こんばんは。
この間の土曜日、大歩危小歩危のある
徳島県山城町へと行ってきました。

ここは、美しい自然が残る、祖谷のかずら橋でも有名な観光地ですが、
近年、妖怪の里としても有名な所です。

大歩危小歩危の近くの山々には、
そこらじゅうに妖怪の伝説が残ります。
あの有名な児なき爺の故郷。
全国一、妖怪の伝説が多いところです。

妖怪なんてほんとにいるはずないので、
単なる作り話と思われがちですが、
妖怪もまた、歴史の意味を含む一つのお話です。

沢山ある妖怪の伝説の中で、
特に気になる伝説の一つ

龍神と乙姫の物語。

乙姫が住むのは、山城町最高峰の野鹿池山。

山の頂上に広がる湿地帯。
底なしの地と呼ばれたこの地には、
龍神と乙姫が住んでいたと言われています。

今もその場所には、
小さな社が建てられ、龍神さまをお祀りしています。

鳥居をくぐり山の中へと進みしばらく行くと、
今まであまりみたことのないような光景が広がる。
昔は四国のあちこちで見られただろう湿地帯が、
山の頂上に広がる。
まるでそこはししがみさまの森。
今にも蛇が現れそうな場所。

運動靴もはかず、サンダルで行っていたので
普通なら引き返すような山道。
でも、この向こうに姫の社があると思うと、
ここまで来て引き返すわけにはいかないと思って
どんどん奥へと進む。
姫がいると思うと、どんなに悪条件だろうと、不思議ときっと大丈夫だという
根拠のない自信と、安心感がある。

今まで、どんな場所でも、一歩足を踏み入れてたところは
行けなかったことがない。
途中で何度も引き返そうと思いながら、
それでも、後もう少し、後もう少しだけ。
今回も、どのくらい奥に入らなければいけないかわからない恐怖感が
時々心の中におこりながら、それでも、きっと行けるはず。
そう思って一歩一歩も、前に進む。

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そして草むらの影に、小さな社が見えた瞬間、
あきらめなくてよかった。
あの時引き返していたら、この場所にたどり着くことができなかった。
と、あきらめたらいけないということを教えられるのです。

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徳島県と高知県、そして愛媛県の境目に連なる山々は、
まるであの世とこの世の境界線のように、
不思議な伝説と不思議な名前の山々が連なります。

そしてここ祖谷には
不思議な民謡が残ります。

  九里きて、九里行って、九里戻る。
  朝日輝き、夕日が照らす。
  ない椿の根に照らす。
  祖谷の谷から何がきた。
  恵比寿大黒、積みや降ろした。
  伊勢の御宝、積みや降ろした。
  三つの宝は、庭にある。
  祖谷の空から、御龍車が三つ降る。
  先なる車に、何積んだ。
  恵比寿大黒、積みや降ろした、積みや降ろした。
  祖谷の空から、御龍車が三つ降る。
  中なる車に、何積んだ。
  伊勢の宝も、積みや降ろした、積みや降ろした。
  祖谷の空から、御龍車が三つ降る。
  後なる車に、何積んだ。
  諸国の宝を、積みや降ろした、積みや降ろした。
  三つの宝をおし合わせ、こなたの庭へ積みや降ろした、積みや降ろした。

三途の川がある祖谷。
天狗が住む祖谷。
山姥が住む祖谷。
乙姫が住む祖谷。
恵比寿大黒がおろされた祖谷。
三つの御龍車が降った祖谷。
伊勢の宝が罪おろされた祖谷。

小千命のお城があった祖谷と愛媛との間の山々。

あの神さまになった、お父さんとお母さんが
10数年もの間、身を隠していた山。

その場所を特定することは難しいかもしれません。
それでも、あきらめず、いつか何かの手がかりが見つかるまで
探し続けてたいと思います。

山に入る時、
目の前に虹があらわれ、

乙姫の神社についた時、
木々が生い茂る森の隙間から、
太陽の光が差し込みました。

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by ldc_nikki | 2013-07-17 00:15 | 徳島県 | Trackback | Comments(0)

こんばんは。

今日は、今回の徳島県の最後の神社です。

本当はもっともっと沢山行ってみたい所があったのですが、
限られた時間、今回はこれが精いっぱいでした。

でも、それも、
まだ訪れるには早すぎる場所だから行けなかったのかもしれません。

本当は、まだまだ徳島のことをお話したいのですが、
その場所を訪れるまでは、できるだけここには書かないようにしようと思っているので、
今回はこれでひとまず、徳島のお話は終わりにしたいと思います。

私が徳島での最後の神社に選んだ場所は、
神山町のお隣、佐那河内村の朝宮神社です。

ここは、天照皇大神荒御魂として、瀬織津姫を祀る神社です。

瀬織津姫は、伊勢神宮内宮の別宮の荒祭宮祭神、
天照皇大神荒御魂として祀られています。

天照皇大神荒御魂。

神道では、
神様には二つの側面があり、 その二つの魂のことを

「荒魂(あらたま、あらみたま)・和魂(にきたま(にぎたま)」といいます。

字のごとく、
荒魂は、荒ぶる魂。地震や洪水、火山など、天変地異をおこし、病を流行らせる
恐ろしい魂。

それに対し和魂は、人々に、雨や日光の恵みなどを与えてくれる魂。

だから私たちにご加護を与えてくれる神様は、
和魂とされています。

天照皇大神荒御魂が瀬織津姫とされるということは、
瀬織津姫は、荒ぶる神。 地震や洪水を引き起こし、病を流行らせる恐ろしい魂をもつ女神と
されていることと同じなのです。

大祓詞で、人々の罪や穢れを祓う女神とされながら
一方では、荒ぶる女神とされているのはどうしてなのか、どうして1300年も
その謎に、ふれる人が現れなかったのか不思議だと思いませんか。

でも、それは、ふれる人が現れなかったのではなく、
ふれることができなかったからなのです。

天照皇大神荒御魂を瀬織津姫を祀るところは、
伊勢神宮の他に、兵庫県廣田神社が有名ですが、
ここに天照皇大神荒御魂をお祀りすることになったのは、
神宮皇后に由来すると伝わります。

神宮皇后が、三韓征伐に出発する際、
和魂が天皇の身を守り、荒魂が先鋒として船を導くだろうという
神託がありました。
戦いを終え戻ってきた神功皇后は、
自分と生まれた皇子の命が狙われていることを知り、
和歌山県の方へと迂回して、難波を目指したのですが、 
難波の港が目の前という所で、船が海中でぐるぐる回って進めなくなってしまいました。
そこで兵庫の港に向かい、天照皇大神の神託を受けました。

「荒魂を皇居の近くに置くのは良くない。広田国に置くのが良い」と。

そこで神功皇后は、
山背根子の娘の葉山媛に天照大神の荒魂を祀られたといいます。

これが、廣田神社に、天照皇大神荒御魂
別名:撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(つきさかきいつのみたまあまさかるむかいつひめのみこと)
を祀ることになった起源だと言われています。

