<   2011年 03月 ( 19 )   > この月の画像一覧

こんばんは。
今日で、3月も終わりですね。
明日から、新年度のスタートです!

そんな今日、大三島(神の島)の始まりの場所をご紹介できるのも、何かのご縁のような気がしています。
大山積神=三島明神=瀬織津姫は、小千氏族の祖神として、ここ大三島に太古の昔から祀られていました。
現在の地、宮浦へ遷座されたのは、養老三年。
大宝元年(七〇一)から霊亀二年(七一六)まで、十六年をかけて大造営をなし、養老三年四月二十二日正遷座。 大山祇神社は、16年の年月をかけ、大造営され、完成してから、その3年後、養老三年(七一九)に、正式に正遷座されたのです。

そして、それまでは、昨日もご紹介した、鼻栗瀬戸とよばれるところに、三島明神は祀られていました。
それは、みたらしの水という湧き水が出る場所。
そして、宮浦へ正遷座される一年前の、元正天皇養老2戌午年、みたらしの水からすぐ近くの杜に、横殿殿(元の奉斎地の地神)として遷座せられたと記されてあります。

大造営が始まった701年~716年までの間、そして、完成してから、遷座された719年までの3年間も、伊予の国では、三島明神の名前をなんとか残そうとさまざまなことがなされていたのです。
この場所からいなくなると同時に、本来の三島明神の神の存在は消されてしまう、どんな思いでそれを受け入れたのか。。想像するだけでも、心が痛みます。

正遷座される前に、この地にも名前を残し、大山祇神社の境内の中にも、祓殿神社を創建させました。
この祓殿神社が、創建されたのが、養老三年、正遷座の年でした。
この神社は、今もあの楠のご神木のすぐ前に鎮座されていますが、御祭神が、「大禍津日神・大直日神・伊豆能売神・速佐須良姫神」 そう、この大禍津日神こそが、瀬織津姫なのです。
人々の罪、穢れを祓う神として現在も祝詞の中にでてくる、瀬織津姫の姿です。
本当は、人々との穢れを祓う神として現在も祝詞の中で、必ず詠まれていますが、もしかしたら、瀬織津姫を祓うという意味のような気もしてきました。

また、自分たちが、己の地位を獲得するために、神を欺いてしまった、そのことに対する微かな罪の意識が、人々の罪を祓う神としたとも思えるのです。
こうして、1300年もの間、ずっと、瀬織津姫の御魂を祓い、自分たちの行った罪を祓うために、今もなお、祝詞として詠み続けている。
ちょうど、姫の名前を消された後からの世の中は、皇族たちが次々と病に犯され、心霊に悩まされ、天皇の地位は、ほんのわずかしか続くことはできませんでした。
人は、自分の罪を隠しつづけても、心の奥底で、その罪への罪悪感はなくなることはないのです。
それは、永遠に死ぬまで消えることはありません。また、その罪が大きければ大きいほど、その子へと、孫へと永遠に罪が受け継がれていってしまうのです。
どこかで、断ち切るためには、罪を認め、陳謝し、償うしかないのです。

でも、私は、思うのです。 正直に認めると、きっと許してくれると。 
こころから、「悪いことをしてしまった」 と思う気持ちがあれば、許してもらえると思うのです。
もちろん、簡単にはいかないかもしれませんが、姫も、その時はきっと許してくれると。
ただ、認めてほしいだけなのではないかと、私は、そんなふうに思えてしかたありません。

そんなことを言っても、1300年も前のこと。
その時のことを知っている人間は、もちろん誰もいない。 ほんとうのことを語ったものも、何もない今となっては、姫の存在を、認めるということはほとんどないに等しいでしょう。

だからこそ、ほんの少しでも、そのことに気づいてくれれば、そして、ほんのわずかでも、姫の神社が復活してくれれば、そんなことを願ってやみません。

それだけでなく、この1300年前のできことから、人は多くのことを学ぶことができるのではと思っています。
感謝する心、罪を償う心、自然の大切さ、命、そして、生きる意味。
そして、 「一願成就」 を願った心。

今、東北関東大震災で、多くの人が被害にあい、犠牲になっています。
でも、そのことで、日本だけでなく、世界中が、被害にあった人々のために、祈り、協力し、何かのやくにたちたいと、動いています。
そして、支援してもらった被災者の皆様も、それを心から感謝し、一生懸命生きています。
先日、こんな記事を見つけました。
救援活動のためアメリカからやってきた兵士が、瓦礫の中から、賢明に生存者をさがしていると、倒壊したお店の前で一人の女性に出会いました。
その女性は、その兵士に、「本当にありがとう。何もなくてごめんなさい」と、一つの前餅を差し出したそうです。 自分のものは全て津波に流され、水も、食べ物もない、そんな状況の中、自分たちのために遠くから日本にやってきて、こうして活動してくれていることに感謝して、差出したのです。

私は、この記事を読み、涙が止まりませんでした。
これが、日本人の心なのですね。
多くの亡くなった命を、絶対に無駄にしてはいけない。 そう、強く思います。

 
*瀬戸八幡神社
*横殿社
*誉田別命(ほむだわけのみこと)
 息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)
 姫大神(ひめのおおかみ)
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今日、帰る少し前、一人の女の子が、私の所へやってきました。

「今日で、仕事やめるんです。 いろいろ、相談にのってくれて本当にありがとうございました。」と、
「辞めることにしたんだね。 何かきまったんだね?」
「はい。学校に行くことにしました。 学校と言ってもちゃんとお給料も出ながら、学べて資格もとることができるんです。」 と。。

彼女は、数ヶ月まえ、たまたま、研修の時に隣に座った女の子で、研修のあった次の日、私のところへ突然やってきて、話を聞いてほしいんです。と言って、今、自分が悩んでいることを私に話ました。

それから、少しして、もう一度私のところにやってきて、まるで自分の気持ちを確かめるように話をしていきました。 その後、彼女は、いろんな人に自分の想いを伝え、動いたそうです。
すると、今度決まった学校を、紹介してくれたそうです。 そして、試験を受け、合格。 
この4月から、2年間学校に行き、国家試験を受けることにしたそうです。

彼女も、人の役にたちたい。と思い、その勉強を始めるのです。
ずっと、心の中でなりたいと思いながら、どうしていいかわからなかったそうです。
でも、私と話して、彼女は悩むより、とにかく動く。ということをしたのだと思います。
そして、今の彼女にとって、一番いい状態で勉強ができることになりました。
本当によかった。 心から、そう思います。

「自分の心に素直に、今できることを一生懸命する」
その、気持ちが、新しい扉を開かせてくれたのだと、思います。

このほかにも、今日は、沢山の終わりがありました。 でも、それは、悲しい終わりではありませんでした。
寂しさや不安もありますが、みんな明日へ希望でいっぱいでした。
そんな姿をみていて、私もとても嬉しい気持ちでいっぱいになりました。
明日からは、みんな新しい始まりです。
私も、新たな気持ちで、明日をスタートさせたいと思います。
みなさんも一緒に・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。 







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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-03-31 23:32 | 愛媛県今治市(旧大三島町) | Trackback | Comments(2)

こんばんは。
ここ数日、毎日驚くような発見があります。

もしこれが全て正しければ、姫の姿が鮮明にこの世に姿を現すことになるかもしれません。
愛媛の中に、古代の隠された秘密がこんなに眠っているなんて、本当にびっくりしています。
後世の人々に、なんとか残しておきたい事を、少しづつ、さまざまな場所に、まるで暗号のように残している。
1300年の間、封印されてきた姫の姿が書かれた絵の破片が入った封筒を、地面の中から一つづつ見つけているかのような感覚です。

