こんばんは。
今日は、MISIAのコンサートへ。
今週、突然、招待券を頂けることになり、子供たちを連れて、みんなで行ってきました。

スタートから、ものすごい迫力の声と声量。
時間がたつごとに、どんどん引き込まれ、久しぶりに、生で素晴らしい音楽にふれることができました。

MISIAさんは、音楽は、心の栄養だと言っていました。
私も、小さいころから、音楽が好きで、3歳からピアノを始め、一時はピアニストを目指した時もありました。
物心ついたころから、いつも歌っていて、今でも歌手になれたらなりたい、なんて思ったりして。

音楽は、魂の声なのかもしれませんね。
自然から出ているパワーと同じで、音楽にも、不思議な力があるような気がします。
いつも、最後に、動画をのせていますが、いつも、ブログを書く前に、曲を選んで、その曲を聞きながら書いています。
その日、私が伝えたい何かが、その音楽にあるのかもしれません。

心の栄養。

神社や、美しい自然を見ることも、同じように、心の栄養になるような気がします。

音楽を聴きながら (できればヘッドホンで) ブログを読んで、沢山心に栄養が行き渡っていただければ
うれしいなと思っています。
 

今日は、今回の旅の最後になります。
城川町の三滝神社から、更に、高い山へと向かいます。 そこは、四国の中でも、全く景色が違う山の上、
カルスト台地です。

そして、そのカルスト台地、標高1200mに鎮座する 海の神、龍が住むと言われる池のほとりの
 「龍王神社」 です。

三滝神社から、北の更に高い山の方へと車を走らせると、大規模林道と言われる、カルストへの抜ける道があります。 全長約42kmの 大規模林道は、高知と愛媛の境を走る、林道とは思えないきれいな道です。
そして、そこから見る、四国山脈の山々の景色は、それはそれは、素晴らしい景色です。

e0165472_1365390.jpg

e0165472_1375239.jpg


小さな島国、四国ですが、こんな景色を見ることができるんですよ。
そして、この山は、あの 新しい世の中を夢みた、坂本龍馬が、新しい時代を作るために、脱藩し、高知から愛媛へと一夜で、駆け抜けたといわれる、道が通っています。

文久二年三月二十四日未明土佐勤皇党の烈士坂本龍馬ら四人は、梼原村(高知県梼原村)の宮野々番所口に集合、その日を期して予土国境にある大麦峠から日吉村に出て、宇和島方面に脱藩したと伝えられています。
また一説には土居へ出て、坂石から川舟に乗り、長浜から長州へ渡ったとも言われています。

e0165472_1412050.jpg


土佐から伊予へと、足を踏み入れた時、龍馬はどんな気持ちだったのでしょう。
今の時代では、想像もできないほどの、覚悟と決意を心に誓い、伊予の土を踏みしめたことでしょうね。
e0165472_1454148.jpg

e0165472_145542.jpg


もしかしたら、今は、あの龍馬の時代と同じなのかもしれません。
偶然なのか、必然なのか、時代が変わった幕末、その新しい世をつくるために、駆け抜けた人物もまた
「龍」 と いう名前を持つ人だった。 龍の化身だったのかもしれないとさえ思えるのです。

そして、瀬織津姫(龍)が現れた今もまた、新しい時代が始まろうとしている時なのかもしれません。
e0165472_1493827.jpg

e0165472_1495094.jpg


脱藩の道を過ぎ、更に林道を進み、カルスト方面の看板を目印に進みます。
林道をおり、いよいよ、カルストへ。 山の中を進んでいる、少しづつ山の雰囲気が変化していきます。
そして、目の前に、四国とは思えない草原が広がります。

e0165472_29379.jpg

e0165472_214423.jpg


天正12年(1584)、土佐の長宗我部軍の攻撃を受けた久万大除城主・大野直昌が、元親の軍を追い払ったことから、大野ヶ原と名付けられました。

e0165472_2165464.jpg

e0165472_217710.jpg


この綺麗な草原の中に、神社は鎮座します。
沢山の観光客が訪れていましたが、神社へ参拝されていた方は、ほとんどいませんでした。
私が、参拝した時は、また、私たちだけ。 ここに、神社があることすら、目に入っていないのかもしれません。

*龍王神社(りゅうおうじんじゃ)【野村町大野が原】
*西予市野村町大野ヶ原119
*龍王大神(りゅうおうおほかみ)
  豊玉姫命(とよたまひめのみこと)
*境内社: 八大龍王社(八社)
*由緒
 創祀は承応4年と伝えられ、往古より小松ヶ池(現神社裏池)に龍住んでいたといわれます。
 この池は神霊池として伝えられ、旧大洲領八ヶ村の雨乞い祈祷場所でありました。
 明治37年この地が陸軍演習地と成りし時、75日間大雨・大風が降り続き、龍神の怒りと恐れられ、二間
 角の宮を建て、奉納角力(すもう)などを行い、龍神を慰め献奉れば、直ちに晴天白日となったと伝えられる
 又、この池には見る度に位置が変わる小島(浮島)があり、社名を浮島神社と称されていた。
 昭和3年4月、社名を龍王神社と改められ、現在に至ります。

