カテゴリ:愛媛県今治市(旧大三島町)( 27 )

こんにちは。

昨日は、116年ぶりの秋分の日でした。
それを知っているのと知らないとでは、なんだか同じ一日がまったく違う一日になるな。。。と
思った一日でした。

一昨日の夜、
突然思いついて、朝の苦手な私が、昨日は4時に起き
太陽が昇るその瞬間を大山祇神社で迎えたいと思い出かけました。

まだ真っ暗の中、しまなみ海道を渡り、大三島へ。
橋を渡るごとに、辺りが少しづつ明るくなり、丁度大山祇神社へついた時、
日の出の時間を迎えました。

朝6時前。
誰もいない境内は、いつもくる大山祇神社とは全く違う空気が流れていました。
少し冷たくなった空気が、身体の皮膚からも浸透していく。
そんな感覚さえもおぼえました。

太陽が地平線に現れただけで、こんなにも世界は明るくなるんだ。
明かりのなかった古代の人々は、
太陽の光がどんなにありがたかったことでしょう。
夜でも明るい今の人々には、想像もつかないほど太陽の偉大さを感じていたことでしょう。

人は明かりがあるだけで、安心する。
自由に明かりをともすことができなかった時代、人々は不便な生活をしていたかもしれませんが、
不便だからこそ、自然に生かされていることを感じることができたのかもしれません。

今日は、皆さんに、秋分の日の大山祇神社をお届けしたいと思います。

e0165472_16403740.jpg


誰ひとりいない境内。
見えるのは、樹齢2600年の大楠。
本殿と拝殿とこの大楠はまっすぐに伸びる光の道で繋がっています。

樹齢3000年、雨乞いの楠
e0165472_1717589.jpg


ここは、以前にお話した大山祇神社の周りを流れる祓川から流れてくる水でつくられた池。
ここで大蛇は、三つに切られたのです。

夜間は通ることができない、本殿の裏。
本殿の真裏には、木花咲耶姫を祀る社があります。
早朝、ここのドアがもう開けられていました。
境内の中でも、一番の神域とも言えるこの場所にこの時間行くことができるとは思ってもみなかったので、
ドキドキしながら向かいました。
古代からの楠群。 
その中に鎮座される木花咲耶姫

e0165472_17225021.jpg


友人たちとここへ来た時、カラスアゲハが、私たちを先導するように、この中へす~っと入っていったことを思い出します。 あの時は、このカラスアゲハが何を意味しているかわかりませんでした。

カラスアゲハは、姫を表す蝶でもありました。
この真っ黒い蝶の幼虫が、常世の虫だったのです。

楠群の中でもひときわ目をひく木。
まるで大蛇が木からのびてきているようです。

e0165472_17323241.jpg


神さまに奉納するための稲。
旧暦9月9日。ここで抜穂祭がおこなわれます。

今年は10月23日。早乙女の稲刈りと稲の聖霊と相撲を行う一人相撲。

e0165472_17374811.jpg


少し曇っていたので、今日は無理かなと思い帰ろうと思ったその時。
太陽の光が境内に降り注ぎました。

e0165472_17403799.jpg


急いで拝殿へと戻り、本殿と拝殿、そして楠を通るその光が一直線になるその瞬間を待ちました。

そしていよいよ、太陽は本殿の中心へ。
その光はまっすぐと、私の身体を通りぬけ、楠へと向かいました。

この瞬間をここで迎えることができて、感謝の気持ちでいっぱいになりました。

(合掌)
e0165472_17443248.jpg


皆様のところにも、この光が届きますように。




隠された歴史、消された神々のことを、一人でも多くの人に知っていただくために
もし、よかったら、(バナー)をポチっとお願いします^^

一緒に、瀬織津姫を復活させましょう♪ 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村

愛姫伝 スマートフォンサイト 
QRコード
e0165472_239596.png


ブログで紹介した場所を、地図でご案内しています。。
お越しの際には是非ご参考にされてください。

愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2012-09-23 17:45 | 愛媛県今治市(旧大三島町) | Trackback | Comments(2)

こんばんは。

少し前から、なぜか丹波の籠神社のことを告げられます。
以前から、籠神社のことは気になってしかたがない所なのですが、
そちらの宮司さんとお話をされたことがある方が、
次々私の周りに現れます。

昨日もある方から、
籠神社の話が出て、そこで、まだ私が読んだことがない
一冊の本を、宮司さんから読むようにと勧められたという話を聞きました。

私もぜひお会いしてみたいという衝動にかられ、
昨日はなかなか眠ることができませんでした。

籠神社。
今年行くことができるのだろうか。。。。
もし、今その時ならば、きっと行くことができるはず。
でも、もしまだその時ではないのなら、
もう少し先になるかもしれません。

でも、いつか必ずその時がくると信じて、
私は今できることをしていきたいと思います。

では、昨日の続き、大三島です。

前回お話した、向雲寺で、お寺の奥様と約3時間お話をさせていただいたのですが、
その時、
大山祇神社の元神宮寺、東円坊に行ってきなさい。となぜか言われ、
私たちは、東円坊へと向かいました。

東円坊とは、元四国八十八か所55番札所だったお寺で、
大山積神の本地仏、大通智勝仏を本尊とするお寺です。

大山祇神社は、奈良時代(神仏習合時代)
神社の本地仏を祀るお寺として、神宮寺がつくられました。
大山祇神社の神宮寺の山号は、「月光山」 
月が光る山。姫のことをあらわしています。

そして、神宮寺の最盛期には、二十四坊あったといいます。

また、神宮寺の奥の院は、
現在の生樹の御門の奥にあったといいます。

東円坊は神宮寺の中の一つですが、
時代とともに、多くの坊は廃絶し、今では、現在の55番札所南光坊と、
この東円坊のみとなってしまいました。

明治の神仏分離によって、
旧神宮寺は廃寺となりましたが、本堂はそのまま大山祇神社の祖霊殿となり、
地元の人からはここを「神宮寺」と呼んでいました。

そして、東円坊は、祖霊殿の近くに移され、
今は無住職となってしまったものの、そこには代々受け継がれてきた
仏像があります。

その仏像が、
大山祇神社の本地仏、大通智勝仏です。

ここに置かれてある、大通智勝仏の仏像は、
前回お話した向雲寺の仏像とは全く違い、その姿は大日如来です。

ですから、
これは、大山祇神社の本地仏ではなく、
大日如来だという人もいるといいます。

しかし、この大日如来こそ、
真の本地仏の姿だったのです。

今は、お堂に鍵がかけられその姿をうっすらとしかみることができず、
写真にとることができませんでしたが、
この姿が全てを物語っているのです。

それが、どういう意味なのか、
ここでは控えさせて頂きますが、
いつか、お話できる時がくるまで、皆様もそれぞれに、
その意味を考えていただきたく思います。

e0165472_23262845.jpg


東円坊の手水舎の後ろに書かれた絵。

亀の上に梵字が書かれています。
この梵字の意味は 

「胎蔵界の大日如来」です。

亀の上に、胎蔵界の大日如来。
これにも、深い意味があるのです。

e0165472_2329765.jpg


e0165472_2331437.jpg


境内にあった小さなお堂。
この石にどんな意味があるのか、どこにも書かれてありませんでしたが、
まるで、桃のような石です。。。。

e0165472_23302316.jpg


そして、この中に、
大山祇神社の本地仏 「大通智勝仏」の仏像があります。

e0165472_23321380.jpg


東円坊の仏像の写真は、今回映すことができせんでした。
その代わりに、先日北条で偶然見つけた 石に描かれた 大通智勝仏の仏像の写真を
載せたいと思います。

この石に描かれた大日如来が、
大山積神の本地仏の姿です。

e0165472_23365442.jpg


今日の動画は、
故宮下富実夫さんと、森繁久彌さんのコラボ曲です。
宮下 富実夫さんの曲は、ブログの中で何度も紹介させて頂きましたが、
姫神よりもさらに前、まだ世の中にヒーリングミュージックという音楽が
浸透されていない時、宮下富実夫は、少しづつ少しづつ、その音楽を
広めるために活動をされました。
魂を揺さぶる音楽。
今日ご紹介する曲は、宮下さんの音楽と、森繁さんの声が
身体の中にす~っと入って、嫌なものを全て消し去ってくれる気がします。
目を閉じて、皆さんも聴いてみてください。




隠された歴史、消された神々のことを、一人でも多くの人に知っていただくために
もし、よかったら、(バナー)をポチっとお願いします^^

一緒に、瀬織津姫を復活させましょう♪ 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村

愛姫伝 スマートフォンサイト 
QRコード
e0165472_239596.png


ブログで紹介した場所を、地図でご案内しています。。
お越しの際には是非ご参考にされてください。

愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2012-05-24 23:45 | 愛媛県今治市(旧大三島町) | Trackback | Comments(4)

