<   2012年 04月 ( 20 )   > この月の画像一覧

こんにちは。

ゴールデンウィーク前半最後のお休みは、あいにくの雨。
こんな日は家でのんびりするのが一番かな。
めったに家にいることはないので、たまにはこんな日も必要ですね。

皆さんはどんなゴールデンウィークをお過ごしでしょうか?

では、今日の神社です。

今日は前回の三島大明神社から1kmほど東へ行ったところにある

「奥土居神社」

この辺りを探索したのは初めてだったのですが、
ざっと見ただけでも、とても重要な地だったことがわかります。
今日ご紹介する神社もその一つ。

ここに残る伝承は、まだその意味が謎のまま。
今だ、どうしてもわからない謎の一つです。

私の住む今治市を中心に東予方面の国造りをしたと言われる
「小千命」 には、さまざまな伝承があります。
ここで何度もご紹介しているように、あの大三島の大山祇神社の楠もこの小千命が植えたとされています。

でも、その伝承の年代はさまざま。

「いったい小千命っていつの時代の人なの?」 
と疑問に思われるかたも沢山いらっしゃると思います。

小千命の父、伊予皇子とよばるこの王は伊予市の伝承の中では、

「大小千命」 と呼ばれています。

小千命の前に 「大」 。これは小千命よりも偉大? という意味にもとれますが、
この「大」 とつけられたことに注目してみると、「小千命」 が、ただの名前ではないことがわかります。

ただの名前だとしたら、
「小千命」 という人を中心に、物事をとらえていることとなりますが、
どうして東予地区の国造りをした人を中心に、物事が話されるのか少し不思議ですよね。

ということで、私はこの 「小千命」 というのは、名前ではないと思っています。

ではなんなの? と、申しますと
これはある特殊な氏族の姿を現したことば、そしてその中の王ということだと思います。

そう考えると、各時代の 「小千命」 がいても変ではありませんよね。

「小千命」 とは、ある大きな使命をもつ氏族の意味が込められています。
前回の記事の中に、「越智」の多くの名前を書きましたがもう一度ここで。

 「越智家→小千命→乎致命→コチ命→ヲチ命」

後に越智家となった一族は、本来 「ヲチ命」 とよばれていたのではないかと思われます。
小千命は、乎致命と書かれていて、これは 「コチ」 とも 「ヲチ」とも読めます。

それが、後に藤原氏の中のだれかが、大山祇神社の宮司として養子に入り、
「越智」すなわち 「小」 を 「越」 に変えました。

これは、「越」から来たとこを意味していると思われます。

では本来の 乎致命(コチ、ヲチ)にはどんな意味があるのでしょう。

「ヲチ」とは、「変若水」と言われるように、 月にあると言われる聖なる水のことをあらわしています。
月には不老不死の水、若返りの水があると思われていました。
太古の昔から人は月と人間の命の繋がりを深く感じていたのです。

そして、この月の女神が、瀬織津姫とよばれる女神。

「ヲチ命」 とは、この女神を祀る一族の皇子のことをあらわしていたのではないかと私は思っています。

そして、大山祇神社は、その女神のいる場所だったと。

でも小千命にはまだまだわからないことが沢山あります。
今日お話することが、わからないことの一つ。

伝承の一つには、小千命は松山のすぐ前にある 「興居島」で生まれたとも書かれてあります。
どうして、この島で生まれたことになっているのか、その謎が今だまったくわかりません。

そして、ここからが今日の神社の伝承です。
小千命が興居島で生まれた時、その臍の緒を箱の中に入れて海に流しました。
その箱は、対岸のこの場所、今出の海岸にたどり着きました。
昔、白い海岸があったと言われる、この今出の浜にたどり着いた臍の緒を、
一人の漁師が家にもってかえり机の上に置いていました。
するとその夜、

「この箱を清らかな土地に埋め、造化の神をあわせまつれば、わが霊は永く庶民を見守り、子を授け、
安産させるだろう」 

と神のお告げがありました。

そこでこの土地の人々が、臍緒神としてお祭りしたところ、霊験あらたかでお蔭をうける人がおおかったといわれます。
また昔は相殿には、小千命をお祭りしていたといいます。

しかし、社伝によれば、

今から約1300年前、神亀年間に、越智玉澄が神殿をつくり
造化の神である

淤母陀琉神(おもだるのかみ)、高御産巣日神(たかみむすびのかみ)、
阿夜詞志古泥神(あやかしこねのかみ)

とも言われています。

この二つの伝承をどう考えるかは、これからの課題の一つ。

子がない人がこの神に祈れば、必ずよい子を授かったといわれる

奥土居神社。

河野家一族の娘に子がなく、この神に祈ったところその祈りが通じご懐妊。
そして臨月となったある夜、娘はこの神殿の中でその出産の時をまっていました。
すると、玉垣に手をかけ立ち上がろうした瞬間、やすやすと玉のような男の子を出産したことから、

それまでの村名 

「波生」と「垣生」 と書きかえたといいます。

多くの伝承が残るこの神社は、何かを伝えつづけてきたのではないかと思うのですが、
そのはっきりした意味はまだわかりません。

いつかこの意味に繋がる日を楽しみに待ちたいと思います。
まずは、ここへこさせていただけ、この伝承を教えてくれたことに感謝をしたいと思います。

*奥土居神社
*松山市東垣生町697番地
*祭神
淤母陀琉神(おもだるのかみ)
高御産巣日神(たかみむすびのかみ)
阿夜詞志古泥神(あやかしこねのかみ)

e0165472_13354067.jpg


e0165472_13355212.jpg


ここも大きな注連縄が逆になっています。
e0165472_13364126.jpg


本殿
e0165472_13372071.jpg


神紋は三島紋
e0165472_1338346.jpg


この伝説の川を遡ると、途中で二つの川にわかれます。
その二つの川が、石手川と小野川。

この左へと流れる川が石手川で、
右へと流れる川が小野川です。

e0165472_13402518.jpg


右側の小野川を遡ると、そこには天山があります。
e0165472_13412710.jpg


ここが天山橋。
e0165472_13422981.jpg


さらにこの川を遡ると、古代の政庁のあった場所へと行くことになるのです。

この川がどんな意味を持っていたか、ほんの少しわかっていだけたでしょうか。

なんでもない川や、道がこうした伝説を思い浮かべながらたどると、また違う風景に見えます。
つくられた観光地へ行くのも楽しいですが、
いつか私がたどった道を、その伝説を思い浮かべながら同じように歩いていただける人ができたらいいな~
と微かな私の願いの一つです。

