<   2011年 07月 ( 21 )   > この月の画像一覧

こんばんは。

今日は、父や母、子供たちと一緒に、久しぶりに遊びに行ってきました。
いつもは、休みの日でも、子供のどちらかが、習い事でどこにも行くことができません。

でも、そのおかげで、私が神社へ行くこともできるのですが。

今日、久しぶりに、先生の都合でレッスンがお休みになったので、夏休みだし、どこかに行こうということになりました。

どこに行こうかといろいろ考えたのですが、
出かけたのが、少し遅かったので、2時間以内くらいでいける場所をと思い、徳島県の大歩危・小歩危に行くことにしました。

私は、何度か行ったことがあるのですが、子供たちははじめてです。

出発する時は、そのまま大歩危に行く予定だったのですが、高速を走っている途中、やっぱり近くまで行くのだから、 日本一の大杉にも行くことにしました。

大豊町、以前ブログでもご紹介しました、美空ひばりさんが、「日本一の歌手にしてください」と、子供の時に願掛けをしたという、日本一の大杉。

今回で二度目ですが、やっぱり、あの迫力は凄いものがあります。

ここに鎮座する神社は、八坂神社。 この大杉は、スサノオノ命が植えたと伝わります。

神社の鳥居をくぐった瞬間、 黒いアゲハ蝶が前を横切りました。

姫さま、ありがとうございます。

心の中で、そう言いながら 鳥居をくぐりました。 また、後日、改めて今回のお話をさせて頂きたいと思っています。

今日、改めて思ったことは、愛媛だけでなく、やはり四国全体、姫に関係するところが沢山ありそうです。
あまり、有名なお話がないから、地元の人たちだけが知っている伝説を、もっと調べていけば、それらの多くが、姫に繋がってくるのではないかとも思います。

時間ができれば、愛媛県外にも、そろそろ行けたらいいな~と思っています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今日は、以前お話した、天之逆矛に進展がありましたので、そのお話です。

天之逆矛のお話をまだ、見ていない方は、重信町の神社の中に、 ③までのお話がありますので、
よかったらご覧ください。

簡単に、今までの経過をお話しますと。

「天之逆矛」 と伝わる 矛が、推古天皇の時代に、 「徳威の宮」とよばれる場所から、大三島の 「三島宮」へと、運ばれたという伝説があります。

途中、今治市の玉川にある 現在の玉川町鬼原に鎮座する、御鉾神社の辺りを通った越智氏は、その証に御鉾神社を建立しました。

この天之逆矛が、あの神話の中にでてくる 天之逆矛かどうかは、わかりませんが、このことが気になり、いろいろ調べた結果、 現在の東温市 旧重信町に、 「徳威」 とよばれる神社や地名を見つけました。
これまでは、 そのことから、 重信町辺りから運ばれてきたのではないかと思っていました。

しかし、今回、 偶然、もう一つ、全く別の場所に、 「徳威神社」 を見つけました。

そこは、現在の西条市、 旧東予市に鎮座する神社でした。

この旧東予市に鎮座する、 「徳威神社」は、顕宗天皇の御代に阿閉臣事代の創設した、とても古いお宮です。
顕宗天皇の御代とは、23代天皇で、485年~487年頃の天皇です。

この神社も、 名前そのものが 「徳威」 とつけられています。
これで、「徳威」 とつく神社は、重信町の 徳威三島宮と ここ、旧東予市の 徳威神社の二社になりました。

ただ、今回、注目したことが一つあります。
実は、以前から、気になっていた、ある古い書物に書かれた、文章です。

今治市の 瀬織津姫が祀られていたという、 大島のすぐ側の津島の鎮座していた 津島神社の欄に書かれている、一文なのですが、 ここに、 「徳威神」 という言葉がでてきます。
でも、この「徳威神」 が、どこにあったものなのかということは、書かれていなかったので、今までは、重信町の神社のことだと思っていました。

でも、今回、この 「徳威神社」 の由緒と、ここに書かれてある 文章の内容が同じだったことがわかったのです。 もちろん、 これが本当のことかどうかは、はっきりとはわかりません。
もしかしたら、カモフラージュだった可能性もあります。

でも、三代実録に書かれてある内容は、 この「徳威神社」のことをあらわしていました。


 三代実録(に)曰(く)、仁和元年二月十日丙申、授伊予国正六位 上徳威神 ・ 門島神 ・ 宇和津彦神
並従五位下。

同じ時期に、この三つの神に対して、 従五位下を授くと書かれているのです。

門島神とは、瀬織津姫のことで、 これは、この文の続きに記されてあります。
そして宇和津彦神とは、 南予地方の多くの神社に祀られている、 宇和を代表する神さまの名前です。

そして、問題の、徳威神。
この神に関しては、この三代実録では、所在が明らかにされていなく、

「徳威神の所在詳ならず」

と書かれてあるのです。

「徳威神社」の由緒書きには、 はっきりと、
「顕宗天皇の御代に阿閉臣事代の創設した社であって、三代実録によれば仁和元年伊予の国正六位上徳威神に従五位下を授くと明記されている国史現在社である。」 と書かれてあります。

でも、それならば、どうして、この時、「所在詳ならず」 と書かれてあったのでしょう。

そこには、「天之逆矛」 が関係していたからなのか、 それとも、瀬織津姫の名前を三島明神(大山祇神)に変えてしまったことと関係があるのでしょうか。

でも、どちらにしても、 この神社は、 「天之逆矛」にも、 そして、大山祇神の秘密にも、大きく関わりのある神社だったことは、間違いないと思います。

ここにはじめて愛媛の歴史に登場する、
「阿閉臣事代」 は、顕宗三年(四八七)朝鮮半島に遣わされる際に、壱岐で月読尊がよりついて 宣託をされたと言われ、それを天皇に伝えた人です。

「阿閉」氏の一族の、天智天皇と蘇我氏の娘、姪姫の間の皇女である「阿閉皇女」は、のちの「元明天皇」の乳母になる地位を得るに至っていますが、 この「阿閉」氏もまた、「藤原氏」による政治が行われはじめてから、衰退していった氏族の一つです。

そして、藤原氏の勢力が一層の強大化し、「阿閉」氏は史書には現われなくなったのです。

そんな、阿閉臣事代が建立したと伝わる、 この東予市に鎮座する、「徳威神社」は、天之逆矛が元あった場所なのでしょうか。
それとも、 あの重信町に鎮座する 浮島神社の存在を隠すために、利用された神社なのでしょうか。

*徳威神社
*西条市吉田211-1
*祭神
 大日孁神(おほひるめのかみ)
 高産霊神(たかみむすびのかみ)
 神産霊神(かみむすびのかみ)
 月夜見神(つきよみのかみ)
 應神天皇(おうじんてんのう)
 豊受姫神(とようけひめのかみ)
 武内宿祢神(たけしうちのすくねのかみ)
*境内社
 闇罔神社(闇罔象命、闇龗命、闇山祇命) 春日社(天児屋根命、加藤清正公)
 三穂社(事代主命) 美社(市伎島比売命、田記理比売命、田記津比売命)
 萩森社(日隈通富霊)             霊神社(徳威宮創立以来神職の長宮司神主の霊)
 猿石社(大山咋命、猿田彦命、大己貴命) 孝元天皇社(孝元天皇)
 明神社(社司家の遠祖)            藤本社(社司家の遠祖)
 梅木社(社司家の遠祖)            山神社(大山祇命)
 都谷社(少名彦命、奥津彦命、奥津姫命)

e0165472_0431446.jpg

e0165472_0433028.jpg

e0165472_0434666.jpg

e0165472_044353.jpg


本殿
e0165472_0454699.jpg

e0165472_046367.jpg


境内社
猿石社(大山咋命、猿田彦命、大己貴命)
e0165472_0473637.jpg


そして、境内社で、とても気になる神社がありました。
それは、 闇罔神社(闇罔象命、闇龗命、闇山祇命)です。
この神社の祭神の名前
闇罔象命、闇龗命、闇山祇命 。

「闇」の中の岡に鎮座する神。 闇の神 表には現せない神ということです。
まさに、これは瀬織津姫のこと。
そして、名前も、凄いです。
闇の 罔象女神(みつはのめのかみ)
闇の 龗神(おかみのかみ) 高龗神のこと。
そして、最後は、 闇の 大山祇命 です。

瀬織津姫の姿そのものの、二つの神の名前 罔象女神と高龗神 の闇の姿と
更には、大山祇神の闇の姿の神を、闇罔神社という 一つの神社に集めたこの場所は、 瀬織津姫が闇に葬られたといわんばかりの、名前です。

