こんばんは。

今日で、今回の西条、新居浜の旅の最後になります。

弘法大師の跡をたどり、綾延姫のところへ行き、最後は秦一族が住んでいたという大生院を訪れました。

大和にこの地を譲ることになった秦氏。
秦氏が建立したと伝わるお寺は、本当は、秦氏を封印するためにやってきた大和側の一族により建立されたお寺でした。

お寺の裏山には、菊理姫に変えられた姫の姿がありました。

そして、最後は、この裏山の鎮座される小さな神社。

「王神社」です。

王神社の社への入り口に書かれた名前は、

「本智命」

新居浜市誌の中で書かれた 「本智命」は、

景行天皇の時代、この地方の開拓の大任をおび伊予の地に封ぜられたと伝わる

「景行天皇の第13皇子 武國凝別命」のことだと書かれてあります。

そして、現在の祭神は、

本智命のほか、大山積神、雷大神、高おかみの神、応神天皇、水波能女神、太刀丘神、そしてなぜか
小野小町、そして天智天皇です。

しかし、この社の中には御神体はなく、寺の前の畑にある王塚(古墳)に関係がある人物が祀られているという伝承があり、この王塚とこの神社の祭神は、武國凝別命のことではないかと言われているそうです。

でも、上記の祭神は、本当に不思議な組み合わせです。

封印した側と封印された側の両方の神が祀られています。

しかし、本来祀られていた神は、

「本智命」 でした。

そして、ここにはもう一つの言い伝えがあります。

それは、ここに祀られた神とは 「天智天皇」だったという言い伝えです。

「本智命」とは、「天智命」 、天智天皇のことなのではないでしょうか。

大浜八幡神社の伝承では、天智天皇の祖神は、饒速日命だと書かれていました。

秦氏は、饒速日命を祀る一族。 そして瀬織津姫を祀る一族です。

今治市朝倉に、母である斉明天皇の跡が沢山あり、大山祇神社がまだ現在の神となる前に、斉明天皇と天智天皇は訪れ、それぞれが奉納したとつたわる鏡が今も最古のものとして神社に保存されています。

天智天皇は、ここから数キロしか離れていない山の中、
賀茂族の本拠地と秦氏の住むこの地の間で最後の時を迎えたと地元では言い伝えられ、
そこには今も天智天皇を祀る神社があります。

そして、ここ大生院は、秦氏の国があったところです。

その裏山の上に、ひっそりと祀られる 「本智命」

私は、この山の上に鎮座される 王神社の前に立った時、ここは天智天皇を祀る神社だと確信しました。

もちろん確信と言っても、私の中だけの確信で、それを証明するものは何もありません。

でも
私はこの山の上に、生き残った子孫たちが、「本智命」として天智天皇を祀ったのではないかと思うのです。

それは、一部の人たちだけが知る、本当の姿だったのではないでしょうか。

また、新居浜市誌の中に書かれてあった、水波能女神もまた、表には書かれていない神です。

水波能女神がここに祀られていることを知る人は、今、もうほとんどいないかもしれません。

私もこれを読むまで、その名をどこからも見つけることはできませんでした。

地元の人たちだけでひっそりと守り続けてきた、天智天皇と水波能女神。

秦氏が一時代を築いたこの大生院の山の上に今もひっそりと祀られた神は

天智天皇の真の姿かもしれません。

そして、もう一つ。

景行天皇の時代(72年)は、日本武命の伝承がある時代、古事記に書かれていませんが、

熊襲を征討、伊勢神宮で叔母の倭姫命(やまとひめのみこと)より草薙剣を授かった伝承、

など、まるで後の世に起こったことがこの時代に起こっているかのようにその伝承が残っています。

また、伊予の国の神社に残る伝承では、

伊予二名本宮神社創建(松前町)された時代でもあり、

伊曽乃神社にアマテラス荒魂を祀った時代でもあります。

そして、熊野速玉大社が開基された時代でも。。。

私は、この時代はさも、100前後、卑弥呼の時代よりも前に起こったことのように書かれていますが、

これは天智天皇と天武天皇の時代に起こったことと、

また、卑弥呼が邪馬台国をつくるまでに起こった争いの両方が、混合されて書かれた伝承なのではないかと思います。

伊曽乃神社に祀られた、アマテラス荒魂は、瀬織津姫であり、

熊野速玉大社に祭られた神もまた、瀬織津姫。

混合され、本当の姿が見えなくなってしまった歴史。

でも、ここで一時代を築いた氏族が秦氏ならば、古事記や日本書記の伝承がなんと書いてあろうと、

祀られた神は、瀬織津姫であり、また、天智天皇の祖神である 饒速日命なのだと私は思います。

大山祇神社が鎮座される大三島の向かいの小さな島に、天智天皇が築いた城があったといいます。

それは、朝鮮半島からやってくる敵を迎えうつための城だとされていますが、

この島は、瀬織津姫の面影が今も残る島。

そして、その周りの島々にもまた、今も姫の跡が残ります。

その中のある島に祀られる神に、「智島王子」という名の神がいます。

その神社もまた、木花咲耶姫とともに今もひっそりとその名を表に出さず祀られています。

斉明天皇が、越智崗上陵(おちのおかのえのみささぎ)に葬られたとされることも、

天智天皇の后でもあった、遠智娘(おちのいらつめ)の子供を
斉明天皇が自分が崩御した際一緒に合葬せよと命じたことも。

そして、この伝承が、朝倉に残る地元の伝説

「夏姫物語」と全く同じだということも。

これから全てが、このことで繋がってくると思うのです。

天智天皇の和風諡号は天命開別尊(あめみことひらかすわけのみこと)

斉明天皇の和風諡号は天豊財重日足姫天皇(あめとよたからいかしひたらしひめのすめらみこと)

「天命開別尊」 とは、天の命(みこと)と別れ、そして新しい神へ開くことに繋がった最後の天皇。

そして、その母、斉明天皇は、「天(あめ)と豊(稲)の二つの宝をもった」最後の倭の母(姫)。

だったのではないでしょうか。

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木々の覆われた山の中、その真の名を表に出すことができず、1300年の時をここで過ごしてきた神社。

私一人がこんなことを言ったとしても、私の独りよがりで終わってしまってうかもしれません。

でも、もしかしたらそうかもしれないと、思ってくれる人が一人でも現れてくれてくれるかもしれない。

そう思いながら、書き続けたいと思います。

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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2012-03-06 23:33 | 愛媛県新居浜市 | Trackback | Comments(5)

こんばんは。

今日は、先日の正法寺の続き、大生院の神社をご紹介します。

大生院は、古代、秦氏がやってきた場所の一つと言われています。
前回お話したお寺は、新居浜の一宮神社の神職矢野家の一人、上仙人が開基したお寺でした。

前回のお話をまだ読んでいない方は、よかったらそちらを先にお読みください。

秦氏の里 石鉄山往生院 「正法寺」 

正法寺は、小高い山の麓にあります。
ここ大生院は、国道11号線から少し山の方へ入ったところにあたりますが、古代、この辺りはこの国道付近まで海だったといわれています。