 また、ここには、美しい少女、小松姫の伝説があります。

 高知の米屋(悪徳商人)の娘、お竜は、強欲な(不正を働いた)両親を悲しんで、ある夜大野ヶ原の姫ヶ淵に身を投げました。 両親が姫ヶ淵でお竜を弔っていると、小松ヶ池に水柱が上がり、竜が現れました。
この竜はお竜の化身として竜王神社に祀られているそうです。
  お竜は昼間は姫ヶ淵に潜み、夜になると小松ヶ池に棲む大竜になって村人を驚かせたといいます。

では、神社へ。
神社は、赤い鳥居の向こうにあります。
e0165472_231010.jpg


まずは、拝殿へ
e0165472_232238.jpg

本殿
e0165472_2331213.jpg


そして、拝殿の裏には、龍の住むと言われる 小松ヶ池があります。
身を投げた お竜の化身と言われる龍を祀る。
e0165472_2373260.jpg

e0165472_23858100.jpg


石のところまで行って 参拝します。
e0165472_2404922.jpg


見るたびに、位置が変わるといわれる 浮島は、右奥の島のことかな。
e0165472_2423666.jpg


1200mの山の上に、浮かぶ浮島そして、 龍神さま。
ずっとずっと昔から、この山の上で、自然を守り続けているのかもしれませんね。

ここは、ずっと前から、一度きてみたいと思っていた場所です。
夏休みくらいになるかなと思っていたのですが、こんなに早くくることができて本当に、うれしいです。
ここに、これるチャンスを頂いたことに、心から感謝しています。

e0165472_3215924.jpg

e0165472_323216.jpg


この美しい自然が、いつまでも続きますように。

今日の動画は、MISIAの 「逢いたくていま」 という曲です。
この曲は、現在も放送していますが、前回の 「仁」 の主題歌です。

テレビは、ほとんどみない私ですが、 今 「仁」だけは、欠かさず見ています。
「命」 は、 繋がれている。 沢山の命がつながれているから、志半ばで命が終わったとしても、
次の命が、その志を受け継いでくれる。
何度も何度も、沢山の命を繋ぎながら、時代は前に進んできた。

自分の「命」は、次への「命」へと繋ぐための命。

私たちの命は、沢山の過去の人たちの命の中に流れた血が、集まった、奇跡の命。

何不自由ない、今の時代に生まれた私たちは、全てがあたりまえにあるものだと、錯覚をおこしているのかもしれません。
今、こうして生きることができる 一人一人の命も、目の前にある沢山の物も、過去の人々の命が宿っている。 過去に感謝し、そして、今度は私たちが、次へと繋いでいく一人になるのです。

人は何のために生まれ、なんのために生きるのでしょう。

その意味は、一つではないかもしれません。 でも、その一つは、命を繋ぐこと、未来へこの美しい地球を繋ぐことなのではないかと思います。 
そのために、今、何ができるのか。  小さなことでもいい、きっと、できることがあるはず。
一人一人の、小さな積み重ねが、一人一人の、未来を思う気持ちが強くなればなるほど、世の中は変わっていくのだろうと、私は思います。

命は、自分だけのものではないのです。
今、自分がかかわっている人たちの中だけでの命でもないのです。
誰もが、未来へと何かを繋げる、大切な大切な、奇跡の命を授かって生まれてきたのだと、私は思います。



 

神々の伝説を伝えるために、そして、
その中から自らの生き方を見つけるために、
ブログランキングに参加しています。

幸せの輪を一緒に広げませんか。幸せの入り口(バナー)をポチっとお願いします。


にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村


ブログで紹介した場所を、地図でご案内しています。。
お越しの際には是非ご参考にされてください。

愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-06-04 03:24 | 愛媛県西予市野村町 | Trackback | Comments(3)

こんばんは。

今日は、朝から、一日自由な時間を作ることができました。
こんなことは、一年に何度もないこと。

貴重な、一日をどう使おうかと昨日からずっと考えていました。
でも、いろいろ考えても、その日のその時にならないと結局結論は出ず、その時になれば、自然と行き先がきまる。 
その時、いくべき場所に、導かれるように。

今日行った場所は、神様に近い場所。 澄み切った空気の広がる、神域。
どこも、素晴らしい場所ばかりでした。 
歴史や、それらの意味をしらなくても、ただ、その中の空気を感じているだけで、自然と一体となり、無の心となり、自然に、心の奥底から、感謝の気持ちが沸いてくる。

そんな場所でした。

でも、何かを求めて行っても、何も感じることはできず、何もない、ただの山の中に行ったと思うだけかもしれません。

新緑の木々の間からさす、太陽の光。
どこからともなく、聞こえてくる、水の流れる音。
鳥たちの、歌声。
澄み切った空気の流れる空間。
まるで絵の中に入り込んだような、自然の造形。

そこにいるだけで、ただ、その場にいるだけで、多くのものを頂いている。
私たちは、そのことに、気付いていないだけ。

そのことに、気付かせてくれたのは、

本当に大切なものは、何か。 
そのことに、気付かせてくれたのは、

そして、「命」の大切さを、教えてくれたのは、
神社、そして、この山や川、海や空、あたりまえにあると思っていた自然たちでした。

今日は、あらためて、強く感じた一日でした。

命を大切にしてください。
命を自分からたつなんてことだけは、しないで欲しい。
その命がこの世界誕生するまでに、沢山の人の命が繋がれている。
沢山の人が、一生懸命に生きた命があるから、今ここに命がある。