瀬織津姫を葬るために、祀られた神が、大山祇神だったということも、ここで更に確信になりました。

そして、大山祇神の娘 木花開耶姫と磐長姫は、 瀬織津姫の変わりに作られた 姫神だということも。

古事記の中で、わざと、永遠の命を持つ 磐長姫と、美しい外見の木花開耶姫の二人の女神をつくり、一緒に嫁がされ、 永遠の命を持つ、磐長姫だけが追い返され、次に生まれてくる子供から、永遠の命を奪ったことも、二人の女神が、瀬織津姫そのものだったからなのだと。

いくら神話の話とはいえ、親が大事な娘を一緒に嫁がせるようなことは、普通は考えないはずなのに、なぜ、大山祇神は、わざわざ一緒に、嫁がせてしまったのだろうと、ずっと不思議に思っていました。

でも、大山祇神が、瀬織津姫の変わりに祀られた神だということが、確信に変わるにつれて、二人の娘と瀬織津姫の関係が、だんだん重なってきました。

もちろん、これは、私の考えです。 でも、 私は、磐長姫も、瀬織津姫を消してしまったことで、造られた女神の一人なのではないかと思っています。

だから、大山祇神社の本殿の横には、他の社のように、高龗神・雷神ではなく、姫神が祀られているのだと思います。

e0165472_11845.jpg

e0165472_1182257.jpg


拝殿です。
e0165472_1202839.jpg


この拝殿の横にある、森の中には、何匹もの、黒いアゲハ蝶が舞い続けていました。
闇の (黒い)姿に変えられてしまっても、その美しさは、その存在は、変わることはありません。
黒い蝶は、 もしかしたら、 そんな姫の姿を現わしているのかもしれません。。。。。。

e0165472_1242688.jpg

e0165472_1261765.jpg
 






神々の伝説を伝えるために、そして、
その中から自らの生き方を見つけるために、
ブログランキングに参加しています。

幸せの輪を一緒に広げませんか。幸せの入り口(バナー)をポチっとお願いします。


にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村


ブログで紹介した場所を、地図でご案内しています。。
お越しの際には是非ご参考にされてください。

愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-07-31 01:26 | 愛媛県西条市(旧東予市) | Trackback | Comments(2)

こんばんは。

今日のお話は、松山市の正八幡神社です。

ここは、松山市福角町 像観山の麓に鎮座する神社です。
前々から、ずっと気になっていた神社だったのですが、やっと行くことができました。

正八幡神社は、貞観年間、859年頃の創祀で、現在私が調べている年代より少し新しい時代に建立された神社ですが、 私がずっときになっていたことは、この正八幡神社が鎮座する現在の山、像観山です。

正八幡神社は、もともと、花見山という山に鎮座されていました。
花見山に築城された時に、現在の地に奉還されたといいます。

現在鎮座している山 像観山は、往古盛能山と呼ばれていましたが、正平の頃に像観山と改称されました。

古代、盛能山は、三つの森からなる、神廟の聖地でした。

一つは、現在の神社の本殿の裏の森、 「御玉の森」 
この御玉の森は、「天照皇大神」 を祀ります。

そして、 その森からさらに奥に、二つの森があります。
月読命を祀りし 「月の森」 と、
饒速日命を祀りし 「御串の森」 です。

ここには、 アマテラスと 月読命 ニギハヤヒ を祀る森があったのです。

そして、この三つの森は、 もしかしたら、
縄文時代に信仰されていたであろう 天体信仰の跡かもしれません。

太陽は、繁栄のシンボル。
月は、 変化の象徴
星は、 安定と平等。

だといいます。 
幸せな国をつくるために、古代の人々が信仰していた、太陽と月と星を祀る場所がここにあったとしたら、
ここは、もししたら、とても重要な場所かもしれません。

しかも、長い間ずっと。

また、この月読命を祀る 月の森からは、
あの三種の神器の一つであると言われる、 「八咫鏡」 が掘り出されたという伝説もあるというのです。

「 八咫鏡 」 は、本来は祭祀に用いる鏡を表す一般名詞であったとも言われますので、
三種の神器のことを、言っていたという証拠はありませんが、そういう伝説があるということは、
それだけ、古代の重要な場所だったとも言えます。

旧北条市は、古墳や遺跡が数多く発見されている 愛媛でも有数の場所です。

まだまだ、調査をされていない場所は沢山あります。
神域とされ、 足を踏み入れることさえできない場所も沢山。

天の逆鉾、 そして、今度は、八咫鏡。
愛媛には、もしかしたら私が考えていた以上に、まだまだ多くの秘密が隠されているかもしれません。

神話や、古代の歴史からは、無縁の地だと思われていたこの愛媛自身も、 瀬織津姫さまと同じように、
隠された地の一つかもしれません。
今回、この神社を訪れて、古代の歴史を封印しなくてはいけなかったほど、 重要な場所だったのかもしれないと、 改めて感じました。

*正八幡神社
*松山市福角町北辻649
*祭神
 誉田別尊(ほむだわけのみこと)
 息長帯姫尊(おきながたらしひめのみこと)
 足仲彦尊(たらしなかひこつのみこと)
*境内社
 周敷神社(天御中主神、高御産霊神、神御産霊神、西山肥後守通倫霊、西山五右衛門通周霊)
 冠山明神社(田心姫命、湍津姫命、市杵島姫命、戦没者英霊)


e0165472_0151484.jpg

e0165472_0152910.jpg

e0165472_0154531.jpg


e0165472_018533.jpg

e0165472_0182067.jpg

e0165472_0183469.jpg


長い階段の先に、拝殿はあります。

e0165472_0203919.jpg

e0165472_020531.jpg


そして、本殿です。
e0165472_022352.jpg
 

アマテラスの森は、この本殿の浦に、祀られています。
e0165472_0234864.jpg


この山の姿をもっと見てみたいと、山の周りを一周回ってみました。
思った以上に広い範囲で、びっくりしました。
でも、昔は、今のように切り開かれていないので、もっと大きな山だったかもしれません。

e0165472_0271675.jpg

e0165472_0272971.jpg


神廟の聖地 盛能山
e0165472_0283185.jpg


今の世の中は、科学がどんどん発達して、いろいろなことを、科学で証明しようする。

それは、宇宙のしくみや、地球、更には人間まで。

でも、どんなに調べても、科学だけでは証明できないことは、まだまだ沢山あるし、きっと全てを解明することは不可能だろうと思う。

月と地球、月と太陽。

そして、奇跡の星 地球。

月と地球と太陽は、 絶妙なバランスを保ちながら、今こうしてあり続けることができる。

どれか一つがかけても、地球という星の存在を保つことはできないし、
今のバランスが崩れてしまっても、 地球は今のような美しい姿を保つことはできません。

私たちは、 そんな宇宙の奇跡の中で、生きていることを、忘れないでほしいと願います。






神々の伝説を伝えるために、そして、
その中から自らの生き方を見つけるために、
ブログランキングに参加しています。

幸せの輪を一緒に広げませんか。幸せの入り口(バナー)をポチっとお願いします。


にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村


ブログで紹介した場所を、地図でご案内しています。。
お越しの際には是非ご参考にされてください。

愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-07-30 01:13 | 愛媛県松山市北条 | Trackback | Comments(2)

こんばんは。

今日は、久しぶりに四国八十八ヶ所のお寺のご紹介です。

でも、このお寺は、今治に伝わるスサノオの伝説に関係のある場所に建立されたお寺です。
今治市のお寺なのですが、今まで一度もまだ行っていませんでした。

今回、ここを訪れ、もしかしたら、スサノオの伝説に関係があるかもしれないと、思いました。
聖武天皇(在位724〜49)の勅願により、開創された延命寺とスサノオの伝説のお話です。

大化の改新(645)以後、現在の市や郡にあたる地名がつき、〇〇「評」と呼ばれていました。
そして、大宝律令(701)以後、「評」を「郡」に改めました。

現在の今治市は、この時、越智郡と乃万郡に分けられていました。

現在の、野間・波止浜・波方・大西地区が当時の乃万にあたり、ここの大氏神さまは、春の継ぎ獅子で有名は野間神社です。
この野間神社に関係する、スサノオの伝説が、今も今治に伝わります。

まずは、このお話です。

 昔、紀伊の国(今の和歌山県)から幾日も航海されて、現在の大西町九王(旧大井村)のあたりにお着きになった須佐之男命は、天の磐く樟船(普通『磐く樟船』と言えば神話に出てくる伊弉諾尊<いざなぎのみこと>、伊弉諾尊の子、蛭児(伊弉諾伊弉冉<いざなぎいざなみ>二神の間に最初に生まれた子)を乗せて流したという、楠の木で造った堅固な船をいいますが、ここではこの船とは関係なしに、同型の楠の木でつくった船だといわれています。)で品部川を上られました。

