<   2011年 05月 ( 19 )   > この月の画像一覧

こんばんは。

台風は、温帯低気圧に変わりましたが、まだまだ、雨が降り続いています。
今治で一番大きい川の、こんな激しい濁流が流れる光景は、久しぶりです。

見ていると、津波の光景とだぶってみえました。
こんな水が、町の中を流れていたのかと思うと、その情景を思い浮かべるだけで、怖いです。

まだ、明日までは、全国的に雨のようですね。
被害が出ませんように、心からお祈りします。


今日は、城川町 二日目。 
久しぶりの、お寺のご紹介です。 

今まで、愛媛のいろいろなお寺を、ご紹介してきましたが、今日ご紹介する 龍澤寺は、今までと全く
雰囲気の違うお寺でした。

お寺というよりも、神社に近い? 建物が神社に近いというのではなくて、その空気が。。。

龍澤寺は、後醍醐天皇(1318年3月29日 - 1339年9月18日)の時代、
徳翁禅師の開山により、創建されたお寺です。

曹洞宗総持派に属し末寺56か寺を有する中本山で、県下最大の精舎です。
日本における(曹洞宗)は、道元に始まります。
道元は、いたずらに見性を追い求めず、座禅している姿そのものが仏であり、修行の中に悟りがあると教えた人物です。 

話を、お寺に戻しますが、
龍澤寺は、石畳の参道の両側には、樹齢約300年を越す杉の巨木がそびえ、桃山時代の建築様式による七堂伽藍が豪壮な、名高いお寺です。

ご本尊は、釈迦如来。

こんな山奥に、こんな立派なお寺があるなんて、正直、思ってもみなかったので、
本当に、びっくりでした。
本道まで続く、参道も、神秘的な空気が漂う、すばらしい場所です。

開山時は、別の場所にあったそうなのですが、
(伊予温故録) によると、成王瀬の下淵に住む龍が現れ、寺地をかえてほしいといわれました。
寺地を替えたあかつきには、水災を守ると。
そして、今の地へと移し、龍天寺から、今の名前、龍澤寺に改めたそうです。

ここも、「龍」の伝説が残る、場所でした。

実は、今回の城川町の旅は、瀬織津姫(龍神)から始まり、全てが、「龍」の伝説が残る場所ばかりだったのです。 それだけ、ここ城川町は、龍に縁のある街のなのかもしれません。

e0165472_2312346.jpg

e0165472_2312188.jpg


ここにも屋根つき橋がありました。
e0165472_23123414.jpg

e0165472_2313548.jpg

橋から見る景色
e0165472_23144327.jpg


仁王門
e0165472_23162597.jpg

e0165472_23164141.jpg


杉の参道
e0165472_23174773.jpg


山門
e0165472_23193072.jpg

e0165472_23194619.jpg

山門に描かれた 豪華な彫刻
e0165472_2323514.jpg

山門を上から見た光景
e0165472_2324854.jpg


成王瀬大権現 (龍神)
e0165472_23213495.jpg


中雀門
e0165472_23252719.jpg


本堂
e0165472_23271161.jpg

e0165472_23293798.jpg

e0165472_23295087.jpg

e0165472_2330398.jpg


文殊菩薩
e0165472_233220100.jpg

e0165472_23323379.jpg


e0165472_2334589.jpg

お寺の中で見つけました
e0165472_23342447.jpg


ここは、前もって予約をすると、精進料理を食べさせていただけるそうです。
一度、ここで、食べてみたいです。

昨日、雨が降っていたので、神社めぐりは、やめて、松山の図書館で調べものをしていました。
そして、 ここ城川に
新たな、瀬織津姫の神社を発見しました!

次に城川に行った時には、まず、姫の神社へ行きたいと思います。

今日も、ありがとうございました。





神々の伝説を伝えるために、そして、
その中から自らの生き方を見つけるために、
ブログランキングに参加しています。

幸せの輪を一緒に広げませんか。幸せの入り口(バナー)をポチっとお願いします。


にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村


ブログで紹介した場所を、地図でご案内しています。。
お越しの際には是非ご参考にされてください。

愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-05-29 23:37 | 愛媛県西予市城川町 | Trackback | Comments(2)

こんばんは。
まだ 5月だというのに、梅雨入り、そして、台風。

今年は、やはり 「水」が、キーワードとなる年になるかもしれませんね。
「水」は、命を育むためには、なくてはならないもの。命の源。生命の源。
でも、命は、時に自然を壊し、命を奪うものでもある。

これこそが、生命の原点の陰と陽の世界なのかな。

でも、最近思うのです。この陰と陽の世界、どちらが陰でどちらが陽なのでしょう?
私たち人間からすれば、津波も、台風も、洪水も、人間から見て災害と言われるものは、
悪いこと、陰の世界かもしれません。
でも、地球にとっては、それらは、地球を浄化し、かき混ぜられることによって、海の中の命を生み、海の中の命の恵みともなる。

見る立場によって、陽にもなり陰にもなる世界。
水は、そのことをはっきりと、私たちに教えてくれているようにも、思います。

そして、水の女神、瀬織津姫さまもまた、ある人にとっては、女神であり、ある人にとっては邪。
水の持つ運命というべきか、宇宙の宿命ともいうべきか。。。。。

でも、一ついえることは、それが、女神としてでも、邪としてでも、陰と陽が、決してなくならないように、
その存在を、消し去ることだけは、決してできないのだと。
邪(蛇)「陰」としての存在だけを、この世に残し、女神「陽」としての存在を消し去ることは、できないのではないかとおもうのです。 
だから、復活した。 女神「陽」としての、姫の姿が、眠っていた姫を想う魂とともに。。。。。

そして、その命の源 「水」の陰と陽が、互いにぶつかり合い、強力なエネルギーとなり、
新しい何かが生まれる。

今、日本は、その時なのかもしれません。

陰と陽が互いに拮抗しあっている今の日本は、何かを生み出そうとしているのかもしれない。。。


今日から、やっと城川町です。
私が、今まで行った中でも、特別、何かを感じた場所 城川。 

数年前まで、選挙で愛媛県中をまわっている時、城川にくるのは、ほとんど夜でした。
その時は、ただ車でつれていかれるままでしたので、どこを走っていたのかさえ、わかりませんでしたが、
いつも、自然に涙が溢れてくるような、感動を覚えていました。

谷の真ん中の真っ暗な道を、ペンライトを振りながら走っていると、山の上の方から、真っ暗な中を、
まるで、蛍がまうように、あちこちで、ライトがゆれていました。

ぽつんぽつんと、山に点在する家々から、寒い中を、
家族全員が懐中電灯を持ち、山の上から、その存在を一生懸命知らせるように、まわしていたのです。
その谷の一番上の家まで、ほとんど全ての家の人たちが。。。

なんて暖かい人たちなんだろう。 こんな不便な場所で、きっと、不自由なこともたくさんあるはずなのに、
それなのに、それを、攻めるわけでもなく、ただただ、ライトをふってくれている。
私には、何をすることもできないけれど、 ただ、めいいっぱいの声で、その気持ちに、答えるために、
見えているということを伝え、心から感謝の気持ちを伝えた。

城川町での、私の、忘れることができない思い出です。

そして、これは城川だけではなく、南予のそのほとんど全域の人々の、暖かい心にふれ、初めて心から、
この人たちのために、この国を、どうかよくして欲しいと願いました。
そして、私にも、何かできることはないかと、それからずっと今も考えています。

城川町は、周りを山々に囲まれた、それはそれは美しいところです。
中心には、4億年前の岩石の上に、黒瀬川という川が流れる、古代と現代の融合する町でもあります。
また、文化、建築物など、たくさんの歴史が残っています。

