<   2011年 09月 ( 19 )   > この月の画像一覧

こんばんは。
先ほど、間違って、まだ書いてもいないのに、投稿してしまいまして、申し訳ございませんでした。

さて、 今日ご紹介する神社は、 前回の続き、 玉川町に鎮座する 三島家の神社ですが、
今回から、数回にわけて、 大山祇神社や、 三島神社の神紋について 今、私が思うことを書いてみたいと思います。

これから、調べていくうちに、 また、違う考え方がでてくるかもしれませんが、
やっと、 この神紋と、さまざまなことが繋がってきましたので、 一度、書いてみたいと思います。


              亀甲波三文字

大山祇神社を含め、越智家三島家に関わる神社には、すべて、この三文字の神紋が刻まれています。

現在大山祇神社の祭神、大山積命は 「三島明神」とも呼ばれていますが、三島明神とは、三島家が祀る神であり、 原点は、大山積命ではありません。

三島明神も、その神を祀る、大三島も、 そして、神紋にも  「三」 という文字が入っています。
そのこともからもわかるように、 越智家にとって、 そして、 大山祇神社にとっても、

「三」 という数が、 とても重要なのだろうと思っていましたが、 その 「三」 の意味が少しづつ見えてきました。

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上記の写真は、亀甲になっていませんが、
明治神社誌料によれば、三島の神紋は本来、亀甲だったと書かれてあります。

家紋(神紋)とは、ある説によれば、平安時代に発祥したとされていますが、起源は、古代バビロニアにあるとも言われます。
バビロニアとは、 メソポタミア(現在のイラク)南部を占める地域のことです。
(とうとう、 姫の原点を探す旅は、メソポタミア文明にまでさかのぼってきました)

古代バビロニアの神殿遺跡には、は菊花紋を始め花菱、亀甲、舞鶴、揚羽蝶、三桝、三階菱、四目結、九曜などが見られるそうです。

そして、この三文字は、 「月神 シン」 を表わす楔形文字と、同じだというのです。

瀬織津姫は、月神とも言われていますので、これだけでも、十分関係があると思うのですが、
私は、三島のこの 「三」 には、 もっと深い意味があるのだと思っています。

今、私が、この 「三」 という数と結びつくこといくつかあります。

1.三つの山の御神体 
2.三柱の神      
3、三つの島 
4、太陽 ・ 月 ・ 星
5.三位一体
6.三貴子
7.三島とは・・・・

今日、ぱっと思いついたことは、この7つのキーワードです。

越智家にとって、 いや、当時の人々にとって、 「三」 という数は、特別な意味があったのではないかと思います。
だからこそ、 それまでの重要な神様が消され、隠された時、 その重要な場所である、
大山祇神社=三島明神 を祀る神社に、 「三」 の文字を使い、三島明神と言い、その島もまた、
大三島としたのではないかと。


今日は、少し遅くなりましたので、 このお話の続きはまた、今晩に書きたいと思います。
上記の七つのキーワードが、 どんな意味があり、 それが、どのように 瀬織津姫に繋がっていくかみなさんも、一緒に考えてみてください。


では、今日の神社のご紹介です。

                      嶋御門神社

*今治市玉川町中村631
*祭神:
 大山祇神(おほやまつみのかみ)
 高龗神(たかおかみのかみ)
 大雷神(おほいかづちのかみ)
*由緒
 文治元年に河野四郎通信が、三島の神を勧請して全村鎮護の社として創建されたという。

この神社は、 玉川町の鴨部という場所に鎮座します。
目の前に、鴨部小学校があります。

ここは、越智家にとても深いかかわりのある場所と伝わりますが、 この地名 「鴨」 から、
鴨族とも、関係があるのではと思っています。

玉川町は、 朝倉についで、とても古い歴史がある場所です。
大国主命や、少彦名命の伝説も数多く存在し、 古代の舞台の一つだったと思います。

ここから、歩いて神社へ。 遠くに鳥居が見えています。
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ここは、上記の由来でも書かれていますが、河野家が建立したと伝わる神社です。
文治元年とは、源氏と平家の戦い、壇ノ浦の戦いで、平家が滅亡した年です。
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鳥居をくぐり、階段をのぼります。
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拝殿
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そして、ここにも、三島の神紋はありました。
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先日、 子供と一緒に、 「ライフ 命をつなぐ物語」を 見ました。

地球上には、沢山の命があります。
そして、それらすべてに、それぞれの生き方があります。

決して人間だけが、生きているのではなく、 命あるすべてのものが同じように、懸命に生きている。

そして、 人間以外の命は、 自分の命を、新しい命につなぐために、この地球の命のために生きている。
どんな命も、 今のこの地球に必要なもので、 無駄な命なんて一つもない。

「愛」 は 新しい命を生み出すために、未来の命へつなぐために 
神さまから与えていただいた素敵なプレゼント。

命は、この世界に誕生したその時から、この地球上のすべての命と繋がっていることを、
私たちは忘れてはいけない。。。。。。。。。。。




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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-09-30 01:14 | 愛媛県今治市(旧玉川) | Trackback | Comments(4)

こんばんは。

今日は、先日の続き、今治市玉川町に鎮座する神社をご紹介します。

今日ご紹介する神社は、 前回ご紹介した、熊野新宮神社のすぐ向かいの小高い丘の上に鎮座します。
その名は、 「白鳥神社」

白鳥神社と聞いて、すぐ思い浮かぶのは、 「ヤマトタケルノミコト」 だと思います。
ヤマトタケルは、 以前、 熱田神宮のお話の時に、少しふれましたが、 
伊吹山で、 神の怒りに触れ、 その傷が元で命を落としてしまいます。

ヤマトタケルは亡くなった後、白鳥となり、大和を目指して飛んでいき、その後には、羽衣だけが残っていました。 全国には、 白鳥となって舞い降りた ヤマトタケルの由来の場所が数多く存在します。
そのことから、 白鳥神社では、 ここ、玉川町の神社もふくめ、 祭神は 「ヤマトタケル」 が祀られています。

しかし、 私は、 白鳥神社は、本当は別の神を祀っていたところではないかと思っています。

まだ、 はっきりと頭の中で、 決定的なものはないのですが、 ここ玉川町の白鳥神社は、 ヤマトタケルではなく、本当は、ニギハヤヒを祀っていたのでなないかと思っています。

熊野新宮神社は、 前回お話したように、 元は瀬織津姫が祀られていたと考えています。
そして、 目の前で向かいあうように、鎮座する、白鳥神社は、まるで、七夕の織姫と彦星のように祀られているのです。

もう、ご存知の方も多いと思いますが、 七夕の織姫は、瀬織津姫、 彦星は、ニギハヤヒだと言われています。
そして、この七夕のお話の原型となったものが、
羽衣伝説です。

羽衣によって天から降りてきた天女と、その天女に恋する男のお話。
天女は、古代、しばしば白鳥と同一視されてきました。
そして、白鳥にまつわるお話は、日本だけでなく、世界各地にあります。

そして、この天女が、七夕伝説へと繋がるのです。
そして、織姫と彦星が一年に一度出会う 天の川には、 まるで、天の川に大きく翼を広げているかのような、白鳥座があります。

中国の神話では、織姫と彦星を結びつける 「カササギ」という鳥が渡る 橋が白鳥座とされます。

福岡県の 「媛社神社」 は別名 「七夕神社」といわれ、
媛社(ひめこそ)神と織女神 が祀られています。

そして、媛社神は別名が饒速日命とされます。
著書 谷川健一『白鳥伝説』によれば、石鳥居の額には磐船神社と棚機神社の名が併記されているそうです。
磐船神社とは、 その名の通り、ニギハヤヒのこと。
そして、棚機神社は、谷川健一さんは、饒速日命の母である栲幡千々姫命であろうとしていますが、
これは、瀬織津姫のことだと思います。

