<   2012年 03月 ( 25 )   > この月の画像一覧

こんばんは。

今日は今回の大三島探訪最後です。

今回は大三島瀬戸から南へ向かい、そして北へ。大三島の南半分を回る旅でした。

最後は、大山祇神社の御神体、鷲ヶ頭山です。

大山祇神社に神社が建立される前から、安神山とともに磐座に神が降りてくる場所として古代から信仰していたと伝わる山です。

一般的には「鷲ヶ頭山」と呼ばれていますが、
昔は 「神ノ山」 ともよばれていました。

この山に 「鷲」 という名前が付けられたのは、
三島大明神のもう一つの物語の中で三島明神の子供を連れ去った鳥が鷲であったことや
それが日本書紀の中ででてくる 「天日鷲神(あめのひわしのかみ)」と繋がり、
この鷲が、阿波国を開拓した忌部氏(いんべし)のことを指し、この忌部氏が、大きな役割を果たしたことからなのだと思います。

「鷲」 = 「天日鷲神」 = 「忌部氏」 

「鷲」とは、鳥の王。 権力の象徴。

ここに大山積神が祀られる1000年以上前からここには、もう一つの神が祀られていた。

この山の上に上がるときっとそのことを感じることができると思います。

山火事があるまではここは木々の覆われた森でした。 今ではその姿を見ることはできませんが、
木々の間に隠れて見えなかった山の姿が現れ、その力強さに圧倒されます。

神の山には、本当に不思議な力が宿っているかもしれません。

これが鷲ヶ頭山
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上に上がるごとに、大きな磐がだんだん見えてきます。
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次の写真なのですが、なんだか空に変なものがうつっています。
カメラのレンズに何かくっついたのか? 何かが反射したのかな?
その時は気づかなかったのですが、パソコンで見てびっくり! これってなんなんだろう?
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頂上が近くなると、山のあちこちに大きな磐が。
杜の中はこんな風になっていたのですね。
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思わず車を止めて!と言ってしまった巨大な磐が目の前に。
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そして、頂上近くにたどり着き車をおりると、
目の前に美しい瀬戸内海の海が広がっていました。

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ここから見る瀬戸内海の島々は1300年前とほとんど変わっていないかもしれません。

開発が進まなかったおかげで、昔からの姿を残す島々。

1300年前も、こうしてここから海を眺めたのでしょうか。

どんな気持ちで、何を想い、何を願い、人々はここに立ったのでしょうか。

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この美しい海を、この美しい島々を、これから何百年、何千年と残していってほしいと心から思いました。

この海には数えきれないほど多くの歴史がつまっています。

それは時に悲しい出来事だったかもしれません。 
時に勝利に沸き歓喜に満ち溢れた歴史だったかもしれません。

でも、そんな数限りない多くの人々の歴史があったからこそ、今私たちはここにいる。

こうして美しい空を見上げ、
こうして美しい海を眺めることができるのも、
多くの人々の辛く悲しい歴史の先にたどり着いた今があるから。

それがどんな歴史でも、私は本当のことをそのまま受け入れたいとやっぱり強く思います。

それが、引かれたレールなら、全てを受け入れなければいけないのだと思います。

なぜならその歴史がなければ、今私たちはここに存在しないのだから。

そして全ての命、どんな命も無駄な命はないということを伝えたいと思います。



今日で2年間働いた職場を去りました。
まさか自分がここで働くとは思っていなかった職場。 

なぜか突然働いてみようと思いつき、試験を受けて入った職場。

本当にいい人たちに恵まれて何の悩みもなく、毎日楽しく過ごすことができました。

沢山素敵な出会いもありました。

可愛い姫たちにも出会え、私は神社めぐりを本格的にスタートするきっかけともなりました。

本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

できることならずっとここで働いていたい。
そんな気持ちが芽生えたことも、初めてかもしれません。 

出会いもあれば別れもある。

わかっていても、何度同じ経験をしてもやっぱり寂しい気持ちは沸き起こるものですね、。

でも別れが寂しいと思えることに感謝したいと思います。

なぜならそれだけ素敵な出会いと、素晴らしい経験ができた証だから。

何かが終われば何かが始まる。

次に進むためには、ずっと同じところに立ち止まっていることはできないんですよね。

4月からはまた新しいスタート。
でもスタートは、同じレールの上でのスタート。
駅を出発してまた次の駅を目指すためのスタート。

本当に、ありがとうございました。




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by ldc_nikki | 2012-03-31 00:36 | 愛媛県今治市(旧大三島町) | Trackback | Comments(2)

こんばんは。

今日は、以前も一度ご紹介しましたが、再度大山祇神社 摂社 「阿奈波神社」をご紹介します。

阿奈波神社は、大山祇神社のすぐ近く宮浦港横の、御串山の麓にあります。

御祭神は 「磐長姫」

大山積神の娘、木花咲耶姫と姉の磐長姫。高千穂峰に降臨した、瓊瓊杵尊は、木花咲耶姫と結婚をしたいと申し出、大山積神はとても喜ぶのですが、なぜか磐長姫も一緒にもらってほしいといいます。

しかし、瓊瓊杵尊は、醜い磐長姫は追い返してしまい、木花咲耶姫だけを妻に迎えました。
そして、木花咲耶姫は火の中で子供を生むことになります。

このお話を初めて聞いた時、やはり見た目重視なの? と単純に思いました。

でも、実はこのお話の奥にはもっと深い意味があったことに後になって気づいたのです。

大山積神の娘、 木花咲耶姫と磐長姫は、瀬織津姫の魂を二つに分けたもの。

木花咲耶姫は、瀬織津姫の姿、そして磐長姫は瀬織津姫の永遠の命。

瀬織津姫は永遠の命を持つ、再生復活の女神。

その魂と、外側つまり姿とを別々にわけた意味があったのです。

大山積神は、可愛い娘をどうして一人の男性のところへ一緒に嫁がせようとしたのか。それがどうしても納得がいきませんでした。
でも、二人の娘が、本当は一つだったとしたらそれはあたりまえのこと。

身体と魂、両方があって初めて一つなのだから。 

もちろん、これはつくられたお話。 ではどうして、わざわざ別々にしなければならなかったのかというと、
それは、永遠の命をもつ瀬織津姫の魂を受け継ぐわけにはいけなかったからなのです。

