こんばんは。

今日は、今治市波方町宮崎に鎮座する 「御崎神社」です。

ここは、以前にも一度ご紹介した神社なのですが、
その時は、すぐ近くまで行き、御崎神社に繋がる参道を通っていませんでした。

そこで、今回もう一度、
ご紹介させて頂きます^^

今治市波方町 「宮崎」

ここは、縄文時代から人が住んでいたと伝わる場所の一つです。
また中世には、海賊が滞在する場所ともされていたと言われ、
この宮崎には、海賊だった人々のお墓もあるようです。

しかし、今行くと、かなりの絶壁。

こんな所に人が住んでいたなんて。。。
と思ってしまいますが、私たちと古代の人々の感覚は
全く違っていたのでしょうね。

ここは、高縄半島との一番北側に位置し、
愛媛県の最北端でもあります。
正確には、大隅半島が最北端になります。
(ここには、弘法大師の伝説があります)




一説によると、
この宮崎という地名は、大山祇神社とも繋がるのではないかとも言われています。

宮崎の宮とは、大山祇神社のことを指すとも。

宮崎の鼻には、現在最先端に灯台があります。
この御崎神社は本来、その灯台のあったところに鎮座されていたといいます。

しかし、その時は現在の名前ではなく、
香取神社と呼ばれていました。

そして、キーワードの年、

神亀5年(728)に、
ここに、二つの神社が合祀されて御崎神社が建立されました。

この年代から見て、
この場所に移された時に、神さまの変更があったと考えられます。

現在の祭神は 「猿田彦神」 とされることが
更にそれを物語っていると思います。

そして、この御崎神社には、冒頭でもお話したように、
山桃が植えられた参道があります。
現在は、舗装された道ができたため、車でも御崎神社へ行くことができますが、
昔は、この参道を通って参拝に行っていたといいます。

樹齢数百年と言われるこのやまももの木は、
この山の中に、約300メートルも続いています。
民家もない山の中は、まるでもののけの世界です。

御崎神社から更に灯台の方へ行くと、
七五三ケ浦という海岸があります。
この辺りに、縄文時代の遺跡が多数存在するそうです。
ここは、とても美しい海岸で、
私も昔はここまでよく泳ぎにきていました。
当時は、この場所がそんな場所などとは考えてもいなかったのですが、
今治とは思えないこの景色が好きで、
よく来ていた場所です。

でも、今考えると 「七五三」とはすごい名前ですね。
七五三の起源については、まだ確信がありませんので
はっきりとわかった時にお話したいと思います。

七五三ケ浦を過ぎ、
灯台があります。
この灯台には、映画の撮影のためにこの地を訪れた森繁久弥さんが
あまりの美しさに感動し、詠んだ歌が刻まれた石碑があります。

今回はここまで行っていないのですが、
この灯台をさらに歩いて進むと、
そこには一本のロープが下へとぶら下がっているそうです。
それは、下の海岸へと降りるためのロープのようで、
古代の人々は、もしかしたらこんなロープをつたって
下へと降りていたのかもしれないと想像させられます。

まずは、御崎神社に続く参道と、参道の手前にある
海の中の鳥居からご覧ください。

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この鳥居の向こうに見える山の中を通って神社に向かいます。
参道の入口が、この鳥居の方向にあるのだと思います。

ここが、参道の入り口。

別名 「やまもものこみち」です。

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小さな狛犬にお出迎えされ
山の中へと入っていきます。

参道の地面は、多くの落ち葉で埋め尽くされ、
まるで葉っぱのじゅうたんです。
そのおかげで、地面がふわふわして、コンクリートの道を歩くよりも
ずっと歩きやすい。
この落ち葉がまた栄養となって地面へと吸収されていく。
こうして自然は循環しているんだなと、感じる場所です。

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小鳥たちのさえずり、心地よい風、
こんな場所が市内からすぐのところに残っていることに
感謝です。

3分の2くらい進むと、
神社の名前が刻まれた石碑があります。
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約300メートルの参道の両側に
まるでトンネルのように植えられた山桃。