こんばんは。

ブログの内容が、約1か月前に行ったところになっているので、
やっと、今日は大三島です。

4月のはじめ、大三島へ行った時のことは、
以前少しお話しましたが、
今回この大三島で、とても重要なことがわかりました。

と言っても、多分ほとんど信じてはもらえない、
いえ相手にしてもらえないかもしれませんが。。。

どこまで、ここでお話をしようかと考えているところのなのですが、
今日はまず、多分全国でもここにしかないと思われる
十六皇子にされた瀬織津姫の仏像がある
「向雲寺」をご紹介します。

大山祇神社の中にある 十七社は以前にも何度かお話しましたが、
神仏習合の名残と言われ、
大山積神を守護する役目として、
大三島の周りの七つの島と、伊豆へと渡って行った 「諸山積神」を
一つに集めた社です。

ここで、もう簡単に一度おさらい。

神仏習合の時代、神々には、もう一つの姿。
仏の姿があるとされていました。
それが、本地仏という考えかたです。

それぞれの神には、
さまざまな本地仏があるとされていました。
例えば、瀬織津姫は一般的には、千手観音や不動明王、十一面観音。
天照皇大神は、大日如来。といったふうに。。。

でも、これは、それぞれの地でいろんな仏になっています。

しかし、大三島に祀られる大山祇神社の祭神 「大山積神」だけは、
他のどの神にも例えられることのない、特別な仏の名前があります。

それが、

「大通智勝仏」

法華経の中でこの仏さまは、お釈迦様よりも前にいた人とされ、
その子供が十六人いたとされます。
その十六番目が、後に釈迦として生まれ変わったとされているのです。

だから、このことを全くのでたらめだと言っている方も多く、
向雲寺の以前の住職さんは大山祇神社の元地、「横殿宮」の神宮寺でもある
この向雲寺の中にある大通庵を、まるで倉庫のように扱っていたと言われ、
今日お見せする十六皇子の仏像は、誰にもその姿を見せることなく
倉庫のようにされたこのお堂の中で眠っていたのです。

そして現在の住職さんたちが、愛知の方からここに来られてから
発見されたといいます。

この大通智勝仏の、十六皇子は、東西南北を守護する神として
七つの島に祀られていました。

1 大気神社・・・保食神──東、阿閦                
2 血島神社・・・磐裂神─────東、須弥頂     
3 倉柱神社・・・倉稲魂神────東南、師子音 
4 轟(動)神社・・啼沢女神(天鈿女命──東南、師子相  
5 阿奈場神社・・磐長姫命────南、虚空住 
6 比目木邑神社…木花開耶姫命──南、常 
7 宇津神社・・・・枉津日神────西南、帝相
8 見前神社・・・・猿田彦神────西南、梵相
9 小山神社・・・・闇靇神─────西、阿弥陀
10 早瀬神社・・・瀬織津姫神───西、度一切世間苦悩
11 速津佐神社・・・速佐須良姫命──西北、多摩羅跋相檀香神通
12 日知神社・・・・・大晝目命──西北、須弥相
13 御子宮神社・・・大直日神──北、雲自在
14 火■神社・・・・・火須勢理神(火闌降命)──北、雲自在王
15 若稚神社・・・・火々出見命───東北、壌一切世間怖畏
16 宮市神社・・・・市杵島姫命───東北、釈迦

*17 諸山積神社・・・・諸山積命 (一の王子)

瀬織津姫は、10番目。
早瀬神社に祀られるとされ、その意味は、

「度一切世間苦悩」 です。

一切の世間の苦悩を度す(救う)神。
他の神々とは、その意味も別格です。

そして、ここ向雲寺には、
そんな瀬織津姫の、他にはない仏の姿の仏像があります。

向雲寺の十六皇子を祀るお堂 「大通庵」は、
大山祇神社の元あった場所瀬戸の、横殿の神宮寺として村の中にありましたが、
江戸時代、向雲寺の境内に移築されました。

e0165472_22253754.jpg


e0165472_22255081.jpg


こちらは本堂
e0165472_22492054.jpg


そして、十六皇子と大通智勝仏を祀る

「大通庵」です。

e0165472_231256.jpg


e0165472_231471.jpg


e0165472_2324162.jpg


e0165472_2325313.jpg


そして、これが、大通庵に祀られる

「大通智勝仏」です。

e0165472_2343054.jpg


大通智勝仏とされる仏像は、ここの他に
もう一か所あります。
それは、大山祇神社のすぐ近くにあるお寺です。

そこは、元四国八十八か所だったところで、
現在の今治市南光坊の本来あったお寺です。

四国八十八か所の中で、
大通智勝仏を本地仏とするのはここ南光坊だけです。
そして、その起源は大三島にありそこには、もう一つの大通智勝仏があります。

ここ向雲寺の大通智勝仏とは、
全くその姿が違います。

なぜその姿が違うのかその訳はあきらかになっていませんが、
それには、それぞれ意味があるのです。
その意味は、まだお話することができませんが、
それが、全ての意味を含む隠された姿です。

少しだけお話しすると、
向雲寺の大通智勝仏は、大山積神そのものの姿。

そしてもう一か所にある仏像は、
封印された神を意味します。

そしてこれが、十六皇子の仏像です。

e0165472_23135073.jpg


e0165472_2314324.jpg


どれが、瀬織津姫だと思いますか?

答えは、
二枚目の写真の一番上の段の中央です。

e0165472_2316350.jpg


e0165472_2316167.jpg


仏像が並ぶその前に、
長方形の木箱がありました。

なぜか、その箱が気になり、どうしても中を見たくなり、
開けてみました。

すると中には、古い経本のようなものが。。。。

後で、お寺の奥様に伺うとそれは、
ご祈祷の時に読む本だといいます。

そして、その中に書いてあったことがどうしても気になり
伺ってみたのですが、その意味は、住職さんでなければわからないとのことで
聞くことができませんでした。

その本の一番初めに書かれてあったこと。

それは、

十六皇子の、もう一つの呼び方と、

「十六神王呪」 の文字でした。

十六の王の神の呪い。
この言葉の意味するものはなんなのでしょう。

一つ考えられることは、
十六の神によって呪われた世界を祈祷し
その魂を鎮め、世の中を平穏に導くためのものではないかと。。。。

そして、この十六皇子が置かれる大通庵の棟瓦に彫られていたその模様は、

「波兎(うさぎ)」 だったのです。

e0165472_233446.jpg


「そして、奥様がもう一か所あるんだけどわかる?」

とおっしゃったので、探してみるのですが、
なかなか見つからず、キョロキョロしていると。

「じゃあ振り返ってみて!」

と言われて、振り返ってふと上を見上げると、
お堂の入口の内側に、兎の模様が!

しかも、その兎は、

「月兎」 だったのです。

e0165472_2337104.jpg


そして帰ろうとすると、
もう一つだけ、秘密のお話を教えてあげようかと。。。。

それは、奥様がここに来られてまだ間もないころのお話。

本堂の屋根を修理していた時のことでした。
屋根から二つの瓦が降りてきたのです。
そして、その瓦を見た時、奥様はなぜかわからないけど、
それがとても大切なものだと思い、ずっと大切にしまっておいたそうなのです。

そして、
それを、今日話さないとと思ったらしく、
私たちをその瓦がある場所へと案内してくれました。

その二つの瓦を見た時、
前身に、何かが走った気がしました。

その瓦とは、
まるで、弁財天のような 琵琶を持った天女でした。
そして隣には、まるで饒速日尊が寄り添うように。。。。

二つの瓦が、長い間閉められていたこの十六皇子のお堂を開けた
奥様の元へと降りてきたのでした。

e0165472_23452947.jpg


そして、
この奥様は、愛媛で三人しかいないと言われる

琵琶の奏者だったのです。






隠された歴史、消された神々のことを、一人でも多くの人に知っていただくために
もし、よかったら、(バナー)をポチっとお願いします^^

一緒に、瀬織津姫を復活させましょう♪ 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村

愛姫伝 スマートフォンサイト 
QRコード
e0165472_239596.png


ブログで紹介した場所を、地図でご案内しています。。
お越しの際には是非ご参考にされてください。

愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2012-05-23 23:49 | 愛媛県今治市(旧大三島町) | Trackback | Comments(2)