ここで瀬織津姫の魂を消し去った。でも、本来の神の存在を全て最初からないものとはできなかったことが姫の偉大さを物語っているともいえます。

また大山積神とは、瀬織津姫を封印するためにおかれた神だということが、この物語からも読み取れるのではないでしょうか。

昨日お話した、陰陽五行説の考え方では、
「相生」と「相剋」と言って、それぞれの要素同士がお互いに影響を与え合うという考え方があります。

相手の要素を補い、強める影響を与えるものを「相生」

相手の要素を抑え、弱める影響を与えるものを「相剋」といいます。

そして 「水」にかつことができるものは、木、火、土、金、水の中で、

「土」 とされます。

大山積神とは、「山の神」 それは 土が大きな塊となった山。

水をせき止めその勢いを弱め、封じ込めるためには、「山の神」でなければいけなかったのです。

だから、瀬織津姫を封印するために祀られた神は 「山の神 大山積神」だったのです。

多くの人が疑問に思っていること。

「どうして瀬戸内海の真ん中の島に祀られる神が 山の神で、しかも日本の総氏神なのか?」

その答えはここにあったのです。

瀬戸内海という立地がら、後に多くの海賊が信仰す神となり、多くの武将が信仰する神となり、
「海の神とも、戦いの神とも」 言われるようになりましたが、本来の大山積神が誕生した時のその意味は

「山の神」

それが、ここ大三島へ大山積神を祀った理由だと私は思います。

しかし古事記の中では、大山積神は瀬織津姫の代わりでもありました。
だから、その大山積神の裏に隠された真の魂を受け継がせないように、二つの姫を誕生させ、姿と魂を別々にしたのではないでしょうか。

だから、磐長姫とは、瀬織津姫の魂を受け継ぐ姫だったのです。

そしてここ大山祇神社では、今もその魂を持つ磐長姫を境内の中には祀ることができないのです。

ここ大山祇神社には、磐長姫のもう一つの物語があります。

瓊瓊杵尊の子供を身籠ったのは、木花咲耶姫だけではありませんでした。
大山祇神社に伝わる伝説では、木花咲耶姫よりも先に磐長姫が瓊瓊杵尊の子供を身籠ります。
それなのに、瓊瓊杵尊は木花咲耶姫と結婚をしてしまうのです。
磐長姫は無念を感じて身を引き、宮の外へ産殿の建てて移り住んだといいます。

この産小屋が、ここ大山祇神社の摂社 「阿奈波神社」です。

ここは古来より、「阿奈波さん」とよばれ親しまれ、
長命延寿の神として、また子宝に恵まれない人や花柳病にも霊験があるとされ、
多くの人に信仰されてきたといいます。

阿奈波神社が鎮座する山を、「御串山(みくしやま)」といいます。

「串」 とは 「櫛」 のこと。

櫛とは、魂を閉じ込めるもの。 古代の人々にとって櫛とは、
魂を込めて別れる相手に渡したと言われるように、その御魂を封じ込めるもの。

磐長姫が鎮座するこの山が 「御串(櫛)山」 と呼ばれることも、その魂が封印されているからなのでしょう。

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御串山の海岸を通り、一番端まで行きます。
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途中、大山祇神社の方を向いた鶴姫がいます。
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神社が見えてきました。
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ここが、阿奈波神社です。
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拝殿
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まるで龍宮城のようです。

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多くの人がここへ奉納していくそうです。
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磐長姫は一の鳥居の中にも入らず、ここで1300年の間ずっと人々も見守ってきた。
なんだか、とても寂しいですね。

本当は、二つで一つの命。
磐長姫はその美しい姿を奪われ、木花咲耶姫は本当の魂を奪われて別々に分けれてしまった。

いつかその二つが一つになる日がきますように。

明日は、今回の大三島探訪最後。 大山祇神社の御神体 「鷲ヶ頭山」へ登ります。
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人はどうして怒るのでしょう。

それは自分の思いどうりにならならいから。 

人はどうして悲しむのでしょう。

それは自分の好きなものが自分から離れてしまうから。

人はどうして喜ぶのでしょう。

それは自分の思い通りのことがおこったから。

怒りも悲しみも喜びも、そして憎しみも、全て自分の心が中心になってできる感情。

この不思議な感情があるから人間で、感情があるから生きているともいえる。

でも、この自分の心がつくる感情が元となって、時にしてはいけないことをしてしまう。

それは人がもつさまざまな欲望を満たすために。

この世に生をうけてから、命が消えてしまうその日まで、人はそのさまざまな感情とともに生きていると言ってもいいかもしれません。

感情がなければ何も生まれないし、生きる気力も失ってしまう。

だから、怒ってもいい、泣いてもいい、笑ってもいい。

でも、ほんの少しだけ、その感情を自分中心ではなく、
誰かの気持ちになって考えることができると世界は変わるかもしれない。

「感情」 は心がつくりだすもの。

人間にとって必要なものであり、一番難しいものなのかもしれません。



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by ldc_nikki | 2012-03-29 23:54 | 愛媛県今治市(旧大三島町) | Trackback | Comments(0)

こんばんは。

突然ですが、まつぼっくりの芽って見たことありますか?

私は、今日初めて見ました。

まつぼっくりの笠と笠との間に、羽のようなものがあります。
それが、まつぼっくりの実。 

この実を春のお彼岸頃に植えると、この羽のような実から芽が出るそうです。

でも、全ての実から芽が出るわけではなく、なかなか芽を出す数は少ないそうです。

それが、職場の人が丁度一週間前のお彼岸頃に植えた実から、芽が出て日に日に大きくなっていると聞き、早速見せてもらいました。

これがその写真です。
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たった一つの小さな小さな実。
小さな命が、一生懸命生きようとする姿になんだか勇気をもらったような気がします。

コップの中で生きている小さな命を見ていると、人間ってやっぱり贅沢な生き物だな。。。
と思います。

植物と人間は違う。。。 そう言われるとそうかもしれませんが、でも、同じ一つの命。
ただひたむきに、何の欲もなくその与えられた命を一生懸命生きようとしてるまつぼっくりの命。
私は改めて命の意味を考えさせられました。

私には、この小さな命が一生懸命何かを伝えようとしているように感じました。

では、今日のお話です。
今日も引き続き大三島。 宗方八幡神社から今度は北へと進みます。 

大山祇神社の少し手前の町、大三島町口総。
ここは昔、「七カマド」 とよばれていたといいます。

「七つのカマド」 不思議な名前ですね。

今日ご紹介する神社は、この七カマドにある、小さな山の上に鎮座する神社

「磐座八幡大神社」 です。

延長6(929年)年8月15日、村人数名が伊勢神宮に参拝し、部落鎮護の神として
大日霊大神(天照大御神)・天常立尊・国常立尊・月夜見尊をお迎えしたことが始まりとされます。