まだまだ、扉は開かれたばかりかもしれませんが、いつか全てが開かれる時がくるといいな。。。と思っています。 自分が自分のことを知り受け入れなければ、何かが始まらないように、今、世の中全てが、膿を出し、みとめ、受け入れ、新しい時代をつくらないといけない時期に入ってきているのかもしれないと、今強く思います。

大三島 瀬戸。
ここは、大山祇神社が、現在の場所宮浦へ移る前にあったとされる場所です。

ここに、 「みたらしの水」 という 湧き水があります。
すぐ近くの海は、鼻刳瀬戸[はなぐりせと]とよばれ、伯方島と大三島にはさまれ、とても狭い上に、流れが速く、またの名を、船折瀬戸ともよばれています。
船が折れるくらい流れが速いという意味です。
この鼻刳瀬戸の海浜に、こんこんと涌き出る、井戸があり、この土地の人々は、「大山祇神社の神饌水」として、毎年秋の大祭に献上する慣しがありました。
これは、昭和のはじめころまで続いていたと言われて、少なくとも1300年近くの間、神の水が涌き出る場所として、残されてきました。

現在も、その跡が残り、井戸を見ることができます。

この井戸には、二つの石碑があり、
一つには、 「みたらしの水」
そしてもう一つには、 「水神大山積大明神」 と書かれてあります。

みたらしとは = 御手洗 という意味。
御手洗とは、祓う、清めるという意味で、瀬織津姫のご神徳の一つです。
さらに、「水神大山積大明神」 大山積神は、水神だと、ここではみとめています。
山の神というイメージの強い、大山積神ですが、ここでも、水神としての 大山積神=三島明神の姿をはっきりと見ることができます。
三島明神=水神=瀬織津姫 なのです。

なぜ、小千氏族は、三島明神を祖神としていたのでしょう。
今考えられるのは、
1.三島明神 (瀬織津姫)と(ニギハヤヒ)は、小千氏族の祖先(神)だったから。
2.小千氏族は、海を中心にして国造りをおこなっていった氏族だったため水をつかさどる女神を特に崇拝していた。
3.そして、地球にとって、生命にとって、人間にとって、水は命の源、全ての根源、母、そして、水は、人々の穢れ、災いを祓い、清らかにしてくれるものだと、思っていたからではないでしょうか。

これは、小千氏族だけに限ったことではなく、古代の日本人の多くが、瀬織津姫を、全ての母、全ての源の女神として、信仰していたのだと思います。

海(瀬戸内海)は、渦潮の流れる場所。
渦もまた、古代の人々にとっては、穢れ、汚れ、災いを洗い流す、神々の姿に見えたのかもしれません。
そして、もしかしたら、ここ瀬戸内海は、古代の人々にとっては、聖地、災い祓うための聖地だったのかもしれないと思い始めました。

来年、古事記が完成してから ちょうど1300年です。
瀬織津姫の名前が、この世から消えたのも、同じく1300年前。
古事記が完成した年、世の中は、大変革期を迎えたのではないかという、一つの手がかりを見つけました。

でも、古事記の物語も、全てが全くの空想のものではないはずなのです。
そこで、今、とても気になることが、 「愛姫」 という名前なのです。
イザナギとイザナミが国生みをしたさいに、四国は、2番目に生まれた島でした。
四国は、一つの身体をもち、顔が四つある神であったのです。
女神が二神に、男神が二神。
その中でも、愛媛は 「愛比売」という名前の女神で、一説によると、愛らしく、優しく、女性の理想像のような女神であったといわれています。
その、古事記に出てくる、 「愛比売(えひめ)」の名前を、今を受け継ぐ、「愛媛」
どうして、女性の象徴のような女神の名前を、古事記の中でつけたのか。 
私は、それが、どうしても気になってしかたありません。
いつか、その理由が、わかる時がきますように。 そう 心の中で願っています。

では、みたらしの水です。
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みたらしの水の近くには、日本最古の水軍城があります。
ここは、大潮の干潮の時間、一番水がひいた時間だけ、歩いてわたることのできる島です。

*日本最古の水軍城 「甘崎城跡」
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人は、罪を認め、反省し、詫びるところから、始まる。
自分の行いの悪い部分は、きちんと認め、心から反省し、ここから詫びる。
古代の人々が、もっとも重要なことと思っていたものの一つが、
「祓う」 という ことだったのではないかと思います。

私は、今の世の中も、そうあってほしいと思います。
悪い部分を見ないようにしたり、誰かのせいにしたり、隠したり。
どんな人にも、きっと一度や二度、いやもっとあります。
でも、それを認め、真剣に心から、悪いと詫びることが、始まりではないかと思います。
全ての膿を出す時、それは人も、政治も、世の中全てがそういう時期にきていることを、気づいてほしいとおもいます。 それが、もし、わからなくて、今までと同じことが続いたら・・・・・・・。

ニギハヤヒ・瀬織津姫のご神徳の一つでこんな言葉があります。
「一願成就」  一つの願いが叶うことにより、多くの人々が幸せになれる世の中になりますように。
より多くの人が幸せになれるように、私たちの願いはあるのだと。。




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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-03-30 22:30 | 愛媛県今治市(旧大三島町) | Trackback | Comments(2)

こんばんは。

今日も昨日の続き、大山積神のお話です。
豪雨による天変地異を、快晴へと導いた神様、大山積神と同じく、愛媛には大事な神様がいるわかった朝廷は、雷神・高龗神を祀るように、宣旨。
そして、この時より、「雷神・高龗」を加えまつり、三社をもって大山祇神社「本社」とするようにというという勅命までもありました。

大山祇神社の由緒では、
大山祇神社本殿に向かって右が上津社、
左は下津社となっています。
そして、上津社は、「大雷神。姫神」
     下津社には「高龗神。姫神」

両方ともが、姫神とされています。 

しかし、愛媛県神社誌には、
上津社には天照大神、下津社には「火子神」をまつるとしています。

ここで、どうして、天照大神の名前がでてくるのでしょうか。
雷は、荒ぶる神。 神々には、和御霊と 荒御霊があるとされていますが、ここでいう雷は、天照大神の荒ぶる御霊、 荒御霊ということになります。 すると、これは、
天照大神の荒魂=瀬織津姫ということに。。。
しかし、高龗神は、吉野の、丹生川上神社に祀られている、龍神。水の神です。
このままの解釈でいくと、 龍神・水神=瀬織津姫ということになってしまいます。
両方が、瀬織津姫? と考えてしまいますが、 愛媛県神社誌によると、下津社には「火子神」を祀ると書かれてあります。
火子神とは、私が思うに ニギハヤヒのことではないかと思うのです。
また、後日、北条の國津比古命神社のことを詳しくお話しますが、ニギハヤヒの神名は、
天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてるくにてるひこあめのほあかりくしだまにぎはやひのみこと)
といいます。
そして、この神社で一番重要な、祭りとされる、秋の例祭があります。
その、祭りを、、『火事祭』は「ひのことのまつり」といいます。
「火子神」 すなわち、これは、ニギハヤヒのことではないかと思うのです。

