カテゴリ:古代の謎( 21 )

今日は土曜日ですが、久しぶりに家にいます^^
今日は、徳島のお話へ入る前に、
あることに気付いたのでそのお話をしたいと思います。

先日ご紹介した 「清神社(すがじんじゃ)」
私が参拝したのは愛媛県伊予市の清神社ですが、
同じ名前の神社
広島県安芸高田市の清神社は、
日本書紀の中に出てくる一つの舞台だと言うお話でした。

その日本書記のお話とは

「ヤマタノオロチ」

ヤマタノオロチって出雲では?
と思われるかと思いますが、
日本書記巻第一神代上第8段に書かれた、ヤマタノオロチのの舞台は、
なぜか出雲ではなく、ここ

広島県安芸高田市だとされます。

「素戔嗚尊(すさのおのみこと)は、安藝國(あきのくに)の可愛(え)の川上に降りてきました。」

これが、日本書記巻第一神代上第8段に書かれた冒頭の部分です。

「ヤマタノオロチ」の「ヤマタノ」は
言葉の通り、八つの頭、あるいは八つに分かれた胴体を持つ
という意味なのですが、

「オロチ」ということばの意味が
今までどうしてわかりませんでした。

でも、先月徳島へ行った時、
ある地名を見て、もしかして?
と思い、今日それが私の中ではっきりと繋がりました。

徳島県神山町は、
上一宮大栗神社や、天岩戸立岩神社など
古事記に繋がる場所、また、当時(1300年前)の謎が
多く隠された土地です。

その神山町の中に、
天岩戸立岩神社が鎮座する 

「神山町鬼籠野」というところがあります。
「鬼籠野」は神山町と合併する以前は、鬼籠野村と言われていました。
「鬼(おに)の籠(かご)の野」と書いて

「おろの」と読みます。

私は神山へ入った時まっさきに目についた地名が
この「鬼籠野」。
これを見てあることを確信しましたが、
ヤマタノオロチの 「オロ」とは、

「鬼を籠で閉じ込めた」という意味と同じなのです。

日本むかし話のように、鬼は悪いもの、鬼は怖いもの。
私たちはそう教えられて育ちました。
でも私たちが教えられた、「鬼」とは、本当は悪いものでも、怖いものでもなかったのです。
ある人たちにとって邪魔な存在。
それは神でもあり、人でもありました。
邪魔な神、邪魔な人々は、みんな「鬼」とされてしまったのです。

「鬼」とは、中国では、
死霊を意味していましたが、日本では、「隠れる」という意味の「オン(隠)」という言葉から変化して「オニ」になったといわれています。
「鬼」とは、邪魔なものを隠し悪とされた存在だったのです。

「籠」とは、
文字の通り、竹の下に龍と書きます。
竹であんだ入れ物を 「籠」と言いますが、これは、籠の中に閉じ込められた
「神=龍」を意味します。
「竹」は、古来からとても神聖な神の宿る気でもありました。
「かぐや姫」のお話も、この閉じ込められて龍神(女神)が
起源となっています。

「竹の中にいた姫とは 月の姫」でしたよね。

神山町鬼籠野とは、悪い鬼を閉じ込めたことからきている名前。

悪い鬼とは、存在しては困る女神です。

谷へ追い込まれ、封印されてしまった女神の存在です。

「鬼籠=おろ」

ヤマタノオロチの 「オロ」とは、
籠の中に閉じ込められた鬼、すなわち
「存在しては困る神」のことだったのです。

そして「オロチ」の「チ」とは、

古代言語、また古神道における「チ」の意味は、

森羅万象に宿り世界を巡環して生かす霊的な力を含めた、霊・生命そのものを指していました。

また古代の人々においては、「チ」も「ヒ」も
ほぼ同義の意味と捉えられていました。

「チ」「ヒ」とは、神霊そのもの、生命の源を意味していたのです。

「八千代」の「千(ち)」にもそう意味が込められています。

「チ=ヒ」

「ヒ」と呼ばれるものは、「霊、日、陽、火」などがありますが、
本来のヒ(神霊)と共通する意味を持つのは 「日」でした。

初めて「一日」という概念が生まれたのは 「星信仰」からでした。

北辰を中心点としてその周囲を24時間かけて回る星々を一輪の円で描き、
一日というサイクルを表して「日」の原型と成りました。
母系社会において智慧や秩序の基盤となった「日」は、
母系社会から男系社会へと変えられていく過程で、

「日」の神格が 「陽」へと変えられていったのです。

本来は 星で一日を表していた 「日」 が 
陽(太陽)を象徴する文字として使われ、一日を太陽であらわされるようになり、

「ヒ(神霊)」の意味も、「陽」が象徴するようになっていったのです。

それは、一日という単位だけでなく、一か月、一年という暦も同じ。

「月」をもとにつくられていた暦が 「太陽」をもとにつくられるようになったこともこれに通じます。

少しややこしくなってきましたが、

「チ=ヒ」という言葉の中には、私たちが思っている以上の意味が
込められているのです。

「ヤマタノオロチ」とは、

「八つの姿」=天照皇大神とスサノオの誓約の際に誕生した神々が八つに分けられたことに繋がります。
*五男三女神・・・・
 多紀理毘売命 ・市寸島比売命 ・多岐都比売命  
 正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命・天之菩卑能命・天津日子根命・
 活津日子根命・熊野久須毘命
「籠の中に閉じ込められた鬼」=存在しては困る女神の神霊が宿る大蛇(竜)

これが、ヤマタノオロチの真の姿の意味。

日本書記の中で書かれた、もう一つのヤマタノオロチの存在が、
ヤマタノオロチの物語が単なる大蛇退治のお話ではないこと、
出雲という場所だけで起こったことではないことを、
私たちにまるで暗号のように教えてくれているように私は思います。

「鬼」
勝者にとっての邪魔な存在が鬼。
封印され、消されてしまった人たち、その戦いにおいて多くの命を失った人たちにとっては、封印しようとした人たち、平和を奪った人たちこそが

「鬼」だったのではないでしょうか。

戦争、争いは、どちらも鬼にもなり神にもなるということを、
私たちは、この歴史からしっかりと学ばなくてはいけないと私は思います。

それは、今の原発にも通じます。
政治家や、経済界の人たちにとっては、原発は
「善」
しかし、命を一番に考える人たちにとては、原発は
「悪」

同じ一つの問題に対して、
善と悪。どちらもお互いの立場で、善と悪が入れ替わる。

弥生時代から始まり、1300年前に終焉した
善と悪の戦いもまた、今の原発と同じです。

「命」を一番重視する人たちと
「経済・お金」を一番重視する人たちとの
争いだったのです。




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by ldc_nikki | 2012-07-14 15:07 | 古代の謎 | Trackback | Comments(8)

天の逆鉾

こんばんは。

今日は、もう一度「天の逆鉾」についてお話したことがありましたが、
もう一度、このお話に触れてみたいと思います。

天の逆鉾とは、
古事記の中に登場する、伊邪那美命と伊弉諾命が
国生みをするさいに使ったものとして表される 

「天沼矛」とは別のものとされ、

「天の逆鉾」とは、大国主命が瓊瓊杵尊に譲り渡し、
国を平定するために使われ、国家の安定を願い二度と振るわれることのないようにと
高千穂につきたてたという伝説があります。

しかし、古事記や日本書紀以降に書かれた書物の中には、
少し違う意味のものがあります。

先日もお話した 「行基菩薩撰」と伝えられる

「大和葛城宝山記(やまとかつらぎほうざんき)」という
仏教、特に修験道の立場から書かれた神道書があります。

この中では次のように書かれてあります。

「それ天の瓊玉戈(ぬたまほこ)は、または天逆矛と名づく。
 または摩返戈(まがえしのほこ)と名づけ、または金剛の宝剣と名づけ、
 または天の御量柱(みはかりのはしら)、国の御量柱と名づけ、
 または常住(じょうじゅう)の心柱(しんのみはしら)心の御柱と名づく。
 または忌柱(いみばしら)と名づくる也。
 おもうに、これ天地開闢の図形、天御中主の神宝、独鈷の変ぜる形にして、
 諸仏の神通、群霊(ぐんりょう)の心識、正覚正智の金剛に坐しますなり。」

この中では、
天の逆鉾も天沼矛(天の瓊玉戈)も同じものであり、
その他、摩返戈のほことも言い、金剛の宝剣ともいい・・・・・。

というように、多くの名前が付けられています。

この名前をご覧になって、皆さんはどう思われるでしょうか?

私は、伊邪那美命と伊弉諾命が国生みをするさいに
使ったとされる 天沼矛とは、
国をつくるため、それは新しい国をつくるために使われた矛だったと
この書物は伝えているように思言えます。

天の逆鉾・・・天と地を逆さにする、すなわち、それまで原初倭から新大和への入れ替え。

摩返矛・・・・・「摩」ものとなった、姫神他、姫神を祀っていた一族の「摩」を跳ね返す矛

金剛の宝剣・・もっとも堅い金属、もっとも強い剣を意味し、更には、それは大日如来の金剛界も
         あらわす。それは、日本の国は金剛界の大日如来(天照皇大神)の国だったから。
          (大日如来と天照皇大神についてはまた後日お話します。)

天の御量柱、国の御量柱、常住の心柱・・・
         そしてこの矛は、天をつくり、国をつくり、こころの中心となるなくてはならない
         柱(伊勢神宮の正殿の床下中央に建てられる柱)にもなる。
忌柱・・・・・・・・そして穢れをもよせつけぬ矛

天の逆鉾=天の沼矛とは、ただ単に国を生むためにもちいられた矛ではなく、
天と地をひっくり返し、その後の国を支えるために一番重要な 「柱」となる矛だったのだと
この文章は伝えているのではないでしょうか。


そしてこれが、

「天地開闢」の図形。

更に、この天の天沼矛を、
「天地開闢の際に発生した霊物であり大梵天王を化生した独鈷杵」としています。

「大梵天王」とは、

インド神話、ヒンドゥー教の神 「ブラフマー」を意味していると思われます。

「ブラフマー」とは、
ヒンドゥー教においての、三神一体の神の中の最高神で、

「世界の創造と次の破壊の後の再創造を担当」する神とされるのです。

この時代にぴったりの神ともいえる ブラフマーです。

天の沼矛から
「世界を創造し、破壊された後、再創造をする神が」
誕生し、この国を再創造したと、この書物は伝えていることになるのです。

宇宙の根源を意味する 男性神がこの矛から
誕生していたと後の書物で書かれることが、この矛が使われた
本当の意味をといていると私は思います。

そして、ちょうど古事記が編纂される少し前から、
どこからか、大三島の大山祇神社へと移動して行った

「天の逆鉾」

それは、天地を逆さにするために、

大国主からニニギに譲り渡したとされる伝承のように、
運ばれていったのかもしれません。

そして、もしかしたらその矛の意味を持つ矛とは、
今も大山祇神社の中に、御神宝とされ
祀られている矛かもしれません。

大山祇神社が現在の場所に建てられたとされた時から
約1300年間、歴代天皇の他は神社の関係者さえ一度もそれを見ることはなかったという
御神体と御神宝が、数年まえ、初めてそのベールをぬぎました。