私たちは、この命を何かの形で次の命に繋げるために、生きているのかもしれません。
それは、子どもを作ることだけではありません。
仕事の中で、次の世代に何かを伝える人もいれば、
困っている人を助け、誰かの今日を支える人もいる。
今日、どこかで一瞬しか出会わなくても、その人のその一瞬に影響を与えることもあるかもしれない。
子どもたちに、何かを伝えることもできるかもしれない。

命を繋ぐということは、
日々の生活の中で、知らず知らずのうちに、関わっている 人と人と関わり全て。

私たちは、自分のために、生きていると勘違いをしているのかもしれません。
花が美しい花を咲かせるのは、自分のためではないように。
花は、次の命を生むために、美しい花を咲かせているように。

人と花は同じ。
誰かのため、何かのために、次の命のために、その命を一生懸命に使い、生きた時、本当に美しい花を咲かせることができるのかもしれません。
本当の幸せは、そこから生まれてくるのだと、私は思います。


野村町のお話は、今日でひとまず、終わりです。

今回最後に行った、野村町の神社は、野村町白髭に鎮座する三嶋神社でした。
前回ご紹介した八幡神社から、大洲に向かいすぐのところにあります。

古川鎮座する三嶋神社は、鎮守の杜の麓にありました。



いつごろ建立されたかは、今はわからなくなっているそうなのですが、この辺では一番古くから、鎮座していると伝わる神社です。
社殿ができる前は、神社の裏の森、高森に、巨大な石をまつっていたと伝わります。

ここも、古代は、水神 瀬織津姫の姿があったのではと思います。
ケヤキをはじめ杉の巨木が茂る杜が印象的な神社です。

*三島神社
*西予市野村町白髭3号1100番地
*祭神
大山積神(おおやまづみのかみ)
雷神(いかづちのかみ)
高龗神(たかおかみのかみ)
*合祀祭神
端山積神
茂山積神
猿田彦神
稚日女神
宇和津彦神
*境内社(木花咲耶姫)

ここは、多くの神社を合祀しているのですが、これらの祭神の中で、
宇和津彦神 という神様の名前があります。
これは、宇和島をはじめ、宇和地方で多くの神社に見られる名前です。

この地方のみで、つけられている名前で、
宇和島、そして宇和では、とても重要な神様とされています。

私は、この宇和津彦神もまた、ニギハヤヒまたは、瀬織津姫のどちらかではないかと思っています。
東予地方を開拓した、越智氏が三嶋明神とよんだように、
ここ南宇和地方では、宇和津彦神と読んでいたのではないかと思っています。

e0165472_2320847.jpg

e0165472_23202479.jpg

e0165472_23204038.jpg

e0165472_23223477.jpg

拝殿
e0165472_23225070.jpg

狛犬
e0165472_2323516.jpg

本殿
e0165472_23251930.jpg

境内社 (白王神社 )
木花咲耶姫を祀る拝殿です。
e0165472_23264222.jpg


三島以外の神紋が。。
e0165472_2329910.jpg


ここでも、眩しい光が降りてきました。
e0165472_2331626.jpg


光を見失わないで。
見えなくても、光は、誰にでも、同じように目の前にある。
闇があるから、闇の中にいるからこそ、
その中で眩しいくらいに輝く光を見つけることができるのかもしれません。
闇を知っているからこそ、見えるのかもしれません。
だから、闇を知っているあなたは、きっと光が見えるはずだと、私は、思います。

今日も、本当にありがとうございました。






神々の伝説を伝えるために、そして、
その中から自らの生き方を見つけるために、
ブログランキングに参加しています。

幸せの輪を一緒に広げませんか。幸せの入り口(バナー)をポチっとお願いします。


にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村


ブログで紹介した場所を、地図でご案内しています。。
お越しの際には是非ご参考にされてください。

愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-05-15 23:37 | 愛媛県西予市野村町 | Trackback | Comments(4)

こんばんは。
4月以降、松山に行く回数が増えてしまって、更新が遅くなっています。。。

でも、無理はしないように、出来る時に書く、浮かぶ時に書くようにと思っています。

今日、何を調べていた時だったのかさえもう思い出せないのですが、偶然開いたページに 瀬織津姫の名前が。。。  今まで、何度も見ていたはずなのに、まだ姫の名前が出ている神社を見過ごしていたとは。

でも、これも不思議なんです。 見ているのに見えてないのか? 
そのページだけ、開いてもないのか? これもその時がくるまでは、見せてもらえなかったかのように凄いタイミングで、現れました。

場所は、今お話している 野村町のすぐお隣の町 城川町。
実は、次に行ってみたいと、野村に行った後から気になっていた町でした。

この城川町は、四国カルストのすぐ隣にある、山の上の町です。
城川町のことを、少し調べていると、 「縄文時代」 にたどりつきました。

縄文時代の女神  「瀬織津姫」  

今日は、ちょっとだけ、縄文時代のお話をしたいと思います。
縄文時代とは、今から約1万6,500年前]から約3,000年前のことです。
地球は、少なくとも4回の氷河期があったと言われていますが、最終氷河期が始まったのが、約7万年前、そして、最終氷期の最寒冷期が2万年前でした。
この最盛期が過ぎると、地球はだんだんと温暖化にむかっていきます。
縄文草創期 約1万5000年~1万年前は、急激に気候の変化が起こりました。そして、その頃から、縄文時代と言われる時代が始まったのです。
ちょうど、この気候変動が起こり、海面が上昇し始めているころ、この四国の、城川町の洞窟の近辺で人が生活をし始めたという穴神洞(あながみどう)遺跡があります。