村人たちが、どこへ神を祀ったらよいかと悩んでいたところ
ある朝日が出る前に、現在の神社地上空に五色の御光が立っているのを村人の一人がみつけました。

そしてこれは大神のおぼしめしであると村人一同は考え

「天の岩戸より御降臨になりて座す」の意見で天磐座神社と称しここに神々をお迎えしたといいます。

それから673年後の慶長元年、興田別尊(別名応神天皇)をお迎えし八幡宮と改名し、
その後274年たった明治3年再び改名し、現在の磐座八幡大神社となったそうです。

「五色の光」 神社やお寺の由緒の中でよくでてきますが、
これは、五行思想からきていると思われます。

五行思想とは、古代中国の自然哲学の思想で、万物は木・火・土・金・水の5種類の元素からなるという説です。そしてこれが後に、陰陽五行思想となります。

陰陽五行思想は、5世紀~6世紀ころ日本に伝わり、
律令により陰陽寮という役所が設置されました。

そしてその後日本独自の陰陽道へと発展していきました。

五色の光。 これはここにも陰陽道の思想があったことがうかがえる記述かもしれません。

そしてこの神社の由緒の中で、

「月夜見尊」 は 「死んでから行く国の神」と書かれてあることも、
月の女神が 「死」 の神とされたことに繋がるのかもしれません。

*磐座八幡大神社
*今治市大三島町口総2023
*祭神:大日霊大神・天常立尊・国常立尊・月夜見尊
*境内社
 速佐須良姫神社
 口総護国神社

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鳥居をくぐり、池の側の道を通り山へと向かいます。
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池に近づくと、池の中に小さな社があることに気づきました。
何の説明もありませんが、その姿は弁財天。 
姫が池の中に祀られていました。

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赤い屋根の小さなお宮。
きっとここは昔海だったのでしょうね。 そして海と川の境目のこの山にきっと祀られていたのだと思います。

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そしてここから山へと上ります。
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最後の鳥居が見えてきました。
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鳥居をくぐると、拝殿がありました。
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そして本殿へ。
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本殿の裏をくぐりと廻り反対側へ行くと、小さなお宮がありました。
それを見た瞬間、これは姫だ! と思いました。

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拝殿へ近づいてみると、そこに書かれていた名前は。。。。

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速佐須良比売(はやさすらひめ)でした。

速佐須良比売とは、祓戸大神の中の女神で、
一番最後に出てくる神さまの名前です。

気吹戸主が、速開津媛命がもろもろの禍事・罪・穢れを飲み込んだのを確認して根の国・底の国に息吹を放ち、速佐須良比売は、その根の国・底の国に持ち込まれたもろもろの禍事・罪・穢れを消し去ってしまうとされます。

速佐須良比売が単独で祀られているところはあまりなく、とても珍しい場所です。

祓戸大神とは、4柱の神さまのことをあらわしますが、これは全て瀬織津姫の変えられた姿です。

だから、速佐須良比売は、瀬織津姫のこと。

本殿の横に祀られた小さなお宮は、 瀬織津姫。

そして、この山の上から見える池の中に祀られている神様もきっと姫だと思います。

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毎日のように流れる原発のニュース。
皆さんは、これを見てどう思うでしょうか?

人間はどこまで行けば自分たちの過ちに気付くのでしょうか。

あれだけのことがありながら、それでもまだやめようとしない。
あの地震は、確かに自然の現象で、地球が生きている限りいつかは起きる地震だった。

でも、あの津波は原発を辞めなさいと言っているようにも思えた。

今ならまだ間に合う。
本当に原発を地震または津波が直撃する前に、知らせた警告。

警告にしたらあまりにも被害が大きすぎかもしれない。

でも、このままやめなければ、もっと大変なことになるかもしれないと思うのです。

私は神さまが人間に対する怒りで地震を起こしたとは思っていません。

数千年まえから、世界中の神話の中には、神の怒りが自然の驚異と結び付けられていますが、私は、地震も洪水も、干ばつも、神の怒りなどとは思いません。

地球は、地球自体が生きているだけなのです。

地震も火山も、洪水も、干ばつも、地球が生きている証拠なのです。

地球が生きている限り、これら全てのことは決してなくなることはありません。

それは人間の力で逆らうことも、止めることもできない、すべて地球が生きている証だから。

だから、もし神様が私たちに何かをしてくださるのなら、
それは今私たちに地球が生きていることを、必死でわかってほしいと伝えていると私は思うのです。

全てが滅んでしまわないように、そうなる前に気づくようにと。。。。。

ここ数年で、少しづつ少しづつ瀬織津姫の名前が世の中に出てきたことも、
神社やお寺に行く人が増えてきたことも、
スピリチュアルな世界を信じる人が増えたことも、
何かを伝えようとしているのではないかと思うのです。

私たちは、音として聞こえないだけで、その声なき声を、受け取っているのではないかと思うのです。

だから、神様のせいで地震がおきたとか、 人の命が失われたとかは、思わないでほしい。

地球に少しでも長く生命が生き続けることができるように、
未来へ新しい命が繋がれていけるように、ただ、そう望んでいるだけだけだと私は思います。

その声に、一人でも多くの人が気づきますように。

一人でも多くの人の魂に、本当の声が届きますように、私は願っています。




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by ldc_nikki | 2012-03-28 23:58 | 愛媛県今治市(旧大三島町) | Trackback | Comments(0)

こんばんは。

今日はとてもよいお天気でした。寒かった冬もやっと峠を越え、日に日に春が近づいてきている気がします。

今日久しぶりに大浜八幡神社に行ってきました。
瀬織津姫が祀られる社の前の桜も、つぼみが膨らみ、今にも咲きそうなつぼみがたくさんありました。

今度の日曜日くらいには、咲き始めるかな。。。。

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では今日も大三島の続きです。

今回はいつもとは逆回りに大三島をまわってみました。
高速道路をおりてそのまま南へ、瀬戸をとおり過ぎ一山こえると大三島の一番南の町に出ます。

その逆を降りていくと、目の前に綺麗な海が見えてきました。
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そして少し走ると以前ご紹介した、三つ子島が見えてきました。
大三島を含む七つの島に、十六の皇子を祀ると海の中から現れたという

「三つの島」 この島の名前が、中国で不老不死の島と伝わる島

「蓬莱(ほうらい)・方丈(ほうじょう)・瀛州(えいしゅう)」です。

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そして今日ご紹介する神社は、この三つ子島のある 「宗方」に鎮座される

「宗方八幡神社」です。

ここは、神功皇后由来の神社で、

神功皇后が三韓征伐のため、瀬戸内海を航行されたとき、
この地域の若者たちが海上案内をしたことに縁があると伝えられています。

この海を神宮皇后が通った時に、先導をしたと伝わるこの地区の若者。

神社の名前にもなっていますが、この地区は、宗方。

宗方とは、九州は筑前国の古族宗像氏に由来すると思われ、
ここには、宗像氏に関係する人々が住んでいたのかもしれません。

宗像氏とは、厳島神社に祀られる三女神を主祭神とする一族です。
天武天皇は、多くの姫を妃に迎えていますが、この宗像氏の姫も妃としています。

全国宗像神社の総本社は福岡県にあり、
沖ノ島の沖津宮、大島の中津宮、田島の辺津宮の三か所に分けられ祀られています。

瀬織津姫と深いかかわりのある、宗像三女神を奉る宗像氏が、この大三島でも何らかの
役割をになっていたのかもしれません。

この宗方で今も行われる御祭りも、神功皇后が起源となっています。

「櫂伝馬」 

この御祭りで使われる、伝馬船(てんません)は、荷物などを運ぶ和船ですが、櫂伝馬は県内でも瀬戸内の一部地域でしか残っていません。
特に櫂伝馬レースとなっているのは、ここ宗方だけで、3隻の伝馬船が、約700mの距離を、スピードを競って漕ぎ比べます。

