こんばんは。

今日は、今回の城川町最後のご案内です。
雨もやみ、うっすらと霧がかかった山を越えて、目的地へと向かいました。

197号線から、県道284号線へと入り、一山超えた向こうの川津という村にあります。
大門峠を越えると、川津。

さほど高くない山、 景色もそんなに変わらないような気もするのに、
さっきまでいた場所と、ここは、まるで別の世界の気がしました。

まず向かったのは、古代の人々が生活していたといわれる洞窟。

「穴神洞(あながみどう)遺跡」です。
そして、その洞窟の下には、 町指定天然記念物 全長75mの穴神鍾乳洞があります。

どちらも、入ることはできませんが、その前まで行くことはできます。

まずは、鍾乳洞です。
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穴神鍾乳洞は、
昭和44年6月、地元の中学生が「こうもり」を取りに入って発見したものだそうです。
それまで、ここに、鍾乳洞があることを誰も見つけることができなかったこともとても不思議ですが、
それだけ、ここ城川は、人に荒らされていない場所だったともいえるかもしれません。

洞窟の全長は、75m、高さ8~10mで、石筍、鍾乳石など豊富で変化に富み、県下では類のない鍾乳洞であるといわれています。

前もって予約をすれば、中に入ることができるようですが、この日は、突然むかったので、
中は見ることはできませんでしたが、外側の岩をみるだけでも、地球の長い歴史を感じる神秘的な光景でした。
鍾乳洞入り口横の岩
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そして、入り口です。
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中もどんな風になっているか、見てみたいですね。
そして、この鍾乳洞の上には、 一番見たかった、縄文時代の人々の跡、
穴神洞(あながみどう)遺跡があります。

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ここは、昭和36年(1961)、愛媛大学洞穴探検隊により発見されました。
縄文早期初期に相当する層位(第9層)から、日本で最も古い土器であるとされている隆起線文土器の口縁部が発見されています。
また小型楕円、山形押型文とともにタカラガイ、ツノガイ、キセルガイ、シドロガイなど、どれも海産の貝殻を加工して作った装身具が豊富に出土したことなどが注目されているそうです。

海から遠い、この山の上で、海の貝殻が使われているのは、ここに住んでいた民族が、海からやってきたという証拠なのでしょうか。
更には、縄文時代早期の人間の頭蓋部をはじめとする人骨片も出土ています。

更には、早期に属する最下層部から礫を集めて築かれた炉址が検出されるなど、愛媛県久万高原町の上黒岩岩陰遺跡に匹敵する、愛媛の最古の遺跡と言われています。
なお上層部からは後期~晩期の土器や石器が発見されており、
この洞穴は、かなり長い間、人々の生活の一根拠地であった可能性もあるそうです。

古代の人々は、ここで、長い間、子孫をつくり、何千年も生活をし続けていたのでしょうか。
とすると、この近くの山のどこかに、瀬織津姫を祀る 祭祀遺跡があってもいいのですが、それは、まだ見つかっていないようです。

今はもう人々が、足を踏み入れることのない場所に、 姫を祀る場所はあったのかもしれません。
もしくは、今の人が考える以上に、行動範囲は広く、少し離れた場所にあったのかもしれません。
昔から、城川の人々が、毎年欠かさず二度参拝にいくという場所が、城川の隣の町、高知県の山の中にあります。

そこに行くと、また、何かがわかるかもしれません。
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そして、この遺跡の向かいの山の頂上に、神社があります。
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次は、最後に行った、 三柱神社です。

*三柱神社
*西予市城川町川津南2156
*祭神
 伊邪那岐神(いざなぎのかみ)
 天照大神(あまてらすおほかみ)
 伊邪那美神(いざなみのかみ)
*由来
 古くは、十五森という場所に鎮座されていたそうなのですが、明治22年4月12日社殿焼失し、同25年現在の地に遷座されました。
 神名も、 現在の三柱の前は、若一王子三所大権現と称えていましたが、
明治維新の際に三柱神社と改称したといいます。

もしかしたら、もともとは、現在の三柱ではなく、別の神が鎮座していたのかもしれません。

でも、そんなことはぬきにしても、ここは、今回行った神社の中で、一番神々しい場所でした。
杜の一番上ということもあったかもしれませんが、 その空気は、 更に透き通り、光がなんの障害もなく入りこみ、 私の体を包み込むような、そんな錯覚さえ覚えるところでした。

とてもわかりにくいところにありましたが、今回も、ちょうど迷っている時に、 前から女性があるいてきたり、
次に迷っていると、 男性が目の前にいたり、 ラッキーが重なり、無事たどりつくことができました。
本当に、感謝です。

では、神社をご紹介します。
まずは、参道入り口の鳥居です。

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ここからは、歩いて行きます。
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そして、神社へ。
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そこには、もう一つの参道が。。。 山の麓から歩いて上る参道です。
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そして、拝殿へ、
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本殿
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波の中にいる動物。 これは、何という動物なのでしょう。
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そして、こんな模様も。
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帰り道。 行く時よりも、一段と霧が出てきました。
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今回の写真の中で、一番気に入っている写真。
最後の鳥居をくぐり、外の世界へと行く、神域と出口。 ここは、特に美しい光景を見せてくれました。
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本当に、素晴らしい場所でした。 
ここは城川についてから、 突然行きたいと思い始めた神社でした。
それにも、きっと意味があったのでしょうね。

山を降り、今上った山をうつしてみました。
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そして、周りの山々。
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ここ、城川町川津は、 今から1万2000年以上も前から、 人が住んでいる場所。
戦争も争いもない、縄文時代。 1万年近く、ここで生活する人々のあとが、今でもこうして残っています。

そして、まだまだ、この山々には、沢山の秘密が隠されているのかもしれません。
でも、もうあえて、これ以上山に手をつけることをしないほうがいいのかもしれないとも思います。

私たちは、この時代の人々の血を受けつぐ一人です。
文明が発達し、 現代の人間の悪い心ばかりが、表にでているようにも思います。

今、この時代の女神が現れ、私たちに何かを伝えているとしたら、 その中の一つに、
この縄文時代の人々から、何かを学びなさい、 いや学ぶというよりも、思い出しなさいと言っているのかもしれません。

この美しい、偉大な自然の力によって、生かされている命だと心から思うことができたら、
今までの自分が、どれだけ愚かだったか、 どれだけ欲深かったかということに気づくような気がします。
そうすれば、おのずと、今までの自分の心に問題があったことに気づき、 反省し、 自ら、「禊」 を
し、悔い改めなければと思う気持ちが生まれるような気がします。