福岡県宗像市、福岡県沖に、ある沖ノ島の向かいの島、大島には、天ノ川伝説で語られる、宗像大社が鎮座します。
この宗像神社は、辺津宮・中津宮・沖津宮、この三つの宮を合わせて、宗像神社といいますが、
その中の中津宮境内には、天の川と呼ばれる川が流れています。
そして、その天の川を挟んで、中津宮に向かって、左の丘の上に、織姫を祀る神社、織姫神社。そして、右の丘の上には、牽牛を祀る神社、牽牛神社が祀られています。

この織姫神社が、瀬織津姫で、牽牛神社が、ニギハヤヒなのです。
この天ノ川に流れ込む水のことを、「天真名井」 (あめのまない)と呼び、今も、湧き水が、コンコンと、湧き出しているそうです。
伊勢神宮の外宮に、上御井神社、下御井神社が鎮座しますが、これを別名、真名井、天の忍穂井といい、
瀬織津姫が天忍穂耳命をご出産された場所だとも言われています。

少し、話が難しくなってきましたが、 天の川、七夕、天女、そして、 白鳥。 これらはすべて、 瀬織津姫とニギハヤヒに繋がるものばかりなのです。 そして、 さらには、 ニギハヤヒを祖神とする、物部氏(越智家) に繋がります。

ここ玉川町、鴨部と呼ばれる地区は、 物部氏(越智家)の古代の地。
その場所に、 向かいあって祀る神さまは、 瀬織津姫とニギハヤヒだと確信しています。

白鳥神社は、今はとても小さな神社ですが、 その神域は、とても神聖で、且つ、とても強い何かを感じました。
鎮守の杜に降り注ぐ太陽は、ニギハヤヒの光ともいえる気がしました。

*白鳥神社
*今治市玉川町小鴨部白鳥甲390番地
*祭神:日本武命(やまとたけるのみこと)
*由緒
 創祀は未詳であるが、文学博士原秀四郎氏著「越智郡郷土誌材」によれば(日本武命の御領分も本郡内に在りしが如し)(越智郡の小鴨部も白鳥祠あり、是れ景行天皇の御覚召しにて祭り給いしもの今日に在せるものならんか)と、所載されているが、当社のことと思われる。


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丁度、夕日が拝殿の向こうに沈むところで、拝殿に太陽の光がさし、光輝いていました。

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ニギハヤヒと瀬織津姫の姿は、ともに、龍だと言われます。

そして、その姿は、私は、真っ白い龍、 白龍だと。

宮崎駿さんの映画の、 千と千尋の神隠しの、 「油屋」は、 愛媛の道後温泉がモデルになっていると言われますが、 この油屋は、 八百万の神々が集う場所です。

まるで、 日本の神々を復活させるかのような、 この映画の、 主人公、 千尋と、ハク。

人間の千尋と、 神である、 ハク(龍) のお話です。

そして、この映画の中でも、 名前の一部が、消され、 神の世界にいるとその名前を忘れてしまう。
ハクも、自分の名前を忘れてしまっていました。

その名前を思い出したのは、 千尋でした。

ハクのほんとうの名前は、 「ニギハヤミコハクヌシ」(饒速水琥珀主)だったのです。
そして、ニギハヤミコハクヌシとは、 ニギハヤヒのことなのです。

宮崎駿さんは、 ニギハヤヒがどんな神さまで、 その名前をアマテラスに変えられてしまっていたことを知っていたのでしょうか。 そして、 どんな意味で、 この映画に、 ニギハヤヒ登場させたのでしょうか。

真っ白い龍、 コハク川という小さな川を司っていた、ハク。
その川で、小さいころおぼれかけていた千尋を助け、 神の世界で再開する。

そして、二人のお互いを想う気持ちを、 千尋を自分の孫といい、この世界へと導いてくれた、釜爺(かまじい)は、 「愛」 だと 言いました。

宮崎駿さんが、どんな想いでこの映画を作ったのかは、私にはわかりませんが、
私には、 このハクと千尋が、 ニギハヤヒと、 瀬織津姫の魂を受け継いで人間の姿になって甦った瀬織津姫のように思えます。

それは、まるで、 三輪山に伝わる伝説。
神であるニギハヤヒの元に、 嫁いだ、 モモソヒメのように。。。。。。

モモソヒメは、 小さいころ、香川県で過ごしていましたが、 ある時、父である、孝霊天皇に呼び戻されます。
そして、 人間のモモソヒメは、 三輪山の神である、 ニギハヤヒと結婚をしました。
それは、 モモソヒメこそ、瀬織津姫の生まれ代わり、 瀬織津姫の魂をもつ姫だということだったのではないでしょうか。
そして、 瀬織津姫の魂をもつ、 モモソヒメの父もまた、瀬織津姫の父となった。

だから、 物部氏、越智家は、 ニギハヤヒを祖神とし、 さらには、 孝霊天皇を、三島明神(瀬織津姫)の化身と言ったのだと。。。。。。

三輪山から三重熊野方面へ車を走らせと、上北山村というところがあります。
三輪山(ニギハヤヒ) と 熊野 (瀬織津姫)へ繋がる その山の中、
そこには、熊野川水系、上北山最大水量の

「千尋の滝」 があります。

これは、偶然かもしれませんが、 千尋の名もまた、 姫に繋がってくるような気がしています。

もしかしたら、 この時から、 少しづつ、 ニギハヤヒと瀬織津姫は、この世にもう一度復活していたのかもしれません。

ニギハヤヒと瀬織津姫が、もう一度この世に出てくるためには、
千尋のような存在が必要ななのかもしれないとも。。。。。。。。

この時代に、もう一度、 出会うことができれば・・・・

そして、私たちもまた、 真の愛に出会い、 愛の意味を思い出せば、この世界は変わることができるかもしれない。。。。。
  


そして、この歌も。。。。。






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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-09-27 23:53 | 愛媛県今治市(旧玉川) | Trackback | Comments(2)

こんばんは。
台風が過ぎてから、一揆に秋がやってきました。
太陽が降り注ぐ中、爽やかなな秋の風がとても心地よい季節。

夜の空を見上げると、空気が澄んで、星がキラキラと輝きついつい、見とれてしまいます。

季節があるって、やっぱり素晴らしいことですね。

今日は、地元今治の 「熊野神社」のご紹介です。

熊野神社といえば、先日の台風で、瀬織津姫の聖地ともいえる、熊野地方が大きな被害にあい、
熊野那智大社や、熊野速玉大社も被害にあいました。
その時のテレビの中継で、 「世界遺産のこの神社を、なんとしても守らなければ・・・・」と インタビューに答えていたあの言葉が、今も心にひっかかっています。

今日、ご紹介する今治の熊野神社も、 ここ紀伊国熊野新宮大権現の御分霊を奉遷したとされている神社です。 
熊野神社で祀る、熊野権現には、熊野三山といわれる、三つの神社があります。
それは「熊野本宮大社」、「熊野速玉大社」、「熊野那智大社」といいます。

熊野本宮大社は、和歌山県田辺市に、
熊野速玉大社は、、和歌山県新宮市に、
熊野那智大社は、 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町に鎮座します。

これら、熊野三山に祀られる神は、同じ神で、熊野神〈くまののかみ〉、熊野大神〈くまののおおかみ〉とも言われ、神仏習合では、熊野権現と呼ばれます。

熊野権現とは、主祭神の
主祭神の三神(熊野三所権現)を含め、全部で十二の神(熊野十二所権現)のことをいいます。

そして、上記の三社でそれぞれ勧請しあい、
主祭神は、それぞれ
熊野本宮大社は、家都御子神(けつみこのかみ)・・・・阿弥陀如来
新宮の熊野速玉大社は、熊野速玉男神(くまのはやたまおのかみ)・・・薬師如来
熊野那智大社は、熊野牟須美神(くまのむすみのかみ)・・・・・千手観音

を祀り、

天照大神、天忍穂耳命、瓊々杵尊命、瓊々杵尊命、鸕鶿草葺不合命、軻遇突智命、埴山姫命、
彌都波能賣命、稚産霊命を含めたものが、熊野十二所権現といいますが、
熊野那智大社だけは、「瀧宮」(大己貴命)の本地仏 千手観音とし、十三所権現といいます。