現在は、瀬織津姫の名前はありませんが、
戦前の由緒書きには、瀬織津姫を主祭神とすることが明確に記されていたといいます。

天照皇大神の荒御魂が瀬織津姫のことをあらわしていることは
ここでもわかりますが、ここ徳島県朝宮神社も、はっきりと天照皇大神荒御魂を、
瀬織津姫と記載しています。

また、もうずいぶん前にご紹介した、
愛媛県西条市に鎮座する、
「伊曽乃神社」もまた、天照皇大神荒御魂をまつる神社です。

しかし、ここは廣田神社と同じように、瀬織津姫の名前は記載されていません。

でもその代わりに、ここには瀬織津姫とわかる証があります。

それが、伊曽乃神社の神紋です。

伊曽乃神社の神紋は、「御所車」

「御所車」とは、牛車(ぎっしゃ)の俗称と言われますが、
これも以前に 「8の暗号」のところでも少しお話した、
伊勢神宮の中にも描かれている、北斗七星でもあります。

「8の暗号」では、
北極星=天帝を載せる車として、北斗七星=御所車が描かれていると
書かれてありました。
しかし、この北斗七星は、これまで何度かお話してきたように、
「瀬織津姫」のことでもあります。

瀬織津姫、太古の昔は別の名前だったと思われますが、
同じ意味を持つ、原初の女神もまた、北斗七星と繋がっていました。

瀧もまた、北斗七星から流れ落ちる水だということを
以前お話しました。

また、妙見信仰の意味を解いた空海が、
妙見菩薩として祀った神もまた、その根源を辿れば、瀬織津姫のことをさしているということも
以前お話しました。

伊勢神宮に書かれた、北極星と北斗七星の関係は、
天照皇大神の和御魂と荒御魂の関係でもあったのです。

北斗七星=御所車

だから、
西条市伊曽乃神社の天照皇大神荒御魂は、神紋が北斗七星=御所車と
されることから、瀬織津姫を本来は祀っていたことをあらわしている。

でも、なぜ伊勢神宮に封印したはずの、北斗七星を天帝の車として描いたのでしょう。

それは、廣田神社の起源である神功皇后の伝説にもあるように、
瀬織津姫の力は、決して消し去ることのできないほどの力、
全ての生命の源であるので、その力だけを受け取ろうとしたのだと思うのです。

その力を受け取り、新たに誕生したのが、天照皇大神だったのではないでしょうか。
天照皇大神の中に、瀬織津姫は封印されていると言ってもいいかもしれません。

またいつか詳しくお話したいと思いますが、
古事記がつくられ、新しい世の中がスタートした奈良時代から、
本来ならば、天照皇大神を中心に神道が盛んになるはずの世の中が
急激に仏教中心の世の中に変わっていきます。

これがもう一つの封印の秘密です。

仏教では、天照皇大神は大日如来だとされるようになりますが、
その裏にもう一つの姿がありました。

それが、役行者、そして聖徳太子です。

鬼神(瀬織津姫)を自由に操ることができたとされる 
「役行者」は、天照皇大神がその姿を変えた姿だとされていたのです。

「役行者」は、日本の霊山(本来は神が宿る山)にいる龍=瀬織津姫を
全て封印、排除していきました。
そして、それを自由に操ることができた人物であり、
天照皇大神だったのです。

また、まるで役行者と同じような力を持つ、
聖徳太子も同じように、天照皇大神と同一だと書かれてあります。

役行者に封じ込められた 「龍神、鬼神」とは、
天照皇大神の中に封印された、裏の姿(荒御魂)である瀬織津姫のことと
同じことになります。

そして、それは、仏の姿でもあらわされます。

天照皇大神の本地仏、 「大日如来」 
その大日如来の中に封印された、瀬織津姫の姿が、 
瀬織津姫である 「水」 を封印するために祀られた 「山」 の神
日本の総氏神 「大山積神」 の本地仏をあらわす、
大通 智勝仏の
日本にたった一つの姿です。

日本とは、大日如来の国。
大日の本国。 大日本帝国と考えられていたのではないでしょうか。

天照皇大神の荒御魂とされたことが、瀬織津姫の封印の意味を持つ姿なのかもしれません。

*徳島県
*朝宮神社
*天照皇大神荒御魂 瀬織津姫

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by ldc_nikki | 2012-08-03 02:09 | 徳島県 | Trackback | Comments(2)

こんにちは。

今日から8月ですね。
毎日暑い日が続いていますが、皆さんは夏バテなどしていないでしょうか。

先日玉川に住む知人が、秋の気配を感じるとおしゃっていました。
ギラギラとした太陽の光が降り注ぎ、ここにいると秋の気配を感じることができませんが、
山では日々、季節が変化しているのだなと思いました。

今日も、前回の続き徳島のお話です。

「天の岩戸」

天照皇大神が閉じこもった岩。

徳島県でも、この天の岩戸と呼ばれるところがあります。

徳島県神山町、前回ご紹介した上一宮大粟神社からそう遠く離れていない
山の中にあります。
そして、その天の岩戸があるこの山を、天の元山と地元ではよんでいいます。

「天の元山」

天から降ってきた大きな岩は、空中で二つに割れ、
一つは大和の国(奈良)へ、
もう一つは、伊予の国(愛媛)へ落ちたとされます。

しかし、徳島では、
これらの元山があるとされているのです。
それが、今日ご紹介する 天岩戸立岩神社の御神体の山です。

「阿波国風土記」では、

 そらより降り下りたる山のおおきなるは,阿波国に降り下りたるを,
 天のもと山と云い,その山のくだけて,大和国に降り着きたるを天香具山
 というとなん申(まをす)。

「伊予国風土記」では、
 天山(あめやま)と名づくる由(ゆえ)は,
 倭(やまと)に天加具山(あめのかぐやま)あり。
 天(あめ)より天降(あも)りし時,二つに分かれて,
 片端(かたはし)は倭(やまと)の国(くに)に天降(あも)り,
 片端(かたはし)はこの土(くに)に天降(あも)りき。
 因(よ)りて天山(あまやま)と謂(いい)ふ,本(もと)なり。

二つに分かれた大きな山の元は、
ここ徳島県だったというのです。

この「阿波国風土記」に書かれたことにより、
徳島が全ての原点だと地元では言われています。

徳島にあった山が、
二つに割れて片方は伊予の国へ、もう片方は大和へ。

徳島ではどうしてこのように言われるようになったのか。

それは、
新しい 「新生大和」の原点が、ここ徳島だったからなのです。

本来あった、「原生大和」は、
もうこの時すでに奈良に存在していました。

では伊予の国はというと。。。。

伊予の国は、神の宿る場所。人が住む都ではなく、
本来の倭が信仰していた女神の中心だった。

伊予の国は、再生・復活、そして新たな命が誕生する
「子宮」的場所だったのです。

そして、その子宮の中心が、
子宮を取り巻く羊水である 「瀬戸内海」の中心であり、
渦で囲まれた島 「大三島」 だったのだと考えています。

だから、新生大和が本来の倭だとするために、、
新生大和の大きな岩は、「原生倭(奈良=香具山)と
神の中心(伊予=天山)を、徳島の元山から、二つに割れたお話にした。

そして、新生大和は、
本来の原点である 「元山」 の徳島の存在をも隠し、
原生倭が存在した奈良へ移り、そこに最初から都をつくっていたかのように
歴史をつくりかえてしまったのです。

でなければ、徳島が元山だったことを隠す必要はなかったはずです。

徳島にいた自分たちの姿をも、
封印してしまったのだと私は思います。

日本に仏教が伝来したのは、539年と言われています。
しかし、徳島ではこれより先に、仏教が伝来した後があります。

それが何を意味するでしょうか。

そして、仏教が一番早くに入ってきた徳島という場所が
元山とされることが何を意味するのか。

それが、新生大和の誕生の鍵を握るのです。

天の岩戸に隠れた天照皇大神がその姿を出した後、
岩戸には、その岩戸がもう一度開くことのないように、注連縄がかけられました。

これが、注連縄が初めて文章として現れた場面です。

私は、この岩戸に注連縄がかけられたのは、
天照皇大神が新たにこの世界の神として誕生する代わりに、
本来の女神がこの中に閉じ込められたことを意味していると思っています。