そこには、二つの御神宝と、御神体がありました。

御神宝は、日本国唯一の大和朝時代作の 「ヒイラギ八ひろホコ」 

もう一つは、奈良朝以前の白銅鏡。

御神体は、木造神像。

これは、文部省文化財保護委員会の人たちにより調査され、
翌日愛媛新聞に発表されました。

日本でたった一つの

「ヒイラギ八ひろホコ」 

柊(ひいらぎ)とは、日本でも魔除けとされていますが、
西洋でも同じように、魔除けとして考えられていました。

キリストが十字架にかけられた時に
頭の上にかぶせられたあの草の冠が、柊です。

しかし、もっと重要な意味がこの柊には込められています。

それは、西洋ヒイラギが、
ケルト人の聖木で魔除けとされたということです。

大国主命から、瓊瓊杵尊に譲り渡された矛とは、

「ヒイラギ」の形をした、日本で唯一の矛。

ケルト人が聖なる木としていた、「ヒイラギ」を意味した矛だったの
かもしれないと。

それは、今から3000年前、
初めて大三島に神を祀った一族が

「ケルト人=根源の女神を祀る民族」 と深く繋がる 一族かもしれないと
思うから。。。。。。。。。




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by ldc_nikki | 2012-07-05 23:59 | 古代の謎 | Trackback | Comments(0)

龍に囲まれた日本の姿

こんばんは。

今日は、神社のご紹介ではなく、
少し前に買った 「龍の棲む日本」という本の中に
その本の題名でもある古代の日本の姿を描いたという
一枚の日本地図のお話です。

この地図は、
行基式日本図と呼ばれ、
行基の考えた日本の姿を、現した最古の地図のを元にして
描かれたものではないかといわれています。

行基とは、
ブログの中でも何度もその名前が出てきました、
奈良時代の僧で、
あの奈良の大仏の実質上の責任者だったと言われます。

四国八十八か所の中にも
この行基が開いたとされるお寺がいくつも存在します。
この僧は、百済系渡来人の子孫とも言われており、
百済王家の子孫とする文献もあるようです。

韓国の百済、高句麗、新羅の争いを描いたドラマがありますが、
その中でも、百済は、仏教国とわかる場面が
よく見られます。
というのが、王のそばには必ず僧がついています。
政治にも僧が介入し、
中臣鎌足が、蘇我氏を滅ぼすために日本へとやってくるとき
王は鎌足とともに僧を動向させました。

韓国のドラマなので、
この中臣鎌足の出自を、日本ではあまり気にしてはいないかもしれませんが、
この時、一緒にやってきたとされる僧が、
行基の祖ではないかと錯覚さえしてしまうほど、
その内容はぴったりと当てはまります。

行基式地図は、
もうずっと前からその存在は知られていたようなのですが、
地図としては認められていなかったのか、
あまり重視されてこなかったようです。

というのも、日本の周りにあるものが存在し、
また、日本の南と北には、実際には存在しない架空の二つの国が
書かれてありました。

この本は、そんな今まで地図として認められていなかった
この地図の謎を解こうした本です。

でも、この著者の方は、姫のことは知るよしもなく、
単に、日本と龍の関係のみを説明されています。

私は、この地図を初めてみた時、
この龍とは、姫に繋がる龍だと思いました。
この地図を見た瞬間、
どうしても、もっとちゃんとこの地図を見てみたいと思い
早速購入。

そして、この地図をまっさきに探し、
くいいるように地図を見ました。

日本の南にある架空の国とは、
「女人の国」 
そして、一度行ったらかえってこれないという意味のことも書かれてあります。
北にあるとされるもう一つの国は、
その国の名前しか書いていなかったのですが、
その国を見た瞬間、これは姫である龍が追いやられた場所。
古事記でいうなら、黄泉の国にあたるのではないかと
思いました。

しかし、私が一番目についたことは、
この二つの架空の国ではありませんでした。

本に掲載されている写真でも、
その字が小さすぎて、もしかしたら違う字かも?
と思ったのですが、やはり、どう見てもある文字にしか見えません。

まずは、その行基式日本図をご覧ください。

e0165472_2393531.jpg


これが、行基式と言われる日本の姿です。

この地図は静岡県から西しかなく、
東日本は、切り取られたのかありません。

もう、これがなんだかおわかりだと思います。

この西日本を囲む、長細い物体は、「龍」です。
日本が龍の中に存在するという姿です。

しかし、肝心な頭の部分がありません。

この頭の部分がどうなったかなのですが、
行基式日本図の他にも、同じように龍に囲まれた日本の姿があり、
そこに描かれた龍は、自分の口で尾っぽをくわえ、円形となっているのです。
また、そのもう一つに描かれた龍の尾っぽには、
ヤマタノオロチと同じよに、剣がささってあるのです。

それが、これです。
e0165472_23155218.jpg


まるでヤマタノオロチに囲まれた日本の姿です。

そういえば、宇和島市津島の、海に浮かぶ小さな岩島に
祀られた龍の尾っぽにも、同じような剣がささってありました。
南予地方全域で行われる御祭り
牛鬼の尾にも、剣がささっています。

行基式の日本図にが、本当はどんな姿だったのか、
まだわかっていないそうなのですが、おそらくこれと同じように、
龍が尾を噛み、龍の姿は輪になっていたのだろうと言われています。

そして、
先ほども書いたように、私はこの行基式の日本図の中に、
驚くものを発見しました。

それが、これです。

e0165472_23211988.jpg


この写真は、四国が描かれた所を
拡大してみました。

この当時の地図は、

上が 「南」 下が 「北」になります。

よ~く四国の各国の名前をご覧ください。
本来ならば、北(下)に 伊予の国と讃岐の国があるはずです。

それなのに、北側にある国は、
「讃岐と阿波」

讃岐の上(南)に、伊予が書かれ、
阿波の上(南)に、土佐が書かれてあります。

更に、〇で囲った島の名前をご覧ください。

讃岐の前に描かれた島は

「屋島」 

そして、阿波の国と讃岐の間に描かれた島は
なんと

「三嶋(大三島)」なのです。

いくら地図がなかった時代とはいえ、
阿波の国の、小豆島より海岸近くに三島があると考えるはずがありません。

そして本来は瀬戸内海に面しているはずの、伊予の国が、
太平洋に面しているわけはなく、瀬戸内海でも一番島の数が多いとされる
この伊予の国、くるしま海峡のあたりの島々が、一つも描かれていないことが不自然。

阿波の国の目の前に現れた、もう一つの三島。

でも、これが、本来あるはずのない島を、
徳島へともってきたという、行基の考える日本の姿なのではないかと思うのです。

大三島は、古代 「三嶋(御島)」神の島と呼ばれ、
歴代の天皇たちは、ここを訪れていたほど、
古代の人々にとっては、重要な島 「三嶋」 の位置を
阿波へともってきたこの姿こそ、

「大三島の真の祭神」が 徳島へ奪われていったことの証
なのではないかと思うのです。

行基は、もちろんそのことを知っていたはず。

だから行基の心の中で描く四国の姿が
こんな風になったのではないかと。

いつか現物を見ることができなら、ここに書かれた名前を
もう一度しっかりと確かめたいと思います。

そしてもう一つ。
現在でいう豊後水道、愛媛と九州の間の海に、

「西海道八千国」

と書かれたことも、何かを意味しているように思えてなりません。

天逆鉾は、伊勢神宮の酒殿という殿舎に納められているといいます。
そして、この天逆鉾が治められた酒殿は、
弁財天の棲みかだと言われています。

弁財天=龍女=姫

「天逆鉾」 とは 「天を逆さにする鉾」

天逆鉾の本当の意味は、

「本来の天と地を逆さにする鉾」だったのではないでしょうか。

その鉾が治められたその場所にも、弁財天がいるということは、
その逆鉾により、姫は封じ込められたと言えるのかもしれません。

大山祇神社へと「天逆鉾」が運ばれたのも
姫を封じ込めるために、徳居の宮から運ばれていったのだと
やっとその意味が繋がってきました。

1300年間、誰ひとりとして開けたことがなかった大山祇神社の
ある場所。

数年前、1300年ふりに開けられたその中から出てきたものは、
現在日本に存在する鉾の中で、一番古いものかもしれないという

「ヒイラギ鉾」と「鏡」でした。

それらは、きちんと調べられることもなく、
また、閉ざされたその中へ戻されました。

いつかそれらが、きちんと調べられる日がくることを
心から願っている一人です。

それがもしかしたら、姫を封印した、大山祇神社へ運ばれた
「天逆鉾」だったのかもしれません。。。。。。。。。。




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by ldc_nikki | 2012-06-28 23:48 | 古代の謎 | Trackback | Comments(0)

天狗 

こんばんは。

昨日 6月15日は、弘法大師(空海)の生誕の日と言われます。
本当に生まれた日ではないということなのですが、
生誕祭がおこなわれるということです。

そんな今日、
一つ、今までずっとわからなかった神様の意味が
わかりました。

と言っても、私が勝手に思っていることなのですが^^;

今日のブログのタイトルにもあるように、
それは天狗の正体です。

以前にも、天狗のことにふれたことがありましたが、
今日は、更に詳しく天狗のお話をさせていただきたいと思います。

まず、天狗について
もう一度簡単におさらいをしておきたいと思います。

天狗とは、
皆さんご存知の、あの赤い顔で、鼻の長い、山にすむとされる
ある時は、神であり、ある時は妖怪。

現在天狗と言えば、上記のような様相を思い浮かべますが、
本来の天狗とは、その姿形は少し違います。

その姿は、まるでカラスのような鳥の顔をしており、
カラス天狗がその形に似ているといいます。
しかし、その姿は時に、光り輝く鳥の姿として現れ、金色の鷲として描かれることも
あるといいます。

天狗は中国が由来と言われますが、
天狗の元となる姿は、インドにありました。

仏法を守護する八部衆の一、迦楼羅天(かるらてん)が変化したものともいわれ、
迦楼羅天(かるらてん)とは、インド神話のガルダが仏教に取り込まれ、
仏法守護の神となったと言います。

日本の天狗は
このガルダ、また、迦楼羅天を元とし日本独自に変化させた姿です。

仏教の守護となった神、またインド神話のガルダが
そのまま日本の天狗になったわけではないのですが、
このガルダや迦楼羅天が、日本の天狗の姿に変化したのには、
大きな理由があったと思われます。