本宮大社は西方極楽浄土
新宮の熊野速玉大社は東方浄瑠璃浄土、
那智大社は南方補陀落浄土の地であると考えられ、
平安時代以降には熊野全体が浄土の地であるとみなされるようになったそうです。

これを見た時、思い出したのが、大山祇神社での、十六皇子(十六神社)、大山祇神社では十七神社でした。
神々の名前、数は違うものの、熊野権現とは、大山積神の分同じ考えではないかと思いました。

ただ、祭神を見ると、分身とは少し違うかもしれません。 
でも、やはり、根源には、瀬織津姫があるのだと思います。

というのも、熊野権現とよばれるようになったのは、 中古以降だとされます。
それ以前は、 ここでも、きちんと 「瀬織津姫」 の名前が書かれてある史料が、いくつも見つかっているそうです。

にも、かかわらず、表では、瀬織津姫の名前は全く消されてしまっているのです。

そして、熊野に祀られていた瀬織津姫もまた、大山祇神社と同じように、東北へと運ばれていったのです。

養老二年(七一八)、大山祇神社が正遷座される前年、「熊野本宮神」としてエミシの地に上陸しました。
その場所が、宮城県気仙沼市唐桑町です。

養老2年(718年)4月19日、元正天皇の勅命により、紀州熊野から、数百人の人々が付従いながら、船は出航しました。
そして、5か月の航海ののち、9月9日に、エミシの国、宮城県気仙沼市唐桑町に到着しました。

そして、この時、仮宮を建て熊野本宮神を安置した、その場所が
いまの舞根神社(瀬織津姫神社)だったのです。。

今でも、瀬織津姫神社として鎮座されています。 このことだけでも、 熊野神が瀬織津姫だったということがわかると思います。

しかし、この後、姫の御神体は、運ばれ、室根山へまつられるのですが、いつのまにか、瀬織津姫の名前は消えてしまいました。

何のために、エミシの国へ姫の御神体を運んだのかその理由は、まだよくわかりません。
でも、エミシの国へと運ばれた瀬織津姫は、 大山祇神社の瀬織津姫とは別ルートで、ここにも運ばれていうたのです。
その運ばれた年が、大山祇神社の正遷座直前だったことに、重要な意味があるのだと思います。

大山祇神社は十六年の月日をかけ、天皇の勅命により、大造営を行いましたが、完成したのは、
716年。
完成してから、正遷座まで、なぜか 3年もの年月がかかっています。
それは、正遷座までに、なるべく多くの重要な場所の瀬織津姫を消す準備をしていたのだと思われます。

712年に古事記が完成した時には、まだ、それを実行することができず、大山祇神社も造営中でした。
その集大成ともいえる、日本書紀が完成したのが、720年。
正遷座の翌年です。

大山祇神社の正遷座と日本書紀の完成、 ここで、さらに広範囲にわたり、一斉に瀬織津姫の名前が消されていったのだろうと思います。
だから、 瀬織津姫の御神体を運んだ時には、まだ姫の名前は存続し、その後、突然その名前が消えてしまったのではないかと思います。

今日の神社、 今治市玉川町に鎮座する、 熊野神社は、神亀五年(728年) キーワードの年。
この年の9月に勧請されています。
同じ年の8月23日には、 一斉に大山祇神社が愛媛の地に勧請され、
翌月、9月23日には、一斉に、熊野神社が、愛媛の地に勧請されました。

この9月23日にも、もしかしたら、深い意味があるのかもしれません。
そして、 熊野神社を 愛媛に勧請しなければいけなかった理由も、きっとあるのだと思います。

そして、もう一社、 同じように、神亀五年(728年)9月23日に勧請された
貴布弥神社もまた、瀬織津姫の神社。

大山祇神社、 熊野神社、 貴布弥神社 は、 瀬織津姫を消し去るために、特に重要な地だっただということも、 この熊野とエミシの伝説と、大山祇神社の伝説から、知ることができた気がします。

一歩一歩、 瀬織津姫の真実に近づいてきているような、そんな気がしています。
もちろん、まだまだ、先は長い旅ですが、真実を見つける旅を、続けていきたいです。。。。

*熊野新宮神社
*今治市玉川町小鴨部宮ノ下甲108番地
*祭神
 伊邪那美命(いざなみのみこと)
 速玉之男命(はやたまのおのみこと)
*由緒
神亀5年戊辰9月23日、小千国造命が本郡の総鎮守神として紀伊国熊野新宮大権現の御分霊を奉遷した。
 後に河野家の一族で地頭職の弥熊三郎が社殿を再建したとの記録があり、元弘3年11月伊予大守河野通綱が5反3畝を寄進した。

玉川町小鴨部、この辺は、越智家に由来する場所が多く、もしかしたら、ある時代の中心的場所だったかもしれません。
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拝殿
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本殿
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境内社
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御神木
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ゲド戦記。
映画は、あまり評価はよくありませんでしたが、 私は、大好きな映画の一つです。

あの最後の龍の姿が好きで、龍や姫を作るために、この映画を何度も何度も見ていました。

「真の名」 

時代とともに、多くの名前に変えられた 姫の 「真の名」へ、いつかたどり着きますように。。。。  










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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-09-25 23:59 | 愛媛県今治市 | Trackback | Comments(4)

おはようございます。

今月は忙しくて、週末も朝が早いため、夜起きていられません。。。。
ということで、今日は、朝の更新。

約1か月遅れの紹介になりましたが、 今日は、広島県宮島の厳島神社のご紹介です。

昨日、厳島神社のことを、もう少し詳しく調べてみようと思って、いろいろ見ていたら、また、新しい発見がありました。
でも、さすがに、どんどん複雑になっていき、まだ頭の中でうまく整理がついていません。
ただ、 伊予の御島(神島) 大三島は、私たちが考えている以上に、古代から倭の国の中心的存在であったことは、間違いないようです。

大山祇神社に残る、古い古文書に、まだまだ、多くの秘密が書かれてあるかもしれません。

少し時間はかかるかもしれませんが、この古文書を、もっと詳しく読み解いてみようと思っています。
そうすれば、もっと、瀬織津姫との関係も、明確になってくるかもしれません。

今日ご紹介する厳島神社も、やはりもともとは、大三島と同じ神さまだったかもしれません。
それは、もちろん、瀬織津姫です。

しかし、今は、厳島神社は、(市杵島姫命、田心姫命、湍津姫命)宗像三女神を祀り、大山祇神社には大山積命そして、 「タカオカミノ神」 「イカヅチノ神」を祀ります。

しかし、どちらも、瀬織津姫の名前を消された後に、瀬織津姫の代わりに祀られた神様です。

でも、意味合いが大きく違い、 
大山祇神社の大山積命は、 瀬織津姫を倭の国から消滅させるために、追い出して祀られたものですが、
厳島神社の、宗像三女神は、 瀬織津姫の姿を、違う神に名前を変えて、姫の姿を残しながら祀られた神といえるかもしれません。

1か月ほど前の、記事でも少しふれましたが、厳島神社には、本殿に参る前に、必ず参拝しなければいけないといわれる場所があります。

それが、客神社です。
ここには、天忍穂耳命(あめのおしほのみこと)天穂日命(あめのほひのみこと)天津彦根命(あまつひこねのみこと)活津彦根命(いくつひこねのみこと)熊野櫞樟日命(くまのくすのひのみこと)が祭られています。

これらの神様は、アマテラスとスサノオのが行った誓約の時に、互いの勾玉と剣から生まれたとされる神様で
上記の神様は、建速須佐之男命が、天照大神が持っていた「八尺の勾玉の五百箇のみすまるの珠」受け取ってそれを噛み砕き、吹き出した息の霧から生まれた男神です。

