こんばんは。

今日は、午後から急に寒くなりました。 
季節は、冬に向かっているのだと感じた一日でした。

日が暮れるのも、どんどん早くなり、6時になると、もう外は真っ暗。
これから、冬至にかけて、ますます日が短くなってきますね。

今年の冬至は、12月22日。
冬至は、一年で一番太陽の力が弱まる日と言われています。

だから、冬至が太陽の再生、 復活の日でもあると考えられていました。

冬至の日が過ぎると、 また、新しい命が誕生する。 再生、復活の日なのです。

古代、人々は、不老不死を強く願っていました。 不老不死の山、 蓬莱山に神仙人が住むと信じ。。。。

大山祇神社のある、大三島は、 古代、不老不死の島だと思われていたと思っています。
そして、月光山と呼ばれて、 三つの御神体の山に神を祀り、 満月の夜、聖なる泉の水を飲んでいたと。。。

大三島に太古の昔、 植えられたと伝わる、 不老長寿の楠は、 約3000年前に植えられたと伝わります。
紀元前、 日本にやってきた人々は、 瀬戸内海の中心に浮かぶ 高い三角の山をもつ 「大三島」 をきっと
蓬莱山と思ったのでしょう。

大三島の祭祀は、その時、あの三角の山の巨石から始まったと言われています。

そして、聖なる泉は。。。。。。。。

さて、今日は、前回の続き、川内町の神社をご紹介します。
川内町は、今日でひとまず終わりとなります。 今回、一番気になっていた神社、 「吉井神社」
神社の名前だけ見ると、どんな神社か全くわからない神社ですが、
もちろん、この吉井神社という名前は、後の世につけられた名前です。

ここは、 11号線を、井内川という川沿いに南へ向かった山の中。

こんな、何もない山の中に、 ずっとずっと昔から鎮座する 吉井神社。

吉井神社は、久米主命が、この地を訪れて、野蛮な民族を倒し、平定した時、ひもろぎをたて、天神地祇及び祖神を奉斎されたことが始まりと言われます。

ここで、一つ、わからない言葉があります。
それは、この野蛮な民族のことを 「古那」 と言っているのです。
古那とは、いったいどんな民族のことを指しているのでしょう・・・・・・。

そして、ここは、久米氏の祖神を祀った所でもあるということ。。。
久米氏は、古代日本における軍事氏族の一つと言われ、
高御魂(タカミムスビ)命の8世の孫である味耳命(うましみみのみこと)の後裔とする氏と、神魂(カミムスビ)命の8世の孫である味日命(うましひのみこと)の後裔とする氏の2氏があったと言われます。

瓊瓊杵尊を先導したと言われるのが、 この久米氏の祖 「大来目命」と天忍穂耳命です。
瓊瓊杵尊を先導した久米氏が、祀っていた 祖神とはいったい誰のことだったのでしょう。。。。。。

この吉井神社は、現在、アマテラスとスサノオの誓約で、生まれてた、五男三女神を祀っています。
本来は、この久米氏の国だったこの地域は、その後 713年に、越智家が神殿とたて、現在ここは、
「三島紋」 の神社となっています。

吉井神社と呼ばれる前は、 総河内八社大明神と呼ばれていた、吉井神社。
ここも、また時代の変革とともに、 その姿を変えていった一つかもしれません。

*吉井神社
*東温市井内字宮の森1835
*祭神
正哉吾勝勝速日天之忍穂耳命(まさやあかつかつはやひあめのおしほみのみこと)
天之穂日命(あめのほひのみこと) 
熊野久須毘命(くまのくすびのみこと)
市杵島毘賣命(いちきしまひめのみこと) 
天津日子根命(あまつひこねのみこと)
多紀理毘賣命(たきりひめのみこと) 
活津日子根命(いくつひこねのみこと)
多紀津毘賣命(たきつひめのみこと)