この山の上に、1万年以上も前から、人が住んでいたのです。
縄文草創期の当時は、瀬戸内海はまだ存在しておらず、本州、四国、九州、種子島、屋久島、対馬は一つの大きな島となっていました。 この大きな島と朝鮮半島の間は幅15キロメートル程度の水路だったのです。

それが、温暖化で海水面がだんだんと上昇し、対馬・朝鮮半島間の水路の幅が広がって朝鮮海峡となり、対馬暖流が日本海に流れ込むこととなったです。

この気候変動の激しかった縄文時代に、女神として既に人々に信仰されていたと言われる女神、
それが、瀬織津姫なのです。
日本中のあちこちで、水の女神、龍神として、信仰されてました。

そして、城川町や野村町にも、山の上に今でも龍をまつる立派な神社があります。
この洞窟に住みながら生活していた人々が、信仰していた女神 「瀬織津姫」 が、今もそのままこの土地を見守り続けているのかもしれないと、そんな気がしました。

この城川町には、もう一つとても珍しいものがあります。
それは、「黒瀬川構造帯」と言われる断層です。

中央構造線という名前は、地震でよく耳にする言葉だと思いますが、この「黒瀬川構造帯」は、私も始めて聞く名前でした。
中央構造線とは、日本のお腹のような場所。
7000万年ほど前に、すでにアジア大陸の東の端にできていた日本列島の大陸側半分に、南からやって来きた太平洋側の半分がくっ付いて、日本列島が完成しました。
その接合面が中央構造線です。
この中央構造線沿いと、奈良県吉野に祭る、丹生都比売は、深い関係があり、また丹生都比売とオオゲツヒメもつながり、更には瀬織津姫も。。。。  そして、その丹生都比売に導かれた空海。

そして、この「黒瀬川構造帯」は、その中央構造線とは直接関係ありませんが、その下をはしる地層で、
西は九州から、ちょうど、和歌山と奈良の県境くらいまでの地層で、
4億万年前に大陸移動説で有名なゴンドワナ大陸の1箇所にあったものが、日本列島に付加体としてくっ付いたもので、日本最古級のものと考えられています。

日本列島よりも古い地層がある この「黒瀬川構造帯」は、この城川町を通っていて、この名前は、
城川を流れる 黒瀬川の名前が使われています。

何だか、もの凄い過去にさかのぼったお話になりましたが、 ここ野村町、城川町は、地球の神秘の世界が詰まった町だということを、皆さんにお伝えしておきたいと思い、今日の最初にお話させて頂きました。

国や王という組織ができるずっと前から、姫神さまとして祀っていたその場所が、時代の変化とともに、神々も変化してしまったのかもしれません。 瀬織津姫という女神さまの、本当の姿を、もしかしたら、この場所に行くと、感じることができるかもしれない。 そんな気がしています。
何かで証明することは、なかなか難しいですが、心で身体で感じることは、出来るかもしれませんね。

では、長くなりましたが、野村町の続きのお話です。

今日の場所は、ココ。


稲生川を大洲方面へと進んでいると、神社の少し前に、不思議なものを発見しました。

祠もなく、ただ、石が鳥居のようにつまれてあるだけなのですが、この石の向こうには、まるで龍が住んでいるかのような川が流れていました。
大昔から、こうして、ここに祀ってあるのか、これが何なのか、全くわからなかったのですが、きっと、水の神様をお祀りしているんだろうなと思います。

e0165472_293164.jpg

e0165472_294717.jpg


美しい山
e0165472_2113961.jpg


お参りした後、写真をとりました。 すると、石に光がさしていました。
きっと、この石は、見えない光に通じているのですね。
e0165472_213640.jpg


お参りをし、すぐ右側に神社が見えました。 
地図を見ると、「八幡神社」 この日は三嶋神社に行く予定だったので、そのまま通りすぎようかと思ったのですが、時間も少しあるし、なんとなく、この道沿いの神社には、全部ご挨拶をさせていただかないとと思い、行くことにしました。

*八幡神社
*西予市野村町松渓1号852番地
*祭神
 田心媛神(たごりひめのかみ)
 大葉媛神(おおばひめのかみ)

e0165472_2215750.jpg

e0165472_2224927.jpg



いつごろできたかは、不明でした。 更に、こちらの祭神の姫さま、大場姫神。
初めて聞く名前で、調べてみたのですが、はっきりとわかりませんでした。
もし、知っている方がいたら、ぜひ、教えていただきたいです。

神社の近くに車をとめて、拝殿へと向かっていると、向こうから自転車にのった、小さな男の子が二人、私達の方へ近寄ってきました。

こんにちは。と挨拶をすると、とっても元気よく こんにちは。と挨拶をしてくれて、何故か私達についてきたのです。
拝殿へと行き、参拝をすると、片方の男の子が、また話しかけてきました。
少し話しをして、拝殿の回りを見渡すと、

(あれ? また同じものがある?)