そして、厳島神社の祭神である、宗像三女神は、
アマテラスがスサノヲの持っている十拳剣(とつかのつるぎ)を受け取ってそれを噛み砕き、吹き出した息の霧から生まれた、女神です。

私が、このことを深く見るきっかけとなったのが、愛媛県久万高原町にある、四国八十八ヶ所、岩屋寺の起源を知ったことがきっかけでした。
岩屋寺は、空海が開基されたお寺で、愛媛の中でも、とても重要な場所だったと思われるお寺です。
空海は、岩屋寺を開基する際に、お寺のまわりに、お寺を守護する神さまを祀ったといわれます。

その神さまこそ、五男三女神、 先ほど説明した神々のことです。

厳島神社では、 御祭神を宗像三女神として、客神社(まろうど)に、五男神をお祀りされているのです。
いわば、瀬織津姫の分身ともいえる神々です。

五男神を祀る、「客神社」は、(まろうどじんじゃ)と読みますが
全国に、 客神社と同じ意味をもつ神社は多数あり、 東北とそれ以外では、
呼び方が異なります。

東北では、「アラハバキ神社」 荒波々幾神をまつる神社と言われ、
それ以外の地域では、「客神社」 や「門客神社」と言われています。

客神社や、門客神社の、 「客人神」、「門客神」とは、
地主神がその土地を奪われて、後からやって来た日本神話に、登場する神々と立場が逆転し、客神となったとなった神のことを言うといわれていますが、ここ厳島神社の客神社は、各神というより、姫の分身といったほうがいいかもしれません。

厳島神社には、 入口の五男神を祀る 客神社の他に、本殿の目の前、 
あの大鳥居と本殿との間に、 二つの門各神社があります。

この門客神社に祀られている神は、
櫛石窓神(くしいわまどのかみ)、豊石窓神(とよいわまどのかみ)
またの名を、天石戸別神といいます。

天石門別神は古来より天皇の宮殿の四方の門に祀られていた神で、御門の神であるともいいます。

厳島神社は、瀬織津姫の名前は出せずとも、 姫の御霊を鎮め、崇めるための神社ともいえるかもしれません。
もともと、厳島神社と大山祇神社には、同じ神だと冒頭で書きましたが、
どちらも、もともとは瀬織津姫だったと思っています。

というのが、大山祇神社にはの古文書に、『三島宮御鎮座本縁』というものがあるのですが、
その中の一文に、とても興味深いことが書かれたあります。

伊予の国の神を、仁徳天皇治世に安芸国霧島(宮島)に遷座(あるいは勧請)されたというのです。
ここには、 宮島ともう一つ、勧請されたと伝わる場所があり、
敏達天皇元年に播磨国大倉谷へ勧請されています。

播磨国とは、現在の明石のあたりのことですが、兵庫県相生というところに、やはり同じような伝承の残る三島神社を見つけました。
もしかしたら、そこが、敏達天皇元年に播磨国大倉谷へ勧請された場所かもしれません。

この、『三島宮御鎮座本縁』 からよみとれば、この三つの場所は、同じ神ということになるのです。

しかし、現在は、厳島神社と、大山祇神社にはは、全く違う祭神が祀られています。
それは、 姫の魂を残すものと、 消し去ってしまったものの違いだということが、今回厳島神社に行ったことで、よりはっきりとしたような気がしています。

そして、もう一つ、このことに繋がることがあります。

それが、厳島神社の本殿を作ったといわれる平清盛と大山祇神社を、氏神をしていた源家の関係です。
平清盛が、どうして、宮島の地に、このような立派な宮を建てようと思ったのか、それがずっと気になって仕方がありませんでした。

これは、私の勝手な見解ですが、 平清盛は、源氏を討つために、もう一つの瀬織津姫の場所、
そして、瀬織津姫の魂を残るこの宮島の地を選んだのではないかと思います。
同じ、瀬織津姫の聖地、そして、瀬織津姫の魂が残る方を。。。。。

もしかしたら、平清盛は、このことを知っていたのかもしれません。
だから、この島を選んだ。 そして、もう一ついうならば、この島しか、大三島に対抗できる島がなかったともいえるかもしれません。

しかし、皮肉にも、やはり、神島といわれる 元、瀬織津姫の聖地、大三島の大山積命を崇拝する、源氏に倒されてしまったのです。

源氏と平家の戦いは、 瀬織津姫と大山積命という、二つの神をも巻き込んだ戦いといえるかもしれません。

来年、NHK大河ドラマで、平清盛が取り上げられることになりましたが、
なんだか、このタイミングで。。。。。 といわんばかりの、復活。。。。。

古事記が完成してから、来年で1300年、一つの節目を迎えます。
それに合わせるように、 瀬織津姫の名前が、この現代に広く広まりつつあり、多くの人が、倭の国に瀬織津姫が復活したと言われています。
歪を戻す地震、すべてを飲み込み、洗い流す津波、水害、そして、人間が決してかかわってはいけない原発への警告。

2012年は 竜(たつ)であり、竜(りゅう)の年でもあります。

そんな年に、合わせたように、平清盛が復活されます。

厳島神社の御神体である山に舞い降りる龍が天高く上り、
大山祇神社の山、御神体に、住んでいたといわれる龍もまた復活してくる気さえします。

すべてが、ただ偶然に起こっているのかもしれませんが、
人間の奢り、私利私欲によって、この地球の命さえも危ぶまれはじた今、私たちは、これを警告と受け止める時がきていると私は思います。

前回のいにしえの魂からの声のように、今、起こっていることの中に見え隠れする、先人たちのメッセージや、
神々からのサイン。 そういう目で見なければ感じ取ることができない小さなメッセージに、気づきなさいと言われているような気がします。

原発の再稼働の話が、聞こえてきていますが、まだ、やはりこのメッセージに気づいていない人々が多いことに、強い憤りと、悲しみをおぼえます。。。。。

人間の奢り、私利私欲。 
人は、本当に、愚かな生き物ですね。 これ以上、どうすることもできないところまでいかないと気づかないのでしょうか。。。。。。。。。。。。

未来に希望がもてる世の中にするためには、私たち一人一人の心が変わらなければいけない。
国を動かす人たちや、経済を動かす人たちが、変わらないとしても、 それでも、 一人でも多くの人の心が変わることが、 明るい未来への一歩だと。。。。

心は伝染します。
一人から始まった想いは、やがて、数えきれない人へと伝染するのだと。。。。

過去を敬い、自然の恵みに感謝し、命に感謝し、他人を想い、誰かのために生き、未来の人々のために、この美しい地球を残す。 
そんな心を誰もが持つようになれば、 今、するべきこと、これからどう生きていけばいいかが、自然とわかってくるような気がします。

それでは、宮島厳島神社です。 

宮島行きフェリー
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宮島です。あの山から龍が上るそうです。
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船から見た大鳥居
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参道
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大鳥居、ついた時はちょうど干潮でした。 
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大鳥居に書かれた神社の名前は、海側と、本殿側、昔の字と今の字の両方が書かれていました。
これが、海に向かってみえるほうです。
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そして、こちらが、本殿に、うかってみえるほうです。
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大鳥居の柱には、多くのお金が、埋められていました。
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海から見た、拝殿
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社殿入口
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客神社
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境内に白鷺がやってきました。 白鷺は三島明神の使いといわれています。
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鏡池 ここにも白鷺が。。。
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境内から見える 5重の塔
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卒堵婆石
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御本社
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門客神社
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本殿裏 鎮守の杜
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本殿
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天神社(菅原道真)
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そして、最後に 海の中の大鳥居。
参拝が終わり、帰る間際にとったのですが、 帰って写真をみてみると、
まるで、龍のような雲と、その下に、手を差し伸べている神の姿が。。。。

手のひらを上に向けた神の手から、龍が上る姿のように思えます。
皆さんにも、同じように見えるでしょうか。。。。。。。。。。。

よい週末をお過ごしください。
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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-09-24 09:51 | 県外編 | Trackback | Comments(0)