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拝殿
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本殿
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天正18年(1590)11月に八柱神宮、河内一宮、日生宮、新居田神宮、風宮、熊野宮、明神宮、天神宮の八社を相殿に祀りました。 
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境内におかれていた、不思議な形の石。
これは、 何のための石だったのでしょう。。。。。
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そして、神紋は、「三島」 です。
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日本の食べ物と言えば、「 お米 」 
そして、昔話の中でも出てくる、日本に昔から伝わる 「白い 御結び(おむすび) 」

アマテラスとスサノオの誓約の時生まれた 長男 「正哉吾勝勝速日天之忍穂耳命」
天之忍穂耳命は、本当は、「瀬織津姫とニギハヤヒ」の間に誕生した 子供。

この名前は、「忍」は威力ある、「穂」稲穂が、「耳」実をいっぱいつけた稲穂、
稲穂の神、実の神。
そして、太陽の神 ニギハヤヒ と、 海の神 水の神 瀬織津姫・

太陽(ニギハヤヒ)の光を、たっぷり浴び、 天の恵み 「雨」(瀬織津姫) の水分を得て作られる 稲は 
太陽と海の子供(天之忍穂耳命)。 「稲」は、 「米」となる。

そして、海で作られる、神聖な 「塩」 (瀬織津姫)で、三角に 「5本」 の指で握られる。

5本は、5つに分けられた、 その魂を合わせることにもなる。
それが、 「おにぎり」

三角おにぎりは、 「父」 「母」 「子」 三位一体を現した、私たち日本人の原点の神の食べ物。
そう思うと、 たった一つの 「おにぎり」 がとてもありがたい、とても神聖な食べ物に思えてきますね。

「母」 の愛情を たっぷり込めた おにぎりには、目に見えない不思議な力が宿っているかもしれませんね。

今日は、 「愛姫伝 第10章 命の水」 です。





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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-10-25 23:05 | 愛媛県東温市川内町 | Trackback | Comments(6)

こんばんは。

今日は、先日の続き、川内町の神社をご紹介します。

ここは、国道11号線。 松山から、東温市を抜け、西条、新居浜方面へと向かう道路から、ほんの少し入った所に鎮座します。

外からみたら、 ごくごく普通の神社です。
でも、中に入り、拝殿の裏へと回るとそこは、 外の世界とは全く違う、異次元の世界へ来たような、空間が広がっていました。

「入らずの杜」 

昔は、神域として、人は入ることを許されなかった場所かもしれません。
でも、今は、柵もなく、ふつうに入ることができます。 でも、 まさか、神社の裏側にこんな所があるなんて誰にも気づかれないからでしょうか、ほとんど人の入った気配はありません。

氏子のみなさんにとっては、ここはごくごく普通の場所かもしれませんが、私たちにとっては、本当に、足を不入れることを戸惑うほど、神聖な空気が漂う場所でした。

この神社は、 現在は、「三嶋神社」 とされていますが、 ただの三嶋神社ではないとすぐに思いました。
かえって調べてみると、やはりその歴史は古く、
ちょうど、卑弥呼、邪馬台国が終わったころ、 応神天皇の時代です。

ここ東温市近辺の国つくりしたと言われる、久味国造が、ここに、神籬をたてたのが始まりと言われます。

久味国造は、神魂命(かみむすびのみこと、神祝命)の13世孫である伊與主命(いよぬしのみこと、伊与主命)を国造に定めたことに始まります。
国造氏族は久米直(くめのあたい)を本姓とし、度会氏と同じく神皇産霊尊を祖とする大久米命の後裔と伝えられています。

そう、ここ東温市付近は、久米氏族の国だったのです。

久米氏の祖神、大来目命は、天忍日命とともに、瓊瓊杵尊を先導して天降ったとされています。

しかし、この東温市には、以前もお話したように、
ニギハヤヒの子供です。 その子供の降誕の浄地があります。
どうしても、ニギハヤヒや瀬織津姫の色が濃いこの地に、反対勢力が国つくりを行ったとは思えないのです。