実は、この前の三嶋神社でも、同じような形の籠が置いてあったのです。
その時は、それほど気にならなかったのですが、また同じもの?
いったいこれは何なんだろう?

e0165472_2273398.jpg


皆さんは、これが何だかわかりますか?
私は、これの完成した姿は見たことあるのですが、まさか、これが元の部分だったなんて。。。。

私たちは、二人ともこれがなんなのか、全くわかりませんでした。
そこで、二人の男の子に聞いてみることに。

「あのねぼく、この籠みたいなものは何?」

「あ!これね。 これは、牛鬼だよ!」 

え~! これが、あの牛鬼? 

牛鬼とは、地方祭礼の「ねり物」として繰り出されます。
赤布または棕絽(しゅろ)皮をもって表面を覆い、頭は鬼面、尾は剣を凝する。
その巨大なものは胴長五米以上、胴の中に、十数人の壮者が入ってこれを担ぎ、数十人の少年たちが、竹法螺をふき鳴らします。
このほらの音に合わせて首を伸縮させ鬼面をふりかざし、前進・後進又は縦横に暴れる、とても迫力のあるお祀りです。 毎年夏に行われるのですが、なかなか、今治のお祭りが近いので、行くことができませんが、今治方面で、なぜか、菊間町に牛鬼があるのです。

どうして、南予地方のお祭りが、菊間にだけあるのか? 不思議です。

でも、まさか、これが牛鬼とは、本当に思ってもいませんでした。
そして、ここ野村の町でも、牛鬼がさかんに行われていることも、初めて知りました。

もしかして、この子ども達を通して、このことを伝えたかったのかも?
そうなんです。 もし、ここに寄らないで、そのまま通り過ぎていたら、この子ども達に会うこともありませんでした。そうしたら、これが牛鬼だということも、きっとわからないまま、帰っていたことでしょう。
そして、野村で行われていることも知らずに。

以前から思っていたことですが、神社に行き始めて、確信したことがあります。

それは、「心の声に気付く。 一瞬のその声にしたがってみる。」ということです。
多くの場合、ふと思った心の声に、耳も傾けず、まあいいや。って思ってしまっていると思うのです。

一瞬の、閃きや、一瞬頭の中をよぎる言葉。
その声に、従うと、思ってもみない展開が待ち受けているのです。
そんな私も、聞き逃してしまっていることも、多々あるかもしれません。

でも、時々こうして起こる、不思議な出来事があるたびに、心に素直になろう。 そう思います。
そのためにも、いつも笑顔で、いつも感謝の心を持ち続けよう。 そう心に伝えます。
自分で自分に伝えるのです。  忘れないでと。。。。

耳を澄ませるのではなく、心を澄ませる。

そうしたら、いつもは聞こえない声が、ふと、聞こえてくるかもしれません。
それは、もしかしたら、姫さまの声かも・・・・・・・ とも 思います。

拝殿の写真をもう一度とったら、綺麗な光が映りました。
e0165472_2521615.jpg


山からも。。。。
e0165472_2523751.jpg


今日も、最後までありがとうございました。





神々の伝説を伝えるために、そして、
その中から自らの生き方を見つけるために、
ブログランキングに参加しています。

幸せの輪を一緒に広げませんか。幸せの入り口(バナー)をポチっとお願いします。


にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村


ブログで紹介した場所を、地図でご案内しています。。
お越しの際には是非ご参考にされてください。

愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-05-14 02:53 | 愛媛県西予市野村町 | Trackback | Comments(4)

こんばんは。
野村町のお話 2日目です。

町の中心部を抜け、441号線を、宇和方面へ走ると、(肱川の上流の別称)宇和川と稲生川が合流します。
その合流する場所に、赤い大きな橋がかかっています。

橋の名前は 「出合橋」 

名前の由来は、書かれてありませんが、川と川が合流する場所だから「出合」とつけたのではと思います。
川と川という意味だけでなく、人々が、あちこちから、この川を通り移動していたのだと思います。

人と人が出会う場所。
なんとなく、そんな気がしました。


e0165472_20361586.jpg

e0165472_20345668.jpg


景色がとっても綺麗です。 水も山も。。。。
e0165472_20375150.jpg

e0165472_2038486.jpg


出合大橋のすぐ側に祀られている 小さな祠。
いったいどれくらいの人がこの祠に気付いているかな~。
e0165472_2039572.jpg


そして、橋は渡らずに、今度は大洲方面へ向かいます。
すると、四郎谷というところに、三嶋神社があります。

ここは、もともと、四郎谷(しろうたに)、長谷(ながたに)、松渓(まつたに)、白髭(しらひげ)の4つの村がありました。
それらが、合併し、明治時代に、渓筋村(たにすじむら)となり、その後、昭和に入り、野村町となり、更に、平成の大合併で、西予市野村町となりました。

合併は便利な面もありますが、大事な地域の名前が消えてしまうことは、残念なような気がします。

三嶋神社がある、四郎谷は、元は白河谷と呼ばれていたそうなのですが、
豪族越智四郎の名を取って四郎谷となったと言われています。

越智四郎は、この地方を開拓した人のようなのですが、その姿はまだよくわかっていません。

でも、今回ご紹介する神社も、この越智四郎という人が、和銅五年に、大三島から勧請したと言われているそうです。

和銅五年、元明天皇の時代、前回ご紹介した三嶋神社と同じです。
しかし、建立されたのは、こちらの神社の方が先かもしれません。 
また、この四郎谷からは、銅鋒が出土しているそうです。