こんばんは。

日本列島を、台風が横断しました。 
現在、東北地方を北上中の台風15号。

今年は、地震、津波、台風と、数々の災害に見舞われた年となりました。

今日、知人から、ある動画を紹介されました。
その動画は、今回の大津波において、東北の海岸線に建てられた神社のそのほとんどが、
津波の被害がなく、 その神社の前で、波が止まっているということを発見したという、報道の動画でした。

少し、長い動画ですが、ぜひ、皆様も一度ご覧いただけたらと思います。

「いにしえからの警告」

この動画を見て、皆さんはどんなことを感じたでしょうか。

今の世の中は、過去、何度も起こっている、地球のサイクルを何も考えず
ただ、便利さ、豊かさばかりを追い求め、 一番大事なものを忘れてしまったのではないでしょうか。

日本の神様は、 「自然信仰」 自然のあらゆるものに宿ると、 古代の人々考えました。

それは、私たちは、自然の恵みを受け生きることができる、
そして、私たち人間は、自然に逆らうことはできない。ということを、 古代の人々は、よくわかっていたからではないでしょうか。

自然がなければ、生きていくことはできないし、
自然の怒りに逆らっても、 生きていくことはできない。

だから、自然が、神様なのだと。

私たちは、あまりにも、自分勝手に生きてしまったのではないでしょうか。

以前にも、少しブログに書いたことがありますが、
ちょうど、瀬織津姫さまの名前が消されてしまった時代は、日本中で天災、厄病、食糧危機が起こった時代です。

それと同じようなことが、また、起きるのではないかとずっと思っていましたが、
今年だけでも、 その時代に戻ったかのような出来事が次々と、起こっています。

いろいろな意味で、今、もう一度過去を知り、私たちのこれからの生き方を見直すべき時がきているように思います。

昨年あたりから、急に神社ブームが起き、 神社に行く人が増えてきました。
ただ、その多くは、神社に何かを求め、 願いを叶えるために行く人たちでした。
でも、 神社が再び、人々の目にとまるようになったのも、警告だったのかもしれません。

人が忘れてはいけないもの。 伝え続け、守りつづけなくてはいけないもの。

空海が、神様をこの日本から消してはいけないと考えた意味が、わかるような気がします。
もしかしたら、瀬織津姫さまが、1300年の時を超えて、その名が世の中に現れ始めたのも、私たちに、そのことを気づかせるためでもあったのかもしれません。

だから、姫さまは、やはり、私たちを守るためにこの世にもう一度、現れたのかもしれません。
目の前でいつも守り、警告を発している、 神社や神様を忘れてしまった私たちへ、そのことを伝えるために

私自身、今回のこの動画を見て、 まだまだ、 古代の人々の本当の想いを知ろうとしていなかったことに、気づき反省しました。
ただの歴史ではなく、 ただ、姫の存在を知るだけでなく、 その時代その時代の人々がどんなことに苦しみ、どんなことを想い、神社を建立したのかも、もっと知らなくてはいけないのだと。

そして、その中に、どんなメッセージが込められているかを、もっと深く感じることが必要なのだと。

私たちのご先祖さまたちは、私たちが考えている以上に、 未来の私たちへ多くのメッセージを残し
未来に生まれてくる私たちの幸せを願っていたのかもしれません。

そして、今度は、今命あるわたしたちが、未来の人々に、何を残し、何を伝え、どんな世の中を残していけるかを考えなくてはいけないのだと、強く思います。

本当に、大切なもの、本当に、伝えていかなくてはいけないもの、本当に残さなければいけないものはなんなのかを。。。。。。

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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-09-21 23:37 | 日記 | Trackback | Comments(2)

こんばんは。

台風が接近していますが、皆様大丈夫でしょうか?
ここ、今治は、大雨、洪水警報が発令されていますが、今のところ、大きな被害はないようです。

これから、先日、大雨の降った地域へ台風が向かっています。
被害がこれ以上大きくなりませんように、願っています。

今日、ご紹介する神社は、今治の神社です。

ずっと前から気になっていた神社だったのですが、ここもなかなか行くことができず、やっと参拝できました。

神社の名前は 「大須伎神社」といいます。
今治市高橋に鎮座します。 高橋という場所は、古代から越智家由来の土地であり、越智玉澄由来の楠木が今も、存在します。

そして、今日ご紹介する神社が鎮座する山も、古代より神様が祀られ、とても大切な場所だったようです。

大須伎神社は、小林八幡神社と、伊予熊野神社が合祀されています。

大須伎神社は、推古天皇の時代より鎮座されている神社と伝わりますが、ここには、とても古い伝説が残っています。

昔、この地域に、弥熊(いよくま)小六郎という人物がいました。
小六郎は、ある時、紀伊熊野へ、旅に出ました。 
熊野の山の中で、一夜を明かした時のことでした。 
夢の中へ、熊野の神が現れ、伊予の国へ祀るようにと告げました。

小六郎は、今治へ帰り、早速ここ高橋の山へ、熊野権現として祀りました。

それから、数百年の時が流れ、その間に山崩れがおき、熊野権現は山の中へ埋まってしまい、そのうち、神様を祀っていることも忘れさられてしまいました。

しかし、寛文九年己酉二月七日、我実相院殿の夜の夢に、白い着物をきた神様が現れました。

「我は熊野権現なり。 山の中に埋まっている私を見つけ出してほしいと。 
我は、古い鏡と、剣の姿をしている。」 

夢から覚めて不思議に思い、すぐ、山へと探しに出かけました。
崩れた山の中を、探すと、土の中からり二面の古い鏡と(背面に鳥有り)、霊剣、そして石一箇を見つけました。
石の面に、経文が彫られ、「天承二年壬子八」と書かれていました。

その後、この山へもう一度、熊野権現として祀り、今もなお熊野権現神社として、この山でお祀りされているということです。

国道からすぐそばの、小高い山の上に、神社はあります。
参道の山道へ入ると、 そこは神域。 今でも、 鎮守の杜として、大切にされています。

小林八幡神社は、元は、現在の倉社川の川沿いに祀ってあったといわれ、洪水で流されたため、現在の場所へ合祀されたそうです。

熊野権現とは、瀬織津姫のこと。
夢に現れた、白い着物をきた女の人は、瀬織津姫だったのかもしれませんね。
高橋から、野間神社へと行く道沿いには、数年前に見つかった、多田羅製鉄の後もあります。

私は、このあたりは、 考えている以上に古い時代から、古代の人々が暮らし、栄えた場所だったのではないかと思っています。 
そして、出雲とも深いかかわりのあった場所だと。

もしかしたら、ここに、スサノオノ命が訪れたかもしれません。。。。。。

*大須伎神社
*今治市高橋乙358-3
*祭神:
少那毘古那命(すくなびこなのみこと)
伊邪那美命(いざなみのみこと)
速玉男命(はやたまおのみこと)
品陀和気命(ほむだわけのみこと)
多伎都姫命(たぎつひめのみこと)
多伎理姫命(たぎりひめのみこと)
*境内社
稲荷神社
八社明神
由緒:推古天皇4年厩戸皇子の親筆神名額の奉納あり。醍醐天皇の勅命により延長5年撰修の延喜式神名帳に所載されている。
 延喜16年9月25日、寛弘8年、承久2年、正長元年等の大洪水に社殿流失し、打ち続く戦乱のため神田も荒廃して、往昔宏大であった社頭の構造も衰退した。

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入口に祀る 観音様
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由来
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ここから参道へと入ります。
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参道の階段は、とても静か。ここはもう神域です。。。
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蝶にトンボに、セミ。 昆虫たちがいっぱいです。
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昔の人々が知恵を絞り、開拓をしたおかげで、今のこの生活があるのですね。
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思っていた以上に、深い杜でした。
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いよいよ、拝殿が近づいてきました。
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境内に到着
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拝殿です。 
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本殿
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雨乞いの石を見つけました。 ここでも、雨乞いが行われていたのですね。
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1000年以上昔から伝わる伝説の場所が、今もこうしてここにある。
昔から、次の時代へと受け継がれ、大切に大切に守られてきた神社は、人々の命そのもののような気がします。

