<   2011年 10月 ( 27 )   > この月の画像一覧

こんばんは。

今日は、瀬織津姫の古代の姿、「月の女神」としての御神徳と、大三島の繋がりの話です。

昨日は、コノハナサクヤ姫、そして磐長姫と、瀬織津姫の関係のお話でした。
この二柱の姫もまた、瀬織津姫の 「分御魂」 の姿でした。

大山積神は、古事記、そして、新たに書きかえらた日本書記の中で、多くの子供をつくり、そして、さらにその子供からまた子供をつくりました。
その子供、孫、ひ孫・・・・・・。 その中に、現在、多くの人が、瀬織津姫の変えられた姿と言っている神々がいることがわかってきました。

それは、瀬織津姫の分御魂、瀬織津姫のさまざまの姿の一部分だけを、神格化した姿だったのです。
そして、「元」 全ての原点ともいえる、 瀬織津姫そのものの、御魂は。。。。。。。。。。

「大山積神」 なのです。

あの、大島宗方沖 「津島」 に祀られた 「瀬織津姫」 の名前の所に、記された記号

「∴」   大山積神 ∴ 瀬織津姫 

これは、やはり 大山積神と瀬織津姫は、同じ神だということを言いたかったのだと思うのです。
ある文書では、 コノハナサクヤ姫の親 「大山積神」 を女神として書いていました。
それも、本来の姿が、瀬織津姫だということを訴えたかったのかもしれません。

沢山の姿を持つ、瀬織津姫。
その中でも、最近、私が特に注目している姿、 「月の女神」としての姿です。

古代、人々、太陽と月に神の姿を見、信仰していました。
それは、縄文時代から続いている姿です。 縄文時代の土器には、 「太陽の神」 「月の神」 が
多く描かれています。

太陽は 「男神」 月は「女神」に 現されていました。
それは、後の、ニギハヤヒと瀬織津姫の姿に重なります。

一般的に言われる、 「水の女神」 としての瀬織津姫の姿の、原点はもしかしたら 「月の女神」 だったのかもしれないと最近思い始めています。

そして、 現在の神徳である 「祓神」。 あの大祓詞にでてくる、姫の姿も、原点は 「月」からきている。

それが、なぜかと言いますと。。。。

瀬織津姫が初めて、祓戸大神として現されたのが、天智天皇 669年、滋賀県に建立された
佐久奈度(さくなど)神社です。
中臣朝臣金連が、この地に社殿を造り、祓戸大神四柱「瀬織津姫命・速秋津姫命・気吹戸主命・速佐須良姫命」を奉祀したのが始まりと言われます。
この時、 「大祓祝詞」がつくられたといいます。

罪や穢れを祓い、海へと流す御神徳の女神としての、瀬織津姫の姿が世に現れた時です。

天智天皇は、この2年後、突然の死を迎えます。

天智天皇については、また、ある場所を訪れてからお話したいと思いますが、もうこの時既に、新しい勢力側は、ちゃくちゃくと準備を進めていました。
この大祓祝詞は、一説によると、 「元」となる祝詞のようなものがあったと言われます。

ですから、瀬織津姫の本来の姿も、 これに近いものがあったとも言われますが、 その意味は全く違っていたと私は思っています。

瀬織津姫は、罪や、穢れを祓う女神ではなく、 「再生、 復活、 黄泉がえり」 エジプト文明でのピラミッドや、始皇帝が探し求めて、蓬莱山のように、古代の人々が、ずっと信じ続けていた、 「復活」です。

そして、それは、 「月」 にあると思っていたのではないでしょうか。

日本は、今も昔も、多くの文明、 さまざまな文化、 そして宗教も、 よいと思うものは抵抗なく、混合して考えることのできる民族だったのではないかと思うのです。
ですが、その時代によって、 その内容は変化していったのではないかと思います。

そして、ある時代、 それはたぶん、縄文時代に始まった、 「太陽と月」 の信仰。

中国では、古代、
「月には、月桂樹があり、その大きさは500丈(約1500m)もの大木でした。
ある呉剛(ごごう)という男が、地上で仙人から、仙術を学んでいたのですが、仙術が書かれた師匠の巻物を盗み見して月に追放されて仙人から、月に生えている桂の樹を切り倒すように命じられます。
呉剛は斧を手にして桂の樹をやっとの思いで切ったのですが、次の日、元に戻っていました。
次の日も、次の日も、何度切っても、その樹は、元に戻ってしまうのでした。
この切ったそばから再生する桂の樹が、月の桂「月桂」と呼ばれ、不老不死の聖なる樹とされたのです。」

ギリシャ神話の月の女神は 「セレーネ」
美少年エンデュミオーンを愛し、ゼウスに願って彼に不老不死の永遠の眠りを与えたと言われます。

そして、私が思う瀬織津姫の月の姿は。。。
古代人々は、月には聖なる水が存在すると思っていました。
そして、その水は、 満月の夜、聖なる泉に落ちてくると。。。。。
それが、永遠の命、 そして、 再生、 復活の水だったのです。

瀬織津姫の 「水」としての姿は、 この聖なる水から始まったのでなないかと思います。

愛媛の中で私が訪れた場所にも、数多く、 古代 「月」 「太陽」 を祀っていたと言われる場所がありました。

太陽と月は、古代の人々の信仰の中心だった。

そして、この大三島は、 「月の女神」 が宿る 島だったではないかと。。。。。

そして、今回、ずっと気になっていた ある場所とは、 「入日の滝」
現在のこの滝の由緒は、 夕日に沈む太陽が滝にあたり、 虹ができるという言い伝えから、この名前がついたと言われています。

でも、私は、ここは、「月の聖なる泉」 が 落ちる場所だったのではないかと思ったのです。

大山祇神社には、三つの御神体の山があると言いましたが、その奥の院と言われる場所には、平安時代、
「神宮寺」 というお寺がありました。 
そして、そのお寺の 山号は 「月光山」 でした。

三つの御神体の山の中心は、「月光山」 と呼ばれてました。

そして、 「滝」 は、この三つの御神体の反対側の中心から流れおちてくると言われています。

「月が光る山」から流れおちる 「滝」 なのです。

現在は、太陽の意味を持つ、滝となっていますが、 
私が丁度この滝を訪れた時は、夕日が落ちるころでした。 でも、 ここは太陽の光が入るという感覚ではなかったのです。

真上に光輝く、月の光が降りてくる場所。  直感的に、そう思いました。

いつか、満月の夜、ここを訪れてそのことを確かめてみたいと思っています。

これは、私が勝手に思っているだけですが、 ここは、 滝というより、
「月の聖なる泉」 の場所。

そして、もう一つ、聖なる水が湧き出る場所と言われる場所があることがわかりました。
それが、 あの大山祇神社の境内の中にある大木 楠です。

歴史家・奈良本氏という人が、「大三島の霊水の湧き出づる源」と言っています。

大山祇神社が鎮座する、「御島」 が、古代の人々から 神の島として崇めていた理由は、今はまだ私の想像の中の世界でしかないかもしれません。

でも、 日本中のどこでもなく、 ここ大三島が瀬織津姫が祀られる中の最も重要な場所だったことには、
きっと理由があるはずです。

古事記の中で、四国が二番目に登場する島だということ。
そして、 愛媛に 「女性の理想像的な女神」 としての名をつけたこと。
卑弥呼と言われる 「モモソヒメまたの名の大市姫」 を南海龍女として、大山祇神社にまつったこと。

そして、安芸の宮島もまた、313年、大三島から三島明神が祀られた場所だったこと。

来年の大河ドラマで描かれる 平清盛もまた、 このことを知っていたからこそ、荒廃していた神社跡に
あのような立派な神社建立したのではなかと思います。

そして、空海も、円空も。。。。。。。。。。

では、「月の聖なる泉」 「入日の滝」 です。

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滝の側には、 「滝山寺」があり、 十一面観音が祀られています。
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小さな社がありました。 ここは瀬織津姫のような気がしました。
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そして、滝。。。。。
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水量は、今までいった滝の中でも、とても少なく、見る人によっては、迫力にかける滝に見えるかもしれません。
でも、私には、 この滝壺が泉のように見えたのです。

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まわりを岩と木々に覆われ、まるでこの場所だけ、丸い天井の空間ができているようでした。
滝は、この木々の向こうにあったのです。

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丸い天井から、満月の光が降り注ぐ、特別な日、
ここに、聖なる水が落ちてくるのかもしれません。。。。。。。

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by ldc_nikki | 2011-10-31 23:54 | 愛媛県今治市(旧大三島町) | Trackback | Comments(8)

こんばんは。 
大三島のお話は、今日で3回目。 

昨日は、大山積神に5つの名前があるということをお話しました。
そして、716年、宮浦の本宮が完成した時、一緒に、4つの神社が建てられ、その神社の神々は、5つの名前があるという、本当の意味の神々の神社だった。

かなり長い文章になってしまい、よくわからなかったかもしれませんが、根本の考えは、5つの神の名前があるということです。

それが、古事記の中での名前と、 それと同じ意味を持つ、本当の神の名前の神社だということでした。

「古事記」 は、 宇宙の誕生から、地ができ、天ができ、そして、男と女が生まれ、この地球上に存在する全てのものに、神が宿るという、古代から考えを、物語として現し、この日本「日の国」の象徴ともいえる、
「日の神 太陽の神」 「アマテラス」 の子孫が、 この国を治めているということを、証明した物語です。

そして、その子孫(人間の王)は、 「アマテラス」 と 「大山積神」 の 子孫であると言っています。
ですから、 「大山積神」 はその 父でもあるため、 日本総鎮守という称号を頂けるほどの神だったのです。

今日は、初代天皇 「神武天皇」 に繋がる、「大山積神」 の娘 「木花咲耶姫」のお話です。

「木花咲耶姫」は、「瀬織津姫」 と同一だという方が最近少しづつ増えてきましたが、そういわれる理由は、どうしてでしょう。 

「木花咲耶姫」 も 「瀬織津姫」 も同じ、 桜の女神だからでしょうか。
また、 かぐや姫のモデルとなっているからでしょうか。。。。。。。
また、 もっと詳しく調べている方は、 もともと瀬織津姫が祀られていた場所が、 後に 「コノハナサクヤ姫」に変えられていることをつきとめたからかもしれません。

では、 それらの原点はどこからきているのでしょうか。 

それは、 やはり、 この 「古事記」のお話からきているのだと、私は思います。

古事記には、「八百万の神」と言われるほどの多くの神々の名前が出てきます。

それもそのはず、この地球上の全てのものに宿る神々に、名前をつけていったのですから、それは大変な作業だったと思います。
ただ古事記は、物語ですが、 この中に登場する神々は、 その 「名前」 に意味があるのではなく 
「真の姿」 水であり、 土であり、 岩であり、 風であり、 雷であり、 木々であり。。。。。。。。
全てのものは繋がり、自然の恵みにより生命が生まれ、育むことができるということを、 神格化したものですから、 全てが、嘘でもなく、全てが間違っているということは、ありません。

