<   2011年 01月 ( 21 )   > この月の画像一覧

こんばんは。
週末は、またまた忙しくて、更新できませんでした。

でも、以前少しだけお話した、
「新しい姫の人形ストラップ」

の試作品が完成しました!
ストラップにするには、もう少し素材を変えないと
いけないと思うのですが、
とりあえず、こんな感じで作ってみようかと思っています。

そして、まずは、
お守りのような袋に入れてみようかな。と。

小さな 「瀬織津姫」です。
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今日は、先週の続き
宇和島市三間町にある、四国八十八ヶ所
第42番札所 一カ山 毘盧舎那院 仏木寺です。

41番、龍光寺からすぐのところにある
仏木寺。

大同2年のころ、
弘法大師はこの地で牛を引く老人と出会いました。

誘われるまま牛の背に乗って歩いていくと、
楠の大樹の梢に一つの宝珠がかかって、
光を放っているのを目にしたのです。

よく見ると、これは弘法大師が、唐から帰朝するときに、
有縁の地が選ばれるようにと、
三鈷とともに東方に向かって投げた宝珠でした。

弘法大師は、
「この地こそ霊地である」と、堂宇の建立を決心したと言われています。

自ら楠で大日如来像を彫造、
眉間に宝珠を埋めて白毫としました。
これを本尊として安置し、
「一山仏木寺」と名づけ、
草字体で書写した『般若心経』と『華厳経』一巻を奉納されたと伝えられます。

本尊の大日如来像は
鎌倉時代の墨書銘があり、像高1.2mの寄せ木造り。
この大日如来の像の背中に
大師作の小像が
胎内に納められている旨の墨書があるそうです。

本堂の裏には、
大きな楠があり、その楠が 大師が作った大日如来の木だと
伝わるそうです。
なんとも言えない、力強さと優しさを持つ
楠。
身も心を洗われるようです。

宗 派: 真言宗御室派
本 尊: 大日如来(伝弘法大師作)
開 基: 弘法大師
創 建: 大同2年(807)
真 言: おん あびらうけん ばざらだどばん
住 所: 愛媛県宇和島市三間町字則1683

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鐘楼堂
四国霊場では珍しい茅葺の屋根。
元禄時代(1688〜1704)に再建。
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弘法大師が、唐から帰朝するときに、
有縁の地が選ばれるようにと、
三鈷とともに東方に向かって投げた宝珠が
かかっていたと言われる、楠。

以前から、ずっと気になっていたお寺。
やっと 来ることが出来ました。
ここに、来させていただけたことに
心から感謝します。

「感謝」
誰かに何かをしてもらった時は、
感謝をします。
しかし、何もしてもらっていない相手、または、
目に見えないもの、また、直接的には接していない人には
現代の人々は、感謝をしなくなってしまったように思います。

まだ、私達が小さいころは、食事をする時
よくおばあちゃんに、このお米も、この野菜も、
お百姓さんんが 一生懸命作ったものなんだから
感謝して食べなさい。 と言われていました。
でも、最近はそんなことも聞かなくなりました。
お米や、野菜だけではありません。
食べるものはもちろん、着ている服も、朝の通勤の電車や車も、
朝起きてから、夜寝るまで、
いや24時間、 私達は、どこの誰かもわからない大勢の人達の
努力や、知恵、沢山の人達が、汗水たらして働いたおかげで
こうして、何不自由なく生活ができている。

そして、自然の恵み、地球上の全ての生物の循環があってこそ
生きていられる。
神社もお寺も、私は、全てのものへの感謝の気持ちを伝えます。

どれだけ、感謝しても足らないほどの
沢山のものに、支えられていることを、忘れてはいけないと
神社やお寺に行く度に、思うようになりました。

手を合わせる。

左手と右手を合わせる。

すると、不思議と感謝の気持ちが
湧き上がってくる。 そんな気がします。
今日も、一日、本当にありがとうございました。





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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-01-31 23:46 | 四国八十八カ所 | Trackback | Comments(0)

こんばんは。
今年は、新年早々、世界中で沢山の災害やテロ、
波乱の年明け。

日本でも、鳥インフルエンザに、
霧島山の噴火。
ニニギノミコトが、天孫降臨したと言われる、宮崎でのたくさんの災害。
ただの、自然災害なのでしょうが、
古代の人々なら、神々の怒りととらえたかもしれませんね。

丁度、斎明天皇亡くなった頃の時代、
日本中で、多くの自然災害が起きました。
大雨や疫病。 そして、九州での噴火。そして、噴火の数年後に
日本中が揺れたと言われる 東南海地震。
何だか、斎明天皇の頃の時代に、似ている気がするのは
私だけでしょうか。。。。。
瀬織津姫の姿が、少しづつ表に出始め、
人々に広がりつつあり、
また、斎明天皇の古墳が、証明されつつある。

何か、偶然ではないような気がしてしまうのは
ただの思いすごし 私の勝手な妄想?。。。。。。。

どうか、これ以上被害が増えませんように。
(合掌)

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今日は、昨日ご紹介した、宇和町から更に南
宇和島市三間町です。

平成の大合併までは、宇和島市ではなく
三間町という小さな町でした。
コスモスが有名で、私が選挙でここを訪れた時も
一度は丁度コスモスの時期で、畑が一面コスモスで埋めつくされ
それはそれは、綺麗な風景でした。

今回、三間町の景色を見た瞬間
やはり、最初に思い出した光景が、コスモス。

残念ながら、今はコスモスの時期ではないので
コスモス畑をご紹介することが出来ませんが、
いつか、ご紹介したいと思っています。

今日は、三間町の八十八ヶ所を紹介したいと思いますが、
その前に、旅に行くと、私も必ず立ち寄る 道の駅
「道の駅 みま コスモス館」 です。
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農作物、特産品の販売のほかに美術館、記念館、レストランなどの施設が併設されており、
三間の魅力をたっぷりと堪能することができます。