そして、その場所がここだと徳島で言われるのは、
ここ神山が、徳島で一番初めに、正式に 「瀬織津姫の魂」が祀られた場所だからです。

伊予の国から、瀬織津姫の魂は、まずここへ運ばれ、
祀られたのです。
それが、上一宮大粟神社に残る言い伝え。

この天の岩戸とされる御神体の対岸には、
今も、左に不動明王、右に、蛇神さんが祀られています。
そして、昔、元山の村人が蛇を討ち血の海になったと伝わる
「蛇淵」が今も残っているそうです。

姫の存在を少しでも残しておきたい人々が、後世に伝えようとした想いが
ここに存在したことがわかったことが、
私がここを訪れて一番感動したことでした。

私は、どこに祀られているかわからない 対岸に向かって、
静かに手を合わせました。

姫の魂の封印をとくという力は私にはありませんが、
こうして一つ一つ、その場所へ行き、手を合わせ、
そしてその存在をほんの少しでも誰かに知らせることが、
姫の魂に少しでも光をあてることに繋がるのではないかという気がしています。

姫の魂は、全ての源であり、
命を再生・復活させる力を持つと言われます。

今、世の中全てが、再生しなければいけない時代。

姫の光を、ほんの少しでもこの世の中に輝かせることができたら、
また、ここでその光を見た人が、一人でも明るい未来へと歩いていくことができたら、
こんなにうれしいことはありません。

そして、私自身が少しでもよい世の中になるための
一筋の光になれるように、
もっともっと修行をしといきたいと、改めて姫に誓いました。

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この木々の向こうに、
不動明王と蛇神が祀られているそうです。

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by ldc_nikki | 2012-08-01 15:13 | 徳島県 | Trackback | Comments(2)

こんばんは。

来週から始まる写真展の準備で、
ここ数日、バタバタ。。。。

夏はなぜか毎年忙しくて、なかなかブログを更新することができませんでした。

今日は、前回の続き、
上一宮大粟神社のお話ですが、その前に一つお知らせがあります。

来週月曜日7月30日~8月17日まで

第2回、愛姫伝写真展を開催することになりました。
今回は、今治です。

内容は前回とほぼ同じです。

前回松山に来ることができなかった方も沢山いたので、
今回は地元でさせていただくことになりました。

場所は、伊予銀行今治支店の中にあるギャラリーです。

*今治市 伊予銀行今治支店(どんどび交差点)
*7月30日~8月17日まで
*観覧時間は、朝9:00~午後5:00まで
*注意:土日は銀行がお休みのため、見ることができません。

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姫の封印のお話は、写真展ではあまりしていませんが、
それぞれの場所の歴史を書いています。

今回の写真展でご紹介している場所は、
21か所。

前回見ることができなかった皆様
よかったら見に来てください^^

では、前回の続きです。

まず、前回のお話を読んでいない方は、よろしけらばこちらから先に
お読みください。

上一宮大栗神社 大宜都比売 1


上一宮大粟神社の言い伝えには、

「倭が危機に陥った時、この黄金のきつねが帰ってくる」というお話を
させていただきましたが、大宜都比売のこと
少しおあわかりいただけましたでしょうか?

そんな大宜都比売の故郷、原点が、
ここ上一宮大栗神社です。

ここには、他にも不思議な言い伝えがあります。

その一つが、「天狗」です。

上一宮大粟神社の拝殿の中には、
「天狗」のお面のようなものが飾られています。

少し気になって、宮司さんに聞いたところ、

先々代の宮司さんが、現在の宮司さんに話してくれた一つの言い伝えがあると言います。

その言い伝えとは、

「この上一宮大粟神社には、時々天狗が現れる」というのです。

私は思わず 「ここにですか?」と聞き返すと、

「そうなんです、ここに、この神社に天狗が現れていたんです。」

私はこの話を聞いて、言葉が出ませんでした。

そして、次の話を聞いて、どうしてここに天狗が現れるのかと言われていたのか
その意味がわかりました。

それは、ここには大宜都比売が大宜都比売になるために、
「結び」の神さまがいるということでした。

神社の考えで一番重要なこととも言える(←宮司さんがおっしゃっていました)

「結び」

大宜都比売は、大宜都比売の周りに祀られる神々がいて
初めて、大宜都比売となれるというのです。

その神々とは、

素戔嗚命、大山積神、そして、あの役行者です。

この他、あと二柱の神が祀られていると思うのですが、
何にもひかえて帰らなかったため、はっきりと覚えていないのですが、
上記の名前だけは、はっきりと覚えています。

大宜都比売が大宜都比売となるために、

「役行者」が一緒に祀られていたのです。

役行者=天狗。

ここに現れていた天狗とは、現れていたのではなく
ここに帰ってきていたのです。

そして、 「大山積神」「素戔嗚命」 

大宜都比売になるためには、大山積神」も必要だったのです。

大山積神は、姫を封印するためにおかれた神さま。
大宜都比売が誕生するには、姫の魂を封印する必要があったということ。

そして素戔嗚命。

今度香川県のお話のところで再度お話しますが、
素戔嗚命もまた、姫の代わりに祀られた神様なのです。

「結び」とは、
姫の代わりに祀られる神々を誕生させるために、
とても重要な考え方だったのです。

天狗であり、天照皇大神でもある役行者が、
この神社の中に大宜都比売を守るように祀られていたから
ここには天狗が現れていた。

姫を大宜都比売に変えるためには、
大山積神も、素戔嗚命も、役行者も必要であり、言い換えられば、
これからの神々がいなければ、大宜都比売は大宜都比売となることができない。

そしてここにも、真名井の水があります。

「真名井の水」とは、丹後の籠神社の奥の院、
豊受大神の故郷ともいう、真名井神社が、思い出されますが、
私はずっと、真名井の水とは、「瀬織津姫」の水のことを言っていると思っていました。

しかし、本当は真名井の水もまた、
大宜都比売が大宜都比売になるため、天照皇大神が天照皇大神となるため、
姫の姿から新しい神へとその姿を変えるために必要な泉だったのです。

そして、姫はというと、
真名井ではなく、 「渟名井(ぬない)」の水だったのです

それがどうしてわかったかというと
私のブログにもリンクをさせていただいています 「ひもろぎ逍遥」さんのところに
書かれてある一つの由緒からでした。

天の真名井と星の祭祀

筑後の国、赤司八幡神社は、
三女神が降臨した本跡だといいます。そこには、この真名井と渟名井についての
興味深い伝説があります。

「日の神から生まれた三女神を筑紫の洲(くに)に降臨させた時に、日の神が
「そなたたち三神は道の中に降居して天孫を助けて天孫のために祭られなさい。」と教えられた。」
と書かれてあります。