そのためにいつか、私のたどった道を本にしたいな~なんて思います。
もし私にそのお役目を与えられるなら、その夢もいつか叶うかも。。。。。。

今日も、ありがとうございました。






隠された歴史、消された神々のことを、一人でも多くの人に知っていただくために
もし、よかったら、(バナー)をポチっとお願いします^^

一緒に、瀬織津姫を復活させましょう♪ 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村

愛姫伝 スマートフォンサイト 
QRコード
e0165472_239596.png


ブログで紹介した場所を、地図でご案内しています。。
お越しの際には是非ご参考にされてください。

愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2012-04-30 13:51 | 愛媛県松山市 | Trackback | Comments(2)

こんばんは。
今日は、久しぶりに松山の県立図書館に行ってきました。
夕方から子供の歌の発表会があるため、遠くへ行く時間がないしゴールデンウィークで道が渋滞しているので、こんな日は図書館かなと思い行くことに。

駐車場に着き、
今日はどんな本と出会うかな~と考えながら図書館へ。

ずらりと並ぶ本の中から、1冊の本を選ぶというのも、一つの出会いかなと神社のことを調べ初めてから強く思うようになった私ですが、今日も思いもしなかった本と出会う日となったのです。

いつも行く階でエレベーターを降り中へ。
なんとなく気の向くままに右から2列めの通路を通り、最初は今日は神社の資料を見ようかなと
各市町村別の神社の資料の前で足を止め、今気になっている宇和島の資料を手にし中を数ページ見たのですが、違うな~と棚に戻し、何かないかな~とあたりを見回すと、1冊の本に目が止まりました。

今まで何度かその本の題名は見たような気がしましたが、今までは全く目に止まることはなかったのですが、今日はなんとなくその本を手に開いた場所を数ページ読んでみると、

う~ん、なんとなく気になる。

その本を片手に、今度は市町村別の市誌のコーナーへ。
そこで宇和島市誌を手にとり二冊の本を持って机にいきました。

とりあえず宇和島市誌は後にして、この目に止まった本を読んでみようと思い早速読み始めました。

すると、そこには大山祇神社に関するとても興味深いことが次々書かれていたのです。
これを二時間で読むのは難しいと思い、コピーしようと気になるページを次々書き出していきました。

そしてあるページに目を通した時です。

「あれ?この文章どこかで見た気がする!」

よ~く読んでみると、そこに書かれてあったことは、先日大三島へ行った時、
3時間話し込んだあのお寺の奥様が下さった資料と同じ文章でした。

実はこの時、十六皇子について資料があるというので頂いたのですが、
この資料を書かれた方のことを、奥様から聞いていたのです。

今から20年近く前、私と同じようにこの十六皇子を見せてほしいと来られた方がいました。
その方はそれを元に本を書かれた人でした。
奥様はぜひこの本を私に読むようにと勧めてくださいました。
でも、この本は自費出版だから店頭にはもうないかもしれないと言っていて、
どこかで見つかるといいねと言っていた本だったのです。

もう発行してから17年もたっているので、もしかしたら見つけれないかもしれないなと実は半分もうそんなことを言われたのも忘れてしまっていました。

そして今日、なんとなく手にとった本が、奥様から読むようにと勧められたその本だったのです。

本当に、不思議です。

人も本も、会うべき時が来れば自ずと現れると言いますが、
本当に出会いとは不思議だと改めて思った一日となりました。

神社に行き始めて、本当にこんなことが幾度となく起こります。
だから、何かに出会い何かを発見したり何かに気付いたりする度に、

「あ~やっとこのことを教えて頂けるようになったんだ」 とうれしさと共に感謝の気持ちでいっぱいになります。 今回のこの本の中には、まさに今私が知りたいことが山のように書かれてありました。

私の疑問がまたこれで少し解けるかもしれません。

古い資料や、山のようにある文献を一つ一つ全て読むのはそれはそれは大変なことです。
それらの中の一文や、見たいけれどもすぐには見れないものの写真などを掲載してくれている本がなければ今の私はないなとつくづく思うのです。

歴史のことを知ろうとすると、単に一つのことだけを調べていても全く先に進むことはできないのです。

神社や神様のことや、一般的な日本の歴史はもちろんですが、
仏教や道教、密教、仏、神話や昔話、言葉、遺跡、古墳、海外の歴史や古代文明。。。。。
上げればきりがないほど、多種にわたりその意味を調べていかなければいけません。
各分野の専門家の方が調べて下さった資料があるということを、改めて感謝せずにはいられません。

それぞれの調べた結果は私には全くと言っていいほど当てはまらないものばかりなのですが、
でも、その資料を目にすることができるということは、本当にありがたいです。

今回の本を見つけた時は、やっとその意味を知ってもいい時がきたんだと、
なんとも言えない気持ちになりました。そのくらい、先日行った大三島での出来事と、今回の本は歴史の封印の謎を秘めた重要なものなのです。

他の人からみれば、それは全く違う意味でとられているか、またはあまり関心のいかないことかもしれませんが、この意味を説くことがとても重要なことだという強い思いがしてなりません。

このことはいつかここでも話せる範囲で書きたいと思います。
そして、この本の著者の方がもしご健在なら一度会ってお話がしたいなと思っています。

では、前おきが長くなってしまいました。

今日の神社のご紹介です。

今日は、前回ご紹介した住吉神社からすぐ近くにある

「三嶋大明神社」 です。

古代の川の道、政庁へと続くこの川を少しさかのぼってみることにしました。
そこで、まずであったのが、住吉神社からすぐのところに鎮座する この神社でした。

ここは、四十五代聖武天皇の神亀5年に越智宿弥玉純により勧請された
伊予の国七十二郷七十二社のうちの一社です。

神亀5年、8月23日に同時に勧請された神社を今まで何社も紹介してきましたが、
同じように勧請された神社にも関わらずその神社の名前はさまざまです。

どうして大山祇神社とせず、三嶋神社としたり、三嶋大明神神社としたりするのか。
私はここにも祀る人々の微かな抵抗が見られるのではないかと思うのです。

「三島明神」 とは、 大山積神であり、大山積神ではないからです。
本当の三島明神とは、本来三島家→越智家→小千家→乎致命→コチ命→ヲチ命が祀る神。
それは大山積神ではなかったからです。

ですから、三島明神とは表向きは「大山積神」
裏では 「瀬織津姫とニギハヤヒ」 の意味も持っているからです。 

だから、わざと神社の名前を大山祇神社としなかった場所もあるのではないかと思います。

そしてもう一つ、
大三島の大山祇神社を含む伊予の国に鎮座される大山祇神社は、
社名と祭神の書き方が違います。

他県では、「大山祇神」 と書かれてあるところが多いのですが、
なぜか、大三島を筆頭に、祭神は 「大山積神」 とされます。

「祇」 と 「積」 

どうしてわざわざ神社の名前と、祭神の名前の 「つみ」 の字を変えているのか
その明確な理由が今までわかりませんでした。
でも、今日見つけた本の中に書かれてあった 

「祇」 と 「積」 の 字が持つ意味から、少しその理由が見えてきました。

著者の方は、全く姫の存在には気づいていません。
ですから、この本来の意味から解釈する神の意味は私とは少し違いますが、
私はこの字の意味から、私なりの考えが見つかりました。