また、ここでレンタサイクルを借りることもでき、
一日中借りてもたったの300円。
少し暖かくなったら、自転車で探検もいいかもしれませんね。

では、四国八十八ヶ所 
第41番札所 稲荷山 護国院 龍光寺 
いなりざん ごこくいん りゅうこうじ   です。

*歴史・由来

龍光寺は、創建当時から、神仏習合のお寺でした。
八十八ヶ所のお寺ですが、
地元では、「三間のお稲荷さん」と呼ばれ、親しまれています。

その象徴ともいえるのが、
山門は鳥居。 まるで神社へ参拝に来たかのようです。
この鳥居をくぐると仁王像に代わる守護役・狛犬が迎えてくれます。
境内には狐とお地蔵さんの石像が仲良く並んでいて、
仏と神が同居しています。

大同2年、
弘法大師は、この地を訪れました。
その際、
稲束を背負ったひとりの白髪の老人があらわれて、

「われこの地に住み、法教を守護し、諸民を利益せん」
と告げて、忽然と姿を消しました。

大師は、この老翁が五穀大明神の化身であろうと悟り、
その明神を勧請して稲荷明神像を彫造し、堂宇を建てて安置し、
このとき、本地仏とする十一面観世音菩薩と
、脇侍として不動明王、
毘沙門天も造像して一緒に安置し、
「稲荷山龍光寺」と号して四国霊場の総鎮守の寺とされ、
開創したと伝えられます。

創建のころから、神仏習合のお寺
「稲荷寺」として信仰されていたのですが、
明治新政府の廃仏毀釈令により
旧の本堂は「稲荷社」となりました。

そして、新たに本堂が建立されて、
ここに稲荷の本地仏であった十一面観世音菩薩像が本尊として安置され、
その隣に弘法大師勧請の稲荷明神像も一緒に祀られて鎮座しています。

また、お寺の名前に因み、
この地方の庄屋が奉納したと伝わる、
「龍の目玉」
(直径10センチほどの黒石)が、
小さな祠にいれて本堂に祀られているそうです。

第41番札所 稲荷山 護国院 龍光寺 
いなりざん ごこくいん りゅうこうじ

宗 派: 真言宗御室派
本 尊: 十一面観世音菩薩
開 基: 弘法大師
創 建: 大同2年(807)
真 言: おん まか きゃろにきゃ そわか
住 所: 愛媛県宇和島市三間町大字戸雁173

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本堂
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大師堂
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稲荷社へ
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神仏習合。
古代の人々が、自然の全てのものに神が宿ると考え伝わる、日本の神々も
如来、菩薩、明王、仏教、密教としての仏の姿も、
全ては、同じと考えていた空海。
どれも否定することはなく、信仰していました。
それは、宇宙という、今もまだ解明することができない、
全ての母のようなエネルギーを、感じていたかもしれない。

そして、人の本当の姿、
人々が幸せになれる生き方を、ずっと探し、そんな世の中を
作っていきたかったのかもしれない。

でも、空海が望んだ世界とは、
全く違う方向に進んでいる今の世界、
忘れさられようとしている、人の心。
争い、憎しみ、恨み、
悪いものを、規制し、排除し、抹殺する。

本当の平和、本当の幸せな世界は、
一人一人の心を変えなければ、
一人一人の思考を変えなければ
やってくることはないのかもしれないと。。。。。。。。。。。。。。

永遠のテーマかもしれませんね。。。

今日も、こうして命があることに
心から感謝します。

ありがとうございました。




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愛姫伝神社・お寺・観光マップ


瀬織津姫
by ldc_nikki | 2011-01-27 23:23 | 愛媛県宇和島市三間町 | Trackback | Comments(0)

こんばんは。
インフルエンザが流行っていますが、
皆様、大丈夫ですか?

皆さんは、ふと何かが閃いたり、ふと頭の中に何かが浮かんで
きたりすることはありませんか?
それは、どんな時でしょう。
私は、特に多い場所があります。
それは、お風呂。
一人で、何も考えずお風呂に入っている時、
ふと、何かが浮かんでくることがあります。

いくら、考えても前に進まなかったり、
いい案が浮かばなかったりする時もあるのに、
何故か、何もない時に、ふと頭をよぎることがあります。

最近思うのです。
無理に、考えようとする時は、
きっと、まだその 「時」 ではないと。
そして、体や脳が、リラックスしている状態でないと、
浮かんでこないのではと。

だから、無理に考えようとせず、
浮かばない時は、考えるのをやめる。
そして、何かの準備が出き、時が来たら、
何も考えていない、リラックスした状態の時、
浮かんでくる。
そして、その浮かんできた言葉や、情景を
しっかりと自分で 意識して、忘れず、
後でもう一度、そのことを考え、次に繋げるヒントを
そこから見つける。

言葉で浮かんでくる時もあれば、
写真のように、絵で現れることもある。

皆さんも、きっと自分が気づいていないだけで、
言葉や、絵の閃きはきっと起こっているはず。
その閃きを、大事にすると新しい道がまたできるような気がします。

でも、もう一つ大切なことは、
そのためには、全く関係ないような 日々のなにげない生活や
目標に向かって、地道に努力する積み重ねの日々の中から
生まれてくる。
そんな風にも思います。

焦らず、小さな積み重ねを大事に、
そして、無理に考えようとせず、その時を待つ。
そして、次に進む準備と、心の用意が出来た時、
新しい光が、降りてくる、そんな気がします。。。。。。。

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今日は、愛姫伝としては 初めての地

「西予市 宇和町」 です。
愛媛県南予地方にある、宇和町は、
大洲市と 宇和島市の間にある、小さな町です。
大洲市や、宇和島市に比べると、
あまり知られていない町かもしれませんが、
「伊予の軽井沢」とも呼ばれる、
緑豊かな、美しい町です。