小千氏族=物部氏族は、ニギハヤヒの子孫。
祖神として、今でも多くの小千氏族のが建立したと伝わる、神社の祭神にその名を残します。
そして、その中でも、伊予の小千国(越智国)、瀬戸内を拠点に国造りを行っていた小千氏族は、津島に重要な神として、瀬織津姫ように、三島明神として、ニヒハヤヒ以上に、水の神、祓いの神として、瀬織津姫を崇拝していた。 
その神の名を消され、数百年後、この国をゆるがすかのごとく起こった天変地異は、伊予の国の神々の名をこの神の島(御島 大三島)から消し去ったことにあったのだと思ったのかもしれません。
そして、この時、大山祇神社に、瀬織津姫とニギハヤヒの名前を変え、祀り、この三神をあわせて大山祇神社としすると、勅命をくだされたのだと思うのです。

これは、先ほどの祭りを行う、北条の國津比古命神社にその謎が見え隠れするように思います。
そして、今日、磐長姫についても、もしかして?と思うことが出てきました。

大山祇神社の、大山積神。
この神名の、漢字にも、伊予国における微かな抵抗が見えます。
全国に、大山積神を祀る神社は、多数ありますが、愛媛は、ほとんどが大山(積)神と神社の名称大山祇と変えてお祀りしているのです。
大山祇神社の神(小千氏族の崇拝する神)は、大山積神ではないという気持ちのあらわれではないかとさえ思えてきました。

以前の、大山祇神社の紹介の時には、載せることができなかった
下津社と上津社です。

まずは、大山祇神社拝殿です。
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向かって左、下津社 (高龗神 ・ 火子神)
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本殿 と 井戸
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向かって右、上津社 (雷神 ・ 天照大神)
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大山祇神社の神使とされる 白鷺。
白崎の導きにより勝利をえた時、河野通有が兜をかけたと伝わる楠。
河野水軍は、三島水軍ともいいますが、ここにも三島明神への篤い信仰をみることができます。
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この来島海峡の海に、太古から鎮座していたとされる、津島の瀬織津姫の神社(現在は大山積神とされる)
今は、別の場所に、大山祇神社に合祀され祀られています。
そして、姫の神社の場所は、今、道もなくいくことさえできなくなっていると言われます。
私は、この津島の姫の神社を、もう一度きちんと祀ることはできないかと、思っています。
どうしてかわからないのですが、この津島に姫の名前をきちんとお祀りしなくては。。。と突然思い始めたのです。
まだ、その糸口は全く見つかっていない状態ですが、
先日、私の職場に、この津島のまとめ役の方が突然現れたのです。
私のところが担当ではなかったのですが、なぜか、案内されてやってきたのです。

私はその時、直接話したわけではないのですが、その方が帰った後、突然そんな気持ちになったのです。
本当なら、全く関係のない私たちの職場に、案内されてやってきた、津島の方。
たった、数十人の小さな村の中の、しかも町をまとめている方が、私の目の前に現れたのも、きっと偶然ではなく、意味があるものだと思いました。

いつも、そうなのですが、本当に、ある日突然思いがけないことがおきる時があります。
今まで、何度となくそんな突然の出来事を繰り返し、いろんなことがおきてきました。

どんな状態でも、どんなに無理だと思うことでも、私は、自分が想像できることは、必ず実現できると思っています。 
人は、想像できないことは、実現することはできませんが、想像できることはきっと実現できると思うのです。
でも、それには、信じるという強い、揺るぎのない心が必要かもしれません。

どんなに時間がかかろうとも、途中でどんなことがおころうとも、全く違う世界にいたとしても、
必ず、思ってもみなかった展開で、実現したり、小さな積み重ねの向こうに待っていたり。。。
何かを実現するために、一番大事なことは、「信じる心を持つ」 ことだと思います。
実は、それが一番簡単なことのようで、一番難しいことかもしれません。

また、今、日本は、これまでにない、大きな危機に面しています。
でも、この危機も、みんなの乗り越えるという強い気持ちがあれば、きっと大丈夫だと。。。
だから、今、もし、これから先どうしたらいいかわからなくても、きっと、道は開けると信じよう。
とにかく、今できることをしよう。 その心があれば、必ず、道は開けると  私は思います。

今日も、ありがとうございました。
おやすみなさい。








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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-03-29 23:21 | 愛媛県今治市(旧大三島町) | Trackback | Comments(3)

こんばんは。

今日は、瀬織津姫、そして愛媛の古代の歴史が眠る、大山祇神社のお話に戻りたいと思います。
また、少し難しいお話になりますので、苦手な方は、飛ばしてご覧下さい。

大山祇神社のお話は以前にもさせて頂きましたが、今日は、まだまだあまり訪れる人が少ない 「奥の院」です。 大山祇神社神社は、別のページでご紹介させていただいておりますので、まだの方は、
こちらをご覧下さい。
大山祇神社紹介

大山祇神社が現在の地へ、遷座されるため、大造営が始まったのは、大宝元(701)年。
大宝律令として完成した年から始まりました。 ちょうどこの前後から、神社の神々が大きく変わり始めたのではないかと思われます。
大造営が始まった年と、大宝律令が完成した年が、同じだということは、偶然ではないと思っています。
このこの律令の制定によって、天皇を中心とし、二官八省(太政官・神祇官の二官)が成立されました。
この、神祇官とは、古代の、祭祀を司る官のことです。
そして、その中心的人物とも言える人が、藤原 不比等です。
大造営は、16年年月をかけられました。

そして、霊亀2(716)年完成されます、
しかし、正座されるまでに更に3年の月日がたっています。ここにも、何かのわけがあったのではないかと考えられます。
そして、「養老三年(七一九)四月二十二日、太祝安元によって遷座祭が行われ、正式に現在の地へと遷座されました。

現在の地へ移さざるおえなくなった、小千玉澄。これは、自分の意思ではなく、「勅命」でした。
そして、現在の場所へと遷座しようとした時、ここには、人々に悪さをする「大蛇」がいたと言われています。
その大蛇を、鎮めるために、現在の安神山に、「五龍王」を祀ったとされています。
今日の場所は、その安神山のすぐ側にあります。

保延元(1135)年、大山積神の本地仏である、大通智勝如来を祀る、神宮寺が造営されました。
このお寺の創建のさいに、国中で大きな雨による災害があったのではないかと言われています。
もしかしたら、その時、伊予の国越智氏族は、この地へと編座させたこと(姫の名を消したこと)が原因だと思ったのかもしれません。
そして、この災害をとめたのが、「大山積神」 だったとされています。
「吾は、諸々の大地祇を率いて、これを掃ひ除こう」と託宣なされました。 このことより、
本社に雷神と高籠神本社を加えまつり、三社をもって「本社」とするようにという「宣旨」があったのです。

天変地異、神宮寺が造営、雷神と高籠神の鎮座。
それ以降、現在も、数多くの大山積神を祀る神社では、一緒に雷神と高籠神を祭られいます。

この神宮寺は、当初、「神供寺」の名前でした。四国霊場八十八ヶ寺の第五十五番札所ともされていたお寺です。現在は、今治市内にある、南光坊が五十五番札所となっています。
寺の山号は「月光寺」 と呼ばれていました。 
その後、神宮寺は、奥の院となり、仏像その他は、他のお寺へと移され、現在は、御本尊 「木造阿弥陀如来三尊像 」 となっています。

大山祇神社は、大きな歴史の変革期に翻弄された神社の一つといえるかもしれません。
その歴史に同じく翻弄された一族が、越智氏族。小千命の子孫です。 でも、三島明神(瀬織津姫?)に対する篤い信仰心は、消えることはなかったのかもしれません。
だからこそ、完全に、抹殺されることなく、今もなお、その面影を残すべく跡があるのかもしれないとおもいます。 もちろん、これは、私の勝手な考え、また、何の証拠もなく、大山積神こそ、大山祇神社の古代からの神とほとんどの方は言われることでしょう。
でも、姫の姿が、更に表へと出てこれるように、これからもまだまだ調べていきたいと思っています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