この(古事記)の考えは、 受け継いでいくものであり、 人間の命の根源ですから、とても重要なものだと思います。

ただ、問題なのは、 その神の力、神の姿、神の名前を都合のいいように変え、利用しようとしたことにあります。

そして、それは、どんなに年月が過ぎようとも、 ただの罪とは違い、根源を変えてしまったのですから、この世が続くかぎり、永遠に消えることはなく、ただ封印されているだけなのです。

歴史を変え、本当の神を封印したことは、 心に 「罪 穢れ」 をつくっただけでなく、 神への想い、神への考えかたも変えてしまいました。
そして、それは、 「神=自然」 への想いも、同じように変えられ、 
人が、神を利用したように、 人は、自然も自分たちの都合のいいように利用し始めてしまいました。

そして、1300年。 人と神 人と自然の立場は、 表向きは逆転をしてしまった、それが現在の姿です。

そのおかげで、 地球は汚れ、多くの自然体系を崩し、何十億年とかかり積み上げられてきた地球の資源はなくなり、ついには、
「原発、核」 という、 人間が入ってはいけない領域 (神の領域) まで、手を出し始めたのです。

人間が、この世界で一番偉い、まるで、自分たちが 「神」 といわんばかりに、ふるまっています。

これは、人間の欲望の先にたどりついた結果でもありますが、 地球、宇宙、 そして、私たちがこうしてこの世界に誕生することができ、生命をはぐくむことができる根源、 (自然=全てのものに宿る神)の存在 を忘れてしまったことに問題があるように思うのです。

そして、その根源は、 「封印」 なのだと。。。。。

今の世の中は、「隠す、 だます、 殺す、 消す」 そんなことを平気でできる人間が、驚くほど多いと思いませんか? 今回の、原発の問題でもそう、そして、 数々発覚する隠蔽。 
この世は、 私たちの知らない所で、毎日のように、ふつうに、身近でも起こっているのです。

私は、こんなことを、いやというほど耳にし、また体験してきました。(知っていてもどうすることもできなかった)
もしかしたら、だから、こうして、本当のことを探しているのかもしれません。
かと言って、 この1300年前のことが、明らかになるとは思っていません。

でも、何もしないよりは、こうして自分だけでも、本当のことが知りたい。
そして、もし許されるなら、一人でも多くの人が、 「真の姿」 を知り、もう一度、本来の人の心を思い出してほしいと 「一願成就」 の心を思い出してほしいと 未来の命のために。。。。

少し話がそれてしまいました。 今日のお話の続きにもどりたいと思います。

古事記の中には、覚えきれないほどの、神の名前が出てきますが、単純に考えると、
そのお話の中心は、 神武天皇へと繋がる 「血筋」です。

その重要な 「血筋」(片方は裏に隠された血筋) が 
「アマテラス側」(新大和) と 「大山積神側」(旧倭) です。

「アマテラス」と「大山積神」 は物語では、同じ、イザナミとイザナギの子供です。
でも、「神武天皇」 へと繋がる 「家系」 は、 この二つの神が原点となります。

そして、この二柱の神の裏に (本当の姿) 二つの勢力 (旧倭) と (新大和) が隠されています。
古事記で変えられる前を、(旧倭) 変えられてからを (新大和) と現して、今後のお話を進めますので、頭に入れておいて頂ければ嬉しいです。

*まず 「アマテラス」(新大和)は、表向きでは、 「女神」 ですが、本当の姿は (旧倭)「ニギハヤヒ」ですから、「男神」 になります。

*そして、「大山積神」(新大和)は、表向きでは、 「男神」 ですが、本当の姿は (旧倭)「瀬織津姫」です。

というように、「アマテラス」 と 「大山積神」 には、表の姿と、裏の姿があります。
しかし、 同じ変えられた姿でも、 意味が全く違います。

*「アマテラス」に変えられた、「ニギハヤヒ」 は、その裏の姿(旧倭)を、そのまま別の神として国譲りの際に登場させます。ですから、アマテラスは (新大和) の血筋のままの姿です。
*しかし、 「大山積神」 はというと、 裏の姿 「瀬織津姫」 の 血筋(旧倭)を残したまま、物語は進んでいきます。ですから、大山積神は、表向きは(新大和)ですが、物語の意味は(旧倭)の血筋なのです。

簡単に言うと、「魂の意味 血筋」は、 「アマテラス」 は (新大和) 「大山積神」 は (旧倭)ということになります。

天照大神の命により、葦原中国(日本)を統治するため高天原から地上に降りた
「ニニギ」は、 アマテラスの子、天忍穂耳尊と、高皇産霊尊の娘である栲幡千千姫命(萬幡豊秋津師比売命)の子です。 
「ニニギ」=(新大和)

そして、ニニギに求婚をされ、結婚をする 「コノハナサクヤ姫」 は、
「大山積神」 の 子、 娘です。
「コノハナサクヤ姫」=(旧倭) 

これで、瀬織津姫との関係がわかったと思います。

「コノハナサクヤ姫」 は (瀬織津姫の魂を裏に持つ) (旧倭) 「大山積神」の子でありますから、
「コノハナサクヤ姫」は、瀬織津姫の子であり、また (旧倭) の血筋、 魂を受け継ぐ 「姫」 の一人です。

物語上では、「子」ですが、 これは実際の子供という意味ではなく、 「瀬織津姫」 (旧倭)の血筋を受け継いでいることを、現したかったからです。

大山積神には、 コノハナサクヤ姫の他に、もう一人姫がいました。
それが、姉の 「磐長姫」 です。
コノハナサクヤ姫は 「桜の姫」 と言い、 それはそれは美しい姫として現されます。
これは、 「瀬織津姫」 の 「桜の姫」 と同じ意味を持ち、 瀬織津姫もまた、それはそれは美しい姫だったのだと思います。

そして、姉の 「磐長姫」 は その姿を 「岩」 として現されるように、その姿は決して美しいとは言えませんでしたが、 「永遠の命」 を持っていました。
もう、お気づきでしょうか。 そう、 「瀬織津姫」 の御神徳 「不老不死」 「永遠の命」 の意味を持つ姫が、
「磐長姫」 だったのです。

この二人の姫は、 「瀬織津姫」 の魂を、 二つに分けた 「姫」だったのです。

古事記では、大山積神は、この二人の姫を 「ニニギ」にお嫁にもらってくれるよう差出しますが、「ニニギ」は、美しい 「コノハナサクヤ姫」 の方だけを選んだのです。
  
それは、なぜかというと、 「瀬織津姫」 の魂、 「永遠の命」を持つ姫と結婚するわけにはいかなかったのです。 「瀬織津姫」 の魂が (新大和)において、 永遠に続いてもらうわけにはいかなったためです。

実は、磐長姫のお話で、大山祇神社だけに残る、もう一つの伝説があります。
「大山積神には、ふたりの姫君があった。長女は磐長姫、次女はこのはなさくやひめといった。
磐長姫は、天孫ニニギノ尊の子を身篭るが、ニニギの尊は美しいコノハナサクヤ姫を妻に迎えた。
磐長姫は、無念を感じて身をひき、宮の外に産殿を建てて移り住んだ。」

それが、現在の産殿 「御串山の麓にある、阿奈波神社」です。

こうして、 「ニニギ」 と 「コノハナサクヤ姫」 は結婚をしました。
しかし、 たった一度で、子供を身籠ったコノハナサクヤ姫のことを、ニニギは疑い、国津神(旧倭)の子ではないかと言います。
疑いを晴らすため、誓約をして産屋に入り、「天津神であるニニギの本当の子なら何があっても無事に産めるはず」と、産屋に火を放ってその中で火照命(海幸)・火闌降命・彦火火出見尊(山幸)三柱の子を産んだのです。
これは、ここで、もう一度、この子供は、(旧倭)の子ではなく、(新大和)の子だということをはっきりと示したかったのだろうと思います。

そして、この三柱のうちの、 火照命(海幸)・彦火火出見尊(山幸)が、この次の物語の主人公です。
海幸、山幸が、豊玉姫 (龍宮の姫・瀬織津姫) のお話へと繋がります。

ここも詳しく説明したいのですが、少し長くなりますので、また機会があった時に、お話したいと思います。
そして、 この彦火火出見尊(山幸)と豊玉姫との間に生まれた、

「天津日高日子波限建鵜草葺不合命(あまつひこひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)」
と、豊玉姫の妹 「玉依姫」 との間に生まれた子供が、後の、

「神武天皇」 なのです。

これが、古事記に伝わる、第1章、神武天皇までのお話です。

さまざまな姫の姿を物語で登場させながら、 その姿を物語の中からも消し去るようなストーリーにし、その血筋の説明をしていったのです。
でも、一つだけいえることは、瀬織津姫の魂を、全て消し去ることだけは、できなかったということです。

瀬織津姫の数多くの姿を、何柱の神にたとえ、一つ一つ、丁寧に切って行った。
でも、その血の中には、(旧倭)の血が混じり、その力だけは受け継いだのかもしれません。
もしくは、その力が、 (新大和)の方が上だということを証明したかったのか、または、あまり偉大な神であったため、その存在そのものを消すことだけは、恐れ多くてできなかったのか、その真相はわかりませんが。。

大三島の大山祇神社には、本宮の本殿の真裏に、コノハナサクヤ姫が祀られています。
その場所は、楠群の中の、とても神聖な場所。 
姫の存在の大きさを、感じることができる場所です。。。。。。

それでは、写真をご覧ください。

まずは、 本宮です。
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本殿に向かって左側が 下津社(下津姫、高籠神)
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本殿に向かって右側が、上津社(上津姫、雷神)
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本殿
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そして、本宮の裏、本殿の裏の方へ行くと、コノハナサクヤ姫の社があります。
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コノハナサクヤ姫は、楠が生い茂る神域の中に、静かに鎮座しています。
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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-10-30 02:45 | 愛媛県今治市(旧大三島町) | Trackback | Comments(13)

こんばんは。 

今日は、大山祇神社の今まで一度もふれたことがない神社と、その歴史をお話します。

北緯34度、東経133度に位置する、大山祇神社。日本の総氏神として、古代から多くの人々がここにさまざまな思いと願いをよせ、訪れました。 
現在の、大山祇神社の歴史では、593年、三島明神(現大山積神)は、津の国御島(現在の高槻市)より、この大三島瀬戸へと鎮座されたと伝わります。