一瞬、黄泉の国から伊邪那岐命が逃げて帰るその姿を
想像してしまうようなそんな場所です。

古事記のあの場面を再現するかのように、
ここに山桃が植えられたのかと思ってしまいます。

黄泉の国とは、姫のいる場所を示す所でもあり、
その帰る途中、追いかけてきた鬼女たちを、
桃で追い返す。
桃には、邪気を祓う力や不老不死を与える力があるとされていました。

ここでもまた、姫は自分で自分を退散させられてしまったのですね。

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参道を抜けると、
神社の鳥居の前に出ます。

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境内へ入ると、まっさきに目つくのが、
この牛。

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昭和30年ころまでは、
田植えの終わった近郊の農家が、牛馬を休ませて、
この神社に参詣し、また牛のわらじを造って奉納し、
牛馬の護札をうけて畜舎に飾って農作業の安全と豊作を願ったと言います。

拝殿
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神紋は、やはり三島紋

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でも拝殿には、本来の神社に由来する神紋であろうものが
二つ一緒にかかげられていました。

一つは 「十六菊紋」
もう一つは 「五三の鬼桐」

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今、古代の沖縄と大和の関係について調べています。
古事記の中で、日本国とされていなかった沖縄。

しかし、その沖縄にも、
大和で起こったことを伝えるさまざまな伝承があることがわかってきました。

沖縄の神は、
本来の倭が伝えた神だったのです。
そして、封印された本来の神を、
唯一沖縄だけが、ずっと祭りつづけていました。

そして、どうして沖縄だけが
残ったのか。
それを物語る歌が、今もある一部の人々の間で
歌われつづけているということです。

沖縄生まれで、ここ愛媛に移り住み
長年くらしていた 名護博さんという方が
「赤碗の世直し」という本を書かれています。

数年まえに、知人から突然渡された一冊の本。
まだ、何もわからなかった当時、私はその本の意味が全く理解できませんでした。
でも、今やっとその意味が繋がってきました。

世の中を戦いのない世界にしようと、
立ち上がった女性たちがいました。
それが、卑弥呼を中心にした邪馬台国連合。

その女性たちの想いは、
ここ沖縄にも伝わっていたのです。

う-とーと-  いづがぎー あめーらわん 
てだがぎー ほくらって 神の生まりたちや
大和のふそ(ん)の御獄 
うちなーならわん よかるならわん すぢが元たてて
親の神は うんつけーしやびら
大和から下たる 赤碗のよのーし
中盛らち 御酌しゃびら 
やしろから下たる 黒碗のよのーし
端盛らち 御酌しゃびら

「水と太陽の霊も寄りつく私たちの崇める神は、ヤマトの中心の国のお生まれである。
この神を崇めるのは今や沖縄だけになってしまったが、スジを曲げないでこの神にお仕えし、ご御招請しよう。大和・山城から伝わった赤碗の世直し(碗)に、神酒を溢れるほどに注いで捧げます。」

ここ日本では、女性が 「鬼」とされ、数多くの伝説に伝えられてきました。
その鬼女とは、女神の姿でもありました。

しかし、沖縄では、
戦いで命を奪う 男性を 「鬼」 とし、
女性たちの間で、代々その伝承を受けついできました。

なんだか、この歌が、この女性たちが立ち上がったこの時代が、
今の世の中にかぶります。

「戦争」という命の戦いは、今日本ではありませんが、
その代わり、
「お金、権力」 という新たな男性社会の争いが、まるで戦争のように、
行われているような気がします。

私が、今していることは、単に古代の謎を解きあかしているのではなく、
もう一度、本来の争いのない、命を中心にした世界へと
還るためにどうしてもしなければいけないことのように思います。

そして、女性たちが、
男性と同じような戦いをするのではなく、
女性にしかできない戦いを始める時ではないかとも思うのです。

命を守るために。。。。。。。




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by ldc_nikki | 2012-06-23 23:10 | 愛媛県今治市(旧波方町) | Trackback | Comments(0)

こんばんは。

昨日、今日と二日続けて久万高原町へ行ってきました。
半年くらい行っていない間に、新しい道路ができていてびっくり!