天孫のために祀られてなさいとされた三女神とは、
あの天照皇大神と素戔嗚命の誓約のさいに誕生した女神でもあります。

そしてこの女神たちが降臨する時、ある儀式のようなものが行われました。
それが、真名井と渟名井に関係があります。

「天孫が降臨する時、天の真名井の一元の水を降ろし、
蚊田(かだ)の渟名井(ぬない)に遷して、その水を供えた。」

天の真名井の水を、渟名井(ぬない)に遷す。

これは、渟名井(ぬない)の水を真名井の水に変えるという意味ではないでしょうか?
そうすることで、新たな女神が誕生するという意味だと。

さらに、この 「真名井」とは、
「真名井星」 という星の名前に使われ、その星とは

「北極星」

天帝、天皇、そして宇宙の中心とされる 北極星のことを、

「真名井星」 と呼んでいたのです。

そして 「渟名井の渟名(ぬな)」 とは、古代翡翠のことをこう呼んでいました。

だから、翡翠の産地に残る 奴奈川姫(ぬながわひめ)は、翡翠の伝説の姫なのです。

「翡翠」とは、古代の人々が死者とともに葬る、再生・復活を意味する玉でした。

「渟名=翡翠=再生復活」 

渟名井とは、姫の水のことをあらわしていたことになるのです。

万葉集に、沼名河(ぬなかわ)のことをうたった歌があります。

「沼名河の底なる玉、求めて得まし玉かも、
拾ひて得まし玉かも、あたらしき君が老ゆらしく惜しも」

この万葉集も、現在は全く違う意味、女性が若い男性のことを歌った歌だと言われていますが、
この「沼名河」 とは、 「姫の水が流れる川」 という意味ではないかと私は思います。

話がどんどん横道にそれてしまいましたが、

これが、真名井と沼名井の、本当の姿なのだと私は思います。

上一宮大栗神社にも、真名井の水があります。

長い間、真名井の水は埋もれてどこにあったのかわからなくなっていたそうなのですが、
現在の宮司さんが、その場所を見つけ、今はこんこんと水が湧き出ています。

ということは、この水もまた、大宜都比売が大宜都比売になるために必要な水だったということに
なります。

こうして、ここに祀られていた姫は、
大宜都比売へとその姿を変えられてしまったのだと私は思います。

*上一宮大粟神社
*徳島県神山町
*大宜都比売

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拝殿
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本殿
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そしてこれが真名井の水
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真名井の水が復活したさいの記念碑。
この中に、とても重要な言葉があります。

「大宜都比売はこの大粟山に鎮座し、水の神とともに、
五穀豊穣を達成してきた。」

その水の神とは、
その力だけを差し上げた、姫の姿ことだと私は思います

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by ldc_nikki | 2012-07-28 00:51 | 徳島県 | Trackback | Comments(2)

こんばんは。

今日は、いよいよ上一宮大栗神社です。

今回、私が一番行きたかった場所。
そしてできることなら、宮司さんとお話をして帰りたいと願っていた場所です。

上一宮大栗神社は、
徳島県神山町、鮎喰川の上流、大粟山に鎮座し

「大宜都比売」を主祭神とする、大宜都比売の原点とも言える神社です。

もうここをご存知かと思いますが、
大宜都比売が一般的に言われている姿についてまずはお話したいと思います。

大宜都比売(オオゲツヒメ)の初出は、
古事記の中での伊邪那美神と伊弉諾神との国生みで、
二番目に生まれた島 

「伊予の二名島」 

今でいう四国の中の、一柱の女神でした。

四国は、身体が一つで顔が四つの神の島で、
その四つの顔にはそれぞれ名前が付けられていました。


☆ 愛比売(えひめ):伊予国
☆飯依比古(いひよりひこ):讃岐国
☆大宜都比売(おほげつひめ)阿波国
☆建依別(たけよりわけ):土佐国

ごらんのとおり、伊予国(愛媛)と阿波国(徳島)は姫神
そして、讃岐国(香川)と土佐国(高知)は男神です。

阿波の国、徳島県は、
オオゲツヒメという女神の国として誕生しました。

最初の国生み(大八島)の中で、比売の国として誕生したのは、
愛媛と徳島以外に、対馬、 別名は天之狭手依比売(あめのさでよりひめ)だけです。

これだけでも、
愛媛と徳島がいかに姫神と関係があるかをおわかりいただけると思います。

愛媛の女神、愛比売については、今回はあまり深くふれませんが、
徳島がオオゲツヒメという名前の女神の国となったのは、
この愛比売が深く関係しています。

オオゲツヒメについては、
多くの考え方がありますが、今日は私が思うオオゲツヒメを
お話したいと思います。

オオゲツヒメは、この国生み以外にも古事記の中でなぜか登場します。

伊邪那美神と伊弉諾神が国を生んだ後、
今度は多くの神々を誕生させますが、その中で、伊邪那美神が黄泉の国へと行く原因ともなる

「火之夜芸速男神またの名を、火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ」

が生まれる、一つ前に、(穀物や植物を掌る女神)として誕生しています。

最初の神を誕生させてから数を数えてみると
「12番目」の神として誕生していることがわかります。

この12番目というのにも意味があると思っていますが、
今回はこのお話には言及しないことにします。

12番目に誕生したオオゲツヒメは、この後再度古事記の中に登場します。

それがスサノオ命との場面です。

高天原で暴れて天照皇大神に追放されたスサノオが初めて出会うのが
オオゲツヒメです。
オオゲツヒメはスサノオに自分の鼻や口、尻から多くの食べ物を取り出して差し上げるのですが、
スサノオは、食物を穢して差し出したと怒り、切り殺してしまいます。
すると、殺されたオオゲツヒメの身体からさまざまなものが誕生します。
それは、頭から蚕、目から稲種、二つの耳から粟、
鼻から小豆、陰部から麦、尻から大豆でした。

オオゲツヒメは、これらのものを生んだ女神と
古事記の中では書かれてあります。

これは、古代の人々の死からの再生の意味を込めていると思われますが、
それだけでなく、ここにも姫の魂と関係があるのだと思います。

それはオオゲツヒメもまた、瀬織津姫の魂を根源に持ち、
その中の一部分の力を受けついだ女神とも言えるからです。

しかし、それは単に一部分の力を受け継いだだけでなく、
更にもっと、大きな役目があったようです。

太古の昔から、多くの民族が争いをおこなってきました。
自分たちが一番になりたいために、権力をえるために、
地球上に文明というものができてからずっとずっとその争いは続いてきました。

そして一つの国が亡び、新しい国が誕生し、新しい王が誕生してきました。
その度に、自分たちが国の始まりだということを証明するために、
多くの神話がつくられました。

そんな神話に共通する点が、
滅んだ側の神は、その力だけ利用され、新しい神へと姿を変え、名前を変え
更にその意味も書換えられてきました。

1300年前にこの日本で起こったことも
これと同じようなことです。

「土着の神」 と日本ではよく言われますが、
その土着の神こそ、日本がずっと信仰してきた本来の神でした。
しかし、その神は封印され、力だけを利用され、新しい神が誕生していったのです。

ここ伊予の国、愛媛では、
多くの神社の宮司さんが、この「土着の神」 の存在に気付いています。
でも、ほんとうについ最近まで、宮司さんであっても
神社の歴史を調べたり、神様のことを調べたり、
何かが変だと思っていても、口にすることさえできなかったといいます。

最近になってようやく、少しづつそのことにふれることができるように
なったと、何人もの方から聞いたことがあります。

ここ、上一宮大粟神社の宮司さんも、
私に同じようなことをおしゃっていました。
そして、このオオゲツヒメの本当の姿は、

「ただの食物の女神」ではないということも、気づいていらっしゃるようでした。

伊予国、愛媛県今治市大三島。

ここに鎮座される大山祇神社の祭神は、「大山積命」
しかし、ここに本来祀られていた神は、龍の姿をした姫神でした。

瀬織津姫は、日本全国、あらゆるところで
封印されてきましたが、その魂の中心が、
この大三島だったと私は思っています。

今だかつて、きっと、ここ大三島が姫の魂の中心だと言った人は
いないと思います。
でも、私は、姫の歴史をたどっていくと、やはりここ大三島に最終的に
もどってきてしまうのです。