まず 「大山積」 とは、山を司る神という意味。
大山積神とは古事記の中で、山の神としてその神格が表されています。
にも関わらず、祀られている場所は瀬戸内海のほぼ中央。
海の中の小さな島。

どうしてこの島に山の神が、しかも「日本総鎮守」として祀られているかと疑問を抱く人は少なくありません。

そしてその御神徳は、山の神としながらも、海の神でもあり、武神でもあり、酒の神でもある。
一見とても複雑に思える大山積神の姿です。

しかし、その神社の名前は 

「大山祇神社」 

「祇」 ということばについて書かれてある 古い国語辞典「大言海」 という本があります。
その中で、「地祇」 について以下のように書かれてあります。

1.地祇とは万物を提出するものなり。
2.祇は地神なり。すなわち国土の神で、天神に対する国土の神である。
3.またクニツカミともいう。
そして、神祇令の 
「天地地祇は、神祇官みな常典によってこれを祭る」という用例があげられています。

「祇」という字には、万物を育む神、万物を生み出す国土の神という意味があったのです。

しかし、祭神にはあえて、「積」 と書いています。単なる山の神という名前です。

本来ならば、祭神もまた大山祇神とされるはずなのに、「積」と書いたことにこの神社の本来の意味が
込められていることがわかります。

ここ大三島に祀られる神、この島に祀られる神の御神徳は

「万物を育む神、万物を生み出す国土の神」=「太古の時代からの神」 ですが、
祀られている神は 後に変えられた 「山の神」 ということなのです。

それはこの場所が、神の島であり、常世の島だったからです。
また、完全に本来の神を消し去ることはできず、
また、その神徳だけを入れようとしたこの時代独特の考えからによります。

神功皇后が女神の力だけと取り入れた女性になろうとしたことや、
古事記の中で伊邪那美神が死ぬことで新たな神が生まれたとされることや、
天照皇大神やスサノオがお互いのもっているものをかみ砕き新たに誕生させた
五男三女神や、伊邪那美神が死ぬ原因となった火の神を切ったことによって
誕生した神のように、古代の人々は、一度命が終わることにより新たなそれ以上の力を得ることができるという黄泉がえり、再生、復活の力を信じていたからです。

それが、7で終わり、8でまた新たな世界が始まるという
キリストの考えとも一致するのです。

「大山祇神社」と「大山積神」 の その意味は、同じ呼び方でも全く違うものだったのです。

この古代の川の河口近くに祀られている 「三嶋大明神社」も、本来は古代からの女神、または饒速日尊をまつる場所だったのだろうと思います。
ここから、入ってきた「藤の木」=「藤原氏」により、ここにも新たな神が祀られることになったのかもしれません。

また、ここには、歴史の不思議を感じさせる一人の女性の物語があります。

神社の特殊神事としても行われる

「鍵谷祭(鍵谷カナ姫命祈年祭)」

この鍵谷カナ姫命とは、1782年、この地に生まれた一人の女性のことで、

「伊予絣(いよかすり)」 を独自におり始めた創出者として、今もこの地にその伝説がのこる女性です。

「織物」の神でもある姫と深いかかわりのあるこの地で、
女性であり、 「鍵谷」(鍵をかけられた谷) という偶然にしてはあまりにその名前に姫との繋がりを感じさせられるこの女性がこの場所で生み出した日本三大絣の一つ 伊予絣。

そして三島神社に神として祀られ今もなお、特殊神事が行われている。
まるで、本来の姫を祀るように。。。。。。。

*三嶋大明神社
*松山市西垣生町1226番地
*祭神
大山積神(おほやまつみのかみ)
雷神(いかづちのかみ)
高龗神(たかおかみのかみ)
*境内社
疫鎮神社  御先神社 松尾大明神
白山神社 鷺神社  三光宮 稲荷神社産神社

そしてもう一つ、上の境内社の名前をご覧ください。
ここに  「鷺神社」 があります。
ここの鷺神社の祭神は、なぜか「少彦名命」 です。
この意味はまだまだこれから調べていかないといけないですね。

e0165472_2313161.jpg


e0165472_2314626.jpg


e0165472_232285.jpg


拝殿です。
e0165472_2325122.jpg


ここも注連縄が逆になっています。
e0165472_2333273.jpg


神紋
e0165472_2341290.jpg


本殿
e0165472_2354151.jpg


境内社
e0165472_237616.jpg



今日も長い文章を最後までお読みくださいましてありがとうございました。

沖縄は梅雨入り。四国も初夏の陽気となり桜も緑の葉に変わりました。
そして東北はやっと雪溶けだそうです。
日本は本当に広いですね。
でも、確実にそれぞれの場所でそれぞれの季節が進んでいるのだと実感します。
季節は止まることなく、進んで行く。
人の命も、私たちの時間も止まることなく同じように。。。。
この一瞬一瞬が、もう二度と帰ってこない大切な時なのですね。

最後に、もう今は散ってしまいましたが、短い春を思い出しながら。。。。。。

e0165472_2434879.jpg





隠された歴史、消された神々のことを、一人でも多くの人に知っていただくために
もし、よかったら、(バナー)をポチっとお願いします^^

一緒に、瀬織津姫を復活させましょう♪ 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村

愛姫伝 スマートフォンサイト 
QRコード
e0165472_239596.png


ブログで紹介した場所を、地図でご案内しています。。
お越しの際には是非ご参考にされてください。

愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2012-04-29 02:47 | 愛媛県松山市 | Trackback | Comments(3)

こんにちは。

来週、5月2日はいよいよ古事記物語の著者 「宮崎みどりさんと小林晴明さんの」
古事記のお話があります。

先日もおひとり 参加させていただきたいというご連絡を頂きました。

私のブログを通じて、古事記に少しでも興味をもっていただける方が増えると
私もとてもうれしいです。

古事記を知ることは、
今の日本がつくられた原点を見るうえでかかすことのできないものです。

その内容は、確かにつくられたもので、
自分たちの世界をつくるために書き下ろされたものです。
でも、それでもそれが原点となり、今の日本がつくられたことに変わりありません。
また、その中には今を生きる私たちが、忘れてしまった大切な教えも含まれているような気がします。