その大きな理由とは、

「迦楼羅天は、龍を常食としており、
龍や蛇を踏みつけている姿で描かれていることにあります。」

迦楼羅天とは、
毒蛇=雨風を起こす悪龍を食らう霊鳥として信仰されていたのです。

瀬織津姫の姿は、ご存知の通り 「龍」
水の神、生命の源である水の女神、聖母、それは龍の姿でした。

その龍を封じ込めるために一番最適なものとして、
この迦楼羅天は、選ばれたのではないかと思います。

迦楼羅天は、口から金の火を吹き、
赤い翼を広げると336万里(1344万km)にも達するといいます。
日本を囲っていた龍よりも、更に大きな姿です。

その迦楼羅天の威力を、ある人間がもちい
天狗の姿へと変貌していったのです。

その人間とは、これまでも何度かお話してきました、

「役行者(えんのぎょうじゃ)」です。

役行者は、、姓が役公(えだちノきみ)で、名を小角(おづぬ)
飛鳥時代から奈良時代の呪術者で、修験道の開祖です。

父は高鴨神に奉仕する高加茂朝臣(たかかもノあそん)で、
加茂役君(かもノえだちノきみ)、加茂間賀介麻(まかげまろ)、
又の名を大角(おおづぬ)。

このことでもわかるように、役行者とは、

「鴨(加茂)」一族だったのです。

鴨(加茂)とは、先日もお話したように、姫を封印するために、
その勢力を発揮した一族であり、忌部氏とも繋がりの深い一族です。

そして、母は渡都岐比売(とときひめ)、又の名を白専女(しらとうめ)、
刀自女(とらめ)と云って、
第25代武烈天皇の御代滅ぼされた大臣物部真鳥の娘です。

役行者とは、鴨族と、物部氏の間に誕生した子供だったのです。

ここでも、二つの敵対する氏族の婚姻があったのです。

そして、役行者が誕生する時の秘話にこんな記述があります。

「633年(舒明天皇5年)11月1日母が24歳の時、熊野に参詣し、
月を飲み込んだ夢を見て受胎した。」

後に後付けされたと思われるこの伝説を見てわかるように、
役行者とは、母が月を飲み込み生まれた子供。
月をわが物にした人間だと言えるのです。

後に、役行者は、各地の重要な山々へ入り、開山していきます。

しかし、その開山とは、修験の山を開いたのではなく、
山の神(姫神=龍)を、封じ込め、また自分の思いのままに操れるように
していくことが目的でした。

そしてそれは、時を同じくして新たな神を誕生させ、
新しい権力の象徴をつくり、新しい世の中をつくるためにも、
どうしてもしなくてはならないことの一つでもありました。

ここで、二つの一族の目的は一致し、
力を合わせて姫の封印に取り掛かったのだと思います。

そして役行者が開山したとされる山々には、
必ずと言っていいほど、あるものが存在していました。

それが、 「天狗」です。

日本の修験の山々には、必ず存在する天狗。

その中でも神の名前がついている天狗がいます。
その天狗たちを、日本八大天狗と言います。

 ・京都・・・愛宕山の太郎坊
 ・近江比良山・・・次郎坊
 ・鞍馬・・・・僧正坊
 ・熊野大峯・・・・前鬼・後鬼
 ・神奈川・・・・・大山伯耆坊 (清光坊ともいう)
 ・香川・・・・白峰相模坊
 ・大分・・・・英彦山豊前坊
 ・長野・・・・飯縄山飯網
これが、日本八大天狗と言われる天狗です。

この他、日本全国には沢山の天狗がいるとされます。

そんな中一つ、この八大天狗の中に入っていない 「別格」の天狗がいます。

その天狗の名前は、

「決起坊」 

この天狗が、伊予の国、西日本最高峰と言われる 石鎚山にいるとされる
天狗です。

そしてこの天狗が、役行者自身だったのです。

決起坊とは、役行者の天狗名でもあり、
その存在は、特別なもの、別格とされていました。

そして石鎚山は、大天狗様、小天狗様、十二八天狗様、うまな天狗様、すうまんき天狗様、
すべての天狗さま、
また、八百万の神々、仏菩薩、摩訶薩の雲集される浄土であるとされていたのです。

役行者は、ここ今治から石鎚山の姫をわが物にするために、
出発し石鎚山にこもり、自分の分身でもある天狗を置き、
また、自分自身も天狗のなったのです。

全国の天狗を招くために詠むとされる、
江戸時代に書かれた「天狗経」と呼ばれるものがあります。
ここには、全部で48の天狗が書かれていますが
この天狗たちは、四国石鎚山修験系と言われるそうです。

全ての天狗の原点は、石鎚山にあったのです。

西日本の一番高い場所、石鎚山の天狗岳に今も残る
天狗の姿。
それは、役行者だったのです。

そして、ある事に気付いたのです。

瓊瓊杵尊を先導したと伝わる 猿田彦の正体です。

伊勢神宮は、徳島県の忌部氏が創建したと伝えられ、
徳島からその祭祀を司るために、伊勢へと渡りました。

猿田彦の総本社、
椿大神社(つばきおおかみやしろ)は、三重県鈴鹿市にあります。
椿大神社は、
猿田彦大神の末裔の行満大明神を開祖とする修験神道の中心地となったといいます。

また猿田彦は、
行満大明神は修験道の開祖であり、役行者を導いたといいます。

徳島県、大麻比古神社という神社があります、。

ここは、主祭神 を大麻比古神とし、配神を、猿田彦大神とします。

しかし、室町時代成立の『大日本国一宮記』に書かれてる祭神が猿田彦大神
とされています。

どうして、麻に関係する神社に、猿田彦が祀られているのか、
ずっと不思議でなりませんでした。
導きの神として、数多くの神社に祀られる猿田彦の存在も
ずっと謎の存在でした。

そして、以上のことから、猿田彦の存在がわかりました。

猿田彦神とは、役行者だったのです。

猿田彦神が、天狗の顔をしていること、
瓊瓊杵尊を先導したこと、
それは、加茂家である、役行者のことだった。

加茂家は、忌部氏とともに、
姫の封印にその大きな力を発揮した一族であり、
中心的存在。

また、役行者と忌部氏もまた、
共に、(瓊瓊杵尊=神武天皇)新大和をつくるために、
先頭となって活躍したものたちです。

だから、徳島県一宮とされる、
大麻比古神社へ、ともに祀られたのではないでしょうか。

同じものでも、同じ人でも、見方が変われば
その姿は全く別のものとなる。

その言葉の通り、天狗もまた、ある時は修験者を助け、見方のなり、
ある時は、その姿は鬼となり、人をだまし、人を傷つける。

修験道の人々にとっては、天狗は神のような存在でした。
しかし、密教においては、その天狗の姿は「悪」と伝えれていました。

密教=空海。
空海が、創ったとされる満濃池には、龍が天狗に襲われるという伝説が残るように、
天狗は常に龍を狙っていたのです。

天狗の伝説が神のように描かれたり、鬼神と重ねられたり、
天狗の姿は一見複雑な姿のように思えますが、
それは、天狗を見る人のそれぞれの立場によっての姿だっただけなのです。

現代でも同じ、
原発は経済のため、利益のために、必要(善)だという人もいれば、
原発は、人も地球も全てを壊してしまう恐ろしいもの(悪)だという人もいる。

それぞれの立場で、それぞれの善悪。
これが、この時代を読み解くために、見極めなければいけない
大きな謎なのだろうと私は思います。

昨日、「龍の棲む日本」 という本が届きました。
この本に描かれた日本の姿は、役行者とほぼ同時期にいたとされる僧
「行基作」とされる日本の姿です。
この地図とも言える、日本の姿もまた、行基の目に映っている日本という国の姿でした。

この本のお話は、後日ふれてみたいと思いますが、
各地に残る伝説も、神々の伝説も、そして古事記も。
全てが、書いた人間の感情、また目に映る光景がそのまま文となり、
絵となり、伝説となっているのだと思います。

最後に、一つ書き忘れていたことがありました。
それは、あの徳島県神山町に鎮座される、上一宮大粟神社の伝説です。

e0165472_4332967.jpg


神社の拝殿の中に、天狗のお面が飾られてありました。
宮司さんに、ここに天狗が置かれてあるのはどうしてですかと
お聞きしたところ。

ここには、天狗がよく現れるという言い伝えがあります。
先々代の宮司さんが、そのお話をしていたそうです。

ここにと言われてたので、この山にですか。
とお聞きしたら、

「いえ、この神社にです」 と。

どうして神社に天狗が? 

その理由は。。。。。。

上一宮大粟神社には、役行者が祀られていたのです。

そして、その他にもいくつかの重要な神々が、
大宜都比売の周りに祀られているといいます。
その訳は、 「結び」

これらの神々が揃って、
大宜都比売は大宜都比売となれるのだと。。。。。

もう、お気づきでしょうか。。。。
この意味に。。。。。。。




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by ldc_nikki | 2012-06-17 04:09 | 古代の謎 | Trackback | Comments(4)

こんばんは。

ゴールデンウイーク後半がスタート。
関東から北の方面では、季節外れの大雨で各地で浸水被害が出ているとのこと、
関東、東北の方々は大丈夫でしょうか?

一昨日は、ブログでもご案内していた 「古事記ものがたり」の著者、
宮崎みどりさんと、小林晴明さんの古事記の講演がありました。
予定より少し早く会場へつき、急遽受付をすることに。
私は夜の部にしかいけなかったのですが、昼の部と夜の部の両方に参加されていたかたがいるなど、
本当に沢山の方がこられ大盛況でした。

夜の部は、歴史に詳しい方ばかりがこられていたということもあり、
内容がいつもにもまして深いお話になり、とても貴重なお話を聞くことができました。
おかげで、また更に姫との繋がりを発見することができ、本当に感謝と感激の中講演が終了しました。

講演の後、お時間のある方々での親睦会があり、
そこでは、更にヒントとなるお話や、私の全く知らなかった愛媛の不思議な場所など、
多くのお話が聞くことができ、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

今日は岡山のお話は中断して、
どうしても書いておきたいことがあるので、急遽、書きとめておきたいと思います。

親睦会の時に出会った、ペトログラフを研究されている方のお話によると、
「滝」 は、そのほとんどが、北斗七星が滝の真上で柄杓を反対向けた形になり、
滝の下で 今度は柄杓が上を向きその水を受ける形になるといいます。

イメージを画像に表すとこんな感じです。

e0165472_2205354.jpg


講演の中であの三重県の瀬織津姫の滝でもある

「那智の滝」 が こんな風に北斗七星の中より落ちた水が流れ、
滝の下でその落ちた水を受けるという形になるというお話を聞き、衝撃を受けたのですが、
更にその後、滝はそのほとんどがそういう形になっているというお話を聞き、
言葉にならないほどの衝撃を受けました。

そして、あることが全て繋がったのです

もう何度もここでお話しているように、
姫は 「北斗七星」にたとえられていました。
妙見信仰のその意味を説いた
空海の言い伝えの中にも、そのことがはっきりとわかる文章があります。