そして、その船の名前には、
を「蓬莱(ほうらい)」「蓬英(ほうえい)」「蓬祥(ほうしょう)」の名前が付けられています。

不老不死の神の島の名前をつけた船が、神功皇后を先導したように、今もこの海で
その姿を再現しているのですね。。。。。

*宗方八幡神社
*今治市大三島町宗方3348番地
*祭神
誉田別命(ほむだわけのみこと)
息長帯姫命(おきながたらしひめのみこと)
武内宿禰命(たけうちのすくねのみこと)

神社へは、この大きな鳥居をくぐり山の上へとのぼります。
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大きなご神木が迎えてくれます。
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ここから神域の中へ。
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階段の上で狛犬が迎えてくれます。
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奉納された立派な燈籠がありました。
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拝殿
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本殿
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そして一番気になった場所。
本殿の側の木の陰にひっそりと祀られる境内社。
ここに姫が祀られているようなそんな気がしました。

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今日は、金星が東方最大離角となる日だそうです。
東方最大離角とは、地球から見て内惑星が太陽の東側にあるときのことをいうそうで、
夕方西の空に、まばゆいばかりに光輝く金星が見ることができます。

そして、今日は月のすぐ近くに金星が見える日でもあります。

昨日も空を見上げると金星が月の真下で、キラキラと光り輝いていました。

金星は、古代女神にたとえられ、その女神とは地母神 母なる神のことでした。

まるで瀬織津姫の一つの姿でもあるようですね。

松山市、旧北条市の天道日女命を祀る神社で行われる 特殊神事の名前は
「宵の明星」。

夕方西に沈む前に光輝く金星、宵の明星。
この名前が付けられたのも、もしかしたら古代の女神 「母なる女神」を表していたのかもしれないな。
なんて思いました。

月に寄り添うように光る金星。
その姿は古代の人にどのように映っていたのでしょう。
電気もない真っ暗な中で、大地を照らす月と星を見て。。。。。。





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by ldc_nikki | 2012-03-27 22:36 | 愛媛県今治市(旧大三島町) | Trackback | Comments(2)

こんばんは。

大三島二回目。
今日は、昨日の「みたらしの井戸」のすぐ側に鎮座する、大山祇神社元宮、

「横殿宮」のお話です。

「みたらしの井戸」は、現在も大山祇神社へ献上する禊の水。
そして、この場所は大山祇神社が本来あった場所とされている 元宮のすぐ側にあります。

大山祇神社に三島明神が祀られたのは、
現在の神社境内の中央に聳える楠が植えられたとされる 2600年前。

小千命が、ここに神を祀ったことが始まりとされます。

しかし、大山祇神社の由緒では、大山祇神社はもともと現在の宮浦の反対側、現在の上浦町瀬戸にあったとされます。

だから、この説が一般的な大山祇神社の始まりとされています。

594年推古天皇の御代、三島逈戸浜(上浦町瀬戸)に大山祇神社が建てられ、その神社を
「横殿の宮」と言ったと書かれています。

そして更にこれより前、崇峻天皇589年、
神託により、小千益躬は三島逈戸浜 「鼻刳瀬戸」の御神木に鏡をかけ祀った(大山積神を)
ことが始まりです。
小千益躬とは、崇峻天皇の御代、
靺鞨(まつかつ)の国より鉄人が八千の兵を率いて攻めてきたのを、
播磨の国で討ちとったといわれる英雄。

それまで越智家は、ただの地方豪族でその名前が愛媛以外の記述で出てくることはありませんでした。
しかし、この時突然その名前が表舞台へと姿を現します。

この横殿の宮に大山祇神社が建てられることになる原点もまた、この小千益躬。

そしてこの時から、小千玉澄まで大山祇神社の遷座に深くかかわっていくことになります。

589年、三島逈戸浜 「鼻刳瀬戸」の御神木に鏡をかけ祀ったとされる伝承と同じ時、
これと同じような伝承の場所が、ここ今治市内にあります。

それが、現在「鳥生」と言われる場所、以前お話した今治市鳥生祇園町に鎮座される三島神社です。

継ぎ獅子の発祥の地とも言われるこの三島神社は地元の人からは祇園さんとよばれています。

この神社の原点は、小千益躬にあります。

第三十二代崇峻天皇、御宇2年(589年)に、この地方の豪族小千直益躬(おちあたいますみ)が、靺鞨(まつかつ)の国より鉄人(強い武人)が八千の兵を率いて攻めてきたのを、播磨の国で討ちとり、木の下の浜(今の鳥生の浜)へ凱旋し、自ら榊の大樹に鏡をかけて大山祇の大神を祀ったので、木の下三島宮と呼ばれていた。この木の枝に多数の白鳥が巣を作り、ひなを育てたので鳥生の宮と称し、地名も鳥生としたと伝えている。

これが祇園町に鎮座される三島神社の由緒です。 そしてこのことは、
『三島宮御鎮座本縁』にも、一説にはと、大三島瀬戸の伝承とともに書かれています。

同じ年、別々の場所で同じような言い伝え。
このことだけでも、どちらが本当の伝承なのか。どちらもつくられたものかもしれないし、
もしかしたらどちらかが大山積神のことをあらわし、どちらかは瀬織津姫のことをあらわしているのかもしれません。
もしそうなら、瀬戸に祀られた神が、大山積神で、鳥生に祀られた神が瀬織津姫。

その理由は、この鳥生の宮のほうの伝承には、三島明神(大山積神)の本当の姿を伝えているからです。

それが 「白鳥」 この白鳥とは 「鷺」のことです。

「鷺」とは「月の神使」 それとは反対に 「烏」は 「太陽の神使」とだからです。

この鳥生に現れた鳥は、烏ではなく 鷺。 それは月の女神の神使だったのです。

小千家が、本当に祀っていた「三島明神」とは 「月の神」 だったということを言いたかったのではないでしょうか。

そしてまたもう一つ、この小千益躬の鉄人伝説でとても気になることがあります。

それが、河野氏が、自らの氏族の来歴を記した文書 「予章記(よしょうき)の中の鉄人伝説です。

予章記以外では、小千益躬が戦った相手 「鉄人」とは、靺鞨(まつかつ)の国からやってきたとされているのですが、予章記には、「鉄人」とは 「百済」からやってきたと書かれてあるのです。

