こんばんは。

今日もまず、神社のご紹介から。

今日ご紹介する神社は、昨日ご紹介した神社のすぐ近くに鎮座される、

「眞名井神社」 です。

ここは、神社庁に登録されていないし、 神社にも何も由緒が書かれてありませんでしたので、詳しいことはまだ何もわかっていません。

でも、眞名井神社とは、以前もご紹介しましたが、瀬織津姫と深いかかわりのある神社。

そして、ここに祀られる祭神

「五男三女神」 も、 瀬織津姫封印の鍵をにぎる神様です。

宗像神社や、宮島の厳島神社の所で、詳しくご紹介しましたが、アマテラスとスサノオの誓約のさいに、誕生した神様です。

そして、古事記では、この中の 一柱、

「正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命」が、ニニギの父となります。

厳島神社では、 客神として、主祭神である、三女神に参拝する前に、必ず参拝しなければいけない神として、入口に祀られています。

詳しい説明は、「客神社と厳島神社のつながり保内町 客神社」の所でしていますので、 よかったらお読みください。

「客神社と厳島神社のつながり保内町 客神社」

卑弥呼の時代に祀られた瀬織津姫の神社のすぐ近くに、祀られる 眞名井神社。
何か、とても深い意味があるような気がします。
そして、この境内の中に、もう一社、不思議な神社がありました。

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拝殿です。
どうして、神社庁に登録されていないのか、不思議なくらい立派な神社です。
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そして、ここにも、三島の神紋があります。
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そして、この拝殿の裏側の、神域の中に、その不思議なもう一つの神社がありました。

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神社の名前は、 

「おつぐろさん」

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「おつぐろさん」  ってどんな意味なのでしょう?

少し調べてみたのですが、全く見つからず、まだ、どんな意味があるのかわかっていません。
でも、このおつぐろさんを祀っている氏子の方々の、名前が刻まれていました。

「御手洗氏子中」 

そうなんです。 このおつぐろさんを、氏神さまとしている人たちは、 「御手洗」 瀬織津姫の祓いの意味と同じ意味をもつ名前だったのです。

「乙」? 「黒」? さん という意味なのかと一瞬思ったのですが。。。。

「乙」 は二番目という意味があり、 「乙姫さま」 の乙でもあります。

そして、 「黒」 

姫を色にたとえるならば、 本来なら、 「白」 

白蛇、白兎、月、鷺。 瀬織津姫の真の姿は、 「白」 ですが、 それを、わざと、「闇の世界」 「黒」にして隠したのではないかと、思いました。

今度、折をみて、大西の方に、聞いてみようと思っています。
もっと、詳しくわかれば、また、お話させて頂きます。

ただの私の勘ですが、このあたり一帯は、瀬織津姫を消されたさいに、抵抗した人たちが住んでいた場所ではないかと思います。 
そして、残った人々が、秘かに姫を祀り続けた場所だと、そんな気がします。

今日の新聞に、大三島のみかんのことが、掲載されていました。
その記事を見て、びっくり。

みかんの写真と共に、大きく書かれた文字 「不老不死」 

そこは、大三島の中で、唯一、「小みかん」 という小さなみかんを栽培されている農家さんでした。
不老不死の果物と言われた、小みかんは、 「河野通直が、大山祇神社から贈られてきた、このみかんを食べて、病気が治った」 と記していたのです。

ここ数日、みかんと、不老不死のことばかりを考えていただけに、この記事とのシンクロに、驚きました。

「不老不死 = 瀬織津姫」 

ここ数カ月、このことばが、頭から離れることはありません。

今日は、私が二年前から、ずっと気になっていた、もう一人の姫神と、瀬織津姫の関係がやっとつながったお話をさせて頂きます。

今の職場で働き始めて、もうすぐ丸二年。
そこで、七人の姫に出会いました。 どうして、姫かといいますと、その出会いがきっかけで、
七人+一人=八人 の地球の循環を意味する姫を、つくったことにあります。

その中の一人の女の子のおじい様は、
奈良県は吉野、今はダムの中に沈む、 丹生川上神社上社の元宮司さん。

まだ、この時初めて、この神社の存在を知り、調べてみると、ここには、丹生都姫という、美しい名前の姫神さまが祀られていたことを知りました。

それから、ずっと、気になっていたのですが、 その半年くらいたった時、 突然、私もツイッターを初めてみようかなという気持ちになり、 さっそく登録。

そして、登録して間もないころでした。
まるで、その方に出会うために、ツイッターを始めたのかと思うくらい、偶然見つけた、
丹生川上神社上社の名前。

その方は、以前も少し紹介した、古事記を世の中に広めようと、自費で、お子様でも読めるように訳した、
古事記ものがたりの本を出版されている方。

その方が、この、丹生川上神社上社が、ダムの中へと沈む前に、神社の鎮魂の祭を開催され、そこで巫女をされていたのでした。

その様子を写真で見た時、 ここもきっと瀬織津姫と繋がっている。 と直感的に思いました。

でも、その時は、何の根拠もありませんでした。
ただただ、その中に、沈んでいく龍の姿が、とても悲しく、でも、力強く見えたのでした。

あれから、二年。

やっと、ここ、丹生川上神社上社の姫神さま 丹生都姫さまと、瀬織津姫さまが、同じだったことがわかりました。そして、あの龍もまた、姫の姿。 そして、あの時、つくった水の姫、姫を守る神として造ってもらった、白龍もまた、瀬織津姫だったと、繋がったのです。

二柱の姫さまを結びつけたものは、

「不老不死の仙薬」 です。

古代の人々、日本で、不老不死の伝説と言えば、 「徐福」 が、不老不死の薬を求めて日本に旅だったのは、不老不死の薬をつくるために必要なものが、ある場所だったのかもしれません。

不老不死の体をもつためには、ある仙薬が必要だとされていました。
西洋では、錬金術、中国では、錬丹術とよばれる 術を使い、古代の人々は、不老不死の仙薬をつくろうとしていました。