 船から降りられた須佐之男命は、更に牛に乗られて、今の (宅間、野間、延喜) を経て 「阿方」 のあたりを通られようとしました。
 
 ところが、 「阿方」 の村人の中に、随分意地の悪い者がいて不浄物をかけるなど色々と悪だくみをし、わざと須佐之男命の通られるのを邪魔しました。

 須佐之男命はいたし方なく、矢田の方にまわられ神宮の地にお着きになりました。
ご自身が乗って来られた磐く樟船を置かれた神宮の奥の熊野峰というところで、牛に食物を与えてご自身も休まれました。

 この磐く樟船が、長い年月の間に化石になったといわれており、今は摩滅して跡を見ることは出来ませんが、古老の話では、以前は須佐之男命のご足跡と牛のえさおけの跡が残っていたそうです。
 -「予陽俚諺集」には駒(馬)の足跡とありますが、この地の人は牛のように語り伝えています。

 この化石になったと言われる 巨石は、「石神さん」と呼ばれ、現在も、この野間神社の奥の山にあります。

野間神社は、この巨石信仰からもしかしたら始まった神社ではないかとも言われていますが、
問題は、この神社の氏子のことです。

旧乃万郡は、全て、この野間神社の氏子と言われているのですが、この伝説の中で、阿方と山路だけは氏子に入っていないのです。

その理由は、このスサノオの伝説からきています。
阿方と山路という場所だけは、 須佐之男命が通らなかったということから現在も、氏子ではありません。

このお話を始めて知ったのは、もう一年以上前で、その当時は、不思議だと思いながらも、そんなには気にしていませんでした。

それが、今回お寺に行って、もしかしたら、ここも、神様を葬られたことに関係する場所かもしれないと思いました。 

四国八十八ヶ所 54番札所 近見山 宝鐘院 延命寺は、
今治市阿方にあります。 

現在は、旧国道196号線沿いから少し山の方へ行ったところにありますが、開創された当時は、
今治の市街地から西北へ6kmほどのところにある、標高244mの 「近見山」 にありました。
山頂一帯に七堂伽藍の甍を連ねて、谷々には100坊を数えていたそうです。

今では、想像もつかないほど、大きなお寺だったのです。

そして、このお寺は、養老四年に聖武天皇(在位724〜49)の勅願により、行基菩薩が大日如来の化身とされる不動明王像を彫造して本尊とし、伽藍を建立されたのが、始まりです。

聖武天皇は、45代天皇で、大山祇神社が現在の宮浦へと遍座されてから、数年後に天皇となり、
聖武天皇の時代、神亀五年に、愛媛県だけで、94郷、94社に大山積神を勧請するように詔勅をだした天皇でもあります。

 不動明王が、ご本尊の、延命寺を近見山に開創させた理由も、もしかしたら、瀬織津姫と関係があるのかもしれません。 瀬織津姫は、滝に祀られる 不動明王とも同じとも、言われ、不動明王の祀られているところに近くには、瀬織津姫がいらっしゃるとも言われます。

 聖武天皇は、七歳の時に父を亡くし、母は心的障害に陥り、長い間会うこともなく育ちました。
また、この時代は、数多くの厄病や、天災に見舞われ、このようなことが続くのは、大三島の神の名前を変えてしまったことに原因があると思い、この時代に、雷神と高龗神を大山積神と共に祀るようにという命令も下されています。

 大山祇神社には、大山祇神と一緒に祀らないといけない神、雷神と高龗神とは、水の神であり、龍の神でもある瀬織津姫のことだったのだと私は思っています。

そして、小千命の発祥の地とも言われる、近見山の頂上に、不動明王を祀ったのも、御魂と鎮めるためでもあり、 悪霊を追い出すためでもあったのではないでしょうか。

 野間神社が、当時、どのような立場の神社だったのかがはっきりとまだわかりませんので、 どうして、氏子でなくなってしまったのか、その理由をはっきりさせることはできませんが、 
やはり、瀬織津姫の名前を、大山祇神に変えてしまったことに、 氏子になれなかった理由もあるのだと思います。

 また、このお寺は、空海とも深いかかわりがあります。
 空海と瀬織津姫には深い関係があり、特に重要な場所に、四国八十八箇所を置いていますが、ここもその中の一つ。
 空海は、嵯峨天皇(在位809〜23)の勅命をうけ、伽藍を信仰と学問の中心道場として再興。

そして、再三火災に遭い堂宇を焼失し、再興をくり返し、享保12年(1727)に難を免れた本尊とともに現在地移転したと伝わります。

聖武天皇、行基菩薩、大日如来、不動明王、空海。

ここは、当時の日本の様子がわかる重要な場所のひとつかもしれません。

*第54番札所 近見山 宝鐘院 延命寺
*愛媛県今治市阿方甲636
*本 尊: 不動明王(伝行基菩薩作)
*開 基: 行基菩薩
*創 建: 養老4年(720)
*真 言: のうまく さんまんだ ばざらだん
        せんだ まかろしゃだ そわたや
         うん たらた かんまん

e0165472_23572525.jpg


この山門は、もとは、今治城の城門の一つで、総けやき造り。
明治初期に今治城取り壊しの際に譲り受けたものだと伝わります。
e0165472_23592410.jpg


e0165472_01046.jpg

e0165472_01357.jpg
  

本堂
e0165472_023788.jpg

e0165472_045833.jpg

本尊の不動明王は、「火伏せ不動尊」 とよばれ、
宝冠をかぶった珍しい不動明王像で、再三の火災から逃れているのでこの尊名がついたといわれます。

大師堂へ。
e0165472_062757.jpg


大師堂
e0165472_072982.jpg


この奥に、近見山と続く山道があります。
e0165472_091121.jpg



e0165472_0103590.jpg


この鐘は、四面に、お寺の歴史が刻まれています。
e0165472_0122722.jpg

e0165472_0135456.jpg

e0165472_01492.jpg


聖武天皇は、過去の人たちが犯した過ちを背負って、苦しんだ一人かもしれません。

その時は、自分のため、自分の望みをかなえるために犯してしまったことが、
後の子孫に、苦しみを与えてしまう。
それを象徴するかのような、時代かもしれません。

私たちが今していることは、私たちの子供、孫、そして後の世に続く子孫にとって、幸せな世になるでしょうか? 
今、この時さえよければいい、 自分さえよければいい、今の時代のことだけを考え生きることは、
そろそろ終わりにしなければいけない時期にきているような気がします。





神々の伝説を伝えるために、そして、
その中から自らの生き方を見つけるために、
ブログランキングに参加しています。

幸せの輪を一緒に広げませんか。幸せの入り口(バナー)をポチっとお願いします。


にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村


ブログで紹介した場所を、地図でご案内しています。。
お越しの際には是非ご参考にされてください。

愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-07-28 00:23 | 四国八十八カ所 | Trackback | Comments(0)

こんばんは。

今日は、昨日の興居島の帰りのお話です。

磐長姫の御神体の前の海から見えていた、白石龍の鼻に、興居島の帰りに行ってきました。
やっぱりもう一度、 ここからも、確かめて見たかったので。。。

この白石龍の鼻と、磐長姫の御神体は、繋がっている。
前回、ここに来た時、直感でそう感じました。

ここ白石龍の鼻は、今までに何度かお話をしたところですが、夏至や冬至、春分の日や秋分の日に、
巨石を通る光の道ができる場所と言われています。

誰が、何のために作ったのかは、はっきりとわかっていませんが、
太陽信仰に関係のある場所だと言われています。

今日の夕日は、どの場所を通るのか、 ワクワクしながら、立ち寄ってみました。

ここに鎮座する、龍神社の御祭神は、
豊玉姫命(とよたまひめのみこと)
彦火々出見尊(ひこほほでみのみこと)
豊玉彦命(とよたまひこのみこと)

そして、ここには、神社の拝殿の横に、 龍に乗った姫が祀られています。

e0165472_21464912.jpg

e0165472_21474856.jpg


拝殿です。
e0165472_21493921.jpg

e0165472_21495225.jpg


鳥居の入り口は、海です。
まるで、興居島から、何かが渡ってこの鳥居をくぐり、この拝殿に入っていくかのように、
神社は鎮座されています。

この拝殿と、磐長姫の御神体は、もしかしたら、やっぱり繋がっているのかもしれません。

夕日と巨石です。
e0165472_2274667.jpg


e0165472_229313.jpg


船が、光の道を横切って行きました。
船に乗っている人たちは、今、光の道を通っていることに気付いているかな・・・・・。
e0165472_22111590.jpg


この日は、朝から小さなトカゲのモデルさんと出会い、興居島では、行くところ行くところで、蝶がお出迎えをしてくれ、本当に不思議な一日でした。

そして、この日の最後、ここ龍の鼻で、蝶がすぐ側で何度も止まってくれて、やっと写真をとることができました。
e0165472_22282526.jpg

e0165472_22283859.jpg

e0165472_22285148.jpg


蝶の写真をとっていると、どこからか、二匹のトンボがやってきました。
そして、私の目の前を右に左に、まるで存在をしらせるかのように、ずっと飛び続けています。
しばらく、離れようとせず、私の体の周りを回ったかと思ったら、また私の前を右に左に。。。。

(もしかして、とんぼも写真にうつりたいのかな?)