こんばんは。

今日は今回の大三島探訪最後です。

今回は大三島瀬戸から南へ向かい、そして北へ。大三島の南半分を回る旅でした。

最後は、大山祇神社の御神体、鷲ヶ頭山です。

大山祇神社に神社が建立される前から、安神山とともに磐座に神が降りてくる場所として古代から信仰していたと伝わる山です。

一般的には「鷲ヶ頭山」と呼ばれていますが、
昔は 「神ノ山」 ともよばれていました。

この山に 「鷲」 という名前が付けられたのは、
三島大明神のもう一つの物語の中で三島明神の子供を連れ去った鳥が鷲であったことや
それが日本書紀の中ででてくる 「天日鷲神(あめのひわしのかみ)」と繋がり、
この鷲が、阿波国を開拓した忌部氏(いんべし)のことを指し、この忌部氏が、大きな役割を果たしたことからなのだと思います。

「鷲」 = 「天日鷲神」 = 「忌部氏」 

「鷲」とは、鳥の王。 権力の象徴。

ここに大山積神が祀られる1000年以上前からここには、もう一つの神が祀られていた。

この山の上に上がるときっとそのことを感じることができると思います。

山火事があるまではここは木々の覆われた森でした。 今ではその姿を見ることはできませんが、
木々の間に隠れて見えなかった山の姿が現れ、その力強さに圧倒されます。

神の山には、本当に不思議な力が宿っているかもしれません。

これが鷲ヶ頭山
e0165472_23541726.jpg

 
e0165472_23554559.jpg
 

上に上がるごとに、大きな磐がだんだん見えてきます。
e0165472_23563567.jpg


次の写真なのですが、なんだか空に変なものがうつっています。
カメラのレンズに何かくっついたのか? 何かが反射したのかな?
その時は気づかなかったのですが、パソコンで見てびっくり! これってなんなんだろう?
e0165472_23574284.jpg


頂上が近くなると、山のあちこちに大きな磐が。
杜の中はこんな風になっていたのですね。
e0165472_0044100.jpg


思わず車を止めて!と言ってしまった巨大な磐が目の前に。
e0165472_02485.jpg


e0165472_024126.jpg


そして、頂上近くにたどり着き車をおりると、
目の前に美しい瀬戸内海の海が広がっていました。

e0165472_062669.jpg


ここから見る瀬戸内海の島々は1300年前とほとんど変わっていないかもしれません。

開発が進まなかったおかげで、昔からの姿を残す島々。

1300年前も、こうしてここから海を眺めたのでしょうか。

どんな気持ちで、何を想い、何を願い、人々はここに立ったのでしょうか。

e0165472_010711.jpg


この美しい海を、この美しい島々を、これから何百年、何千年と残していってほしいと心から思いました。

この海には数えきれないほど多くの歴史がつまっています。

それは時に悲しい出来事だったかもしれません。 
時に勝利に沸き歓喜に満ち溢れた歴史だったかもしれません。

でも、そんな数限りない多くの人々の歴史があったからこそ、今私たちはここにいる。

こうして美しい空を見上げ、
こうして美しい海を眺めることができるのも、
多くの人々の辛く悲しい歴史の先にたどり着いた今があるから。

それがどんな歴史でも、私は本当のことをそのまま受け入れたいとやっぱり強く思います。

それが、引かれたレールなら、全てを受け入れなければいけないのだと思います。

なぜならその歴史がなければ、今私たちはここに存在しないのだから。

そして全ての命、どんな命も無駄な命はないということを伝えたいと思います。



今日で2年間働いた職場を去りました。
まさか自分がここで働くとは思っていなかった職場。 

なぜか突然働いてみようと思いつき、試験を受けて入った職場。

本当にいい人たちに恵まれて何の悩みもなく、毎日楽しく過ごすことができました。

沢山素敵な出会いもありました。

可愛い姫たちにも出会え、私は神社めぐりを本格的にスタートするきっかけともなりました。

本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

できることならずっとここで働いていたい。
そんな気持ちが芽生えたことも、初めてかもしれません。 

出会いもあれば別れもある。

わかっていても、何度同じ経験をしてもやっぱり寂しい気持ちは沸き起こるものですね、。

でも別れが寂しいと思えることに感謝したいと思います。

なぜならそれだけ素敵な出会いと、素晴らしい経験ができた証だから。

何かが終われば何かが始まる。

次に進むためには、ずっと同じところに立ち止まっていることはできないんですよね。

4月からはまた新しいスタート。
でもスタートは、同じレールの上でのスタート。
駅を出発してまた次の駅を目指すためのスタート。

本当に、ありがとうございました。




隠された歴史、消された神々のことを、一人でも多くの人に知っていただくために
もし、よかったら、(バナー)をポチっとお願いします^^

一緒に、瀬織津姫を復活させましょう♪ 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村

愛姫伝 スマートフォンサイト 
QRコード
e0165472_239596.png


ブログで紹介した場所を、地図でご案内しています。。
お越しの際には是非ご参考にされてください。

愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2012-03-31 00:36 | 愛媛県今治市(旧大三島町) | Trackback | Comments(2)

こんばんは。

今日は、以前も一度ご紹介しましたが、再度大山祇神社 摂社 「阿奈波神社」をご紹介します。

阿奈波神社は、大山祇神社のすぐ近く宮浦港横の、御串山の麓にあります。

御祭神は 「磐長姫」

大山積神の娘、木花咲耶姫と姉の磐長姫。高千穂峰に降臨した、瓊瓊杵尊は、木花咲耶姫と結婚をしたいと申し出、大山積神はとても喜ぶのですが、なぜか磐長姫も一緒にもらってほしいといいます。

しかし、瓊瓊杵尊は、醜い磐長姫は追い返してしまい、木花咲耶姫だけを妻に迎えました。
そして、木花咲耶姫は火の中で子供を生むことになります。

このお話を初めて聞いた時、やはり見た目重視なの? と単純に思いました。

でも、実はこのお話の奥にはもっと深い意味があったことに後になって気づいたのです。

大山積神の娘、 木花咲耶姫と磐長姫は、瀬織津姫の魂を二つに分けたもの。

木花咲耶姫は、瀬織津姫の姿、そして磐長姫は瀬織津姫の永遠の命。

瀬織津姫は永遠の命を持つ、再生復活の女神。

その魂と、外側つまり姿とを別々にわけた意味があったのです。

大山積神は、可愛い娘をどうして一人の男性のところへ一緒に嫁がせようとしたのか。それがどうしても納得がいきませんでした。
でも、二人の娘が、本当は一つだったとしたらそれはあたりまえのこと。

身体と魂、両方があって初めて一つなのだから。 

もちろん、これはつくられたお話。 ではどうして、わざわざ別々にしなければならなかったのかというと、
それは、永遠の命をもつ瀬織津姫の魂を受け継ぐわけにはいけなかったからなのです。

ここで瀬織津姫の魂を消し去った。でも、本来の神の存在を全て最初からないものとはできなかったことが姫の偉大さを物語っているともいえます。

また大山積神とは、瀬織津姫を封印するためにおかれた神だということが、この物語からも読み取れるのではないでしょうか。

昨日お話した、陰陽五行説の考え方では、
「相生」と「相剋」と言って、それぞれの要素同士がお互いに影響を与え合うという考え方があります。

相手の要素を補い、強める影響を与えるものを「相生」

相手の要素を抑え、弱める影響を与えるものを「相剋」といいます。

そして 「水」にかつことができるものは、木、火、土、金、水の中で、

「土」 とされます。

大山積神とは、「山の神」 それは 土が大きな塊となった山。

水をせき止めその勢いを弱め、封じ込めるためには、「山の神」でなければいけなかったのです。

だから、瀬織津姫を封印するために祀られた神は 「山の神 大山積神」だったのです。

多くの人が疑問に思っていること。

「どうして瀬戸内海の真ん中の島に祀られる神が 山の神で、しかも日本の総氏神なのか?」

その答えはここにあったのです。

瀬戸内海という立地がら、後に多くの海賊が信仰す神となり、多くの武将が信仰する神となり、
「海の神とも、戦いの神とも」 言われるようになりましたが、本来の大山積神が誕生した時のその意味は

「山の神」

それが、ここ大三島へ大山積神を祀った理由だと私は思います。

しかし古事記の中では、大山積神は瀬織津姫の代わりでもありました。
だから、その大山積神の裏に隠された真の魂を受け継がせないように、二つの姫を誕生させ、姿と魂を別々にしたのではないでしょうか。

だから、磐長姫とは、瀬織津姫の魂を受け継ぐ姫だったのです。

そしてここ大山祇神社では、今もその魂を持つ磐長姫を境内の中には祀ることができないのです。

ここ大山祇神社には、磐長姫のもう一つの物語があります。

瓊瓊杵尊の子供を身籠ったのは、木花咲耶姫だけではありませんでした。
大山祇神社に伝わる伝説では、木花咲耶姫よりも先に磐長姫が瓊瓊杵尊の子供を身籠ります。
それなのに、瓊瓊杵尊は木花咲耶姫と結婚をしてしまうのです。
磐長姫は無念を感じて身を引き、宮の外へ産殿の建てて移り住んだといいます。