西洋では、「錬金術」 字の意味するように、 「金」をつくることが目的になっていったのですが、
中国では、「錬丹術」 といい、 不老不死を目的として、 同じような手法で、その仙薬をつくろうとしていました。

そして、そのどちらにも、必要だったもの、不老不死の体をもつために、どうしても必要とされていたのものが

「丹(に)」でした。

丹とは、丹砂、またの名を、「辰砂(しんしゃ)」 といい、硫化水銀のことです。

不老不死の仙薬をつくるためには、この丹砂が必要不可欠でした。

また、古代の祭祀にも、この 「丹」 は、かかせないものだったのです。

「水銀」 は、金属でありながら水のような性質を持っていることから、

「あらゆる鉱物の母」 と呼ばれていました。

そして、その水銀に、火を加えることにより、新たな力(不老不死)が誕生されると思われていたのです。

それを、太陽の王と月の王妃の合体によって生まれた子供と呼んでいたのです。

水銀とは 「月の水」 そして、 火 とは 「太陽」 

ここにもまた、 月と太陽の関係がありました。

古代の人々は、月の力と太陽の力を統合し、 不老不死の力をえようとしていました。

その月の水とは、 「水銀」 そして、それは、 「丹(に)」 の中にあったのです。

「丹砂 = 水銀」 は、火を加えることにより、 その色は 「白」 から 「赤」へと変わっていきました。

「赤」 とは 「大」 いなる 「火」の色をあらわします。

そして、加熱させ固まっていく、その赤い土は、 悪霊を防ぎ追いはらう呪力を持ち、
その過程の中で、吹き出す液体は、 不老不死の力をもつと思われていたのです。

悪霊を防ぐために、顔に赤い土を塗り、その土を使い祭祀を行い、神に通じるために、仙薬を飲み、不老不死の体をえようとしていたのが、 古代の人々と 神とのつながりだったのではないでしょうか。

「月の聖なる水」 「不老不死の力」 「再生、復活の女神」

新しい命を生み出す 「おおいなる 水の母」 それが、瀬織津姫。

そして、不老不死の力をえるために、もう一つ必要だった 「丹」 の女神として、後につけられた名前、
「丹生都比売」 の、本来の姿、 真の姿は、 「瀬織津姫」 だったのだではないでしょうか。

そしてまた、「丹」 が付けられた名前の地域は、 「丹砂」 を産出されていた場所だともいえます。

吉野の丹生川上神社も、その重要な場所、

そして、愛媛の重要な場所に繋がります。 

そのお話は、次回につづく。

最後に 一言。

毎日「笑顔」であいさつするだけで、 人と人は仲よくなれる。
自分も元気になるし、 相手も元気になる。
明日もまた、 元気に、笑顔で、 「おはよう」 と 始めよう。 

 


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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-12-15 00:44 | 愛媛県今治市(旧大西町) | Trackback | Comments(2)

こんばんは。

昨日の、常世の国のお話。 少し長くなりすぎて、よくわかなかったらごめんなさい。
今日は、不老不死のお話は、お休みして、 まずは、神社のご紹介から。

今日は、今治市大西町に鎮座する、「素鵞神社」

ここ 素鵞神社の起源はとても古く、また ここに奉納されたものに、とても興味深い伝説があります。

この日の目的の神社は、ここではなかったのですが、そこに向かう途中に、立ち寄ってみることにしました。

大西町は、旧越智郡、 今治市から松山方面へ行った、旧今治市のお隣の町になります。
大西町の隣は、野間地区というところなのですが、 ここには、スサノオの伝説が残る、野間神社があり、ここ大西町の多くはなぜか、この野間神社の氏子になっています。

スサノオの伝説の始まりは、大西町の海岸。
海岸に船でついたスサノオが、 現在の野間神社がある、神の宮という所へたどり着きます。

その途中の不思議なお話が、今も、野間神社に伝わります。

その伝説が元となっているからでしょうか、大西町は、野間神社の氏子となるようです。

そして、今日、ご紹介する神社も、そんな野間地区との境目に位置する、スサノオを祀る神社です。

ここの祭神は、

須佐之男命(すさのをのみこと)
稲田毘売命(いなだびめのみこと) 
大山積神命
高籠神
雷神

そして、
弥都波能売命(みずはのめのみこと)

(古事記) 弥都波能売命
(日本書記)では、罔象女神(みつはのめのかみ)

そして、罔象女神(みつはのめのかみ)は、 瀬織津姫と同一の女神さまです

そんな、 「素鵞神社」に残る 伝説とは、こんなお話です。

平安時代中期、 「992年」 のことです。
公家であり、小野道風・藤原行成とともに 三蹟 (書道の大御所三人のこと) の一人、藤原佐理が、筑紫から都へ帰る途中、この瀬戸内海で、大きな嵐にあいました。

その嵐は、幾日も続き、藤原佐理らは、困りはてていました。
すると、ある夜、 大山積神が夢に現れてこういいました。

「大山祇神社には、神額がなくて困っている。
お前が、通りかかったので、海を荒す方法をとった。 ぜひ、筆をとってほしい。」

と告げられました。

藤原佐理は、早速筆をとり、神額を海岸から流すと、神の加護で、大三島の海岸に着き、大山祇神社に渡りました。

やがて海もなぎ、藤原佐理は、無事都へ帰りました。

ところが、この神額を書いたのは、ここ大西町紺原三軒屋の、品部川すそであったそうです。

そして、その後、数百年の時は流れ、 

「文禄3年(1595)9月5日」 航海の無事、安全を祈願して、船みこしを奉納したのが、この神社の始まりです。

この 「船みこし」 には、 大山積大神と筆を持った 藤原佐理の人形が向かいあって座っており、
中央の神額には、

「扶桑総鎮守 (日本全土の守り神)」 と書かれています。

毎年、五月の、野間神社と素鵞神社の御祭には、約30人の人々で担がれ、ゆったりした船歌にのって、宮出が行われ優雅な、船みこしの姿が浮かびます。

私も、何度か、野間神社の春の大祭に行ったことがありますが、獅子舞が野間神社の拝殿のある上から順番に階段を降りてくるのですが、その最初に、船みこしがおりてくる姿を見たことがあります。