ここは、 上古の時代は、 瀬織津姫を祀っていたものと思います。
だからこそ、そこに、大山積命を勧請しているといってもいいと思います。

現在、松山市にある 「椿さん」の愛称で親しまれる、
伊豫豆比古神社は伊豫豆比古命・伊豫豆比売命・伊與主命を祭神とします。

この伊予主命が、同一とも、伊豫豆比古命も同一という説があります。

というのも、現在は、松山市に鎮座しますが、 一番初めは、久米国造の領土であったところに祀られていたと言われるからです。 二度の洪水により、御神体は別々に流され、現在は、伊豫豆比古命と伊豫豆比売命は別々の場所に、その御神体はいらっしゃると伝わります。

久米氏。 

実は、今日、この久米氏のことを調べていて、思いもかけない展開がありました。

それは、越智氏、そして風早の祖 「阿佐利」ら物部氏と、葛城氏の関係です。
そして、それは、四国の古代へと繋がります。

私が最近気になっていた、高知県の 「越知町」 だけでなく、「物部村」 「物部川」と、高知県はやはり、物部氏の国があったことがわかってきたのですが、それだけでなく、 四国は葛城氏勢力も強かったことがわかってきました。
しかも、それは、徳島県と高知県とをまたいで。。。。。。

高知県よりも徳島県に、 「剣山」 という山があります。
この山は、 さまざまな伝説の残る山で、 また山のまわりも、 卑弥呼伝説など、 まだまだ解明されていない謎が多くあります。

その剣山には、 物部氏が山の山頂に、「剣」 を埋めたという伝説も。。。。
そして、そこには、葛城氏の影もちらほら。。。。。

この葛城氏は、月と桂、 月桂樹を融合させた縄文の月信仰の民であり、また、「鶴」 とも深いかかわりがありました。

剣山は、昔からこうよばれていたのではありませんでした。
この 「剣」 とは、 「鶴亀」 という意味だったのです。

「鶴」 と 「亀」 で 「剣」 
この意味は、物部氏と葛城氏 もうしかしたら両方の氏族のことを現したことばだったのかもしれません。
もう、「あっ!」 と気づいたかたもいらっしゃると思います。
ここに、とうとう、 「鶴」 と 「亀」 の姿が現れたのです。
ずっと、ここだけが、もう一つ明確にその意味を見出すことができなかった 「鶴」 と 「亀」

あの歌は、 まったく別の意味で、この「剣山」 に関係のある、歌だと言われていますが、
私は、 あの歌は、 やはり、 「瀬織津姫の封印」 に繋がる歌だと。。。。。

四国の古代の謎、 いえ、瀬織津姫のことを考えるうえで、 物部氏と葛城氏との関係はとても重要なものになると思います。
そして、それは、本当の四国の姿をあきらかにするためにも。。。。。

*氏之宮三嶋神社
*東温市則之内甲1555
*祭神
 大山積命(おほやまつみのみこと)
 雷神(いかづちのかみ)
 高龗神(たかおかみのかみ)
*境内社
山神社、八幡若宮神社、龍神社、鎌倉神社、姫宮神社 、他5社
由緒
上古の世久米主命がひもろぎを立て、大山積命を祀り氏之宮大明神と称えてこの里の氏神として崇めた。代々の国司、領主が神領や水田を寄進、元明天皇和銅5年8月越智玉興が、大三島より雷神と高龗神とを勧請合祀した。 
文永・弘安の役に際しては河野通有・通純が戦勝を祈願して出陣し、偉勲をたてたので社殿を修補し水田3反を寄進されたという。嘉吉の頃には名越城主からも武器の奉納があったと伝えられている。
氏之宮三嶋神社はもと則之内村分の総氏神であった。明治時代になって、恵雲の八幡・和田丸の素が、惣田谷大元の各社が保免の三島神社に合祀された時、これら地域の氏子も保免三島神社へ氏子替えをした。

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狛犬
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拝殿
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境内社
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本殿
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そして本殿裏の、神域
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昨日の動画、もうご覧いただけましたでしょうか?