綺麗なトンネルができ、一段と久万高原町へ行きやすくなりました。
久万高原町を抜けると高知。そこには越知町があります。

今日は時間がなくて行くことができなかったので、今度はぜひ行きたいと思います。

どうして、あの山の中に「越知(おち)」という地名ができなのか。。。。。

今日は、今治市波方町の神社です。

波方町は、今治市の西の端。縄文時代から人が住んでいたところでもあり、
海賊の船がついていたところでもありました。

しかし、今治の中でも古代の歴史はよくわかっていないところです。
縄文時代から住んでいた人たちは、その後どうなっていったのでしょう?

今回訪れた場所は、波方町の中でもひときわ大きな神社

「玉生八幡神社」です。

波方港の目の前にあるこの神社は、舒明天皇の御代から祀られていたとされるとても古い神社です。

舒明天皇とは、629年~641年の間の天皇で、ちょうど松山市の久米に政庁がつくられた時代です。

639年、舒明天皇は伊予の国へ下向している途中に、この波方の海岸に御泊船になりました。

その夜、沖の汐が二筋に流れその間に光輝を発したので小舟を使わすとそこには一つの筒がありました。
そっと覗いてみると、その中には、二つの玉がありました。

「これ奇しき住吉大神なり、此の里の生土祖と斎い玉生神と招禱し奉れ」と詔勅ありました。

これが、玉生宮の創祀となったと言います。

後に清和天皇の貞観元年に、宇佐八幡大神を山城男山へ勧請奉遷され、
その帰航の途中、この地に碇泊したとき、玉生宮より五色の雲気が立ち上がり、同時に船中よりも光輝を発する神験あり、ここに社壇を築き分霊を鎮祭したが、宇多天皇の御宇に両社を併せて玉生八幡宮と称えたといいます。

ここでもまた、五色の霊気が立ち上がりました。

五色の霊気とは、陰陽五行説と関係があると思われる表現です。

これまでは、玉生宮と八幡神は別々に祀られていました。
それが宇多天皇の御代に合祀されて一つになったといいます。

そこにどう意味があったのか、まだはっきりとわかりませんが、
ここに住由大神の二つの玉が現れたことが、何かを物語っていると思います。

そして、、舒明天皇が伊予の国へと下っていったのは、道後温泉に入るためとされていますが、
その時、道後の隣久米では、政庁がつくられようとした時代です。

時代が大きく動き始めたこの時、、舒明天皇は本当に道後の湯に入るために伊予の国を訪れたのでしょうか?

私はこの時代の歴史も、大きくかえられているような気がします。
このころから百済に関しての歴史が増えてきているのも、後の歴史に繋げるためだったのではないかと思います。

本来の天皇が行っていたこととは、全く別の歴史に変えられているような気がします。

*玉生八幡神社
*今治市波方町大字波方字宮ノ下甲1616番地
*祭神
品陀和気命(ほむだわけのみこと)
帯中津日子命(たらしなかつひこのみこと)
息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)
底筒之男神(そこつつのおのみこと)
中筒之男神(なかつつのおのみこと)
上筒之男神(うわつつのおのみこと)
多紀理毘売命(たぎりひめのみこと)
狭依毘売(さよりびめ)別名(市寸島比売命)
多岐都比売命(たぎつひめ)

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拝殿
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本殿
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境内社の中に、龍神社が。。。
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先週の土曜日、祖母が入っている介護施設のお花見があり行ってきました。
祖母は、今歩くことができず家の構造上、家で生活することができないため、介護施設にいます。