写真がないのが、残念ですが、船が大勢の人々に担がれ、階段を降りてくる姿に、初めてみた時は、とても驚きました。

そんな、船みこしが奉納されている神社が、ここ 素鵞神社です。

船みこしが、ここに奉納されたのは、 200年くらい前のことですが、 神社の起源は、とても古く

「192年」 仲哀天皇 ちょうど、卑弥呼の時代までさかのぼります。

神社の由緒では、  仲哀天皇の時代、 奴麻の国造 「若弥尾命」が 大山積神を祀り、この地を神野原とよんだことが、始まりとされています。

しかし、もちろん、この時代には、大山積神はどこにも祀られていません。

その後、728年、高籠神、雷神 を合祀したさいに、滝之宮という名前が付けられました。

そして、どこにも、スサノオや稲田姫を祀ったという記述がないのにもかかわらず、 
1594年、 突然、 牛頭天皇が分祀されます。

その後、1871年、再度、滝之宮と牛頭天皇を合祀し、現在の
素鵞神社という名前に、変更されたのです。

この由緒のどこにも、罔象女神のことについては、ふれられていません。

それなのに、ここには、今も、罔象女神の名前が、残されています。

これは、この神社の起源、 192年に祀られて神が、 瀬織津姫のことをさすと言っているのだと思います。

ここもまた、姫の消された 神社の一つ。

でも、今も、罔象女神として、残されていたことに、感謝です。

そして、これは、どうしてなのかわかりませんが、 神社庁の中での、紹介では、
ここ 「素鵞神社」 の御祭神の中に、 大山積神の名前が、のせられていません。

*素鵞神社
*今治市大西町紺原甲484番地
*祭神
須佐之男命(すさのをのみこと)
稲田毘売命(いなだびめのみこと)
弥都波能売命(みずはのめのみこと)

そして、神社庁での、由緒では、
文禄3年(1595)9月5日創祀。と書かれてありました。

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拝殿です。 この日ちょうど、地元の方々が、神事をされていました。
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本殿
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もう一つの鳥居
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この神社の近くには、古墳時代初期の貴重な前方後円墳 妙見山古墳(国指定史跡)があります。
ちょうど、一番初めにここに、瀬織津姫が祀られたころ、ここには、大きな集落があったのだと思います。

どんな人々が暮らしていたのか、とても気になります。

そんなことも、もっと調べていくと、わかってくるのかな。。。

神社庁での、由緒の中に書かれた、

文禄3年(1595)9月5日創祀。

初めて、私の誕生日と同じ日が創祀の神社に出会いました。

不思議と、ただ、誕生日が同じというだけで、親近感が。。。

人間は、何か共通点があると、不思議と親近感をおぼえます。

初対面の人でも、誕生日が同じだったり、名前が同じだったり、 出身地が同じ、趣味が同じ、
何か一つ、共通点があると、急に会話がはずみ、仲よくなるものですよね。

無理やり共通点を探すのも、変ですが、趣味が多い人や、経験豊富な人は、共通点を見つけやすいもの。

よく、子供が、 どうして、こんな無駄なことをしないといけないの?

なんてことを、言いますが、 無駄だと思えることほど、 将来、  役にたったりするものだと私は思います。

いろんなことに興味をもち、 いろんな人と接し、いろんな経験をすることは、人生を豊かにすることの一つなんじゃないかなと思います。

今日も、素敵な一日を お過ごし下さい^^



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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-12-14 07:29 | 愛媛県今治市(旧大西町) | Trackback | Comments(4)

こんばんは。

今日で、大西町のお話はひとまず終了です。
今日、ご紹介する場所は、先日の弁天さんのところで、出てきましたお城のあった山すそにたつ
お寺のお話です。

今治から玉川町にぬける山の途中に、小さな看板がたっていました。
ふと、その看板に目が止まり、一度通り過ぎたものの、 気になり後戻り。

車を降りて、看板を見に行きました。

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どうも、ここは、後醍醐天皇の皇子ゆかりの場所のよう。
私がいつも訪れる場所は、古代の歴史にまつわる場所が多いのですが、 ここは、それより少しあと、
鎌倉時代。 姫とは関係ないかもしれませんが、 なんとなく 「聖観世音菩薩」 という言葉にひかれ、
とにかく行ってみることにしました。

山の中を少し歩くと、階段が見えてきました。
もっと、山の中かと思いましたが、思ったより、遠くありませんでした。

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入口には、日切地蔵と、不動明王が祀られていました。

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まず、不動明王にご挨拶をしようとした時、一人の女性が、話しかけてこられました。

その方は、こちらの亡くなられたご住職の、ご家族の方でした。
時々、お寺のお世話に来られているそうでした。 私たちが訪れたことに、とても喜んでくださって、それからいろいろなお話をしてくださいました。

案内板にも書かれてありましたが、ここは、後醍醐天皇の皇子、尊真親王がこの地で崩御され、
岡部思茂城主らが、親王の冥福を祈り、ここに廟堂を建てて、聖観正音菩薩さまを祀ったという伝説があります。

どうして、この地で崩御されたのか。。。

延元元年(1336年)11月、後醍醐天皇の皇子、尊真・満良・懐良の3親王は、南朝方の勢力拡大のため、大館左馬介氏明、篠塚伊賀守ら40余人を従えて、ここ大西町の大井浦に着きました。