しかし、もうこの時、現在の場所、 「大三島宮浦」 に、瀬織津姫は、祀られていました。
それはたぶん、楠が植えられたと伝わる 3000年前から。。。。。
大山祇神社には、三つの御神体の山があり、 その山は現在の本殿の向こうにみえる、
小見山、安神山、鷲ヶ頭山。

小見山は、奥ノ院と呼ばれ、神宮寺というお寺がありました。 本来の四国八十八ヶ所、55番札所は、ここ神宮寺だったのですが、 現在の今治市 南光坊に移されました。
神宮寺の 「山号」 は、 「月光山」  この意味は、次回のお話でもう一度触れさせていただきます。

鷲ヶ頭山は、古くは (神野山) といい、古代の磐境(いわさか)が現在も残る山です。
大山祇神社の祭祀は、この磐境から始まったとも言われます。

そして、安神山。
この山には、 「龍」 が住んでいたと伝わります。
しかし、大山祇神社が、 「瀬戸」 から 「宮浦」 へと 移る時、 ここにいる龍が邪魔をして、なかなか、遷座ができなかった。 それで、安神山の頂上に、「五龍王」を祀り、龍を追い出したのです。
その 「龍」 こそ、 「瀬織津姫」 であり、ここに祀った 「五龍王」の 「五」 にもちゃんと意味がありました。

本当の 「三島明神(瀬織津姫)」 は、瀬戸ではなく、 宮浦の山に祀られていたものだと思われます。

それでは、もう一度神社の中をご案内しながら、 この 「五」 の意味に繋がる、神社の歴史をお話したいと思います。
こちらが、大山祇神社の御神体の山々です。
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一の鳥居がある、海の入口です。
大山祇神社の一の鳥居は、海から入ってくる人のために造られたように、海(浦)の玄関にあります。

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鳥居には、 「日本総鎮守 大山積大明神」 の文字が刻まれています。
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神社に入る前に、「御手洗の川」 が流れています。
ここで、 祓い清めを行う意味があるのかもしれません。 
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そして、二の鳥居。 ここから神社の境内へと入ります。
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2010年、688年ぶりに再現された、総門です。
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総門をくぐりすぐ右手に、毎年、御田植祭(旧暦5月5日)と秋の抜穂祭(旧暦9月9日)が行わる場所があります。
ここで、稲の聖霊と人間が相撲をとる、一人角力が行われます。
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そして、こちらが、2600年前、小千命が植えたと伝わる、「小千命御手植の楠」。
根周り20m、高さ15.6mあります。
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2600年前とは、縄文時代、初代天皇と言われる、神武天皇の時代です。
瀬織津姫は、縄文時代の女神と言われています。 もしかしたら、本当に縄文時代からここに祀られていたのかも。。。
しかし、大山祇神社の古い書物の中に現れる、最初の天皇の名前は、
「孝霊天皇」 です。
大山祇神社を祀った最初の人物は、 越智家の祖「小千命」 です。

大山祇神社を祀った 「越智家」 は伊予の一大豪族。
「越智家」 は、 ニギハヤヒの子供 「宇麻志麻治命」 の子孫 「物部氏」 の中の一族だと言っています。
そして、 「孝霊天皇」は、 「三島明神」 の化身と言っています。
孝霊天皇が、三島明神の化身? (後でその意味にふれます)

大山祇神社の古い書物の書き出しに、こんな文章があります。
(現代文に訳しています)

言い伝えによると、孝霊天皇の時代においては、世の中が平和ではなく、(孝霊天皇の)意のままにならなかった。
民衆の多くは(孝霊天皇に)背いた。
このため孝霊天皇は 「オオクニヌシノミコト」 に世の中が穏やかになり、国民を従えられるようにお祈りなさった。オオクニヌシノミコトが孝霊天皇の夢枕に立って仰ったことには

「孝霊天皇が世の中が穏やかになり、国民が従うようになることを望むのならば、
最初にオモダルカシコネノミコトを柱神として崇めて上位に据える必要がある。
崇められることで大山積神となる」

と孝霊天皇にお教え申し上げなさった。
こういった理由で天照大神と一緒に大山積神を崇めなさったのだということだ。


この文章の中には、既に大山積神の名も、アマテラスの名もでてきますが
これは、アマテラス=ニギハヤヒのこと。

でも、この中に、とても重要なキーワードがあります。

1.「孝霊天皇の時代においては、世の中が平和ではなく、意のままにならなかった。」
2.「最初にオモダルカシコネノミコトを柱神として崇めて上位に据える必要がある。」
3.「孝霊天皇は 「オオクニヌシノミコト」 に世の中が穏やかになり、国民を従えられるようにお祈りなさった。」 

1は、この時代は、自然災害というよりも、国が平和ではなかったと書いています。
これは、後で、さらに詳しくお話しますが、 このことは、とても重要なことなのです。それは、「王」 の力ではどうにもならなかったことを示しています。 

先に3.のことにふれますが、 孝霊天皇が祈った神は、アマテラスでも、イザナミでも、イザナギでもなく、 「オオクニヌシ」 でした。
「オオクニヌシ」 とは、 「ニギハヤヒ」 のことで、本来の 「アマテラス(太陽神)」 の姿。
孝霊天皇が、重要な神として信仰していたのは、 「ニギハヤヒ」 だったということになります。
そして、これは、後にでてくる 「孝霊天皇の娘」 にも繋がります。

そして、最も今回重要な 2. の意味。 
どうして、最初に祀る神が、 「オモダルカシコネノミコト」 だったのか。 

*古事記では、世界が始まった時こう記しています。
 天地開闢(てんちかいびゃく)
 世界が始まった時、最初に、高原原に、三柱の神(造化の三神)が生まれました。
 天之御中主神(宇宙の根源の神)
 高御産巣日神(天地・万物を生成・発展・完成させる神、想像の神) 
 神産巣日神(天地・万物を生成・発展・完成させる神、想像の神) 

これが宇宙の始まりです。この造化三神の一番初めに現れた 「神」 「天之御中主神」
この神は、瀬織津姫とも繋がる神でございます。

こうして宇宙は始まりましたが、まだ、この世は、油のようにどろどろとして、まだしっかりと固まっていませんでした。 まるで、水の上を油が浮いたように。

そんな泥沼のような中から、まるで美しい若葉が萌えるように、次の二柱の神がお生まれになりました。
まずは、全ての命の源として、
宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこぢのかみ)
次に、
天之常立神(あめのとこたちのかみ)
こうして、宇宙が出来上がっていったと。

これら五柱の神は、別天津神(ことあまつかみ)といい、宇宙を造った後すぐに姿を消してしまい、その後古事記の中には登場することはありませんでした。

この別天津神と大山積神の直接的な関係は、書かれてはいませんが、 ここでも、神の数は 「五」です。
この 「五」 もその奥そこには、 この後にでてくる神々の数に関係があります。

別天津神が消えた後、 いよいよ 大地を造る神が現れるます。
最初に現れたのは、
1.国之常立神(くにのとこたちのかみ) 
日本の大地を造った神、日本のこの大地が永遠に揺らがないように、大地にどっしりと座り込み、
天と地が、こうして出来上がりました。

2.豊雲野神(とよくもののかみ)
この神については、詳しく書かれたものはなく、その姿ははっきりとわかりません。
しかし、この名前の字から、雲(水)と野(木々)が芽生え豊に育つようにとの思いを込めつけられた名前のような気がします。

上記の二柱の神は、独身神といわれ。
次の神から、 夫婦神として現れていきます。
(夫婦で一柱、一組と数えます)

3.宇比地邇神(うひぢにのかみ)(男神)須比智邇神(すひぢにのかみ)(女神)
神名の「ウ」は泥(古語で「うき」)、「ス」は沙(砂)の意味となり、夫婦で、泥や砂を御生みになりました。

4.角杙神(つのぐひのかみ)(男神) 活杙神(いくぐひのかみ)(女神)
「クイ(クヒ)」は「芽ぐむ」などの「クム」で、「角ぐむ」は角のように芽が出はじめる意、「活ぐむ」は生育しはじめるの意味。
この夫婦神によって、泥はだんだんと固まりはじめ、その大地に、木々が芽生え、花が咲き、作物が育つよ土、大地を造っていったのです。

5.意富斗能地神(おほとのじのかみ)(男神) 大斗乃弁神(おほとのべのかみ)(女神)
大地が固まり、食物が芽生え、その木々や、植物に実がなるように、 「おしべ」 と 「めしべ」 のように、
自然の中に、初めて、「男」 と 「女」 の 源が造られました。

こうして、この地球上で、神以外に、「男」 と 「女」 の二つの命を合わせて、 新しい命が誕生するようになりました。 そして、 いよいよ出てくる名前。

6.於母陀流神(おもだるのかみ) 阿夜訶志古泥神(あやかしこねのかみ)
この二柱の神々は、 それまでの5柱の神々が造った生命の源を全て受け取った、完成された姿を現す神なのです。

この意味が、とても重要になります。
少しややこしくなりますが、 この五柱の神は、 この日本が生まれるあたって自然を作り上げた 「源」
の神、 そしてそれぞれの神の名前、意味を照らし合わせるのではなく、素直に、全ての 「源」 としてとらえ
次の文章を、読んでみます。

(現代文に訳しています)
四十四代目の元正天皇は霊亀二年(西暦七十六年)(丙辰の年)に本社の御神殿と大巳貴神社と事代主神社と大市姫神社と荒神の社の合計五つを建てた。
以上の事は大宝元年(西暦七〇一年)から霊亀二年まで終始で十六年かけて完成した。

同じ元正天皇の御世である養老三年(西暦七一九年)(己未の年)の四月二十二日にご神体を本殿に移す儀式が行われ、安元がこの遷宮の儀式を勤めたという。

伝え聞くところによると、安元は玉澄に対して以下のように尋ねた。「大山積の命は伊弉諾の尊がお生みなさった神であるのに、どうして(その大山積の命と同じ神社で伊弉諾の尊より一代前の)面足惶根の命を祭りなさっているのか」

玉澄が答えたことには「私はこのことについて玉奥で聞いた。
天地開闢は国常立の尊から始まって、大苫邊の尊までの五代の神様は面足惶根の命をして、お2人(伊弉諾の尊と伊弉册の尊)に政の方法をお教えさせたのである。また伊弉諾の尊と伊弉册の尊のお2人は天(国常立の尊から始まって、大苫邊の尊までの五代の神様)から天の逆矛を授かって、天界から地上にお下りなさり、名前を頂いて天下を治めなさったので、天神七代は面足惶根の命に集約できるのである。

そのため孝霊天皇を通して、大巳貴神は大山積大神の名前が五つあることをお教えなさった。
そして、私にお教えなさった。

「このため大巳貴の命を挙社と決めて、事代主葛城を神社と呼び、大市姫またはその名前を南海龍女と呼ぶ、(の神社)を祓殿と呼んだ。」
本社で儀式をする前に祈祷を行うことが重要であるとの秘伝がある。心得て儀式を行うのが良いだろう」とのことであった。