そして、この神山町上一宮大粟神社も、原点は、大三島にあったことが
わかったのです。

今年発売された 「オオゲツヒメと倭国創生」 の中に、
上一宮大粟神社の社伝には、

「オオゲツヒメが伊予国、現在の愛媛県大三島から大粟山にきて降臨した」と
伝えるものがあります。

と書かれています。

この本の中では、このことは間違いだとしていますが、
私はこれが、本当の姿だと思います。

ここ大粟山に降臨した時の神の姿は、もちろん大山積神ではありません。
本来、大三島から大粟山へ降臨した神とは

「瀬織津姫」 のことです。

そして、大三島が、日本総鎮守の神として大山積神を祀り
姫の魂を封印した時、
ここ大粟山の姫は、 「オオゲツヒメ」という名前に変えられた。

どうして、ここを大山積神としなかったのか。

それには、わけがあります。
それぞれ別々の役目があったからです。

大山積神は、姫の中心を封印するための役目。
オオゲツヒメは、当時では税をお金ではなく 「米」でとっていたように、
「食物」は、今のお金と同じ意味をもっていたため、
姫を封印した一族が阿波に住み一番大事な 「米=権力」を得るために
必要な女神だったからです。

しかしそれだけではありません。
オオゲツヒメには、もう一つの姿がありました。

それが、「きつね」です。

大宜都比売(オオゲツヒメ)

「げつ」とは「けつ」のことで、昔きつねは「けつ」と呼ばれていました。

オオゲツヒメとは、オオ(きな)キツネ(の)ヒメだったのです。

稲荷神(稲の神・食物の神)が、龍からきつねに変えられたように、
キツネとは、龍(瀬織津姫)を封印したものだったのです。

「キツネは化ける」と言いますが、
キツネそのものが化けた姿だったのです。

姫を封印した一族の本当の都は徳島であり、
阿波の国は、姫を封印して新たな大和をつくった出発の地。

そして、伊邪那美神と伊弉諾神の国生みのさいに

「8番目」 に誕生した国は 「本州」

その名を、大倭豊秋津島(おほやまととよあきつしま)

別名 「天御虚空豊秋津根別(あまつみそらとよあきつねわけ)」としました。

「8」 という数字は、「7」で一つの世界が終わり、「8」で新たな世界が誕生することを
意味します。

一つの世界が終わり、新しい世は、本州
「天御虚空豊秋津根別(あまつみそらとよあきつねわけ)」で誕生したのです。

「あまつみそら とよあ きつねわけ」 とは、

天に何もなくなった空の国、その「豊(とよ)」は、きつねわけの国。

「オオゲツヒメ(きつね)の国=阿波の国」からわけてできた国だったということです。

これは、徳島のある家系に決して知られることのないようにと
口伝で伝えられた

「きつねとたぬきの子守唄」にも、 

この意味が書かれてあります。

そして、空海が四国より追い出したとされるきつねとは、

「黄金の狐」 

それは、大きな狐ではなく、キツネに姿を変えられた姫
瀬織津姫のことを意味し、
黄金のキツネとして、封印された姫を四国から外へと助け出し、
時がくるまで連れ出したのではないかと思います。

そして、そのきつねは

「鉄の橋が四国にかかった時に、もどってくる」と予言のような言葉を残した。

また、上一宮大粟神社の言い伝えには、

「倭が危機に陥った時、この黄金のきつねが帰ってくる」と伝えられているのです。

(続く・・・・・・)

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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2012-07-25 00:58 | 徳島県 | Trackback | Comments(0)

こんばんは。

今日は、前回の続き徳島のお話です。

前回は四国八十八か所の焼山寺のお話でしたが、
今回も、この焼山寺にも関係するもう一つの小さなお寺のお話です。

四国八十八か所。
今は、まるで観光地のようにバスで多くの人が訪れますが、
このお遍路さんがどうして始まったかという歴史を
ご存知でしょうか。

ずっとブログをご覧になっていらしゃる皆様は、
もうお読み頂いていると思います、愛媛県松山市にあるお寺

「文殊院」

ここが、お遍路さんの発祥の地と言われています。
このお寺は、お遍路さんの発祥の地なのですが、
八十八か所の中には含まれません。
ですから行ったことがないかたも多いかもしれません。

ここには、お遍路さんの始まりの伝説が残っています。
少し長いお話になりますので、
まだお読みくださっていない方は、
こちらもぜひお読みください。


「文殊寺」四国八十八ヶ所と「かごめかごめ」の本当の意味


ここにも書かれていますように、
八十八か所は、一人の男から始まりました。

伊予の国、、伊予の国荏原の庄の長者 「河野衛門三郎」

お大師さまは、衛門三郎の門前で托鉢の修行を、数回、7日間行いましたが欲深い衛門三郎は、追い帰してしまいました。

それが元で、衛門三郎の子供たち
「男の子5人と女の子3人」は

「八日間」の間に次々と亡くなってしまいました。

文殊院のお話の時にも、書きましたが、
この伝説の中にも、数々の暗号が隠されています。
三島明神の物語やこの衛門三郎のお話は、そのまま読んでもその意味はわかりにくいですが、
よ~く読むと、それらは同じことを根源にもっているお話だということがわかります。

またこの衛門三郎の物語の子供も、あの天照皇大神と素戔嗚命の誓約の時に誕生した
神々と同じように、「8人」の子供がおり、その子供たちは

「男の子5人女の子3人」 

五男三女神と同じです。

そして、衛門三郎の名前は 「河野」
河野家に繋がるとお話なのです。

衛門三郎は、自ら犯した罪を懺悔するために、弘法大師が置いた88のお寺を回り始めます。

20回まわっても、弘法大師に会うことはできず、
21回目は反対からまわりました。

衛門三郎はとうとうこの地、徳島県神山町の焼山寺の麓で力つき
動けなくなったその時、弘法大師が目の前に現れたのです。

そして、弘法大師に自らの過ちを懺悔しました。

ここ徳島県神山町は、
衛門三郎がなくなる直前、弘法大師と出会うことができその罪を懺悔することが
できた場所だったのです。

河野家は、ご存知のとおり、越智家の子孫、
三島明神を祀る、伊予の国の豪族。

河野家は、
なぜ越智という名前を、河野に変えたのか今もその謎はわかっていません。

一つだけはっきりしていることは、
姫の封印に深く関わった越智家の子孫であるということです。

養子として越智の姓になった 越智玉澄の子孫なのか、
本来の小千家の子孫なのか、
衛門三郎がそのどちらをさしているのか、それはまだはっきりとはわかりませんが、
どちらにしても、姫の封印に手を貸してしまった越智家の祖であったことは
間違いないかもしれません。