伊予の国守河野通政はこれを迎えて、御座所大井寺に入ることになりました。

大井寺とは、先日紹介した弁天さんのすぐ近くにある、お寺です。

しかし、その時の約一か月後、延元元年12月19日夜、北朝方将兵の不意打ちにあい、供奉(ぐぶ)の将兵の多くは討死し、尊真親王も負傷してしまいました。

その後、満良親王は浮穴郡へ、懐良親王は筑紫へわたりました。
尊真親王は大井寺において四条少将の守護のもと、阿波、讃岐、両国の北朝方勢力を除こうとしたが弱体のため果たせず、延元3年(1338年)3月8日とうとう、この地でお亡くなりになりました。

そして、なきがらは藤山へ埋葬、みたまは大井八幡社へ合祀したといわれています。

大井八幡社は、国道沿いに鎮座する神社です。
以前、紹介していますのでよかったら、ご覧下さい。

そして、こちらのお寺には、もう一つ、もっと古い伝説があります。

それが、このお寺の境内にある、ヤマモモの木に由来する、伝説です。

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こには、根回り約7.5mの、大きなヤマモモの木があります。
このヤマモモは、根本が八本に分かれた大木で、この大木には、狸が住むという伝説が伝わります。

ここに住むと伝わるお狸さんは、松山市のお堀から移り住んできたと言います。
そのお狸さんんお名前は、 「八股の狸」 といいます。

 「八股の狸」 は、とても仲良しの、狸がいました。

それは、四国中央市三皇神社に住む、 「オサンサン」 という名前の狸でした。

 「八股の狸」 は、 今度は、仲良しの 「オサンサン」の所へ、引っ越して行ったそうです。
でも、時々は、ここへも帰ってきているそうですよ。

四国中央市の 「オサンサン」 には、兄弟がいて、
それぞれ、 新居浜市 一宮神社に住む、 「一番楠のお楠狸」 、「阿波のお楠狸」といい、
日露戦争に出て赤トンボで活躍したといわれているんですよ。

今まで、狸の伝説が残る神社にも行ってはいたのですが、詳しく調べたことがありませんでした。

なぜか、今回、とても気になり始め、いろいろ調べていたら、
愛媛には、狸の伝説が、とてもたくさんあることがわかってきました。

そして、この狸の伝説もまた、 神社や神様に繋がっているような気がしてきました。
というのも、三皇神社も、 一宮神社も、とても重要な神社だからです。
これらが、兄弟ということは、 兄弟が使える神様同士にも、きっと何か繋がりがあると思うからです。

これから先、いつか、この意味も解けるうような気がしています。

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そして、お寺よりさらに、山奥へと進むと、
巨石があります。
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お寺へと入る入口から、瀬戸内海を望むことができます。
昔の人も、こうしてこの山から、海を眺めていたのでしょうね。。。。

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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
幸せってどこにあると思いますか?

独ハンブルクの未来研究財団とブリティッシュ・アメリカン・タバコ社が実施した「幸福度」に関する欧州の世論調査で、興味深い結果がでたそうです。

欧州13カ国計1万5000人が対象のこのアンケート。

「私の人生は幸せだ」と答えた人の割合は、
福祉国家デンマークが96%で1位、
2位はギリシャ(80%)、
3位は同様に財政危機の渦中にあるイタリア(79%)だったそうです。

逆に欧州一の経済大国ドイツは61%と下から3番目でした。

国別で幸福度に差はありますが、どの国でも共通して
男性より女性、
都市住民より地方住民、
独身者より既婚者の方が幸福度が高かったそうです。

人の幸せは、 経済の発展と比例しない。
便利な、一見裕福に見える、都会での生活が幸せとは限らないということが、 このアンケートで見ることができます。

幸せは、外にいくら求めても見つからず、どんなに裕福な生活をしても見つからず 
どんなに高価なものを手に入れても見つからず、
本当の幸せは、とても身近な生活の中にあり、また、心の中にある。

そのことに気づかなかければ、 いつまでたっても、幸せは訪れることはない。



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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-09-17 03:41 | 愛媛県今治市(旧大西町) | Trackback | Comments(2)

こんばんは。

今日は、前回の続き、大西町です。

大西町は、昔、「怪島」と呼ばれていました。
それは、海賊が住み着き、沖を通る船を脅かし続けたので、いつしか「怪島」という名前がついたそうです。

戦国時代には、伊予の豪族・河野氏の神野左馬允が怪島城を築城し、全島を要塞化し、
豊臣秀吉の四国征伐のときには合戦場となりました。

そして、今日、ご紹介する場所は、豊臣秀吉の命によって攻撃され、自害した姫の伝説が残る場所です。

前回ご紹介した、間所神社のすぐ近くに、弁天さんと呼ばれる場所があります。
今は、住宅が立ち並ぶ一角の、小高い丘の上に、あります。

近くを走る、農道から、少し入ると、少しわかりにくいですが、小さな建物が見えてきます。
住宅の横の、あぜ道のような、人が一人通れるくらいの小さな道を上ると、小さなお宮がありました。

大西町から、玉川町へと抜ける道沿いに、重茂山という山があります。
ここには、重茂城というお城がありました。

天正13年(1585)、中国地方を征服した豊臣秀吉は、小早川隆景を総大将として土佐の長曽我部元親が統一する四国の征伐を始め、伊予に攻め込みました。
30,000余の軍勢を率いた小早川は、越智郡のいたる所の城を攻撃し、西へ侵攻して、
ついに河野氏の本拠地湯築城を攻め落としたのです。