横で見ていた相棒は、 その光景を見て大笑い。
でも、その時は蝶に夢中で、トンボを写してあげなかったので、 後で悪いことをしちゃったな。。。と反省。

こんなにも、蝶やトンボや、トカゲまで?
近寄ってきてくれるようになったのも、少しは私の中で何かが変わったのかな?

そして、蝶は、山の中へ消えて行きました。


まっすぐと続く、光の道。
海の上に現れた光の道は、まるでその上を渡れるかのように、まっすぐに光輝いていました。

この光の道は、どこに続いているのでしょう。。。。。。
e0165472_22432220.jpg


今日も、最後までお読みくださいまして、本当にありがとうございます。

最後に、この言葉を 贈ります。

“人はステンドグラスのようなもの。太陽が出ているときは誰でも光り輝くが、夜のとばりが降りたとき真の美をあらわにするのは内側から輝いている人だけだから。”

エリザベス・キューブラー・ロス





神々の伝説を伝えるために、そして、
その中から自らの生き方を見つけるために、
ブログランキングに参加しています。

幸せの輪を一緒に広げませんか。幸せの入り口(バナー)をポチっとお願いします。


にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村


ブログで紹介した場所を、地図でご案内しています。。
お越しの際には是非ご参考にされてください。

愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-07-26 23:00 | 愛媛県松山市 | Trackback | Comments(0)

こんばんは。

今日で、今回の興居島のお話は最後となりました。
興居島は、小千命が、母の島と呼んだことから、母々島となり、そしてそれが、興居島と言われるようになったと伝わります。

それは伝説ではあり、本当にそうであったかどうかは、わかりません。
でも、そう言われるようになったのには、きっと何か理由があるとも思います。

磐長姫の御神体へ行った後、前回と々ように、島の北西側をぐるりと周りました。
島の北西側は、東側とはまた違った景色を見ることができます。

特に、夕日近くに見る景色は、格別です。
これは、もしかしたら、島でしか見れない景色なのかもしれません。

古代の人々は、光の向こうにどんな世界を創造したのでしょうか。
太陽が沈む方向に、何をみたのでしょうか。

興居島の北西側を夕方通ると、光の道を見ることができます。
特にその光景が美しいのは、 「琴引鼻」 と呼ばれる鼻から見る景色。
この場所は、源平期に平家の落武者がこの鼻で琴を弾いていたと伝わる伝説の場所。

前回も、素晴らしい景色を見せてくれましたが、今回は前回以上に綺麗でした。

太陽に向かって、光の道がはっきりとできていました。

この光の道を見た時、古代の人が、この光の向こうに思いをめぐらせていた気持ちが、少しわかったような気がしました。
ふと頭に浮かんだその先、対馬。 この光の道は、 北九州へ続いているのです。 そして、更に向こうは。。。。。。。。

日本の国は、日いずる国。 
東と西を結ぶ、この太陽の道。 ここから、見る景色は、古代へほんの少しタイムスリップできるような気がします。

e0165472_2124464.jpg

e0165472_21263090.jpg

e0165472_21275061.jpg


e0165472_21342416.jpg

e0165472_21291293.jpg

e0165472_2132488.jpg



海岸線をぐるりと走り、最後に向かったのは、和気姫を祀る神社。

船越和気比売神社です。

*祭神:和気比売(ワケヒメ)
*配神:品陀和気,息長帯姫,玉依姫

神社に伝わる、姫伝説は、こうです。
昔むかし、船越の和気五郎太夫という漁師が、沖で釣りをしていると大きな壷が流れてきました。
漁師がその壷を、割ってみると中から女の子が出てきました。

五郎太夫は和気姫と名前をつけ、自分の娘として大切に大切に育てました。
大人になった和気姫は、伊予皇子の夫人になって3人の男子を産みました。

しかし、当時は、三つ子を産むことが、あまりよいとはされませんでした。
不吉だと言われ、 それぞれ船に乗せて海へと流してしまいました。

そして、それぞれ別々の場所へと、漂着したといいます。

一番上の男の子は 「三宅氏祖」となり 伊豆に漂着。(諸山積大明神)とよばれ、
二番目の男の子は 「大宅氏祖」となり 児島に漂着。
そして、一番下の男の子は、小千命。 越智家、河野家の祖となったのです。

流れ着いた場所は、 「大浜」 とかかれてあります。
松山の人々は、この大浜を 「三津浜」 と言われていますが、私は、この大浜こそ、
小千命発祥の地。 今治の大浜八幡神社のある、大浜(古称:王浜)だと思っています。

そして、和気姫の死後、和気姫を船越社に祀り、後に船越八幡宮と改められ、明治期に船越和気比売(ヒメ)神社となったと言われています。

はじめて、ここに訪れた時、私はまだこのことを全く知りませんでした。
神社に書いてある由緒書きを見て、小千命の母だと知り本当に衝撃でした。 また、ここに 「大浜」の文字を見たあの時のことは、きっと一生忘れることはないと思います。

あれから、一年、もう一度ここに来れたことに、心から感謝です。

e0165472_2151273.jpg

e0165472_21531824.jpg

e0165472_21533377.jpg


e0165472_21555078.jpg

e0165472_2156854.jpg

e0165472_21562640.jpg


参拝の時、丁度夕日が拝殿に差し、光の玉ができました。
e0165472_2159133.jpg


そして、境内に光が降り注ぎました。
e0165472_2204850.jpg


この後、鳥居の前に車を止めて、
瀬織津姫の曲を、奉納させて頂きました。

ここに、瀬織津姫さまが、祀られているわけではないのですが、なぜだか、ここで曲を流して帰りたい。
そう思ったのです。
名前はありませんが、ここも姫と繋がっている場所に思えてなりませんでした。

私の勝手な思い込みかもしれませんが、 こうして、感謝をできることが、ありがたい。そう思えるようになったのは、瀬織津姫さまのおかげ、そして、ただの思い込みでも、繋がっていると思えることが、とても幸せなことだということも、姫に出会ってはじめて気付いたような気がします。

目の前にいなくても、 一生会うことはなくても、 
繋がっている。 そう思えることは素敵なことなんだと、強く思うようになりました。 

そして、これは 姫だけに限らず、人は神様とも女神さまとも、 そして、世界中の人とも、地球上の全てのものとも、 目に見えなくても、 繋がっていることと同じなのかもしれないとも思えてきました。

更には、過去とも未来とも、ずっとずっと繋がっている。

どんな過去も、過去があるから、今があり、そして、未来は、今生きている私たちが繋げていく、私たちがつくっていくことなのだと。。。。。





神々の伝説を伝えるために、そして、
その中から自らの生き方を見つけるために、
ブログランキングに参加しています。

幸せの輪を一緒に広げませんか。幸せの入り口(バナー)をポチっとお願いします。


にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村


ブログで紹介した場所を、地図でご案内しています。。
お越しの際には是非ご参考にされてください。

愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-07-25 22:17 | 愛媛県松山市 | Trackback | Comments(0)

こんばんは。

今日は、保内町へ行ってきました。
源平の戦いで敗れた平家が、海を渡り逃げ落ちたといわれる場所
平家谷。
そして、保内町の神社へ。

大きくて派手な神社は、ありませんでしたが、それぞれが、それぞれの地域にしっかりと根付き、繋がっている、そんな感じを受けました。

神社という、建物が建立し始めてから、長い月日が過ぎ、神様のあり方が変わってきました。
それぞれの時代での、それぞれの神様と人との繋がり。

神社は、もしかしたら、人間の欲望の中で生まれた建物かもしれません。
でも、いつの間にか、神社は日本人の一部となっていったようにも思えます。

今の時代は、神様との関係がどんどん薄れていっているように思えます。
神社の中で、人と出会うことも、大きな観光で訪れる神社を除けばあまりありません。

それでも、神社は、それぞれの地域の風景に溶け込み、まるで、自然の中の一部のように、
そこに建っています。
自然も神社も、ある意味同じなのかもしれません。

人は、その存在を当たり前に思い、そこにあることの意味も考えなくなってしまったではないでしょうか。

でも、当たり前にあるものこそが、本当は一番大切なもの。
神社は、日本人にとって、宗教を超えた 心の一部なのだと思えます。

人の体、人の魂もまた、神さまの一部であるといいます。
神社、神という存在を忘れてしまったように思える人たちも、体のどこかに、必ず繋がっている魂がある。

最近、神社へ行くと、そんなことを強く思います。

神様は、怖いという人がいるかもしれません。
神様の怒りが、起こしているなどという人もいるかもしれません。

私も、まだまだ未熟ですので、きっと何かあれば辛くてそこから抜け出すために、沢山の葛藤が起こるとおもいます。
でも、神様は、怖くはない、神様は人間に対して怒り、苦しめるために何かを起こしているのでもないのだと今は思えるのです。