まず、最初にでてくる 「716年」 とは、大山祇神社が完成された年です。
でも、この時、大山祇神社の本宮だけでなく、 他の、4つの神社が建立された。

それが、「大巳貴神社と事代主神社と大市姫神社と荒神の社」 です。

これは、最後にでてくる、説明と同じことを言っています。

この次の文面は、読んでの通り、大造営にかけられた年月や、その正遷座の時期が書かれてあります。
そして次は、この時から、大山祇神社の宮司として、祭祀を司ることになって、大祝家の名前が出てきます。

越智家は、 「軍事」を司る一族と、 祭祀を司る一族の二つに分かれたとされます。
大祝家は、その祭祀の役目を頂いた側、 「安元」 は、大山祇神社の初代 宮司の名前です。
「安元」 は、 この神社遷宮に大きく関わった 「越智玉澄」 (後の河野家の祖)に尋ねます。

「大山積神」 を祀る神社なのに、どうして、父と母を祀らず、その一つ前に御産まれになった、)面足惶根の命を祀るのかと。

しかし、ここでもうこの文章は、その前の文面と繋がらなくなります。
というのも、実際に完成している神社は、 「面足惶根の命」 ではなく、「大巳貴神社と事代主神社と大市姫神社と荒神の社」なのです。

このどこにも、「面足惶根の命」に関連する神社はありません。
そして、次の文面が、先ほどの、5柱の神を面足惶根の命一つに集約することの意味を 玉澄は述べています。

面足惶根の命は、それまでの5柱の神の一つの姿であり、イザナミとイザナギは、その
(5柱の神=面足惶根の命)より、天の逆矛を授かって、古事記の中で神生みをされていったのだと。
そして、それをここでは、

「天界から地上にお下りなさり、名前を頂いて天下を治めた」 と表現しています。

本当ならば、名前を頂いたのではなく、生まれたと書くのが本当で、天下を治めたと書くのではなく、神々をお産みになったと書くはずです。
この文面は、瀬織津姫の名前を消しさり、新しい神がこの国の神となり天下を治めたといわんばかりです。

そして、これを孝霊天皇を通して、
「大巳貴神」 (ニギハヤヒ) が大山積大神の名前が五つあることをお教えたと。

これは、もしかしたら、後世に、その真実を伝えるべく、かすかに残した 「真の声」 だったのかもしれません。

いよいよ、最後の文面です。
「このため大巳貴の命を挙社と決めて、事代主葛城を神社と呼び、大市姫またはその名前を南海龍女と呼ぶ神社、そして、それは祓殿神社ともいう。」

最初に書かれていた、神社をさらにここで詳しく書いてくださっています。

「本社の御神殿と大巳貴神社と事代主神社と大市姫神社と荒神の社の合計五つを建てた。」

本社とは本宮のことですので、最後の文面には書かれていません。
次の 「大巳貴神社」 は 「大巳貴の命を挙社と決めて」 挙社とは、この4社の中で、一番高い位の神社という意味だと思われます。
これが、「ニギハヤヒ」 を祀る神社です。

次の 「事代主神社」は 「事代主葛城を神社と呼び」と現されています。
ここでも、私にとってはかなりの驚きでした。
「葛城」 とは、 古墳時代、大和葛城地方(現在の奈良県御所市・葛城市)に本拠を置いていた有力な古代在地豪族と言われますが、456年 「葛城氏本流」は滅びたとも言われ、謎の氏族の一つですが、
最近、調べていくうちに、古代の葛城氏と物部氏は、かなり密接なつながりがあることがわかってきました。

そして、瀬織津姫の名前を、大山積神としていた所を、事代主に変えらていたりもします。
その代表的なものが、 伊豆の三嶋大社です。 また、 三宅島でも、 大山積神ではなく、 事代主とされています。

当初、私は、瀬織津姫を変えた側に近い存在だと思ったこともありましたが、 それは間違いで、古代、この二つの氏族は、共に手を取り合い、この国の開拓に力を尽くしていたものどおし、そして、 
「瀬織津姫」 を 祀っていた 二つの中心的氏族だったのだと思いはじめました。

また、後日、お話します、 神紋 「亀甲」 の意味、 そして、 「剣山」 の意味 そして、それが、龍宮に繋がり、 あの 「かごめ歌」 に繋がるのだと、 この大山祇神社の文面を読み、確信しました。

そして、いよいよ瀬織津姫です。
「大市姫神社」「荒神の社」 は、
「大市姫またはその名前を南海龍女と呼ぶ神社」←そしてこれは 「祓殿神社」 ともいう。  

どうして、これが、瀬織津姫? と思われると思います。

まず、少し整理します。
*上記の「大市姫神社」は、その下の文面にその祭神の名前が書かれてあります。

「大市姫」 でも、わざわざまたの名前をと書き、 その名前は 「南海龍女」 と。

*「荒神の社」 と最初は書かれてあるのにもかかわらず、この神社のことを、最後には、ちゃんと
「祓殿神社」 としてくれています。

まず、 「大市姫」 です。
この姫は、 またの名を 「モモソヒメ」 と言います。 この姫のことは依然も少しふれていますが、
「孝霊天皇」 の娘であり、 「卑弥呼」 とも考えられいます。

モモソヒメの墓は 「倭迹迹日百襲姫の大市墓」と言います。

京都府北部、天橋立を渡ったところにある丹後一の宮、籠(この)神社という神社があります。
1975年、神社に代々極秘で伝えられていた系図が公表されました。
この系図の中に、「卑弥呼」 と思われる名前が見つかりました。

この系図によると、始祖の彦火明命(ひこほあかりのみこと)から9代目の孫のところに、
「日女命(ひめのみこと)」と出てきます。
この「日女命」の脇に、「またの名を倭迹迹日百襲姫命」、「またの名を神大市姫命」、「日神ともいう」と書かれてあるのです。

「日女命」が、卑弥呼と決まったわけではありませんが、今回のことで、さらに「モモソヒメ」 が 「卑弥呼」だと繋がっていくのです。

まず、モモソヒメは、またの名を神大市姫命というと書かれています。
大山祇神社に造られた 大市姫神社は、これで、さらに、モモソヒメということがわかってきました。

では、「卑弥呼」 です。

三輪山の伝説で、 モモソヒメが出てきます。
三輪山の神は、 「ニギハヤヒ」 です。 そして、モモソヒメは、 この 神である 「ニギハヤヒ」 と結婚をするのです。
もちろん、神と人間が結婚をするのですから、その意味は少し違うと思います。

「ニギハヤヒ」 と 結婚をすることで、 神のことばを受け取る、 「巫女」になるということです。

「ニギハヤヒ」 は、 「瀬織津姫」 の夫、 二人は夫婦神です。
ですから、 「モモソヒメ」 が 「ニギハヤヒ」 と結婚をするということは、 「瀬織津姫」 になることと同じことなのです。

「モモソヒメ」は、「瀬織津姫の魂を受け継ぐ」 人間だとされたのです。
「瀬織津姫」 は、 古代の日本では、一番の神でした。 その魂を受け継ぎ、倭の国を治めた。
 「卑弥呼」とは
「瀬織津姫」 の魂を受け継いだ、 人間の姫= 人間の世界の女王のことだったのです。

これからをもう一度まとめたら、こうなります。

「大市姫神社の祭神 大一姫」 とは 「モモソヒメ」 であり、「卑弥呼」 であり、その真の魂は 「瀬織津姫」
である。
だから、 「モモソヒメ」 の父である 「孝霊天皇」は、 「卑弥呼」の父であり、 「瀬織津姫」 の魂をもつ娘をこの世に誕生させた、「父」 でもあるのです。
だから、 孝霊天皇、 娘と結婚をした 「ニギハヤヒ」 を祖神であり、
また、瀬織津姫の魂を受けつぐ人間もあるのです。

だから、 「真」 の 大三島の神 「三島明神」= 「瀬織津姫」の化身なのです。

一番初めに、  孝霊天皇の時代、 「王」 の力では、この世を平和にすることができなかったと書かれてありましたが、 ここも、 卑弥呼の時代と同じです。
「王」では、 もうこの国は治めることができなくなり、 「女」 である 「モモソヒメ」 を 「卑弥呼」(女王)とし、
この国は平和になっていったのです。
それは、 もちろん瀬織津姫の御霊を持ち、 神のことばを民に発する 「女王」 だったからです。

そして、それを決定づける この三島家に伝わる 最後の文章 
「その名前を南海龍女と呼ぶ」 です。

瀬織津姫は、「龍」 です。 「龍神」 なのです。
更にこの言葉から読むと、 「南海」 「南の海に住む 龍女」 だったのです。
この「南海」 とは、 ここ 瀬戸内をしめしているのだと思います。

そして、最後の最後。。。
4社目に 「祓殿神社」 (荒神神社) を造っていますが、
瀬織津姫がその真の姿を消し去られた後、 唯一名前が残った場所が、
この 「祓殿神社」 でした。 

大祓祝詞の中に、罪や穢れを、大海原へと流してくれる 川の女神。
これが、今もなお続く、 瀬織津姫の姿です。

そして、この祓殿神社は別に建てられたにも関わらず、 この大市姫神社と同じだと言ってくれているのです。
この文章は、 一見、とても複雑で、その意味がわからないように思えます。
これを訳してくださった方も、漢文、古文はかなり優秀な方で、その論文は表彰されるほどの方です。
その方でさえ、この最後の意味と、途中の内容とが全く一致しないので、こんな文章になって申し訳ないと言ってくださっていました。

でも、私からすれば、 何の先入観もなく、そのまま、その意味を忠実に訳してくださったことに、心から感謝をしています。

そして、この4社は、今も、大山祇神社に鎮座しています。
それが、伊予国総社、祓殿社、葛城社、宇迦神社(稲荷神)(神池)(雨乞いの神)です。

その社がこちらです。
伊予国総社、祓殿社、葛城社
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そして、
宇迦神社(稲荷神)(神池)(雨乞いの神)
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現在は名前を変えられ、宇迦神社になっていますが、ここに間違いないと思います。
宇迦神社は(稲荷神) どうして、稲荷神が水の神に?
これが、先日お話した、 稲荷神と 瀬織津姫の 関係です。

そして、ここには、神池という池があります。
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この川も神池の一部です。 そして、この木々の向こうにも池が。。。。
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この神池には、 「大蛇(龍)」 が住んでいたと伝わります。
池の別名は、(放生池、弁財天池、蛇の釜) ともよばれる神池。
この池に棲む大蛇を3つに切ったところ、尾が備後国に飛んで 「尾道」 の地名になったとの伝説があります。
「尾道」の 地名がこことかかわりがあったということは、きっと 尾道にも何か伝承があるはずだと思います。
いつかそこにたどり着くことができるかな。。。。