まず、私たちがしなければいけないことは、
心の 「浄化」 「清め」 「祓い」  「禊」

それが、 「水」 であり、 「水の女神」 の 半分の姿。

そして、もう半分は、 その後にやってくる 「再生」「誕生」 なのかもしれません。

清い水をたっぷりと補い、 清い心に生まれかわり、また新しい生命が誕生するかのように、 
新しい時代を、 切り開いていかないといけないのかもしれません。
その時も、また、 全ての源である、強大なエネルギーを作り出す

「水の女神」 さまが、 もう一つの力をはっきされるのだと思います。

今日も、最後まで、ありがとうございました。
明日も暑い一日になりそうです。 どうぞ お体ご自愛くださいませ。




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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-06-23 23:44 | 愛媛県西予市城川町 | Trackback | Comments(6)

こんばんは。

今日は、夏至の日でしたね。 
そこで、なんとなくいろいろ調べていたら、とんでもない発想が出てきました。

またまた、私の妄想の世界だけけかもしれませんが、なんとなく、私の中では繋がるのです。
まずは、城川のご紹介をさせて頂き、最後に夏至のお話をさせて頂きたいと思います。

今日の城川町は、前回の神社から10分ほど車を走らせた場所に鎮座する、
「高野子 八幡神社」です。

ここは、神社の古文書等が火事で、消失してしまったため、起源などがわかりません。
しかし、ここには、 名前が表に出されていない神様が、
二八柱いらっしゃいます。 

もしかしたら、ここにも、姫の名前があるかもしれません。
というのも、ここ城川は、愛媛の中でも、もっとも古い時代または、それに近い時代、縄文時代から、
後に瀬織津姫とよばれる 水の女神を祀っていた場所のような気がするのです。

そして、それよりももっと前に、祀られていた場所は、
今日の夏至のお話に出てくる場所。 そこに、日本の人類の原点、
そして、四国の原点を見ることができるようなきがしています。

*八幡神社
*西予市城川町高野子3238
*祭神
 応神天皇(おうじんてんのう)
 神功皇后(じんぐうこうごう)
 玉依姫命(たまよりひめのみこと)
 経津主命(ふつぬしのみこと)
 武甕槌命(たけみかづちのみこと)
 他二八柱
*由緒
 正暦元年の創立であるという。宝暦6年11月6日火災に罹って古文書等一切を焼失した。

197号線から、少し山へ上がったところに神社はあります。
道路沿いの入り口には、ちゃんと鳥居がありました。

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山の中へと入ると、2番目の鳥居、
ここも両部鳥居です。 城川町の神社は、その多くにこの両部鳥居があることがわかりました。
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そして、更に階段を上ります。
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拝殿
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本殿
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鎮守の杜
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帰りは、坂道から降りることにしました。
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鎮守の杜を通り下へ降りると、こんな風景が広がっています。
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次回は、今回の城川最後の場所となります。 
縄文時代に人が住んでいたと言われる場所が、そのまま今も残っているところへと向かいます。
そして、その目の前の山に鎮座する、神社へ。

1万年以上、争いがなかったといわれる 縄文時代。
ここで、どんな生活をしていたのでしょう。 また、なぜ、この山の中を選んだのでしょう。

次回は、そんな縄文時代へとご案内します。

さて。 冒頭でも少しふれました、 「夏至」。
一年で一番昼間が長い日、一年で一番太陽が高い位置に上る日。
古代の人々は、太陽に聖なる力がやどっていると、考えていました。 そして、今日、この日。
夏至の日は、そんな聖なる力が、最高潮に達する特別な日だと考えていました。

夏至の日、太陽は北極にもっとも近寄る、夏至の日は、太陽の誕生日ともよばれていました。

そんな特別な日に合わせて、古代の人々は、あるものをつくりました。
それが、

「巨石遺跡」 ストーンヘンジです。

世界的に有名な場所は、イギリスにある、 「ストーンヘンジ」ですね。
イギリスのストーンヘンジは、今から約4800年前につくられたといわれています。

高さ7mほどの巨大な門の形の組石(トリリトン)5組を中心に、直径約100mの円形に高さ4-5mの30個の立石(メンヒル)が配置されています。
夏至の日に、ヒール・ストーンと呼ばれる高さ6mの玄武岩と、中心にある祭壇石を結ぶ直線上に太陽が昇るこの遺跡は、、太陽崇拝の祭祀場、古代の天文台、ケルト民族のドルイド教徒の礼拝堂など、さまざまな説が唱えられています。

そして、日本にも、同じ4000年~7000年前につくられたかもしれない、巨石遺跡があることが、わかってきました。
今は、まだ、きちんと認められているわけではないようなのですが、
その場所が、 四国の最南端 足摺岬です。

「唐人駄場遺跡」 とよばれるこの場所は、十年くらい前までは、まだ、ほとんどその存在がわかっていませんでした。  更に、 この場所を遺跡と知らず、足摺岬の観光のため、その大部分を、駐車場へと変えてしまいました。

もとは、世界一ともいわれる規模のストーンサークルや、高さ6~7mもある巨石の林立する唐人石があり、
これらを中心に 地域一帯の山中1500ha、250カ所以上の巨石群がありました。

当時の航空写真を見ると、その規模に圧倒されてしまいます。

また、この唐人駄場遺跡は、イギリスのストーンサークルや、フランスのカルナックの両方の特徴を兼ね備えていたのです、

四国足摺岬は、日本の中でも最古で最大の、巨石遺跡がある場所だったのです。
しかも、イギリスと同じ時期につくられていたことにもなります。 
イギリスと日本、 同じ時期に二つのストーンサークルがつくられた意味が、あるのではないかと考えてみたのです。
すると、ふと、地球儀を見てみようと思い、見てみると。。。。。。

ユーラシア大陸の東の端 の島国 日本と、 ユーラシア大陸の西の端 の島国 イギリスにつくられていたことが、目にとまりました。

日本は、「日いずる国」 と 言われますが、これは中国大陸の東の端ではなく
ユーラシア大陸の東の端 「日が生まれる国」 だったかもしれないと。

しかも、その両方には、 「ケルト民族」 または、後にケルト民族になる民族が、つくったのかもしれません。
ケルト民族と、瀬織津姫 ケルト民族と日本の歴史には、共通するものが沢山あるのです。
まったく関係ないと思る方が大半でしょうが、 その共通点を見ていくと、同じ民族が伝えたものかもしれないことが沢山あります。

瀬織津姫 (水の女神) だけでなく、 古代日本が歩んだ 「鉄」の歴史。
神々を自然信仰として、崇めていた時代。 
「渦」 の力。 さまざまものに、渦が描かれ、水を飲む前には、瓶の水を乙女が回転させてから使う風習がありました。 これは、渦ができることにより、水が浄化されると考えたそうです。