そして、宇和盆地には
約160基の古墳が確認されていて、
県下有数の古墳群集地帯でもあります。

そんな、宇和町に、やっと入ることが出来ました。
今治からは、少し遠いので、なかなか来ることが出来ませんでしたが
やっと、訪れることができ、私もとても嬉しかったです。

仕事では、何度も訪れている町ですが、
改めて、とてもいい所だと、今回行ってみて思いました。
今回は、そんな宇和町の、名水をご紹介します。

*日本の名水百選 幽玄の世界「観音水」

*アクセス
【 鉄道・バスでお越しの場合 】
■ JR予讃本線「卯之町駅」下車⇒野村方面へ車で20分

【 お車でお越しの場合 】
■ 西予宇和IC⇒野村方面へ車で15分

観音水は、
宇和町明間の深い山並なみの中にあります。
水量・水質は、日量8000トンと
透き通った美しい良質の水が、コンコンと湧き出ています。
水質は弱アルカリ、おいしい水、清い水、
天の水、霊水として崇められています。
夏は冷たく、冬は暖かい水。 

そんな、観音水は、ぽっかりとあいた鍾乳洞の入口から
涌き出ています。

天正時代の頃、
明間堂山城主兵頭藤右衛門一族の一人が、
京都清水に参拝しました。

満願の日に観世音の御姿を見、城に尊影を安置し、
観世音に「御利生に水を・・・。」と念じたところ
山の嶺から清水が湧き出した。といわれています。

観世音は、通称観音山(現在の城の森の下)の観音堂に安置され、
祭日に中山観音水御室へ移していたそうなのですが、
明治末期に焼失し、本尊は焼けてしまい、
観音堂跡地には参道石段、手水鉢だけが残されているそうです。

今も人々は、
神仏の水と崇め奉り、天の恵みに毎年8月10日を祭日と定めて
感謝の気持ちを表し、無病息災、五穀豊穣を祈念している神聖なところです。

また、夏には
『観音水そうめん流し』が行われ、
暑い夏を、ひんやりと癒してくれるそうです。

夏には、もう一度 ぜひ、訪れてみたいと思っています。

観音水へは、この川を渡って行きます。
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そして、山道をぐるぐると回りながら、上っていくと
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この日は、とても寒く
雪がまだ 残っていました。 洞窟まで行くことが出来なかったので
今度は、必ず洞窟まで、行きたいと思っています。

水は、そのまま飲料水として、飲むことが出来ます。
私も、もちろんその場で飲んでみました。
夏はとても冷たいそうなのですが、
この日は、外が寒かったせいか、暖かく感じました。
自然の 美しい水。
いつまでも、汚れることなく自然を守り続けてほしいですね。
そして、この水が絶えることなくいつまでも、
多くの人々の、命の水として、湧き続けますように。
(合掌)

今日も、ありがとうございました。
いやなことは、今日のシャワーと一緒に
洗い流して、また、明日
笑顔で。。。。。
お休みなさい☆




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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-01-26 22:35 | 愛媛県西予市宇和町 | Trackback | Comments(2)

こんばんは。
少し忙しくて、なかなか更新できませんでした。

今日は、あるセミナーに参加してきました。
いろいろ、ためになるお話を聞いたのですが、
なぜか、心に響いた言葉。

「継続」

地道に 続けることが大事。

自分の中では、いつもいい聞かせていることなのですが、
同じことを、毎日、毎日続けていて、
何の変化もなく、何の進展もない日々が続くと
人は、心が揺らいでしまうものですよね。
なんだか、
今の私に、まるで今日の講師の先生の声を借りて、

「続けなさい」

そう言っているように聞こえたのです。
セミナーが終わってからも、私の頭の中では、
「続けなさい」 のことばが リピートしています。

もし、今日のブログを見た方の中で、
何かを 諦めかけている人がいたら、

「継続 続けることが大事」 と神様からのメッセージかもしれません。

諦めることは、いつでもできる。
だから、もう少し頑張ってみよう。
そうすれば、その向こう側に、新しい扉が待っているかも。。。。。


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今日は、風早の地(北条)の 貴布祢神社です。

ずっと前から、何故か気になっていた神社の一つです。
風早平野の北側にそびえる恵良山、腰折山という、少し変わった形の山があります。
恵良山は烏帽子型、腰折山は文字通り腰が曲がったような姿。

神社は、この山々の麓にあります。
恵良山山頂の恵良山神社には、
白山権現が祀られ、古くから信仰されていた場所。
そして、山頂には河野氏が築いた恵良城跡があります。
恵良城は、平安時代末期に河野氏が築いたお城です。

白山権現が祀られているということは、
やはり、ここも瀬織津姫と とても深い関係にあるかもしれません。
というのも、白山信仰の秘伝書の中に、
「瀬織津比咩と云う神、苦業の因[もと]を救うべし」という文言があり、
また、大山積神の本地仏は大通智勝仏には、
出家前に十六の王子がいたとされ、大山祇神社の中の17社は、
このことが、起源ではないかと言われています。
そして、この十七社の中にいる、瀬織津姫は、
十六王子の中の、
十番めの王子で、
西方を守護する役目をもち、その仏徳は「度一切世間苦悩」。

小千氏族、そして、河野氏族は、
瀬織津姫を、祖神とし、表向きに言えないものの、ずっと
崇拝してきたのではないかと、最近、ますます思えてきました。

それでは、 神社の紹介です。

*貴布祢神社
*松山市下難波甲999
*祭神:高龗神(たかおかみのかみ)
*境内社:
 新田神杜(新出義貞公)
 三穂神社(事代主神)
*由緒
 弘仁年中、越智益水が川城国から諸神を勧請した。
 建武2年に赤橋重時が杜殿を焼失したのを正平年中に満良親王が再築、
 神領の地を献じられた。
 天授6年と明徳4年には、河野氏によって補修され、
 以来、河野氏、浅海氏、久留島氏等の崇敬が厚く、
 慶長年閉に加藤左馬介が杜殿改築、弘化4年松平定穀が杜殿を造営した。
 昭和17年杜殿移転増築、境内拡張、参道補設等の大改修を行った。
 (愛媛神社庁参照)