その中には、東北地方のお祭りと繋がる 「鹿踊り」 や、 南予地方独特の、「天の岩戸開き」のかぐら、など
姫と繋がる文化が残っています。

特に、今、注目しているのが、 「岩戸かぐら」です。

これは、城川町だけでなく、他の南予地域にも、残るかぐらだそうです。

その演目の中に、確か、愛媛独特のものが。

4番目の 「大魔 山の神・内鬼」 と言われる演目です。
もし、南予の方で、このお話がどんなものか、ご存知の方がいらっしゃいましたら、
ぜひ教えてください。

四天剣の舞が行われた後、この 「大魔」 があり、
その後 神清浄 が行われるそうです。
山の神と内鬼のどんなストーリーの後に、浄化が行われるのでしょうか。。。
ここに、愛媛の山の神、 大山積神と瀬織津姫の関係が、表されているような気がするのですが。。。

ここ城川は、瀬織津姫の姫の姿と繋がる、重要な場所かもしれません。

その一つに、今日ご紹介する神社があります。

「杉王神社」 

愛媛には、今明確にわかっている 瀬織津姫の神社が十数社ほどありますが、
全て、瀬織津姫は、ほかの神様とともに、まつられています。
しかし、ここは、瀬織津姫さまだけなのです。

そして、神社の名前は、 「杉王」 これは一般的に、スサノオノミコトのことです。
どうして、姫の神社なのに、名前が、スサノオで 「杉王」 なのか。
また、神社が鎮座する地域の名前を

「男河内」 と言います。

河内といえば、ニギハヤヒが、天磐船に乗って天降りた場所です。
双海の姫の神社があった場所も、河内と言いますが、その上に 「男」 とつけているのは
どうしてなのでしょう。

神社の名前は、スサノオ、そして、その土地の名前は、ニギハヤヒ
姫の神社は、スサノオとニギハヤヒの中に、鎮座していました。

そして、この神社でも、鹿踊りのがおこなわれます。


大浜以外で、姫の名前がある神社に来るのは、本当に久しぶりです。
やっぱり、姫の所へくると、うれしい。。。。。

e0165472_135354.jpg

e0165472_1372926.jpg

e0165472_1374639.jpg

e0165472_1381312.jpg
 
e0165472_1383162.jpg


小さな神社でしたが、姫さまがここにいると思うだけで、ドキドキ。
やさしい光で、包んで下さって、本当にありがとうございます。

多くの神社から、姫の名前が消された、明治時代はじめ、坂本竜馬が活躍していた時代に
このお宮はつくられました。
ほかの場所から、移されたものなのか、それは今はまだわかりません。
でも、当時の人々の強い思いで、名前を消されることもなく、つくられたことに、心から感謝です。
e0165472_142286.jpg


姫の鎮座する神社は、こんな美しい場所にあります。
この場所を教えて下さった、男河内のみなさま、ほんとうにありがとうございました。

e0165472_146586.jpg


夢にみたことも、もちろん、この目でみたことも、ありませんが、
私の心の中には、私の想像する姫の姿が、はっきりと見えます。
やっぱり、私は、瀬織津姫さまが、大好きです。

今日も、本当に、ありがとうございました。





神々の伝説を伝えるために、そして、
その中から自らの生き方を見つけるために、
ブログランキングに参加しています。

幸せの輪を一緒に広げませんか。幸せの入り口(バナー)をポチっとお願いします。


にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村


ブログで紹介した場所を、地図でご案内しています。。
お越しの際には是非ご参考にされてください。

愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-05-28 01:50 | 愛媛県西予市城川町 | Trackback | Comments(0)

こんばんは。

昨日、ある書き込みを読んでいて、 ある言葉が目に飛び込んできました。

「ゼロ磁場」

以前から、知ってはいたのですが、今まで愛媛と結びつかなかったからか、あまり真剣に調べたことがありませんでした。

それが、昨日から、頭の中で、
「ゼロ磁場」 という言葉が、くるくるずっと回っているのです。
というのも、「ゼロ磁場」 という言葉とともに、ある場所が浮かんできたからです。

今日、ゼロ磁場について、少し勉強しました。
そして、少し、思うことがありますので、今日は先に、ゼロ磁場についてのお話です。

「ゼロ磁場」 知っている方が多いと思いますが、知らない方のために簡単に説明を。

地球は、皆さんも知っているように、北極がS極、南極がN極です。
地球は、巨大な磁石。

この地球の磁石は、地表近くで、+と-の力が押し合っています。
プラスとマイナスが、押し合っている場所では、ぶつかり合い、互いの力を、二つの力が拮抗して、
動かなくなる場所があります。
そこを、「ゼロ磁場」と呼びます。

「ゼロ=何もない」ということではなく、大きなエネルギーがせめぎ合い、二つの力が拮抗して動かない状態
ではありますが、その二つの力が、他の場所では、出すことのないエネルギーを出しているといわれています。

ゼロ磁場として、日本で有名な場所は、長野県にあります。

しかし、まだわかっていないだけで、日本中まだまだあるのではないかといわれています。

では、ゼロ磁場は、どんなところに多くは存在するのでしょうか。
それは、断層といわれる場所です。
特に、世界でも有数の巨大活断層といわれている、「中央構造線」です。

巨大な地震を起こすといわれる、この中央構造線沿いに、ゼロ磁場は存在するといいます。
この巨大な断層は、南は九州から四国をとおり、北は関東地方、今まさに、地震が起きている、あの茨城県へと続いているのです。

その北の最終地点茨城県は、地震を起こさないようにさせるという、要石をお祀りしている、鹿島神宮がある場所です。
皮肉にも、このゼロ磁場の多くは、地震地帯と言われる、中央構造線沿いにあるのです。

大地震という人間にとって、起きて欲しくない災害をもたらす断層ですが、その断層のある地点からでる
「ゼロ磁場」は、神秘のエネルギー、「気」のような、人や動物の病気をなおす力なんらかの強いエネルギーが出ていると言われています。

そして、中央構造線沿いには、まるでそのエネルギーをわかっていたかのように、古代の人々は、そこを聖地とし、神社を建立したり、修行の場としてきました。

そして、愛媛の聖地と一般的に言われる場所は、「石鎚」 です。

でも、私は、ここだけではないような気がするのです。
四国は、小さな島にも関わらず、その身体をまるで、半分に割るかのように、中央構造線が走っています。
そして、愛媛の場合は、その力を更に倍増させるかのように、黒瀬川構造帯があります。

まず、以前から、ここが何かの境目ではないかと思っていた場所があります。
それは、高速道路を走っていて、伊予から内子へと入る最初の山のトンネルです。
私は、南予へ行くようになってから、ここを、天空へ向かうトンネルと呼ぶようになりました。

中央構造線を、地図で調べて見ると、なんと、そのトンネルを出た場所が、中央構造線 地質境界線と言われる場所だったのです。

そして、もっと調べてみる、まだ、紹介していませんが、先日行ってた神社が、この地質境界線と言われる線の真上に鎮座している神社でした。 
そして、今日ご紹介する神社も、中央構造線沿いとも言える場所に鎮座している神社です。

また、次回から紹介する予定の、「城川町」は、 中央構造線の南に位置する町で、ここには、更に以前も少しお話しました、黒瀬川構造帯という場所にあります。
黒瀬川構造帯とは、西南日本の大きな断層帯にそって、まわりとはまったく違った岩石が出てくる場所なのです。
ここでは、約4億2700万年前の暖かい海のサンゴ礁に生きていた生物の化石が見つかっています。
この化石は、ゴンドワナ大陸という大陸からやってきたといわれています。
約4億2700万年前にあった大陸で、現在の南米・アフリカ・オーストラリア・南極大陸のほか、インド半島やマダガスカルなどがあつまっていた巨大な大陸でした。
古生代から中生代にかけて南半球にありましたが、その後、分れてしまった大陸。

このゴンドワナ大陸の一部と言われているここ城川の土地を、
黒瀬川古陸と呼んでいます。
約1億4000年前 ジュラ紀までは、赤道地域にあった黒瀬川古陸は、はやいスピードで北に移動して、アジア大陸の東がわに、衝突したと考えられています。
そして、その後の大きな横ずれ断層によって、ばらばらになりながら、さらに、北中国の位置にまで北のほうにずれと言われています。
その一部が、時を超え、黒瀬川構造体という形で、こうしてあります。

約4億2700万年前とは、植物が地球にでき初めて、大森林が各地に形成し始めたころ、まだ恐竜すら現れていない時代です。
その時の大地の気が、この地域には今も残っているのではないかと思うほど、全く今までと違う感覚がありました。 更に、その中でも、強いエネルギーの場所のいくつかに、今回は行ってきたように思います。