神様は、全てのものに平等なだけなのです。
そして、その神の一部である地球そのものも、生きるために、浄化と再生、地球が未来へ生き続けるために、
体をなおしている過程が、人間にとっての、恐怖になる。

それぞれの立場、それぞれの命、それぞれの人生。

生きてるのは、私たち人間だけではない。 
私たち人間が中心でもない。 全ての命が、同じように、未来へと繋ごうとしているだけなのです。
そして、神様は、それを見守り、時に、未来のために修正をしようとしているだけなのかもしれません。

もしかしたら、この世で一番怖いのは、人間かもしれません。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今日は、いよいよ、今回の一番の目的地、磐長姫の御神体です。
前回、訪れた時は、あまりにも強いパワーに圧倒され、 カメラのシャッターを押すことができませんでした。

今なら、優しい姫の空気を感じることができるかもしれない。
そう思い、もう一度、改めていくことにしました。

磐長姫の御神体は、興居島の北側の山の中にあります。
そして、山へと上がる入り口の海岸からは、あの、松山市の白石龍の鼻神社が見えます。

車でゆっくり海岸線を走り、もう少しで、入り口付近の海岸につこうとした時、
助手席側の窓の側をす~っと 黒いアゲハ蝶が追い越して行きました。

びっくりして車を止めると、道路際の草の周りを飛び続けていました。
動いているので、あまり綺麗にとれませんでしたが、写してみました。
e0165472_1411731.jpg


そして、磐長姫の御神体のある山の麓につきました。
ふと海を見ると、やっぱり。。。。。。

この間、白石龍の鼻に行った時、もしかしたらここから見える山は、磐長姫の御神体があるところかもしれない。 そう思ったのですが、 やはり、ここ磐長姫の御神体側から見える景色は、
白石龍の鼻でした。
e0165472_1451991.jpg


もしかしたら、白石龍の鼻と、ここは繋がっているのかもしれないと思いました。
実は、ここにくる前に、あるお話を知りました。
それが、この興居島と、あの白石龍の鼻の間を、龍が行き来するという伝説があるそうなのです。

龍が行き来していたのは、この場所だったかもしれません。

ふと空を見上げると、一羽の鳥が。
その向こうに見える雲が、私には龍の顔にみえました。
e0165472_2241243.jpg


そして、入り口にたどり着きました。
御神体は、この鳥居の向こうにあります。

e0165472_2275598.jpg


e0165472_2282776.jpg


神社周辺約198㌃の山は、暖帯海岸樹林で市指定天然記念物となっています。
磐長姫の御神体は、
「周囲34㍍高さ5㍍の花崗岩」 です。

昔、御神体「磐神様」の岩に一匹の大きな白蛇が住んでおり、この森の木を切ると白蛇の祟りで死ぬという伝承から自然林伐採を免れたといいます。

また拝殿右側に二股に分かれた大木があり、股の部分の穴に溜まった水を飲むと御利益があるといいます。

ある時、アケビ採りの子供が木から落ちて怪我をしました。
しかし、この水で清めると大事に至らずに済んだといいます。

そのほか、「神社前の海上を通る時は、帆を半分降ろして通らないと船が動かなくなる(風早郡や野間郡、越智郡に多く類話がある)」「森の木を切り、牛に運ばせようとしたが、牛は口から泡を出し座り込んで運べなかった」などの言い伝えが残るそうです。

鳥居をくぐると、小さな建物が見えてきます。
ここは、御神体までいけない人のための? 拝殿です。
前回は、この中へ入ることができました。 中には小さな鏡が置かれていました。
e0165472_2381553.jpg


e0165472_2405147.jpg

e0165472_2411069.jpg

e0165472_2451385.jpg


御神体は、この拝殿の後ろの山の中の階段を上ったところにあります。
木々が生い茂った階段を上ると、 御神体は見えてきました。
e0165472_2473619.jpg


やっとついた~。
姫さまの御神体です。 周りは、まるでもののけの世界。
e0165472_249758.jpg


写真をとっていると、黒いアゲハ蝶が目の前に現れました。

そして、ゆっくりと御神体へと近づいていきました。
e0165472_2515552.jpg


ここが、興居島の磐長姫の御神体です。
e0165472_2532755.jpg


今回は、前回のような恐怖はありません。
とても優しいエネルギーを感じます。 磐の下に座り、しばらく森の声を聴いていました。
目の前には、小さな川が流れていて、水の流れる音も聞こえます。
そして、ふと足元を見ると、クローバーが。

四葉のクローバーは見つかりませんでしたが、 その代わり、あることに気づきました。
クローバーの葉が、どれも綺麗なハートになっているのです。

(クローバーって、こんなにハートの形だったか?)

ハートの形の四葉は、結構みることができるのかもしれません。 でも、こんなに沢山、どれもハートになっているなんて、私ははじめて見たような気がします。

御神体の側のハートのクローバー
e0165472_2582580.jpg


磐長姫の御神体がどうして、ここにあるのか。 いつのころから、祀られているのか。
謎がいっぱいの、磐長姫の御神体。
でも、こうしてまた参拝できたことに、心から感謝をします。

本当に、ありがとうございました。
e0165472_4274874.jpg


e0165472_4285618.jpg



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今日の動画も、篤姫からです。
篤姫は、上様こと 第13代征夷大将軍 徳川 家定の正室でした。
このドラマ上の話ですが、
今まで、徳川家の将来のことなど考えたことがなかった上様ですが、
「はじめて思うたのじゃ。徳川将軍家を残したいと。残せばそちや、その子孫を守ってやることができる。
わしの家族をな。」

そう言った、上様のことばが、改めて心に響きました。

篤姫の生き方といい、このドラマは、それぞれがそれぞれの立場を全うした生き方を描いたドラマだったのだと改めて気づきました。

皆さんは、このシーンを見て、どんなことを思うでしょうか。。。。。
今日も、最後まで、ありがとうございました。






神々の伝説を伝えるために、そして、
その中から自らの生き方を見つけるために、
ブログランキングに参加しています。

幸せの輪を一緒に広げませんか。幸せの入り口(バナー)をポチっとお願いします。


にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村


ブログで紹介した場所を、地図でご案内しています。。
お越しの際には是非ご参考にされてください。

愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-07-24 04:59 | 愛媛県松山市 | Trackback | Comments(0)

こんばんは。

今週は月曜日がお休みだったからか、一週間があっというまに過ぎました。
もう7月も終わりが近づいてきました。

夏至が過ぎ、まだまだ暑い夏が続きますが、昼間の時間が短くなり、秋へと近づいていっている気がします。
最近、人生の半分を過ぎたからか、一日、一日が、前よりも増して、とても大切に思えます。

一年は、365日しかありません。

そのうちの、どれくらいの時間を、子供たちと過ごすことができ、どれだけ神社をまわることができ、限られた時間の中で、どれくらい沢山のものを見たり、考えたり、感動したり、発見したりできるのだろう。

そんなことを考えていると、この一日、一時間、一分、一秒がとても大切に思えてきます。

時々は、一日ずっと寝ていたい。 なんて思うこともありますが、 でも、残された時間がどれくらいあるかわからない命、寝ているのがもったいないと。

一昨年、癌と間違えられた時、「命は限られている。」 ということを、心から実感しました。
それまでは、こんなにも、一日が大切なものだとは思いませんでした。
だれでも、どんな人でも、いつか命は終わる時がくるのだと、 「死」をあんなに意識したことはありませんでした。
そして、本当の喜びは、お金では買えないことも、 本当の幸せも、お金では買えないことも。
今は、与えられた命が、とても大切に思えます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今日は、先日の続き 興居島のお話です。

前回も通った道、 磐長姫のご神体へ向かっていると、先ほど参拝した神社から少し行ったところに、鳥居が見えました。

海の上からも見えていた場所です。
e0165472_2154351.jpg


前回は、この前を通りましたが、そのまま通りすぎてしまいました。
今回は、海の上に立つ神社だからもしかして? と思い、参拝することにしました。

鳥居が見えてきました。
鳥居に書かれてある名前は 「弁財天」 

e0165472_21565965.jpg


(やっぱり、姫だった!)
e0165472_2212085.jpg


海の中の岩の島の上に、姫は祀られていました。
e0165472_22134337.jpg

e0165472_22175351.jpg


参拝。
e0165472_22191944.jpg


姫にご挨拶をして、顔を上げた瞬間。
目の前に、一匹のトカゲが。。。。。。 (また ここでもトカゲ?)
そう思った瞬間、 トカゲは、建物の隙間から、拝殿の中へと入っていきました。