この時、伊予の国のあちらこちらの城だけでなく、神社もその標的となったといいます。

この戦いの時の、重茂山の城主は岡部十郎という、河野氏の武将でした。
ここも、その戦いで、小早川に包囲攻撃され、落城したお城の一つです。

落城の際、城主の息女、若き姫と乳母はと共に、逃げのがれました。
しかし、この場所、衣笠あたりで敵兵に見つかり、とうとう自害してしまいました。

その後、村人たちは、悲運の姫をいたみねんごろに祀ったと伝わります。
そして、そのお墓の前には、十字をかたどった弁天を刻んだ石像がたっていたそうです。

そのことから、これは隠れキリシタンの信仰石像で、姫はキリスト教を信仰していたのではないかといわれているそうです。

実は、河野家の本拠地、北条もまた、隠れキリシタンが多数住んでいた町と伝わります。

そして、隠れキリシタンの信仰石像といわれる、弁天さん。
弁天さんは、 瀬織津姫と同一といわれますが、 聖母マリアもまた、瀬織津姫と同一といわれています。

河野氏族は、キリストも信仰していたかどうかは、今の所まだよくわかっていませんが、
「聖母」 信仰は少なからず、あったのではないかと思われます。

なぜ、弁天さんと、 聖母マリアを、 重ね合わせたのか、 これも一つの瀬織津姫の重要な鍵のような気がします。 
日本人は、 神も仏も、すべて、一つだという考え方をもっていました。
だから、もしかすれば、 キリストや聖母マリアもまた、 観音さまや菩薩さまが、神が仏になった姿だと考えたように、 重ね合わせたのかもしれません。

姫が住んでいたお城 (重茂山)は、 またの名前を、 (十文字山)といいます。
この十文字山とは、キリストの十字架のことを意味するものだったのでしょう。

そして、 (重茂山)を越えた玉川町側の地名は、 「三島」 。
ここが、河野家、もしくは、その前の越智家の時から、ゆかりのあった場所なのかもしれません。
というのも、このあたりには、遺跡や古墳が多数みつかっています。

昨年、国指定史跡に認定された 「妙見山古墳」 も、
ここからそう遠く離れていない場所にあり、この古墳は、
古墳時代初期、4世紀時代ころのものといいます。
4世紀ころといえば、日本の歴史の空白の時代とも言われる時代です。卑弥呼がなくなった後の時代です。

そして、この重茂山の上には、巨石があるといわれ、古代の人々の祭祀場だった可能性もあります。

大西町は、スサノオが船でたどり着いた浜辺もあるといわれ、まだまだ、発見されていないものが、
多数眠っているような気がします。

瀬織津姫という女神さまは、 単なる、 「水の女神」 というだけでなく、もっと、大きな意味をもつ、偉大な古代の神様だったのではないかという思いが、より一層強くなりました。

今では、 あまり知られていない、 小さな町の、 一つの歴史。
でも、ここにも、 一人の姫の命の歴史が、刻まれています。

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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-09-15 00:11 | 愛媛県今治市(旧大西町) | Trackback | Comments(2)

こんばんは。

今日は、今治市大西町に鎮座する神社のご紹介です。

ここは、今治から松山へ向かう 196号線から少し山へと入った大西町にあります。
小さな部落の中に鎮座する神社ですが、 ここに、大山祇神社の秘密を垣間見ることができます。

神社の名前は、

「間所神社」といいます。

神社の由緒は、
光仁天皇の朝、宝亀10年8月勅を奉じて大三島の大山祇大明神・諸山祇神を崇祀して、浦戸明神と称した。
予州13浦戸の宮の一つで間所浦戸明神とも号した。

と書かれてあります。

光仁天皇とは、第49代天皇。
即位期間は、770-781年 奈良時代後期の天皇です。

光仁天皇の前の天皇は、称徳天皇で、この天皇が天武天皇系最後の天皇となり、
光仁天皇は、約100年ぶりに、天智天皇系の天皇となった人物です。
天智天皇、天武天皇は、 もうご存知のとおり、時代が大きく変わる、瀬織津姫がこの世から消された時代に天皇であった、重要な天皇です。

あの大浜八幡神社の元となる、津島の瀬織津姫(門島神)は、天智天皇の祖神と書かれてあります。
そして、天武天皇は、兄弟となってはいるものの、全く違う世の中を作ろうと、一揆にその後の日本を変えるきっかけになった人物です。

天武天皇から加速し始めた、新しい日本の形。
古事記が作られ、瀬織津姫が消されました。
それから、称徳天皇までの約100年間は、天武天皇系の子孫が天皇となっていったのです。
しかし、称徳天皇を最後に、独身の女帝に後継者はなく、度重なる政変による粛清劇によって天武天皇の嫡流にあたる皇族がいなくなりました。
ただ、天武天皇系の聖武天皇の娘、井上内親王と、天智天皇の孫、白壁王との間に、天武天皇系嫡流の血を引く男性皇族の最後の一人他戸王がいたため、
その父である、62歳の白壁王は大極殿で即位することとなったのです。

そして、光仁天皇となりました。

しかし、その後も、争いは絶えず、井上内親王と他戸王は、変死することになります。
そして、二人の変死後、藤原式家の兄弟も、相次いで亡くなりました。

この当時は、神も消しさり、人間も、殺し合い、その罪を背負った天皇は、常に祟りを恐れいたといいます。

今日、ご紹介する神社は、そんな時代、藤原式家の兄弟が相次いで亡くなった時に、鎮座された神社の一つです。
祟りにおびえていた天皇は、 やはり、 瀬織津姫という重要な女神さまを消し去ってしまったことことも、次々に降りかかる禍の原因だと思っていたのではないでしょうか。

だから、あえて、ここで、瀬織津姫という名前は出せなくても、「浦戸宮」 という、
大三島に消される前まで、瀬織津姫が祀られていた 「浦戸」 という名前を使ったのではないかと思うのです。

さらに、間所神社が初めに、崇祀した神は、 
「大山祇大明神・諸山祇神」

この諸山祇神という名前は、 瀬織津姫の別名ともいえます。

大山祇神社の十七社の中に祀られている神の名前で、 最初は、十六社の中にいなかった神様ですが、
後に、諸山祇神を増やし、十七社とされた神の名前です。
私が思うには、 この間所神社が初めに、崇祀した本当の神は、