よくも悪くも、
今の日本がこれを元に始まった国だということを知っておくべきだと
私は思っています。

知った上で、間違いはただし、
また新たな国造りを始めるべきではないかと。

今年は、古事記1300年という大きな節目です。
原発にしても、政治にしても、経済にしても、人の生き方にしても、
いろいろなことをもう一度考えなおさなければいけない時期に入った今、
私たちは、もう一度原点に戻り、きちんと現実をみつめなければいけないと
強く思います。

「権力」を持つものが好きなようにできる世の中を変えるためにも、
古事記が創られた意味を知ることはとても大切なことです。

自分勝手な考えかたを続けていると
どんな未来が待ちうけているのか、それを今を生きる私たちは
いやというほど、いろんな場面で思い知らせているのではないでしょうか。
(まだいろいろなことが起こっても、それに気づいていない人も沢山いますが)

今回のお話は、昼の部と夜の部の二回講演となっています。
夜の部は、昼の部よりも少し奥が深い内容となるようです。
私もどんなお話をしていだけるのか、とても楽しみにしています。

もし、興味のある方がいらっしゃいましたら、
直接お寺の方へご連絡いただくか、もしくは私のところまでご一報ください^^
kids_ld@ybb.ne.jp

e0165472_1310148.jpg


今日はこれから松山へと行きますので、
神社のお話は、夜にアップしたいと思います^^

では、楽しいゴールデンウィークをお過ごしください!


隠された歴史、消された神々のことを、一人でも多くの人に知っていただくために
もし、よかったら、(バナー)をポチっとお願いします^^

一緒に、瀬織津姫を復活させましょう♪ 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村

愛姫伝 スマートフォンサイト 
QRコード
e0165472_239596.png


ブログで紹介した場所を、地図でご案内しています。。
お越しの際には是非ご参考にされてください。

愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2012-04-28 13:16 | お知らせ | Trackback | Comments(8)

こんばんは。

今日のお話は、神功皇后にまつわるお話です。

伊予の国にも、沢山の神功皇后にまつわるお話があります。
これまでもいくつかご紹介してきましたが、
今回ご紹介するお話は、伊予に伝わる神功皇后のお話の中でもとても重要な意味を含む伝説だと思います。

この意味がもし解明できれば、
もっと鮮明に古代の謎が浮かびあがってくるかもしれません。

でも、そう簡単にはわからないのが歴史。
一つ一ついろんなことを学んでいきたいと思います。

今日ご紹介するお話の神社は、石手川と小野川の河口。
松山空港のすぐ近くにあります。

これまで松山空港近くの神功皇后由来の神社をいくつかご紹介しましたが、
その中でもここは、とても重要な場所を意味します。

神功皇后は、川の河口付近の神社にその足跡をよく残しています。
神功皇后が立ち寄ったとされる川の河口は、
瀬織津姫が祀られていたと思われる場所が多いことがわかってきました。

そして、神功皇后が立ち寄っていないのに、神功皇后の由来が残るこの場所は、
もう一つの大事な意味をしめしています。

それは、この地に大和があがってきた経路。
当時の主要な川をしめしていると思われます。

今日の神社の名前は

「住吉神社」

住吉三神は、神功皇后を勝利へと導いた神として、たびたびその名が現れます。
住吉三神は、
底筒男命(そこつつのおのみこと)、中筒男命(なかつつのおのみこと)、表筒男命(うわつつのおのみこと)
この三柱の神のことを言います。

そして、神功皇后をあわせると
住吉大神といい、住吉大社にともにまつられます。

住吉の「吉」は古来では「エ」と読み、「住」(スミ)と「吉」(エ)

「スミノエ」は、「澄んだ入り江」のことをあらわすといい、澄江、清江とも書いていました。

これは、古代における天皇即位の際の重要な祭儀である八十嶋祭の清めの海を表していて、
天皇は即位すると住吉(スミノエ)の海で清めの儀式を行ったといいます。

澄んだ入江は、姫とも関係がある場所。
どうして、ここで禊をおこなっていたか、それはやはり再生の場所だったからなのでしょう。

そんな住吉三神をまつるこの松山の神社の由来は、
神功皇后が住吉神のお告げに戦いに勝利し都へと帰る途中のことでした。

神功皇后は住吉神に、
「太神降臨したもう宮処を教えたまえと」 と祈り、
九本の藤の木を海中に流しました。
その九本の藤の木は伊予の国の九箇所の浦に漂着したといいます。

その一つが、ここ松山市石手川と小野川の河口へと流れついたのです。

「太神が降臨した場所」の一つが、ここだったということです。

この川は、以前もご紹介しましたが、
考古学からも、古代の主要な道(川)であったと考えられている、「小野川」へと繋がっています。
そしてその小野川沿いには、天の香具山の片方 「天山」があり、
奈良よりも先に完成したという古代の政庁があります。

そして途中で二つに分かれる「石手川」沿いには、
道後温泉や、湯月城、古代の出雲の地と言われる場所があります。

どちらにも繋がるこの川の河口は、
歴史を見るうえで、とても重要な場所です。

その川の河口に、藤の木が漂着した。

と言われる伝承は、神が降臨した場所を表しているのではなく、
伊予の国へとあがってきた誰かを意味しているのではないかと思うのです。

それは 「藤の木=藤原氏」 のことではないかと。。。。

藤の木が流れついた場所は、全部で9か所。
残りの8か所をざっと探してみました。

するとあと二箇所。わかりました。

その一つが、隣の町、 「松前町」を流れる川の河口です。
この川の近くには、伊予稲荷神社や、伊予皇子が祀られる伊予神社。
愛比売が降臨した山、谷上山があります。

そしてもう一つが、予想もしなかった 「宇和島市」

宇和島市の中心部を流れる川の河口近くにその場所がありました。
この川沿いには、宇和島でも有名な和霊神社があり、この川では毎年大きな大祭が行われています。

今まで宇和島市については全くふれてきませんでしたが、
これでやっと宇和島が歴史の中で何かを消され変えられた場所だということが見えてきました。

これでやっと宇和島にも入ることができるかな。。。。と思っています。

そして残りの 6か所はまだどこかわかっていません。
伝承が残っているかどうかわかりませんが、いつか全部わかる時がくればいいなと思っています。

まずは、一か所目。
一番重要な場所とも言える、石手川、小野川の河口に鎮座する 住吉神社です。

*住吉神社
*松山市西垣生町1369番地
*祭神
表筒男神(うはつつをのかみ)
中筒男神(なかつつをのかみ)
底筒男神(そこつつをのかみ)
息長足姫(おきながたらしひめ)(神功皇后)