日本もまた、同じように、渦には特別な力があると思ってきました。
縄文時代に描かれた模様は、渦が原点になっているとも言われます。 
縄文時代の女神を言われる瀬織津姫もまた、 水の女神であり、浄化の女神でもあります。

もしかしたら、その原点は、このストーンサークルにあるのかもしれません。

そして、足摺岬のストーンサークルの場所は 133度線。
その133度線を北へ進むと、 大三島の大山祇神社があり、 イザナミが眠る 出雲があります。
後に、瀬戸内海、そして出雲で栄えた 「鉄文化」 
その鉄文化に合わせるようにつくられた、祭祀遺跡や古代の塩田。 
日本の中での聖地として、 足摺岬を出発点にして、 その中央の大三島、そして出雲は、それぞれの場所の意味があったのかもしれません。

これは、あくまでも私の思いつき、ひらめきですので、 また 変わるかもしれません。
でも、これは、一つのヒントではあるような気がしています。

最後の氷河期が終わり、縄文時代早期少しづつ暖かくなり、海が広がり、瀬戸内海もできました。
それまでは、瀬戸内海は、広い草原だったのです。
人々が、住み始めた次代でもある縄文時代は、まだまだ、なぞに包まれた、今の人間が考えられない文明が存在していた時代かもしれません。

ユーラシア大陸の東と西の端に、同じ民族がストーンサークルをつくることができる民族がいたとしたら、今までの歴史が変わってしまいそうですね。
神社の歴史から、こんなところまで、世界が広がるなんて、自分でもびっくりしています。
日本の神々は、それだけ、偉大で、それだけ、重要な神様なのですね。
そして、日本という国もまた、この地球にとって、とても重要な場所、特別な場所なのかもしれません。

今日も長い長い文章を最後まで、お読みくださいまして本当にありがとうございます。

今日の動画は、ハワイ マヌアケア山 山頂の 国立天文台 すばるから見た景色、富士山よりも高い場所からの、太陽だそうです。
太陽の力が、皆様のもとへと届きますように・・・・・・。





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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-06-22 23:07 | 愛媛県西予市城川町 | Trackback | Comments(6)

こんばんは。

今日は、夕方久しぶりに 彩雲を見ました。
西の空に沈む夕日の横に、光る雲の中に、縦に伸びる虹。
とっても綺麗でした。

でも、その後の夕日が、少し紫がかった赤に染まり、 少し気持ち悪い感じがしました。

また、明日はお天気が悪くなるようなので、気象性のものならいいのですが。。
少し心配です。
何もないことを、祈りたいと思います。

今日は、城川町の、もうひとつの姫を祀る神社です。

神社の名前は、八幡神社。城川町古市に鎮座します。
前回、城川へ訪れた時は、瀬織津姫を祀る神社は、杉王神社しかわかりませでした。
次の週末、図書館で調べ物をしていた時、見つけた姫の神社。

ここは、町誌にも村誌にも、姫の名前は見つけることはできませんでしたが、神社に関する調査という、古い本に、姫の名前が確かにありました。

古市は三区域に分れ、古市村、伏越村、中津川村と称え、各村に氏神社がありました。
これら三つの村を合併して、古市と名づけられた時、各村に鎮座されていた神社を合祀して、その時に、神社の名前を八幡神社と名づけました。

その合祀された神社の中に、姫の神社はありました。

古市のどのあたりに祀られていたかは、まだわかりませんが、ちゃんと残っていてよかった。

古市八幡神社は、古市の村を見渡せる小さな山にありました。
場所が、わかりにくいところだったのですが、近くのガソリンスタンドのご主人?が、お客さんでもないのに、とても親切に教えてくださったので、迷うことなく、まっすぐたどり着けることができました。
ガソリンスタンドのご主人、ありがとうございました。

では、神社をご紹介します。

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なぜか、鳥居の向こうに、お堂がありました。
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拝殿は、山を少し登ったところにありました。
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古い石の階段の入り口に、狛犬がありました。
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そして、拝殿へ
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本殿
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神紋
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そして、神社から見る、古市の町。 
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先日の「霧」 の動画にも、入れさせていただきましたが、 同じ山のように見えるのですが、
城川の景色は、 なぜか、 特に心を奪われます。
人が住んでいるのに、下の世界とは違う、人の世界とは違う空気がそこにはあります。
これは、4億年前の地層でできている土地の上にいるからなのか、それとも、山の上にある町だからなのか。

山々や、川の上に流れる霧も、 透き通っていて、まるで、空の上を、ゆっくりと漂うかのごとく、半透明の霧が流れています。
昔は、どこも、こんな景色が広がっていたのでしょうね。

参拝する時には、雨もやみ、無事たどり着くことができました。
姫さまに、感謝です。(合掌)

町の中に住んでいると、 自然が生きていることを感じることができません。
だから、自然の中に、神が宿ることも、 感じることができない人になってしまうのかもしれません。

「志那都比古神 しなつひこのかみ」 という神様をご存知でしょうか。

日本神話に登場する、イザナギとイザナミの間に生まれた、風の神です。
古代の人々は、風は神の息でおきると考えていました。

風を一言で表すと 「し」 。
呼吸がとまることを 「し」 が 「いぬる(去る・帰る)」 と考えて 「しぬる」 といったのことが
人の 「死」 の語源だそうです。
愛媛では、今も方言で、 帰ることを 「いぬる」 といいます。
これは、この言葉からきているそうです。

私たち人間は、特別ではなく、自然と同じ、繋がっていると、古代の人々はきっと思っていたのだと思います。
いえ、もしかしたら、人間は、自然よりもずっと下の存在だと思っていたのかもしれません。
自然がなければ、私たちは、生きることができないのですから。。。。

城川という町は、そんなことに気づかせてくれる町のような気がします。

確かに、不便なことは沢山あると思います。 
でも、この山、この川、この町を、これから先、ずっとずっと残して欲しいと、心から願います。

そして、今回の城川の最後に行った場所は、私たちを縄文時代へとタイムスリップさせてくれたようでした。
縄文時代の姫の場所に。
そして、もう一度、原点に戻りなさい、本当に大切なものは何かを知りなさいといわれているかのごとく。。。




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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-06-21 22:30 | 愛媛県西予市城川町 | Trackback | Comments(2)