きっと多くの人はこの内容を読んで、そんなはずはないと思い、勝手にこの相手を百済ではなく
「新羅」 としているのではないでしょうか。

それは、この後、斉明天皇時代にかけて日本が見方をし、援護するために多くの軍勢を送ったのは、
百済とされているからです。

日本は百済の応援に行っているはずなのに、

小千益躬が戦った相手は 「百済からきた鉄人」だった。

これが本当の姿だと私は思います。

そして、河野家はこの予章記の中で、

「河野氏の祖先は小千益躬」だと書いています。 

大山祇神社を宮浦へと正遷座させた 「越智玉澄」ではなく、「小千益躬」だと。

(「小千家」はこの越智玉澄から 「越智」に変わったとされています。)

これが、河野家が書き残した唯一の抵抗ではないかと思います。

自分たちは、本当の小千家の子孫であり、「越智家」の子孫ではないと言いたかったのではないでしょうか。

そして、小千益躬が祀った場所は、瀬戸ではなく、この鳥生。

瀬戸に祀ったのは、後に 「越智」 となのるものたちに祀られたのです。

それが、摂津から来たと言われる 「百済」 の関係のある一族です。

ここ横殿宮 瀬戸に祀られた大山積神は、本来宮浦に
2600年前から祀られていた 「三島明神」とは全く違う神です。

本来現在の場所 宮浦の大山祇神社のご神体(安神山)に祀られていた三島明神は

「大蛇」 それは 「龍」 そしてそれは、月の女神 瀬織津姫だったのです。

しかし、瀬戸から宮浦へと移されるその時、安神山の大蛇は、追い出されました。

『三島宮御鎮座本縁』の中で、そのことも書かれています。

文武天皇701年、越智玉澄が宮浦へ大山祇神社を建立しようとしていたのですが、安神山にすむ大蛇が悪さをして移すことができないため、この山に「五龍王」を祀り追い出したと。

この安神山にすむ大蛇とは、姫のことだったのです。

そして、現在元宮のあったとされる瀬戸周辺には 「曽我」という名前が多く、
現在の大山祇神社がある宮浦側には 「藤原姓」が多いこともそれに繋がるのかもしれません。。。。。

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現在の元宮 横殿宮は、楠の森の中にひっそりと小さな社殿が鎮座されているだけの寂しい境内。
私はここが、新しい大和をつくろうとした一族が、大三島へと初めて上陸してきた場所ではないかと思います。
そして、100年の月日をかけて、少しづつ少しづつその勢力を増していったのだと。。。。
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by ldc_nikki | 2012-03-26 23:02 | 愛媛県今治市(旧大三島町) | Trackback | Comments(2)

こんばんは。

今週末は今治市のお隣、旧東予市に行っていたのですが、空には太陽が顔を出しているのに、
ずっと雨がふっていました。

「きつねの嫁入り」

どうして昔の人は きつねの嫁入りと言ったのでしょうか?

今まであまり深く考えたことがなかったけど、昨日ふとそんなことを考えてやっぱり思いついた答えが
瀬織津姫でした。

きつねの嫁入りとは、お天気雨のこと。
昨日の天気のように、太陽が出ているのにもかかわらず空から雨が。。。。
太陽の日差しとともに、ふってくる不思議な雨。

それは 「きつね」 と結び付けられる。

きつねとは、稲荷に変えられた姫の姿。

「雨」もまた、姫の姿。

そして太陽は、「ニギハヤヒ」 

ふつうは、太陽と雨は一緒にその姿を見せることはないけど、お天気雨のその時だけ水と太陽が一緒になる。まるで太陽から雨がふってきているかのような不思議な光景は、まるでニギハヤヒと瀬織津姫が一つになったかのようにも思えいます。

それを「きつね」にたとえ、太陽の元へときつねがお嫁に行ったとたとえたのかと勝手にこじつけてしまいまいした^^;

でも、「きつねの嫁入り」 は、私には 「姫の嫁入り」に聞こえてしまうんですよね^^;

そしてそのきつねの嫁入りの後、太陽の光が強くなり、雨があっがたな~ (嫁いりが終わったな~)と思ったその瞬間、 

「あ!!、あれ!!!!!!!!!!」

相棒の指さす方を見てみると、そこには、久しぶりに見る鮮やかな虹!

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虹はニギハヤヒの姿。
きつねがあの虹を渡ってお嫁に行ったのかな~なんて想像したりして。

久しぶりの虹に感動でした。 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今日からは、久しぶりに大三島のお話です。

大三島へ渡ったのは今年初めて。 今回は、なんとなく大三島へ行きたくなって思いつくままにまわってみました。 そして、念願の山の上に行くことができました。

今日から数回にわけて、歴史の鍵を握る島、大三島をご案内します^^

まず今回向かったのは、みたらしの井戸。
以前も一度ご紹介していますが、再度行ってみようと向かいました。

「みたらしの井戸」

みたらしの井戸がある場所は、大三島の東側 「瀬戸」
ここは 594年、大山祇神社が、摂津より移りまつわれたと伝わる場所。

この場所の前の海を 「鼻刳瀬戸」 といい、大三島と伯方島の間の海。

古来よりとても流れの早く、またこの場所は、牛の鼻にとおす環・鼻刳[はなぐり]の形に似ていることから、この 「鼻刳」という名前が付けられたと云います。

そしてこの海浜に四六時中清水がわき出る井戸があり、この井戸のことを

「みたらしの井戸」 といいます。
そして古くよりこの水を「大山祇神社の神饌水」として、毎年秋の大祭に献上していました。

一時この習わしはなくなってしまっていましたが、今また復活しています。

「みたらし」 とは、「御手洗」の意味に通じ、まるで禊、祓いの水です。

そのことを物語るかのように、古来よりこの水は 「神様が禊をした水」 と伝わっています。

「神様が禊をした水」と言えば、 イザナギが黄泉の国から帰ってきた時、
「私はなんと醜い、汚れた国に行っていたものだ。 だから私は身体のけがれを洗い清めよう。」といって禊をおこなったと古事記に書かれています。

その穢れを落とすために立ち寄ったとされる 「橘の小門」とは、
もしかしたら、この 「みたらしの水」 のことだったではないかと思うのです。

「橘」 とは、伊予の国のことをさすと私は思っています。

それは「橘」とは、「不老不死の果実」を意味し、それは常世の国をも意味します。
そしてその常世の国とは、「伊予の国」のこと。

この「みたらしの水」 とは、瀬織津姫をも意味する水。
瀬戸から宮浦へと大山祇神社を遷宮することは、瀬織津姫を大山積神へと変えることであり、
その神が 「日本の総氏神」 となり、日本を守護する場所となる意味が込められていました。