命の意味を思い出させてくれる 「神社」 
今、その神社が、どんどん姿を消そうとしています。  
神社が消えることと、 私たちの 「ふるさと」 の姿が消えることは、 同じ意味をもつような気がします。

もしかしたら、この時代の流れはとめることができないかもしれない。
山を下り、 海を離れ、 都会へと出ていく多くの人たち。

古代の日本の姿が消え、 瀬織津姫の名を忘れ去られたように、 
山奥で、多くの歴史を刻み残してきた神社もまた、 消えていくのかもしれません。

私が今していることは、 もしかしたら、そんな名も知れぬ、 神々が宿る神社の姿を、残すことにも繋がるのかもしれないと思いました。

私たちの命は、 この自然の一部、 この宇宙の一部です。
元は、 たった一つの 大きな大きな命です。 その命のかけらが、私たちの命。

この山も、 この川も、 この空も、 この花も、 みんなみんな、 同じ一つの命が生まれた。

だから、どこに生まれようと、 どこで育とうと、 本当は、 全てがふるさとと言えるかもしれません。。。。
この地球全てが、 私たちの、 「ふるさと」 と。。。。。

「愛姫伝 第8章 ふるさと」 です。





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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-10-24 23:03 | 愛媛県東温市川内町 | Trackback | Comments(0)

こんにちは。

今日から、久しぶりの東温市 旧川内町の神社をご紹介します。

川内町は、名前の通り、水の豊富な町。 雨乞いの祈願所となった場所が多数存在します。
隣の重野町は、伊予の国の中でも、特に古い歴史が残っている場所の一つです。

ずいぶん前にご紹介しました、浮嶋神社は、 ニギハヤが天磐船に乗って河内国の河上の地に天降った後、結婚したと言われる、御炊屋姫(登美夜須毘売)との間に生まれた 「宇摩志麻遅命」の降誕の浄地と伝わります。

崇神天皇(紀元前90年ころ)の頃に天津社に列せられたともいわれます。

川内町は、その頃からの、雨乞いの祈願所とされていたのではないかとも思います。

物部氏の祖、 また 越智家の祖とも言われる、 「宇摩志麻遅命」。

昨日、ふと思ったのですが、ニギハヤヒには、河内の国に行く前に、すでに結婚をしていた姫がいいました。
天道日女命です。 
瀬織津姫は、 この天道日女命と同一だと今は考えています。

すると、物部氏の祖神は、父方は、「ニギハヤヒ」ですが、 母方は「天道日女命」 ではありません。
ということは、 瀬織津姫ではないということになるのです。

伊予の国の 「越智氏族」 は物部氏の子孫と言われますので、 母方の姫神は、瀬織津姫ではないということになってしまいます。

もしかしたら、ここに、大山祇神社の祭神を変えた謎が隠されているのかもしれないと。
以前から、ずっと気になっていた、 「越智家」 と 「小千命」 
越智家の祖先や、祖神の伝説は、 どうも繋がらない点が多く、その意味をずっと考えてきました。

現在の大山祇神社を宮浦へと正遷座させた、「越智家」 は、 もしかしたら、最初に、大三島へ 「瀬織津姫」を祀った、 「小千命」 と言われる人物と、母方違いの 「越智」 かもしれません。