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この日も、不思議な空でした。
雲の下からは、海に向かって光が降り、
雲の上からは、空に向かって光がさしていました。
同じ空とは思えない写真です。

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先日、韓国(姫の故郷?)から、小さな姫がやってきました。
おみやげで、もらった小さな姫のストラップ。
その顔が、私の作っていた 姫の人形のそっくり。
見た瞬間、「姫!」 と。。。
そして、ずっと頭の中に思い描いていた、愛姫の携帯ストラップが
頭をよぎりました。

今日、材料を取り寄せて、
早速、届いたら、愛姫ストラップを作ってみようと思います。
きちんと出来上がりましたら、
ブログで紹介させて頂きます。

まずは、愛媛の女神
「愛姫(愛比売)」 を造ります。
どんな 姫ストラップになるか、私も楽しみです。

丁度一年前、
6人の友達の姫を造りました。
あれから、一年。
今度は、新しい姫です。

今日も、最後までありがとうございました。
明日も、素敵な一日になりますように☆
お休みなさい。



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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-01-25 22:47 | 愛媛県松山市北条 | Trackback | Comments(2)

こんばんは。
20日は、満月でした。

昨日は、昼から休暇をとり、南予へ。
そして、帰り道、ちょうど北条を通っている時でした。

高縄山の方を見ると、
大きくて、少しオレンジがかった、丸い月が
高縄山の山頂から まるで顔を出すように
光輝いていました。

本当に、美しい光景でした。
写真でとると、まるで、月が太陽のように燃えているように
写っていました。
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今日は、愛媛県大洲市長浜町です。

この日は、どこに行くか全く決まっていませんでした。
ただ、海に行きたい。

そう思いながら、双海の方へ車を走らせ、
そのまま、長浜の方へ行ってみようということになりました。

瀬織津姫を祀る 三島神社を過ぎ
更に、南へ海岸線をずっと走っていると、

「あれ 何?!」

岸から少し離れた場所にある、
大きな岩に、綱がかけられ、岩の上に赤い鳥居が。

すぐ車を止めて、
反対側の岩の方へ行ってみると、
小さな看板が、置かれていました。

なんと、そこは、
「越智玉澄公」由来の、場所だったのです。

そこは、「綱掛岩」 と呼ばれる場所でした。

天平12年(740) 9月、
九州大宰府の少貳(次官)藤原広嗣は、
朝廷に対し反乱を起こしました。
朝廷は大野東人を大将軍に任命し、17,000の兵を率いその反乱を鎮圧しました。

その際、伊予の国主越智玉澄も多くの兵を率い、
船を利用して筑前(福岡県北西部)を目指しました。

しかし、その途中大時化に遭い、
この浜辺に一時滞在することになったのです。
その時、船の艫綱(ともづな)を投げかけたこの岩を「綱掛岩」と伝称しているそうです。

上陸して三ツ岩の地に三島大明神の祠を建て、
海上安全と武運長久を祈願された後西国へくだられた。

そして、広嗣軍を征討した玉澄は、
帰路再びここに立ち寄り、嶺櫛生(現在の大峯)
に三島神社を建立したといわれています。
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越智玉澄と言えば、小千命の子孫で、河野氏族の祖。

こんな所で、越智玉澄氏由来の場所に出会えるなんて
びっくりでした。

白い波しぶきが、
三島神社が鎮座する、この岩に
何度も何度も 打ち寄せていました。

すぐ下の岩にも、白波がたち、
瀬戸内海とは違う、迫力ある光景。 
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岸側にも注連縄が。
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そして、綱賭け岩です。
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岩の上には、いくことが出来ないので
岸側から、参拝させて頂きました。
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波が打ち寄せる、
綱掛岩。海の安全を祈り、航海の無事を祈り、
今も変わらず、見守って下さっていました。

白い波と、キラキラ光る海。
本当に、美しい光景でした。
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車に乗る前に、ふと、道路の左下を
小さな海岸が。 こんな海岸で、出発までの時を過ごしたのかも
しれませんね。
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見事勝利し、この地へと帰ってきた玉澄公は、
嶺櫛生(現在の大峯)
に三島神社を建立しました。

そして、290年あまり前に現在の地に遷宮したと言われています。
その 三島神社は、大洲市長浜町櫛生の町の
高台にあります。

*三島神社

*祭神:
 大山積神(おほやまつみのかみ)
 雷公神(いかづちのかみ)
 高龗神(たかおかみのかみ

*境内社
 若宮神社

*祭礼
 3月22日 春祭
 7月 8日 夏越祭
10月第3日曜日 秋祭

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神社から 見る景色
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南予でも、越智玉澄公の名前が
こうして今も、伝えられて、なんだかとても嬉しい気持ちになりました。

これから、まだまだ、
愛媛を探訪しなきゃ。

帰り道。 肱川あらしが出る所を通ります。
まだ、見たことがない、肱川あらし、いつか必ず見てみたいです。

肱川河口
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そして、最後に
北条で 帰りにみた夕日です。
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今日も、ありがとうございました。
今日は、愛姫伝 第1章です。 
お休みなさい☆




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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-01-22 02:06 | 愛媛県大洲市 | Trackback | Comments(0)

こんばんは。
皆さんは、突然海を見たくなることはありますか?