そして常世の国の女神を封印しなければいけなかったのです。

今も大山祇神社へと献上されているこの水は、「神の禊の水」
1300年の間、毎年毎年、今もまだ、その罪を消すために、禊を続けているのではないでしょうか。

「みたらしの井戸」の別名 「「横拔の井戸」=「横祓の井戸」=「蛇祓いの井戸」

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そしてこのみたらしの井戸は、川と海との境にあります。

川の水と海の水がせめぎあう場所。それは再生の場所。

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海のすぐ側のこの場所から湧き出る 「真水」 
その水は再生の水、瀬織津姫の水。

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by ldc_nikki | 2012-03-25 22:40 | 愛媛県今治市(旧大三島町) | Trackback | Comments(0)

こんばんは。

3月も後少しですね。 一か月が本当に早いです。
いつもの年ならそろそろ桜が咲き始めるころなのですが、今年はまだまだ。。。
今日の新聞に、菅原道真がたどり着いた場所桜井の梅の花が、一か月遅れで今満開になっているそうです。

朝倉へ続く桜で有名な川沿いには、いつもの年と同じように提灯がたくさんつけられているというのに、
夜桜を楽しめるのはもう少し先になりそうです。

お花見の予定がなかなかたてられませんね。

でも、春はもうすぐそこ。 桜の開花を楽しみに待ちたいと思います。

では、龍女のお話。 いよいよ今日で最後になりました。
衣干からスタートした龍女が登った川 「龍登川」をさかのぼり、千手観音を龍女自らが掘ったと伝わる場所

四国八十八か所 「仙遊寺」に向かうことにします^^

仙遊寺は山の頂上近くにあるのですが、今回私たちが行った場所はお寺ではなく、お寺に入る少し手前の
弘法大師加持水のある場所です。

以前お話した宇和町のお寺、四国八十八ヶ所 「明石寺」 では、龍女が大きな石をかついで山を上がり、
山の頂上に着く前に、太陽が昇り鶏が鳴く声を聞いておどろいて消えてしまった場所にも、
弘法大師は井戸を掘り水を出していました。

そして今回は龍女が千手観音を掘ったと伝わる場所。

ここにも、弘法大師が民のために水を出したと言われる場所があります。

それが、ここ仙遊寺です。

そして仙遊寺には、加持水の入口の手前に小さな池があります。

池の名前は 「放生池」

「放生」 とは、 捕えられた龍を放してやることをいいます。

724年、八幡神の託宣により宇佐神宮で放生会を行ったことが起源といわれる
「放生会」 は、京都府の石清水八幡宮や福岡県の筥崎宮をはじめ全国の八幡神社で行われいる儀式です。

大山祇神社境内にある、雨乞いの池の名前も 「放生池」 といい、そこでは龍が三つに切られたという伝説が残っていますが、この儀式は姫である「龍」の魂を鎮めるための儀式だったのだと私は思っています。

その放生池が、ここ仙遊寺にもありました。
それも、お寺の中ではなく弘法大師の加持水の入口に。

池には観音様の姿が。。。。
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この木の向こうには不動明王がいらっしゃいます。
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そして池の向こう側には小さな祠があり、その中には龍が。。。
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池の向こう側に行ってみます。入口には狛犬のようなものが。。。
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入ってすぐ左に不動明王が。

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そして観音様
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観音様のお顔はとても優しい顔をしていました。
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そして、中央に祀られる小さな祠へ。
祠の前に行き手を合わせ合掌。 そして中を見てみるとそこには。。。。。
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白い龍。

小さな龍でしたが、見ているとドキドキしてきて、なんだか緊張します。
ここには何の説明もありませんが、この池は 「龍」のための池。
龍の魂を鎮めるための池だと思いました。 

そしてこの向こうが、龍女の伝説の場所だと。

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まずはこの山門をくぐります。
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そしてここから山へと入ります。
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階段を上ります。
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一歩足を踏み入れると一瞬にして空気が変わります。
ここから神域。
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山へと上る道の横には、水はわずかしか流れていませんが、美しい水が流れています。

ここが、龍登川の源流です。

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龍女はこの川を伝いここまでやってきたのですね。
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そしてとうとう見えてきました。
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弘法大師加持水。

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この水は1000年以上たった今も枯れることなく、わき続けています。
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途中不自然に途切れた龍登川でしたが、その源流はちゃんとこの地にありました。
龍女は、自分の魂が眠るこの場所に、千手観音を掘りました。

この地にそういう伝説が残ったのは、きっとその存在を何かの形で残したかったからなのだと思います。

そしてこの地は、姫を祀る一族が逃げてきた場所でもあり、姫をここで最後まで守ろうとした人が、最後を迎えた場所かもしれません。

弘法大師はそのことを知り、ここへとやってきたのだと思います。
そして姫の魂を外へと出すために、井戸を掘ったのだと思います。

その水は、不治の病をも治す 「再生の水」 

瀬織津姫の聖なる水です。

ここは私には瀬織津姫の眠る聖地のように思えました。

仏の姿に変えられてしまっても、真の意味は同じ。 例え封印され、消された場所だったとしても、
そこには、ちゃんと姫の魂が宿っていると感じます。

龍女の伝説はただのつくられたお話ではありません。

その奥には多くの人々の命と姫の魂、そして言うことができない多くの真実がつまっているのだと思います。

最後に仙遊寺から見る景色です。

今から約1300年前、この山奥で見た景色はどんな風だったのでしょう。

島と島を大きな橋で結ぶ光景はきっと想像もできなかったでしょうね。

豊かな暮らし、自由、争いのない世界。
そんな世界がいつかくることを願いながらこの世を去っていったのかもしれません。

私たちは今、この時代の人々の望んでいた世界に生きているのかもしれません。
でも、今度はこの時代の人々が持っていた大事なものを無くしてしまったのかもしれません。

こうして歴史を巡ることで、少しづつ少しづつ
無くしてしまったものが、蘇ってくるような気がします。

今日は久しぶりに動画をつくってみました。

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by ldc_nikki | 2012-03-24 03:42 | 愛媛県今治市 | Trackback | Comments(2)

こんばんは。

今週は家族が順番にインフルエンザにかかって大変。
元気なのは私だけ^^;

今年は寒かったせいなのか、こんな時期にまたインフルエンザが流行るなんて、
皆さんは大丈夫でしょうか?