大山祇神社の 「真の姿」  たくさん書いてしまったので、 ものすごくややこしくなったかもしれませんが、
どうかお許しください。

今日は、 この辺で終わりにして、 この続きはまた明日に書きたいと思います。

長い長い文章を、最後までお読みくださいまして、本当に、ありがとうございました。

「愛姫伝 第11章 愛媛に眠る古代の女神さま」
 


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by ldc_nikki | 2011-10-29 04:07 | 愛媛県今治市(旧大三島町) | Trackback | Comments(5)

こんばんは。
今日から、いよいよ、大三島のお話です。

考えてみれば、昨日満穂神社の次に行った所が大三島だったんだな~と。。。。
毎週のように、神社に行っていると、どの順番で行ったかさえわからなくなってしまって、写真を見て、次はここだ~と思い出しながら書いています。

昨日書き終わった後、次の写真を見ないで寝てしまって、
朝からずっと、 「今日はどこなんだろう~」 といつもにもまして、気になっていました。
そして、なんとなく、今日は 「大浜八幡神社の姫の所にいかなきゃ!」 と思い、仕事が終わって、行ってきました。

そして、姫にご挨拶の、感謝の気持ちを伝え、かえってきました。

さあ、今日のブログを更新!
(なぜかいつもよりも、気合が?) 
そして、昨日の続きの写真 10月8日の所を開いてみると、、、、、、

(とうとう 大三島!)

もうそろそろとは思っていましたが、まさか今日とは。。。。。
大三島のことを書く前に、 姫の神社へご挨拶に行かないといけなかったんだなと、今日突然思い立ったわけがわかりました。

この週末は、 大三島のことを、 気合を入れて? いや、 心を込めて、書かせて頂きたいと思います。

このブログは、何も考えず、ただただ、その時、思ったこと、思いついた言葉を書き綴っているだけですので、
どんな方向になるかわかりませんが、今の感じるままを書きたいと思います。

では、大三島 第1日目のお話、

                       「十六皇子の瀬織津姫」

大三島に鎮座する、大山祇神社は、もう何度もお話をしていますが、ちょうど古事記の完成に合わせるように、元あった瀬戸から宮浦へと、十六年の年月をかけて大造営をされた神社です。

そして、その時、それまで祀られていた、「瀬織津姫」 の名前は、 「大山積神」へと変えられてしまいました。

これは、大三島だけに限らず、この時から、全国でこの作業は始まりました。
時を同じく、大山積神以外の神へも、名前を変えられて行きました。

でも、大和の国で重要な地は、ここ 「大三島」 だったと思われます。

古事記の中では、大山積神は、 アマテラスの兄。 イザナミとイザナギの間に生まれた 13番目の神です。

どうして、13番目だったのか。。。。
これは私の考えですが、 「13」 という 数に意味があるのではと思います。

この「1」と 「3」 そして、 「13」 には、それぞれに意味があり、偶然にしては、驚くほど、ぴったりと当てはまる数がつかわれています。

まずは、「1」と「3」 
「1」 は その数のごとく、「始まり」を意味し、数霊では、霊(ヒ)・陽(ヒ)とも書き、これは存在の根源は
「霊」からできていることを表していると言われます。
そして、「3」 は、三位一体 
三島家の神紋でもある 「三」 も これを意味していると思われ、その根源には、三位一体の意味が込められていると思います。
例えば、「月」 「太陽」 「地球」 これらは、切ってもきれない縁で繋がり、全てがそろって初めて、「生命」を生むことができる。
大山祇神社の祭神、 「大山積神」 「タカオカミノ神」 「イカヅチノ神」 
これを、大山積一座といい、 これらを合わせて、初めて 「大山積神」 という。とされます。
大山積神の祭神については、後日、古い文献のお話をしながら、この神を祀る時の秘話を書かせていただきたいと思います。

そして、 「13」 
「13」 という数は、西洋では、縁起の悪い数字とされているそうなのですが、本当は、「全てを支配する力」
をもつ数字。
全ての中心的存在になるという意味があります。
数の力で、世界をコントロールできると思われるほどの、威力があると言われます。
「仏教」 でも、 「13」 は最高の数とされ、その数の意味とおり、大山積神の、仏としての姿は、
「大通智勝仏」 三千塵点劫さんぜんじんでんごうのはるか昔に出家して、8,000劫の間、法華経を説きた仏であり、 御釈迦さまの父でもあります。
さらには、 あとでお話する、じゅうろく皇子の父であり、この十六皇子のお弟子たちが、出家して、十方世界に国土を定めて、それぞれの眷族となる者を守護していくこととなったと言われます。

そして、偶然か、必然か。。。 大山祇神社の置かれている場所は、東経133度線に位置し、それを南へ南下すれば、古代の祭祀場、ストーンサークルがあった 「足摺岬」 へ続きます。
ここにも、また 「1」 と 「3」 の数字。

「1」 と 「3」 そして 「13」 の意味を持つ、神様でもあるのです。

そして、この神を、 「日本の総氏神」 としました。
日本国土に住む、全ての人間の、氏神とされた神が、「大山積神」 なのです。

瀬織津姫の名を、この世から消してしまう準備を、大山祇神社が完成する 16年さらに、完成してから、
正遷座行われるまでの 3年、 合計19年の間に、着々と進められていったのです。

少し、話がそれますが、完成したのは、16年後の、716年なのに、どうして3年間も、正遷座が行われなかったのでしょう・・・・。
これも、私の現在の考えですが、 正遷座の719年には、大山積神を祀る 本宮以外にも、4つの神社が完成しています。
この神社については、後日、またお話させて頂きますが、 私は、本来716年に正遷座を行う予定であったはずですが、 その時、どうしても、本宮だけではいけない何かが起こったのだと思われます。

それが、瀬織津姫の祟りだったのか、姫の名前はけしさっっても、その力だけは、消すことができないどころか、その力だけを、利用しようとしたのか、それは、まだわかりませんが、瀬織津姫を、完全に末梢することはできなかったため、本宮以外の、社を建立したのだと思います。

そして、全てが完成した、 719年4月22日。 正遷座は行われたのだと。

現在もそうですが、 瀬織津姫の名前、その意味は変えられてしまっても、全てを消すことは不可能だったのです。 それだけ、 その力は、偉大で、 この国にとって必要なものだったのだと思います。

さて、 今日の 本題。 十六皇子の瀬織津姫です。

先ほどでてきました、 大山積神の本地仏、 大通智勝仏には、十六皇子がいました。
仏の世界では、 大通智勝仏の子供となっていますが、 本当は、十六皇子は、大通智勝仏(大山積神)の分身なのです。

「三位一体」 の考えと同じように、 これから全ての源は、 大山積神であり、十六皇子とは、大山積神の全ての力を、十六に分けた、分御魂だったのです。

それまで、天武天皇家が天皇となっていましたが、770年、天智天皇の血を受け継ぐ、光仁天皇が天皇となりました。
その時代、779年に、初めて、この十六皇子の神がつくられ、その御神体を、大三島を含む 7つの島に祀ったのです。

その十六皇子が、これらです。
1 大気神社・・・保食神──東、阿閦                
2 血島神社・・・磐裂神─────東、須弥頂     
3 倉柱神社・・・倉稲魂神────東南、師子音 
4 轟(動)神社・・啼沢女神(天鈿女命──東南、師子相  
5 阿奈場神社・・磐長姫命────南、虚空住 
6 比目木邑神社…木花開耶姫命──南、常 
7 宇津神社・・・・枉津日神────西南、帝相
8 見前神社・・・・猿田彦神────西南、梵相
9 小山神社・・・・闇靇神─────西、阿弥陀
10 早瀬神社・・・瀬織津姫神───西、度一切世間苦悩
11 速津佐神社・・・速佐須良姫命──西北、多摩羅跋相檀香神通
12 日知神社・・・・・大晝目命──西北、須弥相
13 御子宮神社・・・大直日神──北、雲自在
14 火■神社・・・・・火須勢理神(火闌降命)──北、雲自在王
15 若稚神社・・・・火々出見命───東北、壌一切世間怖畏
16 宮市神社・・・・市杵島姫命───東北、釈迦

*17 諸山積神社・・・・諸山積命 (一の王子)

瀬織津姫の名は、この10番目、早瀬神社に祀られています。
当初は、 それぞれが司る方位に、祀ってあるものだと思っていました。

しかし、司る方角と、祀られている場所は全く違うものでした。
今まで、なかなか見つからなかった、本来祀られていた場所が、やっと、三島に伝わる古文書に見つけることができました。

そして、今回、この古文書を見つける前に、偶然、その場所へとたどりつくことができました。

それが、大三島の 「肥海」 です。
肥海は、 大三島の北に位置し、大山祇神社の真北に位置し、近くには 「鏡山」 「二反山」など、4つの山に囲まれています。
  
正確な場所は、まだわかりませんが、今回参拝した神社に繋がる神社だと思います。

十六皇子としての、瀬織津姫は、龍を切り刻んだの後、尾が飛んでいったと伝わる、北へと祀られていたのです。
そして、その後、1302年、現在の場所、 大山祇神社の境内の中へ、十七神社として祀られたのです。

十六皇子なのに、どうして、十七神社が? と思われた方もいることと思います。
それは、 もう一度、 上をご覧ください。

17番目、 正確には、 この十七番目が、1番目となり、十七神社となったのです。
十六皇子は、愛媛県の中の他の三島神社にも、祀られているのですが、十七とするのは、ここ本宮だけです。
そして、この十七神社の祭神は、 「諸山積命」となっていますが、 この諸山積命こそが、瀬織津姫の名前を裏に秘めたまま、 伊豆へと渡って行った姿なのです。
以前もお話しましたが、 大三島の瀬織津姫(まだ変えられる前)は、瀬織津姫の名前のまま、その御神体を、三宅島へ勧請されます。

そして、それが、伊豆へと渡り、下田・白浜海岸(現:伊古奈比咩命神社)へと渡ります。
ここまでは、瀬織津姫として、祀られていた可能性が高いです。
そして、次の神社、大仁町(現:広瀬神社)もまた、最初は瀬織津姫が祀られていたはずなのですが、ここで、
諸山積命としての、大山積神を祀ることになり、瀬織津姫の名前は消されてしまいます。
そして、現在の三嶋大社の土地を渡すように言われ、伊豆の瀬織津姫もまた、大山積神へと変えられてしまったのでだと思います。