妙見信仰では、
北を指す星、北斗七星は、瀬織津姫のことをあらわしていました。

しかし、北をさすもう一つの星には 「北極星」 があります。

この北極星は、宇宙の中心とされ、
北極星は天皇にたとえられるようにもなりました。

これが 「8の暗号」の本の中も書かれてあった
「北極星人=天皇」 のことです。

北極星を天皇とする考え方は陰陽の原点です。
この陰陽の考えが元となり、後の日本独自の思想、
阿倍晴明の陰陽師が誕生します。

陰陽の考えは、
天は5つの部分にわかれていて、その中心が北極星 すなわち
天の中心=太一。 それが、天帝(てんてい)であり、それが天皇となっていきした。

そして、そのまわりをまわる車が、
帝車(ていしゃ)として強力な補佐官の役割をしていると考えられていました。
帝車が、北斗七星です。

伊勢神宮には、このことがわかる 北極星と北斗七星が描かれ、
また現在も、
伊勢神宮の内宮は 「北極星」 であり、 
外宮は「北斗七星」 とされていているのです。

ここまではわかっていたのですが、
今回の滝と北斗七星との関係を知って、新たなにはっきりと私の中で繋がったことがあります。

それは、瀬織津姫が、単なる滝の女神、
大祓の祝詞の中の大祓大神にされたのは、
この滝と北斗七星との関係、また陰陽に繋がる元となる思想 「道教」からです。

古事記をつくるのにあたり、また新しい大和をつくるために、大きな力を貸したと言われる
後に陰陽師となる 「葛城氏」 は、 北斗七星と滝の関係、また道教の考えかたから
瀬織津姫を単なる滝の女神にその神格を変え、大祓詞をつくったのです。

瀬織津姫は、本当は単なる滝の女神ではありませんでした。
単なる水の女神でもありませんでした。
それを、単なる滝の女神としたのは、この陰陽の考え方。
それは、滝から流れ落ちる水が、北斗七星から落ちる水。

また、本来は宇宙の中心として考えられていた 「道教」 の考えから
新たな宇宙の中心 「北極星=天皇」 の誕生を意味していたのです。

しかし、本来の女神の力は完全に消えたわけではありません。
だから、天皇を北極星にした後も、北斗七星として外宮(豊受大神=瀬織津姫)として
祀りつづけ、今もなお内宮よりも重要な神として外宮があるのです。

陰陽の考え方は、更にさかのぼれば、道教が元になっています。
道教も、歴史の封印に大きく関わった一つといわれますが。
この道教の中でも、北斗信仰というものがありました。

しかし、道教では、北極星ではなく、北斗七星が神格化されていたのです。
そして、北斗七星の横に、織女(織姫=ペガ) が描かれていました。

それは、古代中国またそれより以前の中の太古の文明の中にもある考え方にもある思想で、
糸を紡ぐ女性が運命を決める女神だとされていたことにあります。

七夕の起源とも言われる、この運命の糸を紡ぐ
織姫が瀬織津姫とよばれることとなりました。

では、どうして道教の考え(北斗七星の神格化)が、陰陽の考え (北極星の神格化)に
変わっていったのでしょうか?

古代中国には、東夷(とうい)とよばれる古代中国東方の異民族がいました。
この異民族がどこから来たのかは、まだぼんやりとしかわかっていませんが、
後に、この異民族の呼び名が、日本でも 「蝦夷」 とよばれる姫を祀っていた民族の呼び名へと
繋がっていきます。

この東夷と呼ばれる民族は、
母系社会(母方の血筋によって家族や血縁集団を組織する民族また、
女神信仰で、女性が命をつくったと考え、男神よりも女神の方を上とみていた民族)
でした。

上の説明にもあるように、これが本来、
文明最古の民族に繋がる一族の生き残りだと思われる、
「女神信仰」「聖母信仰」 の民族です。

メソポタミア文明の起源ともなっているこの民族は、
全ての源は 「女性」であり、 女性により全てはつくられ、生まれ、また運命を握り、
死を迎えるその瞬間まで、女神がその力を持っていたと考えていました。

それが、縄文時代に日本でも多く発見される 土偶にも表れています。

しかし、この民族は、後に現れてきた 「男系社会」をつくろうとした民族に
次々と滅ぼされていきます。
その度に、女系民族はその地を追われ、世界中へと逃げて散らばっていったのです。

この散らばった民族の一部が、
東夷と呼ばれる中国古代(起源前2000年前ころからいたとされる)の人々でした。
この東夷族の中に中国五帝の1人に数えられている王がいたといわれます。

この母系社会の伝承により、
天空のある一点を中心として星々が巡っているように見えることを知っており、
そこを北辰と呼び宇宙の中心と考えていました。

その象形は、
北辰を中心点としてその周囲を24時間かけて回る星々を一輪の円で描き、
一日というサイクルを表して「日」の原型と成りました。

これが、星信仰の原点であると思います。
これが、今の 「日(ひ)にち」 一日の考え方の原点でもあります。

母系社会において智慧や秩序の基盤となった「日」は、
道教において神格化されることになります。

その神格化された星が 道教では 「北斗七星」 だったのです。

しかし、母系社会から男系社会へと世の中は変わり始めます。
男系社会が一番の神としたのは、女神ではなく 男神。

「火(日)の神」 = 「太陽の神」 だったのです。

だから、男系社会へと世の中が変わり始めたと同時に、
本来は 星で一日を表していた 「日」 が 陽(太陽)を象徴する文字として
使われるようになり、それは後に 「北辰(北極星)」 と 「太陽」 が対極をなす関係として
考えるようになりました。

少し説明が長くなりましたが、もうおわかりいただけたでしょうか?

この男系社会の象徴は
北極星であり、その対極の太陽なのです。

それが、現在の日本の原点、古事記により変えられた日本の姿
男系社会の原点 「北極星=天皇」 「太陽の神=アマテラス」の誕生へと繋がっていったのです。

そして、女系社会において、
一番の神とされていた、全ての源である女神、再生、復活を意味する
命を司る女神は、 その座を奪われてしまったのです。

そして、もう一つの女神の姿 「月」 
月もまた、命の根源。 生命の誕生と死を表す姿。

それまで、月の運行(月の暦)で生活していた人々は、
太陽の運行で生活をする (太陽歴)へと変わっていったのです。

それは、女神信仰から男神信仰への移行だったのです。

これは日本だけでなく、世界中で、太古の昔から争われていたことで、

「天智天皇」が万葉集の中で詠んだ歌(天の香具山) にもあるように、
この女神を元に、太古の昔から、多くの争いが起こってきました。
その争いが、700年前後この日本で終焉を迎えることとなったのです。

北斗七星がどうして瀬織津姫なのか。
滝の女神がどうして瀬織津姫とされたのか。
どうして、姫は封印されなければいけなかったのか。

また、空海はこの全てを妙見信仰を説くことで、
全てを知ったのです。

太陽を神として男系社会をつくった、あのギリシャも今大きな危機にあっています。
そしてかつてその絶大な力で、一大帝国を築いた
「ローマ帝国」もまた、同じような歴史を辿り、太陽を神として男系社会をつくった国。

男系社会への移行は、権力を象徴し、利益と争い、競争の世界です。

今、その世界が、次々と滅びようとしていることに
そろそろお気づきの方も多いのではないでしょうか。

でも、私は今の世の中の全てがいけないとも思いません。

女系社会から始まった人々の文化は、男系社会へと移行し、
そして、やっとその両方が、一つに合わさる時ではないかと思うのです。

どちらか一方が、大きな力を持つのではなく、
どちらも、バランスよく必要とする世界。
それが、これから目指す世界なのではないでしょうか。

実はそれが一番難しいことかもしれませんが、
地球という、命を誕生させることのできる星に生まれた私たち人間に
与えられた課題の一つのような気がします。
人間の欲望は、一つの試練。
地球という奇跡の星に神さまから命を授かった私たちは本来は
地球を守るためにどう生きなくてはいけないかをずっと問われてきたようにも
思います。

人類が地球上に降り立ったその日から、
ずっとずっと、そこに向かって歩み続けてきたのではないでしょうか。

私はそのキーワードが、なぜかこの日本にある気がします。
こんな小さな島国ですが、 きっとこの日本だからこそ、そのことに
気付くことができるのではなかとも。

太陽を神としながらも、その神を女神としたことも、それを暗示しているようにさえ思います。

太陽と月の存在により生まれた 奇跡の星 「地球」

みどりさんが講演の中で、言ったことばが、今も私の頭の中をよぎります。

「宇宙で、人間の命は誕生することはできないのです。
男と女が交わり、命が誕生することができるのは地球上でなければならないのです。」

この言葉を聞いて、
人間の魂は、命を誕生させるためにこの地球にやってきているのだと
私の中で誰かが叫んだような気がしました。
地球とは命を誕生させることのできる、
たった一つの場所。

もしかしたら、私たちの知らない宇宙のかなたに同じような星があるのかもしれません。
でもそれは遠い遠い遥か彼方。

人間だけでなく、木も花も、昆虫も魚も、動物も、
多くの生き物が存在することができる、命の宝庫が地球なのです。

全てのものが循環しながら、次の命へと繋がり永遠にその命を繋いでいけるうように、
私たちが、今進むべき道を考える時がきているのだと
思えてなりません。

女神を復活させること、女神の封印された歴史を知ることは、
地球の命を存続させるために、必要なことだと改め思います。

どうか一人でも多くの人が、そのことに気付いてくれますように。
こころから願いながら、こらからも、愛姫伝を続けていきたいと思います。





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by ldc_nikki | 2012-05-04 04:07 | 古代の謎 | Trackback | Comments(2)

こんばんは。

いよいよ写真展が、明日からとなりました。
準備もほぼできて、後は少し付属のものをつくるだけになりました。

私自身も、初めてのことで、なんだかどきどきしています。
皆さまに喜んでいただけますように、明日は準備も心を込めてさせていただきたいと思います。

明日は写真展の準備が終わったら、平日に休みになることはめったにないので、久しぶりに南予へと足をのばしたいと思っています。

最近、急に気になり始めた場所がありまして。
明日は、そこへ行ってみたいと思います。

南予は、姫の場所があったと思われるところは多いのですが、東中予以上になぞが多い。

今まで直接的には、あまり関係ないかと思っていたのですが、それはちょっと違う気がしてきました。

もしかしたら明日行けば、ほんの少し何かが見えてくるかもしれないとそんな予感が。。

神社のお話は、また明日行こう再開しますので、どうぞお楽しみに。

昨日、フォトブックをつくりに、カメラ屋さんに行った時に偶然見つけたお祭りの写真。

フォトブックの見本の中に、伊予三島または川之江だと思われるだんじりの写真がおいてありました。

伊予三島や川之江は、ほぼ同じような種類のだんじりがでていて、伊予三島だけでも、いくつかの地区で別々でお祭りが行われています。

私が昨年行った三島まつりは、三島地区のだんじりでした。

でも、その中にはなかったので、たぶん違う地区のだんじりだと思います。

その写真に写っていただんじりには、

「弁財天」 の文字が!