「ゼロ磁場」 

これから、私の神社 (聖地) を巡る上での、一つのキーワードのように思えましたので、
少し長くなりましたが、お話をさせて頂きました。

今日ご紹介する、 雨乞いの宮も、それはそれは、別世界のような場所でした。

では、神社のお話です。


少し前に、紹介しました 重信町山の中、
県道152号線を、北へと走ります。 その道沿いには、沢山の採石場があります。
山之内という地区へ入り、少し走ると、更に山へと上がる、小さな林道が小さな川の横にあります。

その林道に向かって入っていきます。
小さな川の名前は、黒滝川。 この川の上流近くに、今回の神社はあります。

名前は、「龍神社」 古くは、黒滝神社と呼ばれていました。

雨乞いの神として、住古から信仰されていて、当時は、現在よりも更に上、
明神ヶ森に鎮座されていました。
と、言っても、現在の鎮座されている場所も、かなり上へと上がっていきます。

道は、地元の人でも、めったに来ない 細い林道。
今まで、いろいろな山奥へと行ってきましたが、今回の道が一番の難所でした。

道は、舗装されていなく、砂利道、所どころ、落ちてきた落ち葉で、道が覆われていたり、大きな石が山から落ちてきていたり、途中車を止めて、石を除けながら走っていきました。

本当に、この道であっているのかと思うほど、誰にも会うことはなく、細い細い道をゆっくりとゆっくりと
走っていきました。 でも、途中時々現れる、美しい沢。
ただただ、神社へつきたい、きっとたどり着けると自分に言い聞かせながら走ること約40分。

ここが、最後の難関でした。

神社の看板などあるはずもない、山奥、道が二つに分かれていました。
もちろん地図にも、のっていません。

ふと見ると、小さな看板が、そこには、「登山口」 とかかれた小さな看板が置いてありました。

看板がある方向のほうが安心だなという思いから、矢印の方向 左へ曲がりました。
しかし、数十メートル走った時、なにか違う気がする。そんな気持ちが急におこりました。
すると、目の前に、車がユーターンできる少し広い道があったのです。

この道は、ほとんど広い道がなかったので、これを逃すと、かなり上まで行かないと行けないかもしれない。
そう思い、とっさに、やっぱりユーターン。
右に行こうと、引き返しました。 もちろん、何も根拠はありません。
このまま、行ったらたどり着くかもしれません。
でも、右へといくことを、選び、元の別れ道へ、 そのまま右の方へと進みました。

少し走りましたが、やっぱり神社は全く見えない。

もしかして、間違っていたの? そう思いましたが、もう少し行ってみようと、そのまま信じて進みました。

すると、突然、左側に、

「あ!神社が!」  

林道へ入ってから、約1時間、やっと神社に到着しました。

そこは、下界とはまるで別世界。
生い茂る木々の中に、静かに静かに 鎮座する 龍神社。
聞こえてくるのは、遠くから聞こえる 鳥の声。
木々の間から、差し込む光。 人の気が全くなく、あるのは、その静かで優しい自然だけ。

ここまで上がってくるには、本当に勇気がいりました。
前もって調べたのですが、ここに来た人を見つけることはできなくて、やっと見つけたサイトの方は、
途中で諦めて帰ってしまっていました。

まるで、先の見えない 人の人生をあらわしているかのような道に思えました。
途中何度も、もう、これ以上は無理なんじゃないかと思うような場所を通り、それでも、前に進む。
諦めたらいけないんだな。 ということを、改めて教わったような気がしました。

引き返そうかと思った自分が、とても恥ずかしくも思えました。

龍(黒滝)神社です。

*龍神社
*祭神:龍神(しゅうじん)(十二躰の御神像あり)
*御神徳:雨乞神
*由緒
 黒龍神社と称し元明神ヶ森に鎮座すと伝う。文明4年(1472)現在地に遷座したと伝う。
 慶安元年(1648)8月吉日、願主高須賀佐兵衛在銘の金幣は市指定文化財。雨乞神として霊験あった神 社である。神門は嘉吉3年(1443)11月8日河野通光再建と伝わる。

山の中の参道
e0165472_22561075.jpg


e0165472_2323119.jpg

e0165472_2325049.jpg

e0165472_2331161.jpg

e0165472_2333126.jpg

e0165472_2335352.jpg

e0165472_234778.jpg

e0165472_2342423.jpg

e0165472_2344435.jpg


ありがとうございました。







神々の伝説を伝えるために、そして、
その中から自らの生き方を見つけるために、
ブログランキングに参加しています。

幸せの輪を一緒に広げませんか。幸せの入り口(バナー)をポチっとお願いします。


にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村


ブログで紹介した場所を、地図でご案内しています。。
お越しの際には是非ご参考にされてください。

愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-05-26 23:05 | 愛媛県東温市重信町 | Trackback | Comments(4)

こんばんは。

昨日、大浜八幡神社で参拝をした後、鳥居を出てまっすぐ海を見ると、
小さな龍のような雲が目の前に出ていました。

久しぶりに見た、龍雲でした。

e0165472_22484931.jpg


今日の神社は、松前町に往古から鎮座する、
惠依彌二名神社です。 伊豫神社の近くにあります。

主祭神は惠日売命(えひめのみこと)、愛媛の女神です。
そして、配神は、伊豫津彦命と伊豫津姫命。

ここは、すぐ近くを何度も通っていたのですが、今まで行くことはありませんでした。
それが、先日紹介した、日尾八幡神社に行った後、急に気になり始め、行ってみると、
伊豫津彦命と伊豫津姫命、そして、愛媛の女神、愛比売命が祀られていました。

まるで、日尾八幡神社にたどり着くのを待っていたかのように、ここに導かれました。

恵日売命は、伊豫の国御霊の大神さま。
ここは、伊豫の古宮として、往古から伊豫二名本宮と称されていました。

その後伊豫大社五社大明神とも称され、本宮伊豫神社、伊豫二名神社、伊豫古宮、愛依日宮、正八幡宮の五社が境内に鎮座していました。
当時は、社地6町四方に及ぶ大社として、現在地の約100m北側に鎮座されていたそうなのですが、
慶長11年(1606)時の藩主・加藤嘉明公の命により、五社を一社に合祀し、再興がはかられました。

元禄の頃は、ここも多くの古宮と同じように、伊豫本社正八幡宮、
享和年間には伊豫本宮恵依八幡宮、すなわち八幡様として崇敬されていたそうです。

また古書によると畳八畳が敷けるような楠が茂っていたそうです。
神社の創設は古く、景行天皇の御代と伝えられます。

景行天皇は、12代天皇、71年に即位された天皇です。
弥生時代に、鎮座されたこの神社の近くから、弥生時代の石剣、玉、鏡、壷型土器が出土され、
社宝としているそうです。

伊豫の国が、本格的に国造りを始めたころの原点が、ここにあるのかもしれません。

弥生時代。
稲作が始まったと言われるこの時代は、きっとまだ、瀬織津姫さまを大神さまと祭っていたのでしょうね。

e0165472_23102050.jpg

e0165472_23105352.jpg

e0165472_23112246.jpg


拝殿
e0165472_2312184.jpg


本殿
e0165472_23132112.jpg


神紋(五七の桐)
e0165472_23283791.jpg


この神紋は、桐の葉と花を形象化したものです。
聖王の出現を待ってあらわれる瑞鳥鳳凰のとまる嘉木といわれます。
平安・鎌倉時代は、桐・竹・鳳凰一組の模様が天皇のみに用いられ、黄櫨染の袍に織り込まれていたのが、のちに桐だけが取り出され、公的な天皇の象徴となったと言われます。