このことについては、 今頭の中で複雑に入り乱れているので、まだうまく説明できませんが、
ここに、 「越智家」の謎が、あるのかもしれません。

そして、同じ伊予の国の中に、 同じ 「ニギハヤヒ」 を祖神(父) とする、母違いの二つの氏族がいたことが、伊予の国の複雑な神社の祭りかたに繋がっているのだと。

もう少し先になりますが、 大三島のお話をする時、もう少し詳しくこのこともお話できたらと思っています。

では、 今日の神社です。

今日は、 川内町に鎮座する、 「吉井神社」 です。
川内町には、二つの 「吉井神社」 があり、 あとで紹介する方の 吉井神社とどういう関係があるのかはわかりませんが、まずは、山のふもとに鎮座する、 「吉井神社」の方へと行ってみました。

ここは、 祭神が、 熊野神。
速玉男神(はやたまをのかみ)、事解男神(ことさかをのかみ)そして、なぜか、一緒に、高龗神(たかおかみのかみ) が祀られています。

速玉男神は、熊野速玉大社の祭神とされ、伊邪那岐神として祀られています。
熊野三所権現の中の神の一柱です。
そして、事解男神も、熊野三所権現の中の一柱で、熊野本宮大社の祭神とも言われます。

この神は、黄泉の国へと行ってしまったイザナミを追いかけ、向かったイザナギが、イザナミへ別れの詞を告げた時に、生まれた神様と言われます。
そして、この神が、ニギハヤヒと同一とも言われる神の一人です。

古事記の中のお話は、とても複雑で一つの物語になってますが、 こうして一つ一つ読み解いていくと、
その全てが、 瀬織津姫とニギハヤヒを消してしまった過程と結びつくことがよくわかります。
「死」 「別れ」 「再生」 「誕生」 これらが、全て、 瀬織津姫の魂の代わりに生まれた(分霊)(分身)ともいえる、この世界全てのもに宿る神々なのです。

ここ、吉井神社もまた、 瀬織津姫の分身の神々が、熊野から勧請されています。

*吉井神社
*東温市南方吉久字宮之西2
*祭神
速玉男神(はやたまをのかみ)
事解男神(ことさかをのかみ)
高龗神(たかおかみのかみ)
*由緒
應永2年紀州熊野より勧請し、山麓の瀧の傍に社殿を建立、横瀧権現を称したという。
産土神、祈雨神として崇敬厚く、その後戎能備前守の将吉井主水介がこの地に永住して尊崇し、現在の地に建立、古社より神霊を遷し、神田を寄進した。
明治2年吉井神社と改め、同15年村社に列格、同40年神饌幣帛料共進神社に指定された。

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拝殿
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神社の名前は、「吉井神社」 そして、祭神は熊野神ですが、この神社の神紋は、
「三島」 の 御神紋でした。
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本殿
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境内社 「素鷲神社(須佐之男命)」
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境内社 「天満神社(菅原大神)」
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今日は、これから、愛媛の秋祭り最後の地、旧伊予三島の太鼓祭りに行ってきます。
松山からスタートした秋祭りも、 いよいよ、最後の 伊予三島です。

ここは、 もうご存知の通り、 大山祇神社から勧請された、 重要な三島神社が鎮座する所です。

そして、この伊予三島の秋祭りの中で一番盛大に開催される場所が、この三島神社です。
この三島神社の 太鼓台には、「姫神」 さまがのられています。

三島神社の御祭神は、もちろん大山積神(男神)。 
でも、太古台にのっていらっしゃるのは、 「姫神」 です。

太鼓台を担いでいた方が、 ずっと不思議に思っていたと教えてくださいました。

私は、この「姫神」 こそが、 瀬織津姫ではないかと思っています。

姫の御神体を載せた、 太鼓台を、これから見に行きたいと思います。

御祭りの様子は、また後日ブログでご紹介させて頂きますのでお楽しみに。。。。

では、 よい休日をお過ごしください。。。。。。




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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-10-22 11:25 | 愛媛県東温市川内町 | Trackback | Comments(0)