そこに入っているみんなでのお花見でした。

私と祖母の隣に座っていた、おばあさんは、家族の方の席が用意されていたにも関わらず、
来ることはありませんでした。

私があいさつをすると、ニコっと笑ってくれていたのですが、
その後、お弁当を食べ始めた時、介護士の女性がおばあさんの隣にきて、

「お弁当美味しい?」 と聞くと、

急に泣き始めました。

わけを聞くと、家族が誰もこないから 「寂しい」 と。

きっと急な用事でこられらなかったのだと思います。
でも、泣いている姿を見ていたたまれない気持ちになりました。

若くて、自由になんでもできる時は、一人でもそんなに寂しくなかったかもしれません。

でも、病気になったり、年老いた時、人は本当に大切なものを身に染みて感じるのだと思います。

若い間は、あれもしたい、これもしたい、あれが欲しい、これも欲しいと、
家族のことなどほったらかしで、自分のことが第一。

だから、その立場になってみないと、その気持ちはわからないのかもしれません。

人は、何のために生まれてくるのでしょう。
人は、何のためにに生きているのでしょう。
人の命に限りがあるのはどうしてなのでしょう。

私は、祖母や祖母のまわりの人たちを見て、改めてそのことを考えさせられます。

花や木、動物も、星も、全てのものに、誕生と死がある。
花が枯れてしまうように、木が枯れてしまうように、
動物もやがて老いて亡くなるように、星もいつかは、星屑のなってしまうように、

私たち人間も同じように、老いて枯れ、やがて命は終わる。

それが、「命」 を持ったものの宿命。

みんな同じ、人も自然も、星も。

ほんの少し違うことは、人には 「感情」と「欲」があること。

「感情」・「欲」 とどう向き合うかが、人間に与えられた試練であり、プレゼントなのかもしれません。



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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2012-04-09 23:58 | 愛媛県今治市(旧波方町) | Trackback | Comments(0)

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【お知らせ】

神社に行きたいけど、なかなか一人では行けない。

場所がわからない、一緒に行ってみたい。。。。そんな方々の為に、

「愛姫伝☆日帰り神社めぐり」をやってみようかなと思っています。

日時:9月4日(土曜日)
    朝10時頃スタート。

場所はまだ未定です。

もし、一緒に行ってみたいという方がいらしゃいましたら、
このブログのコメントにお寄せ下さい。

沢山の新しい出会いがあればいいな。と思っています。

ご参加、お待ちしています。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




こんばんは。愛媛は雨も上がり、まもなく梅雨明けとなりそうです。

そして、あちこちで夏のお祭りが始まります。
縁日に花火、踊りに太鼓。 ブログでもお祭りの様子をお伝えしていきたいと思います。


今日は、今治市の一番北の端の岬にある神社をご紹介したいと思います。
今治市の一番北は、愛媛県の一番北の端。

今日の神社は、今治市波方町「宮崎」にある神社です。

ここは、市内から約20分位車で走った所にあります。今治とは思えない景色で、私も大好きな場所です。

そして、今治のスピリチュアルスポット、自然のエネルギーが沢山頂ける場所だと思います。



大浜の八幡神社で、お祓いをして頂いた後、桜井の神社に行ったのですが、
行っている途中、 「宮崎」 がふと頭に浮かび、行く事にしました。


宮崎は、今治の中で、昔からの自然が残る海岸の唯一の場所のような気がします。

宮崎に行く山道は、途中までは綺麗に舗装されていて所どころから瀬戸内海の美しい景色を見ることが出来ます。山を越えると海岸に出ます。

そして、神社のある山へと上がる手前に、海の中の鳥居があります。

私達が行った時は丁度引き潮の時で、鳥居は水の中から出ていました。満ち潮の時は、海の中にありますが、潮が引いていたので、鳥居をくぐることは出来ました。

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鳥居の後ろに山が見えました。この山がご神体?
実は、この山に神社があることはこの時まだしりませんでした。


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静かな、瀬戸内海の海がとても綺麗です。
この鳥居から向こうは殆ど家もなく、山へと続いています。ここからがもう聖域。

海のパワーと山のパワーを同時に受け取ることが出来るような気がします。


昔、この山の途中の砂浜に泳ぎに行っていたことがあり、なんだか懐かしく、また山がとても気になり、私が泳ぎに行っていた砂浜まで行ってみることにしました。


山に入る入口の所に、小さな看板が。


「御崎神社」


(この奥に、神社があるんだ!!) 