今では、神社も、お願いごとをする時だけのものとなりつつあります。
後、100年後、 1000年後も、今と同じようにずっとずっと受け継がれていきますようにと、神社へ行くたびに思います。

受け継がれたものを大切にする気持ちを忘れてしまわないように。。。
少しでも、私の神社巡りがお役にたつことができればいいなと願います。

沢山の人々の想い、沢山の人々の努力、沢山の人々命を大切にすることと、自分を大切にすることは、同じなのだと、強く感じます。。。。。。。




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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-09-21 00:30 | 愛媛県今治市 | Trackback | Comments(0)

こんばんは。

今月は行事が目白押しで忙しくて、なかなか更新ができなくて。。。。。
まだまだ、毎日暑いですが、もう10月が近くなってきました。

先日、急に栗が食べたくなって、ちょうど内子町の方へ行っていたので、
愛媛でも一番といわれている、中山町の栗を、買って帰って、さっそく、次の日、運動会のお弁当に、
栗ごはんを作りました。

大きな栗が、ホクホクて、とってもおいしかったです^^

秋は、食べ物がおいしい季節ですね。
梨に、柿、サンマに、 さつまいも。。。。

美味しい食べ物は、 美しい自然と、 豊富な水、 そして、 太陽が必要。

自然の恵みのおかげで、おいしい食べ物を食べることができることを、忘れてはいけないですね。

では、今日は、松山市の神社をご紹介します。

今日ご紹介する神社には、大三島の大山祇神社の境内にも祀られている、 十六皇子神社があります。
十六皇子神社とは、 ブログでも何度かお話しましたが、 大山積命を守る神といわれている十六柱の
神様。 各方位を司る神様でもあります。

また、大山積神の本地仏・大通智勝仏の子に十六王子がいて、それに対応させるように十六王子神が神仏習合的に設定された神でもあります。
神仏習合でも考えると、これら十六王子神は大山積神の分身ということにもなります。

十六王子すべての神が、大山積神ということにもなるのです。

愛媛県の神社の中にある十六王子神社の中で、公表されているところは、現在
4社あります。

1.伊予三島市(現四国中央市)三島神社の十六神社
2.北条市(現松山市)高縄神社の十六王子社
3.松山市阿沼美神社の十六皇子神社
4.本社大山祇神社の十六王子神

そして、もう一度十六王子をおさらいしますと、

1 大気神社………保食神
2 千島神社………磐裂神
3 倉柱神社………倉稲魂神
4 轟神社…………啼沢女神
5 阿奈場神社……磐長姫命
6 比目木邑神社…木花開耶姫命
7 宇津神社………枉津日神
8 御前神社………狭田彦神
9 小山神社………闇靇神
10 早瀬神社………瀬織津姫神
11 速津佐神社……速佐須良姫命通
12 日知神社………大晝目命
13 御子宮神社……大直日神
14 火■神社………火須勢理神
15 若稚神社………火々出見命
16 宮市神社………市杵島姫命

上記そうなのですが、 大三島の大山祇神社では、
「一の王子、十六王子」の構成で、「一の王子」に相当するのが諸山積神社となり、
十七社神社と呼ばれています。

そして、今日、ご紹介する、阿沼美神社は、
10の早瀬神社 (瀬織津姫神)の名前がなく、 その代わりに、
「諸山祇神」 の名前があります。

*「阿沼美神社に瀬織津姫神を欠く」、具体的には「諸山祇神を一柱に数えて十六柱とする」と書いています。

どうして、ここ、「阿沼美神社」だけが、瀬織津姫の名前がないのかは、わかりません。
しかし、この「諸山祇神」と「瀬織津姫」 が同じということが、これでわかります。

「諸山祇神」とは、ここでは、
「大山祇命、中山祇命、麓山祇命、正勝山祇命、志藝山祇命」と表示されいます。

大山祇命以外は、聞き覚えのない名前ばかりですが、 どれも、 「山祇命」の名前であり、
これらはすべて、 大山祇命のことなのです。

以前、大西町の間所神社でも、祭神として祀られていた、「諸山祇神」のお話をしましたが、
これからのことを総合的に考えると、
「諸山祇神」とは、「大山祇命」であり、 「瀬織津姫」であるということになります。

今日、ご紹介する神社は、瀬織津姫のことを隠しながらも、 その存在を守り続けた一社なのかもしれません。

*阿沼美神社
*松山市平田町983
*祭神:大山祗命(おおやまずみのみこと)
*境内社
 稲荷神社(宇賀御魂神)
 十六皇子神社(十六皇子神)
*由緒:
 延喜式神名帖(平安時代)に伊予国温泉郡阿沼美神名神大とある社と言われています。
 中世、河野氏が三島の神を合祀して阿沼美三島大明神と称え、一族の大内氏に祭事を司らした。
 河野氏滅亡後、三島新宮と称したが(鳥居の額にその名が見られます)、延文年間の石額、文禄年度の
 古棟札等により、その記載の社名に基づき阿沼美神社としました。

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この日は、珍しくかなりの雨の中、参拝しました。
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狛犬
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拝殿
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本殿
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境内社
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十六皇子神社
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今日は、夕方前から雨が降り始めました。
今日は、旧小田町へ行っていたのですが、パラパラっと雨が降ったものの、参拝を終えるまで、
傘をささないで大丈夫でした。

参拝を終え、松山へ帰る途中、土砂降りの雨。
無事、今日も参拝ができたことに、感謝をしながら帰宅しました。

また、台風が近づいてきています。
今年は、 「水」の災害が多い年となりました。

私たち人間にとっては、試練の年。

でも、目線を変えれば、これは自然のことかもしれないと思うのです。
人間にとっては、試練でも、自然、地球にとっては、これは必要なことなのかもしれません。

それぞれの立場、それぞれにとっての良いもの、悪いもの。
私たち人間も、自然に多くの試練を与えてしまっていることを忘れてはいけないと思います。

私たちが少しでも、試練を少なくしたいならば、
私たち人間もまた、 他のものことをもっと考え、 試練を与えることをなるべく減らすようにしなければいけないのです。

人を傷つけると、必ずその代償は、どこかで自分に振り返ってくるのと同じように、
今私たちに起こっていることは、自分たちが招いたことなのかもしれないと思います。
そのことに、一人でも多くの人が気づき、自然と共生、共存していく世の中をつくっていくことが、私たちが、今一番考えないといけないことだと、私は思います。



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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-09-19 22:09 | 愛媛県松山市 | Trackback | Comments(0)

こんばんは。

今日で、大西町のお話はひとまず終了です。
今日、ご紹介する場所は、先日の弁天さんのところで、出てきましたお城のあった山すそにたつ
お寺のお話です。

今治から玉川町にぬける山の途中に、小さな看板がたっていました。
ふと、その看板に目が止まり、一度通り過ぎたものの、 気になり後戻り。

車を降りて、看板を見に行きました。

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どうも、ここは、後醍醐天皇の皇子ゆかりの場所のよう。
私がいつも訪れる場所は、古代の歴史にまつわる場所が多いのですが、 ここは、それより少しあと、
鎌倉時代。 姫とは関係ないかもしれませんが、 なんとなく 「聖観世音菩薩」 という言葉にひかれ、
とにかく行ってみることにしました。

山の中を少し歩くと、階段が見えてきました。
もっと、山の中かと思いましたが、思ったより、遠くありませんでした。

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入口には、日切地蔵と、不動明王が祀られていました。

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まず、不動明王にご挨拶をしようとした時、一人の女性が、話しかけてこられました。

その方は、こちらの亡くなられたご住職の、ご家族の方でした。
時々、お寺のお世話に来られているそうでした。 私たちが訪れたことに、とても喜んでくださって、それからいろいろなお話をしてくださいました。