黒と赤のだんじりに、弁財天と書かれた提灯が掲げられていました。

「姫のだんじり」です。

側面には、姫の絵もかかれてあります。

これが、どこのお宮のものなのかはわかりませんが、姫を祀るだんじりがあることがわかったのです。

もし、この写真を見て見覚えのある方がいらっしゃいましたら、ぜひ、教えてください。

今年は、ぜひ、このだんじりを見に行ってみたいと思います。

姫のだんじりに出会えたことに、感謝です。

e0165472_2230145.jpg


それでは、最後の準備にとりかかりたいと思います。

展示会の風景は、ブログでご紹介させていただきたいと思います。

それから、明日、初日は朝準備をしますので、もし明日こられる方がいらっしゃいましたら、11時以降くらいからきていただけるとうれしいです。

ご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。





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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2012-01-18 22:33 | 古代の謎 | Trackback | Comments(3)

こんにちは。

今日から三連休ですね。
昨日?いや今日の朝までこれを書いていたのですが、朝方突然パソコンが使えなくなり、あきらめて一度寝ることにいして、今、再開。

今日は、三島明神のもう一つの伝説のお話です。

三島明神とは、河野氏が、祀っていた神、現在は「大山積神」 が、三島明神といわれていますが、三島明神とは、瀬織津姫のことだったと私は思っています。

この物語は、ずっと前から知っていた伝説だったのですが、その意味が、まったくわかりませんでした。

それが、昨年末、なぞがだんだん解けてきて、12月に、偶然何かを調べている時に、開いたページに、思いもかけない地名が目にとびこんできました。

そして、さらに今、もう一つそれに繋がるものに出会いました。

去年から、時々お邪魔をしている、ぐーたらさんという方のブログに、お年玉として、村誌の一部を掲載してくださっていたのです。

「え!このタイミングで!」

自分でも、びっくりしています。

ぐーたら気延日記(重箱の隅)

今から書く伝説は、地域の昔話のような物語で、この存在は知る人は沢山いると思いますが、あまりにも現実に祀られている神とは、内容がかけ離れているため、その存在の意味は、たぶんまだだれも解いていないと思います。

私が解いた内容が、あっているかどうかはわかりませんが、瀬織津姫を探している私の視点から見ると、この物語の真実が、ぴったりと、姫に重なってきます。

かなり長い文章なので、省略して、書かせていただきます。

「神道集 三島大明神」

昔、伊予の国に一人の長者がいました。
*①平城天皇の末裔で、姓は橘朝臣清政という。 四方に四万の倉を立てて何不自由なく暮らしていました。
朝は五百人の待女、夕方は三千人の女官がそば近く世話をしました。

ある時、清政長者が南に面した庭園の方を見ると、雀が巣をつくって子供を育ていました。
その様子を見て、子供がいなかった清政は、男でも女でもいいから、子供が欲しいと思いました。
すぐ、奥方さまを呼んで、どうか子供を生んで欲しいと、頼みました。

しかし、奥方さまは、
「それは、むりなことでございます。」 といいます。

*②「子は、前世からあきらめたこと。」 

でも、前世で行ったことが、本当に原因で子供ができないのかどうか、確かめてみたいと思いました。

*③大和の長谷寺の十一面観音は、子の無い人がお願いすれば、子を恵んでくださり、福徳をお願いすれば、福徳をおあたえくださる。 そう聞いていた、奥方さまは、長谷寺へ、お参りにすることにしました。

長者は、財宝を集めて出発しました。
そして、長谷寺へその財宝を全部寄進し、七日七夜参籠して、熱心にお祈りを続けました。
しかし、何のお示しもありません。
14日たっても、お示しがありません。

信心の限りをつくしてお願いすると、満願の21日の真夜中、ついに観音様が現れました。

しかし、観音様は、こ無しとしてこの世に生まれてきたからには、どうにもならぬ。どこを探しても、そなたの子になるべき子種は見つからないと。

「そういわれるが、いったいこの清政が、前世でどんな罪を犯したというのでしょう。」

*④お前たち夫婦は、昔、牛だった。
このお堂が造られた時、淀から材木をひいてきた牛を、庭につないでおいたときの出来事である。

*⑤私の前に有名な一本の菊があった。この菊は、唐の太宗皇帝の子で玄弉三蔵という僧が中インドの摩訶陀国の王舎から、花の種をもらって長安城の宮中に植えた。それを仁徳天皇の時、鶏草葺不合尊がもらい受けて日本の宮中に植えた。この菊の花は、根元は一本だが、枝は繁昌して五本に分かれている。
東の枝は青くて青色の花が咲き、南の枝は赤くて赤色の花が咲き、西の枝は白くて白い花が咲き、北の枝は黒くて黒い花が咲き、中の枝は黄色くて黄色い花が咲く。こんなに素晴らしい菊の花を宮中におくのはもったいなさすぎるといって、この長安寺の宝前に移植した。世の中にこれ以上の宝はあるまい、天下第一の宝であると思っていた矢先、その雌牛があっけなくこれを食ってしまい、またお前は茎を食ったばかりか、角で根まで掘りおこし、すっかり枯らしてしまった。その後、あの花の種を捜したが、どこにもない。

この過失を反省し、その罪により、このない身に生まれたのである。
*⑥ただ、お前たちは、このお堂の材木の運搬をしたし、またお堂建立の供養に千部経供養をした時、僧の饌米と布施物を運んだ。
その功徳によって、お前たちは大金持ちに生まれてきた。そんなわけで、お前たちに与えるべき子種は無いのだ。さあ早く国もとへ帰りなさい。」

夢がさめた清政は、なくなく言った。

「そこまで徹底的に子無しの身にうまれついた清政なら、もはや故郷へ帰る必要もない。
子を授けていただけないのなら、この清政、自分で腹をかき切って仏の首すじにかみついて、狂い死してしまいたい。
*⑥今後は、このお堂を大魔王の住みかとして、堂内に参籠する人は一人残らずつかまえて殺し、この辺をを鹿の寝床のように荒れ果てさせてしまおうと思うが、いかがですか。
どうかまげてお授けください。」
そう言ったあと、しばらく横になると夢枕に、観音様は前と同じ姿で現れて告げた。

「ただ一つ、*⑦この大和の国采茶郡に一人の女がいる。この女に、一人子種を与えようと思ったが、今、お前が無理にわたしを責めるので、その女にやる子種を取り返してお前に授けよう。その代わり、倉の宝をこの女に与えようと思うが、どうじゃ。お前は宝が惜しいか、子がほしいか」

清政は、「倉も、五万の一族もみな観音様に差し上げますから、どうぞその子をお授け下さい。」といった。

「そういうことなら、後々けっしてわたしを恨むことがあってはならぬぞ」 

そういって観音様は*⑧水精の玉を取り出し、清政に下さる。奥方さまはそれを口にいれたかと思ったら目が覚めた。

奥方さまは間もなく妊娠し、子供が生まれた。
隣近所まで輝くような美しい若君であったから、この子に 玉王と名をつけた。

しかし、観音様との約束どおり、倉も五万人の家来もすべてなくなってしまった。

ある時、長者が山へ木の実を拾いにいき、奥方さまが、誦坂の浦へわかめをとりに出かけた。

子供を浜の砂をすこし掘りくぼめ、錦の産衣をかぶせて寝かせ、自分は磯へ下りてわかめを拾っていた時、
*⑨空から鷲が飛んできて、子供をつかんで空へ上がってしまった。

奥方さまは、その後を追いかけたが、
*⑩鷲は伊予・讃岐・阿波・土佐四つの国の堺にある白人城を飛び越えて、与那の大獄に入ってしまった。

清政と奥方さまは、二人連れ立って探しに出かけたが、見つけることはできませんでした。

それもそのはず、*⑪鷲は、白人城・与那の大獄を飛び越えて、阿波の国坂西郡に住む頼藤右衛門尉という人の庭先の枇杷の木の三つ股になったところへ子供をはさんで、わが巣へ帰ってしまった。

そして、玉王は、頼藤右衛門尉に育てられた。

五歳になった時、あまりに美しい若君がいることを聞きつけた 目代(国司代理)は、頼藤のもとへと、奪いにきた。
頼藤は、さしあげたくはなかったものの、相手は国司の代理、その気持ちにそむいたら、後々どういうことになるかわからぬと思い、差し上げた。

頼藤の奥方さまは、玉王が最初に着ていた産着に名前が書いてあることに気づき、大切に、しまいこんだ。

目代も、異常なまでのかわいがり方で、乳母、子守をつけて大切に養育していた。

若君が7歳になった年のこと、今度は国司がこの噂をきいて、目代をよびよせ、
「珍しい少年をもっている聞いたが、わしにくれぬか。もしくれるなら、代わりに国司職を譲ってもいい」
といわれ、目代もことわりきれず、国司に差し上げた。

国司は大喜びで、かわいがった。

若君が10歳になった時、帝のお目にかけた。
今度は帝がほしいという。

「南海道六カ国の総追捕使(荘園内の軍事警備総監)の職を与えようから、この少年を差し出すように」

国司は、帝に差し出した。

玉王丸が十五歳になった年の春、内の蔵人に任ぜられた。
その後十七歳の春、西海道の九カ国 (筑前・筑後・豊前・豊後・肥前・肥後・大隅・薩摩・日向) と二つの島(壱岐・対馬)を頂き、筑紫の国へ下向することになりました。

蔵人が、庭先に下りて、花を観賞していると、四国から都へ上ってきた十数人の百姓たちがその姿を見て話を始めた。
蔵人はその話声が聞こえてきて、気になりそっと聞いた。

そして、自分がどこからきたのかわからないが、鷲が連れてきた子供だったことを知りました。

蔵人は、泣き崩れ、帝と遠く離れることはいやなので、四国へ行きたいとお願いをし、筑紫は代理官にまかせ、四国へ行くこととなりました。

四国へ下った蔵人は、自分を生んでくれた本当の母と父を探します。
すべての役人に、国中のものを一人残らずこさせるように命令します。

そして、すべてのものに、鷲に子を取られた人はいないかと聞きます。
しかし、一人も名乗りでるものはいませんでした。

蔵人は、ここにはいないのかもしれぬと、こんどは、伊予の国三島郡尾田の里の昔清政長者が住んだ館を修理させて、ここに到着した。

しかし、ここでも、名乗りでるものはいません。

役人たちを一人一人呼び寄せ、不審なことがないか聞いてみると、一夫婦だけが、蔵人のところへきていないことがわかります。
その老夫婦は、 
*⑫伊予・讃岐・阿波・土佐の国堺にある白人城、与那の嶺の南に、真藤の岩屋というところに住んでいました」

蔵人は、もしや、この夫婦が鷲に子をとられた夫婦かもしれぬと思い、家来たちに、なんとしてもつれてくるようにと命令します。

役人たちが夫婦をさがしまわっていると、老夫婦は、大きな杉の洞穴で発見された。

老夫婦は、縄で繋がれ、山を下り、昔自分たちが住んでいた伊予の国尾田へと連れてこられました。

疲れはてた奥方さまは、柱に縛りつけられたまま寝てしまいました。
するとその夢の中に、玉王が現れました。

「夢の中で、わたしたちが山の麓にいると、玉王は山の中にいました。
透額の冠に東帯という装束で、右手には太陽をにぎり、左手には月を持ち、後方には朱の糸で髪を結った天童が一人付き添って立ち、三本の小松を頭にかざしながら、峰から谷の方へ下りてきて、私が昔の玉王です。お父さん、お母さん。」 

やがて夜が明け、昔自分たちが住んでいた屋敷へと連れてこられました。

そして、十七年間ずっと捜しもとめていた 玉王と再会することができました。

それから、伊予の国の三島郡を領地とし、玉王と老夫婦はともに暮らしました。
その後、玉王は伊予の中将となりました。

玉王が37歳のとき、老夫婦は亡くなりました。

玉王は、三回忌の供養がすみ、ようやく宮中へ参内した。
帝は感激され、座を立って、玉王の手をとり、御簾の中へ引き入れてその場で帝の婿に決められた。

そして、父母の墓の上に、社を造り、
「つらかった昔をお忘れなく、日本国中の衆生を守護する神となって下さい」 といって、昔住んだ土地の名を捨ててはならぬというので、神号を 「三島大明神」 と号した。