惠依彌二名神社は、やはりそれだけ、重要な神社ということなのでしょうか。。。。

e0165472_23333739.jpg

e0165472_23335263.jpg


e0165472_23344865.jpg


松山から帰りの海がとても綺麗でした。

e0165472_2345982.jpg


私も、少し前まで、
不満がいっぱいあった人間だったかもしれません。

でも、今は、
家族がみんな元気で、毎日笑顔で暮らせる、そのことだけで、毎日がとても幸せに感じます。

今日も、本当に、ありがとうございます。






神々の伝説を伝えるために、そして、
その中から自らの生き方を見つけるために、
ブログランキングに参加しています。

幸せの輪を一緒に広げませんか。幸せの入り口(バナー)をポチっとお願いします。


にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村


ブログで紹介した場所を、地図でご案内しています。。
お越しの際には是非ご参考にされてください。

愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-05-25 23:45 | 愛媛県伊予郡松前町 | Trackback | Comments(0)

こんばんは。

今日は、仕事の帰りに、大浜八幡神社に参拝に行きました。

大浜八幡神社は、今年1500年祭を迎えました。
大浜八幡神社も、今年大きな節目を迎えた年だったのですね。

その時に、こうして、姫と出合い、こうしてここに参拝できることに
心から感謝をしたいと思います。


神社へつくと、いつも、境内を綺麗に掃除をして下さる、神社の近くの女性がいました。
もう、随分前、私がまだ、神社に行き始めてまもない頃、一度であったことのある方でした。

毎日、早朝と夕方、境内を掃除してくださっています。

今日、この方がおっしゃっていました。

「毎日、こうして、ここを綺麗にしたら、自分の心が綺麗になったようでうれしいんよ。
人の悪口を言ってはだめとわかっているんだけど、ついつい言ってしまうことがあるんだよ。
こうして、ここをこうして綺麗にすると、汚れた心が綺麗になった気がして、とても気持ちがよくて、うれしいんだよ。」  と。

そう言いながら、一生懸命綺麗に姿が、とっても素敵でした。

その方が、小千命の銅像の前を掃除している時、銅像の真上に、太陽が光をさしました。
その光景を写真にとると、
その光は、虹色に輝く孔雀のように、羽を広げているようでした。

偶然の光だったかもしれませんが、その光は、暖かく、包み込んでくれているように、
私には、思えました。 ありがとうございます。
e0165472_21543520.jpg



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今日の神社は、松山市畑寺町に鎮座する、三島神社と、桑原八幡神社です。
この神社は、以前、四国八十八ヶ所 繁多寺に来た時、偶然見つけた神社で、いつかは参拝しようと
思っていた神社です。

でも、その時は、ここに三島神社があるとは、知りませんでした。

というのも、現在ここは、桑原八幡神社と三島神社が合祀され、桑原八幡神社と呼ばれています。
地図にも、三島神社の名前はありません。
八幡神社だと思って行ったので、三島神社と書かれてある石碑を見つけてびっくりでした。

もともとは、二つの神社は全くの別々の神社でした。
しかし、近くに鎮座していたらしく、
桑原八幡神社は『東の宮』、三島神社は『西の宮』とも呼ばれていました。

桑原八幡神社は、
桑原村古宮という所に、姫大神が鎮座されたことが始まりだと伝わります。
西暦400年頃には、ここにあったと思われ、履中天皇(400~405)の勅願所であったといいます。
その当時は、八幡神社ではありませんでした。
八幡神社を合祀したのは、貞観元年(859)四月。
その後、河野氏族によって、守られてきた神社だと伝わります。

そして、西の宮と呼ばれた、三島神社は、
仁徳天皇の御代(420頃)に創建と伝えられています。
大浜八幡神社よりも、古い時代に創建されたということになります。
しかし、この時は、三島神社と呼ばれていなかったようです。

三島神社となったのは、聖武天皇神亀五年(728)八月越智玉純が大三島より雷神、高神を勧請合祀した時でした。

八幡神社も、この三島神社も、同じ場所に、西と東で鎮座していたと伝わる神社は、
もしかしたら、一つの神社だったのかもしれません。
姫大神を祀る神社だったのかも。
そして、大三島に大山積神が祀られた後、三島神社と、八幡神社に別れたように思えます。
配神に天津彦火瓊々杵尊(あまつひこほににぎのみこと)・木花咲夜姫命(このはなさくやひめのみこと)
岩長姫命(いわながひめのみこと)を祀っていることも、何かを物語っているものと思います。

三島神社は、八幡神社と合祀されている所が多いことも、最近わかってきました。
大浜八幡神社もその一つです。

そして、今日ふと思ったのですが、
三島明神という名前そのものが、姫の名前を隠すための、名前ではなかったのかと。
三島という名前には、
三つの島という意味や、御島(みしま)が三島となったという説など、どれが正しい説なのかは、今もわかっていません。

伊予の国を作った人々が、自分達の祖神として、祀っていた神さまは、
三島明神という名前で隠された、姫大神=瀬織津姫 と、 男神=ニギハヤヒだった。
大三島の三島明神、大山積神が宮浦へ鎮座してから、その分霊を、伊予の国々のあちこちに、
神社を建立する時、わずかな抵抗?完全に認めたくなかったその気持ちから、
三島明神は誕生したのかもしれません。

その一つの証拠が、大浜八幡神社にある。
大浜八幡神社に祀られる、伊予の祖小千命の祖神は、
三島明神とも、大山積神でもなく、ニギハヤヒとしています。

もし、大山積神を祖先としないだけでなく、三島明神ということばさえ出てこないこのことが、
全てを物語っているように思います。
津島に祀られていた、瀬織津姫が、大浜八幡神社のもととなることも書かれています。
小さな津島に祀られていた、瀬織津姫の神社は、
大浜八幡神社よりも、位の高い神社とされていたということも、そのことを物語っています。

そして、今日ご紹介した 桑原八幡神社と三島神社の原点ともいえる 姫大神もまた、
伊予の国の祖神、瀬織津姫ではないかと、思います。

*桑原八幡神社
*松山市畑寺町440番地
*祭神
誉田別尊(ほだわけのみこと 17代 応神天皇)
足仲彦尊(あしなかひこのみこと 16代 仲哀天皇)
息長足姫尊(いきながたらしひめのみこと 神功皇后)
姫大神(ひめのおおかみ)
大山積神(おおやまずみのかみ)
雷神(いかづちのかみ)
高神(たかおがみのかみ)
【配神】
天津彦火瓊々杵尊(あまつひこほににぎのみこと)
木花咲夜姫命(このはなさくやひめのみこと)
岩長姫命(いわながひめのみこと)
菅原道真(すがわらみちざね)
合祀社神
*境内社  素鵞神社(素佐之男命)

e0165472_22402651.jpg

e0165472_2240437.jpg

e0165472_22405991.jpg

e0165472_22411447.jpg

e0165472_22433030.jpg

e0165472_22434457.jpg

e0165472_22435963.jpg


両方の神紋が掲げられています。
e0165472_22453988.jpg


本殿
e0165472_22463776.jpg


鎮守の杜には、藤の花が。
e0165472_22481938.jpg


今日も、ご覧頂きまして本当にありがとうございました。
最後に。。。。。。

人生で何度か、二つの選択を迫られる時があります。
どちらに決めたら、より幸せな人生が待っているか。。。 そう思って人は、決めようとしてしまうものです。
でも、どちらか間違っているのでもなく、
どちらが、正解ということでもないと私は思うのです。

人は、よい、悪いを、その時のその起こった出来事で判断しようとしてしまいます。
でも、本当は、そうではなくて、全て通過点でしかないのです。

何かが起こるということは、今の自分に足らないものを得るためで、
これから先、自分が生きるために必要なものなのです。
魂が、より難しいことを望むと、より困難なことが待っているかもしれません。
でも、魂が望む場所へたどり着くためには、その困難を乗り越えなくてはならないのです。
だから、それは悪いことではなく、自分の魂にとっては、よいことで、必要な通らないと行けない道なのだと
私は思います。

よい悪いと決めるのは、自分の心です。
ある人から見ればそれは悪いことでも、ある人から見ればそれはよいことになるのです。

どちらを選んでも、それは間違いではありません。
その先で、どんなことが起きようとも、間違いではありません。
今、選んだその答えが、自分にとっての道だから。。。。。