こんばんは。

今朝、ここ今治市直下の地震がありました。
震度2の小さな地震でしたが、 今治市の真下で、有感地震がおきるのは、とても珍しいことです。

北緯34.0度、東経133.0度。

実は、昨日から、東経133度線が気になっていて、お昼休みにも、地図とにらめっこをしていたところでした。
どうして、気になっていたかといいますと、
以前から、大三島の大山祇神社を中心として、まっすぐに線を引くと、南には、足摺岬、そして北は奥出雲になります。 奥出雲には、あのヤマタノオロチ伝説の場所があり、足摺岬は、古代の巨石群があります。
 
このラインは、何か意味があるのではないかと以前から思っていたのですが、より正確に位置を見てみようと
東経133度線上を、地図でたどっていたのです。

そうしたら、今日偶然?にも、そのぴったり133度線上で、地震がおきました。
この地震に何か意味があるとは思いませんが、先日の島根の地震(東経132.7度)の地震といい、
まるで、龍が動いているそんな錯覚をしてしまいそうです。

以前にも少しお話しましたが、この来島海峡の海は、鳴門の渦潮に次ぐ、大きな渦ができる場所です。
そして、その渦は大三島、伯方島、大島、今治と、この海域の全てで見ることができるほど、多くの渦ができるのです。
そして、その渦の入り口とも言える場所、「津島」に、祀られた 「門津神」 瀬織津姫。
そして、大三島を囲むように周りの島々に祀られた、祓いの神としての 瀬織津姫。

この海域は、瀬織津姫としての、聖地の一つだったのではないかと思い始めています。

渦=龍。 この渦で覆われた、来島海峡は、古代の人々にとって、
何かを生み出す子宮(龍)であり、また、罪、穢れを黄泉の国へと、流しさる入り口 (渦)ではなかったのかと。。。。。

そして、この海そのものが、龍体のような場所ではなかったのかと思うのです。
これは、私の勝手な妄想ですが、この入り口であり、出口であるこの海から、四国へそして、出雲へと、
道が通っていたのかもしれない。 それが、この133度ラインなのでは?
などと、考えておりました。

先日、大浜八幡神社へ参拝した後に見た、龍雲は、もしかしたら、今日の地震の前ぶれだったのかも?

まだまだ、いろいろなことが、わかり始めたばかりなので、これから、考え方が変わってくるかもしれませんが、 愛媛と龍  そして、小千家(河野家)と龍 そして龍=水の女神  
伊予と瀬織津姫は、蝦夷の国の瀬織津姫のもう一つのふるさととして、解明していきたいと思っています。


では、今日の神社です。

今日は、少し前にお話しました、中央構造線境界線上に鎮座する 
「惣河内神社」です。

ここは、昨日ご紹介した、白猪の滝のすぐ近くに鎮座します。


*東温市河之内。

*「惣河内神社」は、桓武天皇の延暦22年(803年)久米郡余部郷が野々口郷と河之内郷に分かれた時、河之内の総鎮守として創立されたと言われます。
  そして、この神社には、もう一社、とても重要な神社が合祀されています。 
 その神社が、「雨滝三島神社」 です。
 建武1335年頃の頃、河野氏が湯築城を本拠とした際、東の砦を河之内に築き、同時にこの雨滝三島神社を創建したと伝わりますが、この雨滝三島神社は、更に古くは、昨日紹介した、白猪の滝から更に上流にいった場所にある、 「雨滝」 に 祀られていた、雨滝神社でした。

 伊豫温故録には、「尼ヶ淵」という呼び名も示されている、この雨滝は、古代からの雨乞いの場所でした。
 その雨滝神社が、雨滝三島神社となり、
 大山祇神、嵩雄神、雷神が祀られました。 
 
 大山祇神、嵩雄神、雷神、この三柱の神様は、 「龍神=水の神」として、ここでも祀られていました。

 大山祇神が、龍神だという伝説は、河野氏の伝説の中に、その全貌がはっきりと記されています。
 そのお話は、また後日させていただきますが、 もともと、古代から崇められていた、水の女神(龍神)
 が、ここにも、いたことは間違いないと思います。 
 そして、その水の女神こそ、瀬織津姫だったのだと。。。。。