姫の封印から、
約100年後。

824年、衛門三郎は弘法大師に懺悔するために旅を始めました。

そして、
832年、この地で息を引き取る寸前に、やっと弘法大師に出会えたのです。

そして、この物語の最後に書かれてあるように同じ年の
832年、河野息利の子が「衛門三郎再生」と書かれた石を握りしめて誕生しました。

生まれ変わった河野家です。

現在の松山市道後公園は、湯月城という河野家のお城があったことで有名ですが、
このお城が立ったとされるよりもずっと前に、
この地には、河野家が住んでいました。

そして、その河野息利の子は、弘法大師に懺悔をして生まれ変わった子供でした。

この頃から河野家は同じ一族の中で、大きく二つに分かれて
争いが起こり始めました。
その争いに巻き込まれた人物が、大山祇神社に宝篋印塔を置いた一遍上人です。

私はこの衛門三郎の伝説は、姫の封印に気付いた河野家の一人が、
その心を改め、生まれ変わったことを意味しているのではないかと思っています。

衛門三郎が住んでいたとされる場所は、
姫の封印と関わる重要な地域であることは以前もお話しました。
そこに住む衛門三郎が、四国八十八か所のお遍路さんの先駆けとなった人物であったことは、
弘法大師が姫の魂を鎮めるために八十八か所にお寺を置いたことと繋がっているのです。

21回という数字は、願いを聞き届けていただくために、祈願をする日の数と同じ。

衛門三郎は、自らのまた自らの祖先の過ちを詫びるために、
姫の封印のお寺を21回まわり続けました。
そして満願の日。 21回目にしてその願いは通じ、弘法大師に出会うことができ
生まれ変わることができた河野家は、それから再度姫を祀るようになったのです。

それは、表向きには姫とわからないように。

そして、河野家が滅びる時、
湯月城に棲む大蛇の尾がとどいていたとするお寺「義安寺」の泉の水を飲み、

「この後、決して二君に仕えないことを約束し、自刃したといいます。」

それは、どんなことがあっても、もう二度と一族の本来の祖に反するものに
仕えないという約束だったのではないでしょうか。

そして、ここ徳島県神山町は、女神を封印した一族の高天原。

衛門三郎の物語は、この地が姫が封印され岩戸が開かれた
場所だということを、伝えたかったのではないかと思うのです。
そして、養子に入った越智玉澄の家来として仕えることを選んでしまった
本来の小千家の子孫、河野家が選んでしまった道を詫びたかったのではないかと思うのです。

ここ神山は、伊予の国から最初に祀られた姫の場所、
「大宜都比売(おおげつひめ) = オオケツ=おおきづね」の姫 
(大きな狐にその姿を変えられた姫)」がいる場所。

ここ神山は、
神山の麓、板野に本拠地を構え奈良に移る前までこの地でその勢力を拡大し
この地で藤原京をつくり新しい世の中に変えようとした一族が
「高天原」とした

「天狗の帰る場所」、「黄金の狐が帰ってくる場所」、
姫が黄金の狐にその姿を変えられ、
本土へと渡っていった場所。

国生みで

「8番目 (古いものが終わり新しいものが始まる場所)」 

に誕生した、「大倭豊秋津島」 

別名 「天御虚空豊秋津根別(あまつみそらとよあ きつねわけ)」

現在の本土は、
何もない 「空(から)」の国。
大宜都の根別の国 

「天御虚空豊秋津根別」 

黄金の狐に変えられた女神は、
倭が危機に陥った時、海を渡って帰ってくる。

瀬戸内海に、鉄の橋がかかった時、
狐の姿に変えられた本当の女神は、

ここ、伊予之二名島へ帰ってくると言った空海の言葉が
今現実になろうとしているのかもしれません。

*杖杉庵
*徳島県神山町

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by ldc_nikki | 2012-07-22 02:14 | 徳島県 | Trackback | Comments(2)

こんばんは。

今日から徳島のお話にはいります。
今回私がまず選んだ場所は、「神山町」 

神山町は、徳島市から車で50分ほど行った山の中、
徳島県の北東部にあります。
徳島では、高天原と言われるこの町には、
多くの古代の謎が隠されています。

神山という名前の町になったのは、
1955年。
それまでは、阿野村、神領村、下分上山村、上分上山村、鬼籠野村という
5つの村に分かれていました。

今回は残念ながら行くことができませんでしたが、
この中の鬼籠野村が、先日ヤマタノオロチのところでご紹介した村です。

今回は、神山町を中心に、6箇所行ってきました。
徳島のお話はこの6箇所から始めたいと思います。

まず最初に向かったのは、

四国八十八か所
第12番札所 摩廬山 正寿院 焼山寺

ご本尊は、虚空蔵菩薩。

このお寺は、徳島の中でも姫に通じるとても需要なお寺です。
そのことに気付いたのは、
次回詳しくお話する場所、杖杉庵の存在を知った時でした。

杖杉庵は、焼山寺と同じ山にあるお寺で、
四国八十八か所が今のようなお遍路さんの文化が誕生したことに
繋がるお寺です。

どうしてここが、お遍路さんの誕生とかかわりがあるのかは、
次回に詳しくお話しますが、
そのお話を抜きにして、この焼山寺は語れないほど、
重要な場所ですが、まずは、
焼山寺の由緒を、お話したいと思います。

焼山寺は、
焼山寺山は、標高938メートルの8合目近くあり、
八十八か所の中でも、2番目に高い山岳札所と言われます。

この山を最初に開いたのは、
やはり 「役行者」でした。

「役行者」とは、これまで何度もブログでお話してきましたが、
姫を封印するための中心人物の一人です。

役行者は、神々の住む山(龍)の住む山に、
蔵王権現を祀り神々を封印していきました。
石鎚山を筆頭に、多くの霊山には、天狗の伝説が残り、
天狗の名前が付けられていますが、
これは、役行者の分身でもあり、龍を封じ込めるために
つけられた名前でもあります。

天狗のお話をまだ読んでいない方は、ぜひそちらもお読みいただけたらと
思うのですが、天狗は、龍を食べる存在。
役行者もまた、龍を封印し消し去る存在。

どちらも同じ役目をもつものだったのです。

天狗が神のように崇められる場所もあれば、
悪のように書かれる場合もありますが、
これも、天狗にとっての敵と味方、双方から見た天狗の姿。
鬼のお話もそうでしたが、
ある人々にとっては善でも、ある人々にとっては悪というわけです。

古代の伝説の謎がとてもわかりにくいのは、
全く反対の立場の人間が、つくった物語だからなのだと私は思います。

そして、焼山寺のある焼山寺山の由緒は、
封印した側、役行者側の立場で書いているということを
頭において読んでみてください。

飛鳥時代に役行者が山をひらいて、蔵王権現を祀ったのですが、
この山には、神通力を持った大蛇が棲んでおり、
しばしば火を吐いて農作物や村人たちを襲っていました。

そして弘仁6年ころ、弘法大師がこの地にやってきました。

弘法大師が、一本杉で休んでいたところ、阿弥陀様があらわれた夢を見ました。

目を覚ますと目の前が火の海になっていました。
そこで麓の垢取川で身を清めて山に登りました。
すると、大蛇は全山を火の海にして妨害してきました。

弘法大師は「摩廬(水輪の意)の印いん」を結び、真言を唱えながら進みました。
そして大蛇は山頂近くの岩窟で姿をあらわしたのです。

大師は一心に祈願し、虚空蔵菩薩の御加護のもと
大蛇を岩窟に封じ込めたといいます。

そしてその時、この岩頭に
自ら三面大黒天を刻み安置し被害を受けていた民家の大衆安楽、五穀豊穣を祈りました。

これが、
焼山寺の由緒です。

四国八十八か所にはこのように、多くの伝説が残っていますが、

「大蛇が山を火の海にしたなんて、あるわけない。」

普通はそんな風に考えてしまいますよね。
だから、こうした由緒がどうしてつくられたかなんてことは
今まで、深く追求されることはありませんでした。

四国には、大蛇の山が沢山あって、
悪いことばかりして、蛇は嫌われもの? 