神々の伝説を伝えるために、そして、
その中から自らの生き方を見つけるために、
ブログランキングに参加しています。

幸せの輪を一緒に広げませんか。幸せの入り口(バナー)をポチっとお願いします。


にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村


ブログで紹介した場所を、地図でご案内しています。。
お越しの際には是非ご参考にされてください。

愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-05-24 23:11 | 愛媛県松山市 | Trackback | Comments(6)

こんばんは。

今日、ご紹介しようと思っていた、日尾八幡神社。

日尾神社は、たまたま通りかかって立ち寄った神社だったので、どんな神社か調べて、
今回、2日間をかけて巡った場所の意味が、わかったのです。

なにげなく、ただ思いつきで周った道が、
日尾八幡神社にいくために、導かれた場所だったというしか、説明のしようがないくらい、偶然が重なっていたことに、この最後に行った、日尾八幡神社を調べて、わかりました。

こんなことって本当にあるのですね。

日尾八幡神社は、松山市南久米町に鎮座する神社です。
始めは、久米八幡宮と称え、孝謙天皇の勅願所であった場所と伝わります。

ここには、多くの祭神が祀られています。

・西玉殿
   品陀和気命(ほんだわけのみこと、応神天皇)
   帯仲日子命(たらしながつひこのみこと、仲哀天皇)
・中玉殿
   多紀理毘命(たぎりひめのみこと、比売神、宗像三女神)
   狭依毘売命(さよりひめのみこと、比売神、宗像三女神)
   多紀都毘売命(たぎつひめのみこと、比売神、宗像三女神)
・東玉殿
   大帯姫命(おほたらしひめのみこと、神功皇后)
・西玉殿側玉殿
   健内宿禰命(たけうちすくねのみこと)
・中玉殿
   伊予比売命(いよずひめのかみ)
   饒速日命(にぎはやひこのみこと)

・東玉殿側玉殿
   猿田毘古大神(さるたひこのおおかみ)

これだけでなく、境内社には、

・天照皇大神(玉垣内本殿東隣)
・春日大神(玉垣内本殿西隣)
・天満神社(本殿東側)
・東道後神社(天満神社東隣)
祭神は天御中主大神、天照皇大神、月夜見大神、合祀として後藤信正翁命。

この中の、中玉殿の御祭神
伊予比売命(いよずひめのかみ)
饒速日命(にぎはやひこのみこと)

伊予比売命は、伊予比古命と夫婦神とされ、伊予国の地主神と伝わります。

以前、ご紹介した、
伊予豆比古命神社にも、祀られていました。

伊予比売命と、伊予比古命は夫婦神、伊予国の神として、2000年以上昔から、祀られていました。
その場所は、現在の場所ではなく、
久米郡神戸郷古天野神山(現在の小野村大字小屋峠)でした。

小野村、小屋峠とは、前回お話した、新宮神社や、三島神社のあの道から見える山です。


地図の一番上が、新宮神社、そして、三島神社、そして、一之宮神社です。
まず、私たちが行ったのは、この三社でした。
そして、次に向かったのが、日尾八幡神社の末社、野田神社でした。

伊予比売命と、伊予比古命、二柱の御神体は、小野村の小屋峠に祀られていたのですが、
洪水により社殿が崩壊し、平井谷明神ヶ鼻に遷座されました。
しかし、再び、洪水にあい、二つの御神体は、別々の場所へと流されてしまったのです。

男神の伊予豆比古命は天山村の縦淵流れ着き、
現在の神社、伊予豆比古命神社に遷られました。

そして、女神の、伊予比売命は、
日瀬里(現在の久米窪田)の龍神淵にて引き上げられたのです。

野田神社に行った次の日、
私たちは、もう一度、前の日と同じ方向へ行くことにしました。
国道11号線を、東温市方面へ走っていたのですが、道路が、ものすごい渋滞。
しばらく、国道を走っていたのですが、あまりにも混雑がひどいので、
横道へ、入ることにしました。 
そして、横道へ入って少し行くと、小さな神社がありました。

神社の名前を見ると、龍神社。

こんなところに、龍神社が。。。。 参拝させていただくことにしました。
それが、伊予比売命の御神体が、流れ着いた場所、久米窪田に鎮座する、神社だったのです。


そして、龍神社に参拝した後、
そのまま、なんとなく、日尾八幡神社の方へと戻り、前日、前を通って気になっていたのもあって
参拝させていただくことになったのです。

伊予の姫神と御神体があった 小野町小屋峠の側を通り、三つの神社に参拝し、
次の日、御神体が流れついたその場所へと、導かれ、そして、引き上げられた御神体をお祀りする
日尾八幡神社と、たどり着いたのです。

御神体の流れた道を、私たちは通って行き、
現在の場所へと、導かれたことに、気付きました。

偶然と言ってしまえばそれまでですが、私は偶然だとは思いたくないなと。。。。
そのことに、どんな意味があるのかはわかりません。

でも、その道をこうして、たどることができたことに、感謝したい。
姫さまと、少しでもつながっている、そう思えたことが、とてもうれしかったです。

現在、御神体は、夫婦別々の場所に祀られています。
そして、日尾八幡神社 中玉殿では、饒速日命とともに、祀られている。
やはり、伊予比売命は、龍神 瀬織津姫といえるかもしれません。

龍神社
e0165472_2235316.jpg

e0165472_2235196.jpg

e0165472_22353544.jpg


そして、ここも、三島の神紋でした。
(折敷に角三文字)
e0165472_22383359.jpg

e0165472_22384541.jpg


本殿
e0165472_2241459.jpg

e0165472_2242310.jpg



そして、現在御神体が祀られている
日尾八幡神社
e0165472_22445818.jpg

e0165472_22451458.jpg

e0165472_22453094.jpg

e0165472_2247531.jpg


並んだ狛犬
e0165472_22481066.jpg


生目神社
e0165472_22493010.jpg


奈良原神社
e0165472_22503627.jpg


金毘羅大権現
e0165472_22514284.jpg


更に階段を上る。
e0165472_22525192.jpg


拝殿
e0165472_2253517.jpg

e0165472_22544981.jpg


本殿 (西玉殿 中玉殿 東玉殿)
e0165472_2257169.jpg


春日大神
e0165472_22582097.jpg


天照皇大神
e0165472_2301094.jpg


東道後神社
e0165472_2315558.jpg

e0165472_2321745.jpg



現在は、夫婦別々に祀られている、
伊予比売命と伊予比古命。
もしかしたら、一緒に、お祀りしてほしいのかもしれないな。とふと思いました。
いつか、叶うといいな。。。。。

二柱の神が、最初に祀られていた 小野町は、応神天皇の時代、
松山地域の国つくりの中心となった場所です。
神魂命を、祖神とする、久米氏の祖先 久妹国造が、開拓したと伝わります。

今回、私が巡った場所は、その中心の場所でした。 そして、御神体が流れた場所。
中玉殿に祀られる ニギハヤヒと伊予比売命。
そして、宗像三女神である
多紀理毘命・狭依毘売命・多紀都毘売命が、同じ中玉殿に祀られているということも、意味があるようなきがします。


(知って傷つくことと、傷つきたくないから知ろうとしないこと)

みなさんなら、どちらを選ぶでしょうか?
現実を知ってしまうと、傷ついてしまうかもしれない。
でも、それでは、いつまでたっても前に進むことはできない。

知ることが怖いからと、いつまでも、現実から逃げていて、本当の幸せに出会えることはできるでしょうか。

私は、思うのです。
その時は、傷ついてしまうかもしれない。
でも、現実を知ること、現実を受け止めることから、初めて何かが始まる。
目をつぶっていても、何も始まることはないし、幸せになることはできないと。

事実は、いくら目をつぶっても、変わることはないのです。
勇気をだして、目を開けて、本当の姿、現実を知り、受け止め、それから、次への一歩を
歩きだしてみませんか。

それが、幸せになる、第一歩だと、私は思います。。。。。。。





神々の伝説を伝えるために、そして、
その中から自らの生き方を見つけるために、
ブログランキングに参加しています。

幸せの輪を一緒に広げませんか。幸せの入り口(バナー)をポチっとお願いします。


にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村


ブログで紹介した場所を、地図でご案内しています。。
お越しの際には是非ご参考にされてください。

愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-05-23 23:23 | 愛媛県松山市 | Trackback | Comments(6)