当時秦氏が住んでいたこの辺りは、海からそう離れていないところだったのではないかと思います。

秦氏は、この正法寺がある山を中心に生活をしていたと考えられています。

しかし、天智天皇が亡くなる頃、賀茂族により秦氏は衰退していき、また取り込まれていきました。

今日ご紹介する神社は、秦氏が祀っていたであろう瀬織津姫のもう一つの姿です。

西条における秦氏の山、お寺の反対側の麓にその神社はあります。

「妙見神社」

妙見神社は以前、松山のところでお話をさせていただきました。

北斗信仰である妙見大菩薩とは、瀬織津姫のことです。

妙見大菩薩については、 こちらの記事をご覧ください。

星信仰の妙見大菩薩と姫   「松山市 明見神社」


妙見大菩薩の全てが、瀬織津姫ということはないかもしれませんが、ここ大生院に祭られる
妙見大菩薩は、本来秦氏が祀っていた瀬織津姫のその御神徳のみを後世に受け継ごうとした神社ではないかと私は思います。

ここに祀られる妙見大菩薩は

「菊理姫命」 あの白山に祀られる姫、瀬織津姫が仏により封印された山に祀られる姫神です。

古事記の中で、 黄泉の国へとイザナミに会いに行ったイザナギがその姿を見て、逃げ帰った時、二人は口論になり、その口論をおさめ仲直りをさせた女神として出てくる姫神が、菊理姫命です。

縁結びの神としても祀られる女神さまですが、

ここ大生院に祀られる 菊理姫命は、

「眼病平癒の神」 として崇敬されていました。

昔この地の小野某に神憑りがあって、地中より神鏡を掘り出しこの鏡を厚くおまつりするならば人々の眼病を治す」 というお告げがありました。

その後、社殿をお造りしたところ人々の祈りに対して霊験があり、

それ以来、眼病平癒の神として崇敬されているといいます。

古い言い伝えでは、文政六年に船屋(玉津村)の長七の娘「タケ」が八歳のとき、眼病にかかり、神仏に願をかけ朝、夕お祈りをしていたところ、

ある夜、正木(妙見神社周辺の地名)に鎮座している妙見宮にお願いをしなさいと

夢の中にお告げがあり、朝夕一心に妙見宮にお参りをしたところ、

七日目の朝に顔を洗っていると目の痛みがとれ目の病気がなおり、親子は妙見宮に感謝し、そのときの記録を

神社におさめたという話が残っているそうです。

また、本殿の脇には、今も目の病気がなおるという泉があります。

目の病気がなおるという泉。

この泉もまた、瀬織津姫の泉です。

なぜなら、姫の泉は病気をもなおす、再生の水だからです。

そして、私はこのお話を見て思ったことがあります。

それは、 

「目がなおる」 ということです。

現代の人の考えだと 「目がなおる」 とは、 目の病気がなおると考えるでしょう。

でも、私が考える 「目がなおる」 とは、

「見えなくなってしまったものが見える。」

それは、目が悪くて見えなくなってしまったのではなく、 心が闇に覆われ本当に正しいものが見えなくなったこと、また、一つの神が消え、その代わりに新たな神が生まれ、嘘で覆われた世の中で、

何も知らず、何もわからず、何も見えず生きている人々へ

本来の姿、本当の歴史、消された女神の存在を伝えたかったのではないかと思うのです。

それは、姫の聖なる泉を目に当てることで、真の姿を見ることができる。と願い、ここにこの伝承を残したのではないかと思うのです。

生きのび、後の世になんらかの形で残そうと思った秦氏の子孫が、
大和に気付かれることなく神を祀る方法は、こんな方法しかなかったのかもしれません。

この泉、この伝承が、

誰にも言うことのできない、内なる声を表しているように、私には思えました。

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拝殿
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本殿
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そして、聖なる泉 
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皆さんは、何のために仕事をしますか?

昨日だったか、一昨日だったか、テレビのインタビューで多くの人たちが言っていた言葉が、私の心にひっかかりました。

橋本市長が、理想としている政策の中に、

全ての人に、最低限度の生活ができるためのお金を渡すというものでした。

もちろん、これには多くの問題を抱えていて、単にそのまま行うことができないと思います。

でも、この政策に対してどう思いますかという質問を投げかけたところ、

そのほとんど人が、 

「仕事をする意欲がなくなり、経済が発展しなくなる」 と答えました。

私は、この言葉が妙に心にひっかかりました。

「仕事とは、何のためにするものなの?」

確かに、今の時代 お金がなければ食べることができず、住むこともできない。

お金を少しでも稼いで、裕福な生活をしたい。

子供を学校にも行かせたい。 学校にいかなければ、就職もできない。

全てが、お金のため。 

だから、そのお金をもうけるために働く。

これが今の世の中です。

でも、本当に仕事とはお金もうけのためにするものなのでしょうか。

私は、この根本的考えが、長い間の歴史で埋め込まれた過ちではないかと思うのです。

会社は、何のために利益を上げようとするのですか?

会社を大きくするためですか?

かつて、松下幸之助さんは、会社のために働くのでも、自分のために働くのでもないといいました。

みんなが幸せな生活をおくるために、働くのだと。

私は、今の世の中は、この気持ちを持つ人が本当にいなくなってしまったのではないかと思います。

人間は、「命」 を頂いたとき、一人一人に使命を与えられると考えられていました。

使命とは、お金を稼ぐために働くことでも、自分が贅沢に暮らすために働くことでもないはずです。

しかし、きっとこんな声も返ってくるでしょう。

一生懸命頑張るのだから、人より裕福になって当たり前。 沢山働いた人が、沢山お金をもらい、幸せに暮らせるのがあたりまえ。 

そうなりたければ、自分も働けばいいのだと。。。。。

本当にそうなのでしょうか。

従業員は、少しでも裕福な生活がしたいからと、お金のために働く。

しかし、会社は、もっと会社を大きくしたいために働かそうとする。

会社の社長も、同じようにお金をもうけたいから、人件費を削減し、会社を大きくすることを考える。

人それぞれ収入は違っていても、根本的な考え方はみんな同じなのではないでしょうか。

その考え方は子供の頃からうえつけられ、それについていけなかった子供たちは、また親がお金がなくて十分に学べなかった多くの子供たちは、働く場所を失う。

全ては、一人一人の根本的考え方に問題があるように思えてなりません。

だからと言って、お米を税金として国に納めることを義務付けられた、1300年前から、つくられたこの社会システムや、人間の考え方がすぐに変わるものではないかもしれません。

でも、そろそろ、その社会システムも限界。

少しづつ、人はなぜ生きるのか、人はなぜ働くのか。 

何のためにここに生まれてきたのかを、原点に返って見つめなおす時期がきているのではないでしょうか。

先日突然思いついて買った本。

今、フランスのヤン・ブレキリアンが書いた、「ケルト神話」 の本を読んでいます。

今日、読んだその中の一文を

少しだけ引用させていただきます。

「全ては崩壊しつつある。われわれが生き延びることを望むなら、全てを再考し、全てを造り直さなければならない。
幸いなことに、もはや誰も政治的、経済的、科学的神話を信じる者はいない。
これらの神話によってわれわれ以前の世代は鼻面を引き回されていた。
人間はこうした神話によって、国家の利益と生産性の奴隷に、自然はごみすてばに、そして平和は核分裂の悪臭漂う不安にみちた戦争前夜へと変えられてしまったのだ。
だがしかし、われわれは今代わりに何を置こうというのか。
もしわれわれが本源に立ち帰ることを知らなければ、病気よりも有害な薬しか考えつけはしいないだろう。 」

「宗教として神話を復活させようとしているのではない。 
問題はそこから、歪められていない本来的な物の見方を汲み取ることなのである。」

瀬織津姫のふるさととも言える 一つの神話 「ケルト神話」

ケルト神話を読み解こうとしているこの著者の気持ちが、私の今の気持ちと重なります。

瀬織津姫のことを知りたいと思う気持ちは、
瀬織津姫のことをこんなにも強く知りたいと思いどんどん引き込まれていったのは、
ずっと前から私の中にあった、今の世の中に対する矛盾、今の世の中の何かが間違っているとずっと思っていたものが、瀬織津姫を知ることで、見えてきたからかもしれません。