この産小屋が、ここ大山祇神社の摂社 「阿奈波神社」です。

ここは古来より、「阿奈波さん」とよばれ親しまれ、
長命延寿の神として、また子宝に恵まれない人や花柳病にも霊験があるとされ、
多くの人に信仰されてきたといいます。

阿奈波神社が鎮座する山を、「御串山(みくしやま)」といいます。

「串」 とは 「櫛」 のこと。

櫛とは、魂を閉じ込めるもの。 古代の人々にとって櫛とは、
魂を込めて別れる相手に渡したと言われるように、その御魂を封じ込めるもの。

磐長姫が鎮座するこの山が 「御串(櫛)山」 と呼ばれることも、その魂が封印されているからなのでしょう。

e0165472_2242241.jpg


御串山の海岸を通り、一番端まで行きます。
e0165472_2254751.jpg


途中、大山祇神社の方を向いた鶴姫がいます。
e0165472_2271187.jpg


神社が見えてきました。
e0165472_228729.jpg


ここが、阿奈波神社です。
e0165472_229369.jpg


e0165472_2294647.jpg


拝殿
e0165472_22103051.jpg


e0165472_22112296.jpg


まるで龍宮城のようです。

e0165472_22121199.jpg


多くの人がここへ奉納していくそうです。
e0165472_2213883.jpg


磐長姫は一の鳥居の中にも入らず、ここで1300年の間ずっと人々も見守ってきた。
なんだか、とても寂しいですね。

本当は、二つで一つの命。
磐長姫はその美しい姿を奪われ、木花咲耶姫は本当の魂を奪われて別々に分けれてしまった。

いつかその二つが一つになる日がきますように。

明日は、今回の大三島探訪最後。 大山祇神社の御神体 「鷲ヶ頭山」へ登ります。
e0165472_221753100.jpg


人はどうして怒るのでしょう。

それは自分の思いどうりにならならいから。 

人はどうして悲しむのでしょう。

それは自分の好きなものが自分から離れてしまうから。

人はどうして喜ぶのでしょう。

それは自分の思い通りのことがおこったから。

怒りも悲しみも喜びも、そして憎しみも、全て自分の心が中心になってできる感情。

この不思議な感情があるから人間で、感情があるから生きているともいえる。

でも、この自分の心がつくる感情が元となって、時にしてはいけないことをしてしまう。

それは人がもつさまざまな欲望を満たすために。

この世に生をうけてから、命が消えてしまうその日まで、人はそのさまざまな感情とともに生きていると言ってもいいかもしれません。

感情がなければ何も生まれないし、生きる気力も失ってしまう。

だから、怒ってもいい、泣いてもいい、笑ってもいい。

でも、ほんの少しだけ、その感情を自分中心ではなく、
誰かの気持ちになって考えることができると世界は変わるかもしれない。

「感情」 は心がつくりだすもの。

人間にとって必要なものであり、一番難しいものなのかもしれません。



隠された歴史、消された神々のことを、一人でも多くの人に知っていただくために
もし、よかったら、(バナー)をポチっとお願いします^^

一緒に、瀬織津姫を復活させましょう♪ 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村

愛姫伝 スマートフォンサイト 
QRコード
e0165472_239596.png


ブログで紹介した場所を、地図でご案内しています。。
お越しの際には是非ご参考にされてください。

愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2012-03-29 23:54 | 愛媛県今治市(旧大三島町) | Trackback | Comments(0)

こんばんは。

突然ですが、まつぼっくりの芽って見たことありますか?

私は、今日初めて見ました。

まつぼっくりの笠と笠との間に、羽のようなものがあります。
それが、まつぼっくりの実。 

この実を春のお彼岸頃に植えると、この羽のような実から芽が出るそうです。

でも、全ての実から芽が出るわけではなく、なかなか芽を出す数は少ないそうです。

それが、職場の人が丁度一週間前のお彼岸頃に植えた実から、芽が出て日に日に大きくなっていると聞き、早速見せてもらいました。

これがその写真です。
e0165472_2211163.jpg


たった一つの小さな小さな実。
小さな命が、一生懸命生きようとする姿になんだか勇気をもらったような気がします。

コップの中で生きている小さな命を見ていると、人間ってやっぱり贅沢な生き物だな。。。
と思います。

植物と人間は違う。。。 そう言われるとそうかもしれませんが、でも、同じ一つの命。
ただひたむきに、何の欲もなくその与えられた命を一生懸命生きようとしてるまつぼっくりの命。
私は改めて命の意味を考えさせられました。

私には、この小さな命が一生懸命何かを伝えようとしているように感じました。

では、今日のお話です。
今日も引き続き大三島。 宗方八幡神社から今度は北へと進みます。 

大山祇神社の少し手前の町、大三島町口総。
ここは昔、「七カマド」 とよばれていたといいます。

「七つのカマド」 不思議な名前ですね。

今日ご紹介する神社は、この七カマドにある、小さな山の上に鎮座する神社

「磐座八幡大神社」 です。

延長6(929年)年8月15日、村人数名が伊勢神宮に参拝し、部落鎮護の神として
大日霊大神(天照大御神)・天常立尊・国常立尊・月夜見尊をお迎えしたことが始まりとされます。

村人たちが、どこへ神を祀ったらよいかと悩んでいたところ
ある朝日が出る前に、現在の神社地上空に五色の御光が立っているのを村人の一人がみつけました。

そしてこれは大神のおぼしめしであると村人一同は考え

「天の岩戸より御降臨になりて座す」の意見で天磐座神社と称しここに神々をお迎えしたといいます。

それから673年後の慶長元年、興田別尊(別名応神天皇)をお迎えし八幡宮と改名し、
その後274年たった明治3年再び改名し、現在の磐座八幡大神社となったそうです。

「五色の光」 神社やお寺の由緒の中でよくでてきますが、
これは、五行思想からきていると思われます。

五行思想とは、古代中国の自然哲学の思想で、万物は木・火・土・金・水の5種類の元素からなるという説です。そしてこれが後に、陰陽五行思想となります。

陰陽五行思想は、5世紀~6世紀ころ日本に伝わり、
律令により陰陽寮という役所が設置されました。

そしてその後日本独自の陰陽道へと発展していきました。

五色の光。 これはここにも陰陽道の思想があったことがうかがえる記述かもしれません。

そしてこの神社の由緒の中で、

「月夜見尊」 は 「死んでから行く国の神」と書かれてあることも、
月の女神が 「死」 の神とされたことに繋がるのかもしれません。

*磐座八幡大神社
*今治市大三島町口総2023
*祭神:大日霊大神・天常立尊・国常立尊・月夜見尊
*境内社
 速佐須良姫神社
 口総護国神社

e0165472_23104426.jpg


鳥居をくぐり、池の側の道を通り山へと向かいます。
e0165472_23114441.jpg


e0165472_23123662.jpg


池に近づくと、池の中に小さな社があることに気づきました。
何の説明もありませんが、その姿は弁財天。 
姫が池の中に祀られていました。

e0165472_23142644.jpg


赤い屋根の小さなお宮。
きっとここは昔海だったのでしょうね。 そして海と川の境目のこの山にきっと祀られていたのだと思います。

e0165472_2316791.jpg


そしてここから山へと上ります。
e0165472_2317218.jpg


e0165472_23173999.jpg


最後の鳥居が見えてきました。
e0165472_23184466.jpg


鳥居をくぐると、拝殿がありました。
e0165472_23194799.jpg


e0165472_23202770.jpg


そして本殿へ。
e0165472_23212221.jpg


本殿の裏をくぐりと廻り反対側へ行くと、小さなお宮がありました。
それを見た瞬間、これは姫だ! と思いました。

e0165472_23233330.jpg


拝殿へ近づいてみると、そこに書かれていた名前は。。。。

e0165472_23243622.jpg


速佐須良比売(はやさすらひめ)でした。

速佐須良比売とは、祓戸大神の中の女神で、
一番最後に出てくる神さまの名前です。

気吹戸主が、速開津媛命がもろもろの禍事・罪・穢れを飲み込んだのを確認して根の国・底の国に息吹を放ち、速佐須良比売は、その根の国・底の国に持ち込まれたもろもろの禍事・罪・穢れを消し去ってしまうとされます。

速佐須良比売が単独で祀られているところはあまりなく、とても珍しい場所です。

祓戸大神とは、4柱の神さまのことをあらわしますが、これは全て瀬織津姫の変えられた姿です。

だから、速佐須良比売は、瀬織津姫のこと。

本殿の横に祀られた小さなお宮は、 瀬織津姫。

そして、この山の上から見える池の中に祀られている神様もきっと姫だと思います。

e0165472_23304874.jpg


毎日のように流れる原発のニュース。
皆さんは、これを見てどう思うでしょうか?