ここが、川の河口です。

e0165472_2255261.jpg


興々島もすぐ目の前に見えています。

e0165472_22562441.jpg


今では小さな神社になっています。
とても重要な場所だということはきっとだれも気付いていないのだと。。
e0165472_22584165.jpg


e0165472_22591458.jpg


拝殿
e0165472_2301016.jpg


注連縄が逆ですね。
e0165472_2305058.jpg


本殿
e0165472_2313358.jpg


境内には綺麗な花が咲いていました。
ピンク色の椿
e0165472_2323390.jpg


椿の花言葉は 「誇り」 「私は常にあなたを愛します」

そしてこちらは 「花桃」
e0165472_2365883.jpg


花桃の花言葉は、「天下無敵」 「あなたに夢中」

住吉神社に行った後、この川を天山まで遡ってみることにしました。
この続きは次回に。。。。

今日は、以前の職場の送別会でした。
職場を去って、はや一か月。 でもたった一か月で、なんだかもう遠い過去のような気がしました。
ついこの間まで、一緒に仕事をしていた人たちなのに、
不思議ですね。

出会いがあれば別れがある。
終わりがあれば始まりがある。

今いる場所が今自分に必要な場所なんだと、なんだか強く感じました。

よくも悪くも、必要な時に必要な人たちがまわりにいるもの、
全ては今の自分にとってぴったりの場所なのだと。
きっと人生はその繰り返しなんだと思います。

今を一生懸命に生きる。
全てを受け入れて。。。。

今日も、ありがとうございました。



隠された歴史、消された神々のことを、一人でも多くの人に知っていただくために
もし、よかったら、(バナー)をポチっとお願いします^^

一緒に、瀬織津姫を復活させましょう♪ 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村

愛姫伝 スマートフォンサイト 
QRコード
e0165472_239596.png


ブログで紹介した場所を、地図でご案内しています。。
お越しの際には是非ご参考にされてください。

愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2012-04-26 23:17 | 愛媛県松山市 | Trackback | Comments(0)

こんばんは。

今日は、今治市に鎮座する 「三嶋神社」をご紹介します。
今治には、沢山の三嶋神社があります。

越智氏の本拠地なので、当たり前といえば当たり前なのですが、
「三嶋」 と書かれていない神社でも、その大半が神紋が 「三」の文字。
改めて、三嶋の勢力がどれだけ大きかったかを、思いしらされます。

今日ご紹介する三嶋神社は、
国府があったところではないかと言われている場所の一つ、

「上徳」 というところにあります。

「上徳=神徳」とも読めるこの場所は、
富田地区にあり、朝倉へと続く頓田川沿いに位置します。

川を朝倉方面へと走っていると、右下に木々が生い茂る小さな杜があり
神社はこの杜の中にあります。

この神社へ行くのは今回で二度目。
一度目はもうずいぶん前で、なんだか薄暗いところ。。。と思ったのが第一印象でした。
その時は、全く気付かなかったのですが、
ここに、大きな鍵を握る神様が祀られていたとことに今回気づきました。

その神様が、タイトルにもある

「鷺大明神」 です。

境内社の中に祀られる神様なのですが、
この神様が、出雲と伊予の国を結ぶ重要な神様なのではないかということが今回わかりました。

「鷺」 と言えば、
ブログの中でも何度も出てきている鳥。

三嶋明神と鷺は、同一とも言える とても深い関係にあります。

あの今治市鳥生町という名前の由来にもなった鷺は、
三嶋明神の 「神使」 と言われています。
河野家が戦いに苦戦している時、鷺が現れ助けてくれたお話や、
道後温泉のお湯を見つけたのも、足をけがした鷺がお湯の中でその傷をいやしている姿を見て
発見したと言われ、現在も道後温泉の本館には、まるで大山祇神社の方を見ているかのように
本館の屋根の上にいます。

北を向いた鷺
e0165472_2232549.jpg


また鷺は月の神の使いともされ、兎と同様、
月の女神の神使です。

古代太陽の神使は 「カラス」 とされ、
それと反対に、 月の神使は 「鷺」 だとされていたのです。

そしてこの鷺が、伊予の国以外に祀られていることがわかりました。

その場所が 「出雲」 です。

鷺大明神として出雲の国に祀られる 「鷺」は
島根のお隣の鳥取では、 鳥取の神話の代表 「兎」とともに 鷺が祀られているといいます。

「鷺」と「兎」はともに、月の使い。
どうして、出雲の国に「鷺大明神」が祀られたのか、
これからもう少し詳しく調べていかないといけませんが、
私は、この鷺大明神が一つの大きな鍵を握るような気がしています。

*三嶋神社
*今治市上徳字高森194・195番地
*祭神:大山津見命(おほやまつみのみこと)

e0165472_2222018.jpg


e0165472_22225674.jpg


e0165472_22234671.jpg


e0165472_22244949.jpg


e0165472_22252645.jpg


神社の境内には、水を抜かれた池があります。
その中には、小さな祠が。。。。 ここに昔は弁財天が祀られていたのでしょうか。
それともここが、祓いの池だったのでしょうか。
e0165472_22265921.jpg


そして更に奥には、大きな磐があります。
古代、ここが祭祀の場所だったのかもしれません。

e0165472_22275815.jpg


そして磐の隣には少し小高い丘があります。
その上に、小さな祠があります。 
ここに鷺大明神は祀られています。

e0165472_22295381.jpg


この階段を上がります。
e0165472_22302135.jpg


e0165472_2232456.jpg


e0165472_2233258.jpg


e0165472_2234072.jpg


そして同じ場所に、天照皇大神。
e0165472_22344414.jpg


この三嶋神社のすぐ近く、田んぼの中にもう一つ小さな祠があります。

「桜元塚大明神」

その由来ははっきりとわからないのですが、
地元の言い伝えでは、お酒が好きな神様で、必ず午前中に行くことと言われているそうです。

「桜」の「元」 とは、桜の神様はここです。と言いたいのでしょうか。
e0165472_2247441.jpg


e0165472_22471777.jpg


e0165472_22473069.jpg




隠された歴史、消された神々のことを、一人でも多くの人に知っていただくために
もし、よかったら、(バナー)をポチっとお願いします^^

一緒に、瀬織津姫を復活させましょう♪ 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村

愛姫伝 スマートフォンサイト 
QRコード
e0165472_239596.png


ブログで紹介した場所を、地図でご案内しています。。
お越しの際には是非ご参考にされてください。

愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2012-04-24 22:48 | 愛媛県今治市 | Trackback | Comments(0)

こんばんは。

昨日と今日は、天気予報では大雨。
でも、神社に行く時間になると、不思議と雨がやみ両日とも神社へ行ってきました。

土曜日に行った場所は、思っていた以上に次々と新しいことを発見し、
今日行った所でも、初めての神様に出会い、最後の神社に参拝して境内から出て階段を降りようとした時、
目の前に広がる空に、沢山まるで龍神(ヤマタノオロチ)のような雲が広がり、
感謝感謝の終末になりました。