では、奥の院へと続く、大山祇神社をご紹介します。

大山祇神社の境内の横を流れる小さな川を山の方へと歩いていくと、まず目に止まるのが、
「鶴姫」の銅像です。
鶴姫は、大宮司、大祝安用(おおほうりやすもち)の娘。
大祝氏は代々神職は、戦場に立つことできなかったため、娘の鶴姫が兄とともに戦いに向かったといわれています。 大山祇神社の宝物殿には、鶴姫のものとされる、女ものの鎧が置かれてあります。
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そして、右手に見えてくるのが、宝篋印塔。( 鎌倉時代、重要文化財 )
時宗の開祖一遍上人が、大山祗神社を参拝のおり奉納されたものです。
一遍上人は、越智の子孫、河野道広の子として愛媛県松山市道後温泉の奥谷である宝厳寺生まれます。
10歳のとき母が死ぬと父の勧めで天台宗継教寺で出家。しかし、お寺だけでなく、神社へも参詣するなど、神仏ともに信仰されてました。
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その前をすぎ、看板にそって少しのぼると、そこには、まるでトトロが前に座っているかのような、大きな楠がありました。 小千命が植えたとされる、境内の楠とはまた全く違っていました。
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この樹の名前は
*生樹の御門*
樹齢三千年の老楠、根回り三十一メートルに及ぶ。
真中が自然の洞をなし、奥の院参拝の通路となるので、生樹の御門と言われるている。

まるで、二つの大木が繋がったかのように、真ん中が空洞になっています。
本当に、圧倒される凄さで、やっとくることができて感動でした。
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奥の院へは、この樹の下をくぐっていくのです。 
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とても暖かい。まるで、母の胎内にいるかのような感覚。
樹の中に入ることができる樹なんて、初めてで、ほんとうに不思議な感覚でした。
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奥の院
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そして、五龍の王が祭られる、安神山です。
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いつか、この山の頂上へと行ってみたいですね。

今日も、長い文章を最後までお読みくださいましてありがとうございました。
最後に、昨日の金八先生のことば。

何故か、この言葉だけが、はっきりと耳にやきついています。

「片隅を照らす 光 になりなさい。」

生徒達に贈ったことばでした。
みなさんは、このことばを、どう受け取るでしょうか。。。。。。

ではおやすみなさい。



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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-03-28 23:13 | 愛媛県今治市(旧大三島町) | Trackback | Comments(1)

こんばんは。
もう3月も終わりだというのに、今年は本当に寒い日が続いています。
皆さんは、風邪など引いていませんか?

来週は少し暖かくなるようです。
風邪を引かないように、お身体を大切にしてください。

今日は、最初に少し謎解きの話になります。もし、あまり興味のない方は少しとばしてお読みください。
もちろん、興味ある方にとっては、とても重要なお話になるかもしれません。
先日からご紹介している、双海町ですが、今日紹介しようと思った 双海町の 「三島神社」を調べていて、とても興味深いものを見つけました。

以前、ご紹介した 双海町の三島神社も、西暦700年代に建立されたもので、とても越智氏族と深い関わりのある神社だということが、わかっていました。
三島神社なので、もちろん 祭神は 「大山積命」

そして、今日ご紹介する 「三島神社」も祭神は 「大山積命」 です。

しかし、双海の三島神社についての、古い文書の中に、次のようなことが書かれていたのです。
「祭神は大山積命、雷神、高オカミ神の三座である。初め下津宮は諾冉二座、中津宮は饒速日命を祭祀、後に大三島より大山積を勧請、古くは河内神社と称した。」

まず、現在、表向きに書かれてある祭神は、「大山積命」 のみです。
雷神、高オカミ神は、大山祇神社の本殿の両隣に鎮座する、上津社、下津社の神です。
上津姫・雷神、下津社には下津姫・高靇神。
そして、この大山祇神社の上津社と下津社は、両方ともが姫とされています。
しかし、もとは、姫ではなかったのです。それが、ある時代に、両方を姫とするようにとの命令があり、姫となったと。。。
上記の続きの文章ですが、初めは、中津宮は饒速日命が祀られていたとあります。後に、大山積を勧請したと。 ということは、越智氏族が、この地に大山積命よりも前にお祀りしていたのは、饒速日命ということになります。越智氏は、自分の祖神である饒速日命をお祀りしていたのです。

大山祇神社の話に戻りますが、大山祇神社は、最初、大三島の瀬戸というところにあったと言われています。
ここに、お祀りをしたのが、 伊予国造りの 小千命。
そして、その後、朝廷の命令により、宮を現在の地へと移します。
それが、小千玉澄です。
私は、以前から、この最初の地にお祀りしていたのは、大山積神ではなかったと思っていました。
この瀬戸には、今も、最初にお祀りしていたとされる場所が残っています。
ここのお話は、次に詳しく話させていただきますが、今回のこの三島神社は、大山積神を祀る前に、饒速日命が祀られてたという記述が残っていたのです。
でも、ここにもまだ、隠されている神がいます。
それが、名前は、「河内神社」 という名前だったというところです。

「河内」 という名前は、饒速日命に関係のある名前ですので、本当がどちらだったのかはなんともいえないのですが、この三島神社のすぐ近くにある 「豊田神社」は、もともとやはり 「河内神社」という名前で、現在も「瀬織津姫」が祀られています。
そして、先日紹介した、「弓削神社」 は、この豊田神社の前に道を更に30分ほど走った場所にあり、この三島神社の末社になっており、ここにも、今は表には出されていませんが、「河内神社」から合祀されたと伝わる 「瀬織津姫」が祀られているのです。

「三島神社」 「豊田神社」 「弓削神社」 この三つの神社は、全てもともとが、「河内神社」と呼ばれ、一つは、饒速日命、二つは瀬織津姫が祀られていたことになります。でも、なぜか、一番重要な場所 「三島神社」だけが、饒速日命というのが、不思議なのです。

瀬戸内海に浮かぶ、大島のすぐ側の 「津島」は、もともと瀬織津姫が祭られていたことは、明確で、それを後に 大山積命に変えられています。
今度詳しくお話しますが、大山祇神社の最初の地、瀬戸も、もともとは水神として祭られていました。
饒速日命は、ご存知の通り水神ではありません。

すると、この双海の三島神社も、もしかしたらもともと、瀬織津姫だったかもしれません。
饒速日命は、越智氏族の祖神でもあり、瀬織津姫ともとても深い関係(夫婦神?)にある神のため、この名前になっていてもおかしくはないのです。

ともかく、この双海の三島神社の祭神が、神亀元年大山積神を勧請される前に、違う神、それが、饒速日命という名前が、きちんと記されていたことが、今までの謎を解く一つの鍵になることは間違いないような気がしています。
次回以降紹介します神社も、これらを解く鍵になる場所。
瀬織津姫の名前が一番初めに消され始めた、700年前後、この愛媛でも、越智氏族が祖神とする(瀬織津姫)を、大山積命に変えていったのではないかという、重要な場所ばかりです。
もちろん、これらは、私の勝手な解釈ですので、正しいかどうかはわかりません。でも、愛媛県中を周るうちにに、ますます、姫の姿が見えてくるような気がするのです。
愛媛だけでなく、日本中で同じようなカラクリ? 神々の名前を変えていったあとがあります。
これを調べたからと言って、どうなるわけでもないのですが、ただ本当のことに少しでも近づきたい。そんな気持ちがあるのかもしれません。