ここでもまた、トカゲが姫の化身として現れたのでしょうか?
拝殿の下には、大きな石が海の中に。
e0165472_22224184.jpg


青い空
e0165472_22242163.jpg


青い海
e0165472_22251249.jpg


姫さま(弁財天)にご挨拶をして、いよいよ、磐長姫の所へ。
次回は、磐長姫のご神体です。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(言霊)

ことばは、発するだけで、力をもつといわれています。
古代から、日本人は、言葉をとても大事に思ってきました。 ことばが、世界をつくるとも考えていました。
世界には、沢山のことばがありますが、その中でも、日本語は特別な意味を持つといわれています。

しかし、今の世の中は、ことばがどんどん汚くなってきました。
ことばの重さを、わからない時代になってきました。

日本人は、天地自然に感応しやすいと言われます。
それは、この言葉に大きな意味があるそうです。

人は、話しをするときは左脳でその音を聞き、楽器など音楽の音などは、音楽脳と呼ばれる、
右脳で聞いているといわれます。

虫の声のような自然界の音の場合は、西洋人などは、ノイズ的な音として右脳で聞いています。
しかし、日本人は、会話のような 「声」として、左脳で聞いているというのです。

鳥のさえずりや、動物の鳴き声、木々が揺れる音、雨の音、
自然界の音を、 日本人は、「声」として聞き、 その声に何かを感じてたのです。

それは、人種的なものではなく、 「日本語」 に由来するそうです。
外国人でも、日本語で育てられると 「自然の声」 を聞くことができるそうです。

でも、外国語を話すことがよいとされ、 また、日本語が日本語ではないことばになり、
汚いことばを多く使うようになった今の日本人は、 「自然の声」 が聞こえなくなってしまったのかもしれません。

まるで、自然の声を聞こえなくしようとしているかのように、テレビの中から聞こえてくる音は、
汚い言葉ばかり。
今の私は、ほとんどのテレビから聞こえてくる音は、有害な雑音としか聞こえなくて、その音を体が受け付けなくなりました。

「言霊」

ことばの大切さを、子供たちに伝えていってほしいと、心から願います。






神々の伝説を伝えるために、そして、
その中から自らの生き方を見つけるために、
ブログランキングに参加しています。

幸せの輪を一緒に広げませんか。幸せの入り口(バナー)をポチっとお願いします。


にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村


ブログで紹介した場所を、地図でご案内しています。。
お越しの際には是非ご参考にされてください。

愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-07-22 23:02 | 愛媛県松山市 | Trackback | Comments(2)

こんばんは。

今日から、興居島です。
初めてこの島へ行ったのは、今から一年と少し前でした。

その時は、まだまだ、何もわからず、ただ一番早く出港する船が、興居島行きのフェリーだったので、乗っていきました。

そして、島へついてすぐ参拝した神社の由緒書きを見て、ここが、小千命の母の島、伊予の国をつくった伊予皇子のお后さまの島だということがわかり、衝撃を受けました。

そして、この島にある磐長姫のご神体へ行った時も、そのパワーの強さに圧倒され、少し怖さも覚えました。
あれから一年、もう一度、じっくり磐長姫のところへ行きたいと思い、今回渡ることにしました。

そして、今回は、前回行ってない神社にも行ってみることにしました。

その神社の祭神の名前にまた驚かされることに。

一年前なら、この名前を見てもどんな姫さまかわからず、見過ごしてしまうところでした。
今、行くことにやはり意味があったのだと、つくづく感じました。

それでは、興居島のお話を始めたいと思います。

梅雨も明け、久しぶりの晴天。夏の日差しが照りつけ、とても暑い日でした。
興居島は、松山沖にある、人口約1800人ほどの、小さな島。
でも、ここには、古代の歴史が眠っています。

島の南半分の小高い山は、伊予小富士と呼ばれ、地元の人々に愛されています。

興居島へは、松山市高浜港から、渡ります。 
目の前に、駅があります。
e0165472_2262488.jpg


そして、今から渡る興居島
e0165472_228174.jpg


ふと空を見上げると、太陽の周りに微かに虹が。
e0165472_2294421.jpg


今日も素敵なことがありそうです。
少しすると、船がやってきました。
e0165472_2211343.jpg


興居島には二つの港がありますが、この日は、由良港へと渡りました。
15分くらいの船旅ですが、船の中はとっても立派。
ガラス張りの展望室や、ゆったり座れるソファーの客室。
e0165472_22183222.jpg

e0165472_22184697.jpg


もう少しゆっくり船旅を満喫したくなります。
船から見る景色も、とっても綺麗ですよ。 一番のお勧めは、こちらの島。
島の正式名は、四十島と言いますが、今では、 別の呼び方の方が有名に!
「ターナー島」 
夏目漱石の坊ちゃんの中にでてくる、ターナー島は、この島のことです。
e0165472_22305190.jpg


この名前を聞いて、まっさきに思い出したのは、やっぱり 「パイレーツオブカリビアン」
映画の中で、ジャックと一緒に冒険をする、ウィルターナー。
全く関係ありませんが、私の頭の中では、ターナーがめぐっていました^^;

船がだんだん岸から離れていくと、北条の高縄山が見えてきました。
e0165472_22361479.jpg


あっというまに、由良港に到着です。
e0165472_22374166.jpg

島にたった一つのスーパー Aコープが見えてきました。
なんだか、懐かしく感じます。

島について、一番最初に向かったのは、今回初めて行く、
「中厳前神社」 です。
少し、わかりにくいところで、最初道を間違えてしまいましたが、引き返している途中、地元の男性が外で話をしていたので、聞いてみました。
すると、とっても親切に教えていただき、私たちの車の後を、間違えたらいけないと、走ってついてきてくれました。 そして、車を止めて外に出ると、 
「ここから、入っていったところだからね。」 ともう一度、教えてくださり、本当に感激でした。

*中厳前神社
*松山市由良町864番地
*御祭神
 市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
*由緒
 安芸の国、厳島より勧請(年代不詳)した。

神社庁の表示には、現在の祭神は、市杵島姫命となっていますが、
神社の由緒には、 その他の女神さまの名前が。
また、江戸時代には、ここは、「中御前大明神社」「興津島山大明神」と記されていたと書かれてあります。
興津島とは、 現在の島の名前 「興居島」と呼ばれる前の名前だそうです。
ここも、また津島と呼ばれる島でした。
更に、祭神には、市杵島姫命のほかに、

「伊興姫神」 「大市媛命」 が祀られていたとあります。

ここには、あの伊予姫と、 大市媛が祀られていたのです。

「大市媛」とは、倭迹迹日百襲姫命の墓と言われる、箸墓古墳(はしはかこふん)に記されていた名前で、
大市姫(倭迹迹日百襲姫命)こそ、卑弥呼ではないかと言われています。

またこの箸墓古墳は、あのニギハヤヒの山、三輪山のすぐ側にあります。

少し前から、倭迹迹日百襲姫命のことをずっと調べていますが、ここに、大市媛が鎮座されていたとは、ここにくるまで、全くしりませんでした。
どうして、ここに、伊予姫と、大市媛が一緒に、祀られているのか、これから更に前に進むために、とても重要な意味を示しているような気がします。

この伊予姫も、今まで全く想像もしませんでしたが、もしかしたら、卑弥呼が死んだ跡、次の女王となった、
「壹與」(壱与)のことではないかと思えてきます。
こうして、二人が一緒に神社に祀られている場所は、今まで見たことがありません。

小千命の母(和気姫)と伊予皇子(彦狭島命)の間に生まれた娘が、もしかしたら、「壹與」だったのではないかなんて、思ってしまいました。

卑弥呼については、これからの課題かもしれませんが、もしかしたら、小千家の祖は、この卑弥呼と大きな関係にあったかもしれないと思っています。
そして、卑弥呼と瀬織津姫の関係も、小千家の祖神、三島明神との関係も。

今回ここにこれたことは、大きな意味があるような気がします。
e0165472_2311584.jpg

e0165472_23121143.jpg


階段を上がる前に、「住吉神社」がありました。
e0165472_23132392.jpg


階段を上がると、拝殿が見えてきました。
e0165472_23145214.jpg


狛犬
e0165472_23155258.jpg


拝殿
e0165472_23181369.jpg

e0165472_23191266.jpg


本殿
e0165472_23221821.jpg

e0165472_23223811.jpg


ここは、参拝している間、すっと黒いアゲハ蝶が、飛び続けていました。
黒いアゲハは、やっぱり姫の化身なのでしょうか。。。。。

市杵島姫命は、瀬織津姫と言われているのは、もうここでも何度もお話しましたが、
ここは、古代の女神、そして、古代の姫たちが鎮座する、とても珍しい神社かもしれません。
和気姫は、沖ノ島の神の娘という伝説もあります。
和気姫の神社の伝説では、つぼにのって海を越えてきたとされますが、
和気姫もまた、古代の日本の歴史に関わる重要な姫さまだったかもしれません。