と思ってしまいますが、
この大蛇のお話があるところは、ほとんどが姫と関係のあるところと言っても
いいと思っています。

神山町は、古代、
まだ仏が祀られる前、役行者がここを封印するまでは、
姫を祀っていた場所でした。

姫を祀るところは、本当に沢山あり、
よく土着神という言葉を目にしますが、この土着神も本来の倭の人々が
縄文時代から祀り続けていた、女神でした。

後ででてきます、徳島の一宮とされる神社が
そのことを伝えています。
この神社に本来祀られていた姫は、伊予の国から渡っていったのです。

大蛇が火の海としたのは、大蛇=悪とするためのにつくられたお話です。
姫神が、鬼神になった姿です。

この当時起こった天災や、厄病は、
封印された姫の祟りによっておこされたと考えられていました。
ここで火の海とした大蛇も、姫の怒りの姿として現され、
女神を悪とするために、人々に言い伝えられたものだったのです。

そして、空海がその魂を鎮めるために自らつくった

三面大黒天。

これは、姫を意味するものでした。

空海は、姫の存在を知り、姫が封印された場所を
一つ一つ訪れます。(本来は、お弟子さんも含まれていたと思いますが)
そして姫の魂を鎮めようとしていったのです。
またもしかしたら、後世に姫の存在を残すために自らの跡を
残していったのかもしれません。

三目大黒天は、
中央が大黒天、右面が毘沙門天、
そして左面が弁財天の像。

大黒天は、ニギハヤヒの封印された姿でもあります。
そして毘沙門天は、鬼の上にのった姿で現されているように、
密教ではとても重要な仏の一つ。
そして、弁財天は、封印された女神の姿です。

宮島の厳島神社のイチキシマヒメが、弁財天とされることと同じです。

古代の女神は、
三つの顔で表されるとお話しました。

しかし、本来三つの顔、処女、母、老婆、の三つの姿また、女神が逆三角形として
あらわされた 「3」 。
それは、後に、男と女を含む3つの神の姿に変わったり、
男神だけの姿となったり、それぞれの宗教によってさまざまでした。

ですから、大黒天=オオクニヌシもまた根源にあるのは、
ニヒハヤヒという太陽の神を生んだ 「女神=瀬織津姫」 なのです。

女神信仰だった古代の人々が、太陽の神を信仰していなかったわけではありません。
女神信仰の一族は、太陽、そして星もまた、同じように神として
信仰していました。
どちらも大事だと考えていたからです。

でも、太陽を生んだその源もまた、 「命の女神」

ですから、ニギハヤヒという太陽の神の根源にもまた、女神の姿があり、
本来の倭が一番偉大な神として必ず祀っていたのが女神だったのです。

この三面大黒天は、そんな一つの女神からなる三つの顔を
あらわしています。

余談になりますが、
香川で有名なあの金比羅さんのオオクニヌシが、海上交通の神として、
愛媛の海運業者からも信仰されるのは、
根源に、女神(命と水の神)があったからなのです。

弘法大師が、これをつくったのは、
一つの顔に三つの面をもつ女神のことをいいたかったのだと思います。
そして、他の場所にはつくらず、ここにこの三面大黒天を置いたのは、
ここ神山が、徳島の中で姫の封印において特に重要な場所。
神山に太古の昔に姫が正式に祀られることになった場所でもあるからなのだと思います。

火の海にして抵抗をした 龍(女神)
でも空海は決して、女神を封印しようとしたのではないと私は思います。
空海は、いつかその姿がもう一度この世に復活する時がくるまで、
その魂を鎮めただけなのだと。

そして、その復活の時は、
四国と本土に、黄金の橋が架かる時から始まる。

三つの橋が繋がった
1999年。

この時から、少しづつ再生の方向へと動き始めています。

命の女神は、
再生復活の女神。 そのための膿が今出ているのかもしれません。

それでは、写真で神山町、焼山寺へ。。。

徳島で最初に目についた金長まんじゅう屋さん。
信号で止まった時、ふいに左をみたら、「金長」の文字が。。。。

金長とは、あの徳島県小松島に棲むと言われる 狸の名前です^^

この狸さんも、
姫の封印に関係のある狸さんなんですよ。

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途中、阿波から神山へ抜ける山道で、
弘法大師に出会いました。

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ここから焼山寺。

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そしてここに三面大黒天が祀られています。
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本堂の横には、神社があります。
十二社神社。 この神社の由緒はなくなってしまって今となっては
全くわからなくなっているそうです。
でもここも神仏習合の姿を今も残している一つ。
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そして、焼山寺からの神山の景色。
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この深い山の中で、
一つの大きな変革が起こったのです。

大河ドラマ 「平清盛」

清盛が生きた時代は、まだ女神の封印のことは忘れ去られてはいませんでした。
それどころか、女神の重要性が再認識された時代でもありました。

だからと言って、女神を復活させることは行われるはずもなく、
どんどん仏にすがる時代でした。

そんな中、清盛は、荒廃した広島県宮島にあった神社を、
再建しました。
清盛が、どうしてここに神社を再建しようとしたか。。。。

それも女神に関係があったと私は思います。
この女神の力を、清盛は知っていたのだと。

そしてその力を知ることになったと思われる大きな出来事が
この時代に起こりました。

清盛18歳。
西日本の各地で、昼もまるで夜のように真っ暗になり、
何日も雨が降り続きました。
朝廷は、雨が止むようにと祈り続けました。
そして、その願いが通じ、雨があがりました。
その願いが誰に聴きとられ、天変・異変に終止符を打ったのは
大三島に祀られる 「大山積神」でした。

そして、この時 大三島の大山積神の重要性を再認識した朝廷は、
現在のような形、
「本社に「雷神・高龗」を加えまつり、
三社をもって「本社」とするようにという「宣旨」があったのです。
それと同時に、
国中の神社の傍らに「神供寺」を設けさせたのです。

「三社を持って本社とする」

これは、三面大黒天、女神が三つの姿を持つことに繋がります。

そして、神供寺は、
大山積神によって封印された女神の魂を鎮めるために、
置かれたお寺です。

更に、この時、
大山祇神社には、神供寺のほかに「一于の堂」を建て、
そこに大通智勝仏の像を安置し、大山積神の本地仏としたのです。

どうして、大山祇神社のみに、
この時、本地仏を置いたのか。
それは、ここ大三島が女神が祀られる源だったからです。
そして、この大山祇神社に置かれた 「大通智勝仏の像」
が、隠された本当の女神の姿です。

それが、現在の東円坊におかれる
「大日如来の大通智勝仏の像」です。

伊予の国、大三島の大山祇神社が
日本の総氏神とされるのは、本来の女神が、
ここにいるかならなのです。
それを証明する日本にここだけにしかない仏の像。

大日如来の大通智勝仏の像です。




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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2012-07-18 23:49 | 徳島県 | Trackback | Comments(2)

徳島へ入る前に。 

こんばんは。

三連休、いかがお過ごしでしたでしょうか?
先週は、九州のあちこちで川が氾濫し、多くの方が犠牲となりました。
こころから、被害にあわれた皆様にお見舞いを申し上げ、
また、犠牲になられた皆様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