最近は、山に行くことも多くなりましたが、
海のすぐ側で育った私は、
やはり、海に行くととても落ち着きます。

海を見ていると
いろんなものを、洗い流してくれるような気がします。

小さいころから、海が大好きで、
大人になっても、嫌なことがあると、
いつも海に行っていました。

でも、海まで、遠い方は、
なかなかいくことはできませんよね。。。

今日は、海の側の神社です。
画面からですが、海の香り、波の音が届きますように。。。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

*龍神社

今治市大西町九王にある、龍神社です。
通常、今治から松山に行く時には通らない道なので
少しわかりにくい場所かもしれません。

スサノオの伝説も残る
九王の海岸に、神社はあります。

細い道を海の方へ行くと
まず 海の中に鳥居が見えてきます。
そして、海岸沿いの細い道を、突き当たりまで行くと
神社はあります。

*主祭神

彦火火出見命(ひこほほでみのみこと)
高龗神(たかおかみのかみ)
闇龗神(くらおかみのかみ)
豊玉彦命(とよたまひこのみこと

*5月第3日曜日 例祭

*境内社
厳島神社

*由緒

龍神社は、神武天皇が御東征の際、
海上の風波があまりに激しいため
この場所に船を着けられ、
龍神を祭祀された霊跡と伝えられています。

また、
雨乞いの祈祷所として霊験著しく、
松山藩主より社殿の改築、神田の奉納。
又、代官所より、或は各庄屋より、
米穀、大幕などの奉納が度々あったそうです。

そして、ここ龍神社は
お祭りがとても有名で、 船の上での継ぎ獅子が行われます。

県無形文化財にもなっている
船上での継ぎ獅子。
継ぎ獅子とは、今治、特に、昔野間郡内だった地区で
古くから行われている神事で、
人が下の人の肩の上に次々と
乗り、一番上の小さな子どもが、肩にのったまま
舞を披露します。

少しでも、神様に近づきたい
そんな思いから、上へ上と、人を継いでいったそうです。

通常は、3継ぎが多いですが、
最高6継ぎまで、行われた時もあったそうです。

この継ぎ獅子が
こちらの神社では、船の上で行われます。

私もまだ、こちらの継ぎ獅子は見たことがないので
ぜひ一度みたいと思っています。

こちらの継ぎ獅子ではありませんが
野間神社で毎年行われている
継ぎ獅子の様子です。

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そしてここには、瀬織津姫の名前は
ありませんが、もしかしたら、ここも
最初は、瀬織津姫だったのかもしれない。

ただの、私の思いすごしかもしれませんが
初めてここを訪れた時も、そんな気がしました。

高龗神は、龍神と言われ、
また、瀬織津姫とも。。
そして、厳島神社の、イチキシマヒメも
瀬織津姫とも言われています。

スサノオが、船で今治についた場所も
この九王だという伝説が残っています。

姫も、きっとここに関わりがある。
そう、思っていたいです。

では、神社です。

静かな海の中に、鳥居はあります。
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遠くに見えるのは、島ではなく
今治の波方方面です。
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拝殿
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本殿
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この海に、船がついたのですね。
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海が透き通って とても綺麗でした。
いつまでも、この海を守りたいですね。
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ここから見る景色は
昔と変わらないのかな。。。。 そして、これからも、このままで。
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瀬戸内海の海は、
遠い遠い昔から、三島明神と言われる
龍神に守られてきました。

そして、三島明神は、瀬織津姫のことだったかもという説も。
この海は、今も姫が守ってくれている。 
私は、そう思いたいです。。。。

今日も、ありがとうございました。





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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-01-20 22:44 | 愛媛県今治市(旧大西町) | Trackback | Comments(5)

こんばんは。

早速ですが、
今日は、第57番札所 栄福寺をご紹介します。

栄福寺は、昨日紹介した 仙遊寺からすぐの所にあります。
お寺の裏山には、八幡神社。
この神社と、お寺は昔、一緒にありました。

瀬戸内海沿岸のこの近海では、
昔から、海難事故が絶えなかったそうです。

縁起によると、
嵯峨天皇(在位809〜23)の勅願により、
大師がこの地を巡教したのは弘仁年間でした。

大師は、内海の風波、海難の事故の平易を祈って、
府頭山の山頂で護摩供を修法されました。
満願の日、
風も波もおさまり、
海上には阿弥陀如来が、仮の姿で現れました。

この阿弥陀如来の尊像を
府頭山頂まで引き揚げて堂宇を建て、
本尊として安置したのが創建といわれています。

また、栄福寺には、
神仏混合の歴史もあり、
その由来は平安時代。

大和・大安寺の行教上人が
大分の宇佐八幡の霊告をうけて、
その分社を山城(京都)の男山八幡(石清水八幡)として創建するため、
近くの海を航行中に、暴風雨に遭い、この地に漂着しました。

ところが府頭山が、山城の男山と似ており、
しかも本尊の阿弥陀如来は、八幡大菩薩の本地仏でもあることから、
境内に八幡明神を勧請して社殿を造営、
神仏合体の勝岡八幡宮を創建したと伝えられています。

この八幡宮は「伊予の石清水八幡宮」とも呼ばれて今は
お寺とは別々になりましたが、人々に厚く信仰されています。

第57番札所 府頭山 無量寿院 栄福寺 
  (ふとうざん むりょうじゅいん えいふくじ)

宗 派: 高野山真言宗
本 尊: 阿弥陀如来
開 基: 弘法大師
創 建: 弘仁年間(810〜824)
真 言: おん あみりた ていせいから うん
住 所: 愛媛県今治市玉川町八幡甲200

鐘楼
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本堂
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大師堂
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薬師堂、金毘羅堂
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赤い帽子をかぶった お願い地蔵
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また、栄福寺には、
少年の箱車と言われるものがあります。