そして、この時、瀬織津姫の御神体はというと、さらに東、そうあの早池峰へと運ばれていったのだと。。。。

今お話したことは、私の見解で、全てがその通りだとは言えません。 これから先、また、変わるかもしれません。 でも、 現時点では、これが、大まかな、姫の足跡だと思っています。

十六皇子(十七皇子)の話に戻りますが、この七つの島に十六皇子と諸山積神を祀った時、大三島の現在の宗方沖に、三つの小島が誕生しました。
その島は、大山積皇太神の御神徳により、現れたと今も伝わり、その島の名前が、
「蓬莱(ほうらい)」・「方丈(ほうじょう)」・「瀛州(えいしゅう)」

始皇帝が探し求めていた、 不老不死の島の名前が この三つの島の名前となったのです。

この島については、今回行ってまいりましたので、また後日、お話させて頂きます。

十六皇子が祀られていた大まかな場所が、今回全てわかりましたので、いつか全てまわってみたいと思っています。 その名前、その場所を見れば、 その姿が、分御魂、瀬織津姫の分身だということが、きっとわかると思います。

「十六皇子 瀬織津姫が祀られていた、「肥海」 に鎮座する 

 「肥海八幡神社 」
*今治市大三島町肥海2457番地
*祭神
 誉田別命(ほむだわけのみこと)
*境内社
五穀社  山祇神社  出雲神社  荒神社 奥津社 多和神社 厳島神社 若宮神社

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境内社(厳島神社)
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境内社 (相殿神社)
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更に階段を上ります。
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鳥居をくぐると、拝殿が見えてきました。
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その前に、ここにも境内社 (荒神社)
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向かいに、(若宮神社)
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そして、拝殿
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本殿です。 本殿の入口にも狛犬が。。。
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本殿の横には、(奥社)
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(出雲社)も。。。。
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そして、神社の裏にそびえる、「二反山」 この山がとても気になるのです。
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そして、この山も。。。。
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次回は、三度目の大山祇神社です。 今回は、今までお話していない神社の歴史をお話したいと思います。
大山祇神社本宮ができた時に、同時に建立された 社です。。。。。

今日の動画は、愛姫伝 第三章 「瀬織津姫物語」 です。
まだ、瀬織津姫の名前を初めて聞いたかたにぜひ、ご覧いただきたい動画です。
瀬織津姫のことを、ぜひ、知ってきださい。 

決して、他で言われているように、怖い女神さまではありません。
とても優しく、 そして、強く、 全ての母のような存在だと私は思います。

今日は、新月です。
新月のことを、、朔(さく)とも言います。
新月は、始まりを意味します。

瀬織津姫は、月の女神でもあります。 再生、復活の女神さまです。
月が無ければ、 今の地球は存在しません。
現在のような、沢山の生物、青い海、四季折々に変化する自然。
この世界が誕生できたのは、月が存在するから。。。。。

月がなければ、地球の自転は早くなり、この地球は嵐の世界になります。

新月に、感謝の祈りをして、新たなスタートです。。。。。。。




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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-10-27 23:35 | 愛媛県今治市(旧大三島町) | Trackback | Comments(0)

こんばんは。

今日はとっても寒い一日でした。 朝、通勤前、外がとっても寒いので、この秋初めてニットのケープを羽織って行きました。

来週は、また少し暖かさが戻ってくるようですが、気温の差が激しいので、
どうぞ、体調を崩されませんよう、お気をつけくださいませ。

今日は、二度目の瀬織津姫の神社をご紹介します。
初めてここを訪れたのは、もう1年以上前のことです。

内子町の山の中、とても不思議なことがありたどり着いた、姫の神社 「満穂神社」です。

内子から、双海へと山道を走っていました。
今は亡き、宮下富実夫さんの、アルバムを聴きながら、車を走らせていました。

そのアルバムの中に、 「弁財天」 という曲があるのですが、 山の中で、その曲が流れはじめました。

もうご存知の通り、 「弁財天」 とは 「瀬織津姫」 のことです。

私が
「もしかしたら、この曲がちょうど終わった所が、姫の神社かもしれないね。」 なんて、
冗談半分で言いながら走っていた時です。

9分ちょっとの、その曲が終わりかけ、でも、どう見ても、神社がありそうな場所ではなく、 道は狭くなり、まわりは山、山、山。。。

「やっぱり、 そんなことはあるはずないね~」 そういっていた時です。
弁財天の曲が終わり、 ふと左側を見ると、 1本の細い道が山の方へと。。。。。。
でも、道はかなり細く、おまけに、地面は砂利道、 家もありそうな場所ではありませんでした。

満穂神社は、 地図にものっていないし、住所も地図には全く見当たりません。

「まさか、 ここが、 神社への道?」
そう思ったのですが、 どう見ても行き止まりにしか見えないし、Uターンできなかったらいけないから、やめておこう。
そう言って、通り過ぎてしまいました。

(まさか、本当に曲が終わったところが、姫の神社への道とは思ってもみなかったのです。)

それから少ししたら、 小さな町がありました。
この町のどこかにあるのかもと思って探しましたが、一向に見つかりません。 
町の中を、右に行ったり、左に行ったり。。。。 まったく見当たらないので、 誰かに聞いてみようと、人を探すことに。。。。。 

すると、前から一人の男性が歩いてきました。

急いで車を止めて、 「満穂神社」 を尋ねました。
すると。。。。。。。。。。

「その神社なら、 ここから少し内子へ戻った所に、細い山へと上がる道があるから、そこをあがった所ですよ」 と。。。。。。

「え~!!!! もしかして、 それはさっきの道?」

もう一度、詳しく聞いてみると、やはり、さっき、あの弁財天の曲がちょうど終わった時に、左に見たあの道のことでした。

その時、 私たちは、姫さまが、ご自分の曲でちゃんと私たちにいる所を教えて下さっていたのに、そのことに気づかなかったことに気づきました。

本当に、こんなことってあるんだ。。。 また、一つ、不思議なことが起こった瞬間でした。

それからです。 自分の素直な心を信じなければいけないと、心から思ったのは。。。

人は、常識や、先入観で、物事を見てしまっているのです。
時に、常識では考えなれないことや、 勝手な思い込みで大事なことを見過ごしてしまってたり、常識に従って、先入観に従って間違った方向へ行ってしまったり、危険なことに遭遇したり。。。。

心に従う、一瞬のかすかな思いや閃きを、信じる心を持つ勇気も必要です。

もちろん、常識も必要です。 でも、 その時、その時で、その常識が今起こっていることに当てはまるのか、
かすかな、心の声に気づくことのできる感覚を、もつことが大事だと、 今は、心からそう思います。

ここ、内子町満穂神社は、数件しかない、小さな小さな部落に鎮座します。
もともとは、沢山あった神社が、 大正時代に、ここに、一つに合祀されたそうです。
そして、瀬織津姫はというと。。。。。。
お隣の中山町の神社の末社だったものが、 なぜか、この地へと合祀されました。

瀬織津姫を消しさろうとする力は、明治時代までつづいたと言います。
ここも、まるで、何かから逃れるためにやってきたような気がします。。。。。。

人里離れた山の上、雲が流れるその場所に、ひっそりと姫は、鎮座しています。
私は、なぜか、瀬織津姫の神社の中でも、大浜は別として、ここが特に大好きです。
他の人が見たら、ふつうの田舎の小さな神社に見えるかもしれませんが、 ここにくると、とても落ち着き、安らぎます。 
拝殿の中で、眠りたい。。。。 そんな気分にもなる所です。

*満穂神社
*喜多郡内子町河内2062番地
*祭神
瀬織津姫命(せおりつひめのみこと)
金山彦命(かなやまひこのみこと)    大山積命(おほやまつみのみこと)
大己貴命(おほなむちのみこと)      菊理姫命(きくりひめのみこと)
天御中主命(あめのみなかぬしのみこと) 高見産霊神(たかみむすびのかみ)
龍命(りゅうのみこと)菅穂積命(すがほづみのみこと)
楠木正成(くすのきまさしげ)
少名彦命(すくなひこのみこと)      猿田彦命(さるたびこのみこと)
事代主命(ことしろぬしのみこと)     高彦根尊(たかひこねのみこと)
須佐之男命(すさのをのみこと)      伊弉册尊(いざなみのみこと)

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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-10-27 00:06 | 愛媛県内子町 | Trackback | Comments(0)

こんばんは。

今日は、午後から急に寒くなりました。 
季節は、冬に向かっているのだと感じた一日でした。

日が暮れるのも、どんどん早くなり、6時になると、もう外は真っ暗。
これから、冬至にかけて、ますます日が短くなってきますね。

今年の冬至は、12月22日。
冬至は、一年で一番太陽の力が弱まる日と言われています。

だから、冬至が太陽の再生、 復活の日でもあると考えられていました。

冬至の日が過ぎると、 また、新しい命が誕生する。 再生、復活の日なのです。

古代、人々は、不老不死を強く願っていました。 不老不死の山、 蓬莱山に神仙人が住むと信じ。。。。

大山祇神社のある、大三島は、 古代、不老不死の島だと思われていたと思っています。
そして、月光山と呼ばれて、 三つの御神体の山に神を祀り、 満月の夜、聖なる泉の水を飲んでいたと。。。

大三島に太古の昔、 植えられたと伝わる、 不老長寿の楠は、 約3000年前に植えられたと伝わります。
紀元前、 日本にやってきた人々は、 瀬戸内海の中心に浮かぶ 高い三角の山をもつ 「大三島」 をきっと
蓬莱山と思ったのでしょう。

大三島の祭祀は、その時、あの三角の山の巨石から始まったと言われています。

そして、聖なる泉は。。。。。。。。

さて、今日は、前回の続き、川内町の神社をご紹介します。
川内町は、今日でひとまず終わりとなります。 今回、一番気になっていた神社、 「吉井神社」
神社の名前だけ見ると、どんな神社か全くわからない神社ですが、
もちろん、この吉井神社という名前は、後の世につけられた名前です。

ここは、 11号線を、井内川という川沿いに南へ向かった山の中。

こんな、何もない山の中に、 ずっとずっと昔から鎮座する 吉井神社。

吉井神社は、久米主命が、この地を訪れて、野蛮な民族を倒し、平定した時、ひもろぎをたて、天神地祇及び祖神を奉斎されたことが始まりと言われます。

ここで、一つ、わからない言葉があります。
それは、この野蛮な民族のことを 「古那」 と言っているのです。
古那とは、いったいどんな民族のことを指しているのでしょう・・・・・・。

そして、ここは、久米氏の祖神を祀った所でもあるということ。。。
久米氏は、古代日本における軍事氏族の一つと言われ、
高御魂(タカミムスビ)命の8世の孫である味耳命(うましみみのみこと)の後裔とする氏と、神魂(カミムスビ)命の8世の孫である味日命(うましひのみこと)の後裔とする氏の2氏があったと言われます。