「浦戸明神」は「瀬織津姫」 だったと思います。

そして後に、現在の祭神
大山祇神(おおやまづみのかみ)
諸山祇神(もろやまづみのかみ)
雷神(いかづちのかみ)
高龗神(たかおかみのかみ)

に変えられてしまったのだと。

上記の4柱の神さまは、すべて 「瀬織津姫」 です。
それぞれ、全く違う神のように思えますが、 どれも、 姫の変えられた名前なのです。

「浦戸宮」 とは、 大三島の瀬戸に、大山祇神が初めて祀られるずっと以前から、 瀬織津姫が祀られていた場所のことです。
現在の大山祇神社の所在地 「宮浦」 も、 そう呼ばれていた場所の一角だと思います。

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由緒書きに書かれた、合祀神社の名前。
「客神社」「荒神神社」 もまた、瀬織津姫ですね。。。。。
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階段を上っていると、赤トンボが飛んできました。
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そして境内へ。
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拝殿
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本殿
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境内社は、金毘羅神社。 大国主ことニギハヤヒですね。
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参拝を終え、階段から降りてくると、
黒い大きな蝶が、目の前をす~っと横切り、どこかへ飛んで行きました。

ここも、間違いなく、瀬織津姫さまの神社だと思いました。

浦戸宮という名前は、以前、紹介した東温市の徳川神社にも出てきていました。
その時は、全く気付かなかったのですが、 徳川神社は、大山祇神社を建設中になぜか、
再度、三島 浦戸から諸山積大明神を勧請しています。

ここにも出てくる 「浦戸」 と 「諸山積大明神」

間違いなく、これは、瀬織津姫のことだと思います。

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昨日、ネット見つけた、神秘的な映像。

今まで、観測されたことのなかった、ブラックホールが、初めて観測されたそうです。
宇宙に、いくつも存在するという ブラックホール。
光をも、吸い込むといわれています。

 


宇宙には、まだまだ謎がいっぱい。 科学では、証明できないこともたくさんあります。

ブラックホールに吸い込まれた星は、いったいどこに行ってしまうのでしょう。

もし、本当に、違う次元があるとしたら、その世界はいったいどんな世界なのでしょう。

私たち人間は、いったいどうしてここに存在しているのでしょう。

人には、必ず寿命があります。 誰も、いつかは、死と向き合わなければいけません。

そして、この宇宙の星たちも、また、すべての星に命の限りがあります。

星も人間も、永遠はないのです。

でも、ただ一つ、永遠があるとしたら、 宇宙という未知の世界だけは、星や人間という子供を生みながら、
永遠に存在するのかもしれません。

そして、それを、「神さま」と呼ぶのだと。

だから、私たちは、みんな、同じ、神様、同じ 宇宙の 子供。

そして、星も人間も、 動物も。。。 すべての命あるものは、その命がつきるまで、輝き続けていくのだと思います。 
命があることは、 たとえ、どんなに苦しくても、 
素晴らしいことです。
有難いことです。
せっかく頂いた命、 争いや憎しみで終わることほど、 もったいないことはないと思いませんか。
せっかく頂いた命、 何かのために役にたてたいと思いませんか。

生まれた瞬間から、誰もが、一日、一日、命の終わりへと歩いている。
そう、思うと、今日、この一日が、とても大切に思えるのではないでしょうか。。。。。。。。

 




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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-09-13 23:48 | 愛媛県今治市(旧大西町) | Trackback | Comments(4)

こんばんは。
今日は、久しぶりに気をとりなおして、先に神社を
ご紹介させていただきます。

今治市大西町。
大宝2年8月(702)に、神殿を造営したと伝わる
古い神社
「大井八幡大神社」 です。

第42代文武天皇の詔勅によって大宝2年8月(702)国司散位乎智宿禰玉純が奉行となって神殿を造営し、風早の国造であった阿佐利命と怒麻の国造若弥尾命の二柱を崇祀して大井宮としたのが、始まりと言われています。
後に56代清和天皇の貞観元年(859)に宇佐八幡大神を山城国男山に勧請の時、航路に当たる当郷の弓津恵島に船舶したとき、八幡神の御神託があり、国司大領使河野深躬が垂跡の地に八幡宮を勧請し仮神殿を建立奉斎しました。
 寛平2年(890)6月28日、国司府中館散位越智宿禰が大井宮に八幡宮を合祀し、大井八幡宮と称したと伝わります。

愛媛における、古くから鎮座すると伝わる神社は、もうお気づきかと思いますが、ほとんど全てが、乎智(越智)氏族ゆかりの神社なのです。
それだけ、物部氏の子孫、乎智(越智)氏族の力が強かったことがわかります。

愛媛の町のそのほとんど全ての原点が、乎智(越智)氏族だといってもいいかもしれないと最近思ってきました。 愛媛中に広がる、乎智(越智)氏族ゆかりの神社。
今日、ご紹介する神社も、その一つです。


*大井八幡大神社 (おおいはちまんだいじんじゃ)

*祭神:
品陀和氣命(ほむだわけのみこと)
帯仲津日子命(たらしなかつひこのみこと)
息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)
底筒男命(そこつつおのみこと)
中筒男命(なかつつおのみこと)
表筒男命(うわつつおのみこと)
玉依比売命(たまよりひめのみこと)
他二柱

*境内社
御矛神社
荒神社
天神社
稲荷神社

*継ぎ獅子
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「生きてこそ」

地震発生から 4日目。
日がたつごとに、被害の大きさがますます大きくなっています。

この世のものとは思えない光景が、テレビの中から次々と映し出され、
心が引き裂かれそうになります。

もし、自分が同じ立場だったら、今どんな思いなのだろう。
テレビから見ている私たちは、被災した皆様のきもちが手にとるようにわかると思っているかもしれない。
でも、やっぱり、本当の辛さ、苦しさは、わかっていないのかもしれない。
だから、そんなに簡単に、言える。 そういわれるかもしれない。