おはようございます。

愛姫伝 動画 アップしました。

第七章 「神様を巡る伊予の旅2」です。

伊予の神様の場所へ、動画で巡ってみてください。



 


神々の伝説を伝えるために、そして、
その中から自らの生き方を見つけるために、
ブログランキングに参加しています。

幸せの輪を一緒に広げませんか。幸せの入り口(バナー)をポチっとお願いします。


にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村


ブログで紹介した場所を、地図でご案内しています。。
お越しの際には是非ご参考にされてください。

愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-05-22 05:19 | 歌・動画 | Trackback | Comments(0)

こんばんは。
今日、また、素敵なシンクロがありました。

昨年の暮れ、4年くらい前から、毎年司会をさせていただいているイベントに行った時、最近どんなこととしてるの? と聞かれ、神社の話をしたところ、

「今度、ここで、〇〇してみたらどう?」 と、ある提案がありました。

年末でバタバタしている時期だったので、年が明けたら一度ゆっくり話しましょう。と言って、その時は、それで話は終わりました。
それから、年が明けても、なかなか、お互いの時間が合わず、その話も、それっきりになっていました。

でも、私の中では、今年か、来年に、できたらいいな~。と密かに、思っていました。

そして、先週末、私の職場(同じ建物内)に仕事の話で来たからと、私のところを尋ねてきてくれたのです。
その時、あの去年言っていた 〇〇のことですが、してみたいなと考えてます。 とお話すると、

「じゃあ、予約する時はいつでも声をかけて」 と言っていただきました。

そして、一昨日、思い切ってやってみよう。
そう思い、メールをすると、
「じゃあ、聞いてみるね。」 と、
そして、少しして、メールの返信。

「〇〇の予約は、明日までみたいだから、連絡してみて。」と。

でも、その日は、忙しくて、なかなか職場から、電話することができなかったので、
今日、電話をしてみました。

すると、今年度の予約は全て今日までということ。
本当に、ギリギリの申し込みだったのです。 でも、今日は、夕方までに、松山に行くことは不可能でしたので、もう一日待っていただけることになりました。

先週末、私のところに会いにきて下さらなかったら、もしかしたら、もっと先に申し込みをしようとして、
できなかったかもしれません。 
本当に、びっくりでした。

しかも、それだけではありません。

「連絡をしてみて」 と担当の方のお名前を聞いてびっくり。
今回の担当の方のお名前が 

「三島さん」 だったのです。

河野さんや、越智さんは沢山いますが、 三島さんは、今までにも、あまり会ったことがありません。

締め切り日前日にしてみようと決めて、担当が三島さん。
これも、ご縁なのかも。。。。。。 と、 素敵なシンクロに、心から感謝して、
来年に向けて、少しづつ準備を始めなければ^^ と思っています。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今日は、前回の三島神社の続きです。

三島神社に参拝した後、「一之宮神社」 という神社に行ったのですが、ここは、どんな神社なのかが、まだよくわかりませんので、今回は、保留にして、この日、最後に行った神社をご紹介したいと思います。

県道196号線を南へ下がると、小野町という地区になります。
そして、この小野町に、「山の神」という地区があるのです。

その山の神と言われる場所がここ。
e0165472_2564262.jpg


でも、どうして山の神と呼ばれているのかという理由は、まだわかっていません。
いつか、わかる日がくるかな。。。

そして、この山の向こうを、重信町方面、東へ少し行った 北梅本町という所に、今回の神社はあります。
周りは、畑。 畑と神社の間に、小さな川が流れていました。

この小さな川の名前が、ちょっと気になります。
e0165472_305912.jpg


川の名前は、「悪社川」 
神社の目の前を流れる川の名前が、どうして 「悪の社」 なのでしょう?
まったく立ち寄る予定ではなかったのですが、とても重要な場所? そんな気がしていました。

そして、神社へと。。。。。

*野田神社 (松山市北梅本町甲3331)
*祭神 
 大日孁神(おほひるめのかみ)
 建速須佐之男命(たけはやすさのをのみこと)
 饒速日命(にぎはやひのみこと)
*境内社
 森八幡宮(応神天皇、仲哀天皇、高羅良明神、三女神、森権守勝貞霊)
 岡荒神社(奥津彦命、奥津比売命)
 雷神社(意富迦牟都美命)
 諏訪神社(建御名方命)
 森貞神社(森貞兵部少輔通元霊)
 宮内神社(宮内式部少輔通則霊)
 権現宮(熊野皇大神)

ここは、往古より野田宮と呼ばれ、三座の神を斎祀したという古き社でした。
三座の神とは、
大日孁神(おほひるめのかみ)
建速須佐之男命(たけはやすさのをのみこと)
饒速日命(にぎはやひのみこと)
のことです。

少し違和感のあるのは、私だけでしょうか?
大日孁神(おほひるめのかみ)は、アマテラスの別名、また読み方も、
「おおひるめのむちのかみ」 とも呼ばれます。
言語学的には別名「オホヒルメノムチ」の「オホ」は尊称、「ムチ」は「高貴な者」、「ヒルメ」は「日の女神」を表すとされます。
普通に解釈すると、アマテラスのことを指しているように思いますが、私は、アマテラスではなく、これは姫だと私は、思ってます。

この日は、ここが、どんな神社か全くわからずに、神社を後にしたのですが
数日後、調べてみてびっくりしました。
実は、この次の日、大きな八幡神社に参拝に行ったのです。
「日尾八幡神社」 ここは、次回に詳しくお話しますが、とても、由緒ある神社です。
野田神社は、この、八幡神社の末社だったのです。

次の日知らずにたまたま前を通りかかって参拝に行った、日尾八幡神社に行く前に、この末社である、野田神社へ来たことは、偶然ではないように、思えてきました。

いつも言っていることですが、
何事にも、順番がある。 また、今回も、そのことを教えられたような気がします。
いきなり、上には行くことはできないと。
まずは、下から、少しづつ上がっていく。  順番を飛ばして行けたとしても、先に行くべき場所に行っているからこそわかること、次へと繋がる道が見えてくるのだと。

その時は、それが、繋がっていることに、気付かないかもしれません。
でも、だからと言って、その順番を飛び越えて進んでしまうと、何かが、足りないために、上手く次へと進めなくなってしまうのです。

無駄なことに思えるようなことの中にこそ、大事なことが隠れているのかもしれません。

鳥居
e0165472_3294271.jpg


拝殿
e0165472_3403110.jpg

e0165472_3404843.jpg

e0165472_342111.jpg


神紋
e0165472_3433783.jpg


本殿
e0165472_3442376.jpg


境内社 (宮内神社)
e0165472_3455750.jpg


境内社 (森八幡宮)
e0165472_3474572.jpg


野田神社に来る前に、参拝した小野町 一宮神社、そして、ここ野田神社は、次の日尾八幡神社に行くまでに、行かなければいけなかった場所なのでしょう。
全てが繋がっているということは、その時にわかるのではなく、後からわかる方が多いかもしれません。

全てを通って、全てを終えて初めて、
「繋がっていたんだ」 と気付くものなのかもしれません。

e0165472_422988.jpg


前回は、光輝く満月でしたが、今日は一転。
オレンジ色の月です。 あの眩しいくらいの光も、この月からは見ることができません。
でも、どちらも同じ月。 
元は、同じものでも、こんなにも違って見えるのですね。

私達も、この月と同じなのかもしれません。
輝き、色を変え、満ち欠け、いろんな姿を見せながら、毎日を過ごす。
同じ自分でも、全く違う自分になってしまいます。

でも、一つだけ、月と人間の違うところがあります。
それは、自分の力で、光輝くことができるのです。 
私たち、人間は、昨日の満月のように、自由に光輝くことができるのです。

だれでも、どんな時でも、その心次第で。。。。。

(ゴールデンウィーク中、4つの震災復興イベントに 子どもが出演し、この曲を歌いました。
 とても素敵な歌でした。 元気がないあなたへ。 
 どんな人生でも、やり直せる。 いつからでも、何歳からでも、やり直せる。
   