銅鋒とは、弥生時代の青銅製の鉾です。
朝鮮半島より渡ってきたこの鋒は、武器として使われていたものですが、その後、日本では、祭器として使われるようになったそうです。
この辺も、聖地の一つだったのかもしれませんね。

野村町は、愛媛の中でも、山深い町です。 しかし、この野村の中でも一番高い場所に、龍の伝説が存在します。
また、野村と城川の境には、雨乞山と呼ばれる山があります。
まだまだ、これから行かないといけない場所が沢山ありそうです。

では、四郎谷の三嶋神社です。

*三嶋神社
*西予市野村町四郎谷1-314
*祭神
大山祇神(おおやまつみのかみ)
大雷神(おおいかづちのかみ)
高龗神(たかおかみのかみ)
*由緒
元明天皇の和銅5年(712)に当郷開拓の祖、越智四郎により越智郡大三島大明神を勧請したとの伝承あり。文明3年(1471)の上棟棟札には大檀那として、平朝臣魚成豊後守通親(龍ヶ森城・城川町魚成を本拠とする魚成一族)が武運や子孫の繁栄を祈願している。又、永正10年(1513)の再興棟札は西川豊後入道平朝臣顕貴(鳥屋ヶ森城・鬼北町清水)が願主として子孫繁栄や武運、富貴を祈願している。
 当社の境内末社として12社(琴平2、十二所、日吉、天満、熊野2、奥大、海津見、八坂、森、白王神社)が鎮座していたが、明治42年1月16日に配神として合併された。

ここも、和銅五年の神社。
和銅五年に勧請される場所は、特にその地方の中でも中心であった場所、または大事な場所であったのではないかと思います。

e0165472_217335.jpg

e0165472_2193878.jpg

e0165472_2195576.jpg


拝殿
e0165472_21111177.jpg

ここも、大山積神ではなく、三島明神と書かれてあります。
e0165472_21122681.jpg


神紋
e0165472_21132510.jpg


本殿
e0165472_2114194.jpg


鎮守の杜に囲まれた拝殿には、優しく暖かい光がふりそそいでいました。
e0165472_21163018.jpg

e0165472_21164998.jpg



今日で、震災からちょうど2ヶ月。
2ヶ月ぶりに、放射能の影響で自宅に帰れなっかた人達が、戻ることができました。

小さな袋に入るだけの荷物をとりに。。。。

その多くの人達が、一番持ちかえりたかったもの。それは、家族との思い出の品でした。
側にいることが当たり前、平凡なその日々が退屈だと思っていた人もいることでしょう。
でも、その当たり前のものが、一番大切なものだった。

何もなくても、命があれば、家族がみんな無事でいてくれれば。。。。

受け入れられない現実を、受け入れなければいけない。
どれだけ、辛い思いをされたことでしょう。 

その気持ちを考えると、なんと言っていいのかわからなくなります。

でも、どうか、今ある命を大切にしてください。
命が今こうしてあることには、きっと意味がある。そう思います。
新しい光が、降り注ぎますように、そして、新しい人生が、素晴らしい人生になりますように、心から祈りたいと思います。

(合掌)




神々の伝説を伝えるために、そして、
その中から自らの生き方を見つけるために、
ブログランキングに参加しています。

幸せの輪を一緒に広げませんか。幸せの入り口(バナー)をポチっとお願いします。


にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村


ブログで紹介した場所を、地図でご案内しています。。
お越しの際には是非ご参考にされてください。

愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-05-11 21:40 | 愛媛県西予市野村町 | Trackback | Comments(0)

こんばんは。
連休も終わり、今日から仕事ですね。
長いお休みで、まだ疲れが抜けていない方も多いのではないでしょうか?
私も、その一人です^^;

連休最終日の昨日、以前お話した、雨乞いの神社だったと言われる、黒滝にある、龍神社へ行ってきました。
深い山の中、細い一本道を山の上へ上と進み、もう諦めて引き返そうかと思った時、目の前に神社が。。
人がほとんど入ることのない、山の奥。
本当に神聖な場所でした。 このお話は、また後日させて頂きますので、楽しみにしていてください。

では、今日は、野村町の続きです。

和銅5年、712年。 元明天皇(げんめいてんのう)の時代、伊予の国の全土に、大三嶋大明神を勧請するようにと詔勅がだされました。

私の気になっている年の一つです。

元明天皇は、天智天皇の第四皇女。
天智天皇は、ニギハヤヒを祖神とする天皇です。
元明天皇は、草壁皇子と結婚したものの、草壁皇子は即位することなく早世し、息子の珂瑠皇子が文武天皇として即位します。
しかし、息子の文武天皇も病に倒れ、崩御してしまいました。
残された孫の首(おびと)皇子(後の聖武天皇)はまだ幼かったため、中継ぎとして、初めて皇后を経ないで707年に、即位しました。

この時、大山祇神社の大造営は始まっていました。
それから五年後、大三嶋大明神を勧請するように、詔勅が出されたのです。
完成3年前でした。

ニギハヤヒを祖神とする、天智天皇の血を受け継ぐ、元明天皇は、どうして、伊予の国のあちこちに、三嶋明神を勧請するように命じたのでしょうか?
藤原不比等が、力を持ち始めたのは、元明天皇が即位した翌年、708年からでした。
そして、藤原不比等が最高権力者となったのは、それから二年後の710年。そして古事記が完成したのが、和銅五年(712年)、三嶋明神を勧請するように詔勅が出された年です。