こんばんは。

今日から、再度城川町です。
前回の城川町も、本当に素敵でしたが、今回は、また、全く違う城川の風景に出会うことができました。

雨の中でしたが、 参拝の時には、不思議と雨も小雨になり、山道も歩けるほどに。
今回も、時間のゆるす限り、神社めぐりをすることができました。

今日から、数回にわけて、神秘的な城川の町をご案内させていただきます。

冒頭でも、書きましたが、今回は、あいにくの雨。
でも、松山を出発する時は、雨もあがり、陽もさしていたので、思い切って行くことにしました。

内子インターを降りて、川沿いを肱川方面へ。
そして、肱川から、さらに山へと入ります。 城川へ行く道路は、とても美しい川がずっと続い続いています。

竜王山が見え始めた時、今まで見たことがない風景が広がっていました。
「けあらし 蒸気霧」 です。
ちょうどそこは、肱川の上流で、もう少し行くと、肱川、宇和川、黒瀬川の三つの川が合わさる、まるで湖のような場所です。
そして、 左には、竜王山が。。。。。。

まるで、霧の向こうから、ほんものの龍が昇ってくるような気がします。

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山が、川の鏡にうつり、まるで浮かんでいるようでした。
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そして、城川町へつき、前回の姫の神社の近くへやってきました。
姫の神社の下に流れる黒瀬川が、すごい勢いで流れていました。 
大きな岩に、勢いよくぶつかる濁流。 さっきの穏やかな川とは、また、全く違う川の姿でした。
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城川町は、水に恵まれているところ。
だから、縄文時代の人々にとっては、とても住みやすい場所だったのかもしれません。

まず、最初に向かった神社は、
城川町土居に鎮座する、三島神社です。

前回すぐ近くを通ったのですが、 見逃してとおりすぎてしまい行かなかった三島神社。
これもやっぱり順番だったのかと思うほど、今回は、もうそろそろだなと思いながら、ふと右側をみたら、
目の前に鳥居が。。。

場所は、城川総合公園のすぐ隣でした。
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*三嶋神社
*西予市城川町土居93
*白河天皇の永保元辛酉年に越智郡大三島大山祇神社の御分霊を勧請し、大雷神、高龗神を合祀奉り、郷中の大氏神とした。

この三嶋神社は、二十一村の大氏神として、多くの人々に崇められていました。
主祭神は
大山祇神、大雷神、高龗神。 の三柱。

しかし、ここには多くの神社が合祀されていて、全部で、13柱の神々がここに鎮座されていると伝わりますが
なぜか、 記載されている神の名前は、10柱しかありませんでした。

合祀されている神社と神々
・神明神社 (天照皇大神 ・ 豊受大神)
・白王神社 (木花咲耶姫命)
・八坂神社 (スサノオ命)
・天神社  (管公霊)
・天神社  (天目一筒神)
・高山神社 (大山祇神)
・八幡神社 (紀実平公)
・海津見神社 (豊玉姫命)
・若宮神社 (天稚彦命)

大きな拝殿ではありませんが、一歩鳥居の中に入ると、たくさんの木々に囲まれ、透き通った神聖な空気が漂っていました。 
そして、拝殿へ。

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本殿
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神紋
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境内
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まずは、三嶋神社へご挨拶をして、 いよいよ、瀬織津姫の神社へと向かいました。
姫の神社は、ここからそう離れていない場所にありました。

次回は、姫の神社をご案内させていただきます。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

先日、ドラマの中で、 高校生の子供たちに言っている言葉が、とても気になりました。

はじめから見ていないので、 ストリーが今ひとつよくわからないのですが、
料理の勝負で負けてしまって、それに対して、子供たちに言っていることばでした。

昔の私なら、多分、何も気にせず聞き逃してしまうのかもしれませんが。。。。
先生が生徒に。
「負けてよかったと思う。 これで、多くのことを学ぶことができた。」
確かに、そうだと思う。 負けなければわからないこと、失敗しなければわからないことは沢山ある。

でも、 その後のことばだった。
なんと言ったのかは、正確には覚えていないのですが、 「勝つ」 ということだけを、言っているような気がしたのです。

料理は、勝ち負けなのでしょうか?

いや、料理だけではなくて、今の時代、何でも勝ち負けを、何よりも一番に考えすぎているような、そんな気がしたのです。
もちろん、 勝たなければいけないことは沢山あります。

でも、料理は、勝ち負けが先ではなく、 どれだけ、喜んでもらえるか、相手に対しての気持ちが先なのではないのかなと。
勝つことだけを、考えていると、自分が何のために、今一生懸命になっているのかを見失ってしまわないのでしょうか?
勉強も同じ。  仕事も同じ。 
もちろん、いい大学に入るためには、人よりいい点を取らなければいけないし、
仕事で認めてもらうためには、 ほかの人に、勝たなければいけないのかもしれません。
でも、なんだか、順番が逆になっていることが、気になるのです。

どうして勉強をするの? どうして仕事をするの? どうして料理をつくるの?

本当は全て、世の中をよくするため、 誰かが幸せな気持ちになるためなのではないのでしょうか?

昨日の 「仁」 で、 言っていたことばが、今回のことと、重なりました。

「国のため」 「道のため」

先の世で、今よりもっと幸せな世界になるために、今、私たちは、生きているのではないのでしょうか。
誰かが、幸せになれるために、生きているのではないでしょうか。
それなのに、 今は、 自分のことが一番になってしまっているような気がするのです。
今、贅沢な暮らしがしたいから、お金儲けがしたいから、 もっと遊びたいから、 いいものが買いたいから、
だから、働く。 

いつから、そんな世の中になってしまったのでしょうか。。。

何もかもがあまりに便利で、 あまりに贅沢になりすぎたからなのでしょうか。
今、私たちに、問われていることは、まずは、その心なのかもしれません。

本当の豊かさは、 誰かの幸せの向こう側にあるような気がします。
一生あうこともないかもしれない誰かが、あなたの行動で、あなたのことばで、あなたの努力で、
笑顔になった時、 本当の豊かさが、あなたの所にもたらされるような気がします。






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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-06-20 23:23 | 愛媛県西予市城川町 | Trackback | Comments(2)

こんばんは。

今日は、あいにくの雨でしたが、津島町まで行ってきました。
行く途中の高速の上では、どしゃぶりの雨。 
あまり雨が強いと、目的の場所へは行くことができなっかたので、少し心配をしましたが、
きっと、大丈夫。 そう思って、南予へと向かいました。

目的の場所へつくと、さっきまでの雨は、小さな霧雨はふっていたものの、なんとかいけそう。
突然の訪問、悪天候の上、夕方の時間帯にも関わらず、快く船を出してくださり、無事目的の場所へと行くことができました。

青空の海は見ることはできませんでしたが、大満足で帰ってきました。
姫さま、神々さまに感謝です (合掌)