人間はどこまで行けば自分たちの過ちに気付くのでしょうか。

あれだけのことがありながら、それでもまだやめようとしない。
あの地震は、確かに自然の現象で、地球が生きている限りいつかは起きる地震だった。

でも、あの津波は原発を辞めなさいと言っているようにも思えた。

今ならまだ間に合う。
本当に原発を地震または津波が直撃する前に、知らせた警告。

警告にしたらあまりにも被害が大きすぎかもしれない。

でも、このままやめなければ、もっと大変なことになるかもしれないと思うのです。

私は神さまが人間に対する怒りで地震を起こしたとは思っていません。

数千年まえから、世界中の神話の中には、神の怒りが自然の驚異と結び付けられていますが、私は、地震も洪水も、干ばつも、神の怒りなどとは思いません。

地球は、地球自体が生きているだけなのです。

地震も火山も、洪水も、干ばつも、地球が生きている証拠なのです。

地球が生きている限り、これら全てのことは決してなくなることはありません。

それは人間の力で逆らうことも、止めることもできない、すべて地球が生きている証だから。

だから、もし神様が私たちに何かをしてくださるのなら、
それは今私たちに地球が生きていることを、必死でわかってほしいと伝えていると私は思うのです。

全てが滅んでしまわないように、そうなる前に気づくようにと。。。。。

ここ数年で、少しづつ少しづつ瀬織津姫の名前が世の中に出てきたことも、
神社やお寺に行く人が増えてきたことも、
スピリチュアルな世界を信じる人が増えたことも、
何かを伝えようとしているのではないかと思うのです。

私たちは、音として聞こえないだけで、その声なき声を、受け取っているのではないかと思うのです。

だから、神様のせいで地震がおきたとか、 人の命が失われたとかは、思わないでほしい。

地球に少しでも長く生命が生き続けることができるように、
未来へ新しい命が繋がれていけるように、ただ、そう望んでいるだけだけだと私は思います。

その声に、一人でも多くの人が気づきますように。

一人でも多くの人の魂に、本当の声が届きますように、私は願っています。




隠された歴史、消された神々のことを、一人でも多くの人に知っていただくために
もし、よかったら、(バナー)をポチっとお願いします^^

一緒に、瀬織津姫を復活させましょう♪ 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村

愛姫伝 スマートフォンサイト 
QRコード
e0165472_239596.png


ブログで紹介した場所を、地図でご案内しています。。
お越しの際には是非ご参考にされてください。

愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2012-03-28 23:58 | 愛媛県今治市(旧大三島町) | Trackback | Comments(0)

こんばんは。

今日はとてもよいお天気でした。寒かった冬もやっと峠を越え、日に日に春が近づいてきている気がします。

今日久しぶりに大浜八幡神社に行ってきました。
瀬織津姫が祀られる社の前の桜も、つぼみが膨らみ、今にも咲きそうなつぼみがたくさんありました。

今度の日曜日くらいには、咲き始めるかな。。。。

e0165472_21272563.jpg


では今日も大三島の続きです。

今回はいつもとは逆回りに大三島をまわってみました。
高速道路をおりてそのまま南へ、瀬戸をとおり過ぎ一山こえると大三島の一番南の町に出ます。

その逆を降りていくと、目の前に綺麗な海が見えてきました。
e0165472_21304176.jpg


そして少し走ると以前ご紹介した、三つ子島が見えてきました。
大三島を含む七つの島に、十六の皇子を祀ると海の中から現れたという

「三つの島」 この島の名前が、中国で不老不死の島と伝わる島

「蓬莱(ほうらい)・方丈(ほうじょう)・瀛州(えいしゅう)」です。

e0165472_21334443.jpg


そして今日ご紹介する神社は、この三つ子島のある 「宗方」に鎮座される

「宗方八幡神社」です。

ここは、神功皇后由来の神社で、

神功皇后が三韓征伐のため、瀬戸内海を航行されたとき、
この地域の若者たちが海上案内をしたことに縁があると伝えられています。

この海を神宮皇后が通った時に、先導をしたと伝わるこの地区の若者。

神社の名前にもなっていますが、この地区は、宗方。

宗方とは、九州は筑前国の古族宗像氏に由来すると思われ、
ここには、宗像氏に関係する人々が住んでいたのかもしれません。

宗像氏とは、厳島神社に祀られる三女神を主祭神とする一族です。
天武天皇は、多くの姫を妃に迎えていますが、この宗像氏の姫も妃としています。

全国宗像神社の総本社は福岡県にあり、
沖ノ島の沖津宮、大島の中津宮、田島の辺津宮の三か所に分けられ祀られています。

瀬織津姫と深いかかわりのある、宗像三女神を奉る宗像氏が、この大三島でも何らかの
役割をになっていたのかもしれません。

この宗方で今も行われる御祭りも、神功皇后が起源となっています。

「櫂伝馬」 

この御祭りで使われる、伝馬船(てんません)は、荷物などを運ぶ和船ですが、櫂伝馬は県内でも瀬戸内の一部地域でしか残っていません。
特に櫂伝馬レースとなっているのは、ここ宗方だけで、3隻の伝馬船が、約700mの距離を、スピードを競って漕ぎ比べます。

そして、その船の名前には、
を「蓬莱(ほうらい)」「蓬英(ほうえい)」「蓬祥(ほうしょう)」の名前が付けられています。

不老不死の神の島の名前をつけた船が、神功皇后を先導したように、今もこの海で
その姿を再現しているのですね。。。。。

*宗方八幡神社
*今治市大三島町宗方3348番地
*祭神
誉田別命(ほむだわけのみこと)
息長帯姫命(おきながたらしひめのみこと)
武内宿禰命(たけうちのすくねのみこと)

神社へは、この大きな鳥居をくぐり山の上へとのぼります。
e0165472_21582440.jpg


大きなご神木が迎えてくれます。
e0165472_2284681.jpg


ここから神域の中へ。
e0165472_2292748.jpg


e0165472_2210363.jpg


階段の上で狛犬が迎えてくれます。
e0165472_2211411.jpg


奉納された立派な燈籠がありました。
e0165472_2212112.jpg


拝殿
e0165472_22124073.jpg


e0165472_22132738.jpg


本殿
e0165472_2214114.jpg


そして一番気になった場所。
本殿の側の木の陰にひっそりと祀られる境内社。
ここに姫が祀られているようなそんな気がしました。

e0165472_22174029.jpg


e0165472_2217543.jpg


今日は、金星が東方最大離角となる日だそうです。
東方最大離角とは、地球から見て内惑星が太陽の東側にあるときのことをいうそうで、
夕方西の空に、まばゆいばかりに光輝く金星が見ることができます。

そして、今日は月のすぐ近くに金星が見える日でもあります。

昨日も空を見上げると金星が月の真下で、キラキラと光り輝いていました。

金星は、古代女神にたとえられ、その女神とは地母神 母なる神のことでした。

まるで瀬織津姫の一つの姿でもあるようですね。

松山市、旧北条市の天道日女命を祀る神社で行われる 特殊神事の名前は
「宵の明星」。

夕方西に沈む前に光輝く金星、宵の明星。
この名前が付けられたのも、もしかしたら古代の女神 「母なる女神」を表していたのかもしれないな。
なんて思いました。

月に寄り添うように光る金星。
その姿は古代の人にどのように映っていたのでしょう。
電気もない真っ暗な中で、大地を照らす月と星を見て。。。。。。





隠された歴史、消された神々のことを、一人でも多くの人に知っていただくために
もし、よかったら、(バナー)をポチっとお願いします^^

一緒に、瀬織津姫を復活させましょう♪ 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村

愛姫伝 スマートフォンサイト 
QRコード
e0165472_239596.png


ブログで紹介した場所を、地図でご案内しています。。
お越しの際には是非ご参考にされてください。

愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2012-03-27 22:36 | 愛媛県今治市(旧大三島町) | Trackback | Comments(2)