これだけ、毎週のようにあちこちへ行っていても、
次から次へと、新しいことがでてきます。
愛媛もひろいな~とつくづく感じる今日このごろ。。。。

まだまだ、知らないことが沢山眠っているのだと思うと、
ワクワクします。
最近、頭の中は半分古代に行ったまま。。。
そのせいか、最近は都会にまったくといっていいほど興味がなくなりました。
その代わりに、民家のない山奥に入れば入るほど、
気持ちが落ち着き、ますます自然の美しさに引き込まれるようになりました。
神社って不思議ですね。。。。。。。

では、今日のお話です。
今日は、今回の旧東予市の神社めぐり最後の場所です。

今治市と旧東予市の間にある 「周越トンネル」を東予市側へ出て坂を下りるとすぐ右手に
木々がおいしげる一角があります。

そこに鎮座する神社

「皇子神社」 をご紹介します。

ここに祀られる神様は、なんとも不思議な組み合わせで、
どうしてここに、この二人の神様(人間)が祀られているのか、
全くわかりません。

こちらに祀られている神様は、

「大雀命(おほさざきのみこと) 」と

「軽大女娘」です。

大雀命とは、第16代天皇 仁徳天皇のことで、
「軽大女娘」とは、あの松山市姫原で日本で最古の心中をされたといわれる
伝説の姫のことです。

軽大女娘については、松山以外にもう一か所とても関係の深い場所があり、
その場所を訪れてからお話しようと思っていたのですが、
まさか、こんなところでも祀られているなんて。。。びっくりでした。

ここは、(1223)、四之宮の元祖小千孝元が勧請したとも、文中2年(1373)伊予守河野通定が伊予に勧請したのを分祀したとも伝えられいます。
そしてその時勧請した神さまは、
熊野権現の子神とされているのにもかかわらず、
現在祀られている神様は、どういうわけか、
神様ではなくどちらも人間の、

大雀命と軽大女娘。

もしかしたら何かを隠すために、この二人を祀ったのかもしれません。

そしてもう一つここには、境内社がありその境内社の名前を

「岩木神社」といいます。
そこに祀られる神様は、

石之姫命。

石之姫とは、仁徳天皇の皇后であり、武内宿禰の子葛城襲津彦の娘です。

越智家が祀る神社で、この組み合わせで祀られるのはとても珍しく
これからの課題の一つかもしれないと思います。

こちらの神社は、
安産・疫病避けの神として信仰されていて、その神徳からすれば、
本来は、木花咲耶姫姫や、磐長姫を祀っているはず。

縄文時代から人々が暮らし始めたと伝わるこの場所は、
東予市の歴史の謎が眠っている場所かもしれません。

*皇子神社
*西条市実報寺字皇子ヶ森甲982番地

e0165472_2342161.jpg


e0165472_23422889.jpg


e0165472_23432434.jpg


境内社 岩木神社
e0165472_23441773.jpg


この境内社がもしかしたら、姫の場所かも。。。
e0165472_2345763.jpg


この岩木神社に祀られる 石之姫命。
社の前に掲げられた小さな旗には、

「伊和姫神社」 と 書かれています。
e0165472_23471844.jpg


そして参拝して、車に乗ろうとした時、あの虹を見ました。

e0165472_2349777.jpg


まるで天へと上る橋のように現れた虹。
虹を見るのは、不思議と神社巡りの最後の神社を参拝した後が多いのです。
だから一段と、この虹が有り難く感じます。

ありがとうございます。(合掌)




隠された歴史、消された神々のことを、一人でも多くの人に知っていただくために
もし、よかったら、(バナー)をポチっとお願いします^^

一緒に、瀬織津姫を復活させましょう♪ 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村

愛姫伝 スマートフォンサイト 
QRコード
e0165472_239596.png


ブログで紹介した場所を、地図でご案内しています。。
お越しの際には是非ご参考にされてください。

愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2012-04-22 23:53 | 愛媛県西条市(旧東予市) | Trackback | Comments(0)

おはようございます^^

4月に入って、デザインの学校に通っているので、
最近、朝から夕方まで一日を絵を書いている。なんて日が
週の半分くらいあります。

粘土で姫をつくった時もそうだったのですが、
もともと絵が苦手で、
今までほとんど書いたことがありません。

そんな私が、今は一日中、絵を書いています。
家に帰ってからも
毎日、ノートに1ページ絵を書く時間にあてています。

まだまだ、上手とは言えませんが、
今まで全く書けなかった私が、
書いていることが不思議。

自分が勝手に思い込んでいるだけで、
案外、できるかも? 
なんてことが、あるかもしれません。

皆さんも、何か興味があることがあったら
思い切って挑戦してみたらどうでしょう?
興味があるってことは、ほんとうはできるってことかもしれません。
年齢なんて、関係ない。 と私は思います。

では、今日のお話です。
今日は、前回の続き「旧東予市」

縄文時代は、今の日本の気候よりももっと暑かったと言われています。
四国は、原生林に覆われ、南国に近いような気候。
地球全体が今よりも気温が高かったので、
海面は今よりも高く、現在海の近くの平地になっているところは海でした。

四国は今でも、海と山がせめぎ合い平野が少ない
独特な地形ですが、
当時はもっと、平地が少なかったと思われています。

宮崎駿さんがこんなことをおっしゃっていました。

「神が宿る恐ろしい森は、照葉樹林でなければならない」
「人は、暗闇の原生林を伐採し、都合のよい改変を施して明るい里山を作り出して来た歴史を持つ。
それは人間中心主義の観点からは懐かしく素敵な森であるが、自然本来の生命力の成せる森ではない。
人間には恐ろしく凶暴なものであっても、本来の姿は神秘的な生命力の宿る闇の原生林なのである。」

里山と、原生林は同じ山でもその森の持つ力が違う。
古代、神々が宿る山とは、
木々が生い茂り、恐怖さえも覚えるそんな原生林だったのかもしれないと
私も思います。

この四国という島は、
海に囲まれ、平地が少なくその土地のほとんどが木々で覆われた山。
そしてそんな小さな島の中に、
西日本一と言われる山 「石鎚山」 があります。

昨日たまたまテレビで石鎚山の特集をしていましたが、
今でもこの山だけは、古代の山のその姿を残している。
山の奥に入れば、そこはまるでもののけの世界。
縄文時代、原生林で覆われていたこの四国の島は、
神秘の世界が広がる、神の住む森があったのかもしれないと
石鎚山を見ていて思う。