瓊瓊杵尊を先導したと言われるのが、 この久米氏の祖 「大来目命」と天忍穂耳命です。
瓊瓊杵尊を先導した久米氏が、祀っていた 祖神とはいったい誰のことだったのでしょう。。。。。。

この吉井神社は、現在、アマテラスとスサノオの誓約で、生まれてた、五男三女神を祀っています。
本来は、この久米氏の国だったこの地域は、その後 713年に、越智家が神殿とたて、現在ここは、
「三島紋」 の神社となっています。

吉井神社と呼ばれる前は、 総河内八社大明神と呼ばれていた、吉井神社。
ここも、また時代の変革とともに、 その姿を変えていった一つかもしれません。

*吉井神社
*東温市井内字宮の森1835
*祭神
正哉吾勝勝速日天之忍穂耳命(まさやあかつかつはやひあめのおしほみのみこと)
天之穂日命(あめのほひのみこと) 
熊野久須毘命(くまのくすびのみこと)
市杵島毘賣命(いちきしまひめのみこと) 
天津日子根命(あまつひこねのみこと)
多紀理毘賣命(たきりひめのみこと) 
活津日子根命(いくつひこねのみこと)
多紀津毘賣命(たきつひめのみこと)

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拝殿
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本殿
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天正18年(1590)11月に八柱神宮、河内一宮、日生宮、新居田神宮、風宮、熊野宮、明神宮、天神宮の八社を相殿に祀りました。 
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境内におかれていた、不思議な形の石。
これは、 何のための石だったのでしょう。。。。。
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そして、神紋は、「三島」 です。
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日本の食べ物と言えば、「 お米 」 
そして、昔話の中でも出てくる、日本に昔から伝わる 「白い 御結び(おむすび) 」

アマテラスとスサノオの誓約の時生まれた 長男 「正哉吾勝勝速日天之忍穂耳命」
天之忍穂耳命は、本当は、「瀬織津姫とニギハヤヒ」の間に誕生した 子供。

この名前は、「忍」は威力ある、「穂」稲穂が、「耳」実をいっぱいつけた稲穂、
稲穂の神、実の神。
そして、太陽の神 ニギハヤヒ と、 海の神 水の神 瀬織津姫・

太陽(ニギハヤヒ)の光を、たっぷり浴び、 天の恵み 「雨」(瀬織津姫) の水分を得て作られる 稲は 
太陽と海の子供(天之忍穂耳命)。 「稲」は、 「米」となる。

そして、海で作られる、神聖な 「塩」 (瀬織津姫)で、三角に 「5本」 の指で握られる。

5本は、5つに分けられた、 その魂を合わせることにもなる。
それが、 「おにぎり」

三角おにぎりは、 「父」 「母」 「子」 三位一体を現した、私たち日本人の原点の神の食べ物。
そう思うと、 たった一つの 「おにぎり」 がとてもありがたい、とても神聖な食べ物に思えてきますね。

「母」 の愛情を たっぷり込めた おにぎりには、目に見えない不思議な力が宿っているかもしれませんね。

今日は、 「愛姫伝 第10章 命の水」 です。





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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-10-25 23:05 | 愛媛県東温市川内町 | Trackback | Comments(6)

こんばんは。

今日は、先日の続き、川内町の神社をご紹介します。

ここは、国道11号線。 松山から、東温市を抜け、西条、新居浜方面へと向かう道路から、ほんの少し入った所に鎮座します。

外からみたら、 ごくごく普通の神社です。
でも、中に入り、拝殿の裏へと回るとそこは、 外の世界とは全く違う、異次元の世界へ来たような、空間が広がっていました。

「入らずの杜」 

昔は、神域として、人は入ることを許されなかった場所かもしれません。
でも、今は、柵もなく、ふつうに入ることができます。 でも、 まさか、神社の裏側にこんな所があるなんて誰にも気づかれないからでしょうか、ほとんど人の入った気配はありません。

氏子のみなさんにとっては、ここはごくごく普通の場所かもしれませんが、私たちにとっては、本当に、足を不入れることを戸惑うほど、神聖な空気が漂う場所でした。

この神社は、 現在は、「三嶋神社」 とされていますが、 ただの三嶋神社ではないとすぐに思いました。
かえって調べてみると、やはりその歴史は古く、
ちょうど、卑弥呼、邪馬台国が終わったころ、 応神天皇の時代です。

ここ東温市近辺の国つくりしたと言われる、久味国造が、ここに、神籬をたてたのが始まりと言われます。

久味国造は、神魂命(かみむすびのみこと、神祝命)の13世孫である伊與主命(いよぬしのみこと、伊与主命)を国造に定めたことに始まります。
国造氏族は久米直(くめのあたい)を本姓とし、度会氏と同じく神皇産霊尊を祖とする大久米命の後裔と伝えられています。

そう、ここ東温市付近は、久米氏族の国だったのです。

久米氏の祖神、大来目命は、天忍日命とともに、瓊瓊杵尊を先導して天降ったとされています。

しかし、この東温市には、以前もお話したように、
ニギハヤヒの子供です。 その子供の降誕の浄地があります。
どうしても、ニギハヤヒや瀬織津姫の色が濃いこの地に、反対勢力が国つくりを行ったとは思えないのです。

ここは、 上古の時代は、 瀬織津姫を祀っていたものと思います。
だからこそ、そこに、大山積命を勧請しているといってもいいと思います。

現在、松山市にある 「椿さん」の愛称で親しまれる、
伊豫豆比古神社は伊豫豆比古命・伊豫豆比売命・伊與主命を祭神とします。

この伊予主命が、同一とも、伊豫豆比古命も同一という説があります。

というのも、現在は、松山市に鎮座しますが、 一番初めは、久米国造の領土であったところに祀られていたと言われるからです。 二度の洪水により、御神体は別々に流され、現在は、伊豫豆比古命と伊豫豆比売命は別々の場所に、その御神体はいらっしゃると伝わります。

久米氏。 

実は、今日、この久米氏のことを調べていて、思いもかけない展開がありました。

それは、越智氏、そして風早の祖 「阿佐利」ら物部氏と、葛城氏の関係です。
そして、それは、四国の古代へと繋がります。

私が最近気になっていた、高知県の 「越知町」 だけでなく、「物部村」 「物部川」と、高知県はやはり、物部氏の国があったことがわかってきたのですが、それだけでなく、 四国は葛城氏勢力も強かったことがわかってきました。
しかも、それは、徳島県と高知県とをまたいで。。。。。。

高知県よりも徳島県に、 「剣山」 という山があります。
この山は、 さまざまな伝説の残る山で、 また山のまわりも、 卑弥呼伝説など、 まだまだ解明されていない謎が多くあります。

その剣山には、 物部氏が山の山頂に、「剣」 を埋めたという伝説も。。。。
そして、そこには、葛城氏の影もちらほら。。。。。

この葛城氏は、月と桂、 月桂樹を融合させた縄文の月信仰の民であり、また、「鶴」 とも深いかかわりがありました。

剣山は、昔からこうよばれていたのではありませんでした。
この 「剣」 とは、 「鶴亀」 という意味だったのです。

「鶴」 と 「亀」 で 「剣」 
この意味は、物部氏と葛城氏 もうしかしたら両方の氏族のことを現したことばだったのかもしれません。
もう、「あっ!」 と気づいたかたもいらっしゃると思います。
ここに、とうとう、 「鶴」 と 「亀」 の姿が現れたのです。
ずっと、ここだけが、もう一つ明確にその意味を見出すことができなかった 「鶴」 と 「亀」

あの歌は、 まったく別の意味で、この「剣山」 に関係のある、歌だと言われていますが、
私は、 あの歌は、 やはり、 「瀬織津姫の封印」 に繋がる歌だと。。。。。

四国の古代の謎、 いえ、瀬織津姫のことを考えるうえで、 物部氏と葛城氏との関係はとても重要なものになると思います。
そして、それは、本当の四国の姿をあきらかにするためにも。。。。。

*氏之宮三嶋神社
*東温市則之内甲1555
*祭神
 大山積命(おほやまつみのみこと)
 雷神(いかづちのかみ)
 高龗神(たかおかみのかみ)
*境内社
山神社、八幡若宮神社、龍神社、鎌倉神社、姫宮神社 、他5社
由緒
上古の世久米主命がひもろぎを立て、大山積命を祀り氏之宮大明神と称えてこの里の氏神として崇めた。代々の国司、領主が神領や水田を寄進、元明天皇和銅5年8月越智玉興が、大三島より雷神と高龗神とを勧請合祀した。 
文永・弘安の役に際しては河野通有・通純が戦勝を祈願して出陣し、偉勲をたてたので社殿を修補し水田3反を寄進されたという。嘉吉の頃には名越城主からも武器の奉納があったと伝えられている。
氏之宮三嶋神社はもと則之内村分の総氏神であった。明治時代になって、恵雲の八幡・和田丸の素が、惣田谷大元の各社が保免の三島神社に合祀された時、これら地域の氏子も保免三島神社へ氏子替えをした。

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狛犬
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拝殿
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境内社
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本殿
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そして本殿裏の、神域
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昨日の動画、もうご覧いただけましたでしょうか?