今日は、東京でさようなら原発のデモがありました。

昨年の震災を境に、日本は少しづつ変わろうとしているのかもしれません。
まるで、あの弥生時代に起こったことと同じように。

あの時代起こったことは、内容こそ違いますが、
根本には同じものがあったと私は思っています。

命を一番大切に考える人たちと、
権力や財力を一番に考える人たちとの戦いです。

平和を願い、女性たちが動き始めた弥生時代。
でも、1300年前、権力や財力を一番に考える人たちに
負けてしまいました。
あの時から始まった、私利私欲の世界の始まり。

武士も、自分が一番になりたいために争いを続け、
将軍になることを考え、強いものが世の中を制するという時代が続きました。
我が子を将軍にするため、我が子を頂点にたたせるために、
同じ一族の中でさえも争いが続きました。

そして、日本の中での争いがなくなった明治時代以降、
今度は、世界と戦いを始めました。
多くの人々が、戦争の犠牲になりました。

そして、第二次世界大戦が終わり、世の中は一見平和になったかのように見える
今の時代。
しかし、今も多くの人々が私利私欲で動き、力のあるものが全てを決め動かし、
お金という魔物に取りつかれ、お金がない人たちはまるで、全て終わったかのように、
自ら命を落とす。
子供たちもまた、自分が上にたちたいために、誰かを標的にして仲間を集める。
いじめは限度を越し、子供たちまでもが、未来に希望を見ることができず命を絶つ。
原子力という、お金の魔物が、気がつけば日本中を覆い、
まるで爆弾を抱えた国となってしまいました。

私は思うのです。
弥生時代に始まり、1300年前にこの国が選んだ道によって、
いつまでも同じことの繰り返しをしているだけなんじゃないかと。
経済が発展し、世の中は便利になったけれど
何も変わっていない。
それどころか、とうとう、地球そのものを壊しかねない最悪の状態を
今迎えているのではないかと。

「命」
地球上にある全ての命を守るために、
今、私たちは本当に気づかないといけない時なのだと思います。

いよいよ徳島のお話に入りますが、その前にここに書いておきたいことがあります。
まだまだ徳島へ入ったばかりで、100%私の考えがあっているとも思いません。
でも、姫に出会って3年。
徳島に入るために、多くの準備をしてきました。
だから、全く間違っているとも思いません。

徳島と愛媛の関係は、
1300年前の大きな鍵を握ります。

今まで、多分誰ひとりとしてまともにその話を読み解こうとした人はいなかった、

「三島明神のもう一つの誕生物語」

私が初めて、徳島と愛媛の関係を知ったのが、
この物語でした。

初めてこの物語を読んだ時は、全くの空想の物語かと私も思いました。
でも、この物語には、河野家が必死で伝えようとした多くの秘密があることが
時がたつごとにわかってきました。

そして決定的だったのが、
三島明神の子供が、「鷲」に連れ去れた場所が

「徳島県板野」だとわかり、それと時を同じくして、
この板野が、藤原家(中臣家)の本拠地だったということがわかった時でした。

また、愛媛と徳島の境目にある山々には、
今も、大蛇の伝説、鬼の伝説、三途の川の入口の山があります。

大蛇、鬼、これはどちらももちろん姫のことをさしていますが、
何より決定的なのが、三途の川の老婆です。
空海は、瀬織津姫のことを、「三途の川の入口にいる老婆」 だと言いました。

その三途の川とは、
徳島への入口。

そしてここは、三島明神誕生の物語で、三島明神が週十年間、身を隠した
「白人城」がある場所でもあります。

そしてとうとう姫は、徳島に本拠地を構える一族によって、
黄泉の国また、三途の川また、死者の国の女神とされ、
そして封印されてしまったのです。

もちろん、徳島にも姫を祀る一族はいました。
徳島全部が、姫を封印しようとしたわけではありません。
でも、徳島にその本拠地を構えていた一族、また、それに見方した一族は、
その多くが徳島にいました。

また、阿波国(徳島)の一宮は、
三島明神の子供が連れ去れた場所で
養父となった

「頼藤右衛門」が祀られていると書かれてあり

また、讃岐国(香川)の一宮は、
三島明神の子供が連れ去られた所で、乳母となった

「高倉の蔵人の妻」が修行をつんで現れた神だと言います。

讃岐の一宮は、香川県高松市の田村神社。
モモソヒメを祀る神社。

そして阿波国一宮は、
中世以降のことをあらわしているなら、「大麻比古神社」
それ以前ならば、「上一宮大栗神社」または、「天石門別八倉比売神社」

三島明神の物語は、
単に、空想の世界でなく、これ以外にも実際の地名、事柄を
ほんの少しだけわからないように書かれてあるだけで、
河野家の秘伝として、後世に伝えようとした物語だったのです。

古事記に書かれてある舞台が徳島だと、
今その真相が明らかになろうとしています。

そしてそれは、古事記を書いた人々が、徳島にいたことを意味し、
それと同時に姫を封印した人々だったこともあきらかになっていくと私は思っています。

徳島へ入る直前に、
不思議と徳島とのご縁が増えたことも、
私は、何かが導いてくれているように感じます。

古事記終焉から今年でちょうど1300年。

大きな節目、
この年に、こんな風な流になることも、何か不思議な力が働いているのではと
思えてなりません。

しかし、この問題は、どちらがよくとどちらが悪いという問題ではなく、
どちらが正しいという問題でもなく。

本当のことを知ることに意味があるのだと私は思っています。
そして、何度も言ってしまいますが、
一人でも多くの人が、正しい歴史の中から、新たな未来の生き方を見つけてくださるように。

私は、自分のためでも、ただ歴史の真実が知りたいだけでもなく、
姫を封印した人々を見つけ出すことが目的でもなく、
真実から、新しい未来を生み出さないといけないと
この世界は本当によくはならないと。

歴史の真実が見えるほどに、
強く思うようになってきました。

今、原発反対のデモの記事のところに書かれてあるコメントを
少し読んでいました。
まだまだ、原発がなければ経済が・・・。
という人が多いことに驚きました。

私は今の世の中が貧困の差がどんどん広がっていくのは
経済のせいだけではないと思います。
みんなで、分け合うということができなくなっているのです。
また、電力会社にしても、その他、政治、経済がどれだけ、私利私欲で
動いているのか。。。。。
また、力のあるものが優先される、矛盾したしくみ。
また、人より会社を大きくすることを考えているのが今の世の中です。

そんなことは、私たちの周りで日常ふつうに行われているのです。

そしてそれが間違っているという人たちは、
どんどん潰されていってしまいます。

いくら経済がよくなろうと、会社が大きくなろうと、
今のままでは働く人たちの状況は何一つ変わりません。

人間の心に、問題があるからです。

いつまでもたっても、きっと心が変わらなければ、
何も変わらないと。

でも心を変えることは本当に難しいことで、
私がこうして言ったところで、変わることはないのかもしれません。
それでも、矛盾した世の中が、ずっと続いてきたということを
伝えることしか今の私にはできることがありません。

徳島のお話に入る前に、どうしてもこのことを書いておきたいと思い
今日は、こんなお話になってしまいました。

徳島のお話を、私の考えるままに書くために、
どうしてこれを書いているかを知っていただきたかった。
決して、どちらが悪い、どちらが良い、という考えで、
判断しないように、心からお願いいたします。

一緒に、これからの未来をどう生きたら一番いいのかを、
この歴史から見つけていってほしいと願います。




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by ldc_nikki | 2012-07-16 23:40 | 徳島県 | Trackback | Comments(0)

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