元明天皇はどちらの立場で、三嶋明神を勧請するように命じたのか、それとも命じたのは、藤原不比等だったのでしょうか? それによって、三嶋明神が勧請された理由が大きく変わってくるのです。

今回、野村町で一番最初に参拝させて頂いた三嶋神社は、
この和銅五年に、関係のある神社です。

祭神は、
大山祇大神(おほやまつみのかみ)
大雷大神(おおいかづちのかみ)
高龗大神(たかおかみのおおかみ)
そして、合祀された、猿田彦大神、天宇受賣命、
後に、菊理姫命が、合祀され、現在は、以上の六柱の神々が祀られています。

ただ、どちらにしせよ、大山祇神社の大造営、そして、古事記の完成に関係があることは、間違いないのではないかと思います。
願わくは、三嶋明神として、この地へと勧請されていてほしい。 そう思います。

*三嶋神社
*愛媛県西予市野村町野村4-54

鳥居です。
e0165472_21582415.jpg


大山積神と菊理姫命の名前が刻まれていました。
e0165472_21592213.jpg


狛犬
e0165472_2203515.jpg


ご神木
e0165472_2205621.jpg


境内に入ってすぐ、不思議なことがありました。
このご神木の近くを通ろうとした時です。 それまで、ほとんど風は無風状態だったのに、突然、ご神木の方から、凄い音とともに、風が私達の方へ通りぬけて行ったのです。
本当に、その一瞬だけでした。 その後は、風は吹くことはありませんでした。

そう、ちょうどここを通っている時でした。
e0165472_2261013.jpg

拝殿へと向かうその時でした。
e0165472_2275496.jpg


拝殿
e0165472_2292681.jpg


神文を撮ると、まっすぐに伸びる光が、
e0165472_22103574.jpg


本殿
e0165472_22131617.jpg

e0165472_22141683.jpg


新緑の山々に囲まれた美しい景色でした。
南予に行くと、心も身体も元気になるような気がします。 ゆっくりと流れる空気が、とても好きです。

この豊かな自然に、心から感謝したい。そう思います。

もうすぐ、震災から二ヶ月がたとうとしています。
あれだけ悲惨なことが起こったにも関わらず、人間は、まだ、欲に目がくらみ、嘘をつき、人を騙し、人が人を殺し、何も変わろうとしていない人々が多くいることが、とても悲しい。

物事には、陰と陽があり、悪と善がある。
陰があるから、陽があり、悪があるから善があることはわかっているけど、
悪はこの世から消えて欲しいと願う心は消えることはない。

地球は、陽である太陽と、陰である月の両方がないと、今の状態を保つことができない。
太陽と月があるから、こうして青い地球が生まれ、
男と女、昼と夜、潮の満ち引き、地球はその多くが、陰と陽でなりたっている。
でも、一つだけ。。。。。。。
何が悪で、何が善なのか。。。
それぞれの立場や、それぞれの考え方で変わっくる悪と善の、陰と陽。

何を基準に、悪と善を決めたらいいのか。。。。。
それは、いくら考えても答えはでることはないかもしれません。 なぜなら、
それは、この世に存在する 陰と陽は、全てが命のために、地球の全ての命リズムのためにある陰と陽。
人間、自分中心に考えた悪と善は、それとは全く別のところに作られた、人間の欲望の中の善と悪。

悪と善という考え方ではなく、全ては人間を中心に考えるのではなく、地球の命を中心に私たち人間も生きることを考えなければいけない。 ただそれだけなのかもしれない。

でも、そうして生きることは、とても難しい。 
感情や欲望は、人の心の中から、消えることはないから。。。。。。

でも、その欲望を少し抑え、地球と共に、歩むことを考えるそんな自分でありたい、
そして、そんな世の中になって欲しいと、願う心は持ち続ける一人でいたい。。。。。。。。






神々の伝説を伝えるために、そして、
その中から自らの生き方を見つけるために、
ブログランキングに参加しています。

幸せの輪を一緒に広げませんか。幸せの入り口(バナー)をポチっとお願いします。


にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村


ブログで紹介した場所を、地図でご案内しています。。
お越しの際には是非ご参考にされてください。

愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-05-09 23:33 | 愛媛県西予市野村町 | Trackback | Comments(5)

おはようございます。
昨日は、また寝てしまっていて、朝4時に起床。 珍しく、朝、パソコンに向かっています。

重信町のお話も、ひとまず終わり、今日は、新しい町のお話 「野村町」です。
ここは、重信町を探索した後、地図を見ていてなんとなく、行ってみたいなと思い、何も調べずにまずは、現地に行ってみたのですが、言葉では言い表せれない、不思議な感覚がありました。