すぐに全てを変えることはできないかもしれません。

でも、子供たちや、これから生まれてくる命のために、今私にできることは、こうして伝え続けることかもしれないと今日この本を読んで強く思いました。

ほんの少しでも変わっていくために。。。。。。

そしてそれが、いつか大きな渦となり、渦の中から新しい世界が生まれる日がくるように。

私たちは今、瀬織津姫の聖なる泉、再生の泉に、浸らなければいけない時なのかもしれません。





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by ldc_nikki | 2012-03-05 23:50 | 愛媛県新居浜市 | Trackback | Comments(16)

こんばんは。

日が変わり、今日はひな祭り。

週間天気予報ではお天気が悪い予報になっていましたが、昨日から突然 晴れの予報に変わり、
ひな祭りはよいお天気に恵まれそうです。

今日は、久しぶりに温泉に行ってきました。

私の好きな温泉は、ここから車で20分ほどの 「玉川せせらぎの湯」

お湯は鈍川温泉と同じ、美人の湯。

山に囲まれた自然豊かな場所に立つ、小さな温泉。
露天風呂のすぐ側には川が流れ、山がすぐ側に見えます。

緑の香りがするこの露天風呂が、私のお気に入りの場所です。

温泉は古代の人々にとって、病気や怪我を治してくれる、特別な湯でした。

伊予の国は、今もそのあちこらこちらに温泉が湧き出る、「湯の国」 

再生復活の姫の湯です。

ぜひ、伊予の国へ一度足をお運びください。 
そして、姫の湯に入り心も身体も元気になって帰ってくださいませ。

では、今日のお話です。

今日から、秦氏が移り住んだと伝わる、新居浜市 「大生院」のお話です。

昨日の記事にも書きましたが、ここ大生院は、現在は新居浜市になっていますが、古代 「神野郡」とよばれ現在の西条市と新居浜市の境目に位置し、本来は一つの国でした。

そのことを物語るかのように、ここは西条市の神社、飯積神社の氏子になっています。

新居浜市誌の中にも書いておりますが、ここ大生院と呼ばれるところは、

応神天皇の御代(270年)、秦の始皇帝三世、融通王(弓月王)が秦の遺民127県の民を率いて百済を経て、我が国に帰化した時、ここにも多くの秦氏が移り住んだと伝わります。

そして秦一族は、蚕を養い、織物をここに伝えました。

伊予の歴史では、応神天皇の時代、ここ神野郡の国つくりを行った人物は

「小千命」 と言われています。

小千命は、現在の今治を拠点とし、今治から東、現在の東予地方といわれる場所の国つくりをおこないました。

これが、東予地域における本格的な国つくりの始まりです。

そして、それから約200年後の 雄略天皇の御代(456年)
旧西条市の東、小松というところに、賀茂族が移り住んできました。

そんな中、ここに移り住んだ秦一族はこの場所を中心として栄え、大きな豪族へと成長していきました。

しかし、600年~700年にかけて、国の形が大きく変わり、ここにいた秦一族は滅んでしまいました。

その証が、今日ご紹介する 「石鉄山 往生院 正法寺」 です。

一般的な歴史では、秦氏が飛鳥時代から奈良時代にかけてその力を増し、秦氏の菩提寺としてここに、
「正法寺」 を建立したとされています。

でも、本当は、仏による封印のためにここにお寺を建立したのだと私は思っています。

それは、この正法寺の由緒が物語っています。

正法寺の創建は、今から1200年以上前、奈良時代といわれています。

正法寺は一名往生院とも呼ばれ現在の大生院町の呼び名は、この寺名から出たものだと伝わります。

正法寺の境内は昔、今のお寺の前の田んぼ一帯がそうであったといい、

その広さは東西約100m、南北約500m、約五町歩の面積でした。

奈良時代寺院と称すれば中門・金堂・講堂・鐘楼・庫裏等、いわゆる七堂伽藍が立ち並び、
今も、田の字名に中門・鐘楼堂・蓮池などの地名が残っています。

それを物語るかのように、
古くから附近の田の中からは、古瓦や仏塔・陶片が沢山出土しているそうです。

瓦の種類は単弁式蓮華紋巴、忍冬唐草紋唐草、宝相花紋巴、瓦、宝連花紋唐草瓦等各種に及び、
昔京都平安宮が造営された当時の瓦の手法とよく似ているといいます。

この 正法寺を建立した人物は、

「上仙という修行僧」です。

お寺の由緒では、上仙は秦氏の子孫だとされていますが、この上仙もまた、大山積神を祀る一族の子孫でした。

上仙は、日本霊異記や文徳実録等に記された高僧でした。

幼名を千寿丸と呼び、奈良朝時代に 「一宮神社」神職 矢野実遠の第二子としてうまれ、仏に帰依して仏門に入り寂仙法師とも呼ばれ、石鎚、笹ヶ嶺、瓶ヶ森等の霊山を開創した僧だったのです。