その後、中将(玉王)夫婦は連れ立って伊勢神宮に参詣、神道の法を受けて四国へ下向された。

御年81の時に神明として現れた。

*⑬「自分の生まれた国に住もうと思う」 といって、伊予の国一宮と現れた。

これと並ぶ*⑭讃岐の国一宮は、中将の乳母 「高倉の蔵人の妻女が戒律を守り修行をつんで現れた神である。

また*⑮阿波の国の一宮は、玉王の養父頼藤右衛門尉である。

三島明神が託宣された。

「わが氏子は枇杷の木を疎略にあつかってはならぬ。わが子玉王は鷲にさらわれたが、枇杷の枝に捨てられ助かったからである。また鷲は鳥の王である。わが子は鷲にさらられたために、のちに万民の王となった。その鷲を疎略に思ってもよいものだろうか」

そういって鷲にも神明の法を授けて*⑯鷲大明神と神号をつけ、伊予の国一宮の御殿の前に社をたてて、大切に敬った。

*⑰その後三島大明神は、東征のため東国に移り住むことになった。

その時鷲大明神も同じように東国に飛び移って、武蔵の国大田庄に住むことになり、この国の鎮守と号して非常な尊敬を受けることになった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

かなり、短くして書いたつもりなのですが、長くなってしまいました。

ところどころ、特に大事なところと思うところに数字を入れて、色を黄色にしています。

①清政は、平城天皇の末裔とされています。
三島明神は河野家の祖神といわれているにも関わらず、その祖先は、平城天皇というところに、一つの意味を感じます。

平城天皇は、桓武天皇の皇子。ちょうど、平城天皇の時代に、早池峰山に瀬織津姫が祀られました。
この天皇の血を受け継ぐものが、このお話の中では、三島明神となっていくことになりますが、これはこの天皇の名前を記したことに意味があるものだと思います。

②子は前世からあきらめたもの。
それは、瀬織津姫を失った一族だったからです。

③大和の長谷寺の十一面観音とは、現在も三輪山のそばにある、長谷寺のことをさします。
ここは、天武天皇の時代の創建と伝わる寺で、瀬織津姫の本地仏でもある、十一面観音が本尊となっています。 ここは、仏による姫の封印の始まりの場所と言ってもいいかもしれません。
だからこそ、子を授けてもらうために、この寺の名前が記されているのでは。

④お前たち夫婦は、牛だった。
これは、まるでスサノオのことをあらわしているかのようです。
スサノオは牛頭天皇とも言います。

⑤これは、大和との戦いをあらわしているかのようです。しかし、最後には、大和への協力をすることになったのではないかと思える文章です。越智家は、やはり最初は抵抗し、戦いをしていたのではないかと思います。しかし、後に、大和へ協力したものが現れたと。

⑥この姿は、まるで、瀬織津姫の封印後、姫の魂を恐れたものたちのことをあらわしているかのようです。
姫の封印後、藤原一族は次々と病でなくなり、後の天皇は次々と悪霊に悩まされます。その姿を言わんとしているのでは。

⑦大和の国采茶郡に一人の女がいる
これは、まだはっきりとわかりません。ここがどこなのかわかれば、何かがわかってくるかもしれないと思っています。

⑧水精の玉とは、水の神 瀬織津姫のこと。
瀬織津姫は消されてしまったが、その代わりとなる、もう一つの姫の魂を入れた子供を誕生させようとしたともいえます。

⑨空から飛んできた 鷲。
これが、この物語の中で、一番重要な部分だと思っています。
この鷲の正体が、ずっとなんのかわかりませんでしたが、この後の記述で、鷲が誰だったのかがわかります。

⑩鷲は伊予・讃岐・阿波・土佐四つの国の堺にある白人城を飛び越えて、与那の大獄に入ってしまった。
鷲が飛び越えていった場所は、現在の四国中央市の山の中、あの金砂湖から、徳島県の境目です。
ここには、以前も書きましたが、今でも、大蛇、鬼、三途の川、妖怪と、数多くの姫の伝説が残っていて、江戸時代まで、この山を越えることが難しかったといいます。
そして、四つの県の県堺にあった城 「白人城」 とは、 小千命の城だといわれる城です。

これと同じ名前、もう一つの白人城の伝説が、松山、勝岡八幡神社にあります。
白人城は、小千命が、阿波から来た兇賊と戦い、捕らえたものたちを、閉じ込めた場所でもあります。
それと同じ白人城が、 この四つの国の堺目にあったのです。

与那の大獄とは、あのかずら橋のあるあたりをさし、このあたりには、多くの恐ろしい伝説がありました。

⑪阿波の国坂西郡に住む頼藤右衛門尉という人の庭先。
鷲が子供をつれてきた場所。 阿波の国板西郡とは、現在の板野町のことをさします。
そして、この場所は、藤原氏の祖、藤原 鎌足(中臣 鎌足)の本貫地だったのです。

中臣鎌足は、天智天皇の腹心でした。
そして、大祓祝詞をつくった人物です。 瀬織津姫を、祓戸大神にしてしまった人物。
ここから、姫の封印は始まったのだと、私は考えています。

また天智天皇は、中臣鎌足にだまされていたか、または、何も知らなかったか、この時に姫の封印は一揆に加速していったものと思われます。

そして、三島明神のこの物語の中で、子供をさらって行った場所、それは、瀬織津姫が、さらわれていった場所をさしていると思います。
その先は、やはり 「中臣家」だったのです。

その後、次々瀬織津姫の封印の勢いが広がっていったことを、この後の文章があらわしています。

そして⑫ 老夫婦が住んでいたところもまた、白人城の近くでした。
鷲が飛んでいった場所は、姫を封印した人物の居場所をあらわし、ここ白人城のあった場所は、姫を守り続けた人々が住んでいた場所もしめしていると思います。

また、もしかしたら、ここは、それよりもっと前、本当に城とばれるものがあり、一つの大きな村が存在していたのかもしれません。
姫を祀る人々は、人が簡単に入ってこれない場所に住んでいました。
また、ここは、砂金がとれ、鉱物資源の豊富な場所でもあり、豊かな水、大きな川があります。
私はもしかしたら、海からこの山まで、川をのぼってきていたのではないかとも思っています。

どちらにしても、ここ白人城のあった場所は、姫のなぞをとくためには、もっとはっきりさせなければいけない場所だと、強く感じています。

⑬自分の生まれた国とは、伊予国のこと。そして、伊予国一宮とは、大山祇神社神社のこと。

⑭讃岐の国一宮は、田村神社 祭神は 倭迹迹日百襲姫命。
これは、玉王の乳母。

⑮阿波の国の一宮は、玉王の養父頼藤右衛門尉である。

阿波国の一宮は、大麻比古神社 主祭神は、天太玉命。
この、天太玉命が、養父といいます。

しかし、鷲が飛んでいったところは、中臣氏のはず。 天太玉命は、中臣氏と勢力を争ったが、後に衰退することになる、忌部氏。

ここに、阿波の国のなぞが、あると思われます。

また、鷲は、天日鷲命(あめのひわしのみこと)を祖とする阿波国の阿波忌部氏がいる。

鷲大明神として、武蔵の国に飛んでいった先は、埼玉県 鷲宮神社。
祭神は、天穂日命。

大和に協力した人物たちが、だんだん、はっきりとしてきたと思いませんか?

そして、姫の封印に、関わった キーワードともいえる、二つの氏族。

忌部氏と中臣氏。 これが、三島明神の物語の中で、玉王を譲り渡したことに繋がるのかもしれません。
そして、最初に飛んで行った場所とは、本当は、忌部氏の住むところだったものが、後に、中臣氏へ吸収されてしまった。

ぐーたらさんの、大山村誌に書かれていた、大山積神とは、瀬織津姫が封印される時、この地に住む人たちにより、伊予の国より、その力をもってきたことをあらわしているのだと思います。

また、三島明神は、最後に、伊豆へと渡ったと書かれてあります。

それが、現在の静岡県の三島大社のことです。

玉王が奥方の夢の中に出てきた時、あらわれた場所は、山の中でした。
その山の中とは、瀬織津姫を守ろうとした人々が、隠れて暮らした場所をしめし、その時、玉王の手には、太陽と、月を握り締めていた。

その太陽とは、ニギハヤヒで、月とは 瀬織津姫のことだった。

このことから、三島明神とは、瀬織津姫のことだけではなく、ニギハヤヒのことも含むと思われます。

越智家が、本当に祀っていた神、三島明神とは、 大山積神でもなく、鹿屋野比売神でもなく。

ニギハヤヒと、瀬織津姫だったのです。

そして、この二柱の神が、封印の証が、古事記であり、その古事記の本当の意味を、後世に伝えようとしたものが、この、三島明神誕生の物語だったのです。

徳島と愛媛の関係が、ここにはっきりとしてきたと思います。

また、封印の鍵を握るものは、やはり 藤原(中臣)鎌足。そして、藤原不比等が、それを受け継ぎ完成させていったのだと。

空海が、徳島の鳴門を、一番札所としたことも、ここに意味があります。
封印の鍵を握る、封印の始まりの場所 それが、徳島だった。

姫を仏の力で、封印し、また守ろうとした空海は、このすべてを知っていたのだと、今回のことで、さらにはっきりとしてきました。

徳島県板野郡。 ここに、もう一つの封印の秘密が隠されていると思います。

最後に一つ、忘れていました。

⑯鷲大明神と神号をつけ、伊予の国一宮の御殿の前に社をたてて、大切に敬った。

大山祇神社神社の御神体の山の名前は、鷲ヶ頭山。

大山祇神社には、みっつの御神体の山があります。 
右側の安神山には、姫の龍が住んでいるといわれ、ここには、五大竜王が祭られています。
そして、中央の小見山の反対側には、入り日の滝。本当の姿は、月の落水の滝。

そして、一番大きな山、この周辺の海で、一番高い山が、鷲ヶ頭山。

ここに、鷲の山が御神体として今も、崇められています。




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by ldc_nikki | 2012-01-07 12:02 | 古代の謎 | Trackback | Comments(14)

もののけ姫の神

こんばんは。

今、改めて、もののけ姫を見ています。

蝦夷の末裔、「アシタカ」

モロに育てられた 「サン」

そして、森の神、 「しし神(鹿神)」

瀬織津姫のことを調べ初めてから、もののけ姫の味方が以前と変わりました。

「タタリ」の古い語源は「立ち現れる」

神の世界から、神々が、何らかの形で俗世に降りて来るという意味だそうです。

それが、「タタリ」

どこかに、自分の心の中に罪を感じていたから、「タタリ」 に変わってしまったのかもしれません。

しし神のあらわれる泉は、世と死が、せめぎ合う場所。

死んでいくもの、再生していくもの。 

それが、 神の世界と、俗世の境目、 天と地を結ぶ場所。

そして、そこが、 月の聖なる泉。

瀬織津姫と繋がる場所。

瀬織津姫と、しし神は、同じ意味をもつ神かもしれないと。

今度、春日神社のお話をしますが、ここでは、鹿が神の使い。

『春日鹿曼陀羅』 は、 神鏡に映る十一面観音と鹿を描いていました。

これが、どういう意味をもつのか。

ここにも、姫の姿が見えているような気がします。

生と死、破壊と再生 陰と陽。

その意味が、映画の中から、見える気がします。



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by ldc_nikki | 2011-12-21 00:03 | 古代の謎 | Trackback | Comments(2)