案内板にも書かれてありましたが、ここは、後醍醐天皇の皇子、尊真親王がこの地で崩御され、
岡部思茂城主らが、親王の冥福を祈り、ここに廟堂を建てて、聖観正音菩薩さまを祀ったという伝説があります。

どうして、この地で崩御されたのか。。。

延元元年(1336年)11月、後醍醐天皇の皇子、尊真・満良・懐良の3親王は、南朝方の勢力拡大のため、大館左馬介氏明、篠塚伊賀守ら40余人を従えて、ここ大西町の大井浦に着きました。

伊予の国守河野通政はこれを迎えて、御座所大井寺に入ることになりました。

大井寺とは、先日紹介した弁天さんのすぐ近くにある、お寺です。

しかし、その時の約一か月後、延元元年12月19日夜、北朝方将兵の不意打ちにあい、供奉(ぐぶ)の将兵の多くは討死し、尊真親王も負傷してしまいました。

その後、満良親王は浮穴郡へ、懐良親王は筑紫へわたりました。
尊真親王は大井寺において四条少将の守護のもと、阿波、讃岐、両国の北朝方勢力を除こうとしたが弱体のため果たせず、延元3年(1338年)3月8日とうとう、この地でお亡くなりになりました。

そして、なきがらは藤山へ埋葬、みたまは大井八幡社へ合祀したといわれています。

大井八幡社は、国道沿いに鎮座する神社です。
以前、紹介していますのでよかったら、ご覧下さい。

そして、こちらのお寺には、もう一つ、もっと古い伝説があります。

それが、このお寺の境内にある、ヤマモモの木に由来する、伝説です。

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こには、根回り約7.5mの、大きなヤマモモの木があります。
このヤマモモは、根本が八本に分かれた大木で、この大木には、狸が住むという伝説が伝わります。

ここに住むと伝わるお狸さんは、松山市のお堀から移り住んできたと言います。
そのお狸さんんお名前は、 「八股の狸」 といいます。

 「八股の狸」 は、とても仲良しの、狸がいました。

それは、四国中央市三皇神社に住む、 「オサンサン」 という名前の狸でした。

 「八股の狸」 は、 今度は、仲良しの 「オサンサン」の所へ、引っ越して行ったそうです。
でも、時々は、ここへも帰ってきているそうですよ。

四国中央市の 「オサンサン」 には、兄弟がいて、
それぞれ、 新居浜市 一宮神社に住む、 「一番楠のお楠狸」 、「阿波のお楠狸」といい、
日露戦争に出て赤トンボで活躍したといわれているんですよ。

今まで、狸の伝説が残る神社にも行ってはいたのですが、詳しく調べたことがありませんでした。

なぜか、今回、とても気になり始め、いろいろ調べていたら、
愛媛には、狸の伝説が、とてもたくさんあることがわかってきました。

そして、この狸の伝説もまた、 神社や神様に繋がっているような気がしてきました。
というのも、三皇神社も、 一宮神社も、とても重要な神社だからです。
これらが、兄弟ということは、 兄弟が使える神様同士にも、きっと何か繋がりがあると思うからです。

これから先、いつか、この意味も解けるうような気がしています。

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そして、お寺よりさらに、山奥へと進むと、
巨石があります。
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お寺へと入る入口から、瀬戸内海を望むことができます。
昔の人も、こうしてこの山から、海を眺めていたのでしょうね。。。。

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幸せってどこにあると思いますか?

独ハンブルクの未来研究財団とブリティッシュ・アメリカン・タバコ社が実施した「幸福度」に関する欧州の世論調査で、興味深い結果がでたそうです。

欧州13カ国計1万5000人が対象のこのアンケート。

「私の人生は幸せだ」と答えた人の割合は、
福祉国家デンマークが96%で1位、
2位はギリシャ(80%)、
3位は同様に財政危機の渦中にあるイタリア(79%)だったそうです。

逆に欧州一の経済大国ドイツは61%と下から3番目でした。

国別で幸福度に差はありますが、どの国でも共通して
男性より女性、
都市住民より地方住民、
独身者より既婚者の方が幸福度が高かったそうです。

人の幸せは、 経済の発展と比例しない。
便利な、一見裕福に見える、都会での生活が幸せとは限らないということが、 このアンケートで見ることができます。

幸せは、外にいくら求めても見つからず、どんなに裕福な生活をしても見つからず 
どんなに高価なものを手に入れても見つからず、
本当の幸せは、とても身近な生活の中にあり、また、心の中にある。

そのことに気づかなかければ、 いつまでたっても、幸せは訪れることはない。



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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-09-17 03:41 | 愛媛県今治市(旧大西町) | Trackback | Comments(2)

こんばんは。

今日は、前回の続き、大西町です。

大西町は、昔、「怪島」と呼ばれていました。
それは、海賊が住み着き、沖を通る船を脅かし続けたので、いつしか「怪島」という名前がついたそうです。

戦国時代には、伊予の豪族・河野氏の神野左馬允が怪島城を築城し、全島を要塞化し、
豊臣秀吉の四国征伐のときには合戦場となりました。

そして、今日、ご紹介する場所は、豊臣秀吉の命によって攻撃され、自害した姫の伝説が残る場所です。

前回ご紹介した、間所神社のすぐ近くに、弁天さんと呼ばれる場所があります。
今は、住宅が立ち並ぶ一角の、小高い丘の上に、あります。

近くを走る、農道から、少し入ると、少しわかりにくいですが、小さな建物が見えてきます。
住宅の横の、あぜ道のような、人が一人通れるくらいの小さな道を上ると、小さなお宮がありました。

大西町から、玉川町へと抜ける道沿いに、重茂山という山があります。
ここには、重茂城というお城がありました。

天正13年(1585)、中国地方を征服した豊臣秀吉は、小早川隆景を総大将として土佐の長曽我部元親が統一する四国の征伐を始め、伊予に攻め込みました。
30,000余の軍勢を率いた小早川は、越智郡のいたる所の城を攻撃し、西へ侵攻して、
ついに河野氏の本拠地湯築城を攻め落としたのです。

この時、伊予の国のあちらこちらの城だけでなく、神社もその標的となったといいます。

この戦いの時の、重茂山の城主は岡部十郎という、河野氏の武将でした。
ここも、その戦いで、小早川に包囲攻撃され、落城したお城の一つです。

落城の際、城主の息女、若き姫と乳母はと共に、逃げのがれました。
しかし、この場所、衣笠あたりで敵兵に見つかり、とうとう自害してしまいました。

その後、村人たちは、悲運の姫をいたみねんごろに祀ったと伝わります。
そして、そのお墓の前には、十字をかたどった弁天を刻んだ石像がたっていたそうです。

そのことから、これは隠れキリシタンの信仰石像で、姫はキリスト教を信仰していたのではないかといわれているそうです。

実は、河野家の本拠地、北条もまた、隠れキリシタンが多数住んでいた町と伝わります。

そして、隠れキリシタンの信仰石像といわれる、弁天さん。
弁天さんは、 瀬織津姫と同一といわれますが、 聖母マリアもまた、瀬織津姫と同一といわれています。

河野氏族は、キリストも信仰していたかどうかは、今の所まだよくわかっていませんが、
「聖母」 信仰は少なからず、あったのではないかと思われます。

なぜ、弁天さんと、 聖母マリアを、 重ね合わせたのか、 これも一つの瀬織津姫の重要な鍵のような気がします。 
日本人は、 神も仏も、すべて、一つだという考え方をもっていました。
だから、もしかすれば、 キリストや聖母マリアもまた、 観音さまや菩薩さまが、神が仏になった姿だと考えたように、 重ね合わせたのかもしれません。

姫が住んでいたお城 (重茂山)は、 またの名前を、 (十文字山)といいます。
この十文字山とは、キリストの十字架のことを意味するものだったのでしょう。

そして、 (重茂山)を越えた玉川町側の地名は、 「三島」 。
ここが、河野家、もしくは、その前の越智家の時から、ゆかりのあった場所なのかもしれません。
というのも、このあたりには、遺跡や古墳が多数みつかっています。