そんな四国の海の側に、静かに暮らしていた縄文時代の人々、
ここは、そんな縄文の人々が暮らしていた一つの集落があった場所です。

今では、その面影もありませんが、
ここにも、数千年の歴史があると考えただけで
違う風景に見えるような気がします。

そして弥生時代。ここにも、違う国からやってきた民族が住み始めました。
その時は、縄文時代の人々と共に融合しながら住んでいました。
だんだん、二つの民族は結婚をし家族になりました。
互いの文化や風習をうまく合わせながら
新しい文化をつくり、暮らしていた人々。
しかし、ある時それらを壊してしまう出来事が起こってしまいます。
そして、全く違う世の中を作り出していったのです。
それが、現代に続く、利益と権力の欲望の世界です。

*旧東予市 庄内地区 天満宮
e0165472_10343014.jpg


e0165472_103557.jpg


e0165472_10354276.jpg


e0165472_10361687.jpg


e0165472_10365054.jpg


e0165472_10401690.jpg


e0165472_1041523.jpg





隠された歴史、消された神々のことを、一人でも多くの人に知っていただくために
もし、よかったら、(バナー)をポチっとお願いします^^

一緒に、瀬織津姫を復活させましょう♪ 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村

愛姫伝 スマートフォンサイト 
QRコード
e0165472_239596.png


ブログで紹介した場所を、地図でご案内しています。。
お越しの際には是非ご参考にされてください。

愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2012-04-21 10:42 | 愛媛県西条市(旧東予市) | Trackback | Comments(0)

自然への愛

こんばんは。

今日は少し遅くなってしまったので、
神社のお話はお休み。

先日写真を取りに近くの神社へ行った時、
その木の他の花はほとんど萎れていたのに、
一輪だけ一生懸命咲いていた
花を見つけました。

その木は

「木蓮」

約1億年前、原始時代からその姿を変えていないといわれる

「木蓮の花」

花言葉は

「自然への愛」

人間の欲望で、
この自然が消えてなくならないように、
青い地球がなくならないように。

原発を辞めなければ
いつか自然も人間も生きていけなくなることに
気付いてほしいと自然は私たちに訴えている。

自然への愛を思い出すように。

e0165472_23423075.jpg





隠された歴史、消された神々のことを、一人でも多くの人に知っていただくために
もし、よかったら、(バナー)をポチっとお願いします^^

一緒に、瀬織津姫を復活させましょう♪ 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村

愛姫伝 スマートフォンサイト 
QRコード
e0165472_239596.png


ブログで紹介した場所を、地図でご案内しています。。
お越しの際には是非ご参考にされてください。

愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2012-04-18 23:44 | 自然 | Trackback | Comments(0)

こんばんは。

今日は、前回の続き旧東予市の神社です。

ここは、前回お話した三島神社のすぐ近くにある
小さな山の上にある神功皇后由来の神社です。
三島神社に行ったあと、川沿いを走っているとなんだかとても気になる山が。。
山の上には、ほんの少しだけ社が見えていました。
やっぱり気になる。。。。
ということで、行ってみることにしました。

そして入口の神社の由来を読むと、
神功皇后のことが書かれてありました。

東予市で神功皇后の名前を見たのはここが初めて。
こんなところにも神功皇后はきていたなんてびっくりでした。

この辺りは、神功皇后の時代は浅い海。
ということはこの山は、当時は満潮の時は島になり、干潮の時は山になる。
神功皇后はなぜかここのような地形の場所にその跡が多く残ります。

神社の名前も何かとても意味のありそうな不思議な名前。

「護運玉甲甲賀益八幡神社(ごうんたまかぶとかがますはちまんじんじゃ)」

社伝によると、
仲哀天皇・神功皇后が紀伊の国より南海道に巡幸(各地を巡っている)のとき、
この地に行宮(宿泊所)をつくりました。
そしてその夜見た夢のお告げにより、ここに神を祀ったといいます。

それが由来となり、
この山は「神齋山カミイワイヤマ (神さまの神聖な山)」と呼ばれ、
後に里人が社を建てたとされます。

1600年の古社。

里人がここに社を建てた時の祭神は、
「吉岡の神」と「猿田彦神」、二神と伝えられているといいます。

その後、
天智天皇の御代(667年)2月1日、
国司土師連(ハジシノムラジ)がこの地を通行のとき、
老翁が現れ、我八幡大神と共にこの地を守護しようと言いました。
老翁に誰かと尋ねると、
「猿田彦神」となのったといいます。

どうしてここに、猿田彦神が現れたのでしょう?
667年は、天智天皇が天皇となった年でもあり、
ここ西条、東予市の一番波乱の時代です。

今日丹原に住む友達から、
とても気になる話を聞きました。

それが、この東予市や丹原の元の地名にまつわる由来です。

ここは昔「桑原」と呼ばれていました。
この地はかつて養蚕が盛んでした。
蚕は桑の葉を食べて育ちます。
だからこの地域では、桑の木が沢山あったので、この名前がついたと言われています。

そして以前お話した 「綾延姫」にも繋がります。
織物を伝えたという「綾延姫」のお墓があるという綾延神社もこのすぐ近くです。

このことから、この地域には真の秦氏が住んでいた地域と思われることから、
この地に本当に祀られていた神さまは、
「瀬織津姫」ということになります。

ここで再度秦氏についての私の考えをお話しますが、
私は本当の秦氏は、仏を祀ったのでも、稲荷神を祀ったのでもなく、
古代からの女神を祀り続けていたと思っています。
稲荷神やお寺の中に秦氏の名前が数多く出てきますが、
それらは全て、本当の秦氏ではありません。
それを証明してくれたのが、新居浜市の一宮神社と、秦氏の菩提寺と言われるお寺でした。
どちらも秦氏だと思われていますが、
実はどちらも 「養子」 
本来の秦氏ではなかったのです。
稲荷神を祀る、京都の伏見稲荷も同じです。

姫を祀る重要な神社に新たに神々を祀ったのは、
「藤原氏」また「鴨族」。
それは、大山祇神社を含む、そのまわりに建立された神社も
「藤原姓」がかかわっています。 

神功皇后の由来の場所には、必ずと言っていいほど、
「水」 が関係ある場所です。
それは、聖水の湧き出る泉であったり、海と川がひしめき合う場所、河口であったり、
温泉のわき出る場所であったり。。。。。
「水」と「神功皇后」 これが神功皇后の謎を解く鍵となることは間違いないと思います。