でも、それでも、どうか立ち直ってほしい。 そう 思うから、伝えたい。

生きてほしい。 
どうか、生きてほしい。 力強く、生きてほしい。
生きていたら、命があれば、きっとまた新しい何かが始まるから。

命をおとした人々のぶんも、どうか、幸せになってほしい。

こんな大災害を乗り越え、命が今もあるのは、きっと、大きな意味があるのだと。

乗り越えられる魂だから、今ここに命がある。 私は、そう思います。

そして、災害にあわなかった私達にも、意味がある。 
世界中、この地球上全ての人に、意味があるできことなのだと私は思います。

世界中の心が一つになり、この困難を乗り越えることができたら。
もし、何もできなくとも、ほんの少しでも、何か自分にできることはないかと、考えるその心をもつだけで、きっとその沢山の想いが伝わり、その心が明るい光をつくり、困難を乗り越えるエネルギーになる。

想っても、何もできることはないんだから、想うだけ無駄なんて、決して想わないで下さい。

目には見えないかもしれない、その力が伝わっているのかどうかを知ることはできないかもしれない。
でも、想いは、場所も、時間も距離も関係ない、私はそう思っています。

どんなに、辛いことも、どんなに苦しいことも、乗り越えられないことはない。
どうか、負けないで。。。。。。。






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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-03-14 23:38 | 愛媛県今治市(旧大西町) | Trackback | Comments(0)

こんばんは。
皆さんは、突然海を見たくなることはありますか?

最近は、山に行くことも多くなりましたが、
海のすぐ側で育った私は、
やはり、海に行くととても落ち着きます。

海を見ていると
いろんなものを、洗い流してくれるような気がします。

小さいころから、海が大好きで、
大人になっても、嫌なことがあると、
いつも海に行っていました。

でも、海まで、遠い方は、
なかなかいくことはできませんよね。。。

今日は、海の側の神社です。
画面からですが、海の香り、波の音が届きますように。。。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

*龍神社

今治市大西町九王にある、龍神社です。
通常、今治から松山に行く時には通らない道なので
少しわかりにくい場所かもしれません。

スサノオの伝説も残る
九王の海岸に、神社はあります。

細い道を海の方へ行くと
まず 海の中に鳥居が見えてきます。
そして、海岸沿いの細い道を、突き当たりまで行くと
神社はあります。

*主祭神

彦火火出見命(ひこほほでみのみこと)
高龗神(たかおかみのかみ)
闇龗神(くらおかみのかみ)
豊玉彦命(とよたまひこのみこと

*5月第3日曜日 例祭

*境内社
厳島神社

*由緒

龍神社は、神武天皇が御東征の際、
海上の風波があまりに激しいため
この場所に船を着けられ、
龍神を祭祀された霊跡と伝えられています。

また、
雨乞いの祈祷所として霊験著しく、
松山藩主より社殿の改築、神田の奉納。
又、代官所より、或は各庄屋より、
米穀、大幕などの奉納が度々あったそうです。

そして、ここ龍神社は
お祭りがとても有名で、 船の上での継ぎ獅子が行われます。

県無形文化財にもなっている
船上での継ぎ獅子。
継ぎ獅子とは、今治、特に、昔野間郡内だった地区で
古くから行われている神事で、
人が下の人の肩の上に次々と
乗り、一番上の小さな子どもが、肩にのったまま
舞を披露します。

少しでも、神様に近づきたい
そんな思いから、上へ上と、人を継いでいったそうです。

通常は、3継ぎが多いですが、
最高6継ぎまで、行われた時もあったそうです。

この継ぎ獅子が
こちらの神社では、船の上で行われます。

私もまだ、こちらの継ぎ獅子は見たことがないので
ぜひ一度みたいと思っています。

こちらの継ぎ獅子ではありませんが
野間神社で毎年行われている
継ぎ獅子の様子です。

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そしてここには、瀬織津姫の名前は
ありませんが、もしかしたら、ここも
最初は、瀬織津姫だったのかもしれない。

ただの、私の思いすごしかもしれませんが
初めてここを訪れた時も、そんな気がしました。

高龗神は、龍神と言われ、
また、瀬織津姫とも。。
そして、厳島神社の、イチキシマヒメも
瀬織津姫とも言われています。

スサノオが、船で今治についた場所も
この九王だという伝説が残っています。

姫も、きっとここに関わりがある。
そう、思っていたいです。

では、神社です。

静かな海の中に、鳥居はあります。
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遠くに見えるのは、島ではなく
今治の波方方面です。
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拝殿
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本殿
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この海に、船がついたのですね。
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海が透き通って とても綺麗でした。
いつまでも、この海を守りたいですね。
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ここから見る景色は
昔と変わらないのかな。。。。 そして、これからも、このままで。
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瀬戸内海の海は、
遠い遠い昔から、三島明神と言われる
龍神に守られてきました。

そして、三島明神は、瀬織津姫のことだったかもという説も。
この海は、今も姫が守ってくれている。 
私は、そう思いたいです。。。。

今日も、ありがとうございました。





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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-01-20 22:44 | 愛媛県今治市(旧大西町) | Trackback | Comments(5)

清流に蛍舞う

こんばんは^^


昨日、またずっと思っていたことが叶いました^^

今の職場は、
毎朝、その日の朝刊の中から、地元の情報を
ピックアップして、まとめてコピーして持ってきてくれます。

朝、新聞を見る時間がない私にとっては、
この新聞を職場で見るのが、楽しみになってます。

昨日の朝、
いつものように新聞を見ていると、


「わ~。蛍だ!!」
(でも、遠くまで行かないと見れないんだろうな~。)と
思いながら、記事を読んでいくと、

(え~!!近い!!)