一宮神社とは、現在の新居浜市に鎮座される神社で、

大山積神を祀る神社です。

そして、ここに大山積神を祀った人物が、この千寿丸こと、上仙の父または祖父の 「矢野実遠」でした。

一宮神社の由緒では、

「大山積神は往古からの鎮座であって、雷神、高龗神は和銅2年8月大三島から奉遷し、爾来、郡一の宮と崇められた。」 と書かれてあります。

しかし、本当は往古から祀られていた神は、大山積神ではなく 「瀬織津姫」 でした。

そして、大山積神をここに奉遷したののが、 

「雷神、高龗神」を奉遷したと伝わる 「和銅2年」です。

それはどうしてかといいますと、和銅2年とは、709年のことで、大山祇神社の大造営はまだ終わっていませんでした。

そして、この時はまだ、「雷神、高龗神」とも、大山積神と一緒には祀られていませんでした。

この二柱の神を祀るようにと、勅命がおりるのは、まだまだ先のことです。

また、和銅2年、709年は、
もう一つの封印の大きな意味をもつ神社が創建された年でもあります。、

それが、讃岐一宮、田村神社です。

この田村神社は、あの三島明神誕生の話にもでてくる、新大和に協力をした人物が元になった神社。

それは、鷲にさらわれた 「玉男」 の育ての母、乳母を祀る神社だと三島明神物語は語っています。

三島の浜から鷲に連れ去られた 玉男は、徳島県板野に住む夫婦の家の庭に植えられた 「枇杷の木」に
捨てられました。

この夫婦が、玉男の育ての親となるのですが、この母は、香川県から嫁いできたのでした。

そして三島明神のお話では、この母が祀られた神社が、この田村神社だとされています。

しかし、実際の田村神社の祭神、「田村明神」とは 猿田彦大神のこと。

それは、この乳母の生まれた氏族をあらわしています。

そして、どちらにも共通していえることが、現在の一般的な由来は、

その両方の神社を祀る一族が、泰氏だということです。

しかし、その両方が、それまでの名前と変更されていることです。

新居浜一宮神社は、本来は 「越智」姓が祀っていた神社だったのですが、大山積神を祀った

和銅2年より、「越智」から「矢野」に名前が変わります。

香川の田村神社も、同じように田村神社を建立したと伝わる 

和銅2年より、田村家が祀ることとなりました。

そして、新居浜一宮神社の 神職 「矢野家」は、越智の血を受け継ぐものではありませんでした。

一説には、養子として入ったとされ、
一説には、越智姓だけを受け継ぎその後、越智から矢野に変えたとも言われます。

一宮神社が建立された時代、ここ神野郡の国造は、 「越智玉守」でした。

そして、同じ時、大山祇神社の大造営を行ったのは、玉守の弟、 「玉澄」でした。

玉澄もまた、養子で越智家に入った人物だといわれていますが、

このように、大山祇神社、一宮神社、田村神社などのような重要な神社を祀る神職は、この時一斉に、新大和側の氏族へと変わっていったのです。

そして、その子孫である上仙が、この正法寺を建立したのです。

大和は、神社の神職を次々自分たちの一族へと変えていくと同時に、仏の力(役行者)による隠密の呪文(後の陰陽師)をかけるとともに、お寺を建立していったのです。
 
ここ 正法寺は、本来は 「秦氏」一族が暮らす中心的場所でした。

だから、その秦氏の名前だけを受け継ぎ、本来の秦氏がそのままここを治めているかのようにその秘密を隠したのです。

そして、このお寺のある山の反対側には、封印された姫の姿があり、
そして山の頂上にはひっそりと最後の王が祀られていました。

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元正法寺があった 田んぼの真ん中に、「王塚」という、古墳があります。

今もまだ、誰が葬られたのかわからない古墳ですが、

この寺を建立された「上仙」 の お墓だと言い伝えられているそうです。

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上仙は、亡くなる直前、自分は次に生まれ変わる時は、天皇となり生まれると言ってなくなったといいます。

その生まれかわったとされる天皇が、

第52代天皇 嵯峨天皇(さがてんのう)です。

天皇の諱(いみな)は、この神野郡の地名からつけられ「神野」と名づけられたといいます。

どうして、上仙が 嵯峨天皇として生ま変わったとされたのか、これにもきっと意味があるのだと思います。





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by ldc_nikki | 2012-03-03 03:34 | 愛媛県新居浜市 | Trackback | Comments(0)

小千(越智)家 

こんばんは。

これから数回にわけて、古代 「神野郡」とよばれた場所、そして現在は新居浜市大生院とよばれる場所のお話をさせていただこうと思いますが、今日は、もう一度伊予の国の豪族 

「小千(越智)家」  について少しお話をしたいと思います。

今度お話をする 新居浜市大生院は、現在は新居浜市になっていますが、西条市との境に位置し、古代はこの境はありませんでした。 

また、この地区の氏神は、西条市の以前紹介した 神功皇后の由来が残る 「飯積神社」。

新居浜市になってはいますが、西条市と深い繋がりがあるところです。

新居浜市大生院の隣は、古代「神野郡賀茂郷」とよばれた 「鴨(賀茂)族」の本拠地でした。

そして、賀茂族の本拠地と並ぶようにここ大生院にも、秦氏の跡があります。

新居浜市誌によると、
応神天皇の御代(270年)、秦の始皇帝三世、融通王(弓月王)が秦の遺民127県の民を率いて百済を経て、我が国に帰化したが、天皇は之を大和朝津間腋上の地に置き、後更に山城の太秦の地に置いたが、仁徳天皇の御代これを諸国に分置して、蚕を養い、絹布を織らしめた。その時、大生院の地に、多くの秦氏が来住し、この地の豪族となって発展した。この地で飛躍的発展をとげた秦氏は、奈良朝末期から平安初期にかけて大生院の地に巨刹正法寺を創建して、宗教的面にも大いに活躍した。

と書かれてあります。

伊予の国では、応神天皇の御代、三つの国に国造りをの皇子をおき、開拓をおこなったとされています。

・小千命・・・ 伊予の国造を命じられる
・阿佐利・・・・國造に任命(國津比古命神社・櫛玉比賣命神社)
・伊予主命・・・松山市久米小野あたり

秦氏は、数回にわたり日本へと帰化したとされていますが、応神天皇より更に昔、

紀元前200年頃、徐福が不老不死の仙薬をさがすために大船団を率いて日本へとやってきました。

ここ神野郡の国造りでもあった小千家の伝承では、小千家の祖は 「徐福」 だとも書かれています。

小千家にはさまざまな伝承があり、どれが本当の祖なのか、いまだにいろいろな議論がなされています。

小千(越智)家・・・・饒速日命、徐福、孝霊天皇、大山積神、小千命、

これら全てが、小千家の祖また祖神だと言われています。

一般的に言われている歴史からすると、これらが全て同じ祖先だとはなるはずがありません。

でも、私の中ではこれら全てが 小千家となります。

そしてそれは 秦氏、徐福系の秦氏と繋がります。

阿佐利が国造りを行ったとされる、旧北条市に鎮座する、

「國津比古命神社・櫛玉比賣命神社」は、
今も饒速日命を祀る神社であり、また姫神は天道日女命を祀ります。

こちらの神社に関わる方も、饒速日命と瀬織津姫のことに気付いていらっしゃいます。

そして 久米。

伊予主命が国造りを行った久米は、饒速日命の名前が消され、その代わりに、饒速日命の息子、

「宇摩志摩治命」の御降誕の地という伝説があります。

本来は、太陽の神 アマテラス饒速日命 と 月の女神 瀬織津姫とが夫婦神となります。

しかし、現在では、饒速日命の后は、 「天道日女命」 です。

だから、北条の國津比古命神社では、饒速日命を、后を祀る 櫛玉比賣命神社には、天道日女命を祀っているのです。

そして、小千家の祖、小千命を祀る 「大浜八幡神社」 もまた同じように、

小千家の祖神として、 饒速日命と天道日女命を祀っています。

饒速日命には、二柱の子供がいました。

饒速日命と天道日女命の子 、「天香山命(あめのかぐやまのみこと」

饒速日命と三炊屋媛(みかしきやひめ)の子 「宇摩志摩治命」です。

そして、この「宇摩志摩治命」が、物部氏(越智家) の祖神とされています。

私はずっと 母違いのこの二柱の子供のことがどう意味なのかどうしてもわからず考えていました。

でも、なんとなくその意味がわかってきたような気がします。

それは、越智家にも関係があります。そしてやはりこの伊予の国にも。

饒速日命は 本来のアマテラス、 神です。

饒速日命という神自身が、母違いの子供をつくるはずがありません。

ということは、これはあることを意味しているのだと思うのです。

それは、子孫です。

アマテラスである饒速日命と、天に通じる日の女 「天道日女命」 との間に生まれた

「天香具山命」 は、 大和に落ちてきた二つの山 「天の香具山」と同じ意味、神功皇后が天の香具山を自分のものにしようとしたように、日の神と日の女神の間に生まれた子供は、日の神を祀る氏族を意味する。