次回は、 海の中に鎮座する、姫の神社です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今日の動画の曲は、篤姫のメインテーマです。
竜馬伝も欠かさず見ていましたが、 やっぱり私の中で一番印象に残る大河ドラマは、
この篤姫です。

幕末、最後まで、懸命に生きた、強くて優しい女性。
これを聞くと、あの夢中で見た、ドラマを思い出します。

今、日本は、ある意味、幕末と同じではないかと思います。
最後の最後まで、波乱に満ちた人生だった篤姫。 でも、その存在は、時代を動かし、助け、多くの人の心に刻まれたことでしょう。

明治以降、初めてとも思われる、大きな変革期にきている日本。
地震、津波、原発、エネルギー そして、何より、私たち一人一人の心が試されているのかもしれません。
今までと同じ考え、同じ価値観、同じ生き方では、いけない時がきている気がします。

一人一人の変化が、やがて大きな変化へと繋がっていく。
だから、誰かにたよるばかりでなく、まずは、自分から変わる。
今の現状をしっかりと受け入れ、今までと同じではいけないことに気づかなければいけないと。

姫たちは、それに気づいて欲しいと、さまざまな合図を出しているような気がします。





神々の伝説を伝えるために、そして、
その中から自らの生き方を見つけるために、
ブログランキングに参加しています。

幸せの輪を一緒に広げませんか。幸せの入り口(バナー)をポチっとお願いします。


にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村


ブログで紹介した場所を、地図でご案内しています。。
お越しの際には是非ご参考にされてください。

愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-07-20 23:44 | 愛媛県松山市 | Trackback | Comments(0)

こんばんは。

台風6号が、四国に接近中ですね。
高知県は、1000ミリを超える記録的豪雨と高波であちこちで被害が出ていると聞きました。
どうか、これ以上被害が拡大しませんように。

同じ四国でも、今治は、本当に守られているなと思います。
少し風は強いですが、雨もほとんど降らず、今回の台風も何事もなく過ぎ去っていきそうです。

昔から、この辺の人は、石鎚山に守られているから、今治は本当に災害のないところだと、
今回のようなことがあるたびに言っているのをよく耳にします。

本当にありがたいことです。 
こうして、何事もなく平和に生活できることに、心から感謝したいと思います。 (合掌)


さて、今日から、新しい場所に移ります。
この日は、 朝、出かける前に、 なぜか突然、地元、今治市朝倉にある多伎神社に行きたくなって、行ってきました。 そして、その後、磐長姫のご神体がある 興居島へと2度目の参拝に行ってきました。

今日は、まず、多伎神社のお話です。

多伎神社は、旧今治市と朝倉の境目の山の中に鎮座します。
その山の名前を、天道ヶ頭(てんとがとう) といいます。
510.26mの山で、旧玉川町、旧今治市、旧朝倉村の三つの町を結んでいる山です。

この山は、古代から人が住んでいたと言われ、 この山そのものが、太陽信仰の山だったのではないかとも考えられるような名前がついています。

天道ヶ頭の 「天道」 とは “お天道様” 太陽のことだと言われます。
または、天の通り道、 「太陽の通り道」 とも言われます。

春分、秋分の日の夕方、朝倉支所(旧役場)の辺りから、西の方角を見ると 天道ヶ頭の山頂に太陽が沈む姿をみることができるそうです。
古代朝倉はとても栄えた村でした。 斉明天皇ゆかりの場所も多く伝わり、斉明天皇が自分の子供のように可愛がった夏姫の子供を祀る神社(皇子神社)も、ここ朝倉にあります。

更に古くは、弥生時代後期の集落跡・水田跡多数あり、20年程前圃場整備の際、全国的にも大規模な穀物地下貯蔵庫が発見された場所でもあります。

また、この天道ヶ頭山塊は、山そのものにも、歴史をよみとく鍵があります。
今治市のある、高縄半島は、そのほとんどが、花崗岩で形成されています。 しかし、この、天道ヶ頭を中心とする天道ヶ頭山塊は石灰岩で形成されているのです。

山の奥に露出した石灰岩の一部がありますが、「ふすべ岩」といわれる古代の、巨石信仰のあとなのです。
この巨石信仰から始まったであろう神様の儀式が、現在の多伎神社の起源だと言われています。
そして、石灰岩と花崗岩が接触することによって  「水銀(朱)、銅、鉄」などの鉱物が形成され、この辺りでは、その鉱物を産出して、鉄を作っていたのではないかといわれます。

すぐ近くで、天から白馬にのったスサノオが降臨されたといわれる場所がありますが、ここ朝倉の鉱物を使い、今治の山の麓で、多くの鉄が出雲の国の一部として作られていたのではないかと思っています。
その証に、 日本では、出雲でしか発見されていない、たたら製鉄が今治で数年前に発見されています。
また、今治市の陸地や、島々で作られていた塩も、鉄を作るために必要だったとも言われています。

スサノオの足あとが多く存在する今治は、こうした豊かな資源によって国つくりが行われていったのではないかと思います。 

多伎神社は、 古代の聖地。 そして今も、森の精霊が宿る、豊かな森。
社殿前方を流れる多伎川は奥の院の磐座を源とし、その水は霊水と云われ重病人をも救ったとされる、神の水が今も神社の中を流れています。
この豊かな水は、農業にも使われ、古代から、多くの人々がここに住んでいたであろう跡、周辺には沢山の古墳も発見されています。

今治の町を守っているとも言われる、天道ヶ頭山塊に鎮座する、多伎神社です。

*多伎神社
*今治市古谷乙47番地
*境内社
 天満神社  高市郷 総鎮守 <相殿に 大巳貴・山之・御鉾・鷹取(城主正岡紀伊守)神社
 一宮神社  かっては古谷村の氏神社(以上明治末年氏子内の場所から現在地に移築)
 清水社
 越智社
 大仲社
*祭神
 須佐之命(すさのをのみこと)
 多伎都比売命(たきつひめのみこと)
 多伎都比古命(たきつひこのみこと)

現在の祭神は、上記のようになっていますが、古い書物には、丹生都比売命の名前が記されていたこともありました。 水銀(朱)=丹生都比売命
あの空海と深いかかわりのある女神さまといわれる、丹生都比売命が、この神社の記録で、現在残されている一番古い女神様の名前です。

それでは、神社のご紹介です。
山への入り口に、朱塗りの大きな鳥居があります。
e0165472_21495917.jpg


小さな川を渡った向こう側に、神社は鎮座します。
e0165472_21514825.jpg


橋の名前は、八雲橋。
e0165472_21535320.jpg

e0165472_2154785.jpg


橋を渡ろうとすると、足元をす~っとトカゲたとおり過ぎました。
お出迎え? (山の中にトカゲなんてあたりまえにいるけど、これもうれしく感じるのは神社だから?)

橋を渡るとまず見えるのが、陰陽石。
ここには、多くの陰陽石が、おかれています。 
e0165472_2159633.jpg

e0165472_21592218.jpg

e0165472_21593767.jpg


奥の院の磐座から流れてくる、御手洗川。 ここが、手水舎となります。
昨年、この場所で、生まれて初めて、木霊の声を聞きました。
e0165472_2233046.jpg

e0165472_2235085.jpg

e0165472_224443.jpg


そして、拝殿へ。
e0165472_225374.jpg

e0165472_2274520.jpg


本殿
e0165472_228217.jpg


越智社
e0165472_22122218.jpg

e0165472_22123516.jpg


一宮神社
e0165472_22141581.jpg


一宮神社の裏に広がる鎮守の杜
e0165472_2215445.jpg


杜の写真をとり、戻ろうとしたら、小さな蝶が飛んできて目の前に止まりました。
e0165472_2217525.jpg


アゲハ蝶ではありませんが、別の姫さまの神使かな?