こんばんは。

大三島二回目。
今日は、昨日の「みたらしの井戸」のすぐ側に鎮座する、大山祇神社元宮、

「横殿宮」のお話です。

「みたらしの井戸」は、現在も大山祇神社へ献上する禊の水。
そして、この場所は大山祇神社が本来あった場所とされている 元宮のすぐ側にあります。

大山祇神社に三島明神が祀られたのは、
現在の神社境内の中央に聳える楠が植えられたとされる 2600年前。

小千命が、ここに神を祀ったことが始まりとされます。

しかし、大山祇神社の由緒では、大山祇神社はもともと現在の宮浦の反対側、現在の上浦町瀬戸にあったとされます。

だから、この説が一般的な大山祇神社の始まりとされています。

594年推古天皇の御代、三島逈戸浜(上浦町瀬戸)に大山祇神社が建てられ、その神社を
「横殿の宮」と言ったと書かれています。

そして更にこれより前、崇峻天皇589年、
神託により、小千益躬は三島逈戸浜 「鼻刳瀬戸」の御神木に鏡をかけ祀った(大山積神を)
ことが始まりです。
小千益躬とは、崇峻天皇の御代、
靺鞨(まつかつ)の国より鉄人が八千の兵を率いて攻めてきたのを、
播磨の国で討ちとったといわれる英雄。

それまで越智家は、ただの地方豪族でその名前が愛媛以外の記述で出てくることはありませんでした。
しかし、この時突然その名前が表舞台へと姿を現します。

この横殿の宮に大山祇神社が建てられることになる原点もまた、この小千益躬。

そしてこの時から、小千玉澄まで大山祇神社の遷座に深くかかわっていくことになります。

589年、三島逈戸浜 「鼻刳瀬戸」の御神木に鏡をかけ祀ったとされる伝承と同じ時、
これと同じような伝承の場所が、ここ今治市内にあります。

それが、現在「鳥生」と言われる場所、以前お話した今治市鳥生祇園町に鎮座される三島神社です。

継ぎ獅子の発祥の地とも言われるこの三島神社は地元の人からは祇園さんとよばれています。

この神社の原点は、小千益躬にあります。

第三十二代崇峻天皇、御宇2年(589年)に、この地方の豪族小千直益躬(おちあたいますみ)が、靺鞨(まつかつ)の国より鉄人(強い武人)が八千の兵を率いて攻めてきたのを、播磨の国で討ちとり、木の下の浜(今の鳥生の浜)へ凱旋し、自ら榊の大樹に鏡をかけて大山祇の大神を祀ったので、木の下三島宮と呼ばれていた。この木の枝に多数の白鳥が巣を作り、ひなを育てたので鳥生の宮と称し、地名も鳥生としたと伝えている。

これが祇園町に鎮座される三島神社の由緒です。 そしてこのことは、
『三島宮御鎮座本縁』にも、一説にはと、大三島瀬戸の伝承とともに書かれています。

同じ年、別々の場所で同じような言い伝え。
このことだけでも、どちらが本当の伝承なのか。どちらもつくられたものかもしれないし、
もしかしたらどちらかが大山積神のことをあらわし、どちらかは瀬織津姫のことをあらわしているのかもしれません。
もしそうなら、瀬戸に祀られた神が、大山積神で、鳥生に祀られた神が瀬織津姫。

その理由は、この鳥生の宮のほうの伝承には、三島明神(大山積神)の本当の姿を伝えているからです。

それが 「白鳥」 この白鳥とは 「鷺」のことです。

「鷺」とは「月の神使」 それとは反対に 「烏」は 「太陽の神使」とだからです。

この鳥生に現れた鳥は、烏ではなく 鷺。 それは月の女神の神使だったのです。

小千家が、本当に祀っていた「三島明神」とは 「月の神」 だったということを言いたかったのではないでしょうか。

そしてまたもう一つ、この小千益躬の鉄人伝説でとても気になることがあります。

それが、河野氏が、自らの氏族の来歴を記した文書 「予章記(よしょうき)の中の鉄人伝説です。

予章記以外では、小千益躬が戦った相手 「鉄人」とは、靺鞨(まつかつ)の国からやってきたとされているのですが、予章記には、「鉄人」とは 「百済」からやってきたと書かれてあるのです。

きっと多くの人はこの内容を読んで、そんなはずはないと思い、勝手にこの相手を百済ではなく
「新羅」 としているのではないでしょうか。

それは、この後、斉明天皇時代にかけて日本が見方をし、援護するために多くの軍勢を送ったのは、
百済とされているからです。

日本は百済の応援に行っているはずなのに、

小千益躬が戦った相手は 「百済からきた鉄人」だった。

これが本当の姿だと私は思います。

そして、河野家はこの予章記の中で、

「河野氏の祖先は小千益躬」だと書いています。 

大山祇神社を宮浦へと正遷座させた 「越智玉澄」ではなく、「小千益躬」だと。

(「小千家」はこの越智玉澄から 「越智」に変わったとされています。)

これが、河野家が書き残した唯一の抵抗ではないかと思います。

自分たちは、本当の小千家の子孫であり、「越智家」の子孫ではないと言いたかったのではないでしょうか。

そして、小千益躬が祀った場所は、瀬戸ではなく、この鳥生。

瀬戸に祀ったのは、後に 「越智」 となのるものたちに祀られたのです。

それが、摂津から来たと言われる 「百済」 の関係のある一族です。

ここ横殿宮 瀬戸に祀られた大山積神は、本来宮浦に
2600年前から祀られていた 「三島明神」とは全く違う神です。

本来現在の場所 宮浦の大山祇神社のご神体(安神山)に祀られていた三島明神は

「大蛇」 それは 「龍」 そしてそれは、月の女神 瀬織津姫だったのです。

しかし、瀬戸から宮浦へと移されるその時、安神山の大蛇は、追い出されました。

『三島宮御鎮座本縁』の中で、そのことも書かれています。

文武天皇701年、越智玉澄が宮浦へ大山祇神社を建立しようとしていたのですが、安神山にすむ大蛇が悪さをして移すことができないため、この山に「五龍王」を祀り追い出したと。

この安神山にすむ大蛇とは、姫のことだったのです。

そして、現在元宮のあったとされる瀬戸周辺には 「曽我」という名前が多く、
現在の大山祇神社がある宮浦側には 「藤原姓」が多いこともそれに繋がるのかもしれません。。。。。

e0165472_22495230.jpg


e0165472_22505083.jpg


e0165472_22513236.jpg


現在の元宮 横殿宮は、楠の森の中にひっそりと小さな社殿が鎮座されているだけの寂しい境内。
私はここが、新しい大和をつくろうとした一族が、大三島へと初めて上陸してきた場所ではないかと思います。
そして、100年の月日をかけて、少しづつ少しづつその勢力を増していったのだと。。。。
e0165472_22522460.jpg


e0165472_22582162.jpg


e0165472_22584164.jpg




隠された歴史、消された神々のことを、一人でも多くの人に知っていただくために
もし、よかったら、(バナー)をポチっとお願いします^^

一緒に、瀬織津姫を復活させましょう♪ 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村

愛姫伝 スマートフォンサイト 
QRコード
e0165472_239596.png


ブログで紹介した場所を、地図でご案内しています。。
お越しの際には是非ご参考にされてください。

愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2012-03-26 23:02 | 愛媛県今治市(旧大三島町) | Trackback | Comments(2)

こんばんは。

今週末は今治市のお隣、旧東予市に行っていたのですが、空には太陽が顔を出しているのに、
ずっと雨がふっていました。

「きつねの嫁入り」

どうして昔の人は きつねの嫁入りと言ったのでしょうか?

今まであまり深く考えたことがなかったけど、昨日ふとそんなことを考えてやっぱり思いついた答えが
瀬織津姫でした。

きつねの嫁入りとは、お天気雨のこと。
昨日の天気のように、太陽が出ているのにもかかわらず空から雨が。。。。
太陽の日差しとともに、ふってくる不思議な雨。

それは 「きつね」 と結び付けられる。

きつねとは、稲荷に変えられた姫の姿。

「雨」もまた、姫の姿。

そして太陽は、「ニギハヤヒ」 

ふつうは、太陽と雨は一緒にその姿を見せることはないけど、お天気雨のその時だけ水と太陽が一緒になる。まるで太陽から雨がふってきているかのような不思議な光景は、まるでニギハヤヒと瀬織津姫が一つになったかのようにも思えいます。

それを「きつね」にたとえ、太陽の元へときつねがお嫁に行ったとたとえたのかと勝手にこじつけてしまいまいした^^;

でも、「きつねの嫁入り」 は、私には 「姫の嫁入り」に聞こえてしまうんですよね^^;

そしてそのきつねの嫁入りの後、太陽の光が強くなり、雨があっがたな~ (嫁いりが終わったな~)と思ったその瞬間、 

「あ!!、あれ!!!!!!!!!!」

相棒の指さす方を見てみると、そこには、久しぶりに見る鮮やかな虹!

e0165472_20193795.jpg


e0165472_20202455.jpg


虹はニギハヤヒの姿。
きつねがあの虹を渡ってお嫁に行ったのかな~なんて想像したりして。

久しぶりの虹に感動でした。 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今日からは、久しぶりに大三島のお話です。