少し暖かくなってきましたが、まだまだ寒暖の差が激しい時期が続きます。
どうぞお体に気をつけてください。

では今日は前回の続き、竜登川の第4回目です。

川が行き止まりとなり、不自然に左へとおれていましたが、そのままもし川がまっすぐに流れていたら
龍仙寺へと登っていくはずだと思い、そのままお寺にむかってまっすぐ行ってみることにしました。

川はここから左へとおれていました。

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向こうに見えるのは仙遊寺の山
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山にむかっていると、小さな標識が。
止まってみてみると、ここはお遍路さんの道でした。

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仙遊寺まで1.8km。 歩いてお遍路さんをする方たちはここを歩いて行くんですね。

そして、少し行くと初めてみるお寺が。 名前は 「吉祥寺」
なんだか、気になったので車を止めておりてみました。

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目の前には池。
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入口にはお堂が。
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そしてお寺の入口に置いてあった看板には
「鷹取殿」 と書いてありました。

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「鷹?」 鷹ということばが気になり、行ってみることにしました。
鷹取殿はこの吉祥寺の裏山の上にありました。
山へとあがる入口に小さなお堂があったのでみてみるとその中には「三島の神紋が」
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ここも三島家のお寺でした。
ますます気になり上に行ってみることに。
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一番上まで行くと、小さなお堂がありました。
そこには赤ちゃんのステイがたくさん結び付けられていました。

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お堂の彫刻は初めてみる形で、波と波の間に注連縄がかかっていました。
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ここは、正岡紀伊守経長が
天正13年(1585年)小早川隆景の奇襲を受け落城し自害した後、
妻子は鹿子谷で自害したため、その霊を祀ったもので、
安産、子育てのお守りとして多くの一族の人々が信仰されているところでした。

正岡家は、越智家から河野家へと名前が変わったように、
越智家の血を受け継ぐといわれています。

正岡という苗字は北条に多く、北条には正岡家が宮司を務める神社もあります。

この山には鷹取城というお城があり、そのお城の城主の妻子は傷ついた体のうえ、お腹に子供を身籠り、そのお腹をかばいながらこの近くの鹿子谷の洞窟の中に隠れていたのですが、とうとう自害してなくなったといいます。

この戦いは、愛媛中のあちこちに攻め入った、豊臣秀吉の四国征伐です。

この鷹取城はあちこちの城が落城する中、最後まで抵抗し続けた場所だといいます。

今でこそ車でこの山の中までこれますが、昔は今のように開けていたわけではなく、この山の中で必死で抵抗しつづけた様子を思い浮かべると、なんだかとてもつらくなります。

また、この妻子の最後のお話などは、瀬織津姫が封印された時代と重なるものがあり、こんな風に多くの人々が山の中で隠れ最後は自害また、討死したのかもしれません。

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次回は、龍女がのぼった川「龍登川」の最後の場所、
龍女が千手観音さまをほったと伝わる仙遊寺の湧水です。

吉祥寺から山を見上げると見えるこの建物が仙遊寺です。
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by ldc_nikki | 2012-03-22 22:55 | 愛媛県今治市 | Trackback | Comments(4)

こんばんは。

昨日の続きの龍登川です。

衣干神社から川沿いをまっすぐまっすぐ進むと、川はだんだん狭くなっていきます。
途中小さな橋の上で降りてみると、橋にもちゃんと竜登川の文字が。。。

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田んぼの中をまだまだまっすぐ山へと向かいます。
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そして住宅街の中へ
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しかし中寺という地区に入ると川が途切れてしまいました。
その途切れた所には、宝寿寺というお寺が。。。。
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でもこのお寺はそんなに古くからここにあるわけではないようで、直接関係はない気がします。
ただ、ここで突然川の流れが不自然に左へと折れています。
本来龍登川は仙遊寺まで続いていたはず。いつ川の流れが変えられてしまったのかははっきりとわかりませんが、なんとなくこの川の流れが変わったこの辺りに何かあるような気がしました。

そして、偶然調べものをしている時に見つけた伝説とこの辺り一帯の意味が後で繋がりました。
それがこの地図です。


川の流れが直角に曲がっている所が、先ほどのお寺 「宝寿寺」です。
地図を見てもわかるように、そのまままっすぐもし川が続いていたその先には、

四国八十八か所 「仙遊寺」があります。

そしてその間にあるお寺が 「吉祥寺」 
このお寺は、越智家から分かれた 「正岡氏」ゆかりのお寺です。

そして、西の方をにある二つの記。

一つは 「弁天池」 が今も残る 「厳島神社」

その向こうには 今はもう壊されてしまっているお寺 「石中寺」

この石中寺はその姿はもうありませんが、その名前だけは今も残っているようでバス停の名前が
石中寺でした。

このお寺が、姫が封印された時代、とても重要な拠点の一つだったのです。

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<石中寺の由来>
富士山をはじめ日本の高山は、たいてい役行者<えんのぎょうじゃ>(役小角<えんのおず>とも言います)が開拓したと言われています。また、その間に数々の仙術を披露しており、「日本霊異記」と言う書物には、孔雀王咒法と言うもので空を飛んだり、鬼神を駆役する等、種々の奇蹟を伝えています。
ところで、四国霊峰と言われる石土山(瓶ヶ森とも言い、山岳愛好家は瓶の愛称で呼んでいます。)も役行者の開創によるものと言われています。
 この役行者が、全国行脚の途次、大宝元年(701)に清水の中寺の石中寺の不動院に寄られて、ここを根本道場として、孔雀明王、不動明王、愛染明王の法の功徳によって大誓願を行いました。すると、不思議なことに、空中から五色の雲が下り、楢原、石土、豊岡、象頭の四大権現が現れました。そこで、役行者は、石中寺の住職峰仙とともに、石土蔵王権現の彌山を決めるため、石中寺の東に向かって行き、高くて険しい山々を駆け巡り、草衣木食を以って難行苦行を積んだ末、石土山瓶ヶ森で、遂に尊い大権現の霊感に浴しました。早速この石土の地に安置申し上げるとともに、清水の石中寺にも本尊としていただいたと言うことです。このようなことがあって以来、石中寺がずっと、石土総本山として信仰されるようになりました。その後千有余年間、いろいろ時代による興亡はありましたが、近くの霊峰石鎚とともに、多くの信者を有し今日に及んでいます。
特に、昭和のはじめに、清水の小笠原観念住職が中興に当たり、かなり規模の大きい壮大なお寺になり、更に、昭和二十二年(1947)天台宗寺門派より独立し、石土総本山石中寺として、全国的にその名を広めるまでに至りました。しかし、残念なことに、二十数年前経済的な面で思わしくないことがあり、建造物がこわされ、御本尊が他に移されています。

これは今治地方に伝わる伝説の一つです。
ここに書かれてあるように、役行者は 701年、大山祇神社の大造営が始まったとされるころ、この石中寺を根本道場として大誓願をおこないました。

そして石鎚山の弥山を決めるためにここから出発しました。

そして石中寺がずっと、石土総本山として信仰されるようになったといいます。

ということはここに、大和の拠点があったということになります。

先日お話した久米の政庁でもそうだったように、そこには必ず「寺」がありました。
大和をつくるにあたり 「寺=役行者」 は 必要不可欠。 
影の大きな役割を担った役行者が、根本道場を置いた場所が拠点であったのではないでしょうか。