今の時代も同じで、権力や圧力で、本当のことは隠し、世の中は何もなかったかのように進んでいます。
いいのか悪いのか、ほんの少しですが、そんな世界を見てしまったからか、どうしてもそれを納得することができない自分がいて、でもどうすることもできなくて、その私の中にたまっている衝動と、今の神社巡りとが、相通じるものがあるのかもしれないと。。。。。。。
姫も、そんな世の中に消されてしまった一人だから。。。。。。。。。。

長くなりましたが、では神社の紹介です。
双海町上灘にある 「三島神社」です。

ここは、「三島」 という地区らしく、神社のすぐ側には、「三島川」が流れ、集会所も 「三島集会所」、バス停も、「三島バス停留所」といいます。
これらを見ても、この地区が、越智氏族にとってとても重要な場所、もしくか、三島信仰の篤い場所だったのには、違いありません。

*三島神社
*伊予市双海町上灘宮之下126
*祭神:大山積命(おほやまつみのみこと)
*境内社:
  日美神社
  金毘羅神社
  厳島神社
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可愛い龍の手水舎
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拝殿
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本殿
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三島の神紋
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厳島神社
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日美神社
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金毘羅神社
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神社の夕日
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三島の夕日
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双海の夕日
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双海の海に沈む真っ赤な夕日
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世の中には、矛盾したことが多い。 
物事には、陰と陽、裏と表が 悪と善が、ある。 これは、古代から変わることなく続いている。
陰があるから、陽があり、裏があるから表があり、悪があるから善がある。
これはどうしようもないことかもしれません。
でも、時々、どうしてこんなことがあるのか、どうして、陽より陰が強く、表より裏が強く、善より悪の方が強いのかと思う出来事がある。
そんな時、どうしようもない気持ちになります。

でも、怒りからは何も始まらず、怒りからは何も生まれない。
そう自分に言い聞かせ、心を落ちつかせます。
そんな私の心を、一番落ち着かせてくれるのが、今は、神社であり、寺であり、山であり、川であり、自然なのかもしれません。
そして、古くから日本に伝わる音色。 笛、琴、鈴。
これからを使った音楽を聴くと、心が静かになります。
特に、その中でも、最近、鈴の音が好きです。

今日は、この鈴の音をしばらく聞いていたい。。。そう思います。
明日も、皆様にとってよい一日でありますように。
おやすみなさい☆



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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-03-27 01:17 | 愛媛県伊予市 | Trackback | Comments(0)

こんばんは。
今日は、娘の小学校の卒業式でした。

長いようで、短かった6年間。 
いろいろあったけど、元気で、こうして卒業式を迎えることができて、それが何より。
これから、大人になるにつれて、いろいろな壁にぶつかっていくでしょう。
でも、どんな困難にも負けず、自分の力で切り開いていける、そんな人間になってほしいと願います。

少人数の小さな学校でしたが、 その分、 いろいろな経験ができました。
経験は、財産だと思います。
うれしかったことも、うまくいったことも、 失敗したことも、悔しい思いをしたことも、全てが、その人の大きな財産になると私は思います。

知識だけでは、人生は渡っていくことはできないと。。。。

沢山失敗をして、沢山悔しい思いをして、それを乗り越えてこそ、本当の喜びにたどりつくことができる。
負けない心、乗り越える勇気を、持ち続けて。。。。。。。。


今日は、神社の話はお休みにして、美しい夕日の町をご紹介したいと思います。
愛媛県伊予市双海町。 「しずむ夕日が立ちどまる町」
伊予灘に面した、海岸沿いの街です。 

町のキャッチフレーズのとおり、ここは、夕日がとても美しい町です。
週末になると、多くの人々が、夕日を見に、この町を訪れます。 
一番多く訪れる場所が、結婚式も行われる、双海シーサイドパーク。

砂浜の側にある道の駅ですが、この浜辺では、夕日をバックに結婚式も行われます。
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ここには、沢山の地元の名産品が販売されています。
海産物も有名ですが、やはりみかんが目に付きますね。
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そして、私はここを訪れると必ずこれを食べます^^
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ここの、ソフトクリームは、おいしいことで有名です^^

そして、ここから少し車で走ったところに、今日のブログの題名でもある、「駅」 があります。
駅の名前は、「下灘駅」

「海に一番近い駅」 として、有名な駅です。
青春18きっぷのポスターや、「男はつらいよ」シリーズ、「HERO 特別編」など、
ロケ等でも有名な駅。

以前は、本当に海岸の側にあったそうなのですが、現在は、海岸のすぐ側に道路ができています。
でも、建物などなく、目の前が海には変わりありません。
ここは、無人駅で、ブラットホームには自由に入ることができます。
そのため、夕日が近くなると、カメラをもった人たちが、多く訪れるそうです。
この日も、夕日より少し前だったのですが、私のほかに数名写真をとっている人がいました。

下灘駅です。
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田舎の小さな駅でしょ。 
でも、とっても落ち着く、ふるさとの駅。 
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さっきまで、カップルが座っていた、ブラットホームのベンチ。
ここから、伊予灘に沈む、それはそれは美しい夕日が見えます。
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この日は、この場所から夕日をとることはできませんでしたが、
先ほどの、双海シーサイドパークで、夕日少し前の写真をとりました。
双海の夕日は、海に宝石がちりばめられたように、キラキラ輝きます。
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そして、少彦名命と、大国主が登った山も、ここから見ることが出来ます。
本尊山です。
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山頂近くに、鳥居が見えます。 ここが、双海に鎮座する、少彦名命と大国主命の神社
「天一神社」 が最初にお祀りされた場所です。
この山を越え、内子に向かったのでしょうか・・・・・・
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近くの神社に参拝し海岸へ出ると、オレンジ色に染まった海が見えました。
地平線に、太陽の光が差し、そこから、キラキラ光る、光の道。
静かで穏やかな海。  感謝です。
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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この静かで、穏やかな海が、時として、人の命を奪う海となる。
岩手県陸前高田市、海岸沿い、国の名勝にも指定される「高田松原」の数万本の松もあの津波で、なぎ倒されてしまいました。 
でも、あのとてもつもない大きな津波が襲ったにもかかわらず、
1本の松の木が、奇跡的にそのまま残っていました。
何もなくなった海岸に、傷だらけになりながらも、青い葉を残したまましっかりと立っていた、たった1本の松。
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記事はこちらです。

津波にも負けなかった 「松の木」 としてずっと語り継がれていくのでしょうね。

人々がくじけそうになった時、この松の木が、がんばれ、がんばれと、きっと励ましてくれる。
そして、またいつの日が、以前のような松林ができ、夏になると多くの人が海水浴に訪れる、そんな光景が戻ってくると信じています。 





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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-03-24 22:59 | 愛媛県伊予市 | Trackback | Comments(0)

こんばんは。

愛媛の神社を巡り、いろいろ調べていると、瀬織津姫の神社があったであろう場所が沢山見つかります。
今は、姫の名前を見ることはできなくても、きっとここもあったはず。
そう、思える場所が沢山あるのです。

ある時代を境に、いろいろな名前に変えられた瀬織津姫の神社。
龍神、アマテラス荒魂、市杵嶋姫、弁財天、ミズハノメ神、倭姫、オシラ様などなど。。。。
姫の名前は、多くの神々の名前に変えられ、姿がなくなってしまいました。