これは、足の不自由な15歳の少年が、
犬に引かせて巡礼した箱車で、
昭和8年にこの寺で足が治り、松葉杖とともに奉納したものだそうです。

栄福寺は、仙遊寺のような
華やかさはありませんが、とても心の落ち着くお寺でした。

そして、昔は同じ境内にあった神社へも
行ってみました。

*石清水八幡神社

*祭神:
品陀和気命(ほむだわけのみこと)
足仲彦命(たらしなかつひこのみこと)
息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)

*境内社
 杵築神社

河野家にも、縁の深い神社でした。


裏山の一番上に拝殿はあります。
車でも行くことが出来ますが、歩いて登ってみました。
深い山の中を通ります。

お寺の横にある 鳥居

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そして、上へ
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境内にあった記念碑
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拝殿
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本殿
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ここからも、今治を一望することが出来ました。
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神仏習合。
神も仏も、本当は一つ。

人間が、いろいろな姿に
変えてしまっているだけで、
本当は、一つなのだと。。

信仰することは、とても素晴らしいことだと。
でも、これでないといけない。
この宗派しか、信じない。

私は、ここに、疑問を感じます。

宗教で戦争をしたり、
意見の食い違いから、対立や争いが起こったり。

神様も仏様も、争いを起こすために、
存在するものではないのに。。。

どうかいつか、争いのない世界になりますように。。。

今日も、ありがとうございました。

今日の曲は、太陽です。

太陽は、いつも同じように
私達を照らしてくれている。
雨雲に、心が隠れた時、人はそのことを
忘れてしまうのかもしれない。。。

喜びも、悲しみも
全て自分が全て選び心に
招きいれている。

太陽は、いつもいつも、変わらず照らしてくれていることを
忘れずにいたい。。。。





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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-01-19 23:06 | 四国八十八カ所 | Trackback | Comments(0)

こんばんは。

毎日寒い日が続いていますね。
でも、先日、長浜の方面へ行く途中
菜の花が咲いているのを、見かけました。

春が一歩づつ 近づいてきているんですね。

所で、寒い日に食べたくなるもの。。。
いろいろありますが、最近、やみつきになっているものがあります。

いろんな呼び方があると思いますが
この辺では、

「たいこまんじゅう」

大判焼きともいいますね。
今日、仕事の帰りに、またまた 買ってしまいました。
今治に、とってもおいしいお店があるんですよ。

こちらです。

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昔から、変わらぬお店。
ちょっとレトロな感じが、大すきです。

もちろん お味も最高です。
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昨年、元サッカー日本代表の
岡田監督も、今治へお越しの際に
食べたそうです。
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値段は、たったの 80円。
今治へ起こしの際には、ぜひご賞味を。。

暖かい食べ物を食べて、
寒い冬を、元気に乗り越えましょう!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今日は、四国八十八ヶ所 仙遊寺です。

仙遊寺は、山号になっている作礼山の山頂近い標高300mの
高台にあります。
見晴らしは、最高で、
今治の市街はもちろんのこと、
瀬戸内海、しまなみ海道も一望できます。

創建は天智天皇(在位668〜71)の勅願により、
伊予の国主・越智守興公が堂宇を建立しました。

本尊の千手観音菩薩像は天皇の念持仏として、
海から上がってきた竜女が一刀三礼しながら彫って安置したとされる。

この竜女は、竜宮からやってきたと伝わっています。
また、伝説の竜女は海に帰ったが、
旧暦7月9日になると毎年川を上って
竜燈を境内の桜の木にかけたと伝わります。

養老年間(717~724年)、
阿坊仙人と称する僧がここで40年間七堂伽藍を整えるなどをしたが、
ある日雲のごとく姿を消してしまったそうです。
このことから仙遊寺という寺号が付いたといわれています。

その後、寺は荒れてしまったのですが、
弘法大師が四国霊場開創の折にこの寺で修法をされたとき、
病に苦しむ人々を救済しようと井戸を掘り、
また荒廃していた七堂伽藍を修復して再興したそうです。

この井戸は旧参道の脇に今も残っており、
「お加持の井戸」として多くの諸病を救ったと伝えられ、
現在も信仰されている。

車で行くと、
この井戸は見ることが出来ません。
途中、車を止めて、旧参道を歩くと
井戸はあります。
水を飲むことも出来ますので
ぜひ、飲んでみてください。

第58番札所 作礼山 千光院 仙遊寺 
   (されいざん せんこういん せんゆうじ)

宗 派: 高野山真言宗
本 尊: 千手観世音菩薩
開 基: 越智守興
創 建: 七世紀後半
真 言: おん ばざらたらま きりく
住 所: 愛媛県今治市玉川町別所甲483


旧参道へは、
ここから 行くことが出来ます。

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ここから、山道を歩きます。
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頑張って登ると、そこに。。

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そして、
一度、車に戻り、更に上へ。(そのまま、本堂へもいくことができます)

そして、一番上に お寺はあります。
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大師堂
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本堂
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そして、仙遊寺からの眺めです。
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ご本尊の、竜女が造ったとされる千手観世音は、
千手千眼観音菩薩といい、現在は、焼失してしまって
現在あるものは新しく作ったものだそうです。
竜宮から 来た竜女が、海から上がってきた川を
龍登川といいます。

千手観音菩薩、千手十一面観音菩薩は、
瀬織津姫の本地仏とも言われています。

竜宮からきた、竜女が瀬織津姫の本地仏を作りました。
瀬織津姫は、偉大な竜とも言われています。
不思議な繋がりを感じてしまします。

今日も、ありがとうございました。
今日の曲は、
沖縄の音楽の先生が、
いじめによる苦しみから自殺する子供達を愁い、­
子どもたちに歌を通して命の大切さを伝えようと、
作った曲だそうです。

億千万の星 巡って生まれた

つながってきた私のいのち

大切に守って明日へとつなごう

ひとりじゃないよ 私のいのち 

つながっているんだ 私の明日へ


 



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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-01-18 22:48 | 四国八十八カ所 | Trackback | Comments(2)