そして、大和にそむいた 長髄彦(ながすねひこ)の妹、三炊屋媛との間に生まれた

「宇摩志摩治命」は、本来の倭、饒速日命と瀬織津姫を祀る 「物部氏(越智家)」のことを意味する。

ということは、三炊屋媛とは、瀬織津姫ということになります。

しかしこれは、本当は神に例えているだけで、神の物語ではありません。

そしてもしかしたら、これは 「小千家」のことを語っているかもしれません。

大三島を日本総鎮守にしなければいけないほど、
この伊予の国、「小千の国」は、大和にとって重要な地でした。

また、二つに割れて落ちてきた 「天の香具山」 の片方は、この伊予の国に落ちてきました。

その地は、小千命の父である、 大小千命が国を築いた 松山でした。

また、饒速日命と三炊屋媛(瀬織津姫)の子供「宇摩志摩治命」が生まれた場所でした。 

饒速日命の子孫、 小千家が、「越智」として記述に現れてくるのは、不思議なくらい突然でした。

それまでは全く表舞台には現れなかった越智家が、あの鉄人伝説の 「越智益躬」から 新羅を倒して世に姿を表します。

そして、越智守興、越智玉澄、越智玉興、越智玉男と、大山祇神社の変更とともにその名前が現れていきます。

でも、この名前が現れた人々は、朝廷に味方した人物ばかりです。

越智家は、同じ一族の中で 朝廷側と、朝廷に抵抗した側がいます。

それが、この饒速日命の話に繋がってくるのではないかと思うのです。

越智家に嫁いだ 二人の姫。 片方は、物部氏側(瀬織津姫を祀る一族)の姫、
もう片方は、鴨族(日の神を祀る一族) の姫。

そしてそれぞれに生まれた子供が、片方は朝廷側(鴨族)へとつき、片方は越智家として戦った。

それが、饒速日命を祖神にもち、秦氏を祖先とする 越智家の姿なのではないでしょうか。

瀬織津姫を祀っていた大三島は、大山積神へと祭神を変更されました。

瀬織津姫が宿る 「姫の国 愛比売(愛媛)」 は常世の国、橘の島。

宇佐家がさらって行った 「越智常世織姫」は、小千家の姫でした。

そして、645年
天の香具山の落ちた片方、松山市天山の姫(白い衣)は奪われ、その地は、大化の改新により、
大和の地となり、越智国(今治市)に先がけ、国府の役割の地となりました。

でも、一番奪わなければいけなかった場所は、「越智国」 大三島でした。

徐福が、不老不死の島 「蓬莱山」とした 大三島に祀られた姫を、
百済の神 「大山積神」に変えなくてはいけなかった。

また、西日本最高峰 石鎚山も。

701年、大山祇神社の大造営が始まったとされるその年、

ここ今治に、「役行者」が入り、ここを根本道場として、孔雀明王、不動明王、愛染明王の法の功徳によって大誓願を行いました

すると、空中から五色の雲が下り、楢原、石土、豊岡、象頭の四大権現が現れ、
役行者は、この地から石土蔵王権現の彌山を決めるため出発しました。

そして、石鎚山最高峰に 「天狗」 を宿し、石鎚神社山頂社のある山を 彌山としました。

現在の 「天狗岳」と呼ばれる、石鎚山最高峰に、なぜ役行者は、天狗を宿したか。

それは、天狗とは、インド神話の カルラが変化したものといわれ、
仏法を守護する八部衆の一、迦楼羅天。

金色の翼を持ち頭に如意宝珠を頂き、つねに火焔を吐き、

「龍を常食としていました」

西日本の一番高い場所に住みついた 天狗(迦楼羅天(かるらてん)は、

その金色に光る赤い翼を広げると336万里(1344万km)にも達するといいます。

半径にして約700万km。

全ての龍をその翼の中に、収めてしまうほどの威力です。

瀬戸内海(竜宮の海)の中央に位置する 「大三島」と、西日本最高峰の石鎚の二つを制し、

空と地、そして海の龍を制したのではないでしょうか。

そして、その両方の国を治めていたのが 「小千命(乎致命 こちのみこと)」 

その小千(こち)の本来の意味もまた、

「蘇る神の子」=「聖なるをち水をもつ、月の女神 瀬織津姫の子」 だったのです。




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by ldc_nikki | 2012-03-02 01:15 | 愛媛県新居浜市 | Trackback | Comments(0)

こんばんは。

さきほど、先日注文をしていた、 「八の暗号」 の本が届きました。

神社や、神様のことを調べていると、驚くほど何度も目にする 「八」 の数字。
この「八」 の意味が、ずっと気になってしかたありませんでした。 

アマテラスとスサノオの誓約のさいに生まれた 「八柱の神」

あの空海も、自らが開基したお寺の守護神としてこの神々を祀るほど、この神々は、古事記の中に出てくる数多くの神様の中でも、特に意味する神々なのではないかと思っていました。

もちろん、このこと以外にも、ヤマタノオロチや、八咫烏、そして、八上比売。。。。まだまだ、この暗号がつかわれた言葉は、数えきれないほど。

この本を読めば、古事記の意味が、今まで以上に深く読み解くことができると、読む前から、
心臓がドキドキ。

たぶん、一度や二度読んだだけでは、全てを理解することはできないかもしれません。

何度も何度も読み返し、その意味を、私なりに繋げていきたいと思っています。

何か、自分の中で繋がった時は、 ここで、お話をさせていただきたいと思っています。

それから、もし、まだ神社に祀られる神様や、古事記のことをあまり知らない方がいらっしゃいましたら、
ぜひ、一度、古事記のお話を読んでみてください。

私の知人で、 古事記をお子様でもわかるように、とても読みやすい本を出版されている方がいっらしゃいます。 この本を読めば、 楽しく、古事記を読むことができ、私の話と一緒に謎解きをしていただけると思います。

古事記のものがたりはこちらから購入することができます。

古事記は、作られたお話で、姫を封印し、新たな時代を造るために書かれたものですが、
これが、今の日本の原点でもあり、また、とても大切なことも書かれているとも思います。

以前も、お話しましたが、 私は、古事記の全てを否定しているわけではありません。

この古事記の中には、今の人間にとって忘れ去られた大切なものもがつまっているとも思います。

だからこそ、古事記の本当の意味を知りたいとも思うのです。

そして、それほどまでに、封印しなければならなかった、姫の姿をより深く知り、そして、もう一度この世界に真の姿をよみがえらせることができれば、古事記に書かれた神々とともに、どちらも必要な神々であり、全てが一つだということに繋がり、本当に大切なものに出会えるような気がしています。

どちらが悪いのでもなく、 どちらも必要であり、 どちらも認めるものである。

そんなことを、最近、強く感じ始めました。

きっと、姫さまも、過去にしてしまった罪を憎むのではなく、ただ、それを願っているだけのような気さえするのです。

封印をとくことができれば、真の光が、私たちに降り注ぐのかもしれません。。。。。。。。。


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今日、ご紹介する神社は、新居浜市別子に鎮座する神社です。

四国中央市から、銅山川沿いを新居浜方面へ走ると、旧別子村につきます。
ここも、平家の落人伝説が残る村。 

そして、今日ご紹介する神社は、 
平家側についた、新田一族が祀る 「新田神社」です。

新田義貞公戦死後、その子義宗公は、応永三年伊予に入り、川之江市川滝に住み応永五年この地に卒し、随行した一族の者が川滝下山に新田神社を創建したが、その後新田氏の子孫の者が嶺南に逃れ住み、伊予三島市金砂の中之川に、富郷の上猿田に、また富郷の徳丸及び寺野部落に、更に別子の弟地方面にも居を構えて、それぞれその地に新田神社を創建して氏神としたもので、

弟地 (今日ご紹介する) の新田神社も新田一族の落人によって祀られたものと伝えられています。

現在は、どんどん人口が少なくなってしまった 別子村。

ここに、ひっそりと鎮座する 新田神社には、室町時代後期に制作されたであろう、
本三面の銅製の仏像が祀られているそうです。

この三面の仏像が、何を意味するものなのかは不明のようですが、
もしかしたら、 この仏像も、三柱の神、 その起源は、一つの神を意味するものなのかもしれません。

ここは、全く行く予定ではなかったのですが、
大雨の中、ふと目についた鳥居に吸い込まれるように、神社へと向かいました。

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新田神社と一緒に、大山祇神社の名前が刻まれていました。
村史によれば、ここは大山祇神社を祀る土地でもあるようです。