でも、調べていくうちに、古い文書から、姫の名前が出てきたり、大山積神と深い関係にあり、三島神社には、姫が祀られていたこともわかってきました。
大山積神そ祖としていたと言われる、伊予の国の小千家の発祥の地とされる神社は、姫から始まった神社だということにもたどりつきました。

姫の名前は、自然信仰として、自然の全てに神が宿ると考えた古代の人々が、初めて、その自然の母であり、命である 「水」 の女神として、全ての源である女神として、 「瀬織津姫」 という女神の名前をつけたのではないかとさえ思ってきました。

瀬織津姫の名前は、まだまだ知らない人が多い。
なにげなく、参拝している神社も、もしかしたら姫の神社かもしれません。

今日、ご紹介する神社も、そんな誰も知らない姫の神社の一つです。
ずっと前にも、少しご紹介しましたが、まだご覧になってない方も多いと思いますし、今回は前回とることのできなかった、拝殿、本殿の写真もとってまいりましたので、ここで改めてご紹介させていただきたいと思います。

内子町の、石畳地区に鎮座する
「弓削神社」です。

現在は、天照大神(あまてらすおおかみ)をお祀りしていると言われていますが、
ここの神社は、瀬戸内海に浮かぶ、弓削島に鎮座する弓削神社から、勧請したのが始まりです。
弓削島は、物部氏の領邑であったと言われ、物部連の一族である弓削部の一族が此の地に移り住み、祖神で有る饒速日命を氏神として社殿を建立したと伝わります。
小千命も、物部氏族であり、饒速日命を祖神としていることは、もうご存知のとおり。

そして、瀬織津姫と饒速日命は・・・・・・・・。

隣町の、双海町に鎮座する豊田神社は、(河内神社)といい、瀬織津姫が祭られています。
そして、この弓削神社にも、明治時代に合祀された 河内神社の祭神が、瀬織津姫。

双海町から、内子町にかけての山超えの道沿いに鎮座する、神社のそのほとんどには、瀬織津姫の名前がかすかに残っています。 しかし、ほとんど、そのことを知る人はいないのではと。。。。。

河野一族のお城があったと言われる、内子の山の中、誰にも知られることなく、静かに姫は鎮座されています。 池の上を、渡る屋根付き橋の向こうに。。。。。。。

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屋根付橋を渡って、姫のところへ。
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神域に立つご神木
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鳥居
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拝殿
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本殿です。あの八幡浜の姫の神社、鳴滝神社の時と同じで、何故か写真がぼやけてしまいました。
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初めて、ここに訪れた時、本殿の裏の山が、白い霧に包まれていました。
まるで、もののけ姫の中の1シーンのように。。。。。
あまりの、凄い空気に圧倒され、その時はカメラのシャッターをきることができませんでした。
今回は、とても優しい空気に包まれていました。
少し薄暗い杜の中も、写真でとると、とても綺麗な光を映し出していて驚きました。

姫の杜です。
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やっとここを、きちんとご紹介できて、とても嬉しいです。
姫に感謝ですね。

滝の女神、海の女神、川の女神、雨の女神 「水の女神」 瀬織津姫。

水は、私たちの 「命」です。
その水が、今、汚れ、汚染されようとしています。 人間の自分勝手な考えで作った 原子力で。
今日、この愛媛でも、お店から、水がなくなりました。
今、言われている 「買占め」 が起こったのか、この間まで山積みにしていた、水が1本もなくなってしまっています。
これも、人間の自分さえよければいいというその心から起こる行動ですね。
「自分さえよければいい。」 そういう心が消えない限り、 
「水」の、ほんとうの、大切さ、水のありがたさは、わからないかもしれない。

ほんとうに、その意味がわかっていたら、きっと、もっと多くの人にいきわたるような行動をするのではないかと、思うのです。

「水」は、生命の源。 全ての、生命の源。
いつまでも、多くの生き物がこの地球で命を育むことができるように、これから私達はどう考え、どう生きていくべきなのか、もっともっと、真剣に考えなくてはいけない。そんな気がします。
手遅れになる前に。。。。。。。。





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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-03-23 23:13 | 愛媛県内子町 | Trackback | Comments(0)

こんばんは。

ちょうど、震災の起きた数時間前、私は休暇をとって名古屋に行っていました。
自分の用事で仕事を休んだことはなかったのですが、この日は、名古屋で大事な用があったため、初めて休暇をとりました。

前日の10日、仕事を昼間でで終え、新幹線で名古屋へ。
名古屋につく、数十分前、新幹線の中で縦におりる虹を見ました。
その時は、まさかこんなことが次の日に起きるなんて思ってもみませんでした。

翌日、私の行き先が、熱田神宮のすぐ近くだったこともあったし、用事が午後からだったので、その前に参拝に行くことにしました。

熱田神宮は、ご存知のとおり、
「三種の神器」 の一つ、「草薙剣」を祀る神社。

「草薙剣」は、素盞嗚尊が八岐の大蛇を退治したときに、その尾から取り出し、天照大神に献上されたと伝わる 「天叢雲剣」。
ヤマタノオロチの頭上にはいつも雲がかかっていたので「天叢雲剣」と名付けられました。
その後、皇位の象徴として天孫瓊々杵尊に授けられました。
そして、ニニギ尊が所有して以降、皇居内に天照大神の神体とされる八咫鏡(やたのかがみ)とともに祀られていましたが、崇神天皇の時代に、八咫鏡とともに皇居の外に祀るようになりました。

そして、日本武尊が、吉備武彦と建稲種を伴って東征の折り、
伊勢神宮斎宮である姨の倭姫命より、この神剣一振と御嚢一つを賜りました。
その後、日本武尊が賊による計略で狩のさなかに焼き殺されそうになった時、神剣が、草を薙ぎ倒して日本武尊の命を救ったことにより「草薙剣」と呼ばれるようになりました。

東征ののち、尾張国で結婚した宮簀媛の元に剣を預けたまま伊吹山の悪神を討伐しに行くが、山の神によって病を得、途中で亡くなってしまいました。
そして、宮簀媛は剣を祀るために熱田神宮を建てたと伝わります。

その社地には、楓樹一株があったのですが、自然に燃えて水田に倒れ、その火が、いつまでも消えず、周囲の水田が熱くなったので、「熱田」と呼ぶようになりました。

熱田神宮の祭神は熱田大神(あつたのおおかみ)。
この三種の神器の一つである草薙剣(くさなぎのつるぎ。天叢雲剣)をご神体とされています。
相殿には、
天照大神(あまてらすおおみかみ)、
素盞嗚尊(すさのおのみこと)、
日本武尊(やまとたけるのみこと)、
宮簀媛命(みやすひめのみこと)、
建稲種命(たけいなだねのみこと)を祀ります。

そして、見ることはできませんが、本宮の後ろには、
一之御前神社(いちのみさき)が鎮座し、ここに 
「天照大神荒魂」 (瀬織津姫)が祀られています。

どうして、ここに瀬織津姫が、まるで隠すかのように祀られているのか。。。

そして、末社である、清水社(しみず)は、罔象女神(みずはのめ)が祀れています。
ここも、姫に関係する神社。
拝殿の横には、湧き水があり、その小さな川の真ん中にある石に水を三回かけて願いごとをすれば、願いが叶うと言われていて、密かなスポットとなっているようでした。