大三島へ渡ったのは今年初めて。 今回は、なんとなく大三島へ行きたくなって思いつくままにまわってみました。 そして、念願の山の上に行くことができました。

今日から数回にわけて、歴史の鍵を握る島、大三島をご案内します^^

まず今回向かったのは、みたらしの井戸。
以前も一度ご紹介していますが、再度行ってみようと向かいました。

「みたらしの井戸」

みたらしの井戸がある場所は、大三島の東側 「瀬戸」
ここは 594年、大山祇神社が、摂津より移りまつわれたと伝わる場所。

この場所の前の海を 「鼻刳瀬戸」 といい、大三島と伯方島の間の海。

古来よりとても流れの早く、またこの場所は、牛の鼻にとおす環・鼻刳[はなぐり]の形に似ていることから、この 「鼻刳」という名前が付けられたと云います。

そしてこの海浜に四六時中清水がわき出る井戸があり、この井戸のことを

「みたらしの井戸」 といいます。
そして古くよりこの水を「大山祇神社の神饌水」として、毎年秋の大祭に献上していました。

一時この習わしはなくなってしまっていましたが、今また復活しています。

「みたらし」 とは、「御手洗」の意味に通じ、まるで禊、祓いの水です。

そのことを物語るかのように、古来よりこの水は 「神様が禊をした水」 と伝わっています。

「神様が禊をした水」と言えば、 イザナギが黄泉の国から帰ってきた時、
「私はなんと醜い、汚れた国に行っていたものだ。 だから私は身体のけがれを洗い清めよう。」といって禊をおこなったと古事記に書かれています。

その穢れを落とすために立ち寄ったとされる 「橘の小門」とは、
もしかしたら、この 「みたらしの水」 のことだったではないかと思うのです。

「橘」 とは、伊予の国のことをさすと私は思っています。

それは「橘」とは、「不老不死の果実」を意味し、それは常世の国をも意味します。
そしてその常世の国とは、「伊予の国」のこと。

この「みたらしの水」 とは、瀬織津姫をも意味する水。
瀬戸から宮浦へと大山祇神社を遷宮することは、瀬織津姫を大山積神へと変えることであり、
その神が 「日本の総氏神」 となり、日本を守護する場所となる意味が込められていました。

そして常世の国の女神を封印しなければいけなかったのです。

今も大山祇神社へと献上されているこの水は、「神の禊の水」
1300年の間、毎年毎年、今もまだ、その罪を消すために、禊を続けているのではないでしょうか。

「みたらしの井戸」の別名 「「横拔の井戸」=「横祓の井戸」=「蛇祓いの井戸」

e0165472_22331326.jpg
 

e0165472_2234259.jpg


そしてこのみたらしの井戸は、川と海との境にあります。

川の水と海の水がせめぎあう場所。それは再生の場所。

e0165472_22364133.jpg


海のすぐ側のこの場所から湧き出る 「真水」 
その水は再生の水、瀬織津姫の水。

e0165472_2238810.jpg





隠された歴史、消された神々のことを、一人でも多くの人に知っていただくために
もし、よかったら、(バナー)をポチっとお願いします^^

一緒に、瀬織津姫を復活させましょう♪ 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村

愛姫伝 スマートフォンサイト 
QRコード
e0165472_239596.png


ブログで紹介した場所を、地図でご案内しています。。
お越しの際には是非ご参考にされてください。

愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2012-03-25 22:40 | 愛媛県今治市(旧大三島町) | Trackback | Comments(0)

大山祇神社の謎7 

こんばんは。

今日は、大三島の大山祇神社以外のお話に移ろうかと思ったのですが、
もう一日、この大山祇神社についての謎を、書きたいと思います。

愛媛の歴史だけではなく、日本の歴史を語るうえで、外せない最も重要な場所、大山祇神社のことは、
これから先も、まだまだ、解明していかなければいけないことが山ほどあります。

それが、はっきりしない限り、ほんとうの歴史にたどりつけない気がしています。

古事記、そして、日本書紀と、さまざまな謎に包まれた書物や、各地に残る創られた伝承。
どれが、本当で、どれが嘘か、これは永遠のテーマかもしれません。

「大山積神」 は、 古事記、日本書紀とその誕生は、全く違います。

古事記がつくられた後、どうしてすぐにまた、日本書紀がつくられたかということでさえ、まだはっきりとわからない謎ですが、大山祇神社のことを見るためには、この両方を、合わせてみる必要があるかもしれません。

古事記での大山積神は、 以前もお話しましたが、
「イザナミとイザナギ」の子供として、13番目に誕生します。 
その時の名前を 「大山津見神」 と書きます。

日本書紀では、第五段の一書(七)の中で、
イザナミが亡くなる原因となった、火の神 「軻遇突智」を 三つに分断して生まれる神として登場します。
その時、誕生したのが、 「 雷神(いかづちのかみ)」 「大山祇神(おほやまつみ)」 「高霎(たかおかみ)」
です。

現在、多くの場所で、大山積一座として祀られている、三柱の神は、この日本書記の中で登場します。

そして、なぜか、この次の 第五段の一書(八)で、今度は、「軻遇突智」を五つに分断し、このそれぞれが五つの山祇(やまつみ)となりました。
その神が、  「大山祇(おほやまつみ)軻遇突智の首より」 「中山祇(なかやまつみ)軻遇突智の胴体より」
「麓山祇(はやまつみ):軻遇突智の手より」 「正勝山祇(まさかやまつみ):軻遇突智の腰より」
「隹山祇(しぎやまつみ):軻遇突智の足より」 です。

その誕生も違いますが、書き方もまた 古事記「大山津見神」、日本書紀 「大山祇神」 と違います。

現在の、大三島では、 神社の名前が、日本書紀の 「大山祇」 がつかわれ、名前は、どちらでもない「大山積」がつかわれています。
これが、 どうして、使い分けられているのかは、まだ、はっきりとはわかっていません。

そして、この書き方は、愛媛にだけ特別多いことがわかっています。

現在、全国に祀られている、「大山積(大山祇)」神関係の神社は、約10318社あると言われます。
その中で、使用字を調べると、 全体の85%が、 祭神の名前を 「大山祇神」としています。
次いで多い字が、 全体の9%にあたる 「大山津見神」、本社、大三島の大山祇神社と同じ
「大山積神」 と書く神社は、全体のたったの5%ほどしかありません。

そして、特に、愛媛県だけが、この 「大山積神」 と書く神社が多いと言います。

また、前々回ご紹介しました、 諸山積神社は、 神社の名前に「積」 をもちい、 祭神に、「祇」をもちいます。 

次に、社名ですが、大山積神を祀る神社は、さまざまな名前がありますが、その代表的なものが、
「山(神)神社」 「大山祇(積)神社」 「三島神社」 があります。

この中で一番多い名前が 「山(神)神社」 で、全国の約30%をしめる、3074社。
その次に多いものが、本社 「大山祇神社」と同じ名前で、 三番目に 「三島神社」 がきます。

この三番目の 「三島神社」 は、 その大部分が、愛媛県にあります。

愛媛県では、大山祇神社の祭神のことを、 「三島明神」 とよび、今でもそのよばれています。

これは、もしかしたら、微かなる抵抗で、「三島明神」 が 本当は 「大山津見神(大山祇神)」 ではないと言わんとしていたのかもしれません。

しかし、 少し不思議なことは、 全国で一番この神を祀る数が多い県は、 「大分県」 です。
そして、第2位が、新潟県、 第3位が、静岡県と続きます。
大山積神は、 大阪から、大三島へと来られたという伝説があるにも関わらず、全国で一番少ない県が、「大阪」だということも、謎の一つです。

大山祇神社の歴史が書かれた書物は、いくつか存在しますが、なぜか、書かれている内容が違います。
ここでも、また、 本当のことと、嘘の内容が、混在しているようです。 もしかしたら、全てが、少しづつつくられたものなのかもしれませんが。。。

私も、今まで、何度も書いてきました、 現在の場所、大三島町宮浦への、正遷座の年ですが、 これももしかしたら、事実とは違うかもしれません。
河野氏が、自らの氏族の来歴を記した文書があるのですが、その中に、これまでと全く違う内容のことが書かれてあったのです。

大山祇神社に残る、古文書には、 701年から大造営は始まり、716年に完成、そして、719年に正遷座と書かれてありますが、 この河野家のものには、 716年には、 遷宮はされたものの、称徳天皇(764)までは、磐境の四周に玉垣だけがあったとされているのです。