 無駄なことなんて、人生には一つもないんだから
               あきらめることを あきらめよう・・・・・・・・・・・・・。




神々の伝説を伝えるために、そして、
その中から自らの生き方を見つけるために、
ブログランキングに参加しています。

幸せの輪を一緒に広げませんか。幸せの入り口(バナー)をポチっとお願いします。


にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村


ブログで紹介した場所を、地図でご案内しています。。
お越しの際には是非ご参考にされてください。

愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-05-21 04:18 | 愛媛県松山市 | Trackback | Comments(0)

こんばんは。

先日の満月の日。 何だか窓の外が明るいな。。と思い、外を見てみると、綺麗な満月が見えました。
家が沢山ある所に住んでいるので、そこから見える空に、満月を見るのは、ほんのわずかの時間。
ちょうど、その時が、見える時でした。

眩しいくらいに光る満月が、とても綺麗でした。
月の光には、不思議な力を感じますね。 

e0165472_21424417.jpg



今日は、先日の続き、松山市の神社をご紹介します。
今、ご紹介している所は、以前、お話した東三方ヶ森の西、川の郷というところです。


今日の神社は、川の郷地区の中心にあたる場所。
山の中に、ひっそりと建つ、三島神社です。

ここは、往昔、河野清通が此の山中に隠れ住み、氏神として三島大神を勧請し子孫永住の地と定めた場所と伝わります。
河野清通は、河野家の子孫に受け継がれた、「通」 という字を、最初に名前につけられた人物です。

父の名前は、河野親清。母は河野親経の娘。
親清には、子どもがいませんした。
そこで、清通の母は、大三島の三島明神に、子どもを授かるようにと、祈願します。
そして、その願いが通じ、清通が、生まれました。

三島明神から授かった子ども、「神に通じた子」 とされ、清通という名前がつけられました。
そして、それ以後の河野氏は当主が代々、「通」の字を用いるようになったと伝わります。

ここ、川の郷の三島神社は、
その 河野清通が、隠れ住んだと伝わる場所です。

1180年、平家と源氏の戦いが始まります。 その時、源頼朝とともに、平家を討ち果したのが、この河野清通です。
しかし、翌年、1181年、平氏方の田口成良と奴可西寂が伊予に攻め寄せてきます。
清通は、伊予国風早郡高縄山城(愛媛県北条市)に立て籠もって抵抗しましたが、
味方から裏切り者が出て大敗し、最後は城から打って出て壮烈な戦死を遂げました。

いつごろ、ここに隠れ住んだかは、さだかではありませんが、
歴史を動かした、三島明神に通じる子、清通のゆかりの場所が、ここ、三島神社です。

*三島神社 (松山市川の郷甲167番地)
*祭神 大山積命(おほやまつみのみこと)

e0165472_22253256.jpg


「輝」 という字が、刻まれていました。
私の名前の一文字。 初めてみました。
e0165472_22274220.jpg


鳥居
e0165472_22283757.jpg


拝殿
e0165472_22294629.jpg


気になる木
e0165472_2231851.jpg


本殿
e0165472_22321717.jpg

e0165472_22331435.jpg


三島の神紋
e0165472_2234832.jpg


鎮守の杜
e0165472_22351514.jpg


神社の前に、可愛い蓮華の花が咲いていました。
e0165472_22371288.jpg


私が子どもの頃は、一面に蓮華の花が咲いている所が沢山ありました。
今は、それらの場所に、家がたち、そんな風景も見ることがなくなりました。
蓮華を見ると、子どもの頃を思い出します。

今日、ニュースで、一つの記事に目がとまりました。

毎年行われている カンヌ映画祭。
日本からコンペティション部門に出品されている河瀬直美監督「朱花(はねづ)の月」の公式上映が行われたそうです。
上映後、観客は立ち上がり、約5分間にわたって拍手を送り続けるほどの、大反響だったそうです。

この映画は、奈良・飛鳥地方の歴史と現代を結ぶ男女3人の恋愛劇。
古代も現代も同じようにくり返される愛の物語を通じて、人が生きるということをえがいた作品。

奈良・飛鳥時代と言えば、ちょうど、今私が、ここでお話ししている神社が創建された時代です。
崇峻天皇5年(592年)から和銅3年(710年)の119年間にかけて飛鳥に宮・都が置かれていた時代を指しています。
飛鳥時代末期、持統天皇の時、奈良県橿原市に所在する日本史上最初で最大の都城、藤原京に遷都されました。 しかし、わずか16年という短い年月で、平城京へと遷都されたのです。
ちょうど、この藤原京から、平城京へと移るこの時代に、大山祇神社の大造営は行われていました。

この時代と現代を結んだこの映画。 今、作られたのも、偶然ではないような気がしています。

そして、一番目を奪われた記事は、
この映画の最後に流れるテロップを入れている時に、あの3.11の震災が起こったそうなのです。
いにしえの日本を礎を築いた人たちへの感謝の意味を込めて「名もなき無数の魂に捧ぐ」という言葉で締めくくられているこのテロップを、入れているその時に。

実は、ちょうど、この同じ時、同じ時間に、私にも同じようなことがおこっていました。
それは、今はまだ、この場で言うことはできませんが、 
震災のあの瞬間に、入れたこの映画の言葉も、そして、私におこったことも、偶然とはいえない出来事なんじゃないかと、思えてしまう今日のこの記事でした。

そして、沖縄から、この藤原京があった、奈良県橿原市にたどり着くように住んだあの時から始まった私の紀伊半島を巡る生活も、もしかしたら、今に繋がっているのかもしれないとさえ思えてきました。

平城京遷都から、1300年。
そして、古事記完成から、来年で1300年。

日本は、大きな節目を迎えているのかもしれませんね。
今起こっているこの現実を、その意味に気付いていない人々、そして、今までの世界から抜け出すことができない人がまだまだ、沢山いるような気がします。
それに、きづかない限り、今の状態を抜け出すことは、もしかしたらできないのではないのかと。

原発、経済、政治、価値観、そして、日本の国が、この時から何度となく繰り返している、
「嘘と隠蔽」 全てにおいて、その考え方を見直し、本当の国つくりを行ってほしいと、心から願います。





神々の伝説を伝えるために、そして、
その中から自らの生き方を見つけるために、
ブログランキングに参加しています。

幸せの輪を一緒に広げませんか。幸せの入り口(バナー)をポチっとお願いします。


にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村


ブログで紹介した場所を、地図でご案内しています。。
お越しの際には是非ご参考にされてください。

愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-05-19 23:25 | 愛媛県松山市 | Trackback | Comments(2)

こんばんは。

まずは、この写真から。
e0165472_2119419.jpg


ゴールデンウイークに、松山の商店街の中で行っていたイベントの一つ。
ろうそくと、入れ物を販売して、その売り上げを義捐金として送るというイベントでした。
入れ物に、それぞれが、メッセージを入れて、その夜、一斉に商店街の中でろうそくを灯しました。

ろうそくに火を灯した所は、見ることが出来ませんでしたが、多くの人の想いが、東北へと届いたことでしょう。
人の想いは、どんなに離れていても伝わる。 沢山の人の復興への願いが、奇跡を起こす源となると私は信じたいです。

実は、今日、ショックなことがありました。

東京に住む知人から、気仙沼市で被災された方々が、自ら、津波から免れた自宅を支援物資の受け渡し場所に開放し、現地の人々で、困っている人たちに、支援物資を届ける活動を始めたという話を聞きました。

活動をされている人々も、もちろん、被災した人達です。
でも、もっと困っている人が沢山いる、決め細やかな対応ができない組織だけでは、行き届かない人々が沢山いるということで、始めたそうなのです。

私は、その話を聞き、あることを思いつきました。

支援物資はなかなか個人では、送れないし、どこに送ったらいいかもわからないから、何か方法はないかと思っている人も沢山いるだろうから、子どもたちの学校で、声をかけ、もし、何かあまっているものがあったら一緒に、送ったらどうかと考えました。