命の意味を思い出させてくれる 「神社」 
今、その神社が、どんどん姿を消そうとしています。  
神社が消えることと、 私たちの 「ふるさと」 の姿が消えることは、 同じ意味をもつような気がします。

もしかしたら、この時代の流れはとめることができないかもしれない。
山を下り、 海を離れ、 都会へと出ていく多くの人たち。

古代の日本の姿が消え、 瀬織津姫の名を忘れ去られたように、 
山奥で、多くの歴史を刻み残してきた神社もまた、 消えていくのかもしれません。

私が今していることは、 もしかしたら、そんな名も知れぬ、 神々が宿る神社の姿を、残すことにも繋がるのかもしれないと思いました。

私たちの命は、 この自然の一部、 この宇宙の一部です。
元は、 たった一つの 大きな大きな命です。 その命のかけらが、私たちの命。

この山も、 この川も、 この空も、 この花も、 みんなみんな、 同じ一つの命が生まれた。

だから、どこに生まれようと、 どこで育とうと、 本当は、 全てがふるさとと言えるかもしれません。。。。
この地球全てが、 私たちの、 「ふるさと」 と。。。。。

「愛姫伝 第8章 ふるさと」 です。





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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-10-24 23:03 | 愛媛県東温市川内町 | Trackback | Comments(0)

こんばんは。

昨日に引き続き、愛姫伝 動画 第13章を作りました。

今回の動画は、 「命の旅」 です。

人と自然は、繋がっている。 人は、自然の命のおかげでこうして生きていくことができる。

神社は、そんな 人間の原点を教えてくれる場所。

感謝し、 反省し、 命の尊さを思い出させてくれる場所。

一滴の水となり、 命の旅に出かけてみませんか・・・・・・・。




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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-10-24 00:56 | 歌・動画 | Trackback | Comments(3)

こんばんは。

今日は、伊予三島の太鼓祭りでした。

愛媛の秋祭りは、松山からスタートし、東へと進んで行きます。
北条、西条、新居浜、川之江、そして、伊予三島です。

今治は、小さな御祭りは行われますが、ほかの地域のような御祭りはありません。
どうして、秋祭りがないのか、今だにその理由がわかりません。

愛媛の瀬戸内海側では、 西条、新居浜、川之江、そして伊予三島で、太古台、だんじりの御祭りが盛大に行われます。

その中でも、 私が今回、伊予三島を選んだのは、 今わかっている中では、伊予三島だけが、姫神さまを、のせていると聞いたからです。

伊予三島は、各地区によって、別々に、行われますが、その中でも、やはり、三島神社のかきくらべが、一番盛大だと聞き、今年は必ず行こうと決めていました。
生まれてから、今まで、一度も見たことがなく、今日は、朝からドキドキ。

伊予三島の 三島神社は、以前ブログでもご紹介しましたが、
大三島の大山祇神社から、越智玉澄が勧請したと伝わる神社の中でも、一番重要な神社といってもいいと思います。

四国中央市 旧伊予三島にある三島神社は、
奈良時代の初期越智玉澄宇摩の大領に任ぜられ
今の上柏町御所の地に新館を建て宇摩郡を経営したが、
年老い毎月の大三島宮参籠も出来なくなったので、
養老4年旧8月23日大三島宮より奉遷し八綱浦三津名岬加茂川上冠岡の地を選び
奉斎したのが始まりだと伝わります。
そして、それより此の地を三島と云う様になったと。

しかし、この由緒は少し繋がらない所があります。
それは、越智玉澄が、この地で年老いたという所です。

越智玉澄は、大山祇神社を宮浦へと移した後、 ここ宇摩からは移ったということになっています。
それなのに、どうしてこのような由緒になったのか。。。。

昨日も少しお話しましたが、大山祇神社の祭神が変えられた時の中心人物、「越智玉澄」 という人はいったいどういう人だったかは、今も、私の中での一番の謎です。

でも、この伊予三島の三島神社は、伊予の国の中でも、特に重要な三島神社だったということだけは、間違いないと思います。

現在の四国中央市、 旧土居町、 川之江市、 伊予三島市は、 縄文時代からの遺跡や、古墳時代の古墳など、数多く発見され、 とても古い時代から栄えていた場所だということがわかっています。

伊予三島、川之江の山の中を流れる 「銅山川」 は、 太鼓は 砂金がとれていたので、砂金を必要とした豪族たちが、ここも開拓したとしても不思議ではありません。

山深くに、今も残る瀬織津姫の神社。 
そして、高知県との境目の山は、不思議な伝説も。。。。

今日は、御祭りを見た後、この山の奥に鎮座する瀬織津姫の神社にも行ってきました。
深い山の中には、まだまだ誰も知らない何かが眠っていと思えてなりません。

では、新居浜の太鼓祭りの写真をご紹介します。

先頭は、濱町・明神丸です。
この明神丸は、三島神社の御神体を奉置し太鼓台巡行路の先頭で奉納歌を歌い運行します。

この船の中に、姫の御神体が奉置されています。

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御神体は、この中にいるのだと思います。
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今にも動き出しそうな、「龍」 
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そして、太鼓台です。
三島地区の太鼓台は、現在8台。
どれも、豪華絢爛。赤い布団が印象的です。 船が通った後、各地区の太鼓台が、かきくらべを行います。

力を合わせ、どこの地区が一番長い間、太鼓台を持ち上げることができるかを競います。

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太鼓の音が、体の芯に響いてきて、何かが目覚めるようなそんな感覚がします。
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一番初めは、「川原地区」 の太鼓台、雲龍。
この太鼓台だけ、他の太鼓台と少し作りが違います。 明治30年代に制作され、播州高砂次郎助町により高砂神社にて奉納されていたものが、明治末期から大正初期(不明)に当地伊予三島川原町に継承されたなものだそうです。

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これは、「中組」第九號。
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蟇股は、七福神。
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そして、これは、上町、第七號 東雲。
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姫の神社に行くため、全部みることはできませんでした、思ったより間近でみることができ、本当によかったです。

若い人が少なくなり、御祭りが衰退している所が増えてきたといいますが、いつまでも受け継いでいってほしいと心から願います。

今日は、愛姫伝動画 第12章をつくりました。

今回の題は、「神々の島」です。

ぜひ、ご覧下さい。
今日も、 最後までお読みくださいまして、ありがとうございました。




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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-10-23 05:41 | 愛媛県四国中央市 | Trackback | Comments(3)

こんにちは。

今日から、久しぶりの東温市 旧川内町の神社をご紹介します。

川内町は、名前の通り、水の豊富な町。 雨乞いの祈願所となった場所が多数存在します。
隣の重野町は、伊予の国の中でも、特に古い歴史が残っている場所の一つです。

ずいぶん前にご紹介しました、浮嶋神社は、 ニギハヤが天磐船に乗って河内国の河上の地に天降った後、結婚したと言われる、御炊屋姫(登美夜須毘売)との間に生まれた 「宇摩志麻遅命」の降誕の浄地と伝わります。

崇神天皇(紀元前90年ころ)の頃に天津社に列せられたともいわれます。

川内町は、その頃からの、雨乞いの祈願所とされていたのではないかとも思います。

物部氏の祖、 また 越智家の祖とも言われる、 「宇摩志麻遅命」。

昨日、ふと思ったのですが、ニギハヤヒには、河内の国に行く前に、すでに結婚をしていた姫がいいました。
天道日女命です。 
瀬織津姫は、 この天道日女命と同一だと今は考えています。

すると、物部氏の祖神は、父方は、「ニギハヤヒ」ですが、 母方は「天道日女命」 ではありません。
ということは、 瀬織津姫ではないということになるのです。

伊予の国の 「越智氏族」 は物部氏の子孫と言われますので、 母方の姫神は、瀬織津姫ではないということになってしまいます。

もしかしたら、ここに、大山祇神社の祭神を変えた謎が隠されているのかもしれないと。
以前から、ずっと気になっていた、 「越智家」 と 「小千命」 
越智家の祖先や、祖神の伝説は、 どうも繋がらない点が多く、その意味をずっと考えてきました。

現在の大山祇神社を宮浦へと正遷座させた、「越智家」 は、 もしかしたら、最初に、大三島へ 「瀬織津姫」を祀った、 「小千命」 と言われる人物と、母方違いの 「越智」 かもしれません。

このことについては、 今頭の中で複雑に入り乱れているので、まだうまく説明できませんが、
ここに、 「越智家」の謎が、あるのかもしれません。

そして、同じ伊予の国の中に、 同じ 「ニギハヤヒ」 を祖神(父) とする、母違いの二つの氏族がいたことが、伊予の国の複雑な神社の祭りかたに繋がっているのだと。

もう少し先になりますが、 大三島のお話をする時、もう少し詳しくこのこともお話できたらと思っています。

では、 今日の神社です。

今日は、 川内町に鎮座する、 「吉井神社」 です。
川内町には、二つの 「吉井神社」 があり、 あとで紹介する方の 吉井神社とどういう関係があるのかはわかりませんが、まずは、山のふもとに鎮座する、 「吉井神社」の方へと行ってみました。

ここは、 祭神が、 熊野神。
速玉男神(はやたまをのかみ)、事解男神(ことさかをのかみ)そして、なぜか、一緒に、高龗神(たかおかみのかみ) が祀られています。

速玉男神は、熊野速玉大社の祭神とされ、伊邪那岐神として祀られています。
熊野三所権現の中の神の一柱です。
そして、事解男神も、熊野三所権現の中の一柱で、熊野本宮大社の祭神とも言われます。

この神は、黄泉の国へと行ってしまったイザナミを追いかけ、向かったイザナギが、イザナミへ別れの詞を告げた時に、生まれた神様と言われます。
そして、この神が、ニギハヤヒと同一とも言われる神の一人です。

古事記の中のお話は、とても複雑で一つの物語になってますが、 こうして一つ一つ読み解いていくと、
その全てが、 瀬織津姫とニギハヤヒを消してしまった過程と結びつくことがよくわかります。
「死」 「別れ」 「再生」 「誕生」 これらが、全て、 瀬織津姫の魂の代わりに生まれた(分霊)(分身)ともいえる、この世界全てのもに宿る神々なのです。

ここ、吉井神社もまた、 瀬織津姫の分身の神々が、熊野から勧請されています。

*吉井神社
*東温市南方吉久字宮之西2
*祭神
速玉男神(はやたまをのかみ)
事解男神(ことさかをのかみ)
高龗神(たかおかみのかみ)
*由緒
應永2年紀州熊野より勧請し、山麓の瀧の傍に社殿を建立、横瀧権現を称したという。
産土神、祈雨神として崇敬厚く、その後戎能備前守の将吉井主水介がこの地に永住して尊崇し、現在の地に建立、古社より神霊を遷し、神田を寄進した。
明治2年吉井神社と改め、同15年村社に列格、同40年神饌幣帛料共進神社に指定された。

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拝殿
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神社の名前は、「吉井神社」 そして、祭神は熊野神ですが、この神社の神紋は、
「三島」 の 御神紋でした。
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本殿
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境内社 「素鷲神社(須佐之男命)」
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境内社 「天満神社(菅原大神)」
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今日は、これから、愛媛の秋祭り最後の地、旧伊予三島の太鼓祭りに行ってきます。
松山からスタートした秋祭りも、 いよいよ、最後の 伊予三島です。

ここは、 もうご存知の通り、 大山祇神社から勧請された、 重要な三島神社が鎮座する所です。

そして、この伊予三島の秋祭りの中で一番盛大に開催される場所が、この三島神社です。
この三島神社の 太鼓台には、「姫神」 さまがのられています。

三島神社の御祭神は、もちろん大山積神(男神)。 
でも、太古台にのっていらっしゃるのは、 「姫神」 です。

太鼓台を担いでいた方が、 ずっと不思議に思っていたと教えてくださいました。

私は、この「姫神」 こそが、 瀬織津姫ではないかと思っています。

姫の御神体を載せた、 太鼓台を、これから見に行きたいと思います。

御祭りの様子は、また後日ブログでご紹介させて頂きますのでお楽しみに。。。。

では、 よい休日をお過ごしください。。。。。。




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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2011-10-22 11:25 | 愛媛県東温市川内町 | Trackback | Comments(0)

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