何だか、また、新しい何かが始まる。 そんな予感がしていたのですが、この時はまだ、それが何なのか、よくわかりませんでした。

昨日の夜、野村町を書き始める前に、いつものように、町のことをまずお話しようと、少し町のことを調べていている時でした。

これもまたどうしてか、わからないのですが、今回は行っていない、一つの神社が気になりました。
それは、今まで、他の場所でも、何度も見かけた神社の名前です。
でも、今までは、全くその名前が気になることはありませんでした。
でも、昨日なぜか、その神社の名前がとても気になり、その神社のことを少し調べてみると、これもまた、全く今まで気付かなかった 姫のもう一つの名前に繋がってきたのです。

東北地方に、今も多く残る その名前。 「アラハハギ神」 です。
鬼の神と言われている神です。西方面には、あまりその名前を見ることがなく、もちろん愛媛にも、今までまだ見たことはありませんでした。
でも、「鬼」 で繋がるものは実は前からあり、それがどうやって繋がっているのか、今までずっと謎でした。

その 「鬼」に関係するものは、どういうわけか、愛媛県でも南予地方に多いのです。
その名前は、「牛鬼」と言われる、お祭りの時に出てくる 獅子のようなものです。

実は、南予でも、宇和島市周辺にあることは知っていたのですが、ここ野村にあるとは知らなくて、これもまた、現地に入って、偶然居合わせた子どもから、教えてもらうことができました。
その 「鬼」 が、 こんな形で姫に繋がっていたとは、もちろんその時は、全くわかりませんでしたが、今朝、目が覚めて、パソコンを開いてすぐそのことに気付きました。

この「牛鬼」と アラハハギ神(瀬織津姫)の関係は、私だけの妄想です^^;
どこにもそんなことは、書かれていないと思いますが、今朝、私の中で、繋がったのです。

ず~っと、気になっていなのに謎だった 「牛鬼」

それをつなげてくれたのが、ここ野村でした。 そして、愛媛での「アラハハギ神」の姿です。
これからは、三島明神とともに、この「アラハハギ神」の愛媛での姿も追ってみたいと思います。

何度も、書いていることですが、本当に、姫を巡る旅を始めてから、まるで先の見えない大きな階段を一つ一つ登っているように、一つ上がり、何かにたどりつけば、その上の階段が現れる、そんな感覚がずっと続いています。

まるで、人生の階段のように。。。。。

「ものごとには、順番がある」 また強く思った瞬間でした。

アラハハギ神については、これから一つ一つ勉強して、巡って行きながらお話したいと思います。
まずは、そこにたどりつくまでのお話を、もう少しさせてくださいね。

今回の野村町とその後の数回は、まだ、そのことに全く気付かない状態で行っています。
まずは、初めましての野村町です。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。


「西予市野村町」は、愛媛県の南予地方の北側の山の中の町です。
「シルクとミルクと相撲の町」 と言われています。

現在は、随分減ってしまっているようなのですが、もともと、繭をつくるのが盛んで、全国でもその名を知られていたそうです。町には 「シルク博物館」があります。
また、愛媛と高知の県境にある、日本三大カルストの一つ、 「四国カルスト」がある町でもあります。

今回は、野村町の南の方へ行ってきました。
内子町から、肱川沿いを上流へと進み、野村町へ向かいます。 

肱川は、大洲方面へと流れる川で、以前、少彦名命の伝説でもお話しましたが、冠岩を探しにやってきた場所です^^  途中、綺麗な道の駅があります。

e0165472_6233087.jpg

冠岩を探しにきた時、ここの店員さんが、わざわざ市役所の人に電話をかけて聞いてくださいました。
残念ながら、誰もしらなくて、今も見つかっていませんが、とても親切な店員さんでした。
それ以来、この近くを通る時は、必ずよらせていただいています^^

そして、野村に入って確か肱川の上流を走っている時でした。
道路沿いに、小さな祠を見つけました。 まずは、これから野村町をまわらせていただくための、ご挨拶にと行ってみました。

e0165472_6345134.jpg


場所は、だいたいですが、この川沿いです。


そこは、豊富な川の水が、勢いよく流れる場所でした。
祠の中には、「龍王権現」 の文字が。

e0165472_6355937.jpg


最初に出会った神様が 「龍王権現」さまでした。
姫さまの導きで、ここに来れたことへ、改めて実感しました。 有難いです。

祠の下には、こんな美しい風景が広がっています。
e0165472_6394532.jpg


この川は、まるで龍の身体のように見えます。
大きな岩に勢いよくぶつかる、水しぶき。
e0165472_6431451.jpg

e0165472_6443837.jpg


ほとんど人は、立ち寄ることもなく通りすぎてしまう場所でしょう。
でも、ここで権現さまは、静かに今も見守ってくれているのです。

もし、この前を通った時は、ちょっとだけ、足を止めて行ってみてくださいね。
権現さまのところへ。。。。。。
e0165472_6475220.jpg



もう、すっかり朝になりました。
今日も、素敵な一日になりますように☆







神々の伝説を伝えるために、そして、
その中から自らの生き方を見つけるために、
ブログランキングに参加しています。

幸せの輪を一緒に広げませんか。幸せの入り口(バナー)をポチっとお願いします。


にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村


ブログで紹介した場所を、地図でご案内しています。。
お越しの際には是非ご参考にされてください。

愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-05-08 06:55 | 愛媛県西予市野村町 | Trackback | Comments(4)

数あるブログの中からお越しいただきましてありがとうございます。 不思議な数々の出会いから、今は、愛媛の神社めぐりをしながら、神社や女神様そして、神話の神々の伝説を調べています。
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31