こんばんは。

今日は、阪神大震災が起こった日ですね。
もう17年も前のことなのに、
ついこの間のことのように思います。

大きな地震は、
いつ、どこで起きるかわかりません。

この日のことを
無駄にしないよう、 被害を最小限にするにはどうしたらいいかとか
地震や津波が起こった時 どうするか。
など、家族で話し合ってみるといいかもしれませんね。

地震で、家族を亡くされた方の心の傷は、
一生なくなることはないかもしれません。

でも、亡くなられた家族や友達の分まで
精一杯生きていってほしい、そう思います。

(合掌)


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今日も、前回に引き続き朝倉の神社をご紹介します。

「矢矧神社」

今回ご紹介する神社も、
小千氏、斉明天皇、河野氏と深い関わりのある神社です。

住古、朝倉宗廟本社と号し、
小千命の長子であった、
天狭貫王の廟として祀られていました。

斉明天皇が、朝倉の行司原へ行幸され、661年正月~3月まで滞在し、
征西のための準備をされた時、おひまを見て、
この朝倉惣廟八幡大明神にお参りなされ、矢番大明神社へ、戦勝
の御祈願をするとともに、征韓戦勝の神、仲哀天皇、神功皇后、応神天皇の霊を合祀して、
八幡宮の号を賜り、これより朝倉宮と言っていましたが、
後世清和天皇の御代になって、「朝倉宗廟八幡宮」と改名されました。

矢矧八幡は、
大浜八幡神社、鴨部八幡神社とともに
高縄山城主河野氏の祈願とされていました。

毎年8月15日には、御旅所、朝倉本郷の本堂寺から、
第二の御旅所、鴨部郷與和木の重茂山に
矢矧八幡、大浜八幡、鴨部八幡の越智郡内の三社の神輿を集合し、
夜を徹しての神事・神楽の行事の後、
翌8月16日高縄に向かい。
8月17日に高縄山城での大祭式典を執行したといわれています。

大浜八幡神社は、私の始まりの神社でもある 小千命の発祥の地と
言われる神社、
鴨部八幡神社は、鉄人伝説の、小千益躬を祀る神社。
どちらも、ブログで紹介していますので
まだの方は、ご覧下さい。


この三体の神輿渡御のすべての指図は、大山積の神の地御前として尊崇されている
別宮大山積神社の神官にして、小千氏の一族である、

「小千今波羅太夫信澄」からその子々孫々の者が司っていたといいます。

今の「今治」のことが、「今波羅」という字で、初めて出現したのですが、
これより後、小千郡のことを今波羅=今張というと記されているそうです。

今治という名前のもとは、
小千氏の一族の名前からきていたんですね。

でも、大浜八幡神社と、この矢矧神社、
そして、昨年末紹介した、鴨部八幡神社の神輿が
高縄山へと 行っていたということには驚きました。

この神事を、もう一度再現できたらいいのに。。。。。
なんて、思ってしまいました。

*矢矧神社(今治市朝倉北甲42番地)

(主祭神) 天峡貫王(あまさぬきのおう)・
       誉田別命(ほむだわけのみこと)・武内宿禰(たけうちのすくね)

(配神)日本武尊、 仲衷天皇、 神功皇后、

(境内社)日吉神社(大山咋命) 
        杵築神社(大穴牟遅命) 
        山神社(大山積命)
        平林山神社(大山積命)
    荒気神社(橘参河守)


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朝倉の 矢矧神社 でした。

昨年、美空ひばりさんがデビューする前に、日本一の歌手にして下さい。と祈願した
日本一の 大杉に行ってきましたが、
ひばりさんの晩年の歌、声は、
心の中に、す~っと溶け込むように
入ってきます。

また、明日から 頑張ろう。

そんな気持ちにさせてくれる気がします。

生きているといろんなことがあります。
でも、いつも、どんな時も
本当は、沢山の愛で包まれているのかもしれません。

人は、どうして悲しいのでしょうか。
人は、どうして苦しいのでしょうか。

それは、目の前に起こっていることが悲しいのではなく
苦しいのではなく、思い通りにならない心が
悲しく、苦しい。

でも、感情があるから人間で、
悲しい心があるから、 嬉しい心もある。

人生は、両方あるから、人生なのかもしれない。
そして、嬉しいときだけでなく、 悲しいときも、苦しいときも、
愛で包まれているということを、忘れないで。。。。。。

今日も、ありがとうございました。
寒い日が続きますが、どうかお体に気をつけて。。。
おやすみなさい。


 


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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-01-17 23:09 | 愛媛県今治市(旧朝倉) | Trackback | Comments(2)

こんばんは。
昨日は、次の動画に使う歌を録音してきました。

今回も、3曲録音してきたので、
これから、愛姫伝第5章を作りたいと思っています。

出来次第、
ユーチューブへアップしたいと思います。
また、ブログでも
ご紹介したいと思いますので、
よかったらご覧下さい。

では、今日は早速ですが
神社と、朝倉に残る、姫のお話です。

今治市朝倉。(今大活躍中の、スーパーフライの越智しほさんの出身地です)
朝倉は、今までも、何度かご紹介しましたが
今治の東の端の町、
600年ごろは、この朝倉が、今治の中心として
栄えていました。

しかし、
684年に起きた、今でいう 東南海地震により
朝倉は、壊滅的な被害を受け、
中心地を移動することになりました。

今日のお話は、その地震が起きる少し前の
この地方に伝わる、姫の物語です。

*夏姫物語

ちょうど、斉明天皇の頃、
夏姫という、美しい娘がいました。
夏姫は、車無寺(天皇の御祈願の寺)建立の時の、
普請奉行の姉でした。

当時は、地方の郡司以下の地方豪族の子女の中から、
みめうるわしく健康な女性を選抜して、朝廷に
差出して、朝廷の御手伝いを、させていました。
(この地方豪族の女の中から差出され、朝廷の雑用に奉仕
する女性のことを、「釆女(うねめ)」と呼んでいました。)