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                                【拝殿】
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                                【本殿】
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                                【参道】
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雨の降る中でしたが、とても素敵な神社に出会えた気がしました。
ここで生きた多くの人々の魂また、ここに眠っているような。

神社を後にし、帰路へついたのですが、 帰り道、 霧が漂う銅山川の向こうに、小さな滝を見つけました。

山の土の中で、浄化された水が、少しづつ集まり、一つの滝となって川へと流れおちる。
山があるからこそ、その中に蓄えられた水が少しづつ、命の源となっていく。

海は、生命の母。 そして、山は、命を育む母である。

瀧を見ていると、そんな言葉が、浮かんできました。

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海も山も、私たちの、命の母なのだと。。。。。。。

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「愛姫伝」 神々の島



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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-11-21 00:19 | 愛媛県新居浜市 | Trackback | Comments(0)

こんばんは。

今日は、先日からずっと書こうと思いながらなかなか書けなかった 「宗像神社」 をご紹介します。

宗像神社は、、福岡県宗像市に総本社がある、
宗像三女神を祀る神社です。

全国には、宗方三女神を祀る神社は、7000を超えるともいわれます。

宗像三女神とは、 このブログでも何度もご紹介しています 三柱の女神。
田心姫神、湍津姫神、市杵島姫神です。

古事記の中に出てくる、アマテラスとスサノオの誓約(うけい)のさい、
スサノヲの持っている十拳剣(とつかのつるぎ)を、アマテラスが受け取り、それをかみ砕き、吹き出した息の霧から生まれたとされる 女神です。

以前、このことについてお話させて頂きましたが、 この誓約こそ、瀬織津姫を消し去る儀式であり、
この三柱は、 瀬織津姫の魂を、三つにわけた、分け御魂です。

ですから、本来は、この宗像神社があった場所には、瀬織津姫が祀られていたのだと、私は思っています。

宗像大社は、三社の総社とされていますが、
本当は、三柱の女神たちは、別々の場所で、祀られています。

・田心姫神は、沖津宮(おきつみや)
・湍津姫神は、中津宮(なかつみや
・市杵島姫神は、辺津宮(へつみや) です。

この中の、田心姫神が祀られる 沖津宮は、島全体が御神体となっていて、現在も、女人禁制。
男性も年に一度、 限られた人数しか、この島へ参拝することはできません。

また、年に一度、 秋季大祭の時、 三柱の女神たちが、一つになる日があり、
多くの船で、御神体を運び、一年に一度、一緒になります。

瀬織津姫の御魂が、一つになる日ともいえるかもしれません。

今日、ご紹介する神社は、この宗像大社から、勧請された、新居浜市に鎮座する神社です。

そして、この宗像三女神を祀る一族を、宗像氏といいます。

宗像氏は、出雲神の嫡裔、大国主命の神裔として伝えられ、天照大神と素戔嗚尊の誓約によって生まれた宗像三神を祭神とする全国宗像神社の総本社・宗像大社の大宮司家。

914年までは、胸形氏、宗形氏、胸肩氏等と書かれ、最初から現在の 「宗像」 ではありませんでした。

そして、宗像氏もまた、物部氏や他の豪族たちと同じように、朝廷側につくものと、そうでないものに分かれたのではないかと思います。

胸形君徳善の女 尼子娘は、天武天皇の嬪(側室)となります。
この時ころから、宗像氏と朝廷側との関係が、強くなっていったのではないかと思います。

そして、古事記の完成のころ、宗像大神が天降り、青い玉を奥津宮に、紫の玉を中津宮に、八咫の鏡を辺津宮に、それぞれ御神体として納め祀り、宗像三女神へと、瀬織津姫の姿は変えられたのだと思われます。

宗像氏も物部氏も、朝廷に逆らうものたちは、 「鬼」 とされ、追われ、殺され、なんとか逃げ延びた一族が、どこかに隠れ住んでいたのではないかと。

昨日の、「鬼神伝」のお話のように、自分たちに逆らうもの、そして、それまでの神 「瀬織津姫」 は、鬼の姿へと変えられてしまったのです。

誰もが知っている 「桃太郎」は、 桃太郎が悪い鬼を退治しにいくお話ですが、
本当は、 悪いのは 「桃太郎」 であり、 自分たちのしていることを正当化するために、さも 「鬼」が悪いことをしているとしてしまったお話だということが、やっと私の中で、確信に変わりました。

途中、桃太郎の家来となった 「猿」 「キジ」 「犬」 は、
朝廷側へと、ついた、古代皇族たちをあらわしていたのかもしれません。

そして、鬼が島とは。。。。。。。。。。。。。

今日、ご紹介する神社も、その影響を受け、瀬織津姫やニギハヤヒが祀ってあった神社を、宗像三女神に変えられてしまった神社の一つです。

桓武天皇の時代、 九州からやってきた宗像一族は、ここ新居浜へと移り住み、
ニギハヤヒや瀬織津姫が古代より祀られていた、重要な神社の祭神を変更しました。

ただ、ここは、今も、ニギハヤヒが元祀られてあったこと事実を、しっかりと残しています。
そして、三女神と一緒に祀ってあるのです。

もしかしたら、 ここに来た宗像一族は、完全に朝廷の味方となった人々ではないのかもしれません。
ただ、隠すために、宗像三女神を祀ったとも考えられるのかもしれないのです。

愛媛の東予地区の中で、 今治と川之江や三島は、その影響を真っ向からうけ、大山積神へと次々と変えられ、また、 新たに、多くの三島神社が建立されているのですが、
ここ新居浜や西条だけは、 他と少し様子が違います。

この時、 この地方を治めていた人物は、越智守興と越智玉澄の間の 越智玉男とされています。

この 「越智玉男」 だけは、その正体がほとんどわからず、他の二人に比べ、記述の中にも、その名前もどこにも出てくることはなく、 後に、姓を 「橘氏」 に改めたとも言われます。

もしかしたら、ここ、新居郡 (新居浜、西条) だけは、全く別の道を選んだのかもしれません。

このことは、これからの課題です。

飛鳥時代、奈良時代、そして平安時代は、もしかしたら、あの戦国時代以上に、激動の時代だったのかもしれません。

あるものは、恨みを重ね、あるものは権力を自分のものにしようとし、あるものはこの国を自分の思うようにしようとした。

誰のためでもなく、 全ては自分のために。

あれから1300年、今、また、同じようなことが起こっているように思えるのです。
あの時代とは、一見違うように思えるのですが、 根底は同じようなことが。

自分さえよければいい、 権力を使い、思いのままに動かし、知られたくないことは隠し、自分の考えと違えば、強いものが弱いものを切る。 
直接命を奪うことはなくても、 命を奪うことと同じようなことをしていることとかわりない。