こんばんは。

今日は、まず、ツイッターでも少しお話しました、10円玉の秘密です。

職場の友達が、

「ねぇねぇ知ってる~? 十円玉に描かれた平等院鳳凰堂の屋根の上にのっている、鳳凰には、雌と雄があるんだって。」

十円玉は、昭和26年に初めてつくられたのですが、
この最初の年に、つくられた十円玉の鳳凰は、雌でした。

しかし、本物の平等院鳳凰堂の鳳凰は、雄。

それで、翌年の 27年の途中から、雄に変更されたそうです。

ですから、26年と、27年の一部の十円玉だけ、 雌の鳳凰が描かれているそうです。

その話を聞いて、早速、別の職場の人が、今日、26年と27年の、十円玉を持ってきて検証。

なんと、もってきた全ての十円玉が、雌の鳳凰でした。

雌の鳳凰は、体が小型で、足が長いのが特徴。
雄の鳳凰は、体が大型で、足が短いのが特徴です。

皆さんも、もしもっていたら、確認してみてください。

写真にとると、少し見えにくいのですが、 これが、 26年につくられた、雌の鳳凰です。
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昨日の続きのお話ですが、そのお話をする前に、やはり現地に行き、自分の目で確かめてきたいと思いますので、この週末、行ってから、続きをお話したいと思います。

今日は、先日の続きの、大西町の神社と、 万葉集の中のあることばに注目したいと思います。

今日の神社は、先日の眞名井神社から、少し南へ行ったところに鎮座する、

「客大名神社」 です。

ここは、藤山健康文化公園内の標高80mの丘陵上にある、妙見山古墳の横を通り、山の中へ少し入った所にあります。

車を止め、みかん畑の中を歩いて、山の中へ。

木々に囲まれ、少しわかりにくい所でしたが、神社がある場所は、不思議となんとなく、まわりと違う空気を感じるようになりました。

山に隠れるように、鎮座する、客大名神社は、

「白山神社」 でした。

「客神社」 については、先日も少し出てきましたが、隠された神々が祀られているといわれる神社。

でも、白山神社を、 客神社としているところは、初めてでした。

白山神社の祭神は、

「菊理姫命 ( くくりひめ ) 」 です。 仏の姿では、十一面観音と言われ、あの円空さまが、瀬織津姫を探す旅に出られることとなる、きっかけの女神さまでもあります。

古事記の中では、イザナミが黄泉の国へ行ってしまった後、 イザナギが黄泉の国へと追いかけていくのですが、 変わりはてた姿に驚き、 逃げ帰る途中 口論となったのですが、 この菊理姫命の御働きで、無事、イザナギは帰ることができたと言います。

そんなお話から、 菊理姫命は、縁結びの神様 また、争いを治める神さまと言われています。

しかし、本当の姿は、 瀬織津姫。

その本当の姿を知った円空は、その生涯を、瀬織津姫が封印されてしまった場所を探し、十一面観音や、善女竜王を掘りながら、姫の魂を鎮めるために旅をしていったのでした。

その、菊理姫命が、ここでは、客大明神として祀られていました。

ここも、神社庁には、登録されていない神社。 

このあたりの地区は、瀬織津姫の名前はないものの、その名前を変えながらも、姫さまのことをずっと守り続けてきたんだと思います。

それだけ、姫さまに対する想いの深い人々が、住んでいた場所なのかもしれません。

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そして、ここも、神紋は、「三島紋」 でした。
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神社へ行くと、竹林をよく見かけます。
ここも、まわりは、竹で覆われていました。

竹は、古くから、神の依り代とされ、邪気を祓う神聖な木と言われていました。

かぐや姫も、竹の中から生まれるように。。。。。

以前お話した、生け花の起源も竹。 

しかし、姫、そして、ニギハヤヒは、この竹で編まれた 籠の中に・・・・・。

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万葉集の中で、持統天皇が、天武天皇のことを想い、詠った歌の中に、こんなものがあります。


向南山 陣雲之 青雲之 星離去 月矣離而

(さきつみねやま たなびくくもが あおくもが
ほしやさからん つきはなれおり)

現代語訳
遥かに望める吉野山に 瑞兆の雲がたなびく
この日輪に輝く白雲は 「星や月」 を大きく凌いでいることだ
早くから 大王にふさわしい盛徳を具えられていた皇太弟の大海人皇子さまは
天智天皇後の皇位継承の混乱を避けて吉野へ移られましたが
皇子に心を寄せる人々が集まり 漸く 帝位に就かれたのだった

この中の、

「星離去」 (星やさがらん)=星は遠ざかっている とよめますが

こんな解釈があるようです。
 
「星」が主語 「離去」が述語になり 「去」趨勢(すうせい) をあらわす

「離」は居る位置(格)が違うこと 

◆「星」 は、 青雲の明るさとは比較できないくらい劣ることを意味し、

「月矣離而」 は 「月離而矣」 で (月はなるのみ)

月離れおり=月は離れているしかない 

「月」が主語 「矣離而」「離而矣」は述語になる 「而矣=耳 のみ」限定をあらわす

◆「月」は、離れているしかない

そして、この場合の 「星」 「月」は、

天智天皇亡き後、天武天皇と皇位をあらそった

「大友皇子ら近江がた」 のことを表すとも言います。

大海人皇子(天武天皇) が「壬申の乱」を制して、
天照大神(日 太陽神 皇祖神)の皇統を受け継ぎ、
「月、星」 である、天智天皇の息子「大友皇子、近江がた」 は、離れるしかない。

持統天皇は、
近江がた (天智天皇) のことを、 「月や星」 とあらわし、
天武天皇を、 アマテラス 「太陽」 とあらわしているとも訳されるそうです。

天智天皇から 天武天皇へと変わり、
月から、太陽へと、変わった。

そして、瀬織津姫(月) から、 アマテラス(太陽)へと変わったということが、
この万葉集からも、読み取ることができるようです。

 


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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-12-16 00:52 | 古代の謎 | Trackback | Comments(2)

こんばんは。

皆既月食本当に綺麗でしたね。

みなさんも、それぞれの土地で、それぞれの皆既月食の姿をご覧になったことと思います。
もし、見ることができなかった方は、 一つ前のブログに、私の見た、月食の写真をのせていますのでよかったらご覧ください。

今日は、月食の前日、 私の中で繋がったある言葉のお話をしたいと思います。

これは、私の中で繋がっただけで、信じることができない人、全く違う考えの人、いろいろあると思います。
でも、もしかしたら、こんな考えかたもあるのかもしれないな。と思って聞いていただければ嬉しいです。

これから、この言葉が、もっと明確になるように、来年に向けて、さらに、詳しく調べていきたいと思っています。
この言葉は、ある意味今年のまとめのような気もしています。

今まで、この言葉が、何を意味し、どこを意味していたのか、誰もわかっていません。
また、これは、永遠に本当のことがわからないかもしれません。
でも、瀬織津姫の真の姿を見るためには、これが何をしめすことなのかを、はっきりさせる必要があります。
それくらい、このことばは、大事な意味をもつと私は思っています。

数多くの伝説の中に、出てくることば、まずは、その伝説の数々です。


◆大国主が出雲の美保岬にいたとき、海の彼方から天の羅摩船(あめのかがみのふね)に乗って、やってきた小さな神様 「神産巣日神の御子の少名毘古那神」
少名毘古那と大国主は一緒に国造りを始めました。
大国主と少名毘古那は協力して、多くの国の開拓をおこないました。

そして、国造りが終わると、少名毘古那は、少彦名命は熊野の岬に行き、そこから“常世郷”に渡りました。
 <直後に異伝として、「淡嶋に行き、登った粟の茎に弾かれて常世郷に渡ったと。>

 

◆浦島太郎のもととなったお話、700年前後に書かれたとつたわる、浦島説話。
浦島太郎は、浦島説話がもととなり、現在の物語になっていきました。
原作は、
浦嶋子はひとり、小舟に乗って釣りをしていました。
しかし、三日三晩たっても魚は一匹もつれませんでした。
あきらめかけたその時、浦嶋子は五色(封印)の亀を釣り上げました。
そして、その亀が、舟の中で居眠りをしている間に、美しい乙女の姿になっていました。

目を覚ました浦嶋子は、乙女に誘われ、一緒に蓬莢の島にいくことになりました。
(浦嶋子と乙女(亀姫)が訪れた神の国は、
・「万葉集」では「わたつみの神の宮」また「常世」
・「日本書紀」は「蓬莱山」(とこよ)、「丹後国風土記」は「蓬山」(とこよ)といいました。


◆神武天皇の兄、御毛沼命(三毛入野命)は、波の穂を跳みて常世の国に渡った

 ・『日本書紀』では三毛入野命が神武天皇の東征に従軍して軍船を進め熊野に至った折、暴風に遭い、「自分の母と姨はともに海の神であるのに、なぜ波を起こして我々を溺れさせるのか」と嘆き、波の秀を踏んで常世郷に往った。


上の三つのお話をご覧になって、全てに共通する言葉が、何であるか、もうおわかりかと思います。

それは、 「常世」 ということばです。

まるで、まったく別のお話のように思われますが、本当は、全て 「瀬織津姫」 の根源の意味をさす言葉なのです。

では、どうして、このことばが瀬織津姫に結びつくのでしょうか。
また、 この 「常世」 とは、 どこをさしているのでしょうか。

「常世」 とは、 
海の彼方・または海中にあるとされる理想郷であり、「マレビト (客人) とも書き、他界から来訪する霊的もしくは神の本質的存在を定義のことをいいます) 」の来訪によって富や知識、命や長寿や不老不死がもたらされる『異郷』のことを、いうといいます。

 ・「客人」 とは、 あの 宮島の厳島神社の入口に祀られている神のことをあらわす言葉であり、また、瀬織津姫に繋がる神社の名前 「各神社」 に祀られる神の名前でもあります。

 ・また 「不老不死」 は、 瀬織津姫の御神徳、 月の女神の力、再生、復活と同じ意味をもちます。
月の聖なる泉は、不老不死の力を持つと言われ、 その水は、満月の夜( 月食の夜 ) 聖なる泉におちてくると言われます。

そして、「常世」 とは、 もう一つの意味ももち、それが 「常夜」 です。
「常夜」 とは、 常に夜をいい、夜の状態でしかない世界です。
その世界とは、 「死者の国」  「黄泉の国」 のことをしめすのです。

