥や虫の鳴き声が響いています。

人の気配はなく、神聖な空気に包まれています。




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:白山神社:

:御祭神:伊邪那岐命
      菊理媛神

いざなみの変わりはてたすガタを見て、黄泉の国から、イザナギは逃げ出します。
しかし泉津平坂(黄泉比良坂)で追いつかれ、そこでイザナミと口論になります。

その口論になった時、
菊理媛神が何かを言うと、イザナギはそれを褒め、帰って行きました。

このことから、
菊理媛神はイザナギとイザナミを仲直しさせたとして、縁結びの神とされています。

また縁結びだけでなく、対立を治める女神様でもありますから、
人間関係で悩んでいる方は、菊理媛神の所へ行かれるとよいかもしれません。


また、あの世とこの世の次元の橋渡し。
次元を超えて、亡くなった愛する人へメッセージを届けてくれるかもしれません。


参拝をすませ、本殿の方へと行ってみると
小さな、拝殿が。。

ここにも、とても大きな二つの木が

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そして、拝殿の方へと戻り、
ふと周りを見渡すと、杜の木々が光輝いています。


その中でも、ひときわ輝いている場所がありました。

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写真を通さなくても、本当に、眩しいくらいに、
この場所だけ黄金色に輝いていました。

これが、何を意味するのかはわかりませんが、
ありがたい。。。


本当に、ありがたいです。。。。


自然のパワーを頂いて、今日もぐっすり眠れそうです。

今日も、ありがとうございました。

明日もよい一日になりますように。。。。 皆様に幸せが訪れますように。。。。












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by ldc_nikki | 2010-08-12 23:21 | 愛媛県今治市(旧玉川) | Trackback | Comments(0)

数あるブログの中からお越しいただきましてありがとうございます。 不思議な数々の出会いから、今は、愛媛の神社めぐりをしながら、神社や女神様そして、神話の神々の伝説を調べています。
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