そして、一番興味深いことは、
716年、宮浦へ遷宮された時、「蓬莱(ほうらい)」・「方丈(ほうじょう)」・「瀛州(えいしゅう)」
あの、3つ小島が出現された以外に、この時、この不老不死の山が出現し、そこから仙人が現れ、

「苗字に (日)という字を加えよ」 とお告げがあったそうなのです。

ということは、それまでは、 「おち」 は 「越知」 と書き、その下に 「日」の文字を加え 「越智」となったということなのです。

「日」 とは、 「アマテラス」 の 「日」 という意味かもしれません。
日本の神をアマテラスにすることと同時に、 名前に 「日」 を付けるよう命じられたということなのでしょうか。

「越知」の名前をそのまま残した、地名が四国に残っています。
それが、先日から、ずっと気になっている 高知県の 「越知町」 です。

そして、ここでもまた書かれていた、不老不死の山 「「蓬莱・「方丈」・「瀛州」 。

もちろん、この時、突如として、この不老不死の山が出現するはずはありません。 でも、やはり、大三島とこの三つの山は、 古代から、 繋がりがあったということなのだと思います。

称徳天皇の時までは、社殿がなかったと書かれてありますが、この時造られたもので、
「宝殿」 と呼ばれるものだったようです。
それまでは、社殿はなく、磐座や、神籬で、祭祀をおこなっていたのではないかと思われます。

「宝殿」は、現在の本殿と同じと言われていて、現在でも、本殿のことを 「宝殿」 と呼ぶそうです。
もしかしたら、この中には、まだ誰もみたこともない、日本の歴史を物語る大切なものが、今もなお、隠されているのかもしれません。

大山祇神社で現在わかっているものの中で、一番古くからおこなわれている神事に、
「生土祭」 と 呼ばれる神事があります。

これは、1月7日 宵祭として斎行されているそうなのですが、
あの、「龍」が住んでいたという 「安神山」の赤土拝戴神事を斎行のうえ、(磐長姫を祀る)御串山の榊枝と共に、お迎えする行事だそうです。

「神前に洗浄した赤土を献供し、宮司以下全員が、額に赤土の神印を拝戴します。
続いて、串木を持ち素朴な楽を鼓に和して奏する。」

まるで、神と人とが一体となる儀式のような神事です。
瀬織津姫である(龍)が住んでいたと伝わる、「安神山」 の土、と 磐長姫を祀る 「御串山」 の土。
やはり、 本来の越智家(大祝家)の人々は、 姫を消されてしまってからも、姫の魂との一体をひっそりと行っていたのかもしれません。 

また、姫の姿(コノハナサクヤ姫)と、 永遠の命(磐長姫)を別々にされてしまったから、
この1月7日は、その別々にされてしまった魂を、 一つにする日でもあったのかもしれません。

もし、そうなら、いくら歴史で消されてしまっても、姫の魂はずっとずっと生き続けていたことになりますね。

大山祇神社には、今回のお話でも出てきたように、本殿(宝殿)の左右に、「上津社」と「下津社」があります。
上津社(上津姫、雷神)、下津社(下津姫、高籠神)です。
本来は、大山積神だけが祀られていましたが、 日本書紀の記述に書かれてあったからか、大山祇神社の神は、三柱を祀ることにより、一つになると考えられ、後から、 雷神、高籠神が祀られることになりました。

更に、それから、7年後に、下津姫が、次いでさらに5年後に、上津姫が祀られたといいます。

しかし、最初から、現在のように横一列に並んでいたわけではないようです。

京都歓喜光寺の国宝一遍聖絵にみる大山祇神社は、本殿と拝殿、そして上津社はありますが、下津社は描かれていないそうです。
室町時代の古図とよばれる大山祇神社の境内図には、
本殿と上津社は、現在と同じようにほぼ同じ位置に西向きでたっていたようですが、下津社は少し離れた場所に、南向きに建っていたそうです。

どうして、南向きに建っていたのか、 これも、まだ謎のままです。

そして、江戸時代で、初めて現在と同じ向きに建てられている様子が描かれたものが見つかっています。

これも、また、姫の姿を考えるうえで、重要な問題の一つになりそうです。
e0165472_2262214.jpg

e0165472_2263974.jpg


まだまだ、沢山、謎はありますが、 最後に、 注連縄です。

神社に行くと、さまざまな注連縄がありますが、この注連縄には本当はどんな意味があるのか、今もまだはっきりとはわかっていないようです。

注連縄の種類の中で、 代表的なものの一つに、

「大根じめしめ縄」 という注連縄があります。

ここ大山祇神社の注連縄も、これにあたります
横にしてつけたときに、片方が太くて、もう片方が細くなる形です。

一般的には、向かって右側を上位ない始め(つくり始め)とし、向かって左側を下位(ない終わり)とするため、
右側が太く、左側が細いものが、「入船」と呼ばれ、よく見られる形です。

この注連縄のことは、日本書紀の中にでてきます。
天の岩戸で、「アマテラス」 が御隠れになって、天照大御神が出ていらっしゃるときに、再び入れないようしめ縄をはりました。これが左ないだったと言います。

これをもう少し簡単に書くと、
「右側が太い場合が (始まり)」 であり、
「左側が太い場合を (終わり)」  と解釈してみます。

そこで、 これらがどんな神社に祀られているといいますと、
右が太い所は、 その多くが、 「天津神」 
左側がふとい場合は、     「国津神」 となります。

そこで、大山祇神社はというと、 「左側が太くした形です」 大山祇神社以外に、これと同じ場所に、あの出雲大社があります。

先日、ふと思ってのですが、これは、 狛犬とも関係があるかもしれません。

狛犬も、これと同じような意味を持ちます。
右側におかれる、 口が開いているものは 「始まり」 を意味し、
左側におかれる、 口が閉まっているものは 「終わり」を意味するとも言われます。

飛鳥時代までは、左右同じ狛犬が置かれてあったといいますが、平安時代に入って、今の形になったといいます。

以上のことを考えると、 大山祇神社や出雲大社のように、 左が太い場合は、
「終わり」 を意味するものかもしれません。

「死」へと向かう神と、 「生」へと向かう神。 
瀬織津姫やニギハヤヒを祀っていた場所は、 「終わり」を意味し、もうその中から二度とでてこないようにしたのかもしれません。
やはり、注連縄でも封印をされてしまったのだと思えるのです。
狛犬は、その意味をしめすためと、 その力を増大させるものでもあるのかもしれません。

出雲大社
e0165472_255438.jpg


大山祇神社
e0165472_256477.jpg


今現在私が思うことは、
物部氏が滅亡したと伝わる、587年から、少しづつ、新大和の勢力は裏で増大し続け、物部氏の中で、生き残るために、新しい勢力へと力を貸したものが、いたのではないかと。

越智家の中で、突然名前が世に現れた、鉄人伝説の(越智益躬)。
私は、もしかしたら、この人物もまた、鍵を握る一人のような気がしています。

越智家の祖は、ニギハヤヒとされていますが、
なぜか、越智家から名前を変えた 「河野家」 は、 自分たちの 「祖」 を 「越智益躬」と言っています。

それまで、大三島に祀る神を守ってきた人は、 現在名前が残る 「越智益躬」以前の、真の 「小千家」
だったのかもしれません。
だから、津島から、瀬織津姫を隠すように、 「小千命」 の発祥の地と伝わる、 大浜(王浜)の地に
御神体を映した人物は、全く違う人物の名前が書かれてあった。

ふつうに考えると、 一番大事な場所だからこそ、
他の多くの場所に三島明神を祀ったように、「越智益躬」や「越智守興」「越智玉澄」によって大浜の地に祀るはずなのに、ここには、これらの人物の名前は書かれてありません。

大浜八幡神社に、瀬織津姫を隠した人物は、物部氏の中で、最後まで姫を守り続けた人物だったのかもしれません。


(もののけ姫の中に出てくる、蝦夷。最後まで、姫を守りつづけ、大和に抵抗し続けた部族です。
この映画は、今の世の中に対する強いメッセージが込められていると思います。
「自然と人間がともに生きる方法はないのかと。。。。。」 




神々の伝説を伝えるために、そして、
その中から自らの生き方を見つけるために、
ブログランキングに参加しています。

幸せの輪を一緒に広げませんか。幸せの入り口(バナー)をポチっとお願いします。


にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村


ブログで紹介した場所を、地図でご案内しています。。
お越しの際には是非ご参考にされてください。

愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-11-05 03:23 | 愛媛県今治市(旧大三島町) | Trackback | Comments(2)

数あるブログの中からお越しいただきましてありがとうございます。 不思議な数々の出会いから、今は、愛媛の神社めぐりをしながら、神社や女神様そして、神話の神々の伝説を調べています。
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31