夏姫は、小千郡から、飛鳥朝廷に差出された釆女でした。
年齢は18歳の絶世の美人だったそうです。

斉明天皇からの御信頼と、御寵愛が深く、
征西のため、朝倉行司原の行在所行幸にも、
お傍近く奉仕して、かいがいしく、こまめに立ちはたらいていたので、
病身がちな天皇は、片時もおそばを離しませんでした。

そんな夏姫に、
同じふるさとであり、互いに父祖の間に親交のあった、
伊予の大領、小千守興(オチモリオキ)は、
早くから、好意を寄せていました。

(小千守興は、小千命の子孫であり、後の河野氏になる、河野玉澄の父)

そして、夏姫も、
武骨で、素朴な一面ももった、男性的な守興に、
心の中にほのぼのとした僧からね感情を抱いていました。
そして、守興・夏姫の、自然のなり行きのように、
どちらかともなく、接近し、若い二人の楽しい語らいが、屯
田川の堤や、行宮の物蔭でささやかれるようになりました。

そんな幸せな日々も、長くは続かず、
間もなくして、小千守興は、伊予の兵士、五千名を引具して、
征西軍の先鋒として、征途につきました。

夏姫が、身の変調に気ずいたのは、
守興が出帆して間もなくの事でした。

斉明天皇は、御自分の寵愛する夏姫の身の
上を御心配なされ、
白地の奥に、夏姫の居館を新築して、そこを産月館(うめかつきやかた)として、
その御館を中心にして、たくさんの屋敷を作り、
夏姫の出産やその他に奉仕する召仕いを住まわしました。

(世の人はこれを召仕屋敷といった。
また、この産ヶ月館・召仕屋敷の附近を総称して、乳母が原と呼んでいる)

夏姫は、斉明天皇のおそばを離れ、
産が月の館にうつって、ひらすら、守興との愛の結晶の出産を待っていました。

そのうちに、月みちて、めでたく男の子を出産しました。
斉明天皇は、この子の父は、国のために外地にいるうえに、
母夏姫は産後の日たちのはかばかしくないことを、
大へんあわれに思われ、
この夏姫が出生した男の子を、
斉明天皇の御猶子となされ、皇子として、小千皇子とお呼びし、
両足山天皇院車無寺に、安らかな御生育を祈願されました。

そのことから、
両足山安養院車無寺と呼ぶことにして、
ひたすら小千皇子の御成長を祈願されました。

夏姫は、早く斉明天皇お傍近く奉仕できる日がこないかと、
待ちわびていました。

しかし、産後の日立ちがはかばかしくない上に、
小千守興の身の上や、百済での、日本軍報など御心労が重なり、
とうとう、小千皇子の安らかな御成長を願い、
守興の武運長久を念じつつ、
遠い死出の旅路についたてしまいました。

それから、幾ばくもなく、
小千皇子も、車無寺の案養の祈願も空しく、
御母君である、夏姫のあとを追うように、
乳母が原にてはかなく幼い生命の火が消えたのでした。

里人は、
夏姫の生前の慈愛をしたうと共に世の無情をかこちながら、
浅地とよばれる場所に神として祀り、
子守神社とし、峠にも熊神社として祭祀しました。

そして、現在も、安産の神、乳の出の神、子育て神として
里人の信仰が絶えないそうです。

また、小千皇子は峠に皇子神社として祀られ、
峠の氏神となりました。

このことから、
皇子神社、子守神社の両社の氏子たちは後に、皆、
越智姓を許されることになったといわれています。

皇子神社は、
以前ご紹介した神社です。

皇子神社はこちら

ここに行った時には、
まだ、このお話をしりませんでした。御祭神ニニギノミコトです。
しかし、今回、このお話を知り、
もう一度、きちんと
参拝に行きたいと思っています。

そして、母である、「夏姫」 をお祀りする
子守神社。
現在の、御祭神のお名前は、玉依姫命(たまよりひめのみこと) 。

玉依姫命とは、天照大神や木花開耶姫命などのような固有名詞では
ないそうです。
「タマヨリ」とは、「霊依」あるいは「魂憑」からきたもので、
神の依り憑く巫女、あるいは神霊が憑依する乙女の意味の名前。

子守神社の、玉依姫命は、
きっと 夏姫のことだと思います。

では、写真でご紹介します。

*子守神社

*御祭神:玉依姫命(たまよりひめのみこと)

*今治市朝倉上上540(浅地)

*御神徳 安産

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夏姫物語でした。
もう1400年ほど前の 伝説なのに、
胸が苦しくなくような、お話です。

でも、これも、さだめだったのでしょうか。。。

夏姫の後を追うように
逝ってしまった、小千皇子。

二人の願いは、叶うことはありませんでしたが、
きっと、今も、見守っていらっしゃる。
そう、想います。

命があるということは
それだけで、とても有難いこと。
家族がいることは、とても幸せなこと。
もし、何かの事情で
今、一人でいるとしても、
命が、続いてきたから、今ここにいる。

そして、母と父がいたから、この世に命を受けた。
だから、一人ぼっちではないのです。

命が、続いているから
ここにある。

太古の昔から、何度となく継ぎ、
繋がれた命を、大切にしたい。。。。

今日も、本当にありがとうございました。
今日の曲は、まるで、夏姫の想いを歌ったような歌です。
ふと、開いたページで見つけた曲です。

「天の子守唄」




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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-01-15 23:40 | 愛媛県今治市(旧朝倉) | Trackback | Comments(4)

数あるブログの中からお越しいただきましてありがとうございます。 不思議な数々の出会いから、今は、愛媛の神社めぐりをしながら、神社や女神様そして、神話の神々の伝説を調べています。