今日は、まず、昨日の続き、聖母のお話です。
インドの聖母 「マヤ夫人」 

マヤ夫人とは、お釈迦さま生んだ 王妃の名前です。
マヤ夫人は、コーリヤ国の姫で、容姿端麗で心は素直、多くの人々に慕われていた王妃でした。

ある夜、菩薩さまが、6本の金色の牙を持つ白象となって、天より舞い降りて、王妃の右の脇腹から胎内に入りました。 
王は、占いで、天の定を頂いた王子を身ごもったことがわかりました。
この時、奇跡がおこりました。
綺麗な蓮華が咲き、心安らぐ音楽がどこからともなく流れ、乾燥の季節でも、川は乾かず、過ごしやすい日々おがつづきました。 そして、それだけでなく、都を狙った軍隊は、イナゴの大群に襲われて逃げて帰ったといわれています。

臨月のある日、出産のため、ふるさとへ向かう途中、ルンビニー園で休息をとっていました。
そして、薄黄色の花に手を伸ばしたとたんに、産気づき、そのまま、何の苦痛もなく、右の脇からお釈迦さまは誕生しました。

王子(釈迦)は誕生と同時に7歩踏みだし、右手を上にして天を指し、左手を下に大地を指し、
「天上天下唯我独尊(私は世界
で最も尊い者である)」と高らかに宣言されました。

そして、竜王は冷たい水と暖かい水の両方を降らせ、王子の体を洗ったと伝承されています。
マヤ夫人は、王子を生み 七日後にこの世をさられ、妹が王妃となりました。

キリストの聖母は、マリア。 そして、釈迦の聖母は、マヤ夫人。
どちらも、救世主を生んだ人間の女性、聖母です。

古代インドでは、女性が出家することは許されませんでした。
しかし、女性は神と繋がっていたのです。 
それだけ、女性は神聖だと思われていたのかもしれません。 

続く。。。。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今日は、新しい動画のご紹介です。

愛姫伝の動画も、今回で 九章目となりました。

今回のテーマは 「霧」

愛媛は、今の季節、霧が頻繁に発生します。 
海の上も、島も、 山も、そして川にも。。。。。 先日、城川を訪れた時、川から立ち上る霧を見て、霧の神秘に目を奪われました。
昨年、岡村島を訪れた時も、 霧の向こうに見える島が、まるで天の上に浮かぶ山に見えました。

城川のお話の前に、 動画をご覧いただけたらと思います。

この美しい風景を、いつまでも後世に残し伝えたい。
そのために、これから私たちは、どう生きればいいのかを、考えないといけない時期にきていると、心から思います。

「 原発 抜きの電気で映画を作りたい 」と、横断幕をはった、スタジオジブリ。

宮崎駿監督は
「考えなければならないのは、 プロメテウス の火をどうしたらコントロールできるか。私はこの地を一歩も退かないと決めています」と発言されました。

神の火 プロメテウスの火とは、原発のこと。
安心安全と言われ続けた原発は、今や人間の手におえる状態ではなくなりました。

本来人間がもつべき火ではなかった、神の火 原発。  
人間の欲のために、どんどんその量を増やし、 いつどこで、今回と同じような現状になるかわかりません。
そして、このままでは、日本、いや、この地球に人間が住むことができなくなる日がくるかもしれません。

ほんとうに、原発は必要でしょうか。 

一人一人が、真剣にこの問いに向き合わないといけない時がきていると、私は思います。
美しい、奇跡の星 地球の未来のために、そして、これから生まれてくる小さな命のために。。。。。

「愛姫伝 第九章 霧」 です。






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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-06-19 03:07 | 愛媛県西予市城川町 | Trackback | Comments(0)

こんばんは。

今日は、三瀧神社の鳥居のお話が出たので、 改めて鳥居についてお話したいと思います。

鳥居は、神様のいらっしゃる神域と、人間がいる俗界を区別する結界、神域への入り口と言われていますが、今、まだ、本当の意味は、わかっていないかもしれません。

鳥居の起源も、さまざまありますが、これも、どれが本当の起源なのか、今だはっきりしていません。
現在の形になったのは、8世紀ころと言われていますが、鳥居には、本当に、たくさんの種類があるそうです。

鳥居の種類は、大きくわけると

「神明系」 と 「明神系」 に分けられます。

<神明系>
シンプルで、島木がない鳥居を総称して神明系とよぶ。
形状は、二本の柱に、笠木を渡し、貫で固定する。
伊勢神宮や靖国神社、熱田神宮、鹿島神宮などが、この「神明」系の鳥居です。

<明神系>
神明に比べて、仏教建築の影響を受けていて、曲線的な鳥居。
横木は、笠木の下に島木が添えられていて、両端が反っているのもあります。
これを「反増(そりまし)」と言います。
柱も地面に垂直ではなく、やや斜めに立ち、根元に行くほど太くなっている物もあります。
これを、「ころび」と言います。
奈良の春日大社や大阪の住吉大社、京都・石清水八幡宮や安芸の宮島の厳島神社などは、明神系の鳥居です。

では、三瀧神社の鳥居を見てみましょう。

三瀧神社には、私が見た数は、全部で4つあります。
まず、石段をあがる前にあった、鳥居
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この鳥居は、愛媛では一番多く見られる形のような気がします。
「明神系」の鳥居の中の 「八幡鳥居」 と いいます。 伊予の国は、どういうわけか、八幡さまを勧請しているところが多いからでしょうか、鳥居は、この形をよく見るような気がします。

もう一方の道から神社へと入る入り口にも、同じような鳥居があります。
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比べてみると、同じ鳥居なので これも、八幡鳥居のようです。

そして、三つ目は、拝殿に入るところにある 鳥居。
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これは、もともとどんな形だったかがわからないのですが、
二本の柱に何かをひっかけるような所があるので、ここに、注連縄か何かをつけていた
注連柱・注連縄鳥居といわれるものではないかと思います。

このような、柱に注連縄をはり、鳥居にしているものも、山の中へいけば、よく見かけます。

そして、四つめの 鳥居。 
この鳥居は、愛媛ではあまり多く見かけることの少ない形かもしれません。
神仏習合の名残とも言われるこの鳥居を、 
「両部鳥居」 といいます。

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明神鳥居と同じような形なのですが、少し違います。
明神鳥居の足元に、控柱(ひかえはしら)又は、稚児柱と呼ばれる、前後に4本の柱がついています。
このような鳥居を、両部鳥居といいます。
また、四脚鳥居、稚児柱鳥居、権現鳥居、枠指鳥居などの別名があります。