 ・瀬織津姫は、 空海に、三途の川の神と言われたように、死の国の女神の姿でもありました。
また、ある時は、鬼の姿で現され、 黄泉の国へと導く神ということから、 「縁が切れる」 縁きりの神ともされています。

この 「常世」 には、 まったく正反対の意味 「常夜」 の意味もあるのです。
そして、それは、 瀬織津姫もまた、同じように、全く正反対の意味をもつ、 「女神」 でもあるように。

「常世」 「常世の国」 とは、 瀬織津姫がいる所、 瀬織津姫を祀る重要な場所を意味するのです。

 浦嶋子 (浦嶋太郎) が、渡っていった場所は、年をとらない場所、 不老不死の場所常世の国とは、瀬織津姫のいる、海の城であり、 また、 乙姫(神女)とは、 瀬織津姫のことだったのです。

 浦嶋太郎の原作者、 伊余部連馬養は、持統、文武両朝の治世に活躍した官人で、丹波国の国司でした。
ですから、浦嶋太郎の原点は、 丹波にあるとよくいわれますが、それは、この物語をつくった時に、この人物が、丹波にいたからであり、本当の、場所は、ここではありません。

それは、 伊余部連馬養の出身地だったのです。

浦嶋説話は、もちろん、現実のことではなく、つくられた物語。
しかし、物語の舞台は現実のものではないとはいえ、きちんと元になる場所、その物語がつくられた理由があります。 それが、瀬織津姫が消されてしまった、消された場所にあるのです。

龍宮城である「常世」 とは、不老不死の仙人が住む場所、 再生、復活の女神が祀られていた場所であり、
後に、その女神が、別の日本総氏神に変えられてしまった場所、そして、亀の中に閉じ込められた女神のいる場所。

陰陽五行説は、 基本は、

「木、火、土、金、水」

五行思想の特徴は、「相生」と「相剋」という、それぞれの要素同士がお互いに影響を与え合うという考え方にあります。

相手の要素を補い、強める影響を与えるものを「相生」、
相手の要素を抑え、弱める影響を与えるものを「相剋」という。

瀬織津姫を封印するためには、水である瀬織津姫の力に勝つことのできる神でなければいけませんでした。

それが、瀬織津姫の封印の鍵を握る、神です。
そこに、瀬織津姫をアマテラスで封印できなかった理由があります。

単純に、瀬織津姫をアマテラスに変えるだけではいけなかった理由、 日本の象徴の神アマテラスを、日本の総氏神にできなかった理由があります。

火の神 アマテラスは、 水である瀬織津姫に、 消されてしまいます。
それは、火は水に弱いからです。

では、 水に唯一勝つことができる神はというと、それは 「土」
大きな土の山の力で、水をせき止めることができる、土の塊 
「山の力、 山の神」 の力が不可欠だったのです。 

その神こそ、 「大山積神」 大三島 大山祇神社に祀る、 日本総氏神である、 「大山積神」だったのです。

七つの島と、伊豆に、大山積神の分身の神を祀ると 大三島の前に突然現れた島は、
不老不死の 三つの島 「蓬莱(ほうらい)・方丈(ほうじょう)・瀛州(えいしゅう)」
そして、その海は、かつて神宮皇后が 龍宮に繋がる海と言った 瀬戸内海。
大三島は、その瀬戸内海の中央に位置する、 神の島。 不老不死の島とされ、瀬織津姫を祀る島 

「月の島」 だったのです。

瀬戸内海は、縄文時代まで、一面草原が広がり、 石鎚山から流れ落ちる水が川となり、食物が豊富な、人間にとっても、動物にとってもとても住みやすい場所でした。

本当は、海ではなかったのです。

それが、縄文時代の温暖化により、みるみる海の水が入り、 そして、短期間の間に、まるで、ノアの方舟のように、一面海の世界へとなっていったのです。
海の底には、かつて、 人々や、 動物たちが生活した場所が、今も眠っているのです。

まるで、海底へと沈んでいった、アトランティスのように。

これは、まだ、私の仮説ですが、 古代、イギリスのストーンヘンジがつくられた時代と同じころつくられた
高知県足摺岬につくられた、ストーンヘンジの緯度と同じ 133度線の北に位置する大三島は、このストーンヘンジとも、繋がっていると思います。

人々が暮らした土地が、海の中に沈むこの瀬戸内海は、本当の竜宮の世界ともいえるのです。

漢学者でもあった、浦嶋伝説を書いた、伊預部馬養連は、瀬戸内海が本来は、海ではなかったことをもしかしたら知っていたのかもしれません。
だから、大三島から消され、海へと沈んでいった姫の姿を、当時瀬戸内海の海にたくさん生息していた 陸でも海でも生息することができる亀、

また、「ダビデ紋」の回りを囲んだ形 「亀甲」 の中へと閉じ込められた瀬織津姫の姿を 「亀姫」として表現したのではないでしょうか。

そして、もう一つの 「常世の国」 へ行った、重要なお話があります。

それが、  “橘”導入伝説

病気静養の垂仁天皇が、「田道間守」を 「時じくの香の木の実」(ときじくのかくのこのみ)というものを取りに行かせた先、 それが 「常世の国」 でした。

病気を治すために、不老不死の力を持つ、古代 「橘」 と呼ばれた果実は、柑橘類 「みかん、だいだい」のことでした。

現代のみかんとは、その品種は違いますが、この橘とよばれる柑橘類は、 古代の昔から、この瀬戸内海に、自生していました。

記(皇極天皇)には、橘が常世神という虫を生ずる樹木であるという伝承もあります。

垂仁天皇の時代の話が、このような形で、残っているはずがありませんので、このお話もまた、つくられたものでしょう。  でも、これもまた、必ず根拠があるはずです。 

それは、不老不死の果物、 「橘」 が生息する場所を意味していたのだと思います。 

また、スクナヒコナが、最後に渡っていった 「常世の国」 とは、 後にに 「栗国」 とも呼ばれました。

栗の木から飛んであの世に行ってしまったスクナヒコナ。

この愛媛、 伊予の国は、 古代から、栗の産地と言われるほど、栗が多い国でした。
現在の栗の産地と言われる、中山町、内子町には、驚くほど、スクナヒコナの伝説が残る場所です。

現在も、その場所が、土地の人々により大切に、守られています。
そして、最後に、亡くなったと言われる、大洲の肱川もまた、栗の産地です。

今治から、大国主とともに出発した
スクナヒコナが伝えたと伝わる、酒蔵が今もなお、お酒を造り続け、
愛媛の一番の栗の産地 「中山町」 には、 今もなお、瀬織津姫を、口伝の神として、神社に祀られています。

そして、その神社の近くの 海もないその山の名前は、 「蓬莱山」 といい、
蓬莱山の回りを、 「月の海」 と 今も呼んでいます。

ここは、少彦名と大国主が分かれた場所としても伝わり、この向こうから内子にかけては、
少彦名は、一人でむかったといいます。

「常世の国」 とは、 

海の彼方・または海中にあるとされる理想郷であり、「マレビト (客人) とも書き、他界から来訪する霊的もしくは神の本質的存在を定義のことをいいます) 」の来訪によって富や知識、命や長寿や不老不死がもたらされる『異郷』。

「常夜」 とは、 常に夜をいい、夜の状態でしかない世界です。
その世界とは、 「死者の国」  「黄泉の国」



 「熊野から、海を越えた場所にあり、波の秀を踏んで渡る場所であり、淡嶋(淡路島)に行き、登った粟の茎

に弾かれていけるほど、近くにあり、みかんが生り、 栗が実る場所、そして、昔の町が眠る海がある場所、伊

予の国を愛した 皇極天皇記の、常世神が生ずる樹とは、瀬織津姫が生ずる樹であり、

水に勝つ 土の山の神、日本の総氏神が祀られる場所、そして、そこは瀬織津姫である、龍を切り刻み消した

場所、そして、大山祇神社の島、大三島の前にある 津島は瀬織津姫を祀る島とも言われそこは、(常夜)へ

の入口、三途の川の入口にいまわす 瀬織津姫の島でもあり、後にそこに祀られた瀬織津姫が、ニギハヤヒ

の子孫と言われる小千命(大山祇神社の楠を植えた人物) の発祥の地と 大浜八幡神社に祀られ、この

小千命は、後に、白人(ハクト ・ 白兎)明神 、白蛇の姿で祀られることとなったのです。

また、愛媛と徳島の県境には、瀬織津姫を祀られる場所が多く存在し、そこは、砂金、鉄、などの鉱物が日本

の中でも特に多く存在する川がありました。

そこには、鬼が住み、 三途の川があり、 大蛇が住み、妖怪が住む、人々が近寄ることができない山。

その山には、 白人 (ハクト ・ 白兎 )城 が存在し、 三島明神(瀬織津姫)は、鷲にさらわれ、この城を飛

び越え、 阿波の国へと連れ去られ、 その後、 伊豆へと 渡っていくのです。

また、この川には、不老不死の薬を作るための水銀が多く存在していました。 その場所を (丹生)といい、

古代の人々にとっては、不老不死の体を手に入れるために必要な場所だったのです。」

古代の人々が、どうしても手に入れたかった、不老不死の力、 そして、また、一度死んでも、また再生、復活

できる力、 それを手に入れるために祈り、願った、古事記がつくられるより、もっともっと前から、瀬織津姫が

祀られていた、

 「神の島」 、 「常世の国」 とは、 

大三島であり、 この伊予の国だったのだということが、私の中で、繋がったのです。

まだまだ、証明しなければいけないことは、山ほどあります。

小千命のこと、 徐福、 神宮皇后、 徳島の存在、 鷲、 秦一族、 越智家、 今特にきになっている神宮皇

后、 そして、 卑弥呼 の存在。

これら、全てが、 また、まだまだ、見えていないたくさんのものの姿をはっきりとさせることが、

瀬織津姫の存在の封印を とくためには必要です。

でも、 空海が後に 「88」 の仏の力で、封印し、 死(四)の国にしてしまった、四国、 そして、女性の理想

の姿である女神 「愛比売」 の国 、愛媛は、常世であり、 常夜の国だと思っています。

そして、愛媛の姿を明確にすること、 四国の真の姿を見つけることが、 瀬織津姫の封印を解く鍵だと、思っ

ています。

2012年。 まだまだ、 瀬織津姫の封印をとく旅は続きます。

そして、それを見つけることは、単に、姫の真の姿を見つけるだけでなく、 もっともっと大切な何かに繋がっている気がします。

歴史を知らなければ、人類は滅びるだろう。 とも言われます。

過去は悔やむためでなく、 過去を憎むためでなく、 過去に引きずられるのでもなく、

新しい未来のために、 過去はあるのだと、 姫が教えてくれているような気がします。

そして、嘘や、ごまかしの世界ではなく、 本当の姿を現すこと、 本当の姿を知ることが、真の姿で生きること

が、今の時代、これから時代に必要なものだとも思います。

そのことに、早くきづいてほしいと、心から思います。


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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-12-13 00:02 | 古代の謎 | Trackback | Comments(2)

数あるブログの中からお越しいただきましてありがとうございます。 不思議な数々の出会いから、今は、愛媛の神社めぐりをしながら、神社や女神様そして、神話の神々の伝説を調べています。
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