そして、ここには、金刀比羅神社鎮座されいます。
また、神社だけでなく、次回に詳しく紹介しますが、神社と並んで、金毘羅寺もあります。

境内にある「御降臨の榊」に大物主命が降臨したと伝えられ、
神社とお寺には、大物主命が祀られています。

*惣河内神社(そうこうちじんじゃ)
東温市河之内甲4876番地
*祭神;
正哉吾勝々速日天之忍穂耳命(まさやあかつかつはやひあめのおしほみみのみこと)
天之穂日命(あめのほひのみこと)
天津日子根命(あまつひこねのみこと)
活津日子根命(いくつひこねのみこと)
多紀理姫命(たぎりひめのみこと)
市杵島姫命(いちきじまひめのみこと)
多紀津姫命(たぎつひめのみこと)

*雨滝三島神社
*祭神:大山祇神、嵩雄神、雷神

*金刀比羅神社
*祭神:大物主命

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鎮守の森の中へと入ります。
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鳥居の横には、ご神木が。
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本殿
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金刀比羅神社 大物主命さま
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合祀された雨滝三島神社の本殿は、光に包まれていました。
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空は曇っていても、そこに、光は見えなくても、光はここにあるよと教えてくれているかのようです。
現実の世の中は、今、厚い雲に覆われているように、光をそこに見ることができなくなってしまいそうです。

国を治める人々が、光を見失い、心を闇の中に更に厚い雲で覆ってしまっています。
いつになったら、気づくのでしょう。。。。
神様は、そのことに気づいてほしいと、そのチャンスを与えてくれていることに、全く気づこうとしない。

現実の世界では、闇の中に思えることかもしれない。
しかしその闇は、光が見えるようにと、つくってくれている闇なのではないのでしょうか。

私たちに起こるさまざまな、闇と思えることも、本当は、光をみつけやすいように与えてくれた闇なのかもしれません。

そして、私たちもまた、光をみつけた時、その光の一部となることができるのかもしれません。

瀬織津姫と出会って数ヶ月したころでした。
突然、頭の中に、日本中から、沢山の光が空へむかっている光景が浮かんできました。
それ以来、その光景は、私の頭の中から消えることはありません。

日本中から、光の柱のように天へと登る あの光は、光を見つけた人の光と、日本中の神様の光なのかもしれません。 私たちも、その光の一部となれるように、心を闇で閉ざさないで欲しい。

そして、もっともっとその光が増え、日本が、光で覆われた時、新しい世の中は訪れるのかもしれません。
そんな日が、一日も早く訪れることを、心から願っています。

今日も本当に、ありがとうございました。







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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-06-08 23:29 | 愛媛県東温市川内町 | Trackback | Comments(7)

こんばんは。

今日から、東温市 旧川内町のご紹介です。
川内町は、以前天の逆鉾でご紹介しました、重信町の隣の町になります。

町の半分は、緑豊かな山の中にあります。
今回ご紹介する場所は、そんな美しい山の中の杜の奥にある、滝

「白猪の滝」 です。

四季をとおして、さまざまに変化する杜の姿。
今は、まぶしいくらいの新緑が、心を癒してくれます。

冬には、滝全体が氷の彫刻と化します。

皿ヶ嶺連峰県立自然公園内、重信川上流、
表川白猪越の渓谷にかかる高さ96m3段の滝。

滝のすぐ真下まで行くことができ、上を見上げると、真っ白い水しぶきとともに、豊富な水が勢いよく落ちてきます。 ものすごい迫力ですが、なぜか、その場所を離れたくない。 そんな気持ちになります。
大きく手を広げて、自然のパワーを体中で受け止める。