名称にある両部とは、密教の金胎両部(金剛界・胎蔵界)をいいます。
金剛界とは、密教における二つの世界のうちの 一つの世界で、(大日如来)の知恵の世界のことです。
胎蔵界とは、密教における二つの世界のうちの もう一つの世界で、大日如来の理性の面を表します。
仏の、菩提心、煩悩(ぼんのう)を断ち切って悟りの境地に達っした心が、一切を包み育成することを、母胎にたとえた世界です。

三瀧神社の、階段を登りきったところにある鳥居は、神仏習合の名残の鳥居だったのですね。
また、この鳥居には、笠木の上に、雨覆屋根がついています。

この両部鳥居で代表的なものは、 厳島神社の大鳥居や、和歌山県にある、丹生都比賣神社の鳥居なのがあります。
どちらも、姫神さまですね。 
どうして、ここに、両部鳥居がつくられたのかは、わかりませんが、もしかしたら、ここにもやはり
姫様がいらっしゃるのかもしれないですね。

前回も、この写真をのせましたが、三瀧神社で、私が一番気に入っている写真は、
この両部鳥居の写真でした。 鳥居の笠木に、光がさし、きらきら光っていますね。
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今日ふと、こんな記事を見つけました。

「以心伝心」
黙っていても、心が通じ合うことを言いますが、これは、禅宗の用語で、ことばや文字を用いずに仏法の極意が師から弟子へと伝えられることという意味からきているそうです。

皆さんにも、何度かは、経験があることと思います。

ある幼い子供と、お母さんがドライブしていたときのことです。
窓の外の花に目をとめたお母さんは、バラをテーマにした童謡を思い出しました。
数秒後、娘さんが同じ童謡を口ずさみ始めたのです。
なぜその曲を歌ったのかと、娘さんに尋ねたところ、娘さんは次のように答えました。
「だってママが考えていたんだもん。」

小さい子供は、素直に、そう感じたままを答えたのでしょうね。

大人になればなるほど、人は、そんな感覚を忘れ、また、信じようとしなくなるのかもしれません。

でも、不思議と、心は相手に通じてしまっているのかもしません。
口には出さずとも、知らず知らずのうちに、心の中で考えている気持ちが、周りに伝わっている。
それは、気持ちだけではなく、暗い心は、周りに暗い空気を伝え、明るい心は、周りに明るい空気を伝える。
それは、不思議と、メールの文章や、パソコンの中からも、伝わってくるような気がするのです。
いつも、心を穏やかにして、いつも、明るい心でいるだけで、周りの空気も変わり、そんな人の所には、更によい気が集まり、幸せを運んでくる。

幸せへの第一歩は、まずは、自らの心を幸せな心にすることかもしれませんね。

今日も、ありがとうございました。





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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-06-06 22:18 | 愛媛県西予市城川町 | Trackback | Comments(1)

こんばんは。
今週はいろいろありまして、なかなか更新ができませんでした。

もう 6月ですね。
一日の時間が昔より、短くなっているという話をどこかで聞きましたが、本当に今年に入ってから
更にスピードアップしたように思います。

先週末は、雨で、どこにもいけませんでしたので、今週末はまた、どこかへ行ってこようと思っています。
梅雨の晴れ間は、有効に使いたいですね。

今日のご紹介する場所は、前回の続き、城川町の 渓谷の中に鎮座する 三滝神社です。
この渓谷は、城川町随一の景勝地といわれる、三滝渓谷と言います。

標高641.9mの三滝山は、八十八滝、九十九渕といわれるほど、多くの滝があります。
私は、今回は車で神社近くまで行ったので、こんなに沢山の滝や渕を見ることはできませんでしたが、それでも、この中で、とても珍しい 二見滝におりました。

遊歩道入り口の駐車場を過ぎると、そこは、鎮守の森。 
新緑がとても美しい木々の中を、とおり、山の上へと登っていきます。

すると、左から水の音が、そこには、二つの滝 「二見滝」 がありました。
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二見滝は、二つの異なった谷から落下する滝で、全国でも稀なことだといいます。 

中野川から落ちる右の滝壷がナベ淵
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窪川から落ちる左のトックリ淵といいます。
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決して大きな滝ではありませんが、違う源流から落ちる二つの滝が、
こうして同じ場所で出会う。 なんだか、人と人の出会いのようですね。

そして、左から落ちる滝の上に、もう一つの滝があります。
その淵のことを、ヨゼン淵、カンス淵と言います。
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この上の滝が、気になるな。。と思って後で調べてみると、伝説が残っていました。
カンス淵の方は、「豊親様」 と言われる、三滝に古くから伝わる、豊親大権現さまが、水に入り行をされた場所と言われています。
また、ヨゼン淵は、水煙かすむところにひずめのような小洞があり、
石を投げ入れるとよい嫁さんを迎えられるという伝説があるそうです。

独身の殿方は、行かれるといいかもしれませんね^^
また、ヨゼン淵は石鎚山の登山者が身を清めていく処だといわれているそうです。

神社へ参拝へ行く前に、ここで、身を清めてから、行くとよいかもしれませんね。
上の滝は、水が流れるところまでおりていくことができます。
透き通った、冷たい水が、そして、滝から降り注ぐ水しぶきが、心も体も清めてくれそうです。

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滝で身を清めたら、いよいよ神社へ。
神社は、少しわかりにくい場所にあります。 目印の看板は、三滝城。

三滝城の看板に向かって右に曲がり、大きなイチョウのある場所へ。
神社へとあがる 参道の階段の入り口に、大きなイチョウの木があります。
ここは、三滝城、旧二の丸のあと。
推定樹齢350年の、大イチョウは、
高さ約40m、根周り約8.6m、目通り約7.4m、枝張り半径約15m、地上8mにて二大幹となっています。

この木にも、伝説があり、
天正11年正月13日、
城主紀親安は城に火を放ち、この大銀杏の下で辞世の歌を詠み、自害したと伝えられます。

この場所で、一つの歴史に幕が閉じられたのですね。
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今は、そんな悲劇が起こった場所とは、思えないほど、神聖な空気と、エネルギーに満ち溢れています。
深い森の中に、一人、力強く、立つ、大イチョウ。 勇気がわいてきそうです。
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木は、やっぱり凄いな。 ここで、じっと、動くことなく生き続け、大くの生命の源となっている。
何を望むわけでもなく、ただ与える続ける。 
私たちが、この木に、この森に、この地球にできることはなんなのだろう。 そんなことを、ふと思いました。

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さあ、神社へと思ったら、鳥居の横に、社が。。

ここは、三滝城主紀親安の廟。 親安の霊を祭る社でした。
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中には、三島の神紋が、
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碑文正面中央が親安公の林庭院殿日諦正春大居士。
その左槙秀山花大姉は奥方の菊の方、
その右月峯正詠上座は長男正親を合祀したものといわれています。
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参拝前に、ご挨拶をさせていただき、いよいよ神社へと向かいました。