子どもの学校は、50世帯もいない、小さな学校。
全家庭の子どもの顔も、親の顔も知っているほど、小さな学校です。 小さな学校だからこそ、できることだと思ったのです。
もちろん、強制ではありません。 もしあれば。。。。そう思ったのです。
早速、次の日、学校に行き、校長先生にお話をしました。
すると、校長先生も大賛成してくださり、PTAで、動いてみたらどうかと言われました。
そして、できれば、子どもたちも、現地の小学校に何かできればいいなですねと。

私は、そう言っていただけたので、今日、PTAの会長さんに、このことをお話しました。

すると、ほとんど、聞く耳を持たず、 返ってきた言葉が、
「理由がないと、難しいです」 という答えでした。

どうして、そのに送るのか、その理由がないと声をかけることすら無理だということだったのです。
それはどうしてかというと、もし、他にも、同じような話が来た時に、断れなくなるからということでした。

そして、子ども達のことも、同じです。
どうして、その学校なのか、 昔から何かでご縁がある学校とか、特別な何かのつながりがないと、みんなでということは、無理です。 と言われました。

私は、これが、今の世の中なんだと、改めて知らされました。

今までは、全く知らない土地の人々かもしれません。 でも、こうして、目の前で困っている人がいて、その方々へと、今すぐ必要なものを届けることに、どんな理由がいるのでしょうか?
今、この現状を、自分達が知ったことに、意味があるのではないのでしょうか。

私の考えかたが、組織としては、間違っているのかもしれません。
でも、声をかけることさえも、許されないほど、難しいことなのでしょうか。

どうして、そこにだけ送るのかと言われた時に、困るからという理由で、何もすることができない。

今は、全てが、こんな世の中になってしまっていることに、改めてきづかされ、本当にショックでした。

このことだけではありません。 
何かをしようとすると、まず考えることは、どうしたら自分達の責任にならないかという、その対処法を考え、それがなければ、しようとしない。
責任は取りたくない。 何も言われたくない。 失敗したくない。 
そんなことだけを、必死で考えている世の中なのです。

今の原発の問題も、同じです。

いつから、こんな世の中になったのでしょう。 とうとう、子どもたちの世界まで、こんな世の中になってしまいました。 人と人が、繋がり、助け合う。 そんなあたりまえのことも、純粋な気持ちですることもできない、世の中に。  

でも、これが現実なのですね。 人それぞれ考え方が違う、助け合うことでも、人と人はみんなで協力することができないということが、現実なのですね、特別な理由がなければ。。。。。




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以前、重信町のお話をしましたが、今日は、重信町と松山市の境目の、松山市側の神社のお話です。

善応寺に行った後、次はどこに行こうかな。。。と、いつものように地図を見ていたら、
ある場所が気になりました。

それが、今回の場所、松山市と重信町の境目の町です。
この道は、まだ一度も通ったことがない道でした。 小野川という川が道沿いに流れ、その途中の地名には、
「山の神」 という地区が。

この川と、この地区の名前が、何故か目から離れません。

気になったところへは、まずは行ってみようということで、向かうことにしました。

玉川から松山へ向かう 国道317号線、石手川ダムの手前の町、河中町から、県道196号線へと入ります。
綺麗な川沿いを、走ると、山の中に、一つの神社がありました。

神社の名前は 「新宮神社」

もちろんここを訪れるのは、初めて。 どんなところか、ドキドキしながら、神社へと歩いて行きました。
山の中の小さな階段を上がります。
e0165472_2214557.jpg


階段を上がると、細い山道を更に上へと登ります。
e0165472_22162137.jpg


すると、また階段が。 上の方に、新宮神社の文字が見えてきました。
新緑が美しい、静かな山の中でした。 この向こう側はどんな世界が広がっているんだろう。
e0165472_2218221.jpg


神社の入り口に着きました。 
鳥居の向こうに、赤い屋根の、拝殿が見えています。
でも、この時は、まだ、あの巨木は見えませんでした。 
e0165472_2221190.jpg


鳥居の前にきた時も、まだ、気付きませんでした。
e0165472_22233080.jpg


そして、鳥居をくぐり、拝殿へと近づいた時でした。
え?あれは、何?  

葉っぱの陰になり、全部は見えていませんでしたが、何か凄いものが前にある。そんな感じでした。
e0165472_22274177.jpg


近づいてびっくり。 ものすごい高さの、杉の木が、立っていたのです。
e0165472_22401280.jpg


*三本杉
名前は三本杉なのですが、実際は、二株。
でも、もともとは、三本あったもので、二つの木が根元で合わさり、1本の木になったそうなのです。
樹高 55メートル。 現在も、まだ成長し続けています。

以前紹介した、高知県大豊町の、スサノオの大杉 65メートルには及びませんが、それに匹敵する大きさとその迫力。 四国でも、大豊町に続く二番目に大きな 大杉でした。

大杉に近寄ると、その圧倒的なパワーで、心臓がドキドキ。
大豊では、その木に触れることができませんでしたが、ここでは、その木の上に乗り、木に触れ、まるでその木の中へと入っていくような、そんな感覚さえ味わうことできるのです。

根元で、一本になった杉が、地上約1.4メートルのところで、二つに分かれています。
e0165472_22464769.jpg


ここに、こんなに凄い大杉があるなんて、全く知らなかったので、本当にびっくりしました。
愛媛にも、こんな場所があったなんて。。  
何かに悩んだ時、この木に会いにきたら、小さな悩みことなんて、吹き飛んでしまいそうな、そんな大きな力を感じました。
e0165472_22505351.jpg


そして、拝殿、参拝。
この新宮神社の祭神は、大山積神。
しかし、ここは、熊野神社を勧請した神社です。 熊野神社のはずが、大山積神を祀る神社。
ここにも、熊野神社と、瀬織津姫の関係が見えてくるかのようです。

*新宮神社
*松山市福見川町494番地
*大山積命(おほやまつみのみこと)
*境内社
 水神社
 祇園神社
*由緒
 十九地山、城主白石若狭守が紀州より熊野の神を当地に勧請し、新宮神社と称した。

城主白石若狭守とは、河野家の分流です。
熊野の神が大山積神。 ここも、神さまの名前を変えた場所なのですね。

e0165472_2301522.jpg

e0165472_2303370.jpg

e0165472_2313996.jpg

e0165472_2325061.jpg


静かな鎮守の杜に囲まれ、ひっそりと、鎮座されていました。
大杉も、また、その力、その偉大さを、誰に認めえてもらうわけでもなく、静かに、力強く立っていました。
その姿が、何よりも、私の心に強く焼きつきました。

e0165472_23104696.jpg


本当にありがとうございました。
e0165472_23111675.jpg



今年は、あちこちで、龍が昇っています。

そして、あの3.11の日も。。。。
被災地で、その時のことを語っていた 一人の女性の一瞬のことば。

ある旅館の女将さん。
お客さまを、全て自分が作った非難路から裏山へと避難させた後、自身は、津波の中へと飲み込まれたそうです。
その時、女将さんは、あるものを見たと。

「何匹もの龍が、真っ黒い波の中を、押し寄せてきたように見えたと。」

それは、あまりにも激しい津波が、目の前に迫って、自分を飲み込んでしまった時にみた、幻覚だったのかもしれません。 でも、その言葉が、今でも焼きついて離れません。

どうか、人々の心が、一日も早く、浄化できますように。
一人でも多くの人が、人の心を取り戻すことができますように。 
これ以上、悲しむできごとがおこらないように。
地球も、神さまも、きっと、悲しんでいます。 そして、人々の幸せを、望んでいると、思います。

 




神々の伝説を伝えるために、そして、
その中から自らの生き方を見つけるために、
ブログランキングに参加しています。

幸せの輪を一緒に広げませんか。幸せの入り口(バナー)をポチっとお願いします。


にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村


ブログで紹介した場所を、地図でご案内しています。。
お越しの際には是非ご参考にされてください。

愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-05-17 23:27 | 愛媛県松山市 | Trackback | Comments(3)

数あるブログの中からお越しいただきましてありがとうございます。 不思議な数々の出会いから、今は、愛媛の神社めぐりをしながら、神社や女神様そして、神話の神々の伝説を調べています。
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31