その横には、ご神木があり、その木はまるで、姫の存在を知らせるかのように、そこにたっていました。

時間があまりなかったので、境内社全てに参拝することはできませんでしたが、とても重要な場所に、こさせていただいた、そんな気がしました。

まずは、熱田神宮のご神木です。(姫のご神木ではありません)
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熱田神宮本宮
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姫の神社へ
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姫の神社 「清水社」
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お清水
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姫のご神木です。
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都会の真ん中にある、熱田神宮。
都会とは思えないほど、静かな杜の中に、もう一つの姫の拝殿はありました。
静かに、凛とした姿でたつ、ご神木。

もっとここにいたい。 そんな気持ちになりました。
熱田神宮駅についた途端、突然振り出した雨も、ここに来た時には、あがり雲の間から光が差しました。
ほんとうに、ありがたい。 心からそう思いました。

その約2時間後、突然地震が起こりました。
大きな波が、まるで生き物のように全てを飲み込む姿をテレビでみました。

同じ日本の中で、今現実に起きているとは思えない情景。
本当に、びっくりしました。
震災がおこるほんの少し前に、ここに行ったことが、まるで偶然ではないかのようなそんな気にさえなりました。

今まで 何度も、「命」の大切さを、ここで書いてきました。
姫に出会ってから、前よりもまして、感じるようになった 「命」のおもみ。
そして、全てへの感謝。 当たり前の毎日の大切さ。
毎日、こうして生きていることへの感謝。 
息をするための酸素があり、水があり、食べ物があり、暖かい家がある。
この、当たり前の毎日へ、感謝をする気持ちがなくなっている現代の人々に、もう一度その気持ちを思い出してほしいと何度も言ってきた、そのことが、こんな形で、もう一度思い起こす日がこんなに早くくるとは・・・・・。

私たち人間は、自然の力によって生かされている。 自然が猛威を振るえば、私たちの命はあっというまになくなってしまう。 私たちは、自分の力で生きているような錯覚をおこしてしまっていたのかもしれません。
自然の恵みがなければ、生きていくことができない。

古代の人々は、そのことを心から感じていたから、全てのものに、神が宿ると考えた。

現代の人々は、それでも こういうかもしれない。
「いくら祈ったとしても、地震も起こるし、災害もおこる。だから、神などいないから祈る必要などない」と。

確かに、自然は、何度も何度も、人の命を奪ってきたかもしれない。

でも、少なくとも、私たち人間は、自然の力によってこの命を育むことができることには、かわりはないのです。 だから、 無条件で私たちの命をはぐくみ、こうして、また朝を迎えることができることに、感謝をする気持ちをもつことは、大切なのではないかと。。。。

「命」 があるから、沢山の出会いがあり、沢山の未来があり、沢山の幸せがある。
辛いことも、もちろん沢山あるけど、愛する家族とすごし、親愛なる友達に囲まれ、夢を持ち、夢にむかって生きることができる。

そして、 もう一つ。

「命」 は、 自分だけのものではない。

自然の「命」が、無条件に、地球のため、動物のため、人のために生きているように、
私たちの 「命」 も、 誰かのため、 何かのため、 地球の未来のために使うべきものだということを、あらためて、思うのです。

地球に生まれた全ての 「命」 は、 
地球の未来のために、 地球上全てのもののために それぞれが、それぞれの役割をまかされ、明日へ未来へ繋ぐためにあたえられたものだと、今強く思うのです。

どうか、この震災で失われた 多くの 「命」 を無駄にしないで、一人、一人の 「命」を大切に、育んでいってほしい。と心から願います。

思ったままを、考えず文章にしているため、同じことを繰り返したり、文章がおかしい所も多々あるかもしれませんが、どうかご了承ください。

ありがとうございました。

 



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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-03-22 23:20 | 県外編 | Trackback | Comments(0)

こんばんは。
今日は、愛媛県宇和島市で、桜の開花宣言がありました。
寒い日もありますが、もう春ですね。

皆さんの町の桜は、どのくらいつぼみが膨らんだでしょうか。

地震で被害にあわれたみなさまは、まだまだ、先が見えない日々が続き、不安な毎日を過ごされているかと思います。 
でも、私はきっと復興できると 信じています。

毎年、寒い冬を乗り越え、美しい花を咲かせる桜のように、辛いことがあった後は、今までの何倍もの喜びがまっているのだと、私は信じます。

信じる気持ちを失わなければ、必ず希望ある未来はやってくる。
心を闇で閉ざさないように、光を見つめて前に進んでいってほしいと、心から願います。

では、今日も先に、神社のご紹介です。
今日の神社は、愛媛県最南端の町、愛南町の神社です。

愛南町は、2004年(平成16年)10月1日、南宇和郡にあった4町1村(御荘町・城辺町・一本松町・西海町・内海村)のすべてが合併して誕生した町です。
町名は、愛媛県の最南端であることから、愛南町とつけられました。

町の多くは、山からすぐ海という南予独特の地形で、リアスシキ海岸になっています。
海には、珊瑚が多数あり、海中公園では、船からガラス越しに、さんご礁を泳ぐ魚たちを見ることができます。
また、南予といえば、みかん。あちらこちらにみかんの木があり、オレンジ色に実ったおいしそうなみかんがたくさんありました。
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私の住んでいる今治市は、愛媛の最北端の町。
なかなか、愛南町には行くことができませんが、先日牡蠣を食べに行った時に、地元の方が近くの神社を案内してくださいました。
今回は神社とは関係ない職場関係の人達と行っていたので、ほんとうは、神社には行けないと思っていたのですが、連れて行っていただけた今回の神社も、きっと私にとって意味のある神社だったのだろうなと思っています。

愛南町 御荘に鎮座する、「厳島神社」 です。

*厳島神社(菊川)
*南宇和郡愛南町御荘菊川3394
*祭神:
 多紀理姫命(たぎりひめのみこと)
 市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
 多伎津姫命(たぎつひめのみこと)
*延宝7年の創立。

神社につくと、地元のおじいちゃん、おばあちゃん達が大勢集まって、クロッケーをしていました。
南予の人々は、本当に暖かく、見ず知らずの私達に、笑顔で声をかけてくださいます。
この地域では、今でも、こうして神社に集まり、地域の人々が日ごろから話しをしたり、クロッケーを楽しんだりしているそうです。 神社を中心にしたコミュニティーが 今でも残っている様子をみて、なんだかとても嬉しくなりました。
今まで行ってきた神社では、人がほとんどいないところが多く、人がいても、こういった光景を見ることはあまりありませんでいした。
神社で集い、神社を日常の生活の一部としている、昔ながらの風習が今も残っていることに、感動しました。

国道沿いの、小高い杜の中に神社はありました。
杜の入り口に、鳥居があり、階段を上ります。 
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可愛い顔の、狛犬が迎えてくれます。
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美しい木々の中を通り、拝殿へと向かいます。
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拝殿
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拝殿の横に、もう一つお宮がありました。
ここは、なんなんだろう? と思いながら近づいていっていると、一人のおじいさんがクロッケーの途中で近づいてきて、 このお宮は。。。。 と説明をしてくださり、中へと入れてくださりました。

このお宮は、厳島神社の末社で、
「お石様」 と呼ばれて、安産、子宝の石として信仰されている「分身石」のお宮でした。
この石には、次のような伝説があります。

天文2年(約460年前)旧暦の8月、御荘菊川の舟之川の漁師が仏崎の磯に漁に出ました。
釣り糸を手繰りあげると、3匁ぐらいの小さな丸石が釣針に引っ掛かっていました。

あほ臭いと思い海に投げ入れ、釣り糸を海に入れ直すと、またもアタリは来るが丸石がかかる。
漁師さんは、これを何度も繰り返したのですが、何度やってもその石がかかってきます。

仕方がないので、漁師はそれを懐に入れて持って家に帰りました。その日の晩、漁師の夢枕に女の人が出てきて、
「その石は私です。海の底を潮の満干に任せて漂い続け、いつの日か陸に上がれる日を待ち焦がれていました。その願いがあなたによって叶えられました。小さな祠で構わないので、私の住処を作ってください。そうすれば、私は摺木村の人々の繁栄のため、子供が多く産れるようにします」と京言葉で語りました。

漁師さんは、翌朝、早速翌朝裏山の椎の木の下に祠を作って祀ったところ、石は段々大きくなり、やがて人間が子供を産むかの如く1つの丸石が5つに分かれた。そしてその分身がまた大きくなり、次々と丸石を増やしていったそうです。
そして、この伝説から、安産、子宝の石として、今もなお多くの人から信仰されているそうです。

私たちは、この石の側まで行き、触っていきなさいといわれ、女の子たちもみんな一緒にさわらさせていただきました。  なんだか、あったかいような感じしたのは、きのせいかな。。。。

拝殿
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その石がこちらです。
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真ん中の小さな石、生まれた子どもの石かな?