誰もいない、深い森の中に鎮座する、三滝神社。
鳥居の向こうに見える、石積みの階段を、上へ上へと上って行きます。
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下からは、どこまで上がっていくのか、わからないほど、高いです。
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神社へ行き始めた頃は、少しの階段でも、ふうふう行っていましたが、最近は、こんな階段でも、上に神様がいらっしゃると思うと、早く行きたい。そんな気持ちの方が、強く、階段も、いやな気持ちがなくなりました。
そして、山の中へと入れる喜びが、日に日に強くなってきます。

鳥居が見えてきました。
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鳥居をくぐると、そこは、今までの景色とは全く違う、開けた土地が広がっていました。
こんな山の中に、こんな場所があるなんて。。。。

昔は、ここも、沢山の人が行き交っていたのでしょうね。
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入り口にあった、古い折れてしまった、大きな木が何かを物語っているようでした。
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そして、つきました。 三瀧神社へ。

*三瀧神社
*西予市城川町窪野2816
三滝神社は、明治45年2月に豊親様に窪田全部の神様のお集まりを願うことになって建立された神社です。
三つの村の神社が、集まってできた神社なのです。

・三嶋神社(大山祇神、大雷神、高おかみ神)・・・・・河内、男地、板取川(中三組)「中の宮」河内と男地の境に鎮座
・豊親神社(安閑天皇・親安公)・・・・・・寺野、長崎、大芽、桂、中野川、窪川(せば谷)
・的山神社(日本武尊(俗称馬足様))・・・・下里、川後岩、串屋(下三組)下里の二本木の上手に鎮座

ですから、今でも、三滝神社の神輿は的山、三嶋の三体あり紋どころも異なっているということです。

この中の、「豊親様」 といわれる神様は、先ほどの滝のところでもお話しましたが、水の女神だったのではと思います。 古代から、この地方に伝わる、水の女神だったのかもしれません。

そして、三社を合祀した後、更に、三十一社をも合祀し、三瀧神社と改称されたといいます。
・客神社(菊桐姫命)
・黒森神社(菊桐姫命)・森神社(大己貴命)・八坂神社(素戔鳴命)
・天王神社(素戔鳴命)・穴神社(大己貴命)・敷地神社(大地主神)
・愛宕神社(火産霊命)・八幡神社(誉田別命)・天神社(菅原道真公)
・天満神社(菅原道真公)・稲倉神社(稲倉魂命)・白王神社(木花開耶姫命)
・神明神社(天照大神)・大宝神社(年代相知命)・荒神社(奥津彦命、奥津姫命)
・貴船神社(底筒男命)・金比羅神社(大物主命)・辰神社(健磐龍命)
・山神社(大山祇神)・、宗忠大神・蛭子神社(事代主命)

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ここに、瀬織津姫さまのお名前を見ることは、できませんでしたが、
私には、姫さまがいるような気がしました。

ここに導いていただいたことに、感謝をしながら、次の場所へと向かいました。

姫さま、そして、神々さま、こんな素敵な場所へ来させていただいて、本当に、心から感謝します。
ありがとうございました。 (合掌)
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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-06-02 23:41 | 愛媛県西予市城川町 | Trackback | Comments(1)

こんばんは。

台風は、温帯低気圧に変わりましたが、まだまだ、雨が降り続いています。
今治で一番大きい川の、こんな激しい濁流が流れる光景は、久しぶりです。

見ていると、津波の光景とだぶってみえました。
こんな水が、町の中を流れていたのかと思うと、その情景を思い浮かべるだけで、怖いです。

まだ、明日までは、全国的に雨のようですね。
被害が出ませんように、心からお祈りします。


今日は、城川町 二日目。 
久しぶりの、お寺のご紹介です。 

今まで、愛媛のいろいろなお寺を、ご紹介してきましたが、今日ご紹介する 龍澤寺は、今までと全く
雰囲気の違うお寺でした。

お寺というよりも、神社に近い? 建物が神社に近いというのではなくて、その空気が。。。

龍澤寺は、後醍醐天皇(1318年3月29日 - 1339年9月18日)の時代、
徳翁禅師の開山により、創建されたお寺です。

曹洞宗総持派に属し末寺56か寺を有する中本山で、県下最大の精舎です。
日本における(曹洞宗)は、道元に始まります。
道元は、いたずらに見性を追い求めず、座禅している姿そのものが仏であり、修行の中に悟りがあると教えた人物です。 

話を、お寺に戻しますが、
龍澤寺は、石畳の参道の両側には、樹齢約300年を越す杉の巨木がそびえ、桃山時代の建築様式による七堂伽藍が豪壮な、名高いお寺です。

ご本尊は、釈迦如来。

こんな山奥に、こんな立派なお寺があるなんて、正直、思ってもみなかったので、
本当に、びっくりでした。
本道まで続く、参道も、神秘的な空気が漂う、すばらしい場所です。

開山時は、別の場所にあったそうなのですが、
(伊予温故録) によると、成王瀬の下淵に住む龍が現れ、寺地をかえてほしいといわれました。
寺地を替えたあかつきには、水災を守ると。
そして、今の地へと移し、龍天寺から、今の名前、龍澤寺に改めたそうです。

ここも、「龍」の伝説が残る、場所でした。

実は、今回の城川町の旅は、瀬織津姫(龍神)から始まり、全てが、「龍」の伝説が残る場所ばかりだったのです。 それだけ、ここ城川町は、龍に縁のある街のなのかもしれません。

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ここにも屋根つき橋がありました。
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橋から見る景色
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仁王門
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杉の参道
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山門
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山門に描かれた 豪華な彫刻
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山門を上から見た光景
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成王瀬大権現 (龍神)
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中雀門
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本堂
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文殊菩薩
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お寺の中で見つけました
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ここは、前もって予約をすると、精進料理を食べさせていただけるそうです。
一度、ここで、食べてみたいです。

昨日、雨が降っていたので、神社めぐりは、やめて、松山の図書館で調べものをしていました。
そして、 ここ城川に
新たな、瀬織津姫の神社を発見しました!