私の目には、日々起こる多くの出来事が、 あの時と同じに見えてしまいます。

起きてしまった過去は、もう変えることはできませんが、未来は変えることができる。

古事記が完成して 1300年。

これは、一つの節目のような気がするのです。
もう一度、原点にかえり、 見つめなおす、そんな節目なのだと思うのです。

過去を非難するのではなく、 過去から学び、 そして、本当に大切なことを思い出す、そんな大切な節目の1300年だと。。。。。

*宗像神社
*新居浜市八雲町10-18
*祭神
 宗像三女神
 上の宮大明神(天御中天主命 ・ ニギハヤヒ命 ・ 鹿屋野姫命 ・ 天道姫命(瀬織津姫))
*八雲神社 
 牛頭天皇(スサノオ命 ・ 大国主命 ・ 奇稲田姫命 ・ 手撫乳命 ・ 足撫乳命)
*貴船天満宮
 菅原道真 
*幸神社
 猿田彦命 ・ 鹿島神 ・ 大石麻戸神
*八幡神社
 応神天皇 ・ 神宮皇后
*西瀧神社 (御代島神社)
 イザナギ ・ イザナミ ・ 熊野家須御子神 ・ 大物主神 ・ 少名彦神
*荒神社
 竈神 (スサノオ命 ・ 久土不留阿岐命 ・ 今木命)
*稲荷神社
 豊受神 ・ 宇迦御魂神

*由緒
 飛鳥時代に伊予の豪族越智氏が後の新居庄の中心である庄内庄治の地に、饒速日命、天道姫命、鹿屋野姫命を祀る上の神を奉斎したが、その後、恒武天皇の延暦年間に筑紫の豪族宗像氏が、宗像三神と八幡神を奉じて上の宮境内に宗像神社を創建し、庄内、田所、平形、東雲の氏神として崇敬し、明治5年に郷山岡崎鎮座の八雲神社を合祀した。
 参道附近に、称宜の前、化粧殿、宗像屋敷など神社にゆかりの地名がある。

                            一の鳥居
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                              狛犬
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                              参道
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                             二の鳥居
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                             境内へ
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                          八雲神社 (磐座)
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八雲神社は、昔、宗像神社の南方にありました。
天正の陣で焼失に到り、その時代の人々によって、郷山の西山麓にあった羽休石の聖地に移転申し上げました。
明治四年一月七日、御神体を宗像神社の御本殿に合わせてお祀りし、昭和五十二年には羽休石を、磐座として境内地へ遷ししました。
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                                拝殿
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                                本殿
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                        そして、禊の場所 「祓戸大神」
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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-11-14 23:26 | 愛媛県新居浜市 | Trackback | Comments(4)

こんばんは。
今日、友達から、久しぶりにお便りがありました。

遠くに住む友達で、とても不思議なご縁の友達です。
しばらく連絡をとっていなかったので、もう忘れたかな・・・・ と思っていたので、感激。

そして、そのお便りには、とても嬉しいニュースが書かれてありました。
少し体調を崩していましたが、それも回復し、更に嬉しい出来事が。。。
ほんとうに、よかった。
また、ある女の子も、私と出会ってから、いろんなことを前向きに考えれるようになったと、今日言ってくれました。 
周りの友達が、幸せになっていくと、私もとても幸せな気分になります。

みんなが、もっともっと、幸せになりますように☆


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先日紹介した、新居浜の滝神社に行った後、どこに行こうかな。。。と思いながら、地図を見ていたら、ふと
「白山神社」 が目にとまりました。
愛媛には、白山神社は少ないのですが、なぜか、以前から、この神社の名前が好きで、今治の小さな白山神社に行ったことがあります。

白山神社の御祭神は、「菊理姫神」 イザナギが、イザナミを追いかけ、黄泉の国へといったあと、その変わりはてた姿に驚き、逃げ出して戻ろうとすると、その後をイザナミが追いかけてきて、口論となります。
その二人の、口論をとめ、仲直りをさせたのが、「菊理姫神」 と言われています。

そして、現在は、「菊理姫神」は、、石川県白山市に鎮座する、白山神社のご祭神です。
もとは、白山比咩大神だったと言われていますが、それがいつの頃から同一神とされたのかははっきりわからないそうなのです。

文献史料の中で初めて、白山比咩神が書かれてあるのは、仁寿3年(853年)10月、『日本文徳天皇実録』
そして、菊理媛を白山の祭神としたのは、大江匡房(1041ー1111)が扶桑明月集の中で書いたのが最初と言われています。
本地仏は、十一面観音。 

この年代を見て、不思議だったことが、大山積神や、三島明神より、少し後の時代に出てきた名前だということです。 もうすでに、この白山神は、瀬織津姫のことと言われている方も多数おられます。
私も、そう思っていました。 
そして、今回の、新居浜の白山神社に行ってみて、更に、その気持ちが強くなりました。

*白山神社
*新居浜市中村2丁目10-10
*御祭神
伊邪那岐命 (いざなぎのみこと)
伊邪那美命 (いざなみのみこと)
菊理姫命  (くくりひめのみこと) 
白山比咩命(しらやまひめのみこと)
*御神徳
万物創造の神
森羅万象自然の働きそのもの…
水の神
えんむすびの神

ここでは、祭神が、菊理姫と白山比咩命を、わざと別々に書いています。
これは、別々の神だったという、微かな抵抗のような気がしています。
また、神徳の中の、水の神、森羅万象自然の働きそのものということばがあります。
これが、姫のことのように思えてなりません。

また、由緒では、
白鳳13年10月14日全国で大地震があり多くの神社仏閣が倒れ、道後のお湯もつぶれたという記録があり、当時の伊予の国の殿様小市宿祢王興(オチノスクネ)がこれらの復興の為、奈良県葛城山(カツラギサン)から役小角(エンノオヅヌ)と言う行者を招き文武元年8月加賀国(今の石川県)一の宮白山比咩神社の御分霊を頂き当地にお祀り申し上げ白山大権現と崇敬されていたが、明治初年神仏判然令により、一緒にお祀りしていた水谷寺は奈良天台寺に帰り、白山神社として現在に至る。

とあります。
白鳳13年 とは、673年のことです。
この年は、今で言う、「白鳳大地震」 東南海地震が起こった年です。日本中が揺れたと記述が残るように、
この地震は大変大きな地震でした。
この地震で、道後のお湯だけでなく、愛媛県中の、温泉が出なくなったといわれています。
それまでは、伊出の国といわれるほど、愛媛県では、そこらじゅうで、温泉が湧き出ていました。
現在の、今治市朝倉でも、温泉が涌き出、斎明天皇は、このお湯に入ったといわれています。

最初に、白山の説明をしましたが、それを見てもわかるように、この時代 673年には、まだ、白山神の名前はどこにも見つかっていません。
それなのに、この時、白山から、御分霊を頂いたとあります。

水の神、滝の神、そして森羅万象自然の働きそのもの…。
これは、瀬織津姫しかいない。 私は、この神社に参拝し、改めて、白山神社は、もともと瀬織津姫だったと思いました。
一度は消された、白山の女神でもある、瀬織津姫の名が、白山比咩命(しらやまひめのみこと) という名を借りて、復活した。 そして、その後、瀬織津姫の名前を更に隠そうと、菊理姫命と同一視されるようになった。

どうして、ニギハヤヒの子孫、 越智氏族がなぜ、大山積(三島明神=瀬織津姫)ではなく、白山比咩命の分霊を頂いたのかが、やっとわかりました。 ここにも、名前を変えた姫の姿があったのです。

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白山神社のご神木です。 
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手水舎
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拝殿
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本殿
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本殿を囲む塀には、なぜかこの神紋が。。
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境内社
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境内は想像していた以上に広く、そして、なんともいえない空気が漂っていました。
柔らかな光で包まれた、とても素敵な場所でした。
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今日は、空がとても澄んでいて、星がとっても綺麗に見えました。
姫と出会ったあの時に見た、天の川を思い出しました。
明日は、姫に会いに行ってこようかな。。。 
そして、一年に一度だけ見ることのできる、姫の桜を見てこようかな。。。。