不思議な石のの鎮座する、厳島神社。
境内にあった御神木も、とても立派な木でした。 青々と茂った緑の葉っぱが、印象的でした。
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素敵な、神社に案内していただいて本当に、感謝しています。
本当に、ありがとうございました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
瀬織津姫に出会ってから、いろんな不思議なことがありますが、その中の一つが、虹をよく見るようになったことです。
特に、今年に入ってから、ほんとうに頻繁に虹に遭遇します。
虹は、冬の間は出ることが少ないそうなのですが、私は、この冬も何度も虹をみました。
大きくアーチ型になった虹や、縦にまっすぐのびる虹、 雲の間に出る虹や、太陽の周りを丸い円を書くような虹・・・・・・・
この一週間ほどの間にも、三度も・・・
名古屋に行く途中、新幹線の中で、太陽の横にまっすぐに伸びる虹、
仕事のお昼休みに、太陽の周りに、大きく円をかいた虹、
そして、今日も。。。。。

虹は、古くは竜の一種と考えられていました。
「虹」 という字。 どうして 虫と書くのだろうと思っていました。
この 「虹」 という 文字にも竜の起源があったのです。

「虫」(=へび)+音符「工」(=つらぬく)。
「虹」 という文字は、にじを、空にかかる大蛇に見たててできた文字だそうです。

中国では、龍虹と呼ぶ地域もあるそうです。
虹蛇(にじへび)は、天候現象の虹に関連し、創造と雨を降らせる力があるとされる、神話・伝説上の巨大な蛇

虹は、龍の化身。

もしかしたら、姫が虹をみさせてくれているのかも。。。
夕方、ほんの少しの間だけ 雨が上がり、空にかかった今日の虹です。
携帯で 撮影したので、少し画像が悪いですが。。。。
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今日も、ありがとうございました。
おやすみなさい☆
虹蛇(にじへび)は、天候現象の虹に関連し、創造と雨を降らせる力があるとされる、神話・伝説上の巨大な蛇である。



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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-03-21 00:42 | 愛媛県愛南町 | Trackback | Comments(2)

こんばんは。
さきほども、千葉県で少し大きめの地震がありました。
地震がおきた地域の皆様、大丈夫でしょうか。

今日は、真冬のような寒さで、ここ今治でも、雪が降りました。
3月に雪がふるなんて、あまり記憶にありません。
明日からは、少しづつ暖かくなるようです。 どうか風邪などひかれませんように。

今日も、まず、神社のご紹介から。。。。

昨日ご紹介した、中山町の三島神社に行った後、行きと違う道を通って帰りました。
道沿いには、とても綺麗な川。 
川を横目に、進んでいると、ふと気になる建物が。。。
倉庫? そう思った瞬間に、どうも相棒も気になったようで 少し過ぎたところで車を止めました。

「さっきの建物 気になったよね?」
「やっぱり? どうする、戻る?」
「そうだね。戻ってみようか。。」

そう言って、そのまま、ユーターン。 道路から少し低い川のほとりにある、倉庫のような建物のある場所へ戻ってみました。

「ちょっと見てくる」
すると 外から声が。
「この建物、神社だよ~!」

急いで降りていって、建物の中を見ると、確かに神社!
でも、名前も何も書かれてありません。
「きっと、呼ばれたんだね~」
そういいながら、参拝。
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そして、この建物の横には、なんともいえない、不思議な大きな岩が川の中に。
澄んだ美しい川の中に、 大きな岩が横たわっていました。
ふと見ると、階段があり、その岩まで行くことができたので、さっそく行ってみることに。。。

川の周りも、大きな岩で囲まれていて、神秘的な空気が漂います。
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美しい川
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小さな滝のように流れる水
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そして、不思議な形の岩へ
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岩の端に立ってみました。
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岩の端に立ってみると、なぜかとても不思議な感じがしました。
ここに、呼ばれたようなそんな気がました。
岩の端からみる、川は本当に綺麗でした。
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そして、車へと戻り、エンジンをかけ出発しようとした時。
ふと右の上を見ると、鳥居が。。。。
ここに止まらなかったら、きっと気づかず通りすぎて行ってしまったと思います。
地図にも、載っていない、小さな神社。
神社の名前は、 「龍王神社」でした。
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鳥居の横には、小さな滝のような場所が。
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そして、二つの大きな木の間に、拝殿はありました。
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写真はうつしてありませんが、拝殿の中には、姫が祀られていました。
その顔は、とても優しく、その身体に、ぐるりと巻きつくように大蛇がいました。
龍神は、姫でした。 
この神社のことは、ネットで調べても出てきませんでした。
今度、書物で調べてみようと思っています。 この山を、この川を守る龍神のことを。
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何も知らずに、通り過ぎてしまいそうな道。
龍神さまに導かれたどり着いたこの場所。 本当に、ありがたい。そう思いました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今回の地震で、今もなお、この今治の3倍ほどの人達が、家に帰ることもできず、非難生活を続けていらっしゃいます。
今、全国では、沢山の地自体で、受け入れを始めています。
私の町、愛媛でも、そしてこの今治でも、無償で家を貸してくれる制度が始まりました。

食べ物や、家の中のものも全て用意して迎えてあげることができれば、もっといいなと思うのですが、
それでも、もし家を必要としている人がいたら、少しでも役にたつことができるかなと。。。
今週、今治からも、給水タンクをつんで、市役所の人が仙台へと向かいました。
消防の人達も、応援のため、出発しました。
まだ、これから次々と行く準備をしているようです。

また、あるお年寄りの方は、何とか役にたちたいと、寄付を言ってこられていました。
私も、今日ほんのわずかですが、義捐金をさせていただきました。
子どもも、お店でクレープを買ったおつりを、募金の中に入れてきたと。

ほんの少しでも、何かの役にたちたい。 
今、その気持ちが多くの人の心の中に芽生えてきている。

古代の人々が、心を一つに、国つくりをおこなってきたように、今こそ、大和の国が一つになって、新しい日本を作っていく時なのかも。
自分が、自分がという気持ちを捨て、人のため、未来のため、世の中のために、心を一つに。。。

きっと、乗り越えられる。 そう信じています。





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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-03-17 23:53 | 愛媛県伊予郡中山町 | Trackback | Comments(2)

数あるブログの中からお越しいただきましてありがとうございます。 不思議な数々の出会いから、今は、愛媛の神社めぐりをしながら、神社や女神様そして、神話の神々の伝説を調べています。