次に城川に行った時には、まず、姫の神社へ行きたいと思います。

今日も、ありがとうございました。





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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-05-29 23:37 | 愛媛県西予市城川町 | Trackback | Comments(2)

こんばんは。
まだ 5月だというのに、梅雨入り、そして、台風。

今年は、やはり 「水」が、キーワードとなる年になるかもしれませんね。
「水」は、命を育むためには、なくてはならないもの。命の源。生命の源。
でも、命は、時に自然を壊し、命を奪うものでもある。

これこそが、生命の原点の陰と陽の世界なのかな。

でも、最近思うのです。この陰と陽の世界、どちらが陰でどちらが陽なのでしょう?
私たち人間からすれば、津波も、台風も、洪水も、人間から見て災害と言われるものは、
悪いこと、陰の世界かもしれません。
でも、地球にとっては、それらは、地球を浄化し、かき混ぜられることによって、海の中の命を生み、海の中の命の恵みともなる。

見る立場によって、陽にもなり陰にもなる世界。
水は、そのことをはっきりと、私たちに教えてくれているようにも、思います。

そして、水の女神、瀬織津姫さまもまた、ある人にとっては、女神であり、ある人にとっては邪。
水の持つ運命というべきか、宇宙の宿命ともいうべきか。。。。。

でも、一ついえることは、それが、女神としてでも、邪としてでも、陰と陽が、決してなくならないように、
その存在を、消し去ることだけは、決してできないのだと。
邪(蛇)「陰」としての存在だけを、この世に残し、女神「陽」としての存在を消し去ることは、できないのではないかとおもうのです。 
だから、復活した。 女神「陽」としての、姫の姿が、眠っていた姫を想う魂とともに。。。。。

そして、その命の源 「水」の陰と陽が、互いにぶつかり合い、強力なエネルギーとなり、
新しい何かが生まれる。

今、日本は、その時なのかもしれません。

陰と陽が互いに拮抗しあっている今の日本は、何かを生み出そうとしているのかもしれない。。。


今日から、やっと城川町です。
私が、今まで行った中でも、特別、何かを感じた場所 城川。 

数年前まで、選挙で愛媛県中をまわっている時、城川にくるのは、ほとんど夜でした。
その時は、ただ車でつれていかれるままでしたので、どこを走っていたのかさえ、わかりませんでしたが、
いつも、自然に涙が溢れてくるような、感動を覚えていました。

谷の真ん中の真っ暗な道を、ペンライトを振りながら走っていると、山の上の方から、真っ暗な中を、
まるで、蛍がまうように、あちこちで、ライトがゆれていました。

ぽつんぽつんと、山に点在する家々から、寒い中を、
家族全員が懐中電灯を持ち、山の上から、その存在を一生懸命知らせるように、まわしていたのです。
その谷の一番上の家まで、ほとんど全ての家の人たちが。。。

なんて暖かい人たちなんだろう。 こんな不便な場所で、きっと、不自由なこともたくさんあるはずなのに、
それなのに、それを、攻めるわけでもなく、ただただ、ライトをふってくれている。
私には、何をすることもできないけれど、 ただ、めいいっぱいの声で、その気持ちに、答えるために、
見えているということを伝え、心から感謝の気持ちを伝えた。

城川町での、私の、忘れることができない思い出です。

そして、これは城川だけではなく、南予のそのほとんど全域の人々の、暖かい心にふれ、初めて心から、
この人たちのために、この国を、どうかよくして欲しいと願いました。
そして、私にも、何かできることはないかと、それからずっと今も考えています。

城川町は、周りを山々に囲まれた、それはそれは美しいところです。
中心には、4億年前の岩石の上に、黒瀬川という川が流れる、古代と現代の融合する町でもあります。
また、文化、建築物など、たくさんの歴史が残っています。

その中には、東北地方のお祭りと繋がる 「鹿踊り」 や、 南予地方独特の、「天の岩戸開き」のかぐら、など
姫と繋がる文化が残っています。

特に、今、注目しているのが、 「岩戸かぐら」です。

これは、城川町だけでなく、他の南予地域にも、残るかぐらだそうです。

その演目の中に、確か、愛媛独特のものが。

4番目の 「大魔 山の神・内鬼」 と言われる演目です。
もし、南予の方で、このお話がどんなものか、ご存知の方がいらっしゃいましたら、
ぜひ教えてください。

四天剣の舞が行われた後、この 「大魔」 があり、
その後 神清浄 が行われるそうです。
山の神と内鬼のどんなストーリーの後に、浄化が行われるのでしょうか。。。
ここに、愛媛の山の神、 大山積神と瀬織津姫の関係が、表されているような気がするのですが。。。

ここ城川は、瀬織津姫の姫の姿と繋がる、重要な場所かもしれません。

その一つに、今日ご紹介する神社があります。

「杉王神社」 

愛媛には、今明確にわかっている 瀬織津姫の神社が十数社ほどありますが、
全て、瀬織津姫は、ほかの神様とともに、まつられています。
しかし、ここは、瀬織津姫さまだけなのです。

そして、神社の名前は、 「杉王」 これは一般的に、スサノオノミコトのことです。
どうして、姫の神社なのに、名前が、スサノオで 「杉王」 なのか。
また、神社が鎮座する地域の名前を

「男河内」 と言います。

河内といえば、ニギハヤヒが、天磐船に乗って天降りた場所です。
双海の姫の神社があった場所も、河内と言いますが、その上に 「男」 とつけているのは
どうしてなのでしょう。

神社の名前は、スサノオ、そして、その土地の名前は、ニギハヤヒ
姫の神社は、スサノオとニギハヤヒの中に、鎮座していました。

そして、この神社でも、鹿踊りのがおこなわれます。


大浜以外で、姫の名前がある神社に来るのは、本当に久しぶりです。
やっぱり、姫の所へくると、うれしい。。。。。

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小さな神社でしたが、姫さまがここにいると思うだけで、ドキドキ。
やさしい光で、包んで下さって、本当にありがとうございます。

多くの神社から、姫の名前が消された、明治時代はじめ、坂本竜馬が活躍していた時代に
このお宮はつくられました。
ほかの場所から、移されたものなのか、それは今はまだわかりません。
でも、当時の人々の強い思いで、名前を消されることもなく、つくられたことに、心から感謝です。
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姫の鎮座する神社は、こんな美しい場所にあります。
この場所を教えて下さった、男河内のみなさま、ほんとうにありがとうございました。

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夢にみたことも、もちろん、この目でみたことも、ありませんが、
私の心の中には、私の想像する姫の姿が、はっきりと見えます。
やっぱり、私は、瀬織津姫さまが、大好きです。

今日も、本当に、ありがとうございました。





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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-05-28 01:50 | 愛媛県西予市城川町 | Trackback | Comments(0)

数あるブログの中からお越しいただきましてありがとうございます。 不思議な数々の出会いから、今は、愛媛の神社めぐりをしながら、神社や女神様そして、神話の神々の伝説を調べています。
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