ここから、車で20分くらいで行けるかな。


行きたいな~。


実は、私、
生まれて今まで、蛍の光を見たことがありません。

小さい頃から、
家がいっぱいある所に住んでいたので、
この辺には蛍はいませんでした。

夜、わざわざ見にいく事もなく、
蛍を見る機会なんて、全くなかったのです。


でも、昨日は、松山に行く日なので、
帰るのは、11時前。

やっぱり無理かな~。


そして、仕事が終わり、
家に帰ると、

「ママ~。今日は、休んでいい?」
(また?今度は上の娘の要望)

「学校でいるものをどうしても今日中に買わないといけないの。」


ま~いいか。。。


とりあえず、娘の図工の材料を買いに行く事に。

そのあと、そのまま、
回転寿司で食事^^;

食事が終わって帰っていると、
「本屋さんに行きたい!」

仕方ないな~。


普段、なかなかこういう事は出来ないから、
今日は特別。

そこで、なんと気づいたら、
1時間くらい。

外に出たら、
もう真っ暗。


さ~。帰ろうか~。

と時計を見ると、8時過ぎ。


そう言えば、あの蛍、
8時過ぎが一番見れるって書いてたな。。。。。。

今なら見れるかも?


「ね~。蛍見に行かない?」

下の息子が、
「行く!行く!」

息子も娘も、蛍は一度も見た事がありません。


こんな機会めったにないから、
じゃあ行こうか!!


(今日は、この曲を聴きながら、
蛍を一緒に見に行きましょう!!)





部落の名前だけを頼りに、とりあえず、予想のつくところに行ってみる事に。

国道を、山の方に入ると、
だんだん辺りは真っ暗。

川沿いを走ると、真っ暗な中に車が一台止まっていて、
何人か、川の方を見ていました。
(ここじゃない気がするけど、聞いてみよう)

「すみませ~ん。この辺で蛍が見れる場所知らないでしょうか?」


「私達も見に行ったけど、見つけれなかったんだよ。
でも、もう一つ向こうの部落らしいよ。行ってみたら!」

やっぱり違ってた。。。。

でも、向こうの部落に行けば、
誰かいるかも?


そう思って、
真っ暗な道を、勘で走って行きました。

多分この道。

今度は、山から、逆に下りて行きました。

するとまた、川沿いに今度は車が3台ほど止まってる。
(でも、ここでもない気がするけど、とりあえず聞いてみよう。)

そう思って、車を止めて、辺りを見回していると、
1台の車が、私達の車の横に。

中から、カップルが降りてきました。

私達がきょろきょろしながら、
川の方を見ていると、

「もしかして、蛍見にきたんですか?」

 「はい、そうなんです。でもここじゃないみたいで。。。」

「蛍なら、今見て来ましたよ。
この道を上に上がって交差点を右に行けば、沢山人がいるのでわかりますよ。」


そう言って、教えてくれたのです。


子供達は、今度こそ行ける。と大喜び!!


やっぱり、道がわからなくてもなんとかなるもんだな~」

そう思いながら、言われた道を走っていくと、

「あ!!人がいっぱい歩いてる!!」

真っ暗な暗闇の中を、人が沢山。


私達も、急いで車を止めて、人のいる方へ。


すると、真っ暗な川の中を蛍の光が!!


「わ~!!蛍だ!!」
(でも、もっと近くで見たい!!)

なんとなく人の気配がする川のすぐ側まで、
ゆっくり歩いて降りて行ってみました。
(ほとんどの人は、橋の上から見ていたのですが。。)

すると、女性が二人、川のすぐ側で懐中電灯を持って、
見ていたのです。

私達も、行ってみる事に。

すると、目の前に蛍がいっぱい!!

生まれて初めてみる蛍に、感動!!

でも真っ暗で、足元が全く見えない。
子供達はもっと近くに行きたがる。

「危ないから、それ以上降りたらだめ!」

すると、先に来ていた、二人の女性が、
「懐中電灯貸してあげるから見ておいで!」

と、子供達に貸してくれたのです。

懐中電灯を持って、
もっと川の方へ降りていくと、足元に1匹の蛍が、
光を放ちながら草の上に止まっているのです。

そ~っと近寄っていったけど、
全く逃げないので、

そ~っと携帯を近づけて

「パシャ!!」


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大きな、源氏蛍です。

光を輝かせながら、まるで私達に見せてくれているかのようでした。

息子が、蛍捕まえる!

とそ~っと手を伸ばして、

蛍を捕まえました。


上の娘は、蛍ってこんなに小さかったなんて
知らなかった~。と大騒ぎ。
(実は、娘はセミくらいの大きさだと思っていたらしい^^;)

息子が、手の上に蛍を乗せました。


懐中電灯を消すと、
手の上で、蛍が光りました。

少し飛んでまた手に止まる瞬間を、
偶然、

「パシャ!」


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凄い輝き!!

まるで、太陽の光のような輝きです。


その後も、しばらく、川の中に飛ぶ沢山の蛍の光を
見ていました。


ここの川は、一時は汚れて、
蛍がいなくなる寸前だったらしいのですが、
地元の人達の努力が実り、こうして、蛍たちが生息できる川に戻ったそうです。

今年は、特に蛍の数が多いらしく、
ほんとに大勢の人達が、蛍の光に見とれていました。

子供達が大人になっても、
その先も、
ずっとずっと、この綺麗な川を守り続けていって欲しいなと思いました。


車を少し走らせば、こうして蛍が見れる環境にある私は、
本当に幸せだな。と 改めて感謝。


綺麗な水がないと、人間も植物も、動物も生きてはいけません。


美しい水をいつまでも、守っていきたいですね。


自然に感謝。


蛍に感謝。


ありがとう。














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by ldc_nikki | 2010-06-10 00:48 | 愛媛県今治市(旧大西町) | Trackback | Comments(1)

数あるブログの中からお越しいただきましてありがとうございます。 不思議な数々の出会いから、今は、愛媛の神社めぐりをしながら、神社や女神様そして、神話の神々の伝説を調べています。
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