600年前半につくられた久米の政庁は、その機能を今治へとうつしました。
そして、今治に国府がつくられたといいます。

今治の国府がどこにあったのかは、まだ今もはっきりとしたことがわかっていません。

でも、このことから私は、この辺り一帯。
龍登川が途切れたこの場所から、寺があった場所一帯に国府がつくられていたのではないかと思いました。

だから川もここで途切れているのかもしれません。

またここには、空海のある伝説もあります。

ちょうど川が途切れた場所の近くに松木という地名があります。
この松木に住むお百姓さんが空海が水を与えてくれるよう頼んだところ断ったため、この辺りいったいの水を、金気水にしてしまったといいます。

金気水とは鉄分を多く含む水のことで、とても飲める水ではないといいます。

龍女が観音さまを掘ったと伝わる 「仙遊寺」では弘法大師は水を出したといいます。
しかしその麓である 松木では 飲めない水へと変えてしまったという伝説が残っています。

空海は、水を出したという伝説と、水を止めた、また飲めない水にしたという伝説の両方があります。

水を出した場所とは姫がそこに祀られていた場所に多く、水を止めた場所は姫を封印した側に関係が深い場所ではないかと思います。

これらのことから、今治ではまだ遺跡として国府が発見されたわけではありませんが、
ここがやはり一番可能性が高いのではないかと思います。

石中寺は今はもうその姿はなく、小さなお堂だけがバス停の向かいにありました。
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そして、姫の水だけが残る 「弁天池」もすぐ近くに。

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今は小さな公園となっていますが、泉の側に小さな厳島神社がたっていました。
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地元の方でしょうか。 ちゃんとお供えものを置いてくださっていました。
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次回は、途切れた川をそのまままっすぐ仙遊寺へとむかってみたいと思います。

先日、スマートフォンのサイトをつくっているとお知らせいたしましたが、
まだ完成とまでは行きませんが、少し形になってきましたので、ご紹介させていただきたいと思います。

(愛姫伝 写真集)
サイトURLhttp://smart4me.net/aihimeden

QRコード
e0165472_2341048.png


スマートフォン専用サイトなので携帯では見ることができません。
両方で見ることができればいいのですが・・・・・。

今日もありがとうございました。



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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2012-03-20 02:36 | 愛媛県今治市 | Trackback | Comments(1)

こんばんは。

今日は昨日の続きです。
龍登川を出発して一番初めに向かったのは、龍女が衣を干したと伝わる 

「衣干峠」 です。

ここは、現在衣干神社が鎮座されています。
またこの神社の由緒の中には、もう一つの衣にまつわる伝説があります。

「長慶天皇文中2年9月28日、覚理法王が新居郡御所寺より密かに船に召されて、夜の明け方に此の処(現神社地)に上陸し夜露に濡れた御衣を、社の岩の上に干された」という伝説です。

「覚理法王」とは長慶天皇が出家した時の名前のことをいいます。

長慶天皇とはこの今治から現在の玉川町を抜け松山へとむかったとされています。
その時にここに立ち寄ったとされ、現在も衣を干したという岩が残っています。

神社の創建は700年前後ではありませんが、
河野親清が石清水八幡宮を二十六社勧請せられた一社でもあり、
二つの衣伝説が残る場所。

またここは、古代は海だった場所で、満潮の時は海となり干潮の時は水が引き人が歩ける場所でもあったと考えらます。
そんな海と川の入口にある丘にはここだけではなく、多くの場所に瀬織津姫に繋がる衣伝説や、
神功皇后の伝説が残ります。

衣の伝説と言えば、天女の羽衣伝説。

これもまた瀬織津姫に繋がる伝説。 8人の天女が地上へと舞い降り、そのうちの一人の天女だけが羽衣を無くしてしまい天へと帰れなくなりました。
天へと帰った天女は、北斗七星と結び付けられる。

この伝説がつくられた原点は 「7」にあります。

そこには 「8」から「7」 にしなければいけない理由があったからです。

それが、「8」の暗号のところでお話したことに繋がります。

衣は瀬織津姫を祀る一族が伝えたという織物にも繋がります。

ここに籠宮に住む龍女の 「衣」 にまつわる伝説が残っていることは、瀬織津姫の存在を伝えてるためだったのだと、私は思います。

*衣干八幡大神社
*今治市衣干町2丁目2番66号
*祭神
三女神(さんじょしん) 
品陀和気命(ほむだわけのみこと) 
息長帯姫命(おきながたらしひめのみこと)  



龍登川河口を出発し、旧国道196号線に出てすぐ右へ入ると神社はあります。
住宅が密集するその中に、小さな丘があります。神社はその上に鎮座します。
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狛犬の向こうに見えるのが拝殿です。
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拝殿です。
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そしてこれが衣をかけたという石。
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龍女はここに衣を干し一休みして、作礼山を目指しました。
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今日のニュースで、
東京浅草の三社祭のもとになった「舟祭」が初めて行われてから今年で700年になるのを記念して、
54年ぶりに、「舟渡御」が再現されたと出ていました。

最近古いものが見直されたり、この記事のように一度絶えてしまっていたものが復活したりするお話をよく耳にするようになりました。

人々の心の中で何かが変わり初めているのかもしれません。

知らず知らずのうちに、深く何かを考えていなくても、心の奥底に眠っていた先人たちの想いが蘇ってきているのかもしれません。

私たちの魂の中、私の血の中には、過去の多くの人たちの想いがつまっています。
それは私たちが何も感じないだけで、受け継がれているものだと私は思います。

それが少しづつ今思い出されているのかもしれないと感じます。

今日、松山の姫だるまを売っているお店に行ってきたのですが、この姫だるまは神宮皇后が由来となり造られた、姫のだるまです。
この姫だるまもまた、だんだんとつくれる人が少なくなり今それを絶やさないようにと一生懸命頑張っている方がいらっしゃいます。 
今度、姫だるまのお話にもふれたいと思いますが、今日お話を伺った方も、やはり何か見えない糸に導かれているような気がしました。
そしてここへ行くようにと全く予想外の場所で教えられたことも何かに動かされたのかもしれないと思います。

先日、大浜八幡神社の宮司さんとお話をした時に宮司さんもおっしゃっていた御祭り。

昔今治では、大浜八幡神社から船で今治城のすぐ側まで神輿を運びお殿様のところで祭りをしていました。 これは、大浜八幡神社がこの今治にとってとても重要な神社だということを、お殿様をわかっていたからなのだと思います。

私はできることならこの御祭りをもう一度再現したいと思っています。
できるかどうかはわかりませんが、数年後、もしかしたらそのチャンスが訪れるかもしれません。

私の一つの夢です。
大浜八幡神社の神様が、もう一度この港からお城へと上がることができますように。。。。



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愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2012-03-19 00:57 | 愛媛県今治市 | Trackback | Comments(0)

数あるブログの中からお越しいただきましてありがとうございます。 不思議な数々の出会いから、今は、愛媛の神社めぐりをしながら、神社や女神様そして、神話の神々の伝説を調べています。