瀬織津姫は滝の女神とも言いますが、ここ白猪の滝も、姫に繋がる伝説があることを知りました。
その伝説は、この滝の名前に由来すると言われています。

この滝は、南北朝時代、南朝の敗将河野氏の霊が白猪に乗って山中より現れたという伝説が残っています。

河野氏がのっていたと言われる 「白猪」 
「白猪」は、ヤマトタケルの伝説に出てきます。

滋賀県と岐阜県の境の山、 伊吹山の山の神を退治しに行くのですが、この時、ミヤズヒメの家に草薙の剣を置いたまま向かいます。
「こんな山の神ぐらい、素手で殺してやろう。」
とおっしゃって、山に登ったときでした。
山ので牛のように大きな白いイノシシと出会いました。

ヤマトタケルは、
「この白いイノシシに化けたやつは、この山の神の使いだろう。まあ、今殺さなくても、帰る時に殺してやろう。」

そう、言って、さらに山へと登っていきました。
すると、突然、大雨が降って来て、ヤマトタケルの行く手をはばみました。
実は、このイノシシは、神の使いではなくて、神そのものの正体であったのです。
ヤマトタケルは、大氷雨を降らされ、失神してしまいます。
山へ登るのをあきらめ、山を降りますが、この時、すでに病におかされていました。
山を降りたヤマトタケルは、清水で少し正気を取り戻しますが、能煩野(三重県亀山市〉に到ったヤマトタケルはついに亡くなったのでした。

この伊吹山には、現在、瀬織津姫の名前はありませんが、
この白猪は、大蛇だったという説もあります。

私は、この白猪、大蛇は、姫神または、ニギハヤヒのことではなかったのかと思っています。

伊吹山。
実は、あの3月11日の震災の前の日、ちょうど新幹線でこのあたりを通った時、伊吹山の方角に、縦の虹を見ました。 虹=ニギハヤヒ
 
この震災の日のことは、また、後日、お話したいと思いますが、今回行った滝に現れた白猪は、河野家が祖神として、姫の名前が消されてからも崇拝し続けた神だったのかもしれません。

白猪の滝の少し上流に、雨滝という滝がありますが、ここは、雨乞いの場所でもありました。
そこには、雨滝神社があったと伝えられ、後に、三島雨滝神社と呼ばれるようになりました。
祭神は、大山祇神、嵩雄神、雷神です。
山の神としてではなく、水の神、滝の神として、祀られる(大山祇神、嵩雄神、雷神)。
ここもまた、瀬織津姫の姿を見ることができる場所です。

では、白猪の滝です。

駐車場に車をとめ、山の中を約20分ほど歩きます。
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滝から流れてくる川は、透き通ってそれはそれは綺麗です。
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途中小さな滝があります。
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そして、いよいよ滝へ。ここは、夏目漱石や正岡子規も訪れています。
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この向こうに滝はあります。
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白猪の滝です。
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勢いよく流れ落ちる水
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キラキラまるで宝石をちりばめた滝つぼ
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水と一体に。
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滝の側には、那智山と書かれた観音様がいらっしゃいました。
やっぱりここは、瀬織津姫さまの滝だったのですね。
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人と人とが出会うように、今住んでいる土地、生まれた土地、旅で訪れた場所。
人と土地も、きっと何かのご縁があるのだと、最近強く思います。

楽しい出会い、悲しい出会い、一瞬の出会い。
縁は、全てが楽しい思いでばかりではないかもしれません。 

でも、その全てが、自分にとっての大切なご縁なのです。
その時は、辛くても、もしかしたらその意味が一生わからなくとも、それでも、そのご縁は、
必要なご縁、また引き寄せられたご縁なのだと、私は思います。

そして、沢山のご縁に心から感謝したいと思います。

(合掌)






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by ldc_nikki | 2011-06-07 22:39 | 愛媛県東温市川内町 | Trackback | Comments(0)

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