昔何度も、この道を通っていましたが、神社があるなんて全くしりませんでした。
そして、山の中に小さな道が続いていて、その道は神社へと繋がっているようでした。

山の中の道は、とても神秘的な雰囲気。私達は車で行きましたが、この山道を歩いて行くのもいいかもしれません。

細い山道をぐるぐる回るように進んで行くと、左に鳥居がありました。

ここからは、歩いて行きます。


鳥居をくぐると、山の中の参道へと続きます。
この参道には最大規模のヤマモモの巨木群があり、波方町の天然記念物になっています。

潮の香と山の木々の香。鳥の泣き声。静かな参道を下って行くと、拝殿が見えてきました。

殆ど人がくるような場所ではありませんが、神社はとても綺麗にされていました。
この地区の人達は、しっかりと神社を守っているんだなと思いました。


最後の鳥居をくぐり拝殿へ。


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*御崎神社

:御祭神:日子穂々出見命(ひこほほでみのみこと)
      猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)
      句々比売命(くくひめのみこと)

(神亀5年(728)に創設と伝えれれています。)


こちらの祭神さまの中の、日子穂々出見命(ひこほほでみのみこと)さまは、昨日のお話の中に出てきた女神さまととても深い関わりがあります。

ニニギとコノハナノサクヤビメとの間のお子様で、トヨタマ姫を妻とし、ウガヤフキアエズ(カムヤマトイワレヒコ(神武天皇)の父)をお生みなられ、高千穂宮で伍佰捌拾歳(580年)過ごして亡くなったと言われている、山幸彦です。
トヨタマ姫の妹 玉依姫神が昨日のお話に出てきた女神さまです。

内子の山に入る前に出会った、天神社の玉依姫神さまが、この場所を導いて下さったような気がします。


そして、もう一人の御祭神、猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)さまは、行動と直感の神様。
猿田彦大神は、天から下りてきた邇邇芸尊を迷わないように、高千穂まで導くという道案内をした神様です。

長い鼻持ち、八咫鏡のように光輝く目を持っていたと言われています。

何かに迷い、踏み出すことが出来ない方は、猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)さまの所へと行かれるといいでしょう。

直感を信じ、恐れを捨て前へと進みなさい。そんな風におっしゃている気がします。

最初の1歩は、頭で考えるのではなく体を動かすこと。そんなことを教えてくださっている気がします。
動いていれば、何かが動きはじめる。
人は、頭で損得を考え、利益を考え、失敗を恐れる。

でも、本当に進むべき方向は、目の前の損得や利益を考えていては進むことは出来ない。

諦めない限り、命のある限り、道は永遠に人生という道は続いていき、「失敗」という言葉はないのだと私は思います。 今起きている出来事がないと、次の道へとは進まないのだから。

だから、恐れを捨て、自分を信じ、動く。

一瞬のひらめき、一瞬の想いを逃さぬよう、心に素直に。。。。。。

また、猿田彦大神は私達に必要な縁を引き寄せる神様でもあります。

人の未来は、沢山の縁から繋がっていく。

一歩を踏み出す勇気がほしい時、猿田彦大神さまの神社へと行き、心静かに、祈りを捧げてみてはどうでしょうか。


神社を後にする時、参道へと入る入口の鳥居を写してみました。

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木々を優しく照らす光が映っています。

本当に有難い、有難い。。。。。。。



神社のある山の下には、美しい海岸があります。


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もし行かれることがありましたら、是非、この海岸にもお立ち寄り下さい。


今日も本当にありがとうございました。










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by ldc_nikki | 2010-07-16 00:31 | 愛媛県今治市(旧波方町) | Trackback | Comments(0)

数あるブログの中からお越しいただきましてありがとうございます。 不思議な数々の出会いから、今は、愛媛の神社めぐりをしながら、神社や女神様そして、神話の神々の伝説を調べています。
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