*護運玉甲甲賀益八幡神社
*西条市上市甲460番地
*祭神
猿田彦大神(さるたびこのおおかみ)
足仲彦尊(たらしなかつひこのみこと)
誉田別尊(ほむだわけのみこと)
気長足姫命(おきながたらしひめのみこと)
田心姫命(たごりひめのみこと)
市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
湍津姫命(たぎつひめのみこと)
武内宿彌(たけしうちのすくね)

e0165472_22551036.jpg


e0165472_22552291.jpg


この階段をのぼり山の上へ。
e0165472_225622.jpg


古いご神木が迎えてくれます。
e0165472_22574116.jpg


山の上にのぼると、拝殿がありました。
山の上は思ってたよりもずっと狭く、
なんだか不思議な空間。
e0165472_22594731.jpg


本殿。
e0165472_2305336.jpg


拝殿の横に小さな境内社が。
そこには、姫が。。。。。
e0165472_2332437.jpg


e0165472_2333624.jpg


e0165472_2334793.jpg


ここから見る景色。
e0165472_2344518.jpg


山をおり帰ろうとした時、石垣の下に小さな社が目にはいりました。
「あんな一目のつかない場所に。。。。」

そこに祀られる神さまは、
なんと 「天照皇大神」 でした。
姫の名前でもある、「水波能売命」は拝殿の横に祀られ、
本来もっと目立つ場所にあるはずの、「天照皇大神」が
こんな奥に祀られていたのです。
e0165472_239337.jpg


手前左の小さな鳥居のある社ではなく、
木に半分隠れた小さな社が見えるでしょうか?
e0165472_23104984.jpg


ひっそり祀られていた 天照皇大神の境内社
e0165472_23112563.jpg


次の神社へ行く途中、
綺麗な菜の花畑を見つけました。
東予市はあちらこちらの田んぼに、
菜の花が植えられています。

田植えの前に、田に栄養を与えているのでしょうか。
菜の花の時期ももう終わり。
もうすぐ一面、緑いろの田んぼになりますね。。。。。

e0165472_23232315.jpg




隠された歴史、消された神々のことを、一人でも多くの人に知っていただくために
もし、よかったら、(バナー)をポチっとお願いします^^

一緒に、瀬織津姫を復活させましょう♪ 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村

愛姫伝 スマートフォンサイト 
QRコード
e0165472_239596.png


ブログで紹介した場所を、地図でご案内しています。。
お越しの際には是非ご参考にされてください。

愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2012-04-17 23:24 | 愛媛県西条市(旧東予市) | Trackback | Comments(0)

こんばんは。

今日の神社は、丹原町に鎮座する三島神社です。

この三島神社は 「和銅5年」に勧請された三島神社の一社です。

三島神社は、これまで何度かお話をしましたが、
この和銅5年と、神亀5年の二度、この伊予の国に一度に建立されます。

神亀5年とは、728年、聖武天皇の御代。

そして、和同5年とは、712年、元明天皇の御代、古事記が完成した年と同じ年です。
どちらもなぜか、8月23日という同じ日に、一度に勧請されました。

古事記が完成したこの年は、まだ大山祇神社の大造営は終わっていません。
また現在の宮浦へも移されていません。

その前に、どうして一度に多くの三島神社を勧請しなければならなかったのか
まだ謎のままですが、
私は、この和同5年に勧請された場所は、
大和の勢力が一揆にその勢力を拡大した証だと思います。

こうして、大造営が始まった701年から、完成し正遷座行われる19年間の間に、
この伊予の国の形は大きく変わっていったのだと思います。
そして、大三島以外の姫の姿はとうとうなくなり、本体である大三島の姫は封印されるほか
なくなってしまったのだと思います。

「戦わずして国譲りが行われた。」

これはその時のことを言っているのではないかとも、最近思えてきました。

そして国譲りを行った神は、大山祇神社の真北にあたる出雲の国に眠った。
北の端に。。。。 
北の端が、その魂を永遠に眠らせる場所として選ばれたのではないかと、
またちんぷんかんぷんなことが頭をよぎります。

でも、こうしていろいろ考えることが楽しいのです^^
1300年前の歴史、どれが真実かなんてほんとは誰にもわからないのかもしれません。
でも、少しでも近くなりたい。
ほんの少しでも、真実に近づきたいそう思う気持ちがあることに
意味があるのだと思います。

空海が、どんな想いで姫の場所へ足を運んだのか。
円空が、どんな想いで姫の仏像を彫り続けたのか。
一遍上人が、何を知り何を探しに神社に行ったのか。

1300年の間に多くの人が、この謎にかかわりその場所を訪れた。

そして現代も、その想いをまるで受け継ぐかのようにいろいろな場所で
その謎を追いかけている人がいます。

私を含め、それぞれの地で歴史に魅せられ、何かにかきたてられるように
姫の封印の場所へと向かう人々は、例え永遠にその訳がわからなくても、
それでもどうしてかそこへ向かいたい。

そんな純粋な魂の声のままに動いているように思います。

そしてもしかしたら、いつの日か、みんな同じ場所へたどり着くのかもしれない。
なんて最近ふと思ったりします。

全く違うことをしているようでも、全く違うものを見ているようでも、
きっと道はある所に続いていると。
私も、その日を楽しみにしています。

*三島神社
*西条市桑村449
*祭神
主祭神:大山祇神(おほやまつみのかみ)
  配神:雷神、高龗神

e0165472_22442655.jpg


e0165472_22443999.jpg


まっすぐの参道を歩きます。
e0165472_22454953.jpg


e0165472_2246144.jpg


拝殿
e0165472_2246374.jpg


本殿
e0165472_22475796.jpg


神域と御神木
e0165472_22493499.jpg


e0165472_22494994.jpg


昨日、ある方がおしゃっていました。
縄文時代の人々にとって、音楽とは向こう側の世界とこちら側の世界を繋ぐものだったと。
向こう側の世界とは、私は神さまの世界。
それは神と人とをつなぐものだったのかもしれないと私も思いました。
私はブログを書くとき、必ずヘッドフォンで音楽を聴きながら書きます。
他の音が入らないように、その日自分がききたいと思う音楽を聴きながら。
そうするとなぜか何も考えなくても指がかってに動いていく気がするのです。
よく作曲家や作詞家の方が、歌詞や音楽がおりてくる。と言いますが、
その時、その人はきっと何かと繋がっているんだろうなと、こんな私も最近少しわかるように
なってきました。
私がブログの最後に載せている音楽は、私がこのブログを書きながら聴いていた曲です。
この曲を聴きながら、ブログを読むともしかしたらみなさんの心の中にも
何かがおりてくるかも。。。。。。




隠された歴史、消された神々のことを、一人でも多くの人に知っていただくために
もし、よかったら、(バナー)をポチっとお願いします^^

一緒に、瀬織津姫を復活させましょう♪ 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村

愛姫伝 スマートフォンサイト 
QRコード
e0165472_239596.png


ブログで紹介した場所を、地図でご案内しています。。
お越しの際には是非ご参考にされてください。

愛姫伝神社・お寺・観光マップ
by ldc_nikki | 2012-04-16 23:15 | 愛媛県西条市(旧東予市) | Trackback | Comments(2)

数あるブログの中からお越しいただきましてありがとうございます。 不思議な数々の出会いから、今は、愛媛の神社めぐりをしながら、神社や女神様そして、神話の神々の伝説を調べています。