皆様のところにも、姫の光が届きますように・・・・・・・。

今日も、ありがとうございました。








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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-04-04 23:38 | 愛媛県新居浜市 | Trackback | Comments(0)

こんばんは。
4月に入り、やっと春らしい気候になってきました。
桜のつぼみも、少しづつひらいてきました。 少し遅い春でしたが、遅くても必ず春はやってくる。
そう、告げているようです。

世界の中でも、こんなにも四季がある国は、あまりありません。
春、夏、秋、冬。
人が歩む道と、同じですね。 

松下幸之助が、災害にあった場所の方が、ない場所よりも発展すると言ったそうです。
人間には、どんな苦難も乗り越える力がある。
逆境を乗り越えようとする時、今まで眠っていた力が発揮されるのかもしれません。
また、本当に大切なものは何かと知ることができるのかもしれません。
時間は、かかるかもしれませんが、また、想像を超える葛藤や、試練を乗り越えなくてはいけないかもしれませんが、必ず、復興できる、前よりももっと素敵な町に。。。。。


今日は、今まで一度も紹介していなかった、新居浜市をご紹介します。
新居浜市は、愛媛県の瀬戸内海沿いに面した町です。
特に有名なものが、太鼓台。 秋のお祭りで繰り広げられるこのお祭りは、全国でも有数のお祭りです。
お隣の四国中央市にも太鼓台がありますが、起源は同じところなのに、のっていらっしゃる神が、
四国中央市では、女神ですが、ここ新居浜では、男神ということ。
四国中央市出身の知人が、ずっとこのことが不思議だったと聞いたことがあります。
このお祭りにも、姫の謎があるような気がしています。

さて、今日は、タイトルにもありますように、 「滝の宮」 とよばれる場所に、鎮座する神社です。
小高い山の麓に鎮座する 「滝神社」ですが、地名にも、神社にも。「滝」 とついているにも関わらずここには滝がありません。
古代には、この山のどこかにあったのかもしれませんが。。。
滝神社は、古代この山をご神体としていました。 しかし、どうして、滝の宮と呼ばれるようになったかは、また今の時点では、わかっていません。 

ただ、ここ滝の宮は、漢字の如く、とても滝(水)に関係の深い場所だったということは想像ができます。
しかし、この「滝神社」 のご祭神は、やはり、山の神である、 「大山積神」。
ここでも、また、水の神「大山積神」の名まえを見ることができます。
「滝」 という地名がつき、滝神社と呼ばれたこの神社は、新居浜でも、特に大きな意味を持つ神社であったのだろうと、思います。

*滝神社
*新居浜市滝の宮町10-32
*祭神:
大山祇神(おほやまつみのかみ)
高雄龗神(たかおかみのかみ)
雷神(いかづちのかみ)
*由緒
推古朝に大三島より大山祇神、雷神を勧請し、奉斎したという神社である。
往古は裏山を神体山として信仰し、和銅元年に始めて社殿を造営したという。
その後、数度の火災に罹り寛永13年西条初代領主一柳氏は深く信仰し、篤く祭事を奉仕したとの記録がある。明治5年郷社に列格。

「推古朝」とは、538年~628年、飛鳥文化の時代のこと。
この時代に、裏山をご神体としてしていたという。
でも、一つ、不思議なことがあります。 この時代に勧請したとある、雷神ですが、この時代の大山祇神社には、まだ、雷神という名前は出てきません。
雷神は、現在の地宮浦へ移った約400年後に、祀られた神なのです。
これは、大山積神=瀬織津姫 雷神=ニギハヤヒ が大三島に鎮座していたという、一つの証拠になるかもしれません。
また、和銅元年とは、708年のこと。
この時代は今までも何度も書きましたが、日本の祭神は、大きく変わる時期。
この時代に、この神社も、大きな波に飲まれた一社なのかもしれません。
これらのことから、滝神社の滝とは 大山積神=瀬織津姫 という、手がかりの一つをみることができます。

滝の宮は、市民の憩いの場所、公園になっています。
ご神体の一番上には、展望台があり、新居浜の市街地を見ることができます。
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遠くに見える、木が生い茂る場所を、「黒島」といいます。
ここにも、黒島神社という、大山積神を祀る神社があります。 まだ行っていませんが、いずれ行くことになると思います。

滝神社 鳥居
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狛犬
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二の鳥居
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神紋は、三島神社のものです。
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祭神が書かれてあります。
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なぜか、「コノハナサクヤヒメ」の名前が、カッコの中にあります。
それも、大山積神のよこに。
これは、とても貴重な書き方かもしれません。 普通で考えると、コノハナサクヤヒメが祀られていると思うかもしれませんが、これは、大山積神=コノハナサクヤヒメのことかもしれません。
なぜなら、神社庁には、コノハナサクヤヒメを祭る記載がありません、また、わざわざ、もし本当に主祭神ならば、カッコの中に書く必要はないと思うのです。
これは、この神社だけに限らず、あの津島にも、同じような記載をしていた時代があります。
もしかしたら、大山積神=コノハナサクヤヒメ=瀬織津姫 ということなのかもしれません。

祭神の名前は、とても複雑です。
それは、どういうことかといいますと、この神社のように、コノハナサクヤヒメと瀬織津姫は同一の神といえます。 同じ 「桜」の姫として祀られているところも、その証かもしれません。
しかし、古事記の中で作られたコノハナサクヤ姫は、大山積神の娘です。
富士山の神として、今も数多くの場所で祭られています。
その神社の中には、古事記以降に、コノハナサクヤ姫として最初から祀られている神社もあるということです。 瀬織津姫の名前を、変えた神社と、はじめから、古事記の中のコノハナサクヤ姫として、祀られてある神社と、二つある。 
だから、その神社がどうやって創建されたか、また、いつ創建されたかによって、神の意味が全く違ってくることに、気づきました。
今、それを裏付けるために、まずは愛媛の神社から、一つ一つ、もう一度調べなおしています。
今後は、瀬織津姫の名前を探すために、必要不可欠なことのような気がしています。

境内社
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そして、ここには、高千穂からきた、木がありました。
一度、行ってみたい場所、高千穂、ここで、その木に触れることができ、感激でした。
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本殿
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ここは、不思議なつくりをしています。
本殿の前にある、もう一つの鳥居をくぐり、中へ行くことができるのです。
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中には、小さなお宮がありました。
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これは、いったい何のなのかわかりませんでした。

本殿の入り口にあったこの模様。 これがなぜかとても気になりました。
これは、もしかしたら渦? もし渦ならこれも大きな意味があります。
やはり、ここはもう一度行って、宮司さんにきちんとお話を伺いたい。するともっといろんなことがわかるかもしれません。
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もう一つ、高千穂の木
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来年、古事記が完成してから、1300年です。
古事記が作られていなかったら、日本の歴史は全く違うものになってしまっていたかもしれません。
でも、だからといって、どちらがよかったということではないのです。

変えられた上で、今こうして今の世の中があるわけだから、それを否定したり、それを非難するつもりはないのです。 ただ、本当のことが知りたい。 権力や圧力によって、自由のままに全てを動かす、そんな世の中はもう終わりにしてほしい。 
そう、願う心が、今、私をこんなにも、動かしているのかもしれないと、最近強く思います。
お金がある人間、地位がある人間、権力をもつ人間だけが、思いのままに、全てを動かせる、そんな世の中を変えたいと・・・・・・。
でも、そんなことは、できないに等しい。 だから、こうして、姫の真実を探しているのかもしれません。。。。。。

今日も、ありがとうございました。






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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-04-03 04:32 | 愛媛県新居浜市 | Trackback | Comments(0)

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