昨年、国指定史跡に認定された 「妙見山古墳」 も、
ここからそう遠く離れていない場所にあり、この古墳は、
古墳時代初期、4世紀時代ころのものといいます。
4世紀ころといえば、日本の歴史の空白の時代とも言われる時代です。卑弥呼がなくなった後の時代です。

そして、この重茂山の上には、巨石があるといわれ、古代の人々の祭祀場だった可能性もあります。

大西町は、スサノオが船でたどり着いた浜辺もあるといわれ、まだまだ、発見されていないものが、
多数眠っているような気がします。

瀬織津姫という女神さまは、 単なる、 「水の女神」 というだけでなく、もっと、大きな意味をもつ、偉大な古代の神様だったのではないかという思いが、より一層強くなりました。

今では、 あまり知られていない、 小さな町の、 一つの歴史。
でも、ここにも、 一人の姫の命の歴史が、刻まれています。

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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-09-15 00:11 | 愛媛県今治市(旧大西町) | Trackback | Comments(2)

こんばんは。

今日は、今治市大西町に鎮座する神社のご紹介です。

ここは、今治から松山へ向かう 196号線から少し山へと入った大西町にあります。
小さな部落の中に鎮座する神社ですが、 ここに、大山祇神社の秘密を垣間見ることができます。

神社の名前は、

「間所神社」といいます。

神社の由緒は、
光仁天皇の朝、宝亀10年8月勅を奉じて大三島の大山祇大明神・諸山祇神を崇祀して、浦戸明神と称した。
予州13浦戸の宮の一つで間所浦戸明神とも号した。

と書かれてあります。

光仁天皇とは、第49代天皇。
即位期間は、770-781年 奈良時代後期の天皇です。

光仁天皇の前の天皇は、称徳天皇で、この天皇が天武天皇系最後の天皇となり、
光仁天皇は、約100年ぶりに、天智天皇系の天皇となった人物です。
天智天皇、天武天皇は、 もうご存知のとおり、時代が大きく変わる、瀬織津姫がこの世から消された時代に天皇であった、重要な天皇です。

あの大浜八幡神社の元となる、津島の瀬織津姫(門島神)は、天智天皇の祖神と書かれてあります。
そして、天武天皇は、兄弟となってはいるものの、全く違う世の中を作ろうと、一揆にその後の日本を変えるきっかけになった人物です。

天武天皇から加速し始めた、新しい日本の形。
古事記が作られ、瀬織津姫が消されました。
それから、称徳天皇までの約100年間は、天武天皇系の子孫が天皇となっていったのです。
しかし、称徳天皇を最後に、独身の女帝に後継者はなく、度重なる政変による粛清劇によって天武天皇の嫡流にあたる皇族がいなくなりました。
ただ、天武天皇系の聖武天皇の娘、井上内親王と、天智天皇の孫、白壁王との間に、天武天皇系嫡流の血を引く男性皇族の最後の一人他戸王がいたため、
その父である、62歳の白壁王は大極殿で即位することとなったのです。

そして、光仁天皇となりました。

しかし、その後も、争いは絶えず、井上内親王と他戸王は、変死することになります。
そして、二人の変死後、藤原式家の兄弟も、相次いで亡くなりました。

この当時は、神も消しさり、人間も、殺し合い、その罪を背負った天皇は、常に祟りを恐れいたといいます。

今日、ご紹介する神社は、そんな時代、藤原式家の兄弟が相次いで亡くなった時に、鎮座された神社の一つです。
祟りにおびえていた天皇は、 やはり、 瀬織津姫という重要な女神さまを消し去ってしまったことことも、次々に降りかかる禍の原因だと思っていたのではないでしょうか。

だから、あえて、ここで、瀬織津姫という名前は出せなくても、「浦戸宮」 という、
大三島に消される前まで、瀬織津姫が祀られていた 「浦戸」 という名前を使ったのではないかと思うのです。

さらに、間所神社が初めに、崇祀した神は、 
「大山祇大明神・諸山祇神」

この諸山祇神という名前は、 瀬織津姫の別名ともいえます。

大山祇神社の十七社の中に祀られている神の名前で、 最初は、十六社の中にいなかった神様ですが、
後に、諸山祇神を増やし、十七社とされた神の名前です。
私が思うには、 この間所神社が初めに、崇祀した本当の神は、

「浦戸明神」は「瀬織津姫」 だったと思います。

そして後に、現在の祭神
大山祇神(おおやまづみのかみ)
諸山祇神(もろやまづみのかみ)
雷神(いかづちのかみ)
高龗神(たかおかみのかみ)

に変えられてしまったのだと。

上記の4柱の神さまは、すべて 「瀬織津姫」 です。
それぞれ、全く違う神のように思えますが、 どれも、 姫の変えられた名前なのです。

「浦戸宮」 とは、 大三島の瀬戸に、大山祇神が初めて祀られるずっと以前から、 瀬織津姫が祀られていた場所のことです。
現在の大山祇神社の所在地 「宮浦」 も、 そう呼ばれていた場所の一角だと思います。

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由緒書きに書かれた、合祀神社の名前。
「客神社」「荒神神社」 もまた、瀬織津姫ですね。。。。。
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階段を上っていると、赤トンボが飛んできました。
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そして境内へ。
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拝殿
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本殿
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境内社は、金毘羅神社。 大国主ことニギハヤヒですね。
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参拝を終え、階段から降りてくると、
黒い大きな蝶が、目の前をす~っと横切り、どこかへ飛んで行きました。

ここも、間違いなく、瀬織津姫さまの神社だと思いました。

浦戸宮という名前は、以前、紹介した東温市の徳川神社にも出てきていました。
その時は、全く気付かなかったのですが、 徳川神社は、大山祇神社を建設中になぜか、
再度、三島 浦戸から諸山積大明神を勧請しています。

ここにも出てくる 「浦戸」 と 「諸山積大明神」

間違いなく、これは、瀬織津姫のことだと思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

昨日、ネット見つけた、神秘的な映像。

今まで、観測されたことのなかった、ブラックホールが、初めて観測されたそうです。
宇宙に、いくつも存在するという ブラックホール。
光をも、吸い込むといわれています。

 


宇宙には、まだまだ謎がいっぱい。 科学では、証明できないこともたくさんあります。

ブラックホールに吸い込まれた星は、いったいどこに行ってしまうのでしょう。

もし、本当に、違う次元があるとしたら、その世界はいったいどんな世界なのでしょう。

私たち人間は、いったいどうしてここに存在しているのでしょう。

人には、必ず寿命があります。 誰も、いつかは、死と向き合わなければいけません。

そして、この宇宙の星たちも、また、すべての星に命の限りがあります。

星も人間も、永遠はないのです。

でも、ただ一つ、永遠があるとしたら、 宇宙という未知の世界だけは、星や人間という子供を生みながら、
永遠に存在するのかもしれません。

そして、それを、「神さま」と呼ぶのだと。

だから、私たちは、みんな、同じ、神様、同じ 宇宙の 子供。

そして、星も人間も、 動物も。。。 すべての命あるものは、その命がつきるまで、輝き続けていくのだと思います。 
命があることは、 たとえ、どんなに苦しくても、 
素晴らしいことです。
有難いことです。
せっかく頂いた命、 争いや憎しみで終わることほど、 もったいないことはないと思いませんか。
せっかく頂いた命、 何かのために役にたてたいと思いませんか。

生まれた瞬間から、誰もが、一日、一日、命の終わりへと歩いている。
そう、思うと、今日、この一日が、とても大切に思えるのではないでしょうか。。。。。。。。

 




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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-09-13 23:48 | 愛媛県今治市(旧大西町) | Trackback | Comments(4)

数あるブログの中からお越しいただきましてありがとうございます。 不思議な数々の出会いから、今は、愛媛の神社めぐりをしながら、神社や女神様そして、神話の神々の伝説を調べています。