境内にそびえる、三本の神木
e0165472_22193069.jpg


もう一度、違う方向から拝殿の写真をとって、
e0165472_22204489.jpg


そろそろ帰ろうと、境内を出ようとした時、

「あれ?足元に 何かいる!」

「あ!来たときも見た とかげが!」 (別のとかげかもしれませんが^^;)

すぐ目の前に、とかげの後ろ姿が。 
そ~っと 近づいてみました。

e0165472_2223493.jpg


いつもなら、怖いのですが、なんだかこのトカゲは可愛く見える。
少しづつ近寄っていったのですが、この位置からまったく動こうとしませんでした。

写真を何枚かとって、いつものように、トカゲに話しかけてみました。

「トカゲさん、 後ろ姿しか見えないよ。 顔が見えないから 顔を見せて。」

そう言って、そのままじ~っとトカゲを見つめていると。
トカゲが、す~っと前に動きました。 

(あ~あ。 もう隠れてしまうかな?) 
一瞬そう思ったのですが、 トカゲは隠れるどころか、目の前の石の上にす~っと上がっていきました。
そして、二つの石の上に、体としっぽがちょうどおさまる位置に止まり、
まるで
「写真 とっていいよ~」 と言っているように、ポーズ? をとったのです。
e0165472_22283299.jpg


「え~!凄いよ! 全くこのまま動かない。」

思い切ってもう少し近寄ってみました。 この時、カメラを忘れ、携帯でとっていたので、遠くからでは
小さくしかとれなかったのです。
e0165472_2231193.jpg


「顔のアップもとってあげるね!」
e0165472_22303257.jpg


こんなに近くでトカゲを見たのは、生まれて初めてかもしれません。
何まいも、写真をとって、いっぱいとったので、

「じゃあ、そろそろ帰ろうか。 トカゲさん、ありがとう!」 そう言ってその場を立ち去ろうとすると、
トカゲも、す~っといなくなりました。

嘘のような話ですが、神社に行くと、時々こんな不思議なことに遭遇するのです。
偶然かもしれませんが、 まるで、言葉がわかっているかのように。

森に住む、小さな可愛いモデルさん。 あのトカゲは、女の子だったか?
あの綺麗な目、なんとなく、姫の姿にも見えたりして・・・・・。

小さな奇跡に、心から感謝です。 
(合掌)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

なでしこジャパン。
凄い試合でしたね。 小学生の息子も、3時に起きて見ていました。

最後まであきらめない姿、キラキラ輝く澄んだ瞳。 

そして、「サッカーの神様はほんとにいるんですね。」 
そう言った 澤選手の言葉が凄いとても印象的でした。

最後のあの奇跡のようなシュート。
いろんな苦しいことを乗り越え、
それでも、がんばり続けた澤選手にサッカーの神様がくれたご褒美だったのでしょうか。

まだ、女の人がサッカーをすることがあまりよく思われなかった時代の話をしていたのを、息子が聞いていて、 一言
「澤選手に、あんな酷いことを言った人たちは、今どんな気持ちなんだろうね。」 と。

今回の、優勝は、多くの人に夢や希望、そしてそれだけではなく、
もっともっと多くのものを、人々の心に伝えたような気がします。

本当におめでとうございます。 そして、ありがとうございます。




神々の伝説を伝えるために、そして、
その中から自らの生き方を見つけるために、
ブログランキングに参加しています。

幸せの輪を一緒に広げませんか。幸せの入り口(バナー)をポチっとお願いします。


にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村


ブログで紹介した場所を、地図でご案内しています。。
お越しの際には是非ご参考にされてください。

愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-07-19 22:59 | 愛媛県今治市(旧朝倉) | Trackback | Comments(6)

こんばんは。

今京都では、祇園祭りが行われていますね。
私の家の近くにも、祇園さんとよばれる神社があります。 その神社でも、毎年京都の祇園祭りと同じ時期にお祭りが行われます。

でも、あの祇園祭の山鉾のようなものはありません。

山鉾と言えば、愛媛県の東、四国中央市、元伊予三島市と川之江市、そしてお隣の新居浜市、そして西条市には、太鼓台があります。

この太鼓台は、香川の善通寺の辺りから、愛媛の西条市まで続いています。
しかし、なぜか、そのお隣、今治市にはありません。
どうして、西条市まででとまったのか、 そのことにも、古代の秘密がかくされているような気がします。

この太鼓台の起源は、京都のこの祇園祭りから来ているといわれています。
同じところから渡ってきたお祭りなのに、伊予三島市や川之江市はご神体が 「女神」、そして新居浜は「男神」だそうです。

四国中央市出身の方がどうして、うちは女神なんだろう? と言っていたことがあります。

京都の祇園祭の山鉾のなかで、一番美しく人気のある山鉾は、瀬織津姫がご神体の山鉾だそうです。

この瀬織津姫さまの起源は、
平安時代に鈴鹿峠で旅人を苦しめた悪鬼の征伐にやってきた坂上田村麻呂を助けた武勇の女神が瀬織津姫だといいます。

祇園祭りと瀬織津姫がどんなに繋がっていたのかとずっと不思議に思っていたのですが、
繋がってきました。

祇園祭は、863年、平安時代に疫病が流行り、いっこうに収まらないのは悪霊のせいだと思い、全国の国の数を表す66本の矛を卜部日良麿が立て、その矛にに諸国の悪霊を移し宿らせることで諸国の穢れを祓いを行おうとしたのが、起源といわれています。

もしかしたら、祇園祭を行うきっかけも、瀬織津姫だったかもしれないですね。
そして、四国中央市の太鼓台にのっている、ご神体も、瀬織津姫かもしれません。


では、今日の神社です。
今日でひとまず、伊予市は終了となります。 松前町、伊予市と続けてご紹介しましたが、やはりこの辺はかなり古くから、国がつくられていた場所ではないかと思います。

そして、その重要な場所には、 姫が祀られていました。
その後、大山祇神社が宮浦へ移ったころから、それらの神社に、他の神様や三島神社を勧請していったのだと思います。

今日ご紹介する神社も、その神社の一つだと思います。

*埜中神社
*伊予市下三谷2383
*御祭神
 伊佐那岐命(いざなぎのみこと)
 伊佐那美命(いざなみのみこと)
 鹿屋野比売命(かやぬひめのみこと)
*境内社
 御﨑神社(須佐能命)    天神社(菅原道真公)
 眞名井神社(五男三女神) 猿田彦神社(猿田彦命)
*由緒
 社前三町改田の水の神
伊余志によると上古より国造りが招いた古社であり、伊与村神と称する祭神の四柱の神。
本郷の産土の神として歴代の天皇や皇の崇敬深く、他の神社とは異なる風習が有ったとある。
神戸郷御谷邑、四所神社 一つであり推古天皇の御代4年10月厩戸皇子が行啓になり 国司散位小千の宿袮益躬に命じて指令を下し四柱神社を建立させた神戸の郷の一の宮、野中大明神とある。

現在の祭神は、上記の三柱の神ですが、 もともとは別の神様が祀られていたのではと思っています。

「伊与村神と称する祭神の四柱の神」
この四柱の神の中に、水の神 瀬織津姫の名前があったと、私は思っています。

e0165472_236401.jpg

e0165472_238256.jpg

e0165472_239297.jpg


広い境内の中に拝殿はありました。
そしてその拝殿の前には、大きなご神木があります。
e0165472_2411160.jpg


拝殿
e0165472_2421726.jpg

e0165472_2431852.jpg


本殿
e0165472_244515.jpg


沢山の境内社がありました。
e0165472_247286.jpg

e0165472_247165.jpg


入らずの森
e0165472_249194.jpg


拝殿から見ると、鳥居の向こうは海。
ずっと昔、ここから見る景色は、いったいどんな風景だったのでしょうか。

海がもっと近くまでせまっていて、美しい渚がすぐそこに見えていたのかもしれません。

できることなら、その時代に戻り、ここから見る美しい景色を、見てみたい。
ふと、そんなことを思いながら、神社をあとにしました。
e0165472_2534747.jpg


次回は、興居島へと渡る前に、久しぶりに行った 多伎宮です。
初めて 木霊聞いた、精霊の宿る神社 多伎神社です。 

今回も、とっても不思議な出会いがありました。 小さな小さな、可愛いモデルに。




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

一昨日は、四国中央市、そして昨日は、久しぶりに、久万高原町へと行ってきました。
四国中央市では、念願の姫の場所へとたどり着くことができました。
そして、久万高原ではたった2時間くらいの滞在でしたが、とても中身の濃い旅となりました。
お話は、少し先になりそうですが、どうぞお楽しみ♪

今日の動画は、先日7月12日に大阪で撮影された、二重のアーチ虹の映像です。
こんなに、くっきりと二重の虹が見えるのは、とても珍しいです。
そして、赤い色がとても濃いのも特徴的です。
都会の街の上に、現れた 二重の虹。 何かのメッセージかもしれませんね。





神々の伝説を伝えるために、そして、
その中から自らの生き方を見つけるために、
ブログランキングに参加しています。

幸せの輪を一緒に広げませんか。幸せの入り口(バナー)をポチっとお願いします。


にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村


ブログで紹介した場所を、地図でご案内しています。。
お越しの際には是非ご参考にされてください。

愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-07-18 03:07 | 愛媛県伊予市 | Trackback | Comments(0)

数あるブログの中からお越しいただきましてありがとうございます。 不思議な数々の出会いから、今は、愛媛の神社めぐりをしながら、神社や女神様